「な、何よあれ……」
「きゃあああっ!」
「慌てるな、落ちつけ!」
隊内通信に、阿鼻叫喚の悲鳴が響き渡る。
横浜基地の精鋭中の精鋭、伊隅ヴァルキリーズの衛士達が、ただ一機の戦術機--それも自分たちと同じ機体である『不知火』に振り回され、次々と撃破されていくのだから。
相手の動きは常軌を逸していた。技量的にも、思想的にも、技術的にも。
その操縦は的確で、隙というものが全く見いだせなかった。
その行動はこちらの予想をことごとく外し、あまつさえ建物の壁や空さえも我がものとしていた。
そして必然として生じるはずの動き……着地時の硬直や回避不能状態、そういう機構的な障害が、相手の戦術機には全く存在していなかった。
∀ Muv-Luv 第3話 それはいくさおとめたちのほこり
~きつねとわんこといのししおとめ~
この戦いの中、そのことに気がついたのは隊長の伊隅みちると、戦局を上から眺めていたCP将校の涼宮遙、そしてそれに随伴していた神宮司まりもの3名だけであった。
「夕呼、これ……この不知火、一体何なの? 衛士の腕前もものすごいけど、それだけじゃ説明付かないわ」
「さすがねまりも。一見でそこに気がつけるなんて。終わったら教えてあげるわ」
シミュレーターの管制室で、不敵に笑うのはご存じ香月夕呼。我らが夕呼先生である。
「ちなみに言っておくけど、基本的に機体は不知火そのままよ。少なくとも主機の出力や装甲・耐久性、そういうものには一切手が加わっていないわ」
「となると、手を加えたのは制御系ね」
「ご名答」
まりもは再びシミュレーターの俯瞰画像を見ながら考える。よく見れば移動時の最高速度などは、確かにいつもの不知火とそう変わりはない。だが、動作の切り替え速度が常軌を逸して速い。索敵、回避、攻撃、そういった動作モードの切り替わりに今まであった隙が恐ろしく少なくなっている。ものによっては完全にゼロになっていたりする。
そして気になるのが特定の状況に置ける動作の不可解さだ。
戦術機には一連の動作の中、操縦不可能となる時間がある。短時間とはいえ、跳躍したら着地まではほぼそのままだし、攻撃動作に入ったら攻撃を完了するまでは止まらない。
なのにこの戦術機は跳躍途中で突然噴進したり、攻撃動作を途中で中断したりしている。
その上どう考えても全力で操縦に専念しなければならなそうな連続動作の途中でいきなり回避行動をとったりすらしている。
これでは最優秀の教え子達といえども手に負えないのは当たり前だ。当然の如く染みついている攻撃ポイント……動作の硬直や必然的な隙が意味を成さないのだから。それに気がつけばやりようもあるが、予備情報無しの初見では気づけという方が無理だ。現にそのことに気がつく前に、もはや部隊の大半は落とされている。
ふと見れば既に生き残っているのは、かろうじて気づくのに間に合った伊隅機だけになっていた。
この間わずか3分少々。多少の油断はあったとはいえ、信じられない速度である。
そして一対一になったと思ったら……信じられない技量と信じられない動作で伊隅機の射撃をぬるりと躱し(するりとの誤字ではない)、長刀の一撃で伊隅機を断ち切っていた。
「状況……終了……です」
涼宮の声も震えている。
終わると同時に、シミュレーターから彼女たちが転げるように飛び出してきた。
「ちょっと、なんなのよあれ!」
いきり立っているのは速瀬水月。その視線は唯一閉じられたままのシミュレーターに向いている。
「はいはい落ち着いて」
そんな彼女に水をぶっかけるのは、彼女たちも大いに苦手としている副司令こと夕呼であった。
「整列!」
伊隅よりその声がかかり、まりもを除く全員が夕呼の前に整列する。但し夕呼の方針もあって敬礼は無しだ。
「さすがにびっくりしたみたいね。とりあえず第一回戦、どう思った?」
普通の軍隊なら順番に格式張って答えを述べていくところだが、ここはそのへんが実にフリーダムだ。
「なんですかあの変態は! あんなイカサマ戦術機で何させようっていうんですか!」
怒鳴り散らす速瀬。
「なんというか……ちょこまかして捕らえにくかった」
そう答えたのは宗像美冴。
「ものすごいとしかいいようのない機動でしたけど、あれ、本当に実機で可能なのですか?」
疑問を呈するのは風間祷子。
ほかにも口々に驚きと疑問と怒りの声が入り交じった。
そんな様子をむしろおもしろそうに眺める夕呼。
「判ったわ。まあ、予定通り。さすがにみんな気がついたみたいね。
衛士の腕ももののすごいんだけど、それだけじゃないある仕掛けが、あの不知火にはしてあったのよ」
「それはどういうことでしょうか」
皆を代表するように、伊隅が質問する。
夕呼は実に気持ちよさそうに、その質問に答えた。
「ちょっとあなたたちの知らない、ま、いわば掛け捨て保険みたいなあるプロジェクトが、とんでもない大当たりを出してね。早速引っ張ってきたのよ……白銀、出てきていいわよ」
その声に従って、閉じられていたシミュレーターの扉が開く。視線が集中する中、出てきたのはまだどう見ても自分たちより若い、少年の衛士だった。
「彼は?」
「名前は白銀武。経歴は……あんた達にすら教えていなかった、とある裏方部隊の人員よ。ここだけの話だけどね、その部隊は、別名『幽霊部隊』。存在しているのに存在していない。何しろ戸籍上は、既に死んだ人間ばかりで構成されている部隊だから」
伊隅達は押し黙った。その一言で、彼がどんな任務を請け負っていたのかが想像できてしまった。
A-01から見ても裏に当たる部隊となったら、もはや真っ当なものではない。内部監査や粛正といった、存在することすら明かせないような汚れ仕事をしている部隊に違いない。
過去数度、A-01でも似たような任務はあった。だが彼は、それを専任としていたような存在だったのだろう。
「ま、実のところ表向きは帝国軍の一部隊を装って、激戦区を渡り歩くことが多かったんだけどね。最前線じゃ崩壊して現場あわせで再編成とかになる部隊なんてごろごろしてるでしょ。そういうのに紛れ込んで補給を受けたりしていた部隊な訳。任務については……言う必要ないわね」
慌てて全員が首を縦に振った。まりもまで。
「ぶっちゃけあんた達にすら頼めないようなヤバい仕事や、ほんの思いつきであんた達に試させるわけにはいかなかったようなこととかをやらせてたわけなんだけど。その中にまあ、新発想の兵器や機構の実戦検証なんていうのもあった訳よ」
再び視線が白銀に集まる。だとすれば何となくその腕前のほどが想像できる。
自分たちですら、あの損耗率なのだ。そんな部隊ともなれば、おそらくはほとんど使い捨てであろう。そんな部隊の中で生き延びてきたとなれば、よほど運がいいか……よほどの腕を持つかのどちらかだ。
まわりを犠牲にする卑怯者、という線もあったが、そういう輩は結果的に長生きしないということを彼女たちは熟知していた。
「で、この白銀はね。劣悪な環境と無茶な戦いの中で、常識にこだわらない、天衣無縫の発想で戦術機を動かしてきたわ。そんな彼が思いつき、自分なりに磨いた発想を、あたしに対する報告の中で積み上げてきたのよ。
で、あたしの方もついでにこいつのいうちょっとした工夫を戦術機で実現できるように、制御OSとかにパッチを当ててやるくらいのことはしてきたんだけど、とうとうそれじゃ我慢できなくなってきたらしくてね。まあ戦果は上げていたから、ご褒美代わりに我が儘を聞いてあげてみたの。
そうしたら……瓢箪から駒が出たわ。こいつ、詳細は明かせないけど、とある戦線で撃震一機でBETA約500体を葬り去ったわ……ほぼ無傷でね。それだって補給が続かなかったのと、敵が全滅したからこの数だっただけで、やろうと思えばさらに上へ行ったでしょうね」
誰も、異論一つ挟まなかった。いや、既に言葉を発することすら出来なかった。
「全員、もう一度シミュレーターに搭乗なさい。嘘じゃないことを教えてあげるわ」
「はいっ!」
その言葉に、慌ててシミュレーターに収まる一同。武も元のシミュレーターに搭乗した。
夕呼とまりも、そして遙は再び管制室に戻ると、夕呼がコンソールを操作して、とあるファイルを呼び出した。
まりもはそのファイルに、最高ランクの機密保持がかかっているのを見て少し驚く。
やがて再現されたのは、信じられないような映像であった。
実はこの映像、武が因果地平で仮想訓練をした際のデータをコンバートしたものだったりする。打ち合わせの中には、武の身分や出自をどうごまかすかということも入っていた。並行世界でのごまかし方なども参考に、幾つかの案を検討して出たのが現在の経歴である。
幽霊部隊の発想は、前の世界でも夕呼が戸籍をごまかしたものの、城内省という、さすがに夕呼でも手の出ないところに武の記録があることから思いついた。死んだことがごまかせないのなら、実は死んでいなかったで押し切れる裏付けを、ということになったのである。
因果地平内でも、武達からこの問題についてはアイディアをもらっており、その際の補完資料になるかも知れないと、仮想訓練の様子を、戦術機のレコーダーデータの形で収めておいたものだ。
何しろ因果地平の仮想空間の臨場感は、事実上現実と全く変わらない。観測者理論の応用で実物を作り出していると言っても過言ではないのだから。
現実と変わらない夢のようなものだ。
そのためこの記録は、現在の技術レベルでは現場の記録でないことを見抜くのは不可能である。
厳密には技術ではなく、映っている映像の解析で見破れないこともないが、そういう方面の問題は編集でごまかせる。現に元データを作る際には多少そういう編集が入っていたりもする。
そして今再生されているのは、舞台設定九州某所、レーザー属種少量を含む500体のBETA混成部隊。
対して武が使用したのはXM3搭載型撃震であった。
ちなみにこれは武でも成功率2割を切る超難易度ミッションで、このデータは幸いにもほぼ無傷でクリアできたデータ、つまりちょっと卑怯な代物である。なお、XM3抜きでは武でもクリア不可能であったといっておく。
再びシミュレーター内からは、姫達の絶叫が上がっていた。
何しろ撃震とはいえ、武渾身の三次元機動戦闘である。強化装備の補正も働かないシミュレーター内は、絶叫マシンそのものと化していた。
元々機動の激しい突撃前衛の速瀬などは何とか耐えているようだが、後衛部隊の面々は中身が入っていたら危ないレベルまで追い詰められていた。
こんな屈辱は適性試験以来であろう。
涼宮など、眼前で展開される映像だけで酔いそうになっている。
ただ一人、まりもだけは彼の機動を食い入るように見つめている。
彼女は富士教導隊上がりだ。撃震に関してはベテラン中のベテランと言っていい。
そんな彼女には、この映像が撃震の機動であるとはとうてい信じられなかった。一体どんな細工をしたら、撃震が不知火すら上回りかねない運動性を持てるというのか。
その種がなんであれ、これは戦術機のあり方に革命を起こす。撃震による映像を見たが故に、まりもはそのことをはっきりと認識した。
「うわ、信じられない。どうやったら光線級のレーザー照射を空中で躱せるんですか!」
「予備照射を受けた段階で、相手の方へ向けて加速すると同時に急制動で振り切るらしいわね」
「でも空中機動中にそんな機動は出来ませんよ」
「それを可能としたのが、手品の種よ」
夕呼と涼宮の会話が聞こえる中、まりもは、光線級のレーザー警告が鳴り響く中、突然失速したかのように高度を落とし、着地地点近くにいた大型種の攻撃を巧みに回避しながら、その巨体を光線級の盾にする操縦技量に舌を巻いていた。うまい、としかいいようがない。レーザー属種の特性を知り尽くし、その習性を利用できねばこんな機動は出来ない。
「すごい……」
こぼれ落ちた言葉だけが、まりもの内心を表現していた。この境地に至るまでに、彼はこの若さで、一体どれほどの死線をくぐり抜けてきたというのだろう。
それに比べたら、自分の経歴すら恥ずかしくなるまりもであった。
十数分にわたって続いた激しい戦いの記録は、A-01のメンバーの認識を改めるには十分であった。
もはや武に敵意を持つものはいない。
そのことを認識した夕呼は、本来の目的を遂行することにした。
「さて、いよいよお楽しみの種明かしの時間よ。手品の種の名前は仮称XM3。今あんた達が体験した信じられない機動を可能にする、新発想の詰まった新型OS。制御コンピューターと制御ソフトウェアを交換するだけで、あなたたちの機体は今までとは別物に生まれ変わるわ。さっきの試合で判っていると思うけど、実はシミュレーター内には既にこのデータは導入されているわ。
実機への搭載も直ちに行われる。
で、いいこと」
じろりとA-01メンバーを見渡す夕呼。
「あなたたちにはこのOS、XM3の、表における実戦検証を担当してもらう。これは別件だけど、あたしの研究の過程で、偶然に近いんだけど、かなりの高確率で、近々BETAが襲ってくるという予測が成されたわ。今回限りの事だけど、使えるものは何でも使う。それにあわせて、あなた達にはこいつの有効性を実証してもらうという訳よ」
「BETAの行動予測が!」
思わずそう叫ぶ伊隅を、夕呼は押さえる。
「残念だけど、偶然に近いのよ。再現性はないと思いなさい。それより本題よ。あなたたちには、この任務のため、この白銀の教導を受けてもらうわ。元々この機動概念は、こいつが編み出したものだけに、こいつに勝る……というか、現時点ではこいつしか教師役がいないの。だけど言い換えれば、初見とはいえあなたたち全員をわずか3分少々で葬り去るあの技を、今度はあなたたちが覚えることが出来るという訳よ。
あと、それに伴って、この白銀を幽霊から生身に戻すことになる。これだけの成果を上げた以上、影働きにおいておくのはもったいなさ過ぎるからね。まあ、適当な理由をつけて、207Bあたりに放り込むことになるから、まりも、面倒見てあげてね」
「え、わたし?」
突然話を振られて、うろたえるまりも。
「あなたよ。後ね、A-01による実戦検証がうまくいったら……まあ行くと思うんだけど、そうしたらこのOSは研究の成果として表に出ることになる。そして207B分隊が総戦技評価演習を合格した場合、この新OSを基本として教育される衛士のテストケースとなるわ。だからまりも」
なにやらそういって迫る夕呼に、不吉なものを覚えるまりも。
「あなたも白銀による教導には、A-01と一緒に参加しなさい。そしていずれ、あなたの教え子達に、XM3を採用した戦術機による新概念機動を、きちんとたたき込めるようになりなさい。まあ最初だけは、表に出て衛士身分を取得する関係で、白銀がいてくれるけどね」
一瞬混乱し……夕呼の言葉の意味が頭にしみ通ったとたん、別人のような鋭さで、まりもは敬礼していた。
「判りました! 神宮司まりも、誠心誠意、新OSによる新たな機動概念の取得に努めます!」
「かたっくるしい挨拶はいいのに……ま、いいわ。頑張りなさいよ」
やる気に火が付きすぎていたA-01とまりもは、そのままの勢いでXM3搭載不知火のシミュレーター研修に突入した。
武の説明の中、最初は立ち上がるだけで一苦労な操縦性にとまどったものの、さすがは鍛え抜かれた精鋭中の精鋭。
その隙のなさに慣れてしまえば、今までより遙かに自由に戦術機を動かせる。特に動きの激しい速瀬などは、酔っぱらっているのではないかというほどの暴走をしていた。
一方まりもは、XM3搭載型における基礎動作の確認に明け暮れていたりする。さすがは教官と言うべきか。実のところ、反応速度の高速化と遊びの少なさゆえ、そういう基礎動作の難易度がこっそり跳ね上がっていたりする。これは教導をする側がしっかり認識しておかなければならないことだ。
先行入力とキャンセルという概念だけでも、明らかに彼女たちの動きが変わっていた。
彼女たちは口々に、これを知ってしまったら以前には戻れないと語っている。
なお、速瀬中尉は、4対1でなら武に対抗できるものの、1対1では連敗記録を鬼のように積み上げる羽目になったことを言っておこう。
対白銀単独勝利を、まりもに先を越されたのがまずかったらしい。こういうものはムキになってもうまくいかないものと相場が決まっている。
もっとも鼻先ににんじんをぶら下げられた彼女は、誰よりもXM3の三次元機動に熟達し、立派な突撃前衛となっていたのだが、それを知らぬは本人ばかりであったとさ。