2001年10月29日月曜日 15:40 日本帝国軍新潟第十二監視基地付近
「しかし、嫌なものだな」
新潟へ向かう国道上で、俺はトレーラーの窓から外を眺めつつ呟いた。
そこから広がる景色は荒涼としているが、別にそれについての感想ではない。
現在の俺たちは、新潟方面にてBETAと実際に交戦し、その生体サンプルと戦闘データを回収するという名目で行動している。
どちらも嘘ではない。
しかし、実際には食料の確保という重要な目的が隠されている。
戦闘と食料の確保にどのような相関関係があるのか、それについては随分と長くなる。
俺が運よく開放され、基地にたどり着けた直後の出来事だ。
居並ぶリンクスたちにだから言ったじゃないかの大合唱で出迎えられ、それを押しとどめた後までさかのぼる。
「パーティーをやりましょう!」
書類片手に俺の部屋へやってきたダン・モロは、人懐っこい笑みを浮かべてそう提案した。
先ほど廊下から賑やかなやりとりが聞こえてきた後に彼が登場したということは、今後の庶務をやってくれるという事なのだろう。
「パーティー?」
神様の嫌がらせによって脳内に納められた技術情報の書き取りを余儀なくされていた俺は、目の前の笑顔の男に不思議そうに尋ねた。
随分と気前よく技術情報を入手できたと思ったら、その出力に問題があった。
ペンを使って書くことは出来るのだが、キーボードを使って打ち込もうとすると、頭の中にあるはずの情報が出てこなくなるのだ。
結果として、残る19の技術情報は手書きにて用意しなければならなくなった。
これがやっていられない。
注釈なども付け加えなければならないため、枚数が尋常ではないのだ。
現在作成中の論文と仕様書を書き上げるまでに、あと八時間必要な計算になっている。
再計算や添削が必要ない鮮明に記憶している技術を書き出すだけでだ。
これは絶対に嫌がらせである。
「やろうパーティー。直ぐに倉庫へ行くぞ」
驚くほどのモチベーション低下を感じた俺は、早速ダンと一緒に倉庫へと足を運んだ。
食料品、医療品、その他生活雑貨、保守部材などは全てそこへ保管されている事になっている。
衛生面からどうかと思われるのだが、化学物質や燃料、武器弾薬については別の場所にあるのだから大丈夫らしい。
らしい、とはダンの言葉だが、先ほど庶務に就任したばかりの彼に何が分かるのかは不明だ。
ひょっとして、俺が知らないだけで原作ではそういった仕事もしていたのかもしれない。
「自動扉を抜けると、そこは雪国だった」
思わず呟いてしまったが、雪国の方がよほどましである。
俺の目の前には広大な空間が広がっている。
それは舗装され、周囲にはコンクリート製の壁があり、そして天井がある。
天井にはレールが張り巡らされ、サービス品らしい作業用の車両や非武装のヴァンツァーが置かれている。
部屋の端には怪しげな機械が置かれており、それは室外から入ってくるダクトのような通路のような機械の終点になっている。
しかし、それしかない。
「お?ダンボールみっけ」
硬直している俺の横をダンがすり抜け、倉庫の端に並んで置かれていたダンボールへと歩み寄る。
そう、この巨大な倉庫には、何もないのだ。
設備しかない。
十個ばかりのダンボールしか物資が保管されていない。
戦術機だけでも数十機から下手をすれば百機ほどが入りそうな施設であるにも関わらずだ。
俺は無言で入り口の直ぐ隣にある管理室へと飛び込んだ。
基地内の構造は全員の脳内に記録されている。
もちろん、そこに置かれた設備や機器の操作方法もだ。
「も、目録は?目録はどこだ?」
震える手を必死に制御しつつ端末を操作する。
管理システムを呼び出し、基地内の物資の状況を確認する。
緊張の余り流れ出した汗が目に入り、開けていられないほどの痛みを訴えてくる。
それを無視して画面を睨みつける。
やがて、ウィンドウの中に絶望的な情報が表示される。
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需品管理システムVer1.00 横浜総司令部 2001年10月22日月曜日 10:00時点データ
食料:野戦食2型(日本食)210個
医療品:風邪薬1箱、頭痛薬1箱、胃薬10箱、整腸剤10箱、睡眠薬10箱、包帯1巻
生活必需品:なし
雑貨:ボールペン5本、A4コピー用紙1,000枚、三十センチ定規1本、トランプ1箱
以上、次回更新は13:00時
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「うそ、だろう?」
五人分の食事が二週間分。
医薬品は何故か消化器系だけ充実しているが、それ以外は一般家庭以下。
生活必需品は無し、雑貨は文房具と何故かトランプがあるだけ。
そこらへんの一般的な日本家庭を持ってきても、これよりよほど充実している。
「食べ物はもう運んでもいいですか?」
ディスプレイを除いて硬直している俺に、ダンは何でもないことのように尋ねた。
「許可します。ちょっと一人にしてください」
暢気にパーティーが出来る気分ではなかった。
一人になって一分間、俺は石のように重くなった胃を擦りつつ脳を回転させた。
食料すら交渉材料にされかねない状況で、どのようにして自分たちの立場を守ればいいのか?
この世界の覇王になるつもりなど全くないが、自主独立が物理的に不可能では、その発言になんら説得力がない。
買い付けようにもこの世界の貨幣は持っていないし、第一そのような行動を誰にもわからないようにする事は不可能だ。
「いっそのこと、AC持ち出して畑泥棒でもするか」
余りにも笑えない冗談を口にしつつ、管理システムにさらに尋ねる。
「武器弾薬は?予備部品や燃料はあるのか?」
システムに尋ねると、すぐさま回答が帰ってくる。
武器については歩兵用の銃火器しかないが、弾薬については全員が全弾を数十回撃ちつくしても余裕があるほどの在庫があるらしい。
燃料も同様だ。
予備部品については、五回フルメンテナンスが可能。
「他は?他には何があるんだ?」
呟きつつ検索を続ける。
施設の動力源は、おいおい、核融合発電だと。
チート全開じゃないか。
燃料はペレット一年分。
なんじゃそりゃ?発電用燃料の事?
細かい事は教えてくれないってことか。
で、なんで10tトレーラーが二十台もあるんだ?
無駄に人工知能搭載自律行動型で、防衛用35mm連装機関砲とか屋根に乗っけてるし。
なんに使うんだこんなの?
「だめだ、絶望的だ」
背もたれに全体重をかけて寄りかかる。
このままでは、山のような武器弾薬に埋もれて全員餓死だ。
だが、食料を分けてくれと隣家のドアを叩くわけにもいかない。
毎日三食分だけ運ぶなどという簡単な方法で首輪をつけられたらこの世界に全く干渉できない。
別に国連軍横浜基地、もっと言えば香月副司令の下に元々付くつもりなのだから、所属する事自体については問題ない。
だが、不必要なまでにこちらの立場を低くする事はまずい。
食料がないという事は、生殺与奪の権利を彼女に与えてしまう。
それでは何か我々にとって不利益となりえる事態が発生した際に、選択肢が狭まってしまう。
思わずこぼれそうになる涙を抑えようとして、不意に疑問点が沸いてきた。
保守部材などは確か“生産”できるはずだ。
そのプラントは他に何かできないのか?
というわけで、早速端末を使ってプラントの管理システムを呼び出す。
装備、弾薬、燃料、食料、淡水、その他。
「だよなぁ、食料が用意できないんじゃどうしようもない」
安堵のため息を漏らしつつ、食料を生産する場合の材料について確認する。
ふむふむ、とにかく1トンのBETAを用意すれば、同じトン数の食料が手に入るわけね。
医薬品も生活雑貨も、その他武器弾薬装備に保守部材も、全てが同じルールのようだ。
「マジかよ」
先ほどから独り言が多いが、それはそうだ。
動作原理は不明だが、ノーメンテで無限稼動、材料を投入すれば直ぐに欲しい物を用意してくれる。
その材料とはBETAであり、そして運ぶための車両もサービスで付いている。
ここまでは問題ない。正しく夢のマシンだ。
この世界では、BETAなぞ呆れるほど多量に存在している。
だが、オプションとして存在するという事は健康面からは問題ないだろうが、BETAが元の食料を食べる事には抵抗がある。
実物はまだ目にしていないが、あれらはイラストレベルでも十分にグロテスクな存在だ。
食料についての膨大なメニューを見ていると、秋刀魚だの小麦粉だのと表示されているからBETAの丸焼き(闘士級)が出てくる事はないようだ。
しかしだ、恐らくは味の面も本来の味が出るのだろうと予測されるが、それでもだ。
俺は、元BETAの食料を受け付けることが出来るのか?
悪夢のような現実を前に、しかし俺は膝を屈する覚悟が出来つつあった。