最終話 2001年10月22日
「ん…………」
自分の部屋のベットで武は寝返りをうつ。
季節は秋。
食欲の秋とか、読書の秋とか言うが武にとっては睡眠の秋である。
まぁ武は年がら年中睡眠の秋な気がするが、ともかく武はいつも遅刻ギリギリの時間まで寝ている。
後少し起きるのが遅ければアウトというような朝を過ごす事が日常な武だが、目覚まし時計を所持していない。
その理由は……。
「タケルちゃ~~んッ! 起~き~て~よ~~!!」
先程から武を大声で呼びながら体を揺する赤毛の女の子、鑑純夏が毎朝起こしに来てくれるからである。
幼馴染の彼女が武を起こしに来るのが日課になったのはいつの頃か。
「う~~……後30分……」
「後30分なんて寝てたら完全に遅刻だよ~! ね~! 起きてってばぁ~~!」
普通の人間なら起きるであろう大声を純夏が上げているのに武は起きようとしない。
何事も慣れという奴である。
「む~~いつもより手ごわい……。どうしよう霞ちゃん?」
「早くしないと本当に遅れてしまいます……」
純夏と一緒に霞もどうやら来ているらいしい。
本心では困っているのだろうが抑揚の無い彼女の声は本心がわかりづらい。
「よ、よ、よ~~しッ!! このまま起きないんだったら武ちゃんのエ、エエ、エッチな本とか処分しちゃうんだからね!!」
自分の大声では武は起きないと判断したのか純夏は手段を切り替える。
男と言う生き物の本能的な部分を動揺させて起こそうという魂胆だ。
「タ、タタケルちゃん! 早く起きないと本当に処分しちゃうよ!? いいの!?」
武の視点からは見えないが、声が若干震えているように今頃彼女の顔は真っ赤だろう。
「あ……あれ? ない……。おっかしいなぁ男の子のベットの下には必ずそういった本があるって聞いたのに……」
だが次に聞こえてきた純夏の声はあるはずの物がなかったという以外そうな声だった。
フフフ馬鹿め……と武はベットの中で笑う。
自分がそんなベタな所に隠す物かと。
「純夏さん。あそこのクローゼットの棚の上に置いてあるスポーツバックの中が怪しいと思います」
ギクッと武は震える。
純夏と違った抑揚のない霞の声が的確に自分の『宝物』の位置を告げていたからだ。
「それからあの本棚の国語辞典……中身は机の上に置かれているのにカバーだけが本棚に立てかけられてるのも……」
「ギャオーーーー!! オレが悪かったーー!! ゆ、許してくれ霞ーーッ!」
武の絶叫が木霊する。
1階からは「純夏ちゃん。霞ちゃん。うちの馬鹿息子起きたー?」という武の母親の声が聞こえて来た。
◆
「霞~~勘弁してくれよ……」
黒い国連軍の軍服に身を包んだ武と純夏、霞が横1列になって道を歩く。
「……すいません」
「い、いやまぁ次から気をつけてくれれば良いんだけどな」
無表情ながらも若干申し訳なさそうな顔をして霞に謝られると、武は何とも言えずバツの悪い気分になる。
まぁ今回の場合悪いのは武の方だ。
だがこの小動物っぽい態度にはついつい何でも許したくなってしまう。
……何だか最近霞が微妙に女狐になりつつあるような気がする。
狐耳……狐耳がいけないのだろうか?
癒し系小動物に狐のしたたかさ……。
ある意味無敵の組み合わせではないかと武は思う。
「霞ちゃんは悪くないよ。ッて言うか次から気をつけるのはタケルちゃんの方だって……。もっと早く起きなよーー」
「ぐッ! う、うるせーな」
溜息混じりに言う純夏の正論に素直に聞く武ではない。
気合一閃デコチョップを純夏にお見舞いしてやろうとする。
「はぁッ!!」
「くッ! やるな……純夏のクセに」
だが武の一撃は読んでいたとばかりに純夏は両腕で防ぐ。
伊達に毎日国連軍の衛士として鍛錬を続けてきたわけではない。
勝ち誇ったように純夏が口の端を持ち上げ、小憎たらしい表情を浮かべる。
「……なんて、1回防いだくらいでいい気になるなっ!」
「あいたーーっっ!!」
純夏の一瞬の気の緩みを見切り、武は追加攻撃のデコピンをお見舞いしてやる。
いつもの様に互いにふざけ合いながらも武達は歩を進める。
武達が今歩いている場所は横浜の柊町……。
自分達の生まれ育った町である。
桜花作戦が終了してから約2年。横浜基地が完成した際に武はこちらに移住したのだった。
1999年10月29日、白面がオリジナルハイヴを撃破したあの日の後、崩れた岩盤を吹き飛ばして地上に現れた白面は、そのまま不眠不休で4日間という短期間で世界中に残ったBETAを1匹残らず片付けてしまった。
BETAを駆逐するのは我ら人類の使命! と思ってた者達からすれば不満もあったが、あそこまで見事に全て終らされてしまうと最早文句の出しようもなかった。
いや、ひとことふたこと何か言おうとする者もいたのだが、拍手喝采の民衆の声にそんな不満な声はかき消されてしまった。
人間社会は常に民衆を味方に付けた者の勝ちなのである。
そしてその数ヵ月後の1999年12月31日。BETAを月から排除しようと人類と白面を載せた宇宙船が月に到達。
地球との重力の相違とか物理法則やら科学の壁などまるで関係なく、白面の圧倒的火力、物量で第二次月面戦争は1日で終結した。
これが年の明けた2000年1月1日のことである。
一緒に同行していた国連航空宇宙総軍司令部は月での白面の様子を後にこう語る。
曰く『地球にいた時より強かった』と……。
それからさらに人類は火星のBETAを攻略するため地球を飛び立った。
数ヶ月の宇宙航空の末辿り着いたのは、人類が初めてBETAの存在を確認した赤い惑星……。
光線級はいなくともフェイズ6以下のハイヴが存在しない火星では、軽く見積もっても地球の20倍の数のBETAが常にひしめき合っており、さすがの白面も手こずった。
何と火星のBETAは白面の猛攻に対して1週間も抵抗する事に成功したのである。
……一緒に同行していた国連航空宇宙総軍司令部は火星での白面の様子を後にこう語る。
曰く『月にいた時より強かった』と……。
それが今日から丁度1年前の2000年10月22日の事である。
この日を人類はBETA大戦の終戦記念日とし、今日は盛大な式典が世界各地で行われるのだ。
特にここ横浜の式典は世界で1番大規模に行われる。
白面が初めてこの世界に現れた場所が横浜ハイヴだからだ。
1ヶ月ほど前から武達は終戦記念日の式典に向け準備に追われ、横浜基地周辺は人だかりがすごいが、武達が歩いているこの場所はまだ人が少ない。
BETAによりこの周辺はまだホテル等の施設は建設されてなかったりと原因は色々あるが、最も大きな理由は別にある。
「フフフ、そなた達は相変わらず朝から騒々しいな」
その原因は武達の隣りを一緒に歩いている女性、『煌武院冥夜』にあった。
背筋を伸ばしながら歩く冥夜は生真面目ながらも昔と違った余裕のある親しみ易い雰囲気を持っている。
ちなみに冥夜が着ている服は武達が着ている国連軍の軍服ではなく青い帝国斯衛軍のものだ。
……そう、冥夜は国連軍を辞めて帝国斯衛軍に身を置く事となったのである。
その理由はもちろん白面の『2体で1体で最強』のあの言葉が原因である。
白面の言葉を上手く使い、双子は忌み子という煌武院家の家訓を打ち破り、冥夜と悠陽はそれぞれ姉妹として共に歩む事ができるようになったのだ。
京都に向けて旅立つ冥夜を見送ったあの別れの日。
冥夜と悠陽の人間関係が改善された事は武にとって嬉しくもあり、それと同時に冥夜と別れる事は悲しくもある複雑な気持ちであった。
そんな思いを抱えながら故郷の柊町に戻った武と純夏だったが、その思いは見事に吹き飛ばされることとなる。
以前と同じく武の家と純夏の家は隣り同士で建てられていたのだが更にもう1軒、武達の家の数十倍の広さを持つ『煌武院邸』が建てられていた。
BETAがならしてくれた平らな土地にはでっかい豪邸と、オマケのように横に並んだ武と純夏の家以外は何も目ぼしい建物が見られない。
いったい何故? と面食らう武達であったが、それでも自分達の家の隣りに冥夜が引っ越してきてくれた事は素直に嬉しい。
冥夜の話では日本中を飛び回る必要のある悠陽と冥夜は、最低でも西日本と東日本にそれぞれ住居を構えていた方が都合が良いとか何とか理由をつけていたが……。
苗字を『御剣』から『煌武院』に改めた冥夜にタメ口聞くの気が引けるが、公の場以外では今までどおりの口調で良いと冥夜も言ってくれている。
だが武や純夏は良くても武と純夏の両親は困る。
何せこの世界で煌武院家と言ったら、日本人なら誰もが道を空けて頭を下げなくてはならない程の雲の上の人間だ。
普通なら恐れ多くてどこかに引っ越したくなる所だが、向こうから是非にと言ってきてるわけでそうも行かない。
毎日緊張のあまり胃が痛くなると言うことは……実はあまり無かった。
さすがは武と純夏の両親と言った所か。
順応性が並の人間とは違う。
今は普通に煌武院家とご近所付き合いしているのだから神経が図太いと言うのか逞しいと言うべきなのか……。
「ところで冥夜。殿下は今日お前の所で泊まる事は出来るのか?」
「うむ……そのはずだが何ぶん姉上は多忙な身ゆえな。今夜突然の予定が入るやも知れぬ。……月詠!」
「ハッ! ここに!」
どこにも姿を隠すことの出来ない見通しの良い平らな道なりで、月詠がシュタッと音を立て冥夜の背後に立つ。
彼女の姿は赤の帝国斯衛の軍服姿ではなく赤いメイド服だ。
長い髪は1つの団子状に束ねられ、かつての軍人の時のような厳しい雰囲気は見られない。
月詠は今では軍服を脱いで冥夜の世話係として側に仕えているのだ。
「本日の式典の時間調整をそなたに任せる。上手く姉上を補佐してやってくれ」
「かしこまりました」
そう言ってまた月詠の姿がどこかに消える。
「……月詠さん軍人の時より身体能力向上してないか?」
「うん。明らかに人間のレベル超えてるよね」
「……私もそう思います」
武、純夏、霞の3人は月詠の動きに苦笑しながらも、まぁ世の中こういう事もあるだろうと納得した。
何せ武達はあの白面と言う存在を見ているのである。
このくらいの不思議は世の中にあってもおかしくはない。
「「「真那様~~!!」
武達の後ろから土煙を上げながら声を上げて近づいてくる姿が3人。
神代、巴、戎である。
彼女らも月詠同様に軍を引退して冥夜の側に仕えている。
白と黒のメイド服が今ではすっかり板についてきた。
もっとも日本の文化に重きを置いているはずの日本帝国がメイド服を許可しているのは謎だ。
さすがに彼女らは月詠のように神出鬼没に現れたり消えたりする事が出来ないらしい。
きっとメイドレベルが足りないのだろう。
まぁ逆にそんな人間がごまんといてもいても困るが。
「冥夜様。おはようございます」
「それと~~」
3人の視線が武、純夏、霞に集る。
「「「初めまして~~」」」
「初めましてじゃねぇよ!」
笑顔で挨拶する彼女らにすかさず武が突っ込みを入れる。
「は?」
「は?」
「はあ?」
「はあ? ……じゃねえだろっ! ほぼ毎日顔あわせてんじゃねえか!!」
「「「存じませーん」」」
声をそろえ3人の頭にいきなり拳骨3連発が降り注ぐ。
拳骨を見舞った人物はまた突然現れた月詠である。
「あいたー」
「あいたー」
「いたいですぅ」
頭を抑えながらうずくまる3人。
中の脳みそが足りないのか月詠の拳骨が実に軽くて良い音である。
BETAがいなくなって、非常に凛々しかったこの3人は何故か元の世界の3バカに戻ったのだった。
冥夜曰く「あの3人はああやって平和を噛み締めておるのだろう」との事だが、本当の所は定かではない。
武としては「1度病院に見せた方が良いんじゃないか? 性格変わり過ぎだぞマジで」と思ってたりする。
軽く涙目になってる3バカに月詠が睨みを効かせる。
「何をとぼけているのです早く行きますよ3人とも。……では冥夜様、武様、鑑様に社様。また後ほど」
笑顔の月詠だが、彼女に敬語を使われると未だに違和感を覚える武である。
元の世界のメイド姿の彼女と軍人の彼女の姿がどうしても重なって見えてしまうのだ。
そんな武をよそに3バカの襟首を掴んでまた月詠が消える。
「真那様~」
「真那様~」
「真那真那様ァ~!」
だだっ広い空間に3バカの声が360度全方向から聞こえてくる。
どうやら月詠は触れた人間も対象に瞬間移動(?)が出来るらしい。
「……あの3人、軍人の時より頭悪くなってないか?」
「うん。明らかに人間のレベル超えてるよね」
「……私もそう思います」
武、純夏、霞のは3バカのかつての凛々しい姿はどこに行ったのかと苦笑しながらも、まぁ世の中こういう事もあるだろうと納得した。
何せ武達はあの白面と言う存在を見ているのである。
このくらいの不思議は世の中にあってもおかしくはない。
◆
横浜基地周辺に近づくにつれ人の混雑が激しくなる。
歩く速度が遅くなりどうしても前に進まない。
急な斜面の桜並木の頂上に横浜基地が見えると言うのに到着するのにまだまだ時間がかかるように思える。
「大丈夫か霞?」
「はぁ……はぁ……はい……大丈夫です」
後ろを振り返る武は霞の手を引きながら人ごみを掻き分ける。
小柄で体力のない霞はこの坂道が辛いのだろう。
早くも息切れを起こして狐耳も垂れ下がり気味だ。
「うわ~~。想像以上に人が集ってるねぇ。私達も冥夜と一緒に連れてってもらった方が良かったかな?」
「無理無理。例え可能だったとしても出迎え先は各国のお偉いさんが集ってる場所だぜ? オレ達一介の衛士が行ける場所じゃねえって」
純夏の言葉に武はパタパタと片手を振り否定する。
人混みが溢れかえりはじめた辺りで武達と冥夜はそれぞれ別れた。
終戦記念日の式典を悠陽と共に進める用事が冥夜にはあったからだ。
ちなみに純夏は冥夜の事を名前で呼び捨てるようになった。
煌武院さん……では呼びにくいと言うのもあるが、いつの間にやら冥夜も純夏の事を下の名前で呼ぶようになっているし、女同士の友情らしき物が武の知らない所で芽生えたらしい。
「白銀、鑑、社~~」
「夕呼先生!」
自分を呼ぶ声と軽いクラクションの音に武は振り返る。
見ると香月夕呼が愛車のストラトスの左座席から顔を出す。
重々しい重量感溢れるエンジン音が明らかにただ道を走るだけのものではないと野生的な唸りを上げている。
その威嚇音に桜並木を埋め尽くす人だかりが道を空ける。
「っていうか夕呼先生。今ここは歩行者専用ですよ?」
「しょうがないじゃない。この道が横浜基地まで最短距離なんだもの」
「いやいやしょうがなくないですよ……」
相変わらずの唯我独尊ぶりに武だけでなく純夏も苦笑する。
「あら何? せっかく懐かしい人を連れて来て上げたって言うのにその言い草は?」
そう言って一旦停止するストラトスの右座席から武達の良く見知った人物が顔を出す。
「まりもちゃん!」
「神宮司軍曹!!」
「軍曹……」
武、純夏、霞がそれぞれの呼び方で目の前の女性、神宮司まりもの顔を見て声を上げる。
「こ~ら白銀? まりもちゃんは無いんじゃない? それに鑑も社も……私はもう軍人じゃないのよ?」
そう言うまりもの服装は淡い黄色のタートルネックニットとダークブラウンのスカート姿。
彼女はBETA大戦の終戦宣言がされてから直ぐに軍を辞めて、長年夢だった教職に就き、平和的な相互融和を教え子達に説いているのだ。
まりもと顔を合わせるのも約1年ぶりである。
前の世界でまりもが死んでから『まりもちゃん』と呼ぶ事を止めていた武だったが、平和な世界になってからは戻す事にしたのである。
「とか何とか言って嬉しいクセに。学校でも生徒から『まりもちゃん』って呼ばれてるみたいじゃない?」
「ちょ、夕呼ッ! あの子達は良いのよ。まだ小学生ですもの」
「ん~~? あの狂犬のあだなを持つ嘗ての神宮司軍曹とは思えない言葉ねぇ。それに小学生なら尚更呼び方とかしつけなくちゃ駄目よ?」
「うッ! ゆ、夕呼に正論を言われた……」
落ち込むまりもを見て武は元気にやっているようだと安心する。
どうやら彼女はこの世界では高校ではなく小学校の教師をしているらしい。
確かにまりものイメージに合っている気がすると武は思う。
ちなみに余談だが、つい数ヶ月前にまりもはストーカーの被害にあっていたのだが、そこは『狂犬』の名を持つ元軍人。
襲われそうになったところ逆に返り討ちにしたと言う逸話がある。
その男も直接手を出したため敢え無くブタ箱入りとなった。
付け加えておくとその情報は夕呼の耳にも入っているので、その男が日の目を見る事はないだろう。
一方まりもとは違い夕呼は未だに国連軍に身を置いている。
もしかしたら彼女も軍を辞めたかったのかもしれないが、夕呼ほどの科学者となれば周りがそれを許さなかったのだ。
ちなみにオルタネイティヴ4の00ユニット自体はいつでも作れる段階まで来ており、その完成資料は国連上層部に提出されている。
もっともBETAがいなくなったこの世界では00ユニットは軍事目的ではなく、医学に応用されるらしい。
この世界の00ユニットは前の世界の純夏のようにリーディング能力やら、世界最高レベルのスーパーコンピューターを搭載するという事はなく、あくまで普通の人間が普通に暮らせるのに支障ないレベルのものが搭載される予定らしい。
00ユニットは昏睡状態の患者への治療等にその技術が期待されているが、今の所はまだ実施するかの目処が立っていない。
00ユニットにするという事は当然その患者を殺す事を意味するのだから反対意見が出るのは当然だ。
まぁそう言った道徳的に反するとかの問題は夕呼が解決する事ではない。
彼女の仕事は00ユニットを完成させる所までで、そこから実際に医療技術として活用していくかどうかは今後じっくりと話し合われていくだろう。
そんな00ユニットを完成させた夕呼だが、今はBETA戦争時のように新兵器を作り出したりもしていない。
米国はBETAを地球から追い出した後に人間同士の世界の覇権を争う戦争が起きると予想していたようだが、いざ平和になってみるとこの予想は大きく外れる事となる。
考えてみるといい。
この世界の人類はもう何十年と……それこそ人類の損亡をかけた戦争を行ってきたのだ。
祖国を追われ、地球の総人口はかつての5分の1にまで減少し、人類はすっかり戦いに疲れていた。
そんな人類が突然転がり込んできた平和な世界でまずやることと言ったらユーラシア大陸を含む祖国の復興である。
荒れた祖国に皆帰り、BETAに根絶やしにされた自然、自分達の住む国を元に戻そうと必死になっている。
戦争時では国の財政をどうしても軍事強化に力を注がなくてはならなく、国民は飢えに苦しんでいたが、この食料問題は皮肉にもBETAにより進んだ合成食技術がこの世界ではあったため、財政の比率を軍事強化から食料問題に向ける事によりかなり改善方向に向かっている。
もちろんそれだけで争いが完全に無くなったと言うわけではない。
小さな民族紛争等は今でも世界各地で起きている。
だがそれでも皆前向きに平和な世界を作ろうと努力している。
これは桜花作戦前に白面の言った『2体で1体で最強』の言葉の影響も大きい。
……さてこんな状況で米国が後ろから『G弾』や『核兵器』を後ろから打ち込んだらどうなるか?
なるほど確かに世界を自分達の手に収めることは出来るかも知れないが、そんな事をしたら他国から空気読めとばかりに米国は本当に世界を敵にまわすことになる。
米国の上層部もそれくらいの事が読めないほど馬鹿ではない。
下手な武力行使は今はするべきではないと判断を下したのであった。
最もだからと言ってそれで諦める米国ではなく、被災地へ兵士を派遣したり資金援助等をする事で恩を売り、自分達の権力増加を狙っていく方針に切り替えたりする所が中々抜け目が無い。
さて、00ユニットも完成させ新兵器を作る事も無くなって暇になった夕呼は、最近何か新しい娯楽を見つけようとゲーム開発に身を乗り出したらしい。
軍人の仕事しろよと言う声もあったがそこは『極東の女狐』。あれやこれや上手く言いくるめて強引に話しを推し進めた。
ちなみに彼女の特殊任務部隊のA-01の内何名かも、自分達の仕事以外の空いた時間は夕呼の手伝いを自ら率先して手伝っている。
戦争が仕事の彼らからすればこういった仕事は非常に楽しいらしい。
武もその1人だ。
元の世界の知識からアイディアを引っ張って何か面白い物を作ろうと考えている。
武としては『バルジャーノン』を作って欲しい所だが、ゲームの内容を知っているからと言ってゲームが作れるかと言うと全く別の問題であり、実際バルジャーノンが開発されるのはもう少し先の話になるであろう。
夕呼がつい最近作った第1作目は『暁遙かなり』という戦略シミュレーションゲームである。
衛士となってBETAを撃破せよと言うこのゲームは、かつてのBETA大戦を経験した大人から桜花作戦に参加できなかった若手まで幅広い年齢層に支持された。
絶望的なまでの辛口な難易度が逆に良いとされている。
このゲームのプレイモードは2つ。ストーリーを進める『キャンペーンモード』と、マップと出撃数等を自由に選択できる『フリープレイモード』だ。
実はこのゲームはお楽しみ要素も盛り込まれており、『キャンペーンモード』をクリアすると『フリープレイモード』に裏面が追加される。
裏面ではプレイヤーは今まで自分達を苦しめきた『BETA』を操作することが出来るのだ。
だが敵キャラが『白面軍勢』に変わっている。
『君はあ号標的となりBETAを指示し白面の猛攻を防ぐ事ができるのか?』というストーリーらしい。
マップ1では質も量も上の『婢妖』、『疫鬼』、『血袴』の婢妖軍団。
マップ2ではさらに『黒炎』が追加されレーザー照射してくる。
マップ3では『くらぎ』と『斗和子』が追加されこちらのレーザー照射がはね返されるようになる上、向こうの黒炎は反射を利用して山や建物を無視してレーザーをガンガン撃って来る。
マップ4ではフィールド上を『シュムナ』が覆いつくし、ユニットの数がマイターン減っていくようになる。
マップ5では『結界』が張られユニットの8割は行動不能になる。
マップ6では白面が登場、1ターン目が終了した瞬間に全滅させられる。
あまりにもパワーバランスが崩壊しているため準備画面で『新種のBETA開発』というコマンドがあるのだが、これを選択すると何故かバグが発生してゲームオーバーになるらしい。
普通ならクソゲーと呼ばれるこの裏面は何故かこの世界の人類から凄まじいまでの支持を受けており、今では在庫待ちの状態が続いているくらいだ。
このまま勢いに乗り、上手く軍を抜けてゲーム会社を設立しようと夕呼は最近本気で考えている。
武もこのまま軍に身を置くか、あわよくば夕呼にくっついてゲーム会社に就職するか悩んでいる。
実際まりも以外にも武の知り合いで軍を辞めた人間も何人かいた。
例えば宗像美冴と風間祷子がそうだ。
宗像は故郷に帰り今年の秋、嵐山の燃えるような紅葉を恋人と眺め、出兵を見送った日と同じ日に式を挙げることが決定している。
風間は音楽家としての道を進む事にし、上司であったみちるの両親の元で音楽の素晴らしさを世間に広げていこうと努力している。
武自身、国連軍の1人として祖国の繁栄に力を注ぐのもいいが、普通の一般人に戻りたいと言う気持ちも無いと言えば嘘になる。
この平和な世界では必ずしも自分が軍人である必要はもうないのだから……。
◆
「ダァーーーー!! 間に合ったぁああ!!」
滑り込みセーフとばかりに武達は集合場所であった横浜基地のグランドに駆け足で到着する。
普段鍛えているとはいえ額に汗をかき、肩で息をする。
「も~~タケルちゃん置いていかないでよぉ~~」
「…………」
後ろから純夏と霞がやや遅れて到着する。
純夏は自分を置いていった武に唇を尖らせ、霞は疲れてしゃべることも出来ない状態のようだ。
「鑑、白銀、社……おはよう」
「……委員……長……」
腕を組みながら遅れてきた武達に挨拶するのは榊千鶴である。
彼女のまるぶちメガネがキラリと反射し表情は見えないが、武達が集合時間ギリギリに来たのが不満なのがその声でありありと判断できる。
「まったく、あなた達は毎日毎日遅刻ギリギリで、おまけに着いた途端騒がしくて……はぁ……」
「委員長。溜息ばかりついてると老けるぞ?
」
「――なっ……なんですってぇ!?」
「――ヤベ! ロッカーに忘れ物がッ!」
これ見よがしな嘘をついて武は逃げようとする。
「待ちなさ――きゃっっ!!」
「――おわっ!」
逃げようとした武をそうはさせじと千鶴が袖を掴んだが互いが変にバランスを崩し、2人で倒れこむ。
「あたたたた……」
「うう……ったぁい……」
「「――ッ!?」」
武と千鶴は互いの顔が近づいている事に仰天する。
倒れた拍子に体が重なり合うと言う、現実では絶対に有り得ないラブコメのお約束をしてしまったのである。
「――ななななななにするのよっっ! 早くどいてっ!」
「――そりゃこっちのセリフだ。乗っかってんのはそっちだろ!!」
「……朝から……なかなか……」
「――え……ッ!?」
「――あッ!?」
倒れた武と千鶴にあまり抑揚のない小馬鹿にしたような声がかかる。
声の主は彩峰慧だ。
顎に手を当て口の端を上げている。
「――こっ、これは単なる事故よッ! そそそれより彩峰っ!!」
「…………」
自分の失態を見られたくない相手に見られたせいか、千鶴はあわてて立ち上がり顔を赤くしながら体に着いた土を払う。
「え~と……あっ――挨拶くらい……しなさいよ!」
「…………」
話題そらしとばかりに食って掛かる千鶴に対して慧は無言で直立不動でジッと千鶴を見続けている。
「――彩峰、聞いてるのっ!?」
「…………」
「タケルちゃん、榊さん大丈夫!? あっ! 彩峰さん、おはよー!」
「……おはよ」
「うぅぅぅ……あなたねぇ……」
千鶴の言葉は無視して純夏の挨拶には反応する慧。
怒りを噛み締めながらそんな慧を千鶴は睨む。
……千鶴と慧。この2人はいまだに仲が悪い。
お互い顔を合わせた時間の8割くらいは喧嘩している気がする。
BETAがいた時なら例えどんな方法を用いようとも仲良く……とは行かないまでも何とかしようとする武だが、今は「仕方がないなぁ」といった具合に放っておいてる。
まぁ喧嘩ができるという事は幸せな事なのだろう。
それだけの余裕があると言うことなのだから。
……と言うのは建前で喧嘩している2人の間を仲裁するのが怖いだけなのであるが。
「こら貴様ら。もう少し軍人としての自覚を持たんか」
「「「――伊隅大尉!!」」」
純夏とはまた違った色の赤毛をした女性、伊隅みちるが馬鹿をやってる部下を見ながら溜息を吐く。
上司が来た途端、武達は姿勢を直して敬礼を取る。
「おはよー千鶴。相変わらず毎朝毎朝よく飽きないわねぇあんた達も」
「あははは! 白銀君の周りはいつも賑やかだね!」
みちるの後ろにいるのは新しくA-01に入隊した涼宮茜と柏木晴子だ。
武達より後に入ってきたこの2人の方が、隊の輪を乱すことが無いというのだから何とも情けない。
「ちょっと最近たるんでるんじゃないの? あんた達?」
「フフ……まぁ今日は終戦記念日の式典だから騒ぎたい気持ちはわかるけどね」
「いやいや涼宮。今日に限らずだろ? 武達は?」
「いよッ! 武。相変わらず飛ばしてるなー」
「速瀬中尉、涼宮中尉、平中尉、鳴海中尉。おはようございます」
黒い軍服に袖を通し、しっかり集合時間前に到着していた水月、遙、慎二、孝之も武達に声を掛ける。
階級名からわかるように彼らは1階級昇進した。
武のグループ同様この4人は一緒に行動をとる事が多い。
孝之と慎二は軍の仕事一筋だが水月は最近水泳を、遙は絵本作家になろうと絵や小説の勉強を始めた。
ちなみに遙の妹である茜も憧れの水月のマネをして水泳を始めたらしい。
そんな仲良し4人組だがその人間関係に最近変化が起きた。
水月と遙が孝之に同時に告白したのだ。
どうやら彼女達は一緒に告白しようと決めていたらしいのだが、それに驚いたのは孝之である。
周りから見れば前から水月と遙が孝之に想いを寄せていたのは一目瞭然だったが彼は全く気付いていなかった。
付け加えて言うなら優柔不断が服を着て歩いているような孝之である。
どちらか片方だけが告白したなら、流れに乗ってそっちの方にオーケーを出していたかも知れないが、同時に告白されてはどっちに返事を言っていいのか悩んでるらしい。
とりあえず返事はもうちょっと待ってくれと言いつつ、かれこれ1ヶ月になる。
孝之に一度自分はどうしたらいいか相談を持ちかけられた事のある武だが、その時は自分の事を棚に上げたアドバイスをして純夏達に袋にされたのは別の話だ。
「たけるさん。おはようございます」
武に声を掛けるのはピンクの髪とそのヘアースタイルが特徴の珠瀬壬姫である。
背の低い彼女はみちる達の影に隠れていて来たのに気付かなかった。
「おぉ。たまか。お前も今着いたのか? 今日は混みまくりだから大変だったろ?」
「あ、ううん私は車でパパと一緒に来たから……」
「パパ? ……あぁ珠瀬事務次官か。そう言えば事務次官ともなればここに来るよな当然」
「……ほう、君が白銀君かね? 娘から聞いてるよ?」
「へ……?」
周りが女性だらけだったが突然聞こえた中年男性の声に武は思わず呆けた声を上げて、そちらを見る。
「「「「「たたた珠瀬事務次官ッ!!」」」」」
国連のトップレベルの人間である珠瀬玄丞斎がいきなり目の前に現れたため、武だけでなく純夏達も声を上げる。
「な、何故こちらに」
「いや何せっかくの式典だからね。娘と一緒に参加しようと思ってね」
「そ、そうですか……」
「今日は気合を入れて髭の手入れに2時間掛けてしまったよ。……どうかね?」
「えっと……よ、良くお似合いかと」
武の知る前の世界では親バカだが非常に凛々しい『たまパパ』だが、平和な時代になったためなのかどうかわからないが髭の形が変わっている。
そう……ちょうど元の世界の時のように髭が両端でクルッと一周して娘の壬姫の髪型と同じ髭の形をしている。
どうやら壬姫の髪型は遺伝だったらしい。
「もう、やだぁパパッたら……」
「うんうん! たまと一緒に式典に参加できるなんてパパは嬉しいぞぉ……」
そんな親子のやりとりを見て武は内心「仕事しろよ。そして持ち場に帰れ! 国連事務次官」と突っ込みを入れる。
どうやら凛々しい親バカからただの親バカになったらしいこの親父は。
1年前までは規律でガチガチな軍の世界であったのだが、最近は武を含め肩の力を抜く傾向が見られる。
「あ! ではもしかしたら美琴の親父さんもこちらに来てらっしゃるのですか? 事務次官」
壬姫の父親がここにいるなら美琴のあの掴み所のない父親も来ているのではないかと予想した。
「ん? あぁ鎧衣左近か? 彼は確か今南太平洋辺りにいるという話だったかな」
「……と言う事は美琴も今頃南太平洋ですか。……さよなら美琴」
青い空に向かいながら武はここにいない鎧衣美琴に対して敬礼を取る。
「ちょちょ、ちょっと! ボクはここにいるよタケル!!」
「あっ! いた……」
珠瀬事務次官の後ろから美琴が顔を出す。
「何だ美琴。お前てっきりいつもの様に親父さんに拉致られたんじゃなかったのか?」
「いやぁ~何とか父さんの一瞬の隙を突いて逃げ出してきたよ~。起きたらマグロ漁船みたいのに簀巻き状態で乗せられててちょっと苦労したけどね~」
笑顔で非現実的な事を言う彼女だがこれが全て事実だったりする。
「はっはっは。車で来る途中にいきなり大きな藁束が飛び出して来た上。中から人が出て来た時は驚いたよ」
どうやら美琴が行き倒れになりかかっていた所を、たまパパが保護したらしい。
BETAがいなくなってから美琴の父親である鎧衣左近は、娘の美琴と一緒に世界各地を命がけで飛び回る事が多くなった。
もちろん美琴本人の意思は一切考慮されていない。
彼女の安息の日はある意味BETAがいた時の方がマシだったと言える。
「………………」
騒がしくも平和な雰囲気の横浜基地の様子を無言で微笑みながら、霞はじっと見る。
その視線に気付いたのか、武は霞の元に足を向ける。
「大丈夫か? 霞?」
「……はい大丈夫です。メソメソしてたら陽狐さんが帰ってきた時に笑われてしまいますから」
「そっか……。早く帰ってくるといいな陽狐さん」
そう言って武は霞の頭を撫でる。
銀色の彼女の髪がサラサラと揺れる。
そう……今この世界に白面はいない。
あれは4ヶ月前の事。
火星を攻略した国連航空宇宙総軍が地球に帰ってきた時の話である。
この世界の救い手である白面を盛大に迎えようとした人類だったが、帰ってきた宇宙船の中には白面の姿はなかった。
一緒に帰還した将兵達は、確かに火星から戻る際には宇宙船に乗り込んでいた白面を見たのだが気がついたらいなくなっていたと言う。
これには様々な憶測が出された。
曰く、白面は元の御伽の世界に帰って行ったのではないか?
曰く、白面はBETAが存在する他の惑星に飛び立ったのではないか? など様々な憶測が為された。
心配なのは霞である。
白面と霞は特に1番仲が良かった。
白面がいなくなってしまった事は武にとっても辛い事だが、白面を母親のように慕っていた霞にとってはもっと辛いだろう。
今、霞は純夏と一緒に暮らしており白面の帰りを待っている。
健気に笑いながら白面の帰りを待つ霞を見る武としては、早く白面に帰ってきて欲しい所だ。
様々な憶測がある中、武は白面がいなくなった理由をこう予想……いや確信している。
白面は自分と人類との関係を守るためにいったん姿を消すことにしたのだ。
実際、終戦宣言がされた後から人類の間で白面に対する様々な動きがあった。
例えばどこの国が白面を所持するのかや、どう白面と友好関係を築いていくのか?
もしくは白面と自分達が敵対関係になるのではないか? などと言った様々な問題が提起され、各国の間で色々とやり取りがあったらしい。
だが白面が突然いなくなった事で人類が白面を所持するのかと言う話し合いが、いかに無意味で愚かしい事か気付かされ、また敵対関係になる事に恐れていた人類もこの時間が空いた事によりすっかりその懸念が消えてしまった。
一旦時間を空けるという事で白面は自分に対する人類の認識を確立させたのである。
それでも一部の人間が対白面用の武器を開発しようとする組織がひっそりと作られていたが、次々とその研究に携わる上官が謎の死を遂げたので結局その組織は解体されることとなった。
ちなみにこの怪奇現象を白面がいた世界ではTATARI(タタリ)と言われ恐れられたが、この世界ではTENBATU(テンバツ)と名付けられ、むしろ白面を殺害しようなどと言う不届きな行動を取った組織は世界中からバッシングを受けたと言う。
今では自分達を救ってくれた白面に対し、白面を祭る宗教が世界各国で作られているくらいだ。
その宗教の教えでは白面は人間の悪い『気』を食べて浄化させる存在となっているらしい。
白面が他者の恐怖を食べるにしろTATARI(タタリ)にしろ、やっている事は同じなのだが物は言い様である。
「……陽狐さん。ありがとうございました。これから先の未来はオレ達が作っていきます」
武は雲のない青空に向かって白面に1回敬礼を取る。
終戦記念日の式典がまもなく開始される騒がしい横浜基地で武は新たに決意を固める。
そう……BETAがいなくなったこの世界で人類にはまだまだやらねばならないことが沢山あるのだ。
今のところ人類同士の大きな戦争は起きていないものの、これから先はどうなるかわからない。
もしかしたら第3次世界大戦のようなものが数年後に起きるかも知れない。
日本帝国でも前の世界で起きた12・5クーデター事件のような物が起きる可能性だってある。
また各地域による食糧難、宗教的対立、価値観の相違からの争いはこれからもずっと世界各地で行われるだろう。
……だがそれは白面には関係なく、人類が、人類達だけで解決しなくてはならない問題だ。
2001年10月22日。
それは元の世界で冥夜が突然自分の家に押し入って来た日。
そしてBETAがいる世界に自分がやって来た日。
他の並行世界と同じ特別な意味を持つこの日から武は、いや人類は新たな1歩を踏み出すのであった……。
~エピローグ~
柊駅沿いにある商店街……と言ってもまだまだ閑散としており、むき出しの地面の両側に簡易な路上店が立ち並ぶ。
隣りの店同士の間隔は広々としており、まだまだこれから発展の余地がある。
だが今日に限っては空いたスペースに終戦記念日に訪れる客を目当てとした屋台が所狭しと建てられていた。
活気ある祭りの雰囲気はついつい財布の紐を緩めたくなるものだ。
そんな商店街にある踏み切りの手前を曲がった角地に1つの食堂がある。
名前を『京塚食堂』という。
ここの経営を切り盛りしているおかみは本来横浜基地のPXを預かる予定だったが、彼女は自分の店を持ち毎日この地域の人々の胃袋を満足させている。
屋台に集客が取られることも無く、今日もこの店は食事をとる人で賑わっていた。
「九尾の狐定食1つ。うどんで」
「あいよッ!」
騒がしい店の周辺に負けじとこの店の肝っ玉母さんこと京塚志津江が怒鳴り返す。
白い割烹着と髪の毛を団子でまとめたその姿はいかにも食堂のおばちゃんである。
「はい九尾の狐定食お待ち! おや? お嬢ちゃんまた九尾の狐定食かい? たまには違う物も食べな」
「うむ……。わかっておるのだが好物でな。中々止められぬ。それより良く我の顔を覚えたな?」
「はははッ! そりゃあんた、1週間毎日毎日九尾の狐定食を頼んでくる女の子がいれば嫌でも覚えるさね」
「ム……気をつけよう」
志津江に笑われ、その女の子は端整な顔を少しバツが悪そうに歪め、自分が頼んだ九尾の狐定食を受け取る。
年齢は12,3歳くらいといった所か?
銀色の髪と瞳が良く目立つ。
外見の割にはなにやら偉そうな口調である。
「まぁ最近じゃ白面の御方様の影響で油揚げ料理が盛んだからねぇ。お嬢ちゃんの髪の色も御方様の影響かい?」
「ハハハ、まぁそのような物だ」
そう言って笑いながら女の子は自分の銀色の髪の毛をいじる。
白面の影響で、白面が好物だった油揚げは世界各地で大きな経済効果を上げていたりする。
また若い女性の間では髪の毛を白面と同じ銀色に染める事が流行っているのだ。
「あたしも後30年若けりゃ髪の毛の1つや2つ染めたんだけどねぇ」
「ん? そうか? そなたはまだずっと若く見えるがな?」
「ありがとうよ。お世辞でも嬉しいね。ところでお嬢ちゃんはこっちに知り合いでもいるのかい? ここじゃずっと見ない顔だったけど」
「あぁ終戦記念日に知り合いがおるからな。少々田舎から抜けてきた」
志津江は少女の言葉に大きな体を揺らして嬉しそうに笑う。
「そうかいそうかい。じゃあ早くそれを食べて会場に行かなくちゃね。知り合いもそこにいるんだろ?」
「うむ。それとすまぬが稲荷寿司を包んでくれぬか? 土産にしたい」
「はいよ。知り合いって言うのはお嬢ちゃんの親戚か何かかい?」
志津江の言葉に女の子はちょっと寂しそうな顔をする。
「うむ……BETA大戦が終結したものの故あって今まで会えなくてな。特に霞には寂しい思いをさせてしまった……」
「そうかい……。でも今日ようやく会えるんだろ? 良かったじゃないのさ」
志津江は何か事情があるのだろうと思ったが深く追求しないで相槌を打つ。
「フフッ……だが我の行く事はちと伏せておるからな。あやつらの驚いた顔を拝めるのも楽しみよ。いっその事、式典に乱入して見せればより効果的かの?」
少女はくつくつと笑うが志津江の方はちょっと関心しないとばかりに今度は顔をしかめる。
「……ちょいとお嬢ちゃん。それは止めておきな。終戦記念の式典は神聖な物なんだからね。怒られるよ」
「ん? そうか? 我が顔を出せば喜ばれはすれども怒られる事はないように思えるがの」
「……ひょっとしてお嬢ちゃんは帝国のお偉い方の娘さんかい? 名前はなんて言うんだい?」
自信たっぷりの態度に、志津江はひょっとしたら彼女は身分の高い人間なのではないかと思った。
そう考えると先程からのこの偉そうな口調や訳あって知り合いと会えなかったというのも納得がいく。
「我か? 我の名は……」
女の子が自分の名前を口に出そうとした所で一際大きな大歓声が辺りを包む。
空を見ると9機の戦闘機が大空を駆け巡るのが見えた。
……さぁ終戦記念日の開幕だ。
BETAはもうこの世界には存在しない。
人類が自由を得た事を証明するように9機の戦闘機が自由に大空を飛び回り、また人類を救った白面の姿を象徴するかのように、航空ショーによる白い9本のスモークがその青空一杯に描かれていた……。