まさかこれを作ることになるとはね、とつぶやいた夕呼。
その眼前にあるのは、頭をすっぽりと覆う、目の前にまで被さるヘルメット。
太いケーブルがそれに何本も繋がっている。
武は何となく、ゲーセンにありそうだななどと思っていた。
見ようによってはヘッドマウンテンディスプレイに見えなくもない。だがそこに秘められているのはそれを遙かに上回るものだ。
通常の視覚や音声、キー操作といった入出力機構を飛び越え、直接思考レベルでの入出力を可能とするコンピューターシステム。本来の00ユニットから演算部のみを取り出し、その制御系の代わりに人間の思考を、リーディングとプロジェクションの原理を用いて連結する『拡張脳デバイス』。
完成型00ユニットと、第5世代戦術機の操縦補助デバイスとして採用されていた脳波入出力インターフェイスをベースに組み上げられた、00ユニットの代替品、『ブレインカプラー』。
残念ながら未来情報にあった汎用型脳波入出力装置は、工作精度と必要な原材料(未入手G元素が必要だった)が足りないため、現時点では使用者に合わせたチューニングが必要となる。そのチューニングも、現時点ではデータがまっさらなため、基準から作らなければならない。
そうなると、その基準を作るためには、こちらからブレインカプラーに合わせて接続が出来ないといけない。
結論として、最初の被験者は社霞一択となった。
∀ Muv-Luv それはきしむせかい
この試作機は頭をすっぽりとヘルメットの中に入れなければならないため、霞はいつものうさぎヘアを解いて、オールバックから首の後ろで束ね、ばらつかない髪型にまとめ直していた。
髪をまとめ終わった霞が同行していた武の方を見ると、戸惑いの感情が強く伝わってきた。
普段は武の思考もリーディングしない対象に加えられていたが、現在は実験準備のためリーディング能力は解放されている。なるべく思考の色を見ないようにはしていた霞であったが、ここまで強い感情だとどうしても見えてしまう。
不思議そうに思って武の方を見ていたら、武が慌てたように言った。
「いや、女の子は髪型で変わるって言うけど、ほんとになんというか……別人に見えるなあ」
「私は私ですが」
自分でもよく判らない戸惑いといらだちがあり、やや声が尖っていると、霞は感じていた。
そんな様子の彼女に、武はますますうろたえる。
「あ、いや、なんて言うか、いつも俺が見ている霞はあの髪型だったから、見慣れないといか、印象が違うというか……」
「似合いませんか」
平坦な口調で霞は言葉を返す。この時霞は、自分でも自分の感情がよく判らなかった。うれしいような、腹立たしいような、正と負の方向性が同時に生じるような矛盾した感情。
そんな感覚の混乱が平坦な声として出たのだが、それを聞いて何故か武がますます慌てだした。
「いや、その、似合うというか、印象が違いすぎて比較できないというか」
「はいはいいちゃつくのはそこまで」
そんなところに割り込んできたのは、もちろん夕呼であった。
「白銀、気持ちは判るけど少し落ち着きなさい。社も気にしなくていいのよ。単に見慣れなくてとまどってるだけだろうから」
そして夕呼はシステムモニターを注視しながら霞に言う。
「今のところこちらはOK。社、ヘルメットをセットして」
「はい」
霞は小さく答えると、用意されたソファのように見える椅子に座り、ヘルメットをかぶる。夕呼がコンソールを操作すると、椅子はリクライニングすると同時に少し変形し、霞の体を優しくホールドするような形になった。
これは万一の場合に彼女の体が傷つかないようにするための処置である。単に椅子に座ったりしただけだと、不随意の動きで転倒したり、ヘルメット部分が損傷する可能性があるためだ。
夕呼は霞の姿勢が安定したのを確認すると、バイタルチェック用の端子を手首を初めとする数カ所に取り付け、動作を確認する。
「問題なしね。それじゃカプラーのスイッチを入れるわ。社はちょっとやりにくいかも知れないけど、周辺をリーディングしようとしてみれば何か反応すると思うの。そのへんはむしろあなた頼みになると思うけど、いろいろ試してみて」
はい、という小さな声が聞こえたのを確認して、夕呼はスイッチを入れた。
霞はリーディングをする時のように、意識を集中してみた。と、今まで感じたことのない『揺らぎ』を受けた。言葉にするのは難しいが、見えないところに手をつこうとしたら、そこに何も無くてひっくり返りそうになった感覚、とでも言えばいいのか。
いつも感じる『色』のあるべき位置に、何かぽっかりと穴が空いているような、そんな感じがしたのだ。
これかな、と思い、意識をその『穴』に合わせてみる。特定の人物を深くリーディングする時の要領で。
その瞬間、今度はさっきのそれより遙かに大きな『落下感』を感じた。自分がずるりと吸い込まれるような感覚だった。慌てて穴のまわりに手を掛けて踏ん張る。あくまでも比喩であるが、何とか自分を支える。
その瞬間突然その感覚が失せ、同時に耳元に怒鳴るような声が聞こえるのを霞は感じた。
「社、大丈夫!」
切羽詰まったような夕呼の声。霞は少しぼんやりしつつも、しっかりと答えを返す。
「はい……大丈夫ですけど、どうかしましたか?」
「ああよかった」
夕呼の声に、深い安堵が宿っている。プロテクトが外れているせいか、こちらを心配していた色が見えていない視界に映る。
「突然脳波がフラットになりかけたから何事かと思ったわ」
さすがに霞もぞっとした。ひょっとしたら自分は今、死にかけたのだろうか。
が、冷静に自分のことを思い返して、違う、と結論づける。
「大丈夫です。先ほどの接触で感覚はつかめました。今度はもう少し慎重に接触してみます」
「ならいいけど……じゃあもう一度」
心配そうなまま、それでももう一度電源を入れる夕呼。だがその手はいつでもスイッチを切れるようになっているのが霞には判った。
そのことに何か暖かいものを感じながら、霞は先ほどの世界に飛び込んだ。
意識しながら思考の網を広げると、先ほどの『穴』を明確に感じ取ることが出来た。今度はゆっくりと、のぞき込むように穴に近づく。
うかつに触れようとはせず、穴のあり方に意識を近づけ、穴の中を『視る』。
やがて穴の中の風景が、だんだんと見えてきた。
そこは暗く、何も無い、なのに何故か青く、蒼く、碧く感じられた。
(これは……宇宙?)
映像資料で視る、宇宙のバックが思考に浮かんだ。何も無いのに何かがある、ただひたすらに広大な空間。
霞はその空間に、気をつけながらそっと触れてみた。
その瞬間だった。
今度は落ちるのではなく、溶け込むような感触を感じた。
さっきのが暗闇の中落下するようなものなら、今度は水面に顔を付けた時のような感触がした。そして水の中を見ると同時に、霞の中で『何か』が突然広がった感じがした。
次の瞬間、霞は不思議な物を『視て』いた。すぐ近くで強く感じる、二つの『色のかたまり』。それは今までリーディングで感じていた『感情の色』によく似ていた。だがその色合いは、今までのような単色の物ではなかった。まるで抽象画のように、無数の色が複雑に絡み合った色であった。
だが、今の霞には、それが『視える』だけでなく、『理解できる』。一見でたらめにみえるその『色』は、人の思考の色だ。繋がった何かを通して、その色が人のどんな感情、どんな意思を表しているのかがかなりの精度で判る。
それは言葉を介さない会話であった。霞は今『視覚で会話する』という希有な体験をしていた。
思考は言語で構成される。言語は文字や音などで構成される。その流れはシリアルな、単一の回線である。
だが今霞は、普通そういうシリアルな時間の流れの上で構成される『思考』を、二次元に拡張された『絵』として認識していた。零次元の文字を連ねた一次元であるはずの『思考』を、二次元のパターンに『色』という無数の次元を加えた『ひとかたまりの物』としてまとめて認識しているのである。
それは人間の『脳内思考』を丸ごと飲み込むような物だったのかも知れない。
霞はそれを認識する過程で、あることを『認識した』。
将棋という遊びがある。
霞はやったこともなく、詳しいルールも知らないが、何故か今の自分はそのことを『知っている』。
その将棋において、有段者は盤面を見ただけで瞬時に数千手を読んでしまうという。
今の自分はそんな状態なのではないか、そう『思った』。
次の瞬間、霞はそんな自分を不審に思った。自分にそんな知識はない。そんなことは知らないはずだ。なのに何故自分はそのことを『知った』のか。
そう思った瞬間、その答えが『瞬時に判った』。
将棋に関することは『白銀武』の、今の自分の状態に対する答えは『香月夕呼』の思考だ。
眼前の複雑な色のかたまり、それは夕呼と武の思考そのものなのだ。すべてを理解しようとするのはさすがに無理。だが、そのすべてを今の霞は『認識』している。ただ自分自身の『自意識・言語思考』が、認識していることに追いついていないだけだ。
自分が発した『疑問』に対し、無意識のうちに『視え』ている『思考』の中からそれに合致する物を『リーディング』し、自分の中で言語思考に『変換』して『答え』として認識している。
ふと思いつき、今までの『思考の流れ』を、夕呼のものと思われる『思考』に対して『プロジェクション』してみた。
自分の『視覚』には、思考に光を当てたように感じられた。次の瞬間、まさに即時に『夕呼の答え』が返ってきた。
それは言語ではなかった。『認識』だった。普通耳で声を聞き、脳内でそれを解釈する、その『解釈』がいきなり飛び込んできた。
それは心による超高速の会話だった。再び『声』を掛けてみたが、返ってきたのは『静止』のイメージだった。
どうやら人間にはこのやり取りがものすごい負担になるらしい。そう思った瞬間、夕呼の方から『接続を切る』という意識が生じ、同時にいいまで見えていた物が突然切断された。
その感覚に思わずめまいを感じる霞。立ちくらみや、激しい運動のあとの酔いに似た感覚だった。
じっとしていると、ヘルメットが外され、本来の目に光が入ってきた。それを眩しく感じると共に、夕呼と武の心の色が、本来の感じで感じられた。
だが今の霞には、それはまるでぼやけた物にしか感じられなかった。雑音だらけで写りの悪い映像を見ているみたいだった。
「驚いた……まさかこんな結果が生じるなんて」
「どうしたんですか、夕呼先生」
霞の目の前では、武が夕呼を気遣っている。見ると、夕呼は全身にびっしょりと汗をかいていた。まるで全力で運動をしたみたいだった。
そして夕呼は武の問いには答えず、霞に向かって問い掛けてきた。
「社、あなたは何ともない?」
「切断の時に少し酔ったみたいなめまいがしたくらいです。今は問題ありません、ただ」
「ただ?」
「突然目が悪くなったみたいです。接続中はくっきりと見渡せた物が、急に見えなくなったので」
それを聞いて夕呼は安心したのか、傍らの椅子にドサリと崩れるように腰を掛け、深く息を吸い込んだ。
「報告はいいわ。理解させられたから」
「させられた?」
夕呼の物言いを不思議がる武。
「させられたのよ……ふう」
夕呼は大きく深呼吸をしながら、武の問いに答える。
「とんでもないプロジェクションだったわ。言葉とかじゃ表せない『概念』、それを丸ごと飲み込まされたんですもの。おかげで社が接続によって何を感じたのかは、丸ごと理解できたけど。言葉を越えた意思疎通だわ」
「よく判らないけど……凄そうですね」
「あんたに判りやすく言うとね、今の社は」
夕呼はまだちょっとつらそうにしながらも、きりっとした眦で武を見ながら言った。
「あんた独自の戦術機における三次元機動概念、それを丸ごと別の衛士に転写できるようなものなのよ。普通なら目で見せ、体感させ、そして実戦で磨かなければ身につかない、言葉にしきれない部分まで丸ごと」
「ちょ! それって……」
さすがに武も唖然としていた。
「要するにね、ブレインカプラーが社の持つ能力を拡張する形になったのよ。
カクテルパーティー効果って知ってる? 人間はざわめきの中で自分の名前を識別できる。これはね、脳が雑多な情報から必要な物を選別していると言うこと。これを逆から見れば、人間の感覚器官は、本来自分が感じているものの数十倍の情報を受け取っているということなのよ。だけどそんな無数の情報をそのまま垂れ流しで受け取っていたら脳がパンクするわ。だから情報の大半を切り捨て、必要な物だけに絞る機能が脳にはある。
これっていわば火事場のクソ力に似たものなのよ。ほら、人間の筋肉は、本来ものすごい力を出せるけど、体を痛めないためにリミッターがかかっていて、緊急時だけ解放されるって言うあれ。いわばそれの情報版ね。
ほら、聞いたことない? 腕利きの職人は見ただけで0.1mmの狂いを識別したり、反響音だけで機械の異常を特定したりって。受け取る脳の方を鍛えれば、人間は常識を越えた知覚を得ることが可能になるわ。
今回の社の場合は、ブレインカプラーによる処理能力の向上が、リーディングやプロジェクションの精度をぐんと引き上げたっていうことかしらね。ちょっと予想外だけど、これはこれでありかも」
聞いていて武は頭が痛くなってきたが、必死になってその説明を飲み込んだ。
「ということは、00ユニット抜きで反応炉にリーディングを?」
「試してみる価値はあるわ。幸い情報を得るためのプロトコルそのものは、あんたの持ってきた情報にこれでもかっていうくらいあったしね」
「オルタ4の肝でしたからね」
武は詰め込まれた情報量の多さを思い出しながら言う。
「まあもう少し調整してみて、出来るならあたしが使えるくらいにはしたいけど、とりあえずは社が使って情報が取れるかどうかね。ハイヴのMAPだけでも取れればあとはあんたの情報と合わせてオルタ4の完遂報告が出来るわ」
夕呼はそう言うと、再びカプラーの調整とデータ分析に取りかかった。
月日は流れる。
夕呼がカプラーの改良を進めている間に、周辺の状況も加速したかのように動いていた。
新OSXM3とそのダウングレード版XM2は帝国のものとして発表された。横浜基地はあくまでも助力者としての立場を貫いた。その割には教導部隊が横浜基地所属だったりしたが、そこは夕呼の悪名を逆に利用した。
つまり、帝国が最後の詰めでさじを投げかけていたものを、ちゃっかり先にいただいてしまったのだと。
そのせいで一部から反発が出たりもしたが、巌谷中佐の「横浜の助力がなければ画餅に終わっていた」という意見と、夕呼が表向き言った「そっちの気持ちは判るけど、こっちでも試してみないとまずいでしょ。何しろ世間に二つと無い新型のCPUを使ったんですもの。CPUのせいで死人が出たなんて難癖を付けられたらこちらが迷惑よ」というふてぶてしい言い訳が、腹立たしいながらも一理あったこと、加えて最終的に帝国に戻ってきたOSが常軌を逸した性能をたたき出したことが最終的には反発を抑え込む形になった。
そして帝国軍、斯衛、横浜基地合同で行われた発表会において、XM3はそれを見に来た周辺諸国に対してとてつもない衝撃を与えることになった。
シミュレーターによる対BETA戦映像、そして実機による模擬戦闘、それらにおいてXM3搭載機と、その機動概念を使いこなした衛士は常軌を逸した成果を上げて見せたのである。
特に衝撃的だったのは、何といっても207B訓練兵達の戦果であろう。
いまだ任官していない訓練兵が、主機出力の弱い練習機で、現役の精兵を完全にたたきのめしてしまったのである。6対6では無傷の完全勝利、6対12というある意味卑怯なバランスですら、彼らは互角に戦ったのである。
そしてシミュレーターの対BETA演習においても、今まで全世界で不可能と言われていたヴォールクデータのクリアを成し遂げたのである。
当然の如く帝国に対して導入希望が殺到した。アメリカなどは無償公開せよという圧力を掛けてきたりもしたが、さすがにそれに対してはならばアメリカも戦術機のライセンスを人類全体のために解放せよと切り返されて沈黙した。
もっともXM3導入には新型の高性能CPUユニットが必要で、それを量産できるのは帝国とアメリカくらいだと言うことが伝わるとアメリカの態度は手のひらを返したものになった。残念ながら欧州の国々では現時点において高性能CPUを作るための工業リソースが戦術機の製造に喰われて不足気味だったのである。製造そのものはともかく、大量供給となると最初から持っている帝国とゆとりのあるアメリカに頼らざるを得なかったのである。
ついでに言えば、XM2に関してはフリーソフトとして公開したため、儲けにはならなかった。というか、ソフトのインストールだけで使用可能になるXM2は、有償公開しても結局は不正コピーが蔓延して、金を取る意味が無くなると判断されたからであった。
もっともただ導入するだけではXM2はシステムの負担を増すだけで終わる。一応そのへんのノウハウも公開はしたが、使いこなすのにはやはりそれなりの努力がいる。
帝国は武を起点とした教導役がいたため、XM2もXM3の予習といまだ現役である撃震の戦力底上げに使われ、きちんとその役を果たしていたが、周辺諸国にはそのへんで失敗して帝国に泣きつく羽目になった国もあった。
その某国との間でちょっと揉め事があったりもしたが、おおむねOSの革新による戦力アップは、じわじわとではあったがその成果を上げつつあった。
「今のところは順調ね」
「はい。このペースなら来年の春くらいには佐渡島に挑めるかも知れません」
もともと前の世界における佐渡島攻略戦、及び桜花作戦は無理に無理を重ねた戦いだった。
桜花作戦の成功で一時的にBETAの圧力とハイヴの増設は止まったが、もし止まってくれなかったら帝国はかなり危ないところまで来ていたのだ。
弾薬はただではない。特に戦術機の弾丸は劣化ウラン弾だ。劣化とはいえ、資源としては汎用性が低い。言い換えればコストが高い。おまけに日本ではほとんど産出しない。
まあ帝国はほとんどの資源を輸入しているので今更といえば今更だが、弾薬に限らず、各種装備や整備維持にはものすごいコストがかかる。
そして前世界において、帝国は一週間という短い期間に続けて行われた大作戦のため、手持ちの武器弾薬を大量に消費し、殆ど空にしてしまったのだ。
武はそのあとすぐ世界移動してしまったのでその結果がどうなったかは知らないが、並行世界情報によれば、幸いにも補充が間に合うまでBETAの大規模侵攻がなかったため、弾薬不足で帝国が滅ぶことはなかったらしい。
「XM3のお披露目も何とか無事にいったし、A-01も機密解除されて今じゃXM3国連教導隊、『ヴァルキリーズ』として公認エンブレムまで出来たしね」
「ただあれは予想外でしたけど」
彼女たちは今のところ帝国軍相手の教導に飛び回っている。ある程度したら今度は世界中の国連軍の教導に取りかかることになる。もっともいちいち外部に出していたら手が足りないので、国連軍の教導は横浜基地で行われることになる。
ちなみに機密解除で一番予想外というか失念していたことが、伊隅ヴァルキリーズは妙齢の美女揃いであったということだった。
機密解除によって彼女たちの顔写真等がうかつにも流出し、A-01はあっという間に帝国中のアイドル戦隊と化してしまったのだ。まさに『それなんてハミングバード?』である。
幸いこちらの帝国ではアイドルに対するミーハー的人種は殆ど存在していなかったので、古き良きスターというか、筒井康隆の小説というか、純粋に『あこがれの存在』としてのアイドルであったので、私生活に影響が出るようなものではなかった。が、それでも横浜基地に全国から『応援のお手紙』が届くくらいの影響はあった。
夕呼と武は、この成り行きに思いっきり頭を痛めることになった。A-01はまだいい。ちょっと身の回りが騒がしくはなったものの、あくまでもそこで止まっている。
問題は207Bであった。何しろ彼女たちは冥夜を筆頭としてとんでもないVIPチームである。これがA-01のようにアイドル扱いされたらとんでもないことになる。
そのせいで帝国側と打ち合わせすることになり、夕呼の機嫌がすさまじく悪化した。この対策のため、せっかく前倒しされていた207Bの任官が結局元世界の時期までずれ込む羽目になったのである。
予定では元の歴史に合わせて12月5日に発動予定の大茶番クーデターに間に合わせる予定だったのだが、やむを得ず出番があったとしても彼女は訓練生のままでということになった。
「本当にね……まあ今更何言ってもしょうがないけど、消耗品の増産も順調だし、このペースなら今年のクリスマスプレゼントはオルタネイティブ4の完遂になりそうね」
これは夕呼一流の皮肉であった。並行世界でオルタネイティブ4が打ち切られた日、12月25日。その日をオルタネイティブ4完遂の日に定めたのである。まさに並行世界への意趣返しであった。
そのための準備は整っている。ブレインカプラーが思ったより役に立つものであるのが大きかった。現在使えるのは霞と夕呼のみであるが、それでもその効果は絶大であった。
霞はカプラーを使用することにより、リーディング能力を絶大なまでに増大させることに成功した。時間さえ掛ければ、人間の思考を丸裸にすることも不可能ではない。そして何よりそれを『記録』出来るようになったことが大きかった。あまりにも馬鹿馬鹿しいほどの記憶装置が必要になるので無駄に取れるものではないが、夕呼と武の『思考概念』は既に保存済みである。霞は最悪の場合、この記録から二人の知識を言語化できない『発想・概念』ごと取り出すことが可能である。二人に何かあるような事態になったら霞も安全とは言いがたいが、それでも万一の保険にはなる。対反応炉リーディングも、予備接触実験は成功し、今のところ情報が流出した懸念はない。この実験結果によって、霞がカプラーを使用すれば、ある程度まとまった情報を『引き出す』事は可能になる。但し、00ユニット使用時のように『対話』レベルでの意思疎通は出来ない。先に説明した夕呼や武の思考概念と同じく、情報を塊のまま取り出して保管するまでが限界である。その情報の解析は、改めて時間を掛けて行わなければならない。
幸いこちらの作業は、調整が済んだ夕呼が手伝うことが可能である。夕呼がカプラーを使用した場合、リーディングやプロジェクションは出来ないものの、夕呼の持つ思考能力が格段に加速された。といってもこれは別に超能力的なものではない。研究の手順として計算式をプログラミングしたり、結果をまとめて整理したりという、純粋な思索ではない作業部分がカプラーとの結合によって大幅に削減されたのである。結合状態の夕呼は大規模な計算をほぼ瞬時に終え、必要とされる外部資料を瞬時に検索すると同時にその内容を理解し、まとめ終わった概念を執筆するまでもなく文書化することが可能であった。
これが夕呼の研究を劇的に加速することになるのはおわかりになると思う。もしカプラーの使用に制限がなかったら、夕呼は生涯結合したまま過ごしていたかも知れない。
実際には一日6時間程度の使用で限界が来るため、現在もっとも効率のよい使用と休息のパターンを模索中である。
それでもこれによって夕呼も落ち着いて睡眠が取れるようになり(というか睡眠を十分に取らないと返って能率が落ちる事になってしまった)、いろいろな意味で充実した日々を過ごしていた。
「本当です。さしあたっては明日の本攻略……霞のリーディングがうまくいけば本当の意味でオルタネイティブ4は完遂になりますね」
「そうね。これでうまくいけば良し、最悪でも鑑を00ユニット化するための準備も整っている。もっともその場合、なるべくよけいな情報を入れないようにしながらリーディングしなければならないけれどね」
カプラーによるリーディングがうまくいかない場合に備えて、純夏を00ユニット化するための量子脳と義体は既に用意が出来ている。但しこの場合、情報流出覚悟の事となる。
一応対策として「純夏によけいな情報を与えない」という泥縄な手段は取る予定であるが、どこまで当てになるかは判らない。
また、並行世界情報に、BETAの持つBETA製造プラントを押さえることが出来れば、脳髄だけにされた人間を逆に人間に戻すことが可能であるというものがあった。
いまだ成功した世界はなく、あくまでも可能性だけであるが、論理的にいって不可能ではないはずであった。そしてそれは純夏に加えられた陵辱の記憶を持つ武には十分可能だと確信できる事柄であった。あのおぞましい陵辱は、逆に言えば人間の肉体くらい自在に弄れなければ不可能だからだ。
もし佐渡島ハイヴを占領できれば、それに関する情報を得ることが可能かも知れない。人間に対する情報収集を行っていたのは横浜ハイヴだけである世界も多かったが、無数の並行世界において横浜同様の人間の発見されたハイヴは決して零ではなかった。
佐渡島占領作戦には、可能なら純夏を00ユニットではなく、人間に戻してやりたいという想いもあった。00ユニット化は人間としての純夏を殺して転生させるようなものである。
記憶の流入などによって実質純夏本人といっても差し支えない存在になるとはいえ、完全とは言えないのだ。やらずに済めばそれに越したことはない。
「まあそのへんは明日の結果次第です」
「そうね」
そして翌日、師走を目前にしてオルタネイティブ4の命運を握る挑戦が行われた。
横浜基地の最深部、反応炉を前にした霞は、改良が進み、今や自在に結合が可能となったブレインカプラーとリンク、そして反応炉に対して今までの予備実験とは違う全力のリーディングを開始した。
今までの実験で『突っ込むべきポイント』は見極めている。成功するかどうかは『どれだけの情報を引き出せるか』と、『引き出せた情報を解析できるか』の2点にかかっている。
00ユニットで接触した場合は、読み取りと解析を同時にこなすことが可能であり、必要な情報を選別して記録することが可能であった。
だがそれは00ユニットの持つ超高速並列演算能力に依存している。カプラーでは読み取りは可能でも同時に解析することは出来ない。読み取りと同時に解析できるのは霞が本来自前の脳髄だけで解読できる分だけである。多少はカプラーの修正がかかるので純粋なものよりはややましだが、せいぜい誤差程度である。
それでも霞は予備実験の成果、及び並行世界情報による予習を最大限に利用して反応炉を流れる膨大な情報から必要だと思われる情報をサルベージしていく。
(……?)
幸い今のところその作業はうまくいっていた。大容量の記憶システムが瞬く間に満杯になっていく。一連の作業の中、霞の拡大されたリーディング能力がとあるデータ群に対して奇妙な感覚を感じた。作業の余剰リソース、隙間の部分が読み取った情報の一部が、その情報に対して何か引っかかるものを感じさせたのだった。
霞はそれを忘れなかった。何とか取り得るかぎりのデータの回収に成功し、疲労困憊した霞は、最後の力を振り絞ってそのデータを最優先で解析してみた。
カプラーの能力を解析に回した瞬間、ぼんやりしていたデータの様相が『視え』た。
その瞬間、そこに見えたあまりにも予想外のものに、一瞬霞の心拍数が急上昇した。急激なバイタルデータの変化によって、カプラーの安全装置が作動し、接続が切られる。
「駄目よ社、無理をして倒れられるわけにはいかないんだから」
夕呼の鋭い声が部屋中に響き渡る。響きは冷徹そのものだったが、タイミングと全身の震えが隠しきれない夕呼の本心を覗かせていた。
だが霞はそんな夕呼の心配を引きちぎるように叫んだ。
「予想外の事態です!」
夕呼と武は心底驚いた。社霞が絶叫する。それはあまりにもそぐわない光景だった。
夕呼も思わず落ち着くために唾を飲み込み、一度深く息をしてからゆっくりと霞に尋ねた。
「どうしたの、社」
霞は落ちたシステムを再起動すると、再びカプラーを結合した。それと同時に、傍らのディスプレイに、4つの映像が映った。ちょうどディスプレイを4分割するように映ったその映像をのぞき込んだ夕呼と武は、その瞬間冗談抜きに息をすることを忘れた。
映っていたのはハイヴのものと思われる構造データが2枚。一つは広域で、もう一つはピンポイントのものであった。ぱっと見た感じ、どうやらそれは点検命令……『アトリエ』のような、ハイヴ内施設の現状をモニターするためのもののようであった。ハイヴの中に監視カメラはない。そのためハイヴ内に兵士級のBETAを巡回させ、その視覚情報を持ち帰らせる、そういうものであったらしい。
そしてそこに映っていたものは。
1つはある意味有名な光景……明星作戦の際に記録され、現在も機密になっている光景。
シリンダーの内部に保存されている脳髄たち。
幾多の並行世界で、佐渡島ハイヴからシリンダーが発見されたことは殆ど無い。確率からするとコンマ以下だ。だがどうやら武は世界移動の際に『大当たり』を引いてしまったらしい。
だが、そんなモノは問題ではなかった。問題はもう一枚、おそらくはハイヴ中枢、反応炉のものだと思われる映像。
それは武の知る佐渡島ハイヴに無いものがあった。反応炉に隣接するように、見たことのないユニットが増設されている。一見するとそれは超大型のシリンダーのように見えた。違いはぶら下がるように縦方向に長い脳髄入りのシリンダーとは違い、それは横に寝かせる形で置かれていた点である。
そしてその中に、奇妙な肉塊のようなものが映っていた。
脳ではない。だがそれは人間のある部位を思わせるような形をしていた。
T字型を基本とした、三角をした袋状の部位。Tの下部から、さらに筒状の肉筒が伸びている。そして肉筒の末端は……口にするのが少々憚られる形状をしていた。ぶっちゃければ女性の陰部にきわめてよく似た形をしていたのだ。
全体をみれば、それは女性の肉体から膣と子宮だけを取り出したものにしか見えなかった。
その大きさを計算に入れなければ。
佐渡島ハイヴはフェイズ4。資料の反応炉と比較すれば、そのシリンダーは全長約50mくらいと推測される。
そんな巨大な女性器など存在するはずがなかった。
そう、これは女性器ではなかった。
「まさか……」
「手遅れ、なのか……」
夕呼と武の声にそれまで無かった絶望が混じる。
女性器を思わせる謎の物体。それは並行世界資料の中で、
『召喚級』
と称されるものの形なのだから。
「いいえ」
その絶望を引きぢったのは、霞の声であった。切れ切れに、苦しい息づかいであったが、霞ははっきりと語った。
「それはまだ『素体』に過ぎません。完成した召喚級の全長は1㎞に及び、同時に反応炉と完全に融合します」
「そうか!」
武の声に生気が戻る。
「とらわれている脳の中に、純夏と同じ因果端末になり得る人がいる……だがまだBETAはその人を『落として』いない」
「そうね。たしか完成している召喚級は、いわゆる陰核部分が、まるで船首像みたいに生体端末の生前の姿を象るというし。けれど見たところ映像にそういう形跡はない」
夕呼も嫌悪感もあらわに映像を睨み付ける。
「社」
「はい」
「あと一つだけ解析して。あとどのくらい『持ちそう』なの?」
一転して鋭くなった呼びかけに、霞も歯を食いしばって答える。
「解析済み……です。推定猶予は……約1ヶ月。今年いっぱいは素体の生育が間に合わず、端末の融合が出来ないでしょう。ですが……それを過ぎたら、あとは『いつ落ちるか』の問題です」
「……参ったわね。佐渡島で桜花作戦をやる羽目になるとは」
「無理かも知れませんね、佐渡島基地」
「いいえ」
期日までに佐渡島ハイヴを落とすだけなら不可能ではない。だが占領しようとするには無理がある。武は計画の変更もやむなし、と思ったが、何故か夕呼がそれを否定した。
「でも先生」
「白銀、逆に考えなさい」
なおも言いつのろうとする武を、珍しく夕呼が諭す。
「あんたは良くも悪くも『大当たり』を引いているわ。伊達にとんでもない大風呂敷を広げている訳じゃなかったのね。いいこと、『ここ』の佐渡島ハイヴには、横浜と同じ設備がある。つまり」
そういわれて、さすがに武も気がついた。
「占領できれば……純夏を救える!」
「そう。となればあとは時間との勝負よ。幸い今回の佐渡島攻略には、あなたの知る以上の物量と戦力を注げる。十分に作戦を練り、準備を整えれば占領は不可能ではないわ。私たちにも、帝国にも、周辺国にも、賭けるだけの価値がある。邪魔したいのはオルタ5の過激派くらいよ」
「判りました。出来るだけやってみましょう」
「今こそあの子達の言葉を借りる時ね」
夕呼はそう言うと、疲れと憂鬱を吹き飛ばすように大きな声でその言葉を口にした。
「死力を尽くして任務にあたれ!」
それに続くように武も叫ぶ。
「生ある限り最善を尽くせ!」
そして、霞が。
「決して……死なないでください」
それは新たに為された誓い。
この世界における、第一の試練の始まりであった。