2001年10月18日――――
22:45――大和執務室―――
「…………唯依……」
苦悩に歪んだ顔で、暗い仮眠室の椅子に座る大和。
彼の視線の先には、仮眠室のベッドで眠る、唯依の姿。
あの後、ラトロワにお願いして着替えさせた彼女を、ここへ運んできた。
礼を言う大和に、自分の疑問が原因かもしれないと苦笑し去っていったラトロワ。
抱擁の後、彼女から唯依とエリスが勝負をしていると聞いて、大和は全速力でシミュレーターデッキへと走った。
そこに居たのは、負けたと思われる唯依の泣き崩れた姿。
初めて見るその姿に、大和は自分の不甲斐なさを呪った。
エリスが何を思って彼女に勝負を挑んだのか分からない。
だが唯依の様子を見る限り、何か余程のやり取りがあったと推測できた。
「……くそ…ッ」
もどかしさに舌打ちし、拳を握る。
彼女とエリスとの確執が何なのか、何故こんな事になったのか、その事を考えて大和はただ頭を抱える。
「………ヤマト?」
そこへ、扉を開けてイーニァが顔を出す。
灯りの消えた室内を覗き込むイーニァの表情には、不安や心配が浮んでいた。
「……タカムラ、まだねてる…?」
「あぁ…ブレーメル少尉に聞いたら、ここ数日睡眠時間が少なかったらしい…」
そして二日前から眼の下に隈を作り、泣き腫らした瞳をしていた。
それが祟って、シミュレーターの後睡眠不足と過労で倒れたのだろう。
衛生兵はそう話していた。
「……タカムラ、すごくおびえてる…」
「分かるのか…?」
扉を閉めて、ベッドの傍らの椅子に座る大和の、片膝の上に座るイーニァ。
そして悲しそうな瞳で、唯依を見つめる。
「タカムラ、わからないんだよ。じぶんやヤマトが」
「……………」
イーニァの言葉に、やはり自分が原因かと唇を噛む大和。
そんな大和の姿に、悲しげに俯くイーニァ。
「…ヤマト、どうしてヤマトは…こわがってるの…?」
言い難そうなイーニァの言葉に、ハッと顔を上げる大和。
「……気付いていた…のか?」
「わかるよ。ヤマトのことだもん…」
そう言って大和の頭を抱えるように抱き締め、頬を摺り寄せる。
「ずっとかんじてた。ヤマト、ダレカとはなすとき、いつもこわがってる。いつもおびえてる」
思考を読めなくても、大和の感情は感じられるというイーニァ。
そんな彼女だからこそ、大和の根底の感情を理解していた。
「ヤマトはこわいんだよね…だれかが、たいせつなヒトがいなくなるのが…こわいんだよね…?」
「……イー…ニァ…」
「ダイジョウブ…わたしはいなくならないよ…ずっといっしょ。クリスカも、タカムラも…ブレーメルも、チョビはうるさいけど、でもトクベツにゆるす。だから、だいじょうぶだよ…ね、ヤマト…」
囁くように、慰めるように、言葉を伝えるイーニァ。
その言葉が嬉しくて、悲しくて、そして暖かくて…。
大和はただ、涙を堪えるように歯を食い縛った。
「なぁ、イーニァ…俺は、酷い奴だな…」
「ヤマト…」
「分かっているんだ、唯依の気持ちも、イーニァ達の気持ちも。だが、無理なんだよ…たった二回の離別が、その時の記憶が、俺を竦ませるんだ…」
愛した人に忘れられ、知らない人を見る目で見られる衝撃。
親しげに話しかけた時の、気味が悪いと明確に伝えてきたあの瞳。
それが、未だに大和の心を蝕んでいる。
最初に好きになったのは、同じ訓練部隊の少女だった。
余裕の無かった最初と違い、二度目の訓練兵時代。
207Bとはまた違った訳在り部隊で、大和は一人の少女を好きになった。
他の人間より頼りになる(二回目なので当然)大和に、彼女も好意を抱き、やがて任官する頃には恋人となっていた。
だが、BETAとの戦いがあっさりその中を引き裂いた。
生き残ってしまった大和は嘆き悲しんだが、その後死んだ事で希望が生まれた。
またもう一度、やり直せると安易な希望を抱いた代償は…明確な拒絶。
想いが先走り、焦った大和は少女に拒絶され、心が引き裂かれた。
だから、人から離れて生き始めた18回目。
配属された部隊で、別の女性と想いを結んだ。
だがそれは同じ事だった。
次のループで出会った彼女は、別の男と愛し合っていた。
そして大和に向けられたのは、知らない人間に対する瞳。
それからだった。
大和が、愛することを諦めたのは。
愛する事を恐怖と思うようになったのは。
そしてそれと時を同じくして、大和は狂った。
愛せない、守れない、変わらない。
そんな嘆きと悲しみで大和は狂い、発狂し、そして…あの子に出会った。
思えば奇跡だった。
全てがどうでもいい、知った事ではないと拒絶した大和の心を、癒してくれた幼い少女との出会い。
それが在ったからこそ、今の大和が、長いループを戦い抜く事が出来た。
だがそんな少女であっても、愛する恐怖だけは拭えなかった。
「ヤマト…わたしもおなじだよ…」
抱き締める腕を大和の頬へと移動させ、彼の額と自分の額を合わせる。
「わたしもこわかった…クリスカもこわかった…だから“こわくない”ヤマトがすごくダイスキ…でも、それだけじゃないよ…?」
イーニァやクリスカ、そして霞が持つ、否、持たされた能力。
それが人間関係の歪みを生み出し、孤立させてきた。
だが大和の思考は読めない、武は読めても恐怖しない。
だからイーニァとクリスカは大和に傾き、霞は武を深く信じて愛している。
「ヤマトは、すごくあたたかいの…わたしを、クリスカを、そっと照らしてくれるの。こどくで、キレイで、だけどすごくやさしくて…だからわたしは、ヤマトがダイスキなんだよ…?」
謳う様に、子守唄のように囁くイーニァの言葉が、撃ち込まれた楔、そして皹の隙間から染み込んでくる。
純粋で無垢な気持ちが、少しずつ少しずつ染み渡り、大和の傷付いて周りを壁で覆った感情を癒していく。
優しいイーニァの言葉に、もう一度、扉を開こうと思ってしまう。
彼女の存在は麻薬にも似ていた。
一度知ってしまえば、一度受け入れてしまえば、もう逃げ出せない。
「ダイジョウブ…ヤマトならできるよ…!」
――――ヤマトならできるよ…! きっとできるよ…!――――
イーニァに微笑まれた瞬間、言葉が囁かれた瞬間、あの子の言葉が脳裏に響いた。
真っ直ぐなイーニァの瞳の中、自分が映るのを見つめながら、大和は静かに涙を流した。
「……アリ…ア…」
「…そのこが、ヤマトのタイセツなヒト…?」
思わず呟いた言葉に、イーニァが微笑んで問い掛ける。
その言葉に深く頷いて、苦笑する。
「あぁ…俺が、走り出す切っ掛けをくれた、大切な子だ…」
そう言って、イーニァの頭を撫でる。
思えば、彼女とイーニァの瞳は、そっくりだった。
そう思うと、途端に笑いが浮んでくる大和。
――――あぁ、俺は未だに、彼女に後押しされているのか…――――
心の中で呟いて苦笑し、それと同時に力が湧いてきた。
あの子との約束を守る為にも、こんな事で落ち込んでいられない。
唯依やエリスを悲しませている事なんて、彼女に知られたら怒られてしまう。
「ありがとう、イーニァ」
「いいの、わたしはいつものヤマトがスキだから」
そう言って、自然な動作で目を瞑り、そっと大和に口付けた。
その行動に一瞬目を見開く大和だったが、静かに瞳を閉じてそれを受け入れた。
ほんの少しだけ触れ合った唇を離すと、イーニァは頬を赤く染めて少し惚けていた。
そして右手の人差し指を自分の唇に持ってくると、そっと撫でて微笑んだ。
「カミヌマのいうとおりだね…すごくしあわせ…」
どうせ上沼にキスすると幸せになれるとでも言われたのだろう。
苦笑すると、大和はイーニァの頭を一撫でして彼女を立たせる。
「もう遅い、クリスカが心配するぞ」
「うん……」
念願叶ったキスに、まだ惚けているのか、どこか夢心地な足取りで仮眠室を出て行くイーニァを見送り、扉が閉まる。
「……唯依…」
静かに寝息を立てる唯依に向き直り、そっと彼女の頬を撫でる大和。
その表情には、何かを決めた決意が見受けられた。
「俺はきっと、君を、いや、君だけじゃない、誰も幸せに出来ないだろう。それでも俺を想ってくれるのなら…俺は…俺…は…ッ」
俺は、その先が口に出来ずに拳を握り震える大和。
その先の言葉、それが伝えられたならどんなに良いだろう。
どんなに楽に成れる事だろう。
だが、言えなかった。
ただ、唯依の顔にかかる髪の毛を、優しく、震える手で除いてやる。
今はそれが、精一杯だった。
「ごめんな、唯依…今は何も言えない…誰にも、言えないんだ……エリスにも、イーニァにも…君にも…。だがこれだけは言わせてくれ…俺は、俺の使命を果すまで、絶対に死なない、そして消えないから……」
ポツリと呟いて、静かに仮眠室を出て行く大和。
その瞳には、悲しみと、決意が宿っていた。
大和が退室し、静かになった仮眠室。
そこで眠る唯依の瞳から、涙が零れた。
「謝るのは私だ…私の方なんだ…大和…」
いつから目覚めていたのか、唯依は涙を流し、震える声で懺悔する。
愛する事に恐怖し、拒絶していた大和に楔を撃ちこんだのは、他ならぬ自分であり、その理由は自分が愛して欲しいから。
そんな身勝手な自分を案じて、そして大切に想ってくれている。
その事だけでも唯依の胸は溢れる想いで張り裂けそうになる。
それなのに、自分は少しの疑問で揺らぎ、不安を抱え、そして無様な姿を晒してしまった。
そんな自分を信じて、そして想ってくれる大和に、唯依は涙する。
「大和…愛している…愛しているぞ…」
だからもっと、もっと強くなろうと。
エリスにも負けない、誰にも負けない位。
大和が、心から安心して愛してくれるように成るまで。
小さく、しかし大切な決意を誓う唯依は、シーツに包まるとそっと涙を拭って眠りに付いた。
2001年10月19日――――
この日、70番格納庫はいつもとは異なる空気の中稼働していた。
「4番から8番まで全て引き剥がせ、装甲は後で形にすればいい!」
大声を張り上げて整備兵や開発部の人間に指示を出すのは、作業着を着た大和の姿。
いつもとは雰囲気が異なる大和に、関係者達は困惑しつつも的確に仕事をこなしていた。
今大和が行っているのは、唯依の武御雷の強化改造。
前々から予定していた改造を、大和主導の元行っている。
だが、それと並行して、何故か唯依の機体の隣には、無改造だったF-22Aが並べられ、同じように改造を受けていた。
黒い武御雷の方はタリサ達の機体を改造したメンバーに任せ、大和は武御雷とF-22Aの同時改造の陣頭指揮を取っていた。
その気迫に、整備班は嫌でも気合が入り、作業は進む。
「少佐、開発区画からの連絡なのですが…」
「重要な案件だけ俺に通せ、残りは整備班長に任せれば良い」
ファイル片手に声をかけてきたステラだが、大和の気迫に圧されてただ頷くばかり。
「なんか、少佐怖いな…」
「えぇ…。中尉の事で思う所が在ったのかしら…」
ヒソヒソと仕事をしながら話し合うタリサとステラ。
現在二人は、療養中の唯依に代わり、大和の補佐を受け持っていた。
療養とは言うが、実際は大和の出した半日休暇命令に過ぎない。
睡眠不足と過労で倒れただけに、唯依も大人しくその命令を受け入れた。
今日の半日体を休め、午後は簡単な書類整理だけの予定だとか。
「にしても、中尉こんな仕事毎日こなしてたのかよ…」
「これの他に、監督官やXM3教導だもの、疲れも溜まるわ…」
次から次に来る仕事にうんざり顔のタリサと、改めて唯依の有能な副官能力を感じるステラ。
とは言え、ステラは唯依が単純な過労で倒れたとは思っていないが。
「折角、アサルトラプターの訓練が出来ると思ったのになぁ…」
「ぼやかないの、その内嫌でも乗るんだから」
新しい玩具を取り上げられた子供のような顔のタリサに苦笑しつつ、せっせと仕事をこなすステラ。
彼女達の向こうでは、大和が自ら機体に手を入れて、改造を行っていた。
「気合入ってますね、少佐」
「あぁ。結局、俺にはこんな事しか出来ないからな…ッ」
補佐をする整備兵の言葉に、苦笑とも自嘲とも取れる笑いで答える大和。
結局、自分が唯依やエリスに出来る事は、こんな事しか無いのだと内心情けなさに笑えてくる。
「少佐……」
油に塗れ、汗を流しながら整備兵と一緒になって作業する大和のその姿を、入り口から見守るのは半日休暇を言い渡された唯依だった。
彼女は体調は良いのかと問い掛けてくる整備班達に、心配いらないと苦笑して伝えながら、指示を飛ばし作業する大和をただ見つめる。
「……結局私は、胡坐をかいて慢心していたのだな…」
常に前に進む武、そんな彼の為に道や道具を用意している大和。
得た立場に満足し、慢心し、そして胡坐をかいた結果が昨日の敗北。
その事を思い、自分が情けなくなる唯依。
大和も人に明かせぬ悩みや不安を抱えながら、それでも前に、明日に走っていると言うのに。
「彼女の言う通りだ…くだらない、本当にくだらない悩みだ…」
苦笑し、自嘲し、そして微笑する。
「別に彼が誰を見ていようと、誰を思っていようと…どうでもいい事だな」
前に自分は誓ったではないか、彼を必ず振り向かせると。
彼の心の壁を撃ち破って、拒絶以外の言葉を言わせて見せると。
そう誓ったあの決意の口付けはなんだったのか。
「私は、本当に愚かな女だ…」
目の前の現実に踊らされ、悩み、結果自爆にも近しい失敗。
これではエリスが怒りを覚えるのも当たり前かもしれない。
「彼女が何を知っているのか…彼女が大和の何なのか…」
気にならない訳がない、ずっと気にして胸の中がモヤモヤしている。
だが今はそれを忘れようと、静かに深呼吸する。
今やるべき事は、名誉挽回、ただ一つ。
踵を返してその場を後にする唯依。
逃げて堪るか、このまま終わってなるものか。
その決意で身体を動かし、前に進む唯依。
「もう、大和のあんな姿、させてなるものか…!」
思えば初めて大和を異性として意識した時。
それは、異性から想いを伝えられて拒絶した、その後の彼の表情。
泣いている様にしか見えない、彼の無表情。
そんな顔を見たくない、そんな顔にさせたくない。
それが、唯依が大和を強く意識した瞬間だった。
「負けてなるものか…!」
地上へ出て、澄み渡る青空に決意する唯依。
その表情には、どこか鬼気迫るモノが在った。
同時刻・90番格納庫――――
「へぇ、そっかぁ。イーニァちゃんもキスしたんだ~」
「うん…すっごく、しあわせ…」
90番格納庫、その広大なフロアの中で、壁で区切られた隅の一角。
そこでは横浜基地の中でも最重要機密区画。
ここに出入り出来る人間は少なく、70番格納庫で仕事している人間の半分も入れない場所。
XG-70の受け入れ準備などでスタッフが仕事する中、何台ものコンピューターが置かれた部屋ではのほほんとした会話がされていた。
そこに居たのは、防寒着を着込んだ純夏にイーニァ、それに霞。
気温が常に低温に保たれているこの部屋には、横浜基地でも最重要の情報や機材が保管されている場所だ。
吐く息が白くなるような部屋で彼女達が何をしているのかと言えば、様々なプログラムやシステムの構築。
純夏の超演算能力を使って計算を行い、それを霞が組み上げていく。
イーニァは特別に夕呼にパスを貰っているので、この部屋に入れるのだ。
因みに、イーニァは猫の耳当てをしている。
純夏と霞はウサギだ。
「私も武ちゃんと、その、毎日してるけど…やっぱり幸せだよね~霞ちゃん」
「……はい、幸せです」
思い出して照れつつも霞に同意を求めると、霞も頬を赤く染めて頷く。
何ともキャピキャピとした会話をしている三人だが、彼女達の傍らに在るのは、外に出回れば間違いなく波紋を呼ぶ代物だ。
「よし、ナンバー56動作パターン演算終了っと。霞ちゃん後お願いね」
「……はい、確認しました」
純夏は先程から片手で情報端末から必要な数値やプログラムパターンを読み取り、それを演算して霞の端末へ転送している。
転送されたデータを確認しながら霞が組み上げを行い、それが彼女達の傍らに在る人間よりも大きな物体へと入力されていく。
「………これ、もうかんせい?」
「うん、ハードはね。後はソフトの基本行動と機動データパターンを組み込んでいけば一応完成かな?」
「…はい、この後機体に搭載して最終調整があります。ですが、中枢はこれで完成です」
いまいち自信が無いのか、途中から視線を霞に向けて話す純夏。
そんな彼女の後を引継いで、補足しつつ頷く霞と、ぴこぴこ動くウサミミ。
そんな二人の言葉にへー…と言葉を漏らしつつ、透明なガラスが被された中を覗き込むイーニァ。
その中にあるセンサーが、イーニァの顔を捉えて小さく駆動音を響かせる。
「これが全部完成したら、次はあっちが待ってるから大変だよー」
訓練も大詰めだしーとボヤキながら演算をする純夏。
彼女の視線の先には、この室内よりさらに低温に保たれた室内で組み上げられる、2機の骨組みが在った。
70番格納庫で組まれている機体よりさらにスカスカの、フレームだけの状態。
だがそのコックピットと思われる場所だけは、既に形に成り始めていた。
何本ものケーブルやパイプに繋がれたソレは、未だ形にならないものの、静かにその存在感を与えてくる。
この横浜基地で、XG-70以上の機密と成り得る機体。
窓越しにイーニァは、それを無表情に眺めていた。
「よし、これで終わり!」
「…これで57番まで終了しました」
「うへー、まだ84項目も在るよー」
助けて武ちゃーんと泣き言を漏らすものの、仕事は確りとこなしている純夏。
漏らす弱音は彼女なりの場の和ませ方だろう。
「そろそろお昼だね、今日はイーニァちゃんも一緒に食べる?」
「…ううん、ヤマトがしんぱいだからウエにいくね」
大和落ち込んでたから…と呟いて、一足先に低温演算室を出て行くイーニァ。
純夏は残念と言いつつ、私も皆と一緒に食べたいな~とむくれる。
未だ存在が秘密である純夏は、地上へ中々出て行けないのだ。
「そろそろ、A-01と合流と博士が言ってました…」
「そっか、楽しみだなぁ、皆に逢うの…」
かつての世界で、武との仲を認めてくれた、大切な戦友。
彼女達に逢う事に少しの恐怖はあるが、それ以上に彼女達と触れ合いたいという想いが大きい純夏。
寒いから暖かいの食べようと霞の手を握って歩き出す純夏に、霞も手を握り返して歩き出す。
置いて行かれた霞専用テスタメントが、後片付けをせっせと行い、急いで後を追い駆ける。
灯りの消えた低温の演算室で、並べられた物体が、小さくセンサーを明滅させ、己達の出番をただ、静かに待ち侘びるのだった…。
2001年10月21日――――
「えっ、大和が徹夜で無茶してる!?」
「はい、数日前から徹夜を…」
朝食の混雑が無くなり始めた時刻、武はステラから告げられた言葉に目を丸くしていた。
「アイツ、何やってるんだよ…篁中尉は?」
いつもなら大和の無茶を真っ先に止めてくれる筈の唯依はどうしたのかという武の問いに、ステラは困った顔で頬を押さえた。
「それが、中尉もこの前から開発区画に行ったきりで…」
一昨日の午後、大和に「開発区画での仕事は私が受け持ちます」と宣言したきりで、執務室にも戻ってきていないと言う。
「はぁ~、どうなってるんだよ一体…」
頭が痛いとばかりに、突然の異変に頭を抱える武。
もしかして凛が言っていた事が原因かぁ? と悩みつつ、足早に食堂を後にする。
「お手数おかけします、大尉」
「良いですよ、普段は俺が世話になってるからお互い様って事で」
申し訳なさそうなステラに、苦笑して70番格納庫へと急ぐ武。
何かに突き動かされるように仕事に打ち込む大和をステラは止める事が出来ず、また唯依も開発区画に掛かりきりで満足に逢う事も出来ない。
そこでステラは、大和に最も近いと思われる武に助けを求めた。
もし武がどうにも出来なくても、彼を通して大和の上司、つまり夕呼に連絡が行く。
そこまで考えて早朝から武ちゃんを待ち伏せしていたステラ、武ちゃんはA-01のメンバー数名に白い目で見られていたが、今は置いておく。
「大和っ!!」
「なんだ武、今忙しいから後にしてくれ」
70番格納庫へ怒鳴り込む武、普通に考えれば上官侮辱とかなのだが、武ちゃんは気にしない。
そんな武に対して、大和は一切視線を向けずに解体され改造を受けている機体へ向き合っている。
着ている作業着は油に汚れ、髪はボサボサ。
眠っていないのだろう、目の下には真っ黒な隈が出来ている。
「お前、何焦ってるんだよ!?」
「焦ってなどいない、俺は俺が出来る事をただしているだけだ」
肩を掴まれるが、それでも大和は機体へ向き合って取り合わない。
周囲の整備兵や開発者達が遠巻きにどうしたものかと見守る中、武の声だけが響く。
「この大事な時期に、倒れたらどうするつもりだ!?」
「大事な時期だからこうしているんだ!!」
無理矢理振り向かされ、投げ掛けられた言葉に怒鳴り返す大和。
今まで見た事が無い大和の怒声を上げる姿に、整備兵や開発者達は目を丸くして驚き、ステラはどうしたものかと嗜めるタイミングを探している。
「武、お前こそ分かっているのか? もう10月も終わりだ、約束の日までもう時間が無いんだ! そんな状況で、少しでも確立を上げる為に努力して何が悪い!? 俺が彼女達の想いに報いる方法は、これしか無いんだよ!!」
二日徹夜しているからか、生の感情を爆発させる大和に、一歩後退してしまう武。
だが武も拳を握り締めて退いた足を前に戻す。
「こうする事が中尉達の為だってのか!? そんなわけねぇだろ、他にも在るだろうが!!」
「俺の選択肢にはこれしか無いんだよッ、こういう事しか俺には出来ないんだッ!!」
お互い掴み掛かり、顔面をぶつけ合いながら主張する言葉。
周囲から聞けば首を傾げる内容だが、ステラには理解できた。
大和は、唯依達からの想いに応えられない、だからせめて機体を強化して彼女達の生存率を上げる。
それしか出来ないからと、今こうして無茶しているのだ。
だが、女であるステラから言わせれば馬鹿な答えだ。
そんな事よりも、もっと喜び、そして心に残る事は在ると言うのに。
大和が恋愛を拒否しているのはステラも察している。
だから大和の選択肢がこれしかないのも推測できる。
だが、その選択肢は唯依やイーニァ、クリスカ、タリサ、そして自分、多くの女性を馬鹿にしている。
我慢できず、二人の間に分け入ろうとした時、武が先に我慢の限界になった。
「この…大馬鹿野朗っ!!」
「がふッ!?」
周囲が騒然となる、武が大和を殴ってしまったのだ。
「そんな馬鹿な選択で、中尉達が喜ぶと思ってるのか、イーニァ達が幸せになると思ってるのかよっ!? 今まで散々人の事弄っておいて、自分はそれかよ、ふざけるなよっ!!」
人に散々、彼女達を幸せにしろとかどの口で言ってたと、殴られて床に転がった大和に向けて叫ぶ武。
武は霞や純夏経由でイーニァやクリスカの想いを聞いているし、イーニァの口から想いを聞いた事もある。
唯依に関しては、斯衛軍時代から好意を向けられていた事を、凛から聞いている。
そんな彼女達の事を思うと、大和の行動に我慢が出来なくなったのだろう。
「そんなボロボロになるまで頑張れるなら、少しは彼女達の求める事への努力をしろよっ!!」
「………あの、大尉、少佐寝てしまったのですが…」
「Zzzz…Zzzz…Zzzz…」
『ズコーーーーーッ!!』×その場を見ていた人達
カッコいい事を言う武ちゃんだったが、倒れた大和に駆け寄ったステラが、殴られた衝撃で眠ってしまった大和に気付いて控えめに告げる。
折角の熱い場面で眠るという大和の超KYな行動に、武ちゃんも見ていた人達もどこぞの伝説のバラエティ番組のようにズッコケる。
気のせいか、機体までコケたような気がする。
「どういう神経してるんだよ!?」
「恐らく、堪えていた眠気が大尉の一撃で一気に来たのでは…」
俺の熱い台詞返せとばかりに嘆く武ちゃんに、苦笑するしかないステラ。
起きろこの野朗と胸倉掴んで揺さ振るが、二日徹夜した大和はそう簡単には起きない。
今にも鼻ちょうちん作りそうな熟睡っぷりだ。
事情は分からないし軍隊なので立ち入らない周囲の人達は、空回りした武ちゃんに同情の視線を向けている。
「あ~もう…ブレーメル少尉、後頼んます…」
「大尉、どちらへ?」
「営倉。少佐殴っちまったし…。大和が起きたら改めて処罰してくれって伝えて下さい」
大和を止めるという目的も一応達したし、言いたい事は言ったので踵を返す。
疲れたように出て行く武ちゃんを見送り、とりあえず眠っている大和を邪魔にならない場所へ動かすステラ。
そして壁に背を付いて座り、膝の上に大和の頭を乗せる。
整備兵が持ってきてくれた毛布を大和に掛けてやると、ボサボサになった髪を手串で整えていく。
「少尉、これ使って下さい」
「ありがとう」
女性の整備兵が持ってきてくれたタオルと水で、大和の顔を拭うステラ。
武に殴られた場所は、少し腫れているが酷い傷ではない。
「………少しは頭が冷えましたか?」
「…………バレていたか…」
見守りつつ仕事をしていた面子が仕事に戻ったのを確認して小さく呟くと、右目だけパチリと開く大和。
「いくらなんでも不自然ですよ」
「いやはや、合わせてくれて感謝するよ少尉」
大和が寝たフリをしていた事に唯一気付いていたステラ。
いくら大和でも、殴られた瞬間寝るとか流石に出来ない…と思うのだが、出来そうな気がするのは大和だからか。
「まさか武に殴られるとは…年甲斐も無く熱くなっていたか…」
「その若さで年甲斐も何も無いと思いますが?」
殴られた場所を冷やしながら、反対の頬をグニグニと弄るステラ。
内心、私より若い癖に…と少し拗ねていたり。
「それで、大尉にはどんな処罰を?」
「半日営倉で十分だ。元々意固地になっていた俺が悪い…」
武の処分を、営倉半日で済ませて苦笑する大和。
「ボロボロになる努力が出来るなら、踏み出す努力をしろ…と言う事か」
「少佐?」
「我ながら酷い男だ、武の事を散々炊き付け、煽ってきたのに。いざ自分の時は目を逸らして、気付かぬフリをして、逃げ出して…拒絶して。酷いと思うだろう、少尉」
自嘲して右手で顔を押さえる大和。
その言葉には、どこか泣いているような色が混ざっていた。
「……そうですね、傍から見ると、子供のような対応と思えます」
怖いモノから目を逸らし、拒絶し、逃げ出す。
それは、大人に成り切れない子供の行動。
「子供か、全くその通りだな…」
「ですが、それだけの事が在った…そうですね、少佐?」
再び自嘲する大和だったが、その額をステラの右手が押さえた事で彼女を見上げる事になる。
見上げ先、逆さに映るステラは、慈愛に満ちた微笑で大和を見下ろしていた。
頭全体で感じる彼女の温もりに、ラトロワの抱擁を思い出して意味も無く恥ずかしくなる大和。
「…………少尉、俺は二つ…何よりも、BETAよりも恐ろしいモノが在る」
瞳を閉じて、静かに深呼吸する大和。
ステラは大和の言葉を遮らないように、黙って彼の言葉を待つ。
「一つは明日が来ない事。何時までも止まり、未来に進めず、終わりが訪れない事…」
淡々と呟く大和の言葉。
ループを知らないステラには意味不明な言葉だが、大和がそれを恐れている事だけは感じられた。
「そしてもう一つが、忘却だ…」
「忘却……」
「全て無かった事にされる…耐え難い程の痛みを俺に与えてくる…」
ステラには大和が何を言っているのか理解出来ない。
だが、その言葉の重みだけは、感じ取る事は出来た。
だから、ステラは殴られた場所を冷やしていたタオルを床に落とし、持っていた手を大和の顎へ滑らせる。
そして大和が反応する前に、顎をクイっと軽く上げて、半開きの唇を自分の唇で塞いでしまう。
「―――ッ!?」
「ん……」
突然の事で硬直する大和と、大和の唇を啄ばむステラ。
何とか離れようとしても、ステラの膝の上に抱えられ、両手でガッチリ頭を抱えられては成す術も無く。
一分近いキスは、ステラが顔を上げるまで続いた。
その光景を誰も見ていなかったのは、一種の奇跡だろうか。
「しょ、少尉、何を…!」
「いえ、女を甘く見ているお子様な少佐にお仕置きです」
目を白黒させる大和に、悪戯っぽく微笑むステラ。
唇をぺロリと舌で舐め上げ、妖艶に微笑むとそれだけで大和は硬直する。
「少佐、少佐が恋愛やその二つを酷く恐れているのは分かりました。ですが、少佐。貴方は少し…女を嘗めていますね?」
ジロリと、据わった瞳で見下ろされて別の意味で硬直する大和。
美人の据わった瞳というのは、総じて恐ろしく感じるモノだ。
「誰が少佐を忘れ、誰が少佐を傷つけたのか知りません。ですが、その程度の人間と私達を一緒にしないで欲しいですね」
「しょ、少尉…?」
「タカムラ中尉も、シェスチナ・ビャーチェノワ両少尉も、タリサも…私も。そう簡単に忘れられる想いを擁いている訳ではありませんよ?」
囁きながら、ゆっくりと顔を降ろしてくるステラ。
そんな彼女の行動に内心恐れにもにた感情を抱く大和。
「少佐? 女の想いはどんな物にも負けない、この世で最も強いモノなのですよ」
そう言って、額に口付けるステラ。
彼女の言葉に、脳裏に純夏と殿下、そしてエリスが思い出される。
「………仰る通りです」
愛する人を求める想いでとんでもない事を実現させた純夏、愛する片割れを思い、その願いを飛ばした殿下。
そして、こんな自分を慕い、ただひたすらに生きてくれたエリス。
誰かが言っていた、女ってのはこの世で最も強く美しく、そして恐い生き物だと。
「少しは、信じて下さい。少なくとも、私達…ワルキューレ隊は、貴方を裏切りません。忘れません。例えこの命を散らしても…」
魂に刻んでみせます…日本ではこう言うのですよね? なんて冗談交じりに、だが真剣な瞳で継げるステラに、またどこかで皹割れる音を聞く大和。
それと同時に、自分が完全に包囲された、そんなイメージを浮かべてしまう。
「………少し、眠る。膝を貸して貰えるか?」
「喜んで」
顔を見られたく無いのか、それとも照れ臭いのか右腕で顔を隠して問い掛ける大和に、微笑んで承諾するステラ。
やがて大和は、静かな寝息をたてて眠りに付いた。
その寝顔は、歳相応の寝顔だったとタリサに自慢げに語るステラが後日見かけられたそうな。
「あ、やんっ…だ、ダメ、ダメよシェスチナ少尉…っ、そ、そんな所…突付いちゃダメ…!」
「ここ? それともここ?」
数時間後、眠る大和をずっと膝枕していた為に足が痺れたステラが、やってきたイーニァに見つかって足をツンツンされる光景が繰り広げられていた。
思わず男性陣が前屈みになってしまう状況で、一人楽しそうなイーニァと、熟睡する大和、そしてどこか艶っぽいステラ。
大変カオスだったと、女性整備兵は後に語った…。