1.
ボサボサの金髪に古びたゴーグル、そしてオレンジ色をしたぶかぶかのジャンパーを着ている少年――うずまきナルトは心から欲していた。
教室の中央。
大勢の生徒に見られながら、その視界に混じる負の念を感じながら、必ず見返すという決意を胸に、ナルトは試験に挑戦している。
試験課題は忍術の初歩で分身の術。
自分と同じ姿の幻影を三つ以上同時に展開すればいいという単純極まりない試験。
しかし、ナルトはこの試験に既に二回落ちている。
二度あることは三度ある。
周囲の生徒たちの視線は"落ちこぼれ"を見る目であり「できるわけねーよ」と揶揄されている。
聞こえないフリをして、ナルトは集中する。
両足を肩幅ほど広げ、指で印を切る。同時に、チャクラを――練り上げる。
己が身体を引き裂くほどの莫大な力が満たされていき、暴発しそうになるのを綱渡りをしていると錯覚するほどの拙い制御を施す。その程度では制御できない、身体から漏れ出していくチャクラは少年に報復活動を行う。
激痛。
視界が赤く染まる。眼球の毛細血管が破裂したのだろう。痛みに気が狂いそうになるが、なるべく不敵に見えるように祈りながら、歯を剥き出しにして笑う。
痛いのはいつものこと。慣れている。
何時までたっても慣れないのは馬鹿にされることだ。見下されることだ。自分という存在を認めないクソったれなゴミクズどもだ。
そいつらを黙らせるために必要なものがある。欲しくて欲しくてたまらない。それを――手に入れる。
(力が――欲しい)
練り上げたチャクラが皮膚から漏れ出していく。
クソッ、畜生ッ! 心の底から憤慨する。
いつだってそうだ。欲しいものは手に入らない。
今ほしいものは、チャクラを制する技術。分身の術などという初歩の忍術を使えるだけでいい、その程度の集中力。
祈りは言葉に変えられて「頼むよ」と掠れた声がナルトの口からこぼれていく。
その声は分身の術を行使したときの音にかき消され、誰の耳にも届くことはない。
涙が一滴零れ落ちる。
立派に立つ分身が一つと、出来損ないの潰れたカエルみたいな分身が一つ。合格条件は分身を三つ以上生み出すこと。つまり――
「うずまきナルト。お前は不合格だ」
崖から落とされるような感覚。
ナルトは三度目の試験を、落ちた。
認めたくない事実。自分には才能がないという劣等感。
何故、どうして、畜生、嘘だろ、クソ野郎、ふざけんな――そんな罵声が口から溢れ出そうになって、止める。
ぎゅっと唇を引き結び、扉に向かって歩き出し、外へ出る。
誰も止めてはくれない。
ナルトを案じるように試験官であり、担任の教師であるうみのイルカは手を伸ばしてきたのが目の端に写るが、関係ない。
今はただ、ひっそりと泣きたい気分だった。
◆
昼と夜の境目である夕闇の下、今日も今日とて誰もいない家に帰ることなく、公園のブランコを漕いでいる。
「分身の術――練習したんだけどなぁ……」
暁の空を見上げながら、ぎゅっと拳を握りしめる。
公園の中にはいろいろな遊具があり、楽しげに遊んでいる子供たちと、子供を温かく見守る母親たちがいる。
そのうちのいくらかはナルトのことを見ると顔を歪め、いそいそと視線をずらし、子供を連れて帰っていくのだ。
何か悪いことをしたわけでもないのに、この扱い。ここまで毛嫌いされるといっそ清々しい。
ナルトは引き攣った笑顔を浮かべて、地面に唾を吐き捨てた。
昔からこうなのだ。
物心つく前に両親はいなかった。顔など覚えていない。親戚もいないのだから両親の話も聞けない。
あれは初めて忍者アカデミーに通い始めたときのことだったか。
最初は仲良くできた。友達もいた。けれど、次第にナルトの周囲には人は寄りつかなくなったのだ。
「母ちゃんが言ってたぞ。ナルトは化物だって……」
未だに化物がどういう意味かはナルトは知らない。
化物という言葉は白眼や写輪眼などを継承する血継限界などの力を所有する日向家やうちは家などに相応しいとナルトは思う。だって、ナルトは分身の術すらまともに扱えないほどの才能すらないのだから。
努力はしたと思う。
教科書を何度も何度も読み返し、印を切る順番だって完璧に覚えた。チャクラという概念がいまいちわからないし、説明も教科書には記載されていないので適当にやっている部分はあるが、記載されていない程度の内容なのだろうから重要性は薄いと思う。
だから、練習できるのは印を切ること。次に分身を完全に再現するための記憶力と集中力だ。
どちらも自信がある。鏡の前で何時間と立ち、素っ裸の自分を凝視した。最初はまるで自分がナルシストになったみたいで気持ち悪いと思ったが、次第に慣れていき、だんだんと細部を注目するようになった。今では何も見ないでも自分の身体を絵に描けるほどに記憶している。
実に不思議である。
記憶力や想像力に関してはナルトは普通よりも上だという自信がある。この修行のおかげで更に磨きがかかったという確信もある。変化の術は格段に上手くなっているのだ。それなのに、分身の術だけ上手くいかない。キィキィと耳障りな音を立てるブランコを支える錆びた鎖を眺めながら、思う。なんでできないのだろう、と。
理由がわからないから努力する道順が浮かばない。どうすればいいのかわからない。そんなことは長くはないけれど、短くもなかった人生においてよくあることではあったが、試験の合格をするための努力のやり方がわからないなどお話にならない。これも才能の問題なのか。
知れず、溜め息が漏れる。
外気に晒された呼気は白い靄となり、空気の中に溶け込んでいく。なんとなくそれが面白くて、何度も何度も息を吐き出して――何となくむかついたので自分の頬を思いっきり殴った。
自傷癖があるわけではない。ただ、あまり悔しさを感じていない自分が腹立たしかったのだ。
自分以外は合格した。一度目なのに、合格した。自分は三度目で不合格。才能の違いなのか。努力の違いなのか。環境の違いなのか。それはわからない。
わかっているのは――見下されているということだけだ。
教室を出るときに眼に写ったのは自分を心配するイルカの姿だけでなく、蔑みの視線を向けてくる同級生の姿。にやにやと嘲る同級生の姿だった。
思い出しただけでむかつく。
立ち上がり、ブランコを思い切り蹴りあげてみる。
勢いよくブランコは飛んでいき、そのままの勢いでナルトにぶつかった。
額に直撃したそれはナルトを一メートル近く吹き飛ばし、地面を何度もバウンドして、止まった。
「何やってんだ、俺……馬鹿か?」
阿呆、と聞こえた気がする。
聞こえた方向を見上げると数羽の鴉が木の上で群れながら「あほー、あほー」とナルトを見下しながら鳴いている。
知れず、苦笑する。被害妄想も甚だしい。これはただの鳴き声だ。鴉の鳴き声なんだよ。だから、頬を濡らす体液など流れてなんかいない。
悔しさがあった。
考えないようにしていたけれど、今日、思い知った。
自分には忍術の才能がない。人脈もない。何もない。
(じゃあ、俺には何があるんだろう)
歪んだ視界に写る自分の小さな拳を見る。
ぼろぼろの拳骨だ。何度も何度も木偶人形を相手に拳を振り上げ、鍛えぬいた拳。
立ち上がり、足を見る。
鍛え上げられた骨太の脛。これも木偶人形に何度叩きつけ、痛みのあまり絶叫した回数など数えきれない。
取り柄は酷使したこの身体。イジメぬいたこの肉体。
けれど、それだけじゃ忍者アカデミーを卒業できない。必要なのは忍術を使えるという絶対条件をクリアできること。ナルトは才能に恵まれなかった。
「やぁ、何してるの?」
夕焼けが沈み、夜に切り替わる一歩手前のとき。
呆けたまま立ちつくしているナルトに声をかけてきたのは教師であるミズキだった。
教師らしくない長く伸ばした髪が印象的な、どちらかというと整っている顔立ち。いつだって柔和な笑みを浮かべている。そんなミズキが、ナルトは嫌いだった。
「何の用だよ?」
険のある、いつもより低く響く声音。
嫌われているということを自覚しているであろうミズキはそんなことを無視して、笑いながらナルトに近づいていく。
厭うようにナルトは後ろに飛んで距離を取るが、それを見て、ミズキはより一層笑みを深くする。
「良い話があるんだ。アカデミー、卒業したいだろ?」
話が聞き終わる頃には、真円の月が夜空を照らしていた。