ゆさゆさゆさ。
白銀武の一日は、社霞に起こされることから始まる。
何だかなと思わなくもないが、これはむしろ霞側にとっての儀式かも知れないと思い、武は律儀につきあっている。
ただ、人前での「あ~ん」の儀式だけは申し訳ないがパスさせてもらった。全くなしだとあれだろうと、これはシリンダールームでの、純夏とのコミュニケーションで一緒の時だけに限定した。
もっとも意外な事に、限定したが故にむしろ楽しみが深くなっているようだと思うのは、武の欲目だろうか。
真相は、社だけが知っている。
∀ Muv-Luv それはつもっていくおもい
~きつねさんとうさぎさん~
接触の翌日、一日を掛けて、武と夕呼は持ってきたデータの照会と、これからの方策に頭をひねった。
武が因果地平から持ち帰った膨大な資料。それにはオルタ4の結果として提出しても遜色ないBETAの行動パターンデータやハイブ内のMAP、それらから求められるシミュレーター用のBETA行動エミュレーションデータ、それ以外にも簡便にまとめられた10/22から1/2までのいろいろな世界での事件発生データなどが含まれていた。
もっともハイブ内データなどは、出来うることなら改めてリーディングして補正することが望ましい、と注意されていた。シミュレーターデータとしてなら十分だが、作戦行動を立てるためのデータとしては、世界間誤差による弊害が大きいからである。
逆にBETAの行動データなどは、BETAが並行世界間存在であるが故に、むしろ本来得られるものより精密なデータが収められていた。何しろ並行世界間で共通のデータだ。誤差など出ようはずもない。
あとは00ユニットによるリーディングの弊害……情報流出を、どうやって防ぐかが問題であった。
何しろ00ユニットは、維持のためにも反応炉との接触を余儀なくされる。この際に高確率で情報が流出する。
BETAは反応炉と接触する際に、エネルギー補給と報告と指示受領を同時にこなす。00ユニットもこのシーケンスを利用しているため、現行仕様ではどうしても情報が流出してしまうのである。
かといって00ユニット無しでBETAの情報は手に入らない。そして00ユニットはG元素とODLを使用しているため、反応炉無しでは使用できない。
この問題は、並行世界間でも直接解決していたところはなかった。
もっともさすがは夕呼先生。問題点は即座に見抜いた。
「要は00ユニットが当初計画のあり方をしているのが問題なんだわ」
「と、言いますと」
「ええ。00ユニットがBETA情報のリーディングに必要なのは、一つには処理速度の問題があるわ。BETAの情報を得るのに人間の情報処理速度では足りない。そのために00ユニットが必要とされる。
あともう一つ。こっちは仮説なんだけど、BETAは人間の呼びかけには反応しないらしいのよ。だから人間以外の知的存在で呼びかけてみる、っていうのがオルタネイティブ4の計画に入ってるの」
「でもこの資料だと……」
「既に試した世界の報告だと、BETAは00ユニットを知的存在として認めるらしいわね。でも、だとすると、少し気になることがあるのよ」
「なんでしょう」
疑問に思った武に、夕呼は珍しく丁寧に答える。いや、これは答えることによって自分の思考をまとめているだけのようであった。
「00ユニットは完全に人間の思考をエミュレートしている。だから人間は駄目で00ユニットならいい、ということは、BETAにとって重要なのは、思考速度か構成物質で、思考形態そのものはどうでもいいと言うことになるわ。同じ炭素系であるBETAは認識しているんだから、人間を認識できないと言うことはないはず。つまりBETAは人間という存在を意図的に無視していると言うことになるわ」
「あ、それについての考察があります。BETAにとって人間は根本的に餌……つまり食料なので会話のような高度知性的行動を意図的に無視するらしいです。我々が豚や牛がしゃべるわけ無いと考えるのと一緒のようですね」
「それでいて、因果端末? それをより分けるために人間を捕まえてあんなことするのよね」
「こちらは仮説ですけど、因果端末になる人間はある程度因果を制する力が……要は自分にとって都合のいい未来を導く力が必然的に備わっているそうです。だから兵士級に喰われたり、突撃級に襲われて死ぬような人間は端から資格無しだとか」
「そりゃよくできた選別ね。自分たちごときに喰われる存在は端から除外対象? なめるんじゃないわよ全く」
「全くですね」
夕呼のため息に同意する武。
「それでいてBETAが捕食する『資源』……初めあなたは普通の意味での資源だと思っていたのよね」
「ええ、これはもらった情報じゃなく、俺自身の知る範疇になります。まあ、さすがに聞いた時は普通の意味でなんかレアメタルでも掘って、上のいる惑星へ、文字通り送り出しているんだと思ったんですけど」
「真実はもっと辛辣。資源とは特殊な人間で、送る先の惑星も、並行世界の事をさしていただなんてね」
判るわけないですよ、あの時点で。とぼやく武。
そんな武を見て、夕呼は喜び半分、悔しさ半分の様子だ。
「そして決定的なこの情報。BETA知性は人の手の届くところにあらず。BETAは並行世界すら内包した巨大存在であり、地球にいるのは自立AIで動く端末体に過ぎない……まあ並行世界がらみのところはごまかすにしても、BETAの知性が分析可能なプログラムで、その分析データまでそろっているなんて。最悪これを発表するだけで、オルタネイティブ4はその存在意義をはたしたことになるわ」
「ですね。なのにごまかさないといけないんですよね」
「そういえば大分話がずれたわね」
ここで本題を思い出した夕呼。
「それで00ユニットだけど、あえて効率を無視すれば、代替システムで当座のごまかしはきくわ。初期段階で『非効率』と言うことで放棄したプランにいいのがあるのよ」
「そんなのがあったんですか?」
そう問う武に、夕呼は指を立てて口の前に置き、くすりと笑ってから言った。
「それこそ「Need to Know」よ。ブレインカプラーって言ってね。遺伝子改造やなんかをしなくても、リーディングやプロジェクションが出来ないかと思って設計してみたのよ。
まあ当時の技術じゃやたらでかい上に安全性にも問題があって、そのままお蔵入りしていたんだけど、現段階の技術とこのデータ内の情報を合わせれば、大幅な小型化・高性能化・軽量化が図れるわ。
そしてこのシステムなら、00ユニットは00じゃないから、情報を漏らすことはない。
もっとも、00ユニットの最大の特徴である、人には及びも付かない超高速での思考が出来ないから、00ユニットとしての価値は半減しちゃうけどね」
「うーん、駄目だ。さすがにそっちの方は想像も付きません」
両手を挙げる武。そんな武を見て、夕呼は何故かおかしな、穏やかな気分になり、次いでそんな自分に少し驚いた。
(何? 今の気分は。落ち着いて、冷静に……記憶を検証……時間が足りないわ。でも考慮しておくべきね)
「どうかしましたか?」
「いいえ、なんでもないわ。ちょっとデジャビュみたいなものを感じたから。ほら、普通なら勘違いでも」
「ああ、そういえば前の世界で夕呼先生が言ってましたね。デジャビュとかは因果量子論的な現象だって」
「そういう事よ。ちなみにブレインカプラって言うのはね、平たく言えば『拡張脳』。00ユニットの簡易型みたいな奴と、脳波入出力装置? ま、要するにキーボードとかディスプレイを通さずに、直接脳との間で情報をやり取り出来るようにする装置との組み合わせよ」
「あ、あれか。何となく判りました。昔読んだSF漫画に、そんなのがあったような気がします」
「読んだことあるって……」
何故か驚いている夕呼。武は何故夕呼が驚いているのかがさっぱり判らなかった。
「そりゃ俺は勉強苦手でしたし、本好きでもなかったですけど漫画くらい読みますけど……」
「あんたの元いた世界、それだけ余裕があったって事なのね」
「……って、あ、そうか! こっちじゃそういう娯楽に回す余裕なんて、無かったんだ。何しろあっちじゃ、ある意味戦術機の操縦すら娯楽ですからね」
何しろある意味元の世界より科学が進んでいる面があるのに、遊びと言ったらおはじきかお手玉だもんなあ。と、過去わずかながら207Bのメンバーと遊んだ時のことを思い出す。
(まあ衛士としては遊んでいる暇なんか無いけど、さすがに休みにすら遊びがまるで無いのは寂しいよなあ。コンピューターゲームは無理だけどせめて大貧民くらい……って、おれこっち来て、トランプ見てないぞ)
武は思わぬところで世界間のギャップを感じて愕然としていた。それは逆に言えば、対BETA戦が、人類からどれほどの余裕を、資源を搾り取っているかと言うことの証でもあった。
「あら、今度はあなたが止まっちゃったの?」
そう夕呼にツッコまれるまで、武は思考の渦にはまっていた。
「あ、すみません。いえ、今の指摘で、どれだけたくさんのものがBETAのために奪われたんだって事を、意外な方向から実感しちゃいまして。夕呼先生は、トランプって知ってますか?」
「トランプ? カードゲームの切り札って言う意味だっけ」
「ってトランプって言う言葉すらないのかよ!」
思わず叫ぶ武に驚く夕呼。
ちなみにトランプはプレイングカードの日本における俗称で、一応明治時代あたりから使われている言葉である。が、現代日本でトランプを広めたのは何といっても任天堂の功績が大きい。というか今世界で広く用いられているプラスチック製のトランプを初めて作ったのは任天堂なのだ。マヴラヴ世界においては、おそらくゲームガイを作っている会社が任天堂に当たるものと思われるが、正式名称の設定など無いと思われるのでここではスルーする。
「こう、1から13までの、1がエースで、11以上はジャック、クイーン、キングって言う……」
「ああ、あれね。アメリカのカジノとかで使っている奴」
慌ただしく説明する武の説明を、夕呼は途中で遮った。
「まあほしいんならたぶん手に入るわよ。ここは国連基地だから持ってる人ぐらいいると思うし。でもそんなものどうする気?」
「いえ、出来たらで十分です。ちょっと元世界との娯楽の質と量の差を思い知っただけですから」
「まあ遊んでる暇なんかないでしょうからね。でもいいこと思いついたわ。すべてが終わって、平和に過ごせる時間が来たら、あんたの覚えてる娯楽、世界に広めるといいんじゃない? 退役軍人って、やることなくて困るらしいけど、あんたにはその心配なさそうね」
夕呼にしてみればただの冗談であったが、それを聞いた武の顔が、何故か夕呼ですらどきりとするほど真剣な影を浮かべていた。
「……いいですね、それ。終わった時のことなんか、考えても見なかったですけど。そりゃ楽しそうだ。あ、先生、やっぱりトランプ、出来たら手に入れてください。霞に教えてやろう」
影が笑みに変わる。その光景は、何故か夕呼の心の奥底にまで突き刺さった。
一瞬の心理的衝撃の後、再起動する夕呼の頭脳は、その衝撃がなんであったかを理性的にはじき出していた。
(終わり……そう、終わり。なんて事? 私ともあろうものが、今の今まで、この事態が、BETAとの戦いが『終わる』と言うことを全く意識していなかった……生まれた時よりそれと共にあり、死ぬ時までそれと共にある……冗談じゃないわ! 終わるんじゃない。『終わらせる』のよ。この香月夕呼が、この白銀から得た情報と、この天才の頭脳を駆使してね! こいつの持ってきた情報は、あまたの世界の基本と最先端。つまりこれを入手した私は、文字通り『世界の最先端』にいるはず。ならば私がやらずして、誰に出来るというのかしら。BETAとの戦いの、終戦の鐘を鳴らすという事が!)
そして、武は、先生、といい掛けた言葉を飲み込んでいた。
何がきっかけになったのか、夕呼は燃えていた。その様子に激しい既視感を覚える武。衝撃を受けたが、よく考えれば、これは過去見たことがある光景だと気がついた。
そう。元の世界ではそれほど珍しくはない光景であった。一番印象深いのは、両世界に関わる記憶。そう、それはあのときの光景。授業中に突然『あの数式』を持ち出した時の向こうの夕呼。
天上天下唯我独尊(誤用)を思い出させる、絶対的な自信を持って世間を睥睨する、あの目、あの気魄。
過去二回の思い出を辿っても、こちらではついぞ見ることの出来なかった姿。
過去の夕呼先生は、君臨していても、どこか心の片隅に焦りが浮かんでいた。最初の時には、夢破れて崩れたこともあった。二度目といえど、あれは表面的なものでしかなかった。
今、はっきりと武は理解した。武本人も2回のループで経験を積み、内面的には17歳の子供ではなくなっていたのもあった。
今、夕呼先生の、香月夕呼の心に、爆炎とも言える炎が燃え上がったことを。
「白銀」
ただ一言、そう呼びかける夕呼。
「はい」
ただ一言、答える武。
それだけで十分であった。後は言葉はいらない。
その後の作業の効率は、劇的に加速していた。
「現時点では、こんなところかしら」
「……ですね。俺の記憶と照らし合わせても、問題はないと思います」
すべての予定をキャンセルして当初の道筋を立て終えた時には、既に夕食の時間すらすぎていた。いや、消灯の時間が迫っていたと言ってもいい。
二人が大きく深呼吸をした時であった。
本来自分たちしかあけられないはずのドアが開いた。二人が思わずそちらに注目すると、視界に入ったのは配膳用の小型ワゴンであった。
「お食事……お持ちしました」
押していたのはウサギを思わせる少女。言うまでもない、社霞である。
その姿を見て、さすがに夕呼はばつが悪くなった。資料の検討と武との打ち合わせに熱中しすぎて、社のことがすっかり頭から抜け落ちていたのだ。念のために武のリーディングを命じていたのだが、こうなってしまうとなんの意味もない。今の夕呼にしてみれば、白銀武はまりもに続く二人目の『心から信じられる腹心』であった。
「さすがに悪かったわね。社、食事はありがたくいただくわ。あなたももう休んでいいわよ」
と、その時珍しく彼女が躊躇した。いぶかしげに思う夕呼に、彼女はぼそりとした口調で、大変に珍しいことを言った。
「あの……一緒に食べて、いいですか」
夕呼は驚いたが、武はある意味うっかり、すんなりと答えてしまった。
「あ、いいんじゃないか? ほら、ここ片付ければ」
つい『見知った霞』に対する態度で接してしまう武。その様があまりにも自然なので、夕呼は二度目の唖然とする思いを味わうことになった。
「ちょっと、あんた……ああ、そうだったわね。白銀にとっては、社は初対面じゃなかったわけね……てか、ちょっと待ちなさい、白銀」
「あ、なんれふか」
既に食事をほおばっていた武が慌てて飲み込みながら答える。
「私もすっかり忘れてたけど、あんた、社のこと知ってるわね」
「資料にあったとおりですよ。オリジナルハイブの中までつきあってます」
「別段恋仲だった訳じゃないはずよね……どうしたの、社」
何故かその白い顔が真っ赤に染まっている。
「あ……」
と、武がつぶやくのを見た夕呼は、すかさずその首根っこを掴むと武に耳打ちした。
「何か心当たりあるの」
「いえ……俺にそこまでの気はなかったものの、二度目の終わりで、霞、俺に告白してます。今の霞にその気がないのは判りますけど、俺のことリーディングして、『霞が告白した時の俺』のあたりを見ちゃったら、影響されません?」
「うわ、そりゃあり得るわ」
思わず顔をしかめる夕呼。
「まあ気づいていたかも知れないけど、昨日からあんたのことリーディングさせてたから」
「ああ、そのことは気にしてませんって言うか、その方が話が通じやすいって思っていましたから。リーディングって言っても、あまり具体的な、言葉みたいなものじゃないのも知っていますし」
「ならこの事はお互い不問にしましょ。今更馬鹿らしいし」
そこで二人は離れたが、何故か社の様子が先ほどの赤いものから何となくふくれたものになっている。
夕呼はおやおやと思い、武はおろおろしていた。
「わ、わりぃ。一緒に食べよう、な」
「……武さんの思いの中に、こういう時に私としていた何かがあるっぽいです。それ、教えてくれませんか」
ぎくりとなる武。食事中となれば、思い当たるのはただ一つ。これが二人きりなら、武も恥ずかしいながらもためらいはしなかっただろう。だか今、ここには……こういうことが大好きな悪魔が、しかも絶好調モードで存在しているのだ。
その目は……この時点で武はあきらめた。
「判った……霞」
いきなり名前で社のことを呼ぶ武。思わずどきりとしながらも武を見つめる社。
武は彼女の皿に載っているおかず……ご丁寧にもそれは合成サバミソであった……それを一口大に箸でちぎり、一切れつまむ。
「ほれ、あーん」
「あーん……!」
あーん、と声を出すと口が開く。そこへすかさず武はつまんだサバミソを投入した。
思わずそのまま咀嚼する社。夕呼はなんと三度目の唖然を経験し、次の瞬間、さすがに口を押さえて笑い出した。
「し、白銀、ひょっとしてあんた、『前』でそれ」
「……PXでやっていましたよ」
「も、もう駄目……」
ひいひい笑い転げる夕呼。
一方社はびっくりどっきりになっていた。突然された「あーん」と、無意識に行っていたリーディングがシンクロし、ちょうどプロジェクションを受けたような状態になってしまった。そして武のこの行為が、自分にとっては初めてでも武にとっては慣れたものであることを、理屈抜きで理解する羽目になってしまった。
それと同時に、心に灯る『何か』。
武をリーディングした時に、自分のイメージに付随する、今まで感じたことのない、暖かいもの。
それが何故か、とても大切に思えて、社は武のサバミソをつまむと、こう言っていた。
「あーん」
この日、夕呼の食事はひどく時間が掛かったとだけ言っておこう。