2001年10月18日――――
「うぅむ、これは不味いぞ…」
開発区画の総合格納庫の開発スタッフルームから、眼下を見下ろして腕を組んで悩んでいるのは大和。
彼の視線の先には、シゲさんと会話しながら仕事をする唯依の姿。
帰ってきてから今日まで、彼女とは事務的な会話しかしていない。
それ以外だと、唯依が分かり易い位に大和を避けているのだ。
大和はその原因が、唯依の不安から来る行動だと思い、何とか誤解(とは言い切れないのだが)であると伝えたいがそれも叶わない。
そしてその様子は周囲にも明確に伝わっていた。
普段なら夫婦漫才の如く妙なやり取りをしている二人が、事務的な、完全に上司と部下の対応しかしていないのだ。
軍隊で考えればそれが普通なのだが、今までの空気に慣れた横浜の人間には逆に異質に見えるらしく、何が在ったと何故か皆大和に聞いてくる。
どうも皆本能的に大和に原因があると察しているようだ。
ステラやタリサは気を使って唯依と大和の会話を成り立たせようとするが、唯依がその天才的な勘を武器に避けに避けまくるので尽く失敗。
そしてそれに輪をかけるように大和を悩ませているのが…。
「少佐、何か悩み事ですか?」
両手にそれぞれコーヒーもどきの入ったカップを手に、開発スタッフルームに入ってくるのはエリス。
彼女が親しげに接してくる度に、どこからか殺気にも似た視線が飛んでくるのだ。
「あ、あぁ、いや、何でもないんだ…」
「またそんな事を。変に分かり易い所は変ってませんね」
苦笑しつつ、しかしどこか嬉しそうにコーヒーもどきを渡してくるエリスに、礼を言いながら受け取る。
「私で良ければ相談に乗りますが?」
これでも記憶と経験だけなら数年間の部下ですからと笑うエリスに、戸惑うしかない大和。
エリスはあの時、気持ちの割り切りが出来たらその時改めて…と言っていた。
つまり今、彼女は今の大和と接する事で、あの世界の大和との違いを埋めているのだろう。
「いや、そうそう人に相談出来る内容ではないのでな…」
「それは私が米軍だからですか? それとも私だから…ですか?」
笑みを消して、真っ直ぐな視線で見つめてくるエリス。
その視線を受けながら、どちらでもないと苦笑する大和。
「それより、参加してみてどうかな、開発計画は」
「……本当に、そういう所は同じなんですね…」
「む?」
「いえ。そうですね、他国の機体や技術をこの目にする事が出来ますし、何より肌で、身体で操縦技術を感じる事が出来るのは最高ですね。エリミネーターを使う際の参考にもなります」
唐突に話を変えてきた大和に、小さく呟くがその言葉は大和の耳には入らなかったようだ。
なんでもないという素振りで平然と答えるエリス、この程度の腹芸が出来なければ大和の部下は務まらないとは、あの世界のエリスの名言だ。
「エリミネーターか…まさか君が造るとは思わなかった…」
「長い事愛用してきた武器ですので。少佐には悪いと思いましたが、軍の技術者に無理を言って少数製造して貰いました」
エリスが持ち込んだエリミネーターは、西海岸の米軍で頭角を現し、一流の衛士となっていたエリスが、あの世界の記憶を頼りに再現して造って貰った代物だ。
長年愛用していた記憶だけあって、細部まで完璧に再現されている。
「いや、似たような武器は造られているんだ、とやかくは言わないさ」
西独軍の斧槍など、似たような武器は数多く設計されている。
その中でエリミネーターが評価・採用されたのは、近接武装やその技術に乏しかった上に、開発が急務だった米軍と在米国連軍だからこそ。
「相変わらず、独占欲の無い人ですね」
「そんな物で出し惜しみしてBETAに喰われたら洒落にもならん。それなら多少高値で売った方が身にもなる」
口元を押さえて苦笑するエリスと、肩を竦める大和。
懐かしい、あの頃を思い出せるやり取りに目を細めた瞬間、突然鋭い視線を感じて視線をそちらに向ける。
すると、窓の下、格納庫の真ん中からこちらを見上げる唯依。
彼女の視線は、嫉妬や悲しみ、怒り、そして絶望に彩られているように見えた。
「……少佐?」
「―――あ、いや、……なんでもない」
エリスの声にハッとなって視線を彼女へ向け、チラリと横目に窓の外、眼下を見るが唯依はその長い髪を靡かせ歩き去っていた。
その姿に少し、胸の辺りがズキリと幻痛を覚える大和。
その痛みは、親しかった人に忘れられた、あの痛みに似ていた。
「……少佐、後で大事なお話があります。お時間を頂けますか?」
「あ、あぁ。分かった、後で連絡しよう」
大和の返事にありがとうございますと敬礼し、踵を返すエリス。
彼女の視線は一瞬、格納庫から出て行く唯依の後姿へと向けられていた。
――――私は、私は馬鹿だ、救い様の無い愚か者だ……!――――
開発区画の通路を、唯依はツカツカと荒い足取りで歩いていた。
そして人気の無い休憩所へと辿り着くと、給水機の冷たい水で顔を洗った。
「……なんて、醜いんだ、私は…!」
あの時見た光景がいつまでも脳裏に焼き付いて忘れられず、疑念が脳裏を常に占領し、大和と目を合わせる事すら出来なくなった。
会話も事務的な事しか話せず、下手に彼と話していると感情が爆発しそうになる。
そんな不安定な自分を見せないように、感情を押し殺して平静を装うが、周りにはバレバレ。
タリサやステラには気遣われ、シゲさんにはなんかあったのかと心配をされた。
崔やハンナにはいつもとの違うと看破されている。
先程も、エリスと親しげに話す大和を、つい睨んでしまった。
どうして私ではなく、彼女なんだと、浅ましい嫉妬で怒りを抱えて。
そんな自分が、この上なく恥ずかしく、そして悲しい。
「……大和…私は、私はどうすればいいの…」
救いを求めるのは想いを寄せる相手、しかし彼女を苦しめているのはその相手。
抜け出せないジレンマ、蓄積される感情。
このままでは自分は狂ってしまう。
そう自覚させる程に、今の唯依は不安定だった。
こうなったら、おじ様に頼んで少し距離を置こうとすら考える唯依。
彼女が1番恐れているのは、大和を誰かに獲られる事以上に、自分が大和を傷つける事。
それが1番、恐いのだ。
「貴方も悩み事かしら?」
「っ!?」
その時、唯依の背後から突然声が掛けられ、咄嗟に振り返り身構える唯依。
「これだけの大規模な計画にもなれば、悩みは尽きないでしょうけど」
「貴官は…」
そこに居たのは、微笑を浮かべるエリス。
彼女を目の前にして、やっと落ち着いた感情がザワザワと動き出すのを感じる唯依。
「何か、私に用か?」
「そう堅くならなくても良いと思うのだけど。少佐はフランクでフレンドリーなのに副官の貴女はお堅いのね」
「…っ、知ったような事を! 何が言いたい!」
感情が抑えられず、そして大和の事を良く知っているという匂いを漂わせるエリスに言葉が荒くなってしまう唯依。
彼女の、新兵なら竦み上がってしまう威圧を受けても、エリスは涼しい顔だ。
「中尉に少し、頼みがあるの」
「……頼み、だと…?」
警戒する唯依に、エリスは悠々と近づいてくる。
「そう。XM3での操作で少し、詳しく教えて欲しい部分が在るの。お願い出来るかしら、二人っきりで…」
囁くように告げる言葉に、唯依はエリスが何を言いたいのか本能的に理解した。
「………良いだろう、準備をしてくる」
「では、デッキを予約しておきます」
睨むかの如く視線を向けてくる唯依に、涼しい顔で受けるエリス。
先程の言葉、エリスは暗に唯依に勝負を持ち掛けたのだ。
普段なら絶対に受けない唯依だが、ざわつく感情が後押しとなり受けてしまった。
普通に私的な勝負しようものなら、問題行為として処罰される。
そこで、唯依の立場、臨時のXM3教導官としての立場を利用し、エリスは教えを請う側、唯依は教える側として、模擬戦闘を行う事にした。
そう言うことにすれば、当人達以外には問題が出ない。
エリスの挑戦を受け、強化装備に着替えに行く唯依と、それを見送ってから自分も着替えに向うエリス。
その様子を、一人の女性が盗み見ていた。
数十分後、使用者の居ない開発区画のシミュレーターデッキに、二人の姿が在った。
山吹色の強化装備に身を包む唯依と、米軍仕様の強化装備を着るエリス。
「模擬戦闘の状況は?」
「そちらにお任せします」
目線を合わせずに管制設定を行い、筐体に入るとお互い持参したデータディスクを挿入する。
これにはそれぞれの愛機のデータが入力されており、これをロードする事でこのシミュレーターで武御雷やF-22Aなどの機体が使用できる。
これは、機体データを他国に無断で持ち出されないようにする為の配慮だ。
「では、自動カウント後模擬戦闘を開始する」
『了解です』
堅い口調の唯依に対して、エリスはいつも通りと言った態度。
それが余計に唯依の神経を逆撫で、操縦桿を握る手に力が入る。
――――大和の副官は私だ…負ける訳にはいかない…!――――
エリスの実力は良く知っている。
そして彼女のF-22Aには、近接武装が装備されている事も。
だが、如何にF-22Aと言えど、近接タイマンでなら最強を誇る武御雷と、武や大和との訓練を乗り越えた自分なら勝てると確信していた。
管制が居ない為、システムの自動カウントがスタートし、無意識に喉を鳴らす唯依。
思考の隅を、エリスと大和の関係がちらつくが、今は彼女を倒す事が先決を考える唯依。
『一つ、賭けをしましょうか、中尉』
そんな彼女へ、エリスが通信を繋いできた、カウントは既に5を切っている。
唯依が賭けだと? と怒りすら感じさせる声で返すが、エリスは微笑んだまま。
『そうですね、私が負けたなら…少佐との関係を教えましょう』
「―――っ!?」
今自分が1番知りたい事を賭けの対象に出された事と、自分がエリスと大和の何を気にしているのか知られていた事。
それに驚いた唯依の耳に、自動カウントの状況開始が聞こえ、反射的に機体を動かしていた。
「くっ、そんな事で私の動揺を誘うつもりか…!」
状況開始と共に、通信は遮断されて言葉は繋がらない。
だが唯依は怒りと焦りに顔を歪め、シミュレーターの中、どこかに居るF-22Aへと駆け出した。
同時刻――――
「クロガネ少佐」
「む、ラトロワ少佐?」
大東亜連合から参加した試験部隊と簡単な話し合いを行っていた大和の元に、ラトロワが顔を出していた。
彼女は大和と相手の担当者の話し合いが終わるのを見計らい、声を掛けてきた様子。
「長い出張から戻ったばかりで、もう仕事か」
「いやはや、俺が判断せねばならない問題も多いもので…」
最初に比べればかなり楽になりましたがねと苦笑し、ファイルにメモを書き残す大和。
その姿を鋭い視線で見つめながら、大和が書き終わるのを待つラトロワ。
「お待たせしました、それで俺に何か御用で?」
「……少し、話がある。顔を貸せ」
そう言って、踵を返して歩き出すラトロワ。
彼女の様子に、また妙な問題かと、肩を竦めて付いて行く大和。
二人は開発区画の中を暫く歩くと、人気の無い資材コンテナ置き場へと辿り着く。
フェンスで仕切られた先は、横浜基地中枢とを隔てる空き地だ。
「小難しい話は抜きで、単刀直入に聞こう。貴様……何を考えている?」
射殺すようなラトロワの視線、並みの人間ならそれだけで竦み上がるし、下手をすれば腰を抜かすか失禁か。
「何と言われても…色々としか」
だが大和には暖簾に腕押し、糠に釘だ。
「恍けるな。貴様の行動、考え、全て軍人としても研究者としても逸脱している!」
大和の制服に掴みかかり、唇が触れるかと思うほどに顔を近づけるラトロワ。
彼女が言う通り、大和の行動や考えは逸脱している。
軍隊の、国連軍とは言え重要な技術や情報を、簡単な対価で惜し気もなく広げている。
軍として考えれば技術の流出、企業なら大損失、研究者なら自分の技術を垂れ流し。
これはラトロワから考えれば狂っているとしか言えない行為だ。
軍の重要な技術の流出は、後々の憂い、軍の首を絞める事を示す。
企業なら言うに及ばず、研究者は全てでは無いが、基本的に自分の技術は独占する傾向がある。
「何を考えている……貴様は、何を目指している…」
鋭い眼光を直接瞳に叩き込まれても怯える様子のない大和に、内心舌打ちするラトロワ。
「未来を」
だが、大和が淡々と告げた言葉に、一瞬呆けた顔になるラトロワ。
「未来ですよ、ラトロワ少佐」
「未来…だと?」
「そうです。知っていますか、香月博士の研究の中で導き出された、人類滅亡までのカウントダウンは、約10年。10年後には、この地球上に人類を含んだ全ての生命は息絶える」
BETAの手によって。
そう告げる大和に、何を馬鹿な、臆病風に吹かれたかと言い返すラトロワだが、その瞳を見て押し黙る。
暗い、暗い、どこまでも暗い瞳。
一体、どんな地獄を見ればこんな瞳になるのかと思うほどに、暗い瞳。
「例え人類が一丸となろうと、例え人類を宇宙へ逃がそうと、例えG弾を使おうと、結局人類はBETAには勝てない。成す術もなく数を減らされ、最後には絶望した自分達の手でその歴史を途絶えさせる」
まるで、知っている事にように淡々と告げる大和に、ラトロワは何も言えなくなる。
その言葉が、その視線が、嘘を一切含まない、真実味を与えていたから。
それと同時に怒りが湧く、自分の息子が生きていたらそう変わらない年齢の大和に、こんな瞳と言葉を言わせるナニカに。
「だが、その運命を覆せる可能性があるのが、香月博士の研究。俺はその成功率の底上げを狙っているに過ぎない」
「……噂に聞く、妙な計画か…」
ラトロワとて中佐にまで上り詰めた人間、オルタネイティヴ計画については耳にしているし、大和やイーニァ達の制服につけられたオルタネイティヴ計画関係者の証にも気付いている。
「何を考えているか? そんなのは決まっている、少しでも戦力を整えてBETAへ対抗する。その為にこうして開発計画まで立ち上げて技術を流している」
「………それで、貴様は何を得るのだ…っ」
「明日を」
ラトロワの苦々しい表情の言葉に、大和は即答した。
「富だの栄誉だの必要ない、名誉も名声も、人と言う種が存在してこそ意味を成すモノだ。明日を勝ち取る、その為の地位と力が在ればそれでいい。例え愚かだと、狂っていると言われようとも―――それでも俺は明日(未来)が欲しい!!」
目を見開き、叫ぶように告げられる言葉に、背筋に電流が流れたような感覚を覚えるラトロワ。
確かな明日を、明確な明日(未来)を。
ただそれだけを求め、明日を得る可能性が高い方法の底上げ。
それが、大和の考え。
明日の見えないループから開放され、明日(未来)へ向う為に。
狂気にも似たその想いが、感情が、ラトロワへぶつけられた。
「………明日を…か…」
掴んでいた襟を放し、歪んだ襟を整えてやるラトロワ。
「貴様は、英雄にでもなるつもりか?」
軍としての面子も利益も考えずに、ただ戦う者。
しかし大和はその言葉を鼻で笑った。
それとも英雄という言葉を笑ったのか。
「それは俺ではなく、別の人間が授けられるべきモノだ」
否、それは自分を笑った言葉。
――――血に塗れ、犠牲を生み続け、自分勝手な明日の為に親友すら利用する己が、英雄の訳が無い――――
その考えが、大和に悲しげな笑みを浮かべさせた。
「……では、貴様が下の人間を育てるのは…」
「責任者なら当然の事。それに俺とて人間、何が在るか分からない。故に、人は育てなければならない」
底上げの為に。
そう言い切る大和に、ラトロワの苦笑するしかない。
ラトロワ自身の不安は消え去りはしないが、それでも目の前の存在だけは、信じるだけはしてみようと思った。
それは、あの暗い瞳の中、たった一つの光りが。
明日が欲しいと願う、幼い少年の願いが在ったから。
だから、今しばらくは信じる事にした。
自分達に害が無いなら、遠ざける理由も無いと。
「失礼な振る舞いをしたな。処罰は受けよう」
同階級とは言え、大和は開発責任者。
余裕のある笑みで罰しろと言うラトロワに、大和は少し考えを素振りをするが、大和に彼女を罰する心算は無い。
ラトロワの疑問は尤もなモノだし、自分も本当の事を伝えていないから。
「では、また踏み台をして頂きましょうか」
「またそれか。だが、私が大人しく踏まれる人間と思うなよ?」
大和の言葉の意味を理解して苦笑するラトロワだが、例えイーニァ達が相手であっても負けるつもりはないと笑う彼女。
「えぇ、それは承知しています」
むしろボンテージ着て踏む方ですねわかります、とは流石に言わない大和。
話が終わったならと踵を返そうとする大和。
「あぁ、少し待て」
と言われ、中途半端な体勢で停止すると、突然また襟首を掴まれた。
そして、中途半端な体勢が災いして、ラトロワの腕力にアッサリと負けて体が傾く。
そして大和は、ラトロワの胸の中に顔を埋めていた。
「ちょッ、ラトロワ少佐!?」
「少し…大人しくしていろ…」
大和を抱き締め、その頭を撫でるラトロワ。
その表情も手の優しさも、ターシャ達にしてやるように慈愛に満ちていた。
「こんな事をしても、貴様の心は癒えないだろうな…」
だからこれは、私の自己満足だと呟いて、大和の頭に頬を摺り寄せるラトロワ。
それは、母が息子へしてやるような、暖かく優しい抱擁。
その優しさに、暖かさに、大和の中で何かが皹割れる音がした。
それが何か理解していても、ラトロワを突き放す事が出来ない。
唯依によって穿たれた楔が、今になって効果を表してきた。
以前なら馬鹿な事を言っておどけて離れる事が出来たのに、今はそれが出来ない。
いけないと、駄目だと理解していながら、大和はラトロワの背中に腕を回してしまう。
もう遠く忘れた、母の温もりを思い出して。
もう味わう事が出来ないと思っていた、母の優しさを感じて。
大和は、ラトロワにされるがまま、彼女の抱擁を受け入れてしまった……。
「ぐぅっ!?」
模擬戦闘開始から既に数十分が経過したシミュレーターの中、唯依は小破した武御雷を必死に動かしていた。
既に突撃砲の残弾は無くなり、後は左手に持つ突撃砲の分だけ。
対して相手はまだ余裕があるのか、廃墟の隙間から執拗に狙ってくる。
唯依の思惑と異なり、戦況は最初から防戦一方。
圧倒的な砲撃性能を誇り、かつ機動性でも抜きん出た実力を持つF-22A。
高いステルス性能も相まって、隠れられたら捕捉が難しい。
クーデター時のF-22Aは何だったのかと思うほどに、一方的だった。
F-22Aの性能が高いのは当然だ、XM3を搭載した事で即応性が増し、格段に動きが良くなったのも在る。
だが何よりも、F-22Aの機体性能を完全に引き出せる衛士、エリスの存在が何よりも唯依を苦しめた。
海外派遣部隊は、機体性能を引き出せずに敗退、だがエリスはF-22Aの性能を完全に引き出している。
訓練時間が長かったのも在るだろう、だがそれ以上に唯依は違和感を感じていた。
それはエリスの戦い方。
「私は、あの戦い方を知っている…そうだ、知っているんだ…!」
でなければ、もっと早く撃破されてもおかしくなかった。
エリスの戦い方、それは米軍の戦い方でもなく、帝国のとも違う。
近いのは極東国連軍だが、それ以上に似ているのを唯依は知っている。
「あれは…大和の! 大和の戦い方…っ!」
一撃離脱や強襲連撃、抜け目の無い出鼻の挫き方。
ほぼ全てが、大和の得意とする対戦術機の戦い方に似ていたのだ。
「どうして…どうして…!?」
益々混乱を深める唯依、そんな彼女の視界の隅を、緑の影が躍る。
「くっ!」
残弾を気にして数秒だけトリガーを引くが、それで捉えられる程F-22Aはノロマではない。
反撃に飛んできた120mmが、傍らの廃墟を破壊し、残骸が機体に降りかかる。
攻撃が止んだ隙に、何とか体勢を立て直そうとする唯依。
だがそんな彼女の隙を見逃さずに、レーダーに背後から接近する機影が映る。
高いステルス性能を武器に接近してきたF-22Aは、その両手にあの斧を持っていた。
アレを見て、大和はエリミネーターと言っていた、つまり知っている。
何故大和が米国が独自に、と言うよりトマホーク試験小隊が独自に開発した(事になっている)武器を知っているのか。
その事が頭の隅で首を持ち上げた為に、一瞬反応が遅れる唯依。
「うぁっ!」
突撃砲が破壊され、残るは長刀のみ。
さらに迫るF-22Aから距離を取ろうと、左手腕部の収納式ブレードを展開して斧の攻撃を弾く。
そして一瞬だけ生まれた隙に、担架に残った長刀を左手に握り、火薬式ノッカーの爆発も合わせた一撃を振り下ろす。
「くっ!」
だが、F-22Aは読んでいたかの如く、機体を半身にして避け、さらに空振りした長刀へと手斧を振り下ろす。
その衝撃に手腕から長刀が叩き落され、地面と斧とで挟まれた長刀はその場所から真っ二つに砕かれる。
「こいつ、舐めるなぁぁぁぁっ!!」
まだ残る右手の長刀での一撃で、F-22Aの肩部装甲を抉る。
だが、相手はそんな事は気にしないとばかりに、さらに機体を懐へと潜り込ませ、否、抉り込ませてきた。
そしてまるで昆虫のような単眼センサーが武御雷の眼前に来た瞬間、機体に衝撃が走り、唯依の網膜投影に胸部大破・状況終了と表示された。
「………負け…た…のか…?」
呆然と、目の前の現実が受け入れられずに呟く唯依。
仮想空間の中で、肉薄したF-22Aのエリミネーターが、唯依の機体の胴体を喰い破っていた。
そこへ、エリスからの通信が繋がった。
彼女は特に喜びも落胆もなく、それが当たり前と言った顔をしていた。
それが逆に、唯依のプライドを刺激した。
『良い勝負が出来ました、感謝しますタカムラ中尉。貴女がくだらない事で悩んでいなければ、勝ちは在りませんでした』
「―――っ、くだらないだと!?」
エリスの告げた言葉に、誰のせいでこんな思いをしていると激怒する唯依。
だがエリスは冷徹な視線を向けてきた。
『くだらないものはくだらない、それ以上でも以下でもない。そんな事で少佐の仕事の邪魔をするのが副官の仕事か?』
冷徹な、今までのエリスとは思えない言葉と視線。
大和から言わせれば、これが最初のエリスなのだ。
温和な笑顔も、忠犬な態度も、そして言葉使いも、全て大和の部下となり、彼の部隊で仲間と過ごした過程で得た物。
あの世界で、大和に美人なのだからもっと笑顔を振り撒いた方が良いと言われて、そうしてきた。
もっと丁寧な言葉遣いの方が、お嬢様ぽくて大和に受けが良いぞと仲間に言われて、そうしてきた。
だが、今の唯依にその価値は無いとエリスは判断したのだろう。
「そ、それは……だが、元はと言えば貴官がっ、貴官…が…!」
大和と抱き合っていたから。
その言葉は言えなかった、あまりにも軍人として失格であり、そして惨めな言葉。
だがエリスは唯依が何を言いたいのか理解したのか、小さく嘆息した。
『それがどうしたのだ』
「な―――!?」
『私と少佐が関係していた、自分の知らない過去があったかもしれない、“それがどうした”』
平然と、淡々と言い切るエリス。
だがその瞳は、明確な意思を宿していた。
『その程度で今までの関係を壊し、心配する仲間や同僚、そして想う相手を拒絶する…そんな程度の想いなら、今すぐ捨ててしまいなさいっ!!』
鬼気迫る表情と言葉に、唯依は気圧され、言葉が出ない。
自分が知らない相手、自分が知らない過去、それを知った程度で揺らぐような想いなら捨ててしまえと、エリスは断言した。
それは、裏を返せば、自分の、否、あの世界の“彼女”の想いはそんな物ではなかったという事。
エリスは知っている、報われない、叶う事が無い想いでも、ただ一途に、ただ真っ直ぐに想い続け、せめて片腕として傍に居ようとした“彼女”の想いと決意を。
だからエリスは許せなかった。
今の自分が、あの世界のエリスですら立ち入れなかった場所に居る唯依が、そんな彼女が少しの事で揺らぐ様子が。
唯依が醜い嫉妬をしていた様に、エリスもまた、嫉妬していたのだ。
あの世界のエリスの想いを知っているが故に、唯依が許せなかった。
“彼女”でも見た事が無い、唯依を心配して悩む大和の姿に。
エリスもまた、嫉妬していたのだ。
「…………わ、私は……わたし…は…っ」
エリスの言葉が痛くて、何より自分の想いがその程度と断じられた。
ボロボロと流れる涙を拭う事もせずに、身体を抱き締める唯依。
そんな彼女の姿を見ずに、エリスは通信を切るとシミュレーターを終了させ、ディスクを抜き取り筐体から出る。
そして唯依が入っている筐体を見つめると、悔しげに唇を噛む。
「……その場所が今の私に、どれだけ眩しいか…今の貴女には、分からないでしょうね…」
苦しげに呟いて歩き出すエリス、その瞳からは一筋の涙が伝っていた。
想いと記憶を継承したが、自分は自分、彼女は彼女と割り切ってしまったエリスにとって、唯依の居る場所は眩しくて届かない場所。
所属も違い、立場も違う。
彼女の想いは彼の傍らを求めるが、今の自分は今の彼を良く知らない。
人は変わり行くモノだと言う事を、自分が1番良く知っている。
だから今の大和と、昔の大和の違いを、受け止め受け入れないと、いつか綻んで壊れる。
そう思うからこそ、少しずつ、少しずつしか彼に近づけない。
下手に近づいて、唯依の居場所に行けば、あの世界での彼と今の彼との違いで苦しみ、戸惑い、分からなくなる。
だから今は、少しずつ“彼”と彼の違いを見つけ、同じ所を見つけ、そして“彼女”の想いと自分の想いに整理を付けなければいけない。
夢の中で憧れた彼と、今の彼を同一視してそのまま愛せるほどエリスは子供ではない。
だからこそ苦しんでいる。
だからこそ、自分が憧れる場所で、揺らいでいる唯依に怒りを覚えた。
確かに原因は自分だろうと理解している、あの場所に残っていた髪と、ここ二日間の行動で丸分かりだ。
だがエリスからしてみれば、その程度で揺らぐ方が悪いのだ。
彼には彼の生きてきた人生が在る、その全てを受け入れられない人間に、彼の決意を破る事は出来ないし、破る資格も無い。
「……そこからどうするか、それは貴女が決めなさい。今の貴女は、相応しくない…」
聞こえていない事は分かっているが、それでも言い残してシミュレーターデッキを出て行くエリス。
そんな彼女の表情もまた、泣き崩れそうな顔だった。
どれ位時間が経ったのか、唯依が呆然と膝を抱えて筐体の中で蹲っていると、外から何か声が聞こえてきた。
そして筐体が外から操作され、ハッチが開く。
「唯依ッ!!」
「……やま…と…?」
そこに居たのは、息を切らせている大和の姿。
唯依とエリスの会話を偶然聞いていたラトロワが、あの後大和に知らせたのだ。
息を切らせて自分を心配そうに見る、その姿を呆然と見上げる唯依だったが、相手が大和であると認識した瞬間、涙が溢れた。
「唯依ッ、大丈夫か、何があッ!?」
泣き出した唯依の姿に、筐体に入る大和だったが、唯依に抱きつかれて言葉が途切れる。
「やまと、やまと、やまとっ、どうすればいい、わた、わたしは、私はどうすれば…どう…すればぁ…っ」
「唯…依……」
子供のように泣きじゃくる唯依の姿に呆然とする大和。
あの気丈で凛とした唯依が、子供のように泣く姿なんて、大和であっても想像出来なかった姿だ。
「うあぁぁぁ…あああああぁ…っ」
悲しみと悔しさの涙を流して大和に縋り付く唯依に、大和は戸惑いながらも彼女の頭を抱き締める。
だが言葉が浮んでこない、何を言えば良いのか分からない。
だから大和は、ただ黙って抱き締めた。
彼女の泣声と姿を、誰にも見られないようにハッチを閉じて。
そして、唯依が泣き止むまで抱き締め続けたら、唯依は泣き疲れて眠っていた。
涙を流しながら、悔しさと悲しさにその美貌を歪めて。
「唯依……」
そんな彼女の姿を見て、大和はただ、拳を握るしか出来なかった。
そして、二人が入った筐体を、デッキに誰も入らないように見張りながら、ラトロワが見つめ続けていた……。