2001年10月28日――――
地下シミュレーターデッキ―――
「そうです、そこで武装を切り替えて牽制、相手が硬直した瞬間キャンセルを使って行動を切り替えて追撃!」
「は、はい、こうですね!」
共通の映像を見ながら、仮想の空間内で動き回る相手の機体を追い詰めて撃破するのは、殿下の操る機体。
殿下がXM3慣熟訓練という名目で横浜基地に滞在して早くも一週間が経過しようとしていた。
その間、殿下は帝都と重要な案件をやり取りしつつみっちりと武によるXM3教導を受け、その腕前をメキメキと上げていた。
「う~ん、流石殿下、覚えが早いですね」
「感謝します武殿。しかし真那さんには未だ一本を取れません」
感心したように頷いて後部の座席から声を掛ける武に、微笑みながらも少し落ち込んでいる様子の殿下。
仕事の都合で帝都に戻った(殿下が処理した重要書類を持って行った)真耶の代わりに、護衛についている真那。
彼女に一対一の勝負を挑むも、殿下は現在全敗中なのだ。
「月詠さんは帝国屈指の実力者の一人ですからね、って言うかタイマンなら最強クラスなんじゃ…」
「たいまん…?」
「一対一って意味ですよ、月詠大尉はどっちかって言うと指揮能力が抜き出てるし、紅蓮大将はもう別次元だし、そうですね、やっぱり月詠さんが殿下の目標に一番良いですね」
殿下の疑問に答えつつ、一人納得する武。
衛士としての実力において、武御雷を駆る人間で最も優れているのは武の知る限りでは月詠 真那だと思っている。
真耶も同様に高い実力を持っているが、彼女はどちからと言うと冷静な判断力と直感を武器にした指揮能力の方が光っている。
同じ武御雷を駆る事になる殿下の目標としては、真那が一番理想だと考える武。
「まぁ、やはり武殿のお気に入りは真那さんなのですね…」
「い、いや、そういう意味じゃなくて!?」
ジトリ…と、どこか嫉妬混じりの視線を向けてくる殿下に、違う違うと首を振る武ちゃん。
「確かに真那さんは美人で素晴らしい肢体を持つ人、わたくしも同じ女として憧れもしました。武殿がそんな真那さんに興奮を覚えるのも仕方の無い事でしょう…」
「なんでそうなる!? そうじゃなくて俺は単純に衛士としての実力がだな!」
殿下のいじけた言葉に言い訳を並べる武ちゃん。
「…………こ、声が掛けられん…」
そんな二人が入っている複座の筐体の前で、通信機から会話が丸聞こえな真那さんが、頬を赤く染めながら立ち尽くしているのだった。
同時刻・開発区画総合格納庫――――
「失礼する。クロガネ少佐、少し時間を貰えるか?」
開いている扉をノックしつつ声を掛けてきたのは、ラトロワ少佐だった。
何時に無く真面目な雰囲気の彼女に、相変わらず唯依とエリスに挟まれていた大和は表情と姿勢を正して向き合う。
「何か、重要な話ですか?」
「あぁ…。出来れば二人で話したい」
チラリと唯依とエリスに視線を向けてから大和に視線を戻すラトロワ。
それだけで、帝国側の唯依と米軍側のエリスに聞かれたくない内容だと、誰もが判断できた。
「了解しました、後で時間を作りますので連絡を待って下さい」
「面倒を掛けるな、よろしく頼む」
大和に約束を取り付けたラトロワは、そのまま踵を返して部屋を後にした。
「……ソ連からの依頼でしょうか…?」
「それなら堂々と話すさ。とりあえず、こちらの損にはならない話だと良いがな」
唯依の訝しげな言葉に肩を竦めつつ仕事に戻る大和。
書類を整理してラトロワの元へ赴かねばならないのだ。
「……もしかして、私と同じ取引とか?」
「在りえんだろう、彼女はまた別の意味での愛国者だ。守るモノが多く残る国を捨てるなんて考えられん」
唯依が書類を持って行った隙に小声で大和に耳打ちするエリスだが、その言葉にナイナイと軽く手を振る大和。
ラトロワは国を守るだの祖国を取り戻すだのの理由よりも、あの国に残してきた子供達を憂いている。
彼女が戦う理由の大部分も、少年兵達を守りたいという思いが強いと感じている大和。
そんな彼の言葉に、それもそうですねと苦笑するエリス。
「むしろ、あれだけ愛国精神バリバリだった君からあんな取引が出るとは思わなかったがね」
「昔の話ですよ。今はそれよりも守りたいモノが、得たいモノがある。それだけです」
周囲に内緒でエリスと会談した大和は、彼女の口から出た提案を未だに驚いていた。
人は変わるモノとはよく言うが、変わり過ぎだろうと内心冷や汗を流す大和。
「んんっ、お二人で何の内緒話ですか?」
「い、いや、別に…」
「タカムラ中尉が興味を示さないようなお話です」
ワザとらしく咳き込み、内緒話状態だったので嫌に近づいていた二人の背後でジロリと視線を向けてくる唯依姫。
そんな彼女に内心ビクビクな大和だが、エリスはしれっと恍けた上に軽く挑発までかましていた。
ビキリと空気が固まり、周りで作業していた開発者や技術者がそそくさと逃げ出していく。
ギスギスとした空間で仕事できるほど、彼らは強くない。
「(斉藤ですが、室内の空気が最悪です…)」
上等兵なのに雑務全般を任されている斉藤、運悪く部屋に入ってしまい、逃げるに逃げられない。
「あぁ、斉藤上等兵良い所に。すまないが少し手伝ってくれ。無論返答は聞いていない」
「酷っ!?」
グワシッと斉藤の襟首を捕まえて引きづりこむ大和、哀れ斉藤は大和の道連れにされるのだった。
合掌。
21:30――――
「け、結局こんな時間になってしまった…」
よろよろとした足取りで通路を進む大和、結局重い空気の中仕事を続けたのだが効率が物凄く悪くなり、時間が大幅に掛かってしまった。
お陰で外は真っ暗、ラトロワとの約束もこんな時間になってしまった。
とは言えラトロワは大和が忙しい事を理解しているので文句は無かったが。
「夜分に失礼、ラトロワ少佐。黒金です」
『開いている、入ってくれ』
ラトロワに宛がわれた佐官用の部屋に辿り着き、インターホンを鳴らすと彼女からの返事があった。
予定ではソ連軍に貸されている格納庫で話を聞く予定だったが、こんな時間だ、既に夜勤当番に切り替わっていてラトロワも引き上げていた。
その為、態々彼女の自室まで足を運ぶ事に。
「失礼します…っと、またですか…」
「む、何がだ?」
入室許可を得て扉を開けると、そこにはソファに優雅に座り、グラスに注がれた酒を飲むバスローブ姿のラトロワさん。
目に毒(刺激が強過ぎるという意味)な彼女の姿に疲れたように呟く大和。
その言葉にラトロワが首を傾げるが、大和はこっちの話ですと言って平然と彼女の前に座る。
恋愛臆病者として艶女の誘惑を振り切り続けた実力は伊達ではない。
「こんな時間になってしまい申し訳ない」
「いや、こちらが無理に時間を作って貰ったのだ、気にするな」
軽い謝罪を苦笑して受け止め、自然な動作でグラスを用意しようとするラトロワを止める為に口を開く大和。
お酒は勘弁なのだ。
「それで、何やら大事なお話の様子でしたが?」
「せっかちな男だな。まぁいい、先日本国から私に重要な案件が伝えられた」
大和が話を始めたことで立ち上がろうとしてまたソファに座り直すラトロワ。
呆れつつも、真剣な顔になって要件を口にし始める。
「まだ本決定ではないが、現在ソ連陸軍にて国連軍が開発した新概念の機体、支援戦術車両の導入が検討されているらしい」
「……ほぅ、それはまた…」
「既に導入した日本帝国、アフリカ連合、そして同時期に導入を開始した欧州連合と豪州。これらの国の状況や機体の性能から我が軍でも早期導入を望む声が高まり始めたのだ」
ラトロワの説明に、そう言えば豪州にも配備が開始されたか…と思い出す大和。
豪州は国連を通じず、直接日本帝国と交渉し、ライセンス生産機のスレッジハンマーを少数導入配備し、現在試験運用を行っているらしい。
支援戦術車両という新しい概念・運用の機体だけに、操縦者の教育や運用規定も作らなければならない為、切羽詰った日本帝国や欧州連合と違い、豪州やその他の国は評価待ちや試験運用中が多い。
「しかしながら、貴官も知っているだろうが我が国と日本帝国は色々と含む物が多くてな…。過去の確執とは言え中々に厄介なのだ」
「それはまぁ、重々理解しておりますが。と言うことは、日本帝国ではなく横浜基地に製造依頼…と言う話ですかね?」
国同士の確執が在るのは何処も同じ。
日本とアメリカ、ソ連の国内、欧州のゴタゴタ。
数え出せば限が無い。
「そうだ。国連軍である横浜基地ならば承認すると言う人間も多くてな。情けない話だが、融通は可能か?」
「………正直に言ってしまえば、少し遅かったですね。現在我が横浜基地では、スレッジハンマーの生産ラインを別の機体の生産ラインに当ててしまっております。それを戻して造るにしても、時間が掛かりますでしょうし」
「……そうか。だが別に今すぐに数を揃えるという話ではなく、試験運用する為の機体が欲しいのだ。最低でも中隊単位が確保できれば文句など無い筈だ」
現在、スレッジハンマーの生産していたラインは、別の機体の生産ラインへ変更されており、その機体とスレッジハンマーとでは機体コンセプトが異なる為、簡単には戻せない。
スレッジハンマーの製造は既に日本の企業へライセンス契約で渡してある為、アフリカ連合からの追加注文も帝国が対応している。
故に横浜基地単体でスレッジハンマーを生産するには、ラインの切り替えなどで時間がかかる。
新しくラインを確立するなど論外、それだけで数ヶ月を要してしまう。
ラトロワもそれは理解しているが、ソ連陸軍でも早期に機体を調達して試験運用すべきだと盛り立てる一派と、ここは他国の配備状況を見守ろうという考えの一派で対立している。
現在はラトロワが報告で上げた横浜のスレッジハンマーの観察から得られた情報で導入推進派が押せ押せの為、出来れば早くに機体を導入したいのだ。
導入が遅れれば、静観派が色々と理由を作って巻き返しを図る可能性がある。
ラトロワとしては、既に信頼性も得られているスレッジハンマーの導入には賛成の人間だ。
衛士でなくても操縦できる、つまり歩兵や戦車兵達がより安全かつ強力な火力を武器に戦えるようになる。
それは、衛士に成れずに歩兵等になった少年兵が多いソ連では夢のような話だった。
「一個中隊ですか…ラトロワ少佐も無理を仰る」
「無理は重々承知だが頼む。アレが配備されれば、我が軍は安定した支援を受けながら戦える」
「湿地帯及び寒冷地における機体の運用データは揃っていませんが?」
「ならばそれはこちらで行おう。無論データは包み隠さずそちらに渡すと確約もしよう」
キャタピラ、無限軌道による高い走破性は実証されているスレッジハンマーだが、寒冷地や湿地帯、その他劣悪な環境での運用は未だデータ収集中。
現在、アフリカ連合が砂漠での運用を行い、データ収集を行ってくれている。
データをフィードバックする見返りに、改良方法や運用で必要になる各種装備の試験提供などが約束されていたり。
そういったデータも開発や改良などでは大切な資材となるので、寒冷地や湿地帯におけるデータは大和としても欲しいモノだ。
「………分かりました、何とか機体を工面しましょう。その代わり、契約の時は副司令も同伴させて頂きます」
私の一存では決定出来ませんので。と苦笑する大和に対して、少し安堵の表情を浮かべるラトロワ。
これで機体が配備され、試験運用をパスすれば、ソ連陸軍でもスレッジハンマーが大々的に導入される可能性が出てきた。
そうなれば、ラトロワが憂いている少年兵達の生存率がほんの少しだが高くなると思って。
「感謝するぞクロガネ少佐。気が早いかもしれないが、祝杯と行こうじゃないか」
「ぐ…ッ、そこに話が繋がりますか…」
無理な話が通った事で上機嫌なラトロワは、素早く立ち上がる棚からグラスとお酒、見るからに高そうかつ強そうな物を持って来た。
何とかして逃げようと考える大和だが、ラトロワが「忌まわしいBETAに侵略される前の物だ、今では貴重だぞ」とどこか嬉しそうに言うので逃げられない。
「さぁ、弱いとはいえ一杯位は飲めるのだろう?」
ズズィっと差し出されたグラスには並々と注がれた琥珀色のお酒。
その色と沸き立つような芳醇な香りが、「坊主、お前に俺が飲めるかい?」と挑発している様に見えてしまう大和。
ここで逃げたら男が廃るが、廃っても良いから帰って良いですかが本音な大和。
ノーアルコール、ノーモア二日酔いの精神だ。
「どうした、まさか私の秘蔵の酒が飲めないと…?」
美人の座った瞳は背筋がゾクゾクするほどに怖い事は唯依やエリスで嫌と言うほど経験している。
故に大和が出来る事は。
「い、頂きます…」
内心シクシク泣きながらグラスを受け取り、乾杯する事だけだった。
「ふふ、良い味だ…」
「む…これは、また、コクのある深い味わいで…」
堪能するラトロワと、それっぽい事言ってはいるが、強烈なアルコールの抉りこむようなパンチに、KO寸前の大和。
「時にクロガネ少佐、貴官、何やら女の問題で悩んでいるようだな?」
「ブッ!? げほっ、ぅぇごっ!? は、鼻が、鼻から火がッ!?」
ラトロワの唐突な言葉に、強いお酒を噴出した上に鼻に回ってしまい、鼻から火を噴くような強烈なダメージにソファの上でのた打ち回る大和。
その様子を何故か満足そうに見て、何故か大和の隣へ移動するラトロワ。
「な、何を急に…?」
「何、貴官は戦いや機械には強いようだが……女には情けない程に弱い様子なのでな…」
バスローブ姿で迫る大人な女性、これが普通の男なら即某三代目怪盗のようにダイブするだろう。
だが恋愛弱虫、ここ最近ずっと童貞、キスはするのとされるの1:3で負け越し。
最近ではアレだけの綺麗所に囲まれているのに手を出さないから、同性愛者・不能などの失礼な噂まで蔓延。
麻倉に「EDは病気じゃないそうです…」と謎のパンフレットを渡されるわ、真耶に「確かに衆道は嘗ての武士の高等な趣向だったが、考え直せ。今それは流行らんぞ」と説教され。
終いには誰に吹き込まれたのかイーニァに「ヤマト、カワあまりでハヤイの?」と無垢な瞳で精神的に抉るような攻撃を受けたり。
余ってないです、速くないですとブツブツ呟きながら、半日落ち込んだのは大和と斉藤だけの秘密。
なんだか話が逸れてきたが、据え膳喰わぬとも人間戦える、そんな意味不明な決意で視線を逸らす大和。
「経験が無いのなら、一つ“実機訓練”でもしてみるか?」
そんなからかうような言葉と、チラリとバスローブを捲る仕草、よっぽど一途な人間でなければ老若既婚構わずむしゃぶりつきたくなるような光景。
だが、大和は一味違った。
「――――ッ、ぷは、うぅ……し、仕事がありますので、失礼します…ッ」
なんと、弱いのにグラスの酒を一気に呷り、飲み干し、立ち上がるがフラフラしつつ、ラトロワに敬礼を残して部屋から出て行ってしまった。
残されたラトロワは、暫しポカンとしていたが、額に皺を寄せて腕を組んだ。
「はて…何がいけなかったのだろうか…」
悩みながらソファの下から取り出したのは、ロシア語で書かれたファイル。
そのタイトルを日本語に訳した場合、こうなる。
『奥手な坊やもこれでイチコロ☆大人な貴女のうっふんテクニック!』
非常にアレなタイトルだが、本当にこう訳せちゃうから困る。
因みに著者は連名となっており、その二人はジャール03とジャール04だったりする。
ラトロワが大和を接触を図っている事を聞きつけた二人が、何を勘違いしたのかラトロワが大和を手篭めにする為に悩んでいると思い、二人で三日寝ないで昼寝して書き上げた物を提出してきたのだ。
何を馬鹿な…と呆れたラトロワだったが、彼女の上は大和を篭絡する事を期待しているし、大和を内に引き入れればソ連にどれだけの利益が生まれるか分からない人間でもない。
駄目元でやってみるかと、実戦してみたのが本日の誘惑。
「ふん、ハリボテの誘惑には惑わされないか…ニッポンダンジと言うのは堅物なのかムッツリなのか…」
ファイルをソファの上に放り投げ、グラスに残った酒を呷るラトロワ。
「だが、痩せ我慢でもがっつかない所は見上げた行動だな」
そう言って、クスリと笑いながら、大和の飲み干したグラスに軽くグラスを当てて、乾杯の音を鳴らすのだった。
「きゃ…っ!?」
「うぉ、す、すまない、急いでいたのでな…」
ラトロワの部屋から出た大和は、宿舎の階段への曲がり角で小柄な少女とぶつかってしまった。
「く、クロガネ少佐…? 何故ソ連の宿舎に…」
「あ、あぁ、いや、ラトロワ少佐に呼ばれてな…」
ぶつかった少女、ターシャは大和が自分達の宿舎に居る事に警戒の視線を向け、大和は回ってきた酒の為に言葉が浮いている。
「少佐に…? 何の話だったのですか?」
「それは、その、なんだ、少し込み入った話をな…」
母と慕うラトロワと二人で話していたと聞いて視線が鋭くなるターシャとは対照的に、酒の魔力で思考が鈍ってきた大和。
「込み入った…どのようなお話ですか? それとも私のような若造には話せませんか?」
「年齢は関係ないだろうに…詳しい話は直接そちらの上司に聞いてくれないか…」
嫌に攻撃的なターシャに内心困惑しつつ、早く冷たい水か、もしくは冷たいシャワーを浴びたい大和は、詰め寄ってくるターシャを押し留めつつ階段を降りて行ってしまう。
「っ…少佐と…二人で…そんな…っ」
酒の匂いのした大和、彼の衣服は微妙に着崩れていた。
同僚の二人がラトロワが大和を狙っているという噂話も聞いた上に、ターシャ自身が薄々ソ連の上層部が自分達に何を期待しているのか気付いてきていた。
ラトロワがそれを自分達に告げないのは、自分がその役目を負って、幼いターシャ達を守る為。
「ヤマト・クロガネ……許せない…っ」
母を取られるかもしれない危機感、その母が気にする大和への嫉妬。
上層部の思惑とは言え、それに乗じて母を汚した(ターシャ主観)大和への嫌悪感。
様々な勘違いや思惑が重なり、ターシャは初めて大和に明確な殺意を抱いた。
その感情の根底は、母親を弟や妹に取られた兄や姉の嫉妬心と何ら変わらない物だった…。
「あ、お疲れ様です少佐!」
「お、大和良い所に。実は今度の演習の予定なんだけどさ…って、どうした大和?」
執務室へと続く通路の途中にある休憩所、そこでファイル片手に会話していた武と斉藤が、やってきた大和に気付いて声を掛けてくる。
明日行われる予定について話そうとした武だったが、大和の反応が無いので首を傾げて顔を近づける。
「……………うぼぁッ!」
「ぎゃーーーーーーーっ!? MO☆N☆JYAリバースっ!?!」
「えれえれえれ……」
「ほぎゃーーーーっ、いや、来ないで、ナイアガラーーーっ!?!」
目の前で突然リバースされて飛び退いて驚く武ちゃんと、えれえれとリバースしながら近づいてくる大和に涙目で逃げる斉藤。
阿鼻叫喚の地獄絵図を作り出した大和は、酔いが回ったのかそのまま倒れた。
「おいっ、どうしたんだよ大和!? って、酒臭っ!」
「衛生兵ーーーっ、僕らの頼れる衛生兵ーーーっ!!」
大和が吐き出した液体の強烈なアルコール臭に原因を悟る武と、どこからか掃除道具を持ち出しながら叫ぶ斉藤。
騒ぎを聞いて駆けつけたマナマナこと穂村衛生兵の話では、強いお酒を慣れていないのに一気飲みした上に、走った事が原因との事。
彼女の笑顔のお説教と、騒ぎを聞いて駆けつけた唯依姫に、大和が青い顔で延々二時間、お酒の危険性や大和の身体が大事か小言を言われるのだった。
10月29日――――
地下シミュレーターデッキ――――
「はひぃ、凄い機動性だねぇ一美ちゃん…」
「同意、直線の速度でも回避機動でも群を抜いて高い」
筐体からへろへろになって出てきた築地と麻倉、二人とも疲労感を感じさせるものの、その表情には笑顔が張り付いている。
「あそこで行動キャンセルして、それから…」
「響と違い過ぎて慣れないね~」
ブツブツと自分の操縦を練り直す美琴と、苦笑いを浮かべつつててて…と駆け寄ってくるタマ。
この四人、先日大和から直々にF-22Aのアップグレードモデル、F-22Awの搭乗者として選ばれた面子。
機体に先駆けてシミュレーションデータが完成したらしく、朝からシミュレーションで機体に慣れる為に訓練の真っ最中。
「冥夜さんと慧さん、まだやってるね」
「凄い集中力だよね~、ボク達は3時間で限界だもん」
タマと美琴が今だ筐体に篭って訓練を続けている二人に対して苦笑しているが、ぶっ続けで3時間も訓練できるだけで普通に異常である。
が、武という化物レベルを基準に考えてしまっている彼女達は、他の部隊の人間から異常と思われている事に気付いていない。
「茜ちゃん達は?」
「築地さん聞いてなかったんですか? 4人は機体が準備できたから実機訓練に移ってますよ」
キョロキョロと茜達を探す築地に、タマが首を傾げながら答えた。
「えぇ~? ぜんぜん気付かなかったよ~」
「確かその時、築地さん麻倉さんに集中攻撃されてたね」
「し止められなかったわ…」
連絡を知らずに素で驚く築地、美琴が言うように麻倉から狙撃で集中的に狙われていた最中の連絡だったので、気付く余裕が無かったようだ。
連絡した遙も、後をピアティフが引継いでくれると言うので、簡単なアナウンスで済ませた様子。
結局最後まで築地は逃げ切り、麻倉は悔しそうだ。
「少し休憩したらまた訓練に戻りましょう」
タマの提案で備え付けのベンチへ移動し、水分補給や休息を取る4人。
冥夜と彩峰はまだ訓練続行中、訓練と言うより既に決闘になりつつあるが、本人達の訓練になるので誰も止めない。
『彩峰ぇぇぇぇぇっ!!!』
『御剣ぃぃぃぃぃっ!!!』
「こ、こわっ、怖かっただよっ!?」
様子を見ようと通信を繋いだ瞬間、二人の鬼気迫る顔がアップで網膜投影に表示されて、本気で涙目になる築地。
「あ、あはははは…暫くそっとして置きましょうか…」
「それが名案」
突然の衝撃映像にえぐえぐと泣く築地をよしよしと慰めながら苦笑するタマと、うんうんと頷く麻倉。
「ねぇ皆は何飲む? ボク最近このビタミンディフェンスってドリンクがお気に入りなんだ」
そんな三人を他所に休憩所に置かれた自販機で飲み物を選ぶ美琴。
彼女のペースは相変わらずの様子。
「やぁやぁ、やっているね」
と、そこへ見覚えの無い男性が片手を上げながらやってきた。
薄汚れた作業着に、白衣を着た技術士官の風貌の中年男性。
左手で無精ヒゲを撫でながら、訓練する築地達に話しかけてくる。
「あ、えっと、どなたでしょうか?」
一番近くに居たタマが問い掛けると、男性は一瞬キョトンとしてから笑い声を上げた。
「はっはっはっ、すまんすまん、そう言えば逢った事は無かったねぇ。私は開発部のグレッグ・ゴンザレス、君達の機体の名付け親だよ」
ケラケラと笑う欧米系と思われる男性は、柔和な笑顔でそう告げた。
「名付け親…?」
「もしかして、ワイルドラプターのことですか?」
首を傾げる築地に対して、美琴が思い当たる事を問い掛けてみると、その通りとゴンザレスは頷いた。
「あの機体は我々横浜の技術者だけで組み上げた機体でねぇ、子供は言い過ぎだが、綺麗なドレスを作って着せてあげた…ってのが妥当かな」
そう言って楽しげに笑うゴンザレスに、そうなんですかぁと感心するタマと築地。
「あの機体の名付けはジャンケンでその権利を決めてねぇ。私が勝ち抜いたんだよ」
と言って拳を握るゴンザレスに、へ? という顔になる4名。
「少佐が関わった人間に良い名前は無いかと聞いて、案が殺到してねぇ。あーだこーだ揉めた結果、ジャンケンになった」
はぁ…と彼の言葉に唖然とするしかない4人。
場合によっては世界に流れる可能性のある名前をジャンケンで…とはまさか思うまい。
「色々な名前が在ったよ、『ソニックラプタ-』『マッハラプター』『スーパーラプター』『ウルトララプター』『バレットラプター』『バトルラプター』『ウォーラプター』『ファングラプター』『らぷたん』『ベロキ・ラプター』『天空の鳥ラプタ』『風のラプター』『愛と情熱のラプター』…」
指折り数えながら候補を挙げていくゴンザレスに、段々引き攣った顔になる4人、途中から変なのが混ざり始めたので冷や汗も流れ出す。
麻倉は流石横浜の開発陣、汚染度が半端じゃない…と何故か感心していたが。
「最終的に私の『ワイルドラプター』と、決勝戦の相手の『スーパーストライクフリーダムラプター』のどちらかに絞られてねぇ。私のグーが相手のチョキを打ち砕いたのだよ」
何か誇らしげなゴンザレスだが、4人は思った。
ありがとうゴンザレスさん勝って、ゴンザレスさんありがとう……と。
「因みに、F-22AwのAwは、ワイルドの頭文字と英語のAwake、覚醒とか呼び覚ますって意味とを絡めて考えたんだよ?」
お洒落だろう? と笑うゴンザレスに、お洒落かどうかは兎も角、良い名前ですと頷く面々。
「そうだろう、少佐も野生を呼び覚ます、野生に覚醒する…なんて意味で感じてくれてねぇ、私が名付けた名前が呼ばれるのは創る者としては非常に喜ばしい事なんだ…」
どこか遠くを見るゴンザレスに、なるほど…と納得を覚える4人。
自分達の作品が有名になり、それがBETAとの戦いで結果を残せば、それだけ彼らの働きが評価される。
その為には、それを乗りこなす自分達の腕に懸かっていると言っても良い。
「機体はもう最終段階、テストを終えれば実機機動に入れるからもう少し待っていておくれ」
「「「「は、はいっ!」」」」
「それじゃ私はこれで。頑張っておくれよお嬢ちゃん達」
仕事を抜け出して様子を見に来てくれたのか、来た時と同じように飄々と帰っていくゴンザレスを敬礼で見送る4名。
「………色々な人に、期待されてるんですね、私達…」
「責任重大、でもその方が力が入る」
タマの感慨深い言葉に、同意しつつ拳を握る麻倉。
「負けてられないね、色々と」
「うん、折角造り上げてくれた機体、使いこなせないと申し訳ないよね!」
美琴の言葉に全員が頷いて、ドリンクを飲み干すと揃って筐体へと脚を向ける。
折角与えられた機体、使いこなせなければ大和や武の期待だけでなく、彼ら携わった者達の期待と希望まで裏切る事になる。
だからこそ、彼女達は気合を入れて訓練へと戻る。
その様子を管制をしながら見守っていたピアティフは、そっと微笑むのだった。
『御剣ぃぃぃいいぃっ!!!』
『彩峰ぇぇぇええぇっ!!!』
近接上等娘達はまだ斬り合っていた。