「このたび分隊に、1名新人が加わることになった」
「白銀武です。よろしくお願いします」
その日、207B分隊所属の乙女4人は、戸惑いを隠すことが出来なかった。
∀ Muv-Luv それはよりそいたいはりねずみ
全く前触れも無しの新人追加。しかも男。おまけに物腰が妙にしっかりしていて、訓練兵というより、基地の衛士達に雰囲気が似ている。
「教官、この時期に突然の新人参加とは、何か理由があるのでしょうか」
そう尋ねるのは榊千鶴。この207訓練分隊の分隊長をしている。
お下げと太眉、大きな眼鏡がチャームポイントの少女だ。
それに対して、教官こと、神宮司まりも軍曹は、きりりとした表情を作って答えた。
「もちろん、意味がある。とてつもなく重要な意味がな。
詳細は軍機にあたるため語ることが出来ないが、白銀は本来訓練兵などをしている人物ではない。もし軍が民間企業の様な自由裁量を持つ組織なら、白銀は本来衛士の頂点に立っていてもおかしくはない」
「えーっ! 頂点、ですか?」
驚きの声を上げたのは珠瀬壬姫。小柄で愛らしい顔立ちと子供っぽい体型に神技とも言える狙撃の技とそれを生かせないあがり症を抱えた、今はまだ問題多き少女。
「見た目、それほど変わらないのに?」
同じく疑問の声を、ぼそりとも飄々とも取れる彩峰慧。珠瀬とは対照的に、女性らしいメリハリのある体型をした少女。もう数年経てば、美女という形容詞が付くのも間違いはないだろう。
そのどことなく現実からずれたような雰囲気がなければ、だが。
「疑問はもっともだ」
そんな彼女たちの様子を、まりもは気持ちは判る、とでも言いたげな目で見つめる。
「だが彼はとある理由で、国連軍衛士としての資格を所持していない。いや、正確に言えば軍人としての軍籍すら有していなかった」
「それは……」
複雑な思いのこもったその声の主は、残る一人の少女、御剣冥夜。均整の取れた美しい姿の内に、重い定めとたぐいまれなる剣技を秘めた影の姫君。
「聞くな、御剣」
改めて彼女たちの疑念を押しとどめると、まりもは説明を続けた。
「だがこのたび、彼は国連軍の衛士としてその身を正す必要が生じた。そのためには正規の訓練過程を経る必要がある。いいか、これは絶好の機会だと思え」
「絶好の機会、ですか?」
不思議そうに聞く千鶴に、まりもはその目を真っ向から見据えて答える。
「ああ。彼は訓練生としておまえ達と同じ教練を受けるが、中身は有数の現役衛士だ。おまえ達は衛士というものがどういうものかを、訓練兵の身でありながら直に見ることが出来るのだ。ほかにも普通では学べない多くのことを、たくさん学べると思っていおいた方がいいぞ」
そこで一端息を切り、白銀の方に視線を向ける。
「だがな、彼は同時に謙虚なたちでな。『学ぶべきことの多くが自分には欠けている。そのへんをきちんと学びたい』とのことで、おまえ達ともあくまでも対等につきあっていきたいらしい。よって白銀を先達として立てる必要はない。分隊長も榊から変更されることはない」
「了解しました」
「白銀から何か言うことはあるか?」
千鶴が納得したところで、まりもが武に話を振ってきた。武は、これだけは言っておかねば、ということを話し始める。
「これから一緒に訓練をすることになる白銀です。いろいろ複雑な事情を抱えているもので、この訓練もたびたび抜けることになるとは思いますが、よろしく。
あと、みんなの名前とかは一応資料で見させていただきました。ですのでこの場での自己紹介とかはいりません。私的なものはおいおいわかっていくと思います。
あと、俺にはどうしても直せない悪癖みたいなものが一つだけあります。公の場ではなるべく我慢するようにはしますが、そうでない場合はこれだけは許してほしい、と思っています」
「どういうものだ?」
その言葉に、皆の疑問を代表するように冥夜が尋ねてくる。
武はじっとみんなの顔を見つめると、おもむろに叫ぶような大声で言った。
「委員長!」
その言葉と同時に見つめられた千鶴が思わず息を呑む。
「たまっ!」
続いて息を呑んだのは壬姫。
「彩峰!」
「よんだ?」と、小さく手を上げる慧。
「冥夜!」
最後にいきなり名前を呼ばれて何故かあたふたする冥夜。
そんなカオスを気にもせず、武は言葉を続けた。
「これが俺の癖だ。元々訳あってお互い本名を名乗ることが少なかったんだが、どうしても他人を形式張った呼び方で呼べなくて、あだ名というか、第一印象で浮かんだ名前で相手を呼ぶ癖が付いているんだ。
名字しか浮かばなかった彩峰や名前しか浮かばなかった御剣はまだしも、あだ名しか浮かばなかった榊と珠瀬には悪いと思うんだが、どんなに気を使っても二人のことはそう呼んじまうと思う。出来たら勘弁してほしい。
その代わり……には全然ならないけど、俺のことも好きに呼んでいい。というか、出来たら武、と名前でで呼んでほしい。任官したら俺達は少尉になるわけだけど、たぶん『白銀少尉』なんて呼ばれても、すぐに反応できないと思うし」
「随分と変わった癖なのだな」
いきなり言葉遣いが砕けた武に困惑しつつも、真っ先に立ち直ったのは冥夜であった。
「だが……『本名を名乗ることが少なかった』などと言うからには、おそらくは言葉に出来ない事情があるのだな。しかたあるまい。当座は名前で私のことを呼ぶのを許そう。だがこの先ずっと許すかどうかは、おまえの態度次第だ、タケル」
「ちょっと、いいの? 御剣」
千鶴が驚いて冥夜を見る。冥夜は小さく頷き、小声で言葉を返した。
「気になる点はこの場で話せることではないと思うから置いておくが、しばらくは許してやってよいと思うぞ。何しろまだお互い、何も知らないのだ。ある程度お互いの距離感がつかめるまではしかたがあるまい」
「そっか……」
頷き返す千鶴。だが二人は武がその距離感をぶち壊すために入隊したことなど判るよしもなかった。
正副の分隊長はそんな相談をしていたが、一方ではそんな空気を気にもしていない人物もいたりする。
「委員長は傑作……言われてみるとはまりすぎ。でもなんであたしは名字?」
問うは慧。問われた武は、
「いや……実のところこういうのは直感みたいなもんなんで、俺自身にも説明は出来ないんだよ。まあ委員長だけは、昔世話になった知り合いが本当に委員長で、ついでに見た目や雰囲気がかなり似ているって言うのもあるんだが」
「そう……ならいい。で、ついでに聞いていい?」
「ん、なにをだ。機密に引っかからないことならかまわないけど」
「教官のことは、なんて呼んでいるの?」
それは無意識の地雷だった。そして武は、それをためらいもなく踏んだ。
「ん、まりもちゃんのこと? あ、さすがに今はまずいか」
……見事に場が凍った。質問した慧も、次に聞こうと思っていた壬姫も、相談していた千鶴と冥夜も、そしてまりも本人も。
そして期せずして、4人の少女達の口から、
「白銀!」
「白銀……」
「たける、さん……」
「タケル!」
どことなく懐かしい呼びかけが、こぼれ落ちていた。
そして、まりもは……
「……白銀訓練兵」
「は、はひっ」
ゴゴゴゴゴゴという形容詞が実に似合う雰囲気で、武の事を睨み付けていた。
「事情は存じておりますが、現在のあなたは、ただの訓練兵なのですよね……くぉらあっ! 貴様、教官に対してなんという呼びかけをするのだっ! 分をわきまえろっ! その場で腕立て100回!」
「はっ!」
見事なまでの条件反射で、シャカシャカと腕立てを始める武。怒鳴るまりもの顔が紅潮していたのは、怒りによるものだけだったのか。
そして千鶴達は、あまりの雰囲気の切り替わりの速さについて行けず、ぽかんとしたままものすごい速さで腕立てをこなす武を、ただ見つめているだけであった。
「でもおどろいたなあ。さすがと言うかなんというか」
午前中の教練が終わった後、207B分隊はPXでそろって昼食を取っていた。
その席上、話題となったのは武の持つ、破格とも言える能力であった。
「私たちの何倍も重たい荷物を持って、おまけに私たちより長い距離を走っているのに、疲れた様子すらないんですから」
壬姫が素直な賞賛を浮かべて言う。
「まあ男女の差というのもあるけどな。この年になれば基礎となる体のつくりからして男の方がタフなのは当たり前さ。けど、これだけは言えるぞ。操縦技術に男女の差はないが、最後にものをいうのはどうしても体力だ。重いものを持てる必要はなくとも、長時間にわたる肉体の負担に耐えきるための体力は、文字通り生死を分ける。体力の消耗は、集中力や反応速度の低下をもたらし、それが戦術機の能力を低下させる。平時ならよけられる敵の攻撃も、戦闘下の重圧と体力の低下が重なれば、あっさりと命中してしまう。そんなもんなんだ」
それはただのアドバイス。だが、207Bの乙女達には、それが何故かひどく重い言葉に聞こえた。
「タケル、そなた……」
何となくいいにくそうに、冥夜が声を掛ける。
「やはり、その……いや、いい」
「いっぱいいたぞ」
撤回した冥夜の質問に、あえて答える武。
「顔合わせ初日にこんなことを言うのもあれかも知れないけどな。たくさん死んだよ。隣の奴だって何人も。ただ一緒になった奴だったらそれこそ数え切れないくらい」
遠い目をする武を、食事をすることすら忘れて唾を呑む4人。
そして武は、そんな彼女たちの方を見て、ぼそりと言った。
「……死にたく、ないか?」
ためらわずに頷いたのは慧と壬姫。千鶴はワンテンポ遅れ、冥夜は頷き掛けて、それを押さえたような感じだった。
「実は死なないように頑張るのは、そんなに難しいことじゃない。意外かも知れないけどな、人間、実は自分の命より、他人の命の方が大事だって知ってるか?」
「どういうこと?」
千鶴が不思議そうに聞いてくる。
「ふつう、自分か他人、どちらかしか助からないっていう状況になったら、たいていの人間は自分が助かる方を選ぶ。特にその相手が知人じゃなかったらな。ところがさ、集団で一つの目標に向かっている時なんかだと、どういう訳だかそれがひっくり返っちゃうことがあるのさ」
「……それって?」
興味深そうに聞いてくる慧。
「仲間意識って言うやつなのかな。そういう状況になると、何故か自分の危険より他人の危険の方がよく見えたりする。岡目八目って言うやつかな。そうするとどういう訳だか、とっさに仲間をかばったりしちゃうんだ。結果自分が危なくなることなんか考えずにな」
「そういう、ものなのか」
じっと何かを考える冥夜。
「そういう部隊は強いぞ。お互いがお互いを助け合い、能力が足し算じゃなく掛け算になる。たとえ2人でも、2倍じゃなく4倍にだってなる。ただな、仲間が倒れた時の衝撃も掛け算だけど」
「……」
じっと武を見つめる壬姫。
「戦場で見ず知らずの人間が倒れても、それはニュースで誰かが死んだって言う程度のことでしかない。でも、戦場で仲間が死ぬっていうのは、そいつに加えて自分も死んじまったような気分になる。特に自分を助けてそいつが死んだりしたらな、俺が死ねばよかったっていう悔いも重なって、とんでもなく重いものになる」
完全に言葉が消える乙女達。
「一度でもそんな思いを持っちまうと、そいつの運命はたいてい2つに1つだ。重さに耐えきれなくて自分が死ぬ方に回るか、自分も他人も殺せなくなって、必要以上に強くなるか。どっちにしても、そういう奴にとって見ると、他人の命が自分の命より重くなっちまう」
彼女たちの視線は、ただ武を見つめていた。
「つと、わりい。飯時にする話じゃなかったな。冷めちまうぞ」
「は、はいっ!」
思わずそう返事してしまう乙女達。一転してはしたないまでの速度で食事をかっ込みはじめる。
一方武も食事を再開しながら、内心あっちゃあと思っていた。
(やっべ。調子に乗って重いこと言い過ぎた。いくら何でもこんなこと理解させるには早すぎんだろ。そりゃみんなは優秀だけど、俺の知ってる彼女たちまではいってないんだ。これが判るようになるのは、最低限実戦を体験してからだろうに)
そして数分後、全員の食器がからになると同時に、壬姫が立ち上がっていった。
「お、お茶持ってきますね」
そして壬姫が戻ってくるまでの数分、その場は奇妙な沈黙が支配していた。
「ど、どうぞ」
「お、ありがと」
そういって武がお茶を一すすりしたところで、ようやく少しだけ空気が軽くなる。
「あ、あの、聞いていいですか!」
そんな空気を何とか打破しようとしたのか、壬姫が顔を緊張で赤くして、どもりながら聞いてくる。
「た、たけるさんは、なんであだ名で呼び合うんですか?」
空気の読めるほかの三人は内心頭を抱えた。207Bでこういうことをやるのは本来残る一人、鎧衣美琴なのだが、緊張のあまり壬姫の頭の中からそのへんが吹き飛んだようだ。
もっとも武は気にした様子もなく、あっさりと答え始めた。
「ああ、それはお互いの壁を低くするためかな」
ぎくりとする一同。
「まあ、なんて言うのかな。以前俺が今みたいに後から加わった部隊で、みんな訳ありの事情を抱えまくってて、ものすごくぎくしゃくしていたことがあったんだ」
ぎくり、がぎくぎく、になる一同。
「で、そのさらに前にも似たような状況で俺は危ない目にあっててさ、その時は、笑える話だけど、俺があんまりにもだらしなかったせいで、なんというか、雨降って地固まるというか、怪我の功名っていうか……こいつ見てられん、っていう想いでみんなが結束して、それがきっかけで仲間になれたんだ」
思わずお互いを見つめ合う一同。
「その……そなたが、だらしない?」
想像も付かない、という目で武を見つめる冥夜。
武はそこでちょっと考えをまとめた。
(おっとっと……調子に乗って前と、前の前のこと思い出しながらしゃべってたけど……一応俺の『設定』にあわせてちょっと脚色しないとまずいよな。設定だと俺は純夏の前で死んだあのとき、実は偶然生き延びて、その後BETAに素手で襲いかかっているところを幽霊部隊に拾われたことになってるんだったよな。BETAに復讐したいか、なら付いてこい、って)
「ああ。悪いがそのへんの事情はものすごくヤバいところにいっちまうんで具体的には話せないけど、俺だって最初から何でも出来た訳じゃないぞ。ここが廃墟になる前は、ただの一般人だったんだし」
その何気ない一言は、武が思っていた以上に彼女たちの心を打った。武はそこまで考えていなかったが、その何気ない一言、『ここが廃墟になる前は』の一文は、武の想像以上に多くの意味を含む一言だった。
(横浜が廃墟になったのは、1998年のBETA侵攻と翌年の明星作戦のせい……)
(たった3年前……)
(あの言い方からすると、タケルは以前、この地に住んでいた?……)
(軍籍無しで衛士の頂点……不正規部隊所属? たった3年でそこまで凄くなるって、一体どんな思いで戦っていたっていうの?……)
そして4人はそろって想像する。
おそらくは、BETAの襲撃ですべてを失った少年。
その隙間を埋める修羅。
実戦に次ぐ実戦。死線に次ぐ死線。
そんな彼が、ごく普通に見えるまでに人間性を取り戻す……それは阿修羅の如く、修羅を突き抜けたがゆえの悟り。
とてもではないが想像しきれるものではなかった。だが、少なくとも彼が、自分たちなど及びも付かない、地獄の修羅場をくぐり抜けてきたことだけは理解してしまった。
それは乙女達の誤解。だが、あながち誤解とも言い切れないものでもあった。
過去2回のループと、それ以上の修羅から渡された思いは、武の中に根付いているのだから。
「ま、いろいろあったわけだけど、一つだけ言えることは、BETAとの戦いは、1人じゃ無理だってこと。絶対的に信頼できる仲間達と力を合わせなきゃ、圧倒的な数で襲いかかってくるBETAに抗することなんかできっこない」
とどめの一撃が来た。
ただ言われただけだったら、それは反発心しかもたらさなかっただろう。だが今乙女達は、想像できるタケルの半生を思い、それに比べて自分はと、きわめて内省的な気分になっていた。そこにうすうす感じていた自分たちの悪いところ……お互いのことを考慮すると言いつつ壁を作っていたことを、真正面から弾劾する言葉が投げかけられたのだ。
今の自分たちを、真上から叩きつぶされた気分だった。
「まあ、お互いの呼び名を気安くするって言うのは、お互いが打ち解けやすくするための智恵、みたいな面もあったんだ。名前って、意外と重いもんだからさ。とりあえずはお互いの事情を知らないところから初めて、大丈夫だと思えばお互いに荷物を預けたりしてな。誰だって最初っからお互いの奥深くに踏み込める訳じゃないけど、少しでも信じ合えば、ちゃんと判るだろ? 相手がどういうやつだっていうことぐらいはさ」
ついに最後の壁すらも消し飛ばされた。4人は意識してはいなかったが、そう感じていた。
自分たちは何をやっていたんだ。嫌でもそう思わざるを得なかった。
特に千鶴と慧の思いは深かった。お互いに対する反発が、武の思いに比べれば、ひどく矮小な気がしてしょうがなかった。
恥ずかしかった。消えて無くなりたかった。
武は命を掛けていたのに、自分たちは死の危険のない訓練でつまずいている。
4人が互いに互いの目を見ていた。
見ただけで判った。思いは同じだった。
無言のまま、4人がそろって立ち上がる。
そして--
「ありがとうございました!」
打ち合わせてもいないのに、図ったように同じ言葉、同じ動作が成されていた。
言葉と共に深く一礼した4人は、そのまま食器を持って退出していった。
行き先を打ち合わせる必要もなかった。残る1人、鎧衣美琴の元へ。
そして話をするのだ。彼女にも同じ思いを共有してもらうのだ。
自分たちがいかに情けない存在だったか。いかに時間を無駄にしていたのか。
そう、無駄な時間はない。
そして1人取り残された武は、ぽかんとして彼女たちの姿を見送っていた。
(なんなんだ? なんか思ったより息が合ってるなあ。あのくらい息が合ってりゃ、前回の総戦技演習、失敗なんかしなかっただろうに。でも今回は何とかして、俺抜きでも合格してもらわないとまずいんだよなあ。委員長と彩峰の対立、どうやって解消するか……)
とっくに解決しているとは思わず、武は先のことであれこれ悩むのであった。