第壱話 狂った世界への来訪者
2002年1月2日、桜並木の坂で英雄である白銀武は消えようとしていた。
人類の命運をかけた『桜花作戦』は多くの犠牲を払いながらも人類の勝利で終わった。
オリジナルハイヴの撃破により10年以内に滅亡していたとされる人類が30年間は生存できる。
世界中で人類の勝利を祝う歓声が聞こえる気がした。
しかし、今回の立役者である白銀武の心は晴れない。
彼にとって大切な仲間、そして最愛の恋人……。1つの勝利を得るために失うものがあまりにも多すぎた。
いや、今回の桜花作戦だけでなく3ヶ月にも満たない間に彼は知人の多くの死を目の当たりにしてしまった。
……もっともこれは武だけに言える事ではないが。
「……あんたは、あんた達は間違いなく『この世界』を救ったのよ」
師である夕呼の言葉を聞き武は少し微笑む。
彼女の言う事は間違いではない。
……だが、どうしても諦められない。諦めきれない。
死んだ戦友達に対して泣き叫ぶのは冒涜だ。笑って自慢するのが最高の供養になる。
この世界でそう学んだもののポッカリ空いた心の穴は満たされる事なく、冬の冷たい風が彼の心を吹き抜けていく。
……自分の戦いは終わった。
もし許されるなら彼女達にも生きていてほしいと思う。
だが、自分1人ではどう足掻いたところで彼女ら全員を生かすことなんて出来ないだろう。
だから、これが最高の形のハッピーエンド……。
白銀武は自分にそう言い聞かせる。
光に包まれ消えていく自身の視界から夕呼と霞の姿を見つめながら……。
「……またね」
「……ああ、またな」
小さな目の前の少女、社霞の言葉に武はまた再会の気持ちを込めて別れの言葉を告げる。
(……もし自分以外に誰か強い味方がいたならあいつらは助かったのかな? だとしたら誰でもいい、たとえ神でも悪魔でもなんでもいいから、こことは違う世界であいつらを助けてやってくれ)
結局最後までこんなガキ臭い考えを抱く自分に苦笑しながら白銀武はこの世界から消えた……。
◆
白銀武の世界とまったく異なる並行世界……。
日本の領海上においてBETAとはまた異なった存在と人類の存亡をかけた決戦が行われいた。
日本に住む人間だけでなく、人であらざる妖、過去に命を散らしていった冥界からの魂達、それら全てが一致団結をし決戦にのぞんでいた。
その日本中の存在の思いを背にするのは1人の槍をもった少年『蒼月潮』と金色の獣『とら』――。
それら全てと対峙するは九本の尾を持つ白銀の獣――
数の比率だけで言うと1対1000万以上の開きがあるものの、戦況はまったくの五分。
いや、始めの内はその1体の方が、他の1000万の数を圧倒していた。
その存在、世界がまだ形の定まらぬ『気』であった時、下にたまった濁った邪な『気』から生まれたもの、名を『白面の者』。
だがその最強の存在である白面の者も徐々に押され始める。
潮ととらは光り輝く太陽と共に戦う。
闇に生れ落ちた白面から見るとそれは何と美しく見えることか……。何とまぶしく見えることか……。
『おのれ! おのれ――! 殺してやる! 殺してやるぞ――!』
激しい憎悪の言葉を白面は吐く。
それは目の前の槍の少年、金色の獣だけに対するものではなく自分以外すべてのものに向けられていた。
陽の光の下に生を謳歌する他のものに対して、何故自分だけ陰に、闇に生まれたのか?
自分以外全ての存在の日陰を歩む宿命をもった白面は怨み、憎む!
『獣の槍イィーー! シャガクシャアーー!! 死ねえー!!』
憎しみと共に白面は全てを焼き尽くさんと業火を吐き出す。
しかしその業火をもってしても2人を焼き尽くすことは出来なかった。
「バカが、今さらおめえ、わしの盾ンなって……」
白面の業火を背に受ける自身をかばった潮を見てとらは叫ぶ。
獣の槍に魂を喰われ、獣になりかけている潮の体が焼けただれ炭と化していく。
「オレだって…… おまえになるんだ…… こんなの何でもねえ…… なんでもねえよ!」
涙を流しながら潮は叫ぶ!
潮は理解している。
相棒のとらとの別れの時が近づいてきている事を。
他でもない自分の手にしている獣の槍がとらの体に喰い込んでいるのだから!
『――そうだ…… 今までみたいに……』
潮は腕に力を込める。
『そうだ…… 行こうぜ、とら』
獣の槍はとらを貫き……
渾身の一撃が……
白面の頭蓋を……
粉砕した――!!
「ギエエエ~~~~ばかな……。 我は不死のはず、我は無敵のはず。我を憎むお前のある限り……。 シャガクシャアア!!」
「あいにくだったなァ……。 どういうワケだかわしはもう、お前を憎んでねえんだよ。憎しみは、なんにも実らせねえ」
そう言うとらの背には2人の人影が優しく見守っている姿が見える。
かつて彼が人間だった頃、殺伐としていた彼の人生において唯一の太陽だった存在が……。
「かわいそうだぜ、白面!!」
ほどばしる雷撃が白面の体を駆け巡り内側から破壊していく。
『誰か…… 名づけよ、我が名を…… 断末魔の叫びからでも、哀惜の慟哭からでもなく、静かなる言葉で…… 誰か、我が名を呼んでくれ…… 我が名は白面にあらじ…… 我が――呼ばれたき名は……』
頭から全身に亀裂がはしり散り逝くその様は、まるで巨大なシャンデリアが砕け散っていくように美しかった。
「白面は…… 赤ちゃんになりたかったのかな……」
この最終決戦において唯一変化しなかった最後9本目の尾が砕け散る時、赤子が母親に抱かれて眠る幻を見たような気がした潮は呟く。
「わかんねえ……。だが……、いい散り様だったな……。 どうやらわしも、そろそろらしい……」
「オレも…… 獣になっちまうんだ…… お互い……様だよな……」
「くくっ、笑わせんな。獣は涙をながさねえ。おめえなんざ……わしにゃなれねえよ」
「バカヤロウ、とらァ、まだ死ぬんじゃねえ。まだオレを喰ってねえだろうがよぉ」
光に包まれ消えていくとらの姿に潮はポロポロと涙を流す。
彼の脳裏にこの1年、とらとの記憶が蘇る。
別れるとわかっていても思わざるおえない。
まだ離れたくないと……。
泣き叫ぶ潮の姿を見てとらは口の端を上げる。
「もう…… 喰ったさ」
そういうとらは満足気な笑みを浮かべている。
潮と一緒にいた時間でとらは沢山の事を知らず知らずの内に吸収していた。
「ハラァ…… いっぱいだ」
光りの塊が天に昇り―― 消えた。
<白銀 武>
「……ここは?」
気がついたら自分の部屋とは違う天井、というより場所……。
暗くジメジメした洞窟のような場所……。
どこだ? ここは? 何となく見た覚えのある場所だ……。
オレは確かBETAのいる世界で自分の役目を終えて元の世界にもどって来たはず……。
って待て!! なんでオレはそんな事を知っているんだ?
確か夕呼先生の話ではオレが元の世界に戻った時にはBETAがいた世界での記憶がなくなっているはず。
BETAがいた世界の記憶があるのはおかしい。
「タケルちゃん!!」
突然かけられる声、しかしオレはその声の人物を知っている。
オレを『タケルちゃん』と呼ぶ人物は1人しかいない。
「……純…………夏……?」
「大丈夫タケルちゃん? 急に頭を抑えて倒れたからびっくりしちゃったよ」
赤い髪に黄色いリボン……。
目の前にいるのは間違いない! あの純夏だ!
こぼれ落ちそうになる涙を必死にこらえて、オレは純夏を抱きしめる。
「ちょ、ちょっとタケルちゃん!?」
いきなり抱きつかれて純夏は顔を真っ赤にして狼狽する。
おそらく今回オレはまたループしたのだろう。
状況から言ってそれしかありえない。
夕呼先生は前回のアレで最後だと言っていたが、あくまで仮説に過ぎない。
間違うことだってあるだろう。
BETAのいる世界では純夏だけは救いようがなかった……。
オレがループするころにはすでに脳と脊髄だけの存在になっているのだから。
でも、今回は純夏が目の前にいる。今度こそ助けてみせる……。
……ちょっと待て?
純夏が生きている? おそらくBETAがいるであろうこの世界で?
「あづ!!」
急にくる突き刺さるような頭痛!
これは…… この記憶は……。
この世界のシロガネタケルの記憶?
「純夏! オレは…… オレ達は……」
「う、うん……。 BETAが九州から上陸してこの横浜まで進行してきて……。わたし達BETAに捕まっちゃって……」
……やっぱり!!
やっぱりそうか……この薄暗い空間。
見覚えがあるわけだ。ここは横浜ハイヴ……。
BETAの巣窟じゃないか!
「大丈夫……大丈夫だ! 純夏! オレが絶対お前を守るから…… だから安心しろ」
「うん……」
不安な表情を浮かべる純夏に声をかける。
すると純夏は安心したように笑みを浮かべる。
あぁ、本当に前の世界の00ユニットになってしまった純夏の言った通りだったんだな。
前の純夏は言っていた。
どんなに不安でもタケルちゃんがそばにいてくれたから安心していられたと……。
……だがどうする?
はっきり言って状況は最悪だ。
冷静に周りを見回してみるとオレ達以外にも100人ぐらいの人達が捕まっている。
純夏は最後にBETAに連れてかれるという話だったからまだ時間はあるはず。
だが……それでも無理だ。
――素手でBETAに挑んでみる?
――純夏と一緒に逃げ出してみる?
――誰かが助けてくれるまで待ち続ける?
無理だ! 無理だ! 全部ダメだ!!
クソっ! いったいどうすりゃいんだよ!
確かに前回消える直前にみんなが助かってほしい世界があってほしいと望んださ!
でもだからって今回のループは酷すぎる。
ループした先が死ぬ一歩手前っていったいどんな状況だよ!?
ふざけやがって! 神様! オレがみんなに助かってほしいと望んだのがそんなにいけないことなんですか?
みんな助かってほしいというのは彼女らの死への冒涜だから、これがその罰ってわけですか?
考えれば考えるほど絶望的な状況に腹が立ってくる。
「タケルちゃん……」
純夏がオレを泣きそうな顔で見上げる。
大丈夫……絶対なんとかするから。
だが…… クソ! 考えがまとまらない!
このまま純夏が解体されるまで待つしかないのか?
そんなことはない! 何か…… 何か方法があるはずだ……!
「……この…………げん……」
くっ! さっきから色々と考えてみるもののそのどれもが不可能な事ばかりだ。
「……おい! そこの人間!!」
もっと冷静になれ。
自分にはループによる本来知りえない情報を持っている。
それを利用すれば……。
「おい!! さっきから呼んでいる!!」
耳元で聞こえる声はオレを呼んでいるものだと理解し、オレは顔を上げる。
「まったく…… この我を無視するとはな」
霞? いや違う目の前にいるのは見知らぬ綺麗な女性だった。
霞と同じ銀色の髪に銀色の瞳に黒い洋服……。
全体の色合いから一瞬あの霞を想像してしまったがまったく違った。
霞の銀色の瞳は純粋無垢、真っ白な雪のような印象を思わせる。
だが目の前の女性はそれとはまったく違う。
彼女の銀色の瞳、あれは冷たい死を連想させる極寒の闇のような印象を与える。
「う、うあ……」
何なんだ? この人は?
正直怖い。
今までBETAとの戦いを潜り抜けた自分の勘が教えてくれるのか、目の前の女性は人間とは思えない別の何かを思わせる。
「フム」
女性はオレに顔を近づけ何かを確認するように見つめてくる。
ニヤッと浮かべる笑みは女狐と呼ばれる夕呼先生と同種のもの……いや女狐そのものだ。
「なるほど……。貴様が我をここに呼び寄せた人間か」
「ちょ、ちょっと! タケルちゃんに一体なんの用なの?」
「……いや何、我を呼んだ人間の存在を確認しただけだ。 貴様が我を呼んだ人間であろう? みんなを助けてほしいと」
「あ、あんたは一体……」
オレが呼んだ? そういえば前回消える時に誰でもいいからみんなを助けてほしいと願ったが……。
「我か? 我は…… 『白面の者』」
――白銀と白銀の獣が今ここに邂逅を果たした……。
――歴史の歯車が大きく狂い始める……。