その日、武と夕呼は、地下19階にある夕呼の執務室で、2人だけの密談を繰り広げていた。
「11月11日には間に合いそう?」
「ええ、みんなものすごい勢いで三次元機動を吸収していますよ。もう少し手間取ると思っていたんですけど」
これは武にとっても少し意外であった。A-01はなまじ優秀なだけに旧OSにおける機動の癖が染みついており、それを一端捨て去るのにもう少し手間がかかると思っていたのだ。
だがふたを開けてみれば、それの染みついていない新人だけでなく、古参の者達もしっかり概念の転換に成功している。
「まあいい方向に意外だったんならいいじゃないの。それならお披露目は大丈夫そうね」
11月11日のBETA新潟侵攻。これは判りうる限りの並行世界を見渡した上でも、こちらから積極的な干渉をしない限りほぼ100%発生している、きわめて精度の高い未来予測情報であった。
この事を知っていた並行世界においては、いろいろな試みが成されている。あえて放置、演習にかこつけた事前配置、オルタネイティブ4の限定成果としての予測発表など。
それらの情報を総合してみる限り、放置は帝国軍の被害が馬鹿にならなかったので干渉することは決定方針になった。
それはいいのだが、どう介入するかはその先にまで影響する問題である。
そして今回の場合、並行世界情報はあまり当てにならなかった。
残念ながらほかの並行世界とは、目標の置き場所が違う。ある意味桜花作戦を終着点としてきた世界の多い中、こちらの目標は遙か先である。また、手元に蓄積された情報量も、文字通り桁が違う。これらの情報を得るために無理する必要がないのだ。
そして今回立てられた方針は。
「はい、問題はないとおもいます」
武と夕呼は、たいていの世界で桜花作戦後であったA-01の機密解除を、XM3のデビューとあわせて、思いっきり前倒しすることにしたのであった。
ちなみに彼女たちが武の予測を上回って新概念の吸収と理解が出来た理由……それは同時に学習をしていたまりもの存在があったからであった。
あくまで現場で使うという視点から学んでいたほかのメンバーと違い、彼女はXM3の機動概念を、他者に教えるという目的の下に学んでいた。その視点の違いが、武ですら思ってもいなかった方向から彼の技術を分析することに繋がり、そしてそれはかつての教え子でもあったA-01メンバーを最初の生徒として試されることになった。
その結果、悪い意味での癖が染みついていた古参メンバーも、まりもという頭の上がらない存在を通じてその癖をうち捨てることに成功し、武の予測を上回る適応を成し遂げるに至っていたのである。
207B分隊のことを思って打った手が、予想外の部分で花開いていた。
∀ Muv-Luv それはきせきのはじまり
「帝国軍には悪いけど、明確な干渉は無しね」
「オルタネイティブ4の成果として、注意を促すだけに止めましょう。そしてこちらで打つ手として、予測の的中時に援軍としてA-01を出動させ、危機に陥っている帝国軍の部隊を助ける、緊急援助隊として活躍させる」
「あちらはオルタネイティブ4の成果を知り、こちらはよけいな手を汚すことなく、かつ盛大に恩を売れる、と」
夕呼はこの時期の彼女が浮かべたことのない不敵な笑みを浮かべつつ、新潟付近にマーキングのある地図を眺める。
「で、実戦証明の済んだXM3をまず帝国に公開し、その後全世界でパテントを取るっていう順番ね」
「目の前でその存在を見た帝国軍がほしがることは間違いないですからね。でもいいんですか? パテントの名前、俺のなんかで」
「逆よ。オルタネイティブ4の成果としてXM3を公開すると、所属が国連軍になっちゃうから、パテント料取れないのよ。下手すりゃアメリカにまるまる持ってかれて、帝国軍に導入するのにこっちがパテント料払う羽目になるわ。まあ実装にここの技術を使っているとはいえ、元々の発想はあなたのものだから、あなたの名前で出す事自体は問題ないし。どっちかっていうと、連名にするなら帝国軍との方がいいわ。それなら早急な配備が必要な帝国軍は無駄金使わないで済むし、アメリカからはパテント料ふんだくれるから。
あたしの方は帝国軍からの依頼で技術協力したってごまかしておけばいいわ。ま、そのへんはとりあえずお披露目の後ね。巌谷中佐だっけ? その人とうまく口裏を合わせるといいんじゃない?」
情報の中にあった、帝国軍の戦術機開発の第一人者の名前を出す夕呼。
「ですね。そのへんの工作はお願いします」
「ふふふ、任せなさい。でも今は楽でいいわね。これだけ手札が豊富なら、ほかの世界で最大の切り札になってたXM3を捨て札に出来るんですもの」
夕呼は楽しげだ。実際、今の夕呼にとって、12月25日の悪夢は存在していない。手持ちの情報がある限り、負ける方が難しい位なのだ。並行世界情報にあった中でも大きく夕呼の政治力を増大させた切り札、XM3。だが今の彼女には、その札をばらまくだけの余裕がある。
そしてXM3の早期拡散は、それによって捨てた政治力を上回る利益をもたらすことになる。帝国軍及び周辺諸国軍の、圧倒的な軍事力の増強という形で。
「それにこっち方面の手札はまだまだあるしね。試行錯誤って大切よね。さすがのあたしだって、こんなこと思いつきはしないわよ」
そこにあるのはXM3にとどまらない、無数の世界の試行錯誤の集大成。戦術機の武装改良や、無人機の遠隔操作など対BETA戦略におけるいくつもの大胆な発想の数々。
すべてを採用することなど無謀きわまりないが、打てる手はいくらでもある。
「それでとりあえず、どのラインで行くつもりですか?」
武の質問に、夕呼は答えた。
「興味深い戦略はいっぱいあるけど、小手先の改造で済むもの以外は、逆に使えないわね。
桜花作戦の完遂までならいいものがいくらでもあるけど、私たちが目指すところまでたどり着こうと思ったら、それじゃ時間が足りないわ。他世界独自の事情に影響されない戦略で、先までたどり着けそうなのは……やっぱりこれね」
夕呼の指し示したプラン、それは。
「XM3完全準拠戦術機の導入」、そして「BETA由来技術の積極採用」
この2つであった。
「まあ、このプランを使うと、アメリカにもかなり甘い汁を吸わせることになるけど、それは仕方ないわね。干上がらせる手もあるけど、追い詰めるわけにも行かないし」
XM3搭載のための制御ユニットを大量生産するにはアメリカの工業力を借りる必要がある。さらにたとえパテントで枷を掛けたとしても、アメリカがXM3の存在を前提とした、ラプターに続く戦術機の開発をすることを止めることはできっこないのだ。
というかXM3を上回る、あるいは同等の性能を持つ特許に抵触しないOSの開発をはじめるに決まっている。あの国はOSというものの持つ存在の大きさをどこよりも判っているのだから。
時間は瞬く間に過ぎていく。
207Bの総戦技評価演習が随分と前倒しになったり、白銀抜きで完璧に合格したりといった、白銀にも理由のわからない変化もあったが、そのことは予定の足を引っ張るどころかむしろ加速させる出来事だったので、武も深く考えずにその状況をよしとした。
さすがに11月11日に出動できるほど早まったりはしなかったが。
そしてその当日、11月11日早朝。
ほかの並行世界の例に漏れず、旅団規模のBETAが、佐渡島から侵攻してきた。
帝国軍の対応は、念には念を入れ程度であったが、警告は無駄ではなく、あらかじめ準備できるほどではなかったが不意打ちを免れるくらいの効果があった。
そして何とか帝国軍がBETAの駆逐をし終わる頃、彼らの間に一つの噂が流れていた。
--国連軍派遣の天使が、我々の危機を救ってくれた--
幾多の戦線で、危機に陥るたびに、単機の、あるいは4機編隊の国連軍カラーの不知火が現れ、常識外れの機動でたちどころに戦線を立て直し、こちらが持ちこたえられると判ると颯爽と姿を消していくということが至るところであったのだ。
通信が繋がったことはほとんど無いが、数少ない事例を総合してみると、単機は男性、編隊は女性だったらしい。
そして全軍を見渡した時、死傷者は平均的な事態の2割足らずという、劇的なまでの犠牲者の少なさを誇っていた。
損害そのものは決して少なくなかったのだが、彼女たちの救援によって傷ついた衛士達が脱出できる時間が取れたのがきわめて大きかった。戦術機の被撃墜数は変わらずとも、死亡した衛士の数が激減していたのだ。特に新人において。
さすがに帝国軍もこの事態を無視できず、国連軍に問い合わせが成された。
その結果返ってきた返答は、彼らをとまどわせた。
それは確かに国連軍が成したことであるが、詳細はそちらの持つ機密レベルでは明かせない。こちらから然るべき方法を持って情報公開を行うまで、問い合わせは無用のこと、となっていたのだから。
但し、こちらからも情報公開の意志はあり、あくまでも機密保持及び情報漏洩を用心するゆえの行動であって、そちらの問い合わせを無視するつもりではないという釈明が付いていたため、帝国軍側は不服ではあっても矛を収めた。
そして、騒動の元である国連横浜基地では--
「何とかうまくいったわねー」
「ぎりぎりでしたし、間に合わないところも多々ありましたけど、こちらの損耗0、機体も小破にとどまりました」
「ふふ、帰ってきての祝勝会、凄かったわね。まあ彼女たちにしても、死者0での帰還は初めてだったわけだし」
「ですよね。並行世界情報で聞いていなかったら、俺もあの混沌に巻き込まれて、場合によっては誰かを襲っている羽目になったかも知れないわけですし」
武は、早々に逃げ出した宴会の終焉を思い出してげっそりしながら言った。
実際あらかじめ並行世界情報で用心していなかったら、今こうして密談をしている余裕など無かったことは間違いない。
XM3搭載機の効果は目を見張るものであった。今回は帝国軍の戦いに割り込んで、危ないところを救うという役割だったこともあって、変な話、帝国軍の衛士がある程度壁になってくれた面もあり、初実戦の新人達が危機に陥ることは少なかった。新人と古参で4機編隊のエレメントを組んでいたことも大きいだろう。死の8分なんぞ、意識する間もなく通り過ぎてしまうほどの転進転進また転進であった。
そして武は、特に危険な戦線を単機でひっくり返しまくった。おかげで補給が大変であったが、この事を予測して数日前からこっそり補給コンテナを配置しておいたのが役に立った。
幾つかは帝国軍に発見されて不審がられたが、発見された場合は例の警告にかこつけた用心だといってごまかした。遠慮無く使ってくれと申し送りしたので、最終的には感謝されたというオチまで付いている。
そんな彼らが待っているのは、ある人物だ。
当然来る帝国軍からの問い合わせに答えるのは簡単だ。だが、現時点でオープンに答えると、帝国軍内部に多数存在するスパイに機密情報が渡る危険性が高い。
帝国軍との裏取引を確立するまでは、うかつな人物に情報を漏らすわけにはいかないのだ。
そしてこの時点で、夕呼が帝都に対する連絡手段として、絶対的に信用できる方法はただ一つ。
「お呼びとあらば即参上。珍しいですな。あなたが私を呼び出すとは。それにはじめまして、幽霊君」
「全く、あなたを頼る日が来るとは予想もしていなかったわ。鎧衣課長」
そう。諸刃の剣ではあるが、少なくとも絶対的に情報漏れを心配する必要のない人物。そして間違いなく、将軍にまで情報を届けられる人物。
帝国情報省外務二課課長、鎧衣左近その人であった。
「鎧衣課長。わざわざあなたを呼んだ理由は簡単よ。あなたにはメッセンジャーになってもらいたいの」
「おやおや、これはまたひどい話ですな。私を小間使いですか。小間使いといえば、英語ではメイド。メイドといえば……」
「うんちくは無しにして。用件は簡単よ。ここに記された日時場所で、将軍及び幾人かの人物と、オルタネイティブ4に関する最重要機密に関わる会合を持ちたいの。別段中をのぞき見されても私は困らないけど、覗くかどうかはあんた次第よ」
そういって書状を差し出す夕呼。それを横目で見つつ、彼は話を続ける。
「こりゃまた随分と手際がいいですな。私としてはそちらの幽霊君とも話がしたかったんですが」
武はさすがだな、と思った。自分が戸籍上死んでいることを既に確認済みとは。いや、それ以前に自分の存在を知っている事自体がたいしたものである。
だが、その程度のことはあらかじめ織り込み済みだ。何しろ……
「それに関しては、その会合の席でゆっくりとお話ししますよ。何しろあなたも招待客の1人ですから」
さすがに鎧衣課長の声が一瞬止まった。武は内心笑みを浮かべる。実際この人の思考を止めるのはものすごく難しいのだ。これも因果地平で知ったのだが、鎧衣課長の垂れ流されるうんちくは、オルタネイティブ3で確立したリーディング……ESPによる思考探知に対抗するための技術でもあるからだ。
当然のことながら帝国情報省はESP能力者の存在を知っている。そのための対抗手段だってこのとおり研究されているのだ。
「いやはやこれは。となるとこれは長居は無用でしょうな。早速お届けいたします。楽しみにしていますよ」
そういった次の瞬間にはいつの間にかその姿が消えている。まるで手品だと、武は思った。
「さて、細工は隆々、仕上げをご覧じろね」
「でも鎧衣課長、あの招待客を見て、どう思うでしょうね」
歴史を加速し、帝国軍を強化するには、早急な上層部との共闘が必要なことは判っていた。
だがその会合は極秘かつ厳選された人物と持つ必要がある。また、幾つかの懸念もある。
「政威大将軍煌武院悠陽殿下、帝国陸軍技術廠・第壱開発局副部長巌谷榮二、陸軍大将・斯衛軍筆頭紅蓮醍三郎あたりはまあ予想の範囲だと思うけど。だけどあれだけはまだ判らないでしょうね。この時点ではそこまで切羽詰まっていないはずだし」
リストには今挙げた人物のほか数名の名前と共に、この人物の名が記されていた。
帝都守備第壱戦術機甲連隊所属大尉 沙霧尚哉。
そう、かの12.5事件の首謀者である。
「あんたも思いきったわね。クーデターの首謀者に、全部ばらしちゃうなんて」
「ええ。実はXM3を早期に公開した場合、このクーデターが洒落にならなくなりますから」
何しろ沙霧大尉は、旧OSの不知火でラプターを落とす腕前である。そんな彼がXM3に完熟したらある意味手に負えないことになりかねない。少なくともクーデターが歴史通りの展開を迎えないことは明白である。
「けどあのクーデターは、政威大将軍の復権にはものすごい効果を上げています。並行世界情報でも、そのことを狙ってわざと起こしている場合すらありますし。でも今回の場合は成り行き任せには出来ません。裏にあるアメリカの陰謀も含めて、こっちで利用し尽くさないとひどい裏目に出そうです」
「戦略研究会は出来ているみたいだから、下地はもうあるのよね」
「それに彼は純粋すぎたが故にあのクーデターを起こしているんです。そんな彼がより上の大義が存在することを知れば、間違いなく味方になってくれます」
彼が道を踏み外したのは、彼の知る範囲ではそれこそが正義だったからに他ならない。
ならば彼が深い事情を知れば。
どんなに絶望しても、間違いなく彼は立ち上がる。その無垢なる刃のごとき魂故に。
「ちょっと危険ではありますけど、ひとたび道を見据えれば、あれほど頼りになる人はいないと思います。腕だって保証付きですし」
「ふふふ。あんたの謀略につきあわされたら、心がキリキリいうでしょうね。でも、それだけにそこから解き放たれた時の顔が見物だわ」
「ですね」
武と夕呼は、また少し黒い笑みを浮かべていた。
「ふぇっくしゅん」
「どうしました、隊長」
「いや、突然な。誰か噂でもしていたかな」
「あれじゃないですか、手紙の君」
「こら駒木! よけいなことをいうな……だったらうれしいんだが」