「これは……」
その書状を読んで、将軍--煌武院悠陽は絶句してしまった。
「ええ、見ての通りです。信じられませんが、これは会わぬ訳には参りますまい」
鎧衣左近は、当然の如く中身を覗いた。軍人ならともかく、諜報に携わるものとしてはごく当然のことである。
そうしたらしっかり自分宛のメッセージも同梱されていた。
当然ですな、と納得しつつ、まず自分宛の分を見る。そこには、本命の書状には、本来将軍しか知らないはずの機密も幾つか書いてあります、不可解な部分があっても一言一句改竄したりしないようにという注がしてあった。
そんなことはしませんよと思いつつ本命の中身を確認する。
「……!」
その文書を目で追ううち、さすがの左近も絶句した。
会合の場所は塔ヶ島城。箱根に存在する、将軍ゆかりの城である。
それはまだいい。だが、将軍とその随行員は『地下鉄』で現地に向かうようにと言う指示が書いてあった。
帝都城と塔ヶ島城を結ぶ地下鉄道は極秘中の極秘情報である。存在くらいは噂されていても、確信を持ってそれがどこに繋がっているかを知っている人物はきわめて少ない。
しかもそれに付随して、何か暗号のようなものが書かれている。それの意味するところは左近には判らない。だが、おそらくそれは何かのパスワードを暗示するものだと思われた。
たぶんその意味が判るのは、将軍とその近侍のものだけであろう。
そして自分は、沙霧尚哉という帝都守備隊所属の大尉と共に、開発局の巌谷中佐を護衛して塔ヶ島城へ向かうようにとの指示が出ている。しかも行き先は周囲に極秘で。そのために会合の日はわざわざ休日が指示されているくらいだ。勤務としての記録にすら残すなという意味だと、左近は取った。
そして沙霧尚哉。聞いたことはある名前である。若手の凄腕で、きわめて勉強熱心でもある。最近戦略研究会というグループを立ち上げたが、今のところ特に危険思想を持っているという報告もない。組織の方向性からするとそう転ぶ可能性もあるので監視対象にはなっているが、現時点ではまだのはずである。
総合してみると、どこかちぐはぐな内容であった。機密保持に対する用心は徹底している。まあ、相手が提示するという内容が帝国にとっても最重要機密に属するものであることは左近にも予測が付くので、これは不審ではない。だが、招集された人物がいまいち不可解だ。
単純に機密保持だというのなら、将軍まわりの人物だけで足りるはずである。開発局の、しかもトップではない人物を巻き込む必然性は少ない。確かに巌谷中佐は多大な影響力を持つ人物ではあるが、ここまでの機密に関わる人物ではないと左近は踏んでいる。これに自分と沙霧大尉を加えたりしたらますます判らなくなる。
そこで左近は考えを止めた。この事からもたらされる結論は、自分の手札が足りず、補充しても追いつかないということである。ならばここは相手が手札を配ってくれるのを待つしかない。
だが左近も、まさか相手があそこまで手札を大盤振る舞いするなどということは、予想の遙か斜め上であった。
∀ Muv-Luv それはからくりじかけのかみさま
「ここが塔ヶ島城……結構いい雰囲気のところね。BETAに襲われたにしては緑も残っているし」
「かつて斯衛がその誇りに掛けて守り抜いた地です」
塔ヶ島城をみて感想を漏らす夕呼。ひとつまみの皮肉も忘れない。
そしてそれに答えたのは月詠真那。はっきり言って彼女にとってこの場にいるのははなはだ不本意であった。
それは突然のこと。前日夕呼から言い渡された、明日自分につきあいなさいという指令。
斯衛の方でも了承済みというそれを照会してみたが、彼女のいうとおりであった。
自分の任務は冥夜様の護衛で、と突っ張ってみようと思ったが、なんと指令はそれを織り込み済みで、当日自分のほかに部下3人と冥夜も香月副司令に同行するよう命令が出ていた。
そしてその冥夜は。
「タケル……何故私が同行せねばならなかったのだ?」
「いやあ、実のところ冥夜はおまけなんだ。本当に必要だったのは月詠さんなんだけど、あの人が冥夜をおいて行くとなったらよほど強力な命令がいるだろ。だとしたら冥夜ごと持ってきた方が早いってね。
まあ、しばらくはのんびりしていてよ。たぶん、ちょっとした役得もあるからさ」
「……しかたがない。そなたのいうことだ。副司令も関わっているとなれば、私には語れない事情があるのであろう。役得だと思って自然を満喫させていただくことにする」
「わりいな。いずれはもう少し事情が明かせるようになるとは思うんだけど、今はまだちょっと早いから」
と、真那が要注意監視対象としていた白銀となにやら気安い雰囲気を作っていた。
きわめて腹立たしいが、現在彼は分隊の戦術機訓練において、訓練兵であると同時に教官補佐をするというきわめて微妙な立場に立っている。冥夜当人からもよけいな真似はするなと釘を刺されてしまっていた。
その訓練も一度だけ見学させてもらったが、正直言って空恐ろしくなってしまった。
いかなる教導の成果なのか、開始後数日しか経っていないのに、全員が独自機動に入っていた。それは応用も含めた基礎課程を終了しているということになる。普通どんなに速くても一週間はかかる課程を、である。
しかもその機動と来たら、彼女が想像もしたことのないほど特異なものであった。新人とは思えない切り返しの速さ、宙を飛ぶことを恐れない機動。それは彼女の知る『機動』とは一線を画した何かであった。
今の横浜基地には、うかがい知れない何かがある。真那はそれを鋭く感じ取っていた。そしてその震源地は、この男、白銀武。
月詠には隠せないし、私が知っていても問題がないのだからと冥夜から教えてもらった話は、とてもではないが信じられないものであった。
おそらくは3年前までこの横浜在住であり、今まで死んだものとして戸籍すら抹消されていたこと。機密のため判らないが、おそらくは秘匿どころではない完全な不正規部隊に所属していたらしいこと。そしてそこで生き延びてきたこと。
残念ながらその不正規部隊に関しては帝国軍ですら把握は不可能であった。そこから推測されるのは彼女が抱えているという秘匿部隊とは違い、いわば臨時雇いのような、連絡だけは付く人間を必要に応じて『部隊』として扱っていたのではないかということ。
普段は身分を偽って帝国軍などに紛れ込み、特命あるときだけ所属を変える部隊。
これならば直接その部隊が形成されたところを調べない限り、何一つ証拠は出てこない。
そしてそれと並行して行われた調査によれば、白銀武は、確かに3年前、横浜侵攻の際死亡したことになっていた。
だがそのような経歴だといわれてしまえば、死亡していたという事実そのものが誤りとなり、この点をネタにして追求することは出来ない。
結果不機嫌になりつつも、彼女は現状を受け入れるしかなくなっていた。
一方、塔ヶ島城の内部では。
「準備は整いました」
「では、香月殿と白銀殿を中へ」
悠陽と醍三郎、そして付き人として指定された月詠真耶は、指定された通り、お忍びで地下鉄道を使い、この塔ヶ島城に到着した。
本来なら使用人が掃除を初めとする準備を万端整えておくのだが、こんな事情では誰1人呼ぶことも出来ない。結果部屋の掃除その他すべてを真耶1人がやる羽目になった。醍三郎も手伝うといったのだが(意外かも知れないが武家は士官ゆえ、身の回りのことはきっちり仕込まれているのだ)、殿方の出番ではないと、きっぱり真耶に言われてしまった。
その後到着した巌谷中佐と沙霧大尉も、先に準備が出来ていた客間で待機する羽目になった。なお、同行した鎧衣課長はいつの間にか姿を消していたが、気にする人はいなかった。
そうしている内に夕呼達も到着したのだが、さすがに準備は終わりきらなかったので、しばし待ち時間が生じていた。
その間に冥夜と白3人衆は周辺の散策に出たりしているのだが、それはさておき。
夕呼が指定した時間よりやや遅れて、塔ヶ島城は客人を迎え入れることになった。
「お待ちしておりました」
斯衛の衣装ではなく、メイド服の真耶が一礼して夕呼達を出迎える。真那は言葉を交わすことなく、ごく自然に真耶の側へ立った。
そして案内された部屋には、指定した人物が全員そろっていた。
煌武院悠陽、紅蓮醍三郎、巌谷榮二、沙霧尚哉、いつのまにか鎧衣左近。
そして夕呼達と一緒に来た月詠真耶、月詠真那。
手紙には望むなら絶対的に信用のおける、護衛や摂家の者を呼んでもいいと書いてあったが、最低限の人員に押さえたようだ。
「ご足労をおかけしました」
さすがの夕呼もきちんと礼をする。その辺はさすがに帝国市民たる夕呼だ。
タケルもそれに習って礼をする。
「面を上げよ。また、事情を鑑み、以後、すべて直答を許す、とのお言葉だ」
真耶が重々しく言う。だが実際は一種の儀式みたいなものであった。
その言葉が出ると同時に、夕呼とタケルは顔を上げる。
同時に、悠陽が凜、とした声で問い掛けてきた。
「香月副司令。こたびの異例とも言える会談、わたくしはよほどの事情があると見ました。それにここを指定する時の指示……これは将軍家の秘事。あなたの手がどれほど長くても、決して入らぬはずのものが含まれていました。
あなたがこのような会談を取り付けたのは、この事も含めて、決して世には漏らせない何かを掴んだためだと思って間違いはないのでしょうか。今同席している巌谷、沙霧の両名も、それに関わるのだと思いますが」
「はい。お言葉の通りですわ」
答える夕呼の顔に笑みが浮かぶ。そしてさらりと言葉を継いだ。
「殿下。わたくし香月夕呼は、事実上オルタネイティブ4を完遂しました。ついでに申し上げますが、巌谷氏及び沙霧氏は、その先の事情に深く関わります。よってここで本来権限のない機密を明かすことをお許しください。理由はすべての説明を聞き終えれば納得していただけるはずです」
事情を知る者……悠陽と醍三郎がさすがに硬直した。が、すぐさま悠陽は立ち直り、質問を返してくる。
「今、事実上、といいましたね。すなわちそれは、オルタネイティブ4の目的を果たしたものの、面だっては公表できないわけが生じた……そう解釈してよろしいのでしょうか」
「8割ほどの正解です」
夕呼の様子がますますうれしげになる。そんな夕呼を見て、武はストレスたまってたんだなあ、と思わず感慨していた。
普段夕呼が上に報告する時は、もっと怒鳴り声と嫌みの応酬になる。相手が夕呼の話をよく判っていないのがありありと判るのだ。対して殿下は打てば響くように要点のみを掴んで聞き返してくる。ある意味講義のしがいのある有望な学生を見つけた教授みたいなものだ。
「オルタネイティブ4……BETAに関する情報の入手、という面においては実質的にはいつでも完遂することは可能です。より正確に言えば、完遂だけなら、するための手段は確立しました。ですが、そこに至った過程に、BETAの侵略すら霞むほどの異常が生じたのです」
「! BETAの侵略が、霞むほどの異常?……」
意外すぎる言葉に、さしもの悠陽も息を呑んだ。だが夕呼は笑みを崩さず、
「幸い、その異常は我々に害を為すものではありませんでした。いえ、むしろ、機械仕掛けの神が舞台上から下りてきたとでもいいましょうか」
「機械仕掛けの神……それは、出来の悪い演劇を皮肉る、あの機械仕掛けの神ですか?」
「その通りです」
デウス・エクス・マキナ--悠陽と夕呼には通じていたが、通じなかった人物もいたようだった。
「済まんが、それはどういう意味かな。生来の無骨者ゆえ、演劇などには疎いのだが」
「ああ、それは私が」
醍三郎の疑問を、左近が引き取る。
「外国の芝居で、主役と姫がどうあがいても助からない状況のときに、突然上から神様がおりてきて、神の奇跡で事件を解決してしまうという、観客を馬鹿にしきった展開がありましてね。
上からからくりの神様が下りてくるので、デウス・エクス・マキナ……機械仕掛けの神、というんですよ」
「なるほど……とすると、滞りがちだった第四計画が、突然現れた神様のおかげで急転直下解決してしまったというわけですか?」
醍三郎が笑って言う。もちろん彼は冗談のつもりであった。だが夕呼は。
「実はその通りですの。機械仕掛けではありませんが、まさに文字通りの神様が降臨したんですわ。この白銀武という」
「いっ」
予定通りだったのだが、ちょっとタイミングを見誤った武がぎくっとする。そこに突き刺さる全員の視線。
「ははは……神様じゃないですけど、夕呼先生から見ればその通りかも知れません。『ここでは』はじめまして、白銀武です」
「ここでは?」
その言葉を聞きとがめる悠陽。それを待っていたように、夕呼が実にイイ笑顔を浮かべていた。
「まずはこちらをご覧ください--白銀」
「はいっ」
このために運んできた重い鞄から、人数分の冊子を取り出す。
それは武が因果地平から持ち帰った、無数の情報、その概要そのものであった。
しばらくの間、紙のこすれる音だけがその場を支配していた。その時間は小一時間ほどにも及んだであろうか。やがて悠陽が、冊子を閉じると、見上げるような目で夕呼に聞いた。
「これは……真実、なのですね」
「うわべだけ見たらとうてい信じられないとは思います。ですが、私的かつ専門的なものなので省きましたが、これらの情報には、私自身の全能力に掛けて疑うことの出来ない情報もありました。ちょうど皆様をこちらに招待する時に使った、将軍家の者のみが知るはずの情報のように」
「幾多の並行世界で起きたクーデターを通じて、私と殿下は知己となりました。私の体験した事例ではそのまま別れましたが、並行世界によってはこれがきっかけで殿下と深い仲になった世界もあったようです。その情報はその世界からこぼれ落ちたものです」
必死に言葉を作る武。夕呼は内心笑いをこらえるのに必死であった。
悠陽はその可能性を思ったのか、少し顔を赤らめつつも、まなじりをきりりと引き締めて言った。
「ならば、この冊子に書かれていることは」
「紛れもない真実だと確信していますわ」
問う悠陽に、断言する夕呼。
「なるほど、俺がこんな場違いな場所にいる理由もわかるというものだ」
榮二もぼそりとつぶやいた。
「さらっとしか書かれていないが、未来技術とも言える新兵器やなんかの情報を、たくさん手に入れたんじゃないですか? こんな真っ当じゃない物を帝国軍で役に立てようとするなら、確かに上じゃ駄目だ。ましてや帝国軍と横浜は、天辺はともかく現場だといまいち仲が悪いからな。そのへんをどうにかしようって言うなら、確かに俺が適任だ」
「私のような若輩者がこのような恐れ多い場に呼ばれたのも、このクーデターを、いずれ私が起こすと知っていたからですね」
尚哉も納得がいったという顔で冊子を見つめる。
「ええ」
尚哉のつぶやきに答えたのは武であった。
「あなたが別の世界で成したことは、決して間違っていたわけではなかった。あなたはあなたの正義を信じ、貫いた……俺はそう思います。ですが、残念ながら、あなたの知らないより広い目で見れば、あなたのやったことは間違いであると断罪せざるを得なかったのです」
「ああ……これを読めば判る。俺が国賊だと思っていた榊首相は、むしろ憂国の士であったことも、俺の思考が、情報を制限されて、米国の陰謀に載せられていたことも……殿下」
そこで尚哉は悠陽の方に向かって土下座し、魂切るような声で叩きつけるように言った。
「申し訳ありませんっ! わたくしは、このような深き事情を何も知らず、浅はかな思い込みによって、帝都に乱を巻き起こすつもりでおりましたっ!」
「よいのです、沙霧大尉」
対して悠陽は、静かな湖面のように静謐を讃えた声で答えを返した。
「そなたの知り得ることで世を見渡せば、そなたのような烈士が憤るのは当然のこと。ましてや幸いにも、私たちは互いの思いがすれ違う前にそれを理解できたのです。いわんや、まだ起こってもいないことで、そなたに何らかの裁きを与えるようなこと、出来うるはずがありません」
そこに武が声を挟んだ。
「沙霧大尉、殿下の言うとおり、これはほかの世界であった、可能性に過ぎないんです。大事なのはこれらのことを知って何を成すか、です。私があなたをこの場に呼んだのは、あなたが後に悲劇を起こすからではありません。あなたほどの人物なら、目の曇りをはらし、真実の世界を見たのならば、誰より殿下の、いや、天下万民の剣としてその力を振るってくれる、そう思ったからです」
「私に、出来るのか?」
「やってもらわないとむしろこっちが困ります。そのためにあなたはここにいるんですから」
武の視線には、紛れもない信頼があった。
「ただ、この先しばらく、沙霧大尉には少々……いや、かなりつらいことをやってもらわねばならないかも知れませんけれど」
一転して申し訳なさそうになる武。
その武の後を引き継いで、夕呼が再び場を支配するように言った。
「ここから先は、少し差し出がましい真似をするような物言いが多くなることを、あらかじめいっておきますわ。私たちは……といっても実質この白銀と2人でですが、概要には書かれていないもう少し詳しい情報なども含めて、この先帝国と人類が生き延びるための方策を検討して参りました。
今お見せした概要、その原本の情報があれば、佐渡島と甲一号……オリジナルハイヴを落とすことは不可能ではありません。そのための手段も5つや6つは上げられます。現在の帝国の生産力で実現可能な方策が、並行世界の幾つかで、実際に行われたわけですから。
ですが、この世界に真の平穏を取り戻すためには、最低でも月面解放、現実目標として冥王星の基幹ハイヴ、そして究極的には、並行世界を渡り、全次元界BETAの中枢、アルティメット・ワンを撃破せねばならないでしょう。
そしてその過程で米国が潜在的に持っている野望、世界制覇を実現させるわけにもいきません。彼の国には悪いですが、BETAの脅威は、彼らの想定を遙かに超えているのです。
地球上のハイヴ攻略のめどが立ったあたりで横道にそれたり、空の彼方に逃げ出されたらたまったもんではありませんし。
ですが、たとえすべての真実を明かしたとしても、あの国はせいぜい月面攻略後あたりで残る余力を世界制覇に向けるでしょうね。彼らにしてみれば、そこから先は世界を統一してからの方がやりやすいと思うでしょうから。そして現実に、彼らにはそれだけの力がある。
人類を救うという観点ではむしろその方が効率がいいのかも知れませんけど、さすがにそれを肯定するのは、いささか癪ですわ。一歩間違えば内乱でBETAを駆逐したのに人類滅亡なんていうオチも付きそうですし。
そういう面も含めて、私と白銀は、偶然の奇跡によって提供された膨大な情報を基本に、新たな対BETA総合戦略……オルタネイティブ6を発動したいと思っています。オルタネイティブ4の目的はあとすこし形式を整え、問題が生じないように注意しながら検証・修正すれば完全に果たされますし、オルタネイティブ5は現時点では結局地球を滅ぼすだけの逃げでしかないことが我々には判ってしまっています。
そのためには、かつて帝国がオルタネイティブ4を招聘した時のように、オルタネイティブ6の後ろ盾になってほしい、と私は思っております。憚りながら、この計画はほんの少し矛先を変えれば世界征服計画に転用できます。それ故に、この計画の後見を託せるに値する国家は、現時点では帝国しかありません」
「そのために、ここまでの手札を切ったのですね」
夕呼の演説を、悠陽は真摯に受け止める。
そして政威大将軍らしい、すべてを背負うものの力強さで、悠陽は宣言した。
「ことは私の一存では決められませんし、すぐに何かが出来るわけではありません。ですが、これだけはお約束できると思います。オルタネイティブ6、第六計画に対して、政威大将軍が反対の意を示すことはないでしょう。但し、政府首脳を初めとするほかの方々まで説得できるかは、ある意味あなたたち次第。私としても、強権を持ってそれを通すような真似はいたしかねます」
「十分ですわ」
夕呼も自信あふれる笑顔でその返答を受ける。オルタネイティブ6はまだ形になっていないものだ。現時点では十分すぎる信頼を得られたといってよい。
「ですが、それとはまた少し別に、私たちの我が儘を少し聞いてほしいと思います。もちろん、そちら側にも十分すぎる利益が上がる話ですわ」
「そこに至る地ならしというわけか」
醍三郎がじろりと夕呼を睨む。その隣で榮二も、
「おおかた予想は付きますな。あれでしょう、この間の新潟」
「ご明察」
夕呼は不敵に笑う。強面2人の気魄にも、何ら揺らいだ様子はない。
「新潟で大活躍した国連部隊は、私の直属部隊です。そしてその活躍の原動力となったのが、資料にもありました新型OS、XM3です。この白銀武が、あまたの世界で劣勢の現状をひっくり返し、佐渡島や甲一号を落とすための力の源となった彼独自の機動概念を敷衍するためのOS。
このOSと機動概念が普及した世界においては衛士の死亡率が半減したという記録が、並行世界記録の中に確固たる統計として存在しています。
そして私たちには、これを早急に広めようという意志があります。が、そのためには皮肉にも、私と白銀、双方の立場が邪魔をしてしまうのです」
「と、いわれると?」
榮二が興味深そうに尋ねてくる。
「まず白銀は、突然この世界に出現した人物であるため、公式には既に死亡、非公式にもでっち上げた経歴しか持っていないと言うことがあります。
まあでっち上げの方はある程度はどうとでもなりますが、帝国側に疑問視されて徹底的に調べられたらさすがに破綻します」
「なるほど、それが私までここにいる理由の一つですな」
左近がにやりと笑う。
「ええ。もちろん防諜の重要性を理解していただくために、あえて公開したという面もあります。あなたのような人は、知らないことがあるとそれをかぎつけてしまいますが、知っていることをむやみにさらす人ではありませんから」
「ははは、これは一本取られましたかな。確かにこんなことを知ってしまったら、私は守りに回らざるを得ません」
そのやり取りのさなか、控えていた真那が何故か顔を赤くして下を向いていたが、気がついたのは真耶だけであった。
一方夕呼は、説明を本筋に戻す。
「そして私はオルタネイティブ4の要員として国連基地に所属しています。そのため、その研究の成果は、ある程度はともかく、最終的には全人類のために国連を通じて役立たせねばならない定めを負っています。現実にはオルタ5推進派との確執のようなものもありますが、この大義を無視するわけには生きません。そしてこの方面から突っ込まれると、なまじXM3が優秀であるが故に、その権益を保持しきれなくなる恐れがあるのです。
オルタネイティブ4の成果としてXM3を発表するのは、短期的には私の持つ権限と政治力を増大させますが、長期的にはむしろ損失となるのです。並行世界歴史の様に、今年度中にオリジナルハイヴを落とすだけならともかく、その遙か先まで戦い、あまつさえオルタネイティブ6のような計画まで立てるとなるとXM3の権利を国連に取られるのは多大な損失になります」
「なるほど。本来オルタネイティブ4の目的はBETAの『情報』を得ることであり、この情報は人類にとって看過できない重要なものになるから独占はおろか対価を求めることさえ許されていない。というか、そもそも第四はその過程で利益を生むことが考慮されてない計画だ。だとすると確かにそりゃまずいですな」
榮二がくつくつと笑う。
「うっかりそのまま発表したら、確かに最初は香月副司令に頭が上がらなくなるが、役に立つと判った時点で絶対国連、というかアメリカはXM3を国連管理にして、ただでさえきつい国連予算の足しにするのが目に見えている。そんなことになったら丸損のうえ、名分はがっちり整っているから、さすがに副司令でもひっくり返すのはむずかしい。となると」
榮二はじろりと夕呼を上目遣いに見る。
「その通り。XM3は帝国で研究され、私はその最終過程、要求される膨大な並列処理能力を持つ制御装置の開発と最終調整に協力しただけという形にしたいのです。そうすればXM3の基本特許は帝国が所有することになり、自軍への導入に余分な予算がかかることはありませんし、国連に取られる心配もありません。特許料の調整は、アメリカに対する政治カードにもなるでしょう。まあどうせ勝手に解析して、改良型と称するパチモンを作って踏み倒すでしょうけど」
「ははは、まあそれに関してはお互い様です。戦術機の特許と交換出来れば十分ですな」
戦術機の基礎特許はアメリカが多数所持している。改良型の機体における特許使用料の分配問題は、帝国にとって頭の痛い問題の一つでもある。
「そうするとこの件は、そちらの進言を受け入れた方がよいのですね」
悠陽が榮二に確認するように問い掛ける。
「はい、殿下。新潟の話は聞いていますし、この異世界歴史の資料からしても、これはとてつもない金の卵です。ほかにくれてやることはありません」
「ならばその方向で話を進めるようにいたしましょう。香月副司令、この問題は、今いうだけの単純なものではないのでしょう?」
「その通りですわ、殿下。そもそもXM3の発案者は白銀ですから、表向きは軍事機密で隠すにしても、その隠す経歴を整える必要があります。現時点では、私のでっち上げた戸籍上の死亡者による部隊、仮称『幽霊部隊』に所属して3年間を生き延びた人材ということになっていますが」
「その幽霊を本物にしてしまうというわけか」
醍三郎がおもしろそうに笑う。
「元々幽霊だ。最終的にこいつ1人が生き延びたことにすればいいんなら、細工はたいした手間じゃねえな、鎧衣」
「ですね。元々そういう噂というものは結構あるものです」
左近も人の悪い笑みを浮かべる。
「帝国の暗部として、調べれば出てくるというわけですな。まあさらなる表向きに、横浜襲撃の際の衝撃で記憶の混乱を起こし、年齢や名前を勘違いしたまま帝国軍に所属していたことにでもしておきましょうか。そいつのいる部隊は、常にそいつ1人だけが帰ってくる。『死神』なんて言われていたというふうに」
「あらそれおもしろいわね。実際は幽霊部隊の仕事をしていたんだけど、表向きは普通に出撃していたことになっているから、帰ってくるといつも1人きり。それ故嫌われて、詳しいことを知る人間は誰もいない……なかなかいいじゃない」
夕呼までおもしろがって脚色を加える。武は頭を抱え、
「勘弁してくださいよ~」
と叫ぶが、困ったことに出来すぎていてこれよりうまいストーリーを思いつけない。
結局、この線に沿って手直しをした上で、武の偽経歴が組まれることになってしまい、後々武はいろいろ困る羽目になるのだが、それは些細な話。
「技術局の方は殿下のご威光と俺の名前があれば何とか押さえられると思います。ついでに機密保持のネタでもつかえば、まあごまかしきれるでしょう」
一方榮二は導入の方に話を切り替えた。
「そうそう、それに関していいものがありますわ。本来欺瞞用として用意したものなのですが、XM3からコンボ機能や状況対応修正機能を省き、先行入力とキャンセルによる操縦の自由度を拡張しただけのOS、XM2。XM3と違い、白銀の機動を再現するには至りませんが、紅蓮閣下のような能力のある衛士が使えば、より優れた機動が可能になります。何よりこれは既存のOSとの差し替えが可能ですので、戦術機本体の改装が一切いりません。撃震にも導入可能です。
ただ、処理の負担が増すので、きちんと使いこなせなければ返って性能を下げてしまうことになりますが」
ちなみに撃震は機体設計の関係で、XM3への換装を行うにはそれなりの改造が必要になってしまう。陽炎より後の世代ならば現場あわせが可能なレベルであるのだが。
というのもXM3の激しい機動は、第3世代機のコンセプトに基づいた設計が成されていないと負担が激しい。攻撃を『耐える』のか『よける』のかの差が如実に表れるのだ。
第2世代機の陽炎なら何とか負担が追いつくが、それでも機体寿命を確実に縮める。第1世代機の撃震では、そのままでは大幅に機体寿命が縮んでしまう上、整備の負担も大変なことになる。
欺瞞用プロトタイプ、XM2は単に操縦系の入力機構の改善をしただけだったりするので、負担度は使い方次第である。単なる操作入力の高速化と硬直の解消程度の使い方ならば負担はそれほど変わらない。
ジャンプキャンセルによる空中でのレーザー回避などをやればXM3並の負担が機体にかかることになるが、そのへんは使い手次第という中途半端なものだったりする。
「お、それはありがたい。そのへんまとめて試してみることにします。しかし発想っていうのは大事ですな。他でやってる計画にもいい刺激になるかも知れません。99式あたりも、少し考え直した方がいいかもしれませんな」
「そのへんはお任せしますわ。ですが、XM3の導入も、一時的な全体能力の底上げに過ぎないということは意識しておいてください」
夕呼は釘を刺す。
「実は資料によりますと、現時点でXM3の真価をもっとも発揮できる戦術機は斯衛の武御雷です。ですがそれさえも、あくまでも相性が抜群であるに過ぎません」
「おっと、そこから先はこっちの領分ですよ、副司令」
榮二が夕呼の言葉を止める。
「XM3が衛士の死亡数を半減させるOSだというのなら、次に来るのはこいつを完全に使いこなすに値する新型の戦術機になります。ひょっとしてあるんじゃありませんか? 並行世界情報に、いわば第4世代機のコンセプトのようなものが」
「もちろんありますとも。今回の概要に載せるには早すぎると思ったので省いてありますけれども」
夕呼も以心伝心とばかりにいう。
「ですがそれに満足していては勿体ないですわ。次世代以降の、実戦証明さえ成されたすばらしい機体の数々の資料、もちろんそちらに提出させていただきます。さすがにそこまで行くと今の私の権限では処理しきれませんから。ですが、その大半は地球上のハイヴ攻略のための兵器でしかありません。資源と予算には限りがあります。かつて瑞鶴を、そして不知火を生み出した帝国には、いずれは月や火星、そして極寒の冥王星でも戦える戦術機を生み出してもらわないといけません。大気すらない世界でも動ける戦術機を」
「そいつは豪気ですな」
榮二も燃え上がるような目をして言う。
「極端な話、甲一号あたりまでなら、武御雷や、開き直ってラプターやラーストチカあたりにもXM3を搭載すれば、G弾抜きでも何とかなるわけですよね? となるとむしろ新型に必要になるのは環境適応能力のほうだ。エースに渡す先行試作機とか以外は、むしろ月あたりからが本番になりそうだ」
「ええ。ですがそのへんはもう少し先の話になります。ちょっと話が先走りすぎましたわ」
夕呼は話の流れを抑え気味にした。
「と、もうしますと」
悠陽がそれを受ける。
「私が皆様を招聘したのは、もう少し大事な目先の話があるからでもあるのです」
「目先の話、ですか」
「ええ。白銀」
そこで武に話を振る夕呼。
「私も知る未来知識においては、この先横浜基地や帝都を揺るがす事件としては、資料にもありましたがHSST落下事件、12.5クーデターなどがあり、オルタネイティブ計画関連としても12.25の佐渡島ハイヴ攻略、その後の横浜基地襲撃、オリジナルハイヴ攻略といった事件があります。
ですが、特にハイヴ攻略については、慌てる必要性はほぼ無くなりました」
そこで一端言葉を切る武。
「順番に言いますと、HSSTに関しては起こると判っていれば妨害するのは簡単です。現に私の知る歴史でも夕呼先生……失礼、香月副司令の働きかけで十分阻止できました。
続いてクーデターですが、基本的にはもはや脅威ではありません」
「ああ。首謀者の私がこうしている以上、白銀殿の知る歴史を辿ることはあるまい」
武はそれを聞いて頷くが、同時に少し顔をしかめていった。
「ですが、表向きはクーデターの計画をそのまま続行してほしいのです」
「……そうか、米国対策だな」
「その通りです。この陰謀は根が深い。うまく利用して根を掘り起こしておかないと、後々にまで文字通り禍根を残すことになります」
「ある程度までは計画を続行し、機をみて一気にこの事件を利用して相手の諜報組織や諜報網を根こそぎ一網打尽にする、と」
「加えてそこに将軍の特命があったことにし、クーデター本来の目的であった、政威大将軍の復権を成し遂げるというわけです。
あなたのような憂国の烈士に、このような後ろ暗い謀略を担わせるのは大変に心苦しいのですが、これを成し遂げられるのはあなたしかいません」
「何を言う白銀殿。御国と殿下を救うために己が身を汚すのは、むしろ当然のこと。必ずやり遂げて見せよう」
尚哉の瞳も、やはり燃えているようであった。武は誤解していたが、彼は己の目的のためになら自己すら殺せる男である。それが、自分が命を掛けて成し遂げようとしていたクーデターが、己の理想と真反対のことに利用されていたと知ったのだ。
その怒りはどれほどのものになろうか。加えて米国に与したものも、その半数は家族を初めとする大切なものを質に取られての上となれば、そのえげつないやり口に対して彼の正義感は否応もなく燃えさかることになる。
あれだけの士を巻き込んでクーデターを起こした男が、真に正しき目的に向かって喜怒哀楽のすべてを全開にしたのだ。そこに待つ結論は想像するだに恐ろしいことになる。
このクーデター騒動は、おそらくとんでもない結末で終わりそうだな、と武も何となく予想できた。
だが、武からしてみれば、本命はこんなことではない。とりあえず月に至る道を拓くには、成すべきことは山ほどある。
そして武は、当座やらねばならないことの本命をぶち上げるのであった。
「さて、国内における懸念は、この程度でいいと思います。歴史は同じ道を辿ると限るわけではありませんし、この先に起こることをいちいち考えていたら動きが取れなくなります。
そこで我々が目指すべき道筋を、しっかりと見据えたいと思います。
オルタネイティブ4を打ち切る時間期限、12月25日は、もはや存在しないも同然です。
ですので、この日までに佐渡島ハイヴを無理に落とす必要性はありません。とはいえ、佐渡島の攻略そのものはなるべく早く行う必要があります。帝国に負担を掛ける原因ですし、周辺諸国にXM3の有効性を見せつけるのにも、佐渡島をG弾抜きで落とすことほど効果的なものはありません。
それにあたり、準備期間の取れる今回は、ある作戦を提案したいと思います。これは、オルタネイティブ4におけるある副次的問題、その中核とも言える00ユニットを初めとするG元素など、BETA由来の技術にも関わってきます」
そう言い放つ武は、知らず知らずのうちに、夕呼に匹敵する気魄を孕んでいた。
「現時点において、この並行世界情報を利用したとしても、純粋に人類だけの力でBETAの膨大な物量に打ち勝つのは難しいと思います。勝つためには、BETAすら利用し尽くすだけの気概が必要になると思います。
現時点でも、00ユニットやG弾を製作するためには、BETA由来のG元素が必要であり、これを人類だけの力で作るのはまだ不可能です。人類が生き延びるためには、そういったBETAの持つ技術すらも吸収し、利用しなければなりません。
現時点においてそのための拠点が国連横浜基地です。明星作戦によって手に入れたハイヴを基地とし、その反応炉すら利用する秘匿計画。ですが、それではおそらく足りません。
G元素の採取ではなく、製造手段を手に入れねば、BETAの物量を押しつぶすだけの質は手に入らないと、私たちは踏んでいます」
その一言は、あることを予感させるものであった。
「白銀……おぬしの狙いは」
醍三郎が驚き半分、感心半分の声でつぶやく。
「はい。十分な戦力を整え、佐渡島ハイヴを『占領』し、そこに横浜を上回る規模の『佐渡島基地』を建造します。その上で横浜基地の反応炉を除去すれば、帝都周辺の危険性も格段に減少するはずです。あふれたBETAは反応炉を目的とする特性がありますから、佐渡島ハイヴの反応炉を確保できれば、大陸から渡ってくるBETAに対する最高の誘因材となります。
すなわち、佐渡島の要塞化は、大陸からのBETAに対して、万里の長城を築くに等しい効果が見込めるのです」
「さらに大陸解放に際して、絶好の策源基地ともなる……成功すれば、その利益は計り知れない、か」
醍三郎が感慨深げに言う。
「最悪落とすだけならほぼ確実です。オルタネイティブ4の最終調整が完了すれば、手持ちの情報と合わせてかなり精密な演習も可能となりますから、成功の可能性は十分に見込めると、私は愚考する次第です」
この時点で何故2人が自分たちを招いたのか、悠陽達ははっきりと理解した。前段階だけなら、ここまでお膳立てを整える必要はない。だが、この佐渡島基地化計画にまで踏み込むとなれば、帝国としても総力を挙げた協力が必要となる。そのためには彼らも最大の手札とも言える、神の情報、並行世界の知識を惜しげもなくばらまく必要があった。そしてそれなくして、こちらを巻き込んだこの目標を達成する見込みは立つわけがなかったのだ。
決断の時だ、と悠陽は感じていた。政威大将軍として、帝国の未来を背負うものとして、この賭を良しとするか否か。それはおそらく、今後の帝国の命運を変える。
そして、彼女は……
「賭けましょう。真に平和な未来を勝ち取るために」
宿命すらねじ曲げる一言を、その唇に載せたのであった。