2001年10月15日――――
横浜基地PX――――
「ふ~ん、篁中尉がそんな事をねぇ…」
「はい、かなり悩んでいるご様子でした」
大和が横浜基地へ戻るほんの数時間前、PXの食堂では休憩時間の武が、同じく休憩時間の凛と会話していた。
その内容は、この前凛が唯依に相談された事。
「周りから見たらそう見えるのかねぇ、俺からしてみれば逆なんだけどな」
「それは、お兄様は大和お兄様と親しいからそう思うのですよ」
ラトロワ少佐が言う、自分が消えた事云々ではなく、BETAとの戦いをそれだけ重要視していると感じている武。
実際の所、大和の考えはその両方でありそのどちらでもない。
BETAとの戦いは重要だし、技術を広めるのは大事だと考えている。
と同時に、自分がこの世界から消える事も考えて技術者の育成にも取り組んでいるのだ。
そもそも、大和の設計図関連は殆ど未来の誰かが考えた物であり、正確には大和の物ではない。
大和からしてみれば使えそうな物を掻き集めただけなので、独占とかその辺り考えていないし、どうせ誰かがその内考えるのが確定なので広める事に躊躇しない。
ただ、未来で考えた誰かが、今現在既に構想を練っていたら危ないので、近年に完成する技術や構想が始まっているのが確定している設計図は夕呼に預けて扱って貰っている。
夕呼管轄なら横浜基地内部だけで扱われるので、外に漏れ出す事は無いからだ。
「まぁ、俺も大和の全部を知ってる訳じゃないし、絶対なんて言えないけどさ…」
「そうですね…大和お兄様は内心を語らない方ですし…」
長い事家族として接している凛とも、親友である武ともやはり一歩引いた関係を持っているのが大和だ。
本心を語らず、常に感情を隠している大和に、武は彼の抱えているモノを感じ取っていた。
武と大和は、似ているようで全く異なるループを経験している。
その為、抱えている感情もモノも異なるのだろう。
「分かった、俺の方でも少し聞いてみるよ」
「お願いします、お兄様」
妹分に頼まれた上に、親友に関する事なら断れないと胸を叩く武。
そんな頼もしい兄に笑顔を浮かべる凛。
そこへ、まりもちゃんがファイル片手にやってきた。
「白銀、少し良いか?」
「? 何か在りました?」
凛が敬礼するのに答礼して武に声を掛けるまりも。
クエスチョンを浮かべて問い掛ける武に、まりもは手にしたファイルを手渡す。
「先程、帝都からトレーラーが到着して、Type-00Cを二機、搬入して行ったのだ」
受領者のサインが必要と言う事で自分がサインして、とりあえず地下搬入用エレベーター前に置いてあると説明するまりも。
「00Cって、黒の武御雷が? なんでまた…」
と呟きながら凛を見る武、その視線の意味を理解してプルプルと首を横に振る凛。
「いえ、警護隊に増員の話も予備機搬入の話も聞いてませんよ」
「じゃぁなんで武御雷が…?」
標準機とは言え、武御雷は斯衛軍専用機。
それが何故親密な関係に在るとは言え、国連軍である横浜基地に? と首を傾げる武ちゃん。
それを言ったら紫の機体が基地にあるのだが、あれは殿下が冥夜の為に無理を言って搬入して貰った機体だ。
誰の管轄だよと書類を見れば、責任者は大和になっている。
「あ、もしかして大和が前に言ってた武御雷の強化計画の試験機か?」
「そんな話があるのですか?」
そう言えば前に言ってたなと思い出した武の言葉に、目を丸くする凛。
凛も横浜の技術力は良く理解していたが、自分の愛機でもある武御雷まで強化する計画が在るとは思わなかった凛。
何しろ武御雷は去年配備を開始されたばかりの、最新機だ。
確かに生産性や整備性よりも性能を優先なので、問題といえば問題だがそれをどう強化すると言うのか。
「武御雷も不知火・嵐型のように強化するのかしら…」
「いや~、嵐型みたいに改造すると、金額が大変な事になるって愚痴ってたから、轟型みたいになるんじゃないかな?」
まりもの疑問に、苦笑して答える武。
流石に武御雷を不知火・嵐型のように改造するのは無理が多いらしい。
そもそも、武御雷はまだ配備を開始してから一年程度。
まだ大々的に改造するには早いだろうと、斯衛軍からも意見が出ている。
なので、撃震・轟型のように外付けパーツで弱点などを克服する事になるだろう。
その為に、大和が今回の出張に合わせて殿下を始めとした関係各所に出向いてお願いし、契約して周ったのだ。
その為、三日ほど出張が延びた。
因みに巌谷中佐には事前に連絡が行っており、根回ししてくれたからこんなに早く搬入されたのだ。
そして、搬入された2機は武と大和が斯衛軍時代に使っていた機体だ。
大和が昔、自分と武に合わせてチューニングしてあった為、そのままでもXM3に対応できる上に、実働データも揃っている。
国連軍移籍の際に、駆動部改修参考機として巌谷中佐が残して置いてくれたのだ。
「とりあえず、俺が大和の所に持って行きますよ。確かもうそろそろ帰ってくる筈だし」
と言ってファイルを預かる武。
要件を終えたまりもは、二人に一応敬礼を残して仕事に戻った。
現在、格納庫で機体のCWS換装訓練の途中らしい。
衛士の基本訓練の中に新しく盛り込まれる事になった、CWS規格の換装訓練。
整備訓練と同じように、一応衛士も覚えておけという事だとか。
訓練マニュアルが無いので、整備兵の人に教わりながら、現在A-01揃って訓練中。
「って言うか、普通一緒に帰って来ないか?」
「ですよねぇ…」
同じ日に帰ってくるのなら、トレーラーと一緒に戻れば面倒も無くて早いのにと苦笑する武に、同じく苦笑する凛。
「大和お兄様の事ですから、途中で御土産買う為に先に行かせたとか」
「うわ、在りそうだなそれ…」
凛の冗談交じりの言葉に、微妙に在りそうだと笑う武ちゃん。
まさか本当に御土産買う為に遅れているとは思うまい。
「それにしても、00Cの強化ですか…」
私の00Aも強化できるのかしらと少しワクワクしている凛。
彼女、微妙にCWSとかを使ってみたいと思っていたのだ。
「ま、不知火・嵐型が配備完了してからの話だろうけどな」
現在不知火から嵐型への改良途中で、生産された不知火・嵐型の配備も途中だ。
その状況で斯衛軍の武御雷まで強化・配備は色々と辛い、金銭とか。
横浜基地からの委託製造や何やらで貧乏とは言わないが、そこまで余裕が無かったりする。
暫く他愛無い会話をしてから、それぞれの仕事に戻る二人。
武ちゃんもファイルを届けてからA-01に合流して、訓練監督をやる予定だとか。
凛が、横浜基地から貸し与えられた警護隊の待機部屋へと戻る途中、隊長である月詠中尉がどこか優れない顔色で歩いてきた。
「中尉、どうかしましたか?」
「あぁ、七瀬少尉か…。それがな、先程月詠大尉から連絡があってな…」
従姉妹とは言え階級とか形式を重んじる彼女達、いくら武ちゃんに毒されても公の場所では確りとしています。
「大尉からですか? 何か問題でもっ」
元上官の真耶からの連絡で、あの真那さんがお疲れ顔。
これは何か大変な事がと思って焦る凛。
「………『もう抑えられん』…だそうだ…」
「…………………」
凛の問い掛けに、従姉妹との言葉をそのまま伝える真那さん。
普通なら何のことやらと首を傾げるが、凛には直ぐに何の事か理解した。
は っ ち ゃ け 殿 下 が 御 乱 心 。
そんな言葉が脳裏に浮ぶ凛。
「……殿下、ですか…?」
違って欲しいなぁという思いで問い掛けた言葉は。
「…殿下だ…」
お疲れ声の真那さんの、深い頷きで返された。
今この瞬間、確実な殿下襲来フラグが立ちました。
殿下の襲来、今の今まで月詠大尉が筆頭となって抑えていたのだが、ここ数日、大和の護衛の為に大尉が留守にする事が多かった。
そして、真耶さんばかりズルイですよ、と色々な意味で痛い所を突かれた。
仕事ですと答えても、私の訪問も仕事ですと言い返される。
これ以上抑え込むと何を仕出かすか分からないだけに、終に殿下の横浜基地訪問が決定した。
主な理由は、不知火・嵐型などの開発や、クーデター時の協力などへの礼と、慰問である。
横浜基地は日本人が多いだけに、喜ばれるだろう。
「と言う事で、覚悟をしておけ」
「了解です…」
苦笑するしかない真那さんと、敬愛する兄がどうなるか分からずにそっと涙する凛。
この瞬間、帝都で殿下がウフフフフ…と笑い、地下へのエレベーターの中で武ちゃんが悪寒を感じて震えていた。
横浜基地屋上――――
「……君…は…」
カラカラに乾いた喉から絞り出した声は、秋風に掻き消されしまいそうな大きさだった。
しかし彼女には確りと届いたのか、一瞬きょとんとしてから微笑んだ。
「失礼しました、名乗っておりませんでしたね」
そう言って、姿勢を正して敬礼するエリス。
その瞬間、大和は心の中で身構えた。
『初めまして』・『お初に御目に掛かります』、そんな言葉に何度心を抉られた事か。
「エリス・クロフォード“中尉”です、先日開発計画の参加試験部隊として着任致しました」
と言って微笑むと同時に手を差し出すエリス。
「あ、あぁ、ようこそ中尉。歓迎するよ」
身構えていた『初めまして』に関係する言葉がなかったので肩透かしを喰らった気分の大和。
差し出された手を取って、握手を返す。
「本来なら…」
「む?」
「『初めまして』…と言うべきですが、必要在りませんよね?」
――――ヤマト中尉…?――――
「―――ッ!?」
握った大和の手に少しだけ力を入れて、外れないようにして微笑みながら呟くエリス。
その言葉に、ビクリと硬直して彼女の微笑を真っ直ぐに見てしまう大和。
まさか、本当に覚えているのかという疑問。
その疑問を肯定するように、エリスは一歩前に進み出た。
「まるで御伽噺のようです。“彼女”が憧れ、愛した人が今目の前に居る…これも奇跡と言うべきでしょうか」
ゆっくりと、大和の手の温もりを確かめるように両手で掴むエリス。
その掴んだ大和の手を自分の胸の位置まで持ってきてから、大和の瞳を下から覗き込む。
「彼女が憧れたヤマト中尉とはやはり違いますね。あの世界の彼はもっと荒々しくて抜き身の剣のようでした」
「な、何を…」
「でも、同じだと思ってしまうのは、貴方の存在が同じであると私の中の“彼女”が認識しているからでしょうか」
「何を言っているんだ!?」
淡々と、微笑を浮かべたまま語るエリスに、思わず声を荒げてしまう大和。
予想外の邂逅と、不安を煽る言葉にいつもの冷静な自分を保てなくなっていた。
「済みません、少し気持ちが高ぶってしまって…彼女の想いに、私も流されてしまったみたいです」
私も彼女で、彼女も私ですから。
そう言ってクスクスと微笑むその微笑は、あの頃の、束の間の平穏の時に隣で笑っていた彼女そのもの。
だが、大和の中の何かが、彼女は違うと訴えていた。
「言葉遊びなら後にして貰えるか、何が言いたい…!」
「あ…やはり同じなんですね。今の貴方、あの世界の中尉に戻っていますよ?」
嬉しそうに、そして楽しそうに大和の頬を左手で撫でるエリス。
昔に戻っていると指摘された大和は、表情を歪めつつ目の前の女性を見る。
記憶にあるエリスはショートヘアーだった。
今の彼女は、セミロングより長く、もうロングヘアーと言っても問題ない長さの金髪を、秋風に遊ばせている。
「少し…昔話を聞いて頂けますか? 自分でも未だに現実と思い切れない、でもただの夢とも幻覚とも思えない話を…」
そう言って、エリスは再び大和の手を両手で握った。
そして、ゆっくりとその口を開いた。
事の始まりは、今から約2年前の、エリスが士官学校の卒業を控えた時だった。
BETAに脅かされていない米国で、時間を掛けてエリート街道を進んでいた彼女。
このまま卒業すれば上級士官として配属され、その後もエリートとしての道が待っている。
唯依と同い年だが任官が遅いのは、お国柄故に。
そんな中、国連主導の元、日本の本州奪還作戦、通称『明星作戦』が決行された。
自国の軍が、G弾を2発使用して人類史上初となるハイヴ奪取に成功。
G弾が使用された時刻、エリスは突然悲鳴を上げて倒れた。
強烈な頭痛と何かが入ってくる、そんな感覚に意識が耐えられずに倒れたのだ。
そして、検査の後も特に問題が無いとされたエリスだったが、それ以後、毎晩夢を見るようになった。
それは、幼い頃のエリスの夢、物心付いた頃からの、掠れた記憶。
最初は昔を思い出しているのだと思った彼女だったが、夢はエリスを観客にした映画のように毎日、次々に人生を追うように見せていった。
毎日そんな夢を見る事に不安を覚え、カウンセリングも受けたが無駄だった。
やがて夢は今に近い映像を見せ始めた。
今に追いつけば終わるのではと思っていたエリスだったが、夢は彼女の予想を裏切り、さらに先を見せ始めた。
彼女が知る筈も無い、先の出来事を。
仕官学校の卒業から任官、エリートとして着実に階段を登る自分。
まさか予知夢? この先の人生を見せてくれている?
そう思って日々を過ごしていたエリスは、将来自分がF-22Aに乗れる事に喜んだりしていた。
だが、ある日を境に夢は想像もしなかった方向へ進み始めた。
G弾の大量投入による大規模反攻作戦、それに並行しての外宇宙への大規模移民計画。
国を守る為に衛士となったエリスは、当然地球に残り戦う事に。
だが、G弾運用での大規模反攻作戦は最初こそ上手く行ったが、数個のハイヴを落としてから直ぐに効果を上げなくなった。
そして、反撃と言わんばかりのBETAによる大規模侵攻。
今まで強固に守り続けていた各防衛線が次々に破れ、日本と台湾が完全に陥落。
BETAはカムチャッカ半島を足場にアラスカへと侵攻し、終には米国領土まで侵攻を許してしまった。
その後は、大和が知っている通りだった。
虎の子部隊として出撃すれば、地獄のような現実と孤立無援、上からも切り捨てられ絶望したが、大和達国連軍のお陰で生き延びる。
そして、夢の中のエリスは彼を追って行った。
出世も地位も投げ捨てて、彼らの後を。
その後、米国本土での防衛線に参加しながら、色々な基地を転々とした。
常に彼の後を追いかけ、背中を守り続けた。
想いを寄せても応えてくれない彼、高い実力と謎めいた部分を持つ彼。
そんな彼を信じて戦い続けた最後は、彼に“生かされた”。
悲しみを抱えて、南アフリカ、豪州にまで渡って戦い続けた。
何故か夢の中のエリス以外が、誰もが彼を忘れてしまった世界で。
それでも彼女は、彼の存在を、彼の功績を伝えながら戦い続け…果てた。
最後の瞬間まで、彼を思い続けて、彼女の短い人生は終わりを告げた。
「そんな夢を…見てきました」
最初は気味が悪かった夢、信じられない夢。
しかしその中で、その世界でのエリスは確かに生きて、そして戦っていた。
今、この世界のエリスが目指した道を捨ててまで生きたその生き様。
それは今のエリスから見ても、気高く、誇り高く、そして美しかった。
だからこそ、エリスは夢のエリスを道標とした。
夢の中で本当の事のように感じる事が、自然と彼女の知識や経験となっていた。
技術やテクニックは、夢の中の自分をお手本にした。
そして、目標は夢の中のエリスを導いた彼。
他の事も、エリートとしての道も忘れて、ただ直向に強くなる事だけを目指した。
その結果が、今のエリスだった。
夢の中のエリスと、彼に導かれたのが、今ここに居るエリス・クロフォードという存在。
「君は…違うんだな…」
「その問いにはイエスでありノーでもあります。あの世界での彼女と自分は間違いなく同じ、ですが辿った道が違います」
だからイエスでありノー。
彼女は間違いなくエリスだが、この世界のエリスだ。
あの世界の、大和を慕い、想い続けた彼女本人ではない。
今目の前に居るエリスは、あの世界から流出したと思われるエリスの記憶と願いを受け取った存在。
武や大和とは違う、殿下と同じ存在。
「彼女は最後、どこで…?」
「豪州の最終防衛線で。逃げ延びた米軍が持っていた最後のG弾の爆心地で果てました」
エリスの答えに、やはりかと思う大和。
エリスと殿下、二人に共通するのは、G弾爆心地と、強い願い。
殿下から聞いた夢の最後と合わせて考えると、この二つが浮かび上がった。
後は、殿下とエリスが冥夜達と同じ、00ユニット候補者かもしれないという可能性。
殿下は冥夜の双子だけあって可能性は高い、エリスは調べないと分からないが、もしかしたらその可能性も在るかもしれない。
「本当は、あの夢が本当の事であるという自信はありませんでした。当然です、あんな夢が現実だなんて…」
つい最近まで半信半疑、別世界の出来事という考えすら、つい最近思い至った事だと話すエリス。
「でも、別の世界、別の歴史だと確信できる出来事がありました」
「………クーデターか」
大和の言葉に、静かに頷くエリス。
あの時の出来事は、国連を通じて様々な世界へと伝えられた。
当然、既に任官して頭角を現していたエリスも、知る事になった。
夢の中の世界ではクーデターは起きなかった。
それに、横浜基地発の、支援戦術車両、スレッジハンマーなんて開発されなかった。
その事から、夢の中の世界とこの世界が、別の歴史を辿っている事に確信を得た。
それと同時に、所属している基地に居続けても大和に出会えないかもしれないと悩んだ彼女だったが、話は勝手にやってきた。
横浜基地の戦術機開発計画。
その開発責任者に、彼の名前が在った。
あの世界よりも上の、少佐として。
「驚きましたが、同時にチャンスと思いました。あの世界の通りとなるなら、今から最低でも3年後ですからね」
横浜基地陥落、日本陥落、カムチャッカ半島陥落、アラスカ陥落。
敗戦に敗戦を続けた結果、大和はエリスの居る場所へと辿り着くのだから。
「あの世界の中尉が、あの強さとBETAの行動への対処を知っていたか、やっと理解出来ました。貴方もまた、継承しているのですね…?」
記憶と経験を。
それならば、年下の大和が脅威的な強さを持っていても、戦いで冷静な対応が可能な事にも納得が行く。
「………概ね、その通りだ」
実際には記憶の継承ではなくループなのだが、そこまで彼女に教える必要は無いだろうと思い、頷く。
「不思議なモノですね、あの世界の彼女が恋焦がれ、愛を捧げた人が目の前に居るなんて…」
「………それは、俺もだ」
困ったように笑うエリスに、寂しげな苦笑を浮かべる大和。
まさか、自分の関係者が記憶の継承をしているとは思わなかった事だ。
今までの長いループの中、一度も無かった事だけに。
だが、彼女は記憶こそ在れこの世界のエリスだ。
現に、彼女はあの世界の自分の事を“彼女”と呼んでいる。
つまり、自分は自分、あの世界の彼女はあの世界の彼女なのだと割り切って考えているのだろう。
だからこそ困っている。
“彼女”の強烈な感情が、自分の感情だと錯覚しそうで。
「自分が覚えていても、相手はそれを知らない…だから貴方は彼女も、他の人の想いにも答えずに居たのですね」
「………俺は弱い人間でね、心が引き千切られるような経験は、二度で十分だ…」
つまり、二度、愛した人から傷つけられた。
そして相手にも自分にも責任は無い。
だから、大和は、愛する事を諦めた。
「ですから、初めましては言いません。私自身は初対面ですけれど」
苦笑するエリスの配慮に、大和も苦笑するしかない。
だが、彼女に初めましてと、知らぬ相手を見る瞳で見られるより何倍もマシだった。
「しかし、何時確信したんだ…?」
確証なんて無かったのだろうという、大和の問い掛けに、少し考える仕草を見せるエリス。
「さぁ…なにせ、一目見た瞬間、私の中の何かが確信していましたから。もしかしたら、“彼女”がそう思わせたのかもしれませんね」
今の大和と、あの世界の大和の関連性を、一目見ただけで確信して行動に移る。
やはり彼女は彼女かと、エリスの即断即決っぷりを良く知る大和は苦笑するしかない。
「少佐、最後に一つ、失礼を許して下さい」
「何を……っと」
大和の返答もそこそこに、握っていた手を離して大和の腕の中へと飛び込むエリス。
風に流れる金髪が舞い、彼女の温もりが胸の中に広がる。
「……クロフォード中尉…?」
「エリスと…呼んで下さい。すみません、彼女の…感情が強くて…」
温もりを求める気持ちを抑えられないと、胸板に頬を摺り寄せるエリス。
大和を求めていた想いが今の彼女を突き動かし、こうさせているようだ。
「………すまないな、エリス…」
「謝らないで下さい…貴方は何も悪くないのですから…」
むしろ、あの世界の私を救ってくれてありがとうございます…と、小さく微笑むエリス。
あの世界での出来事が、今の彼女の人生を狂わせたと思い、責任を感じる大和を、確りと抱き締めるエリス。
「今はまだ、この想いが彼女だけのモノなのか、判断が出来ません…」
どれ位抱き合っていたか、ゆっくりと身体を離して見上げてくるエリス。
「だから、気持ちの整理がついたその時に、改めて告げさせて頂きます」
「…あぁ、どちらにせよ、覚悟して置こう」
今のエリスは、今の大和を知らない。
だから、あの世界と今との齟齬や違いを埋めてから、改めて告げると話すエリス。
その言葉がどんな言葉で在ったとしても、覚悟だけはしておくと頷く大和。
「そんな事を言って。どうせ拒絶するんですよね?」
「…な、何の事かな…」
微笑を消して、鋭く大和を見るエリス。
その視線は、唯依とソックリだと思う大和。
「まぁ良いでしょう、今の私が貴方に惚れていなければどうでも良い話です。ですが、もし私の、今の私の想いも“彼女”と同じになったら…覚悟して下さいね?」
――――今度はただの部下、副官程度では満足出来ませんから。何せ二人分の想いですので…――――
そう言って、大和の唇に指を当てて微笑むエリス。
そしてクルリと踵を返して出入り口へと向う彼女を、呆然と見送る大和。
「あぁ、それともう一つ。あの世界の“彼女”も、今の私も、結局私なんですよ?」
そう言って、先程大和の唇に当てた人差し指を自分の唇に当てるエリス。
さらに唖然とする大和の表情に満足したのか、微笑み浮かべてまた歩き出した。
「……あら?」
扉を開けようとしたら、その扉が少し開いている事に気付いた。
自分が入ってきた時、確かに閉めた筈なのに。
中へ入ると、階段を駆け下りる足音が微かに聞こえる。
だが既に姿は見えない。
「……これは…」
出入り口の扉の傍らに、長い髪が落ちて居るのに気付いたエリス。
その髪は長い長い黒髪だった。
横浜基地地下・士官居住フロア――――
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」
飛び込むように自室へと駆け込んだ唯依は、荒い息を吐きながら震える身体を抱き締めてその場に蹲った。
先程、屋上への出入り口で、大和とエリスの抱擁シーンを目撃してから、唯依の頭の中は自分でも整理が出来ない状況。
「どうして…どうして…どうして…!」
グルグルと回る頭の中の情報、何故大和が、何故エリスが、何故何故何故ナゼナゼナゼナゼ…。
壊れた音楽再生機のように、何度も何度も同じ疑問が頭の中を回る。
ラトロワ少佐から疑問を指摘されてから、溜りに溜まった疑念や不安が噴出し、唯依の顔を青褪めさせ、唇を振るわせる。
考えたくない、想像したくない答えが、未来が、勝手に頭の中で浮かび上がってくる。
「嘘だ…嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ、嘘だぁぁっ、……こんなの、こんなの…!」
頭を抱え、髪を振り乱し、瞳に涙が溢れる。
考えたくない事が、脳裏に浮かび上がる。
大和が人を受け入れない理由を。
大和の、謎が多い出自の理由を。
勝手に理由をつけて、本人が望んでいない話を造り上げる。
――――大和が人を愛さない理由は、既に愛している人が居るから。それが、エリス――――
――――大和の謎が多い出自は、唯依の知らない裏があり、それにエリスは関連している――――
当然、それは唯依の勝手な想像だ、そんな事は無い。
だが、否定する材料が無いのだ。
「大和…どうして……どうして…!」
床を叩いて、その衝撃で涙が零れる。
あの時、夕日の中でエリスを抱き締める大和。
その表情は、唯依でも見た事が無い位、優しく、儚く、そして泣きそうな表情。
それだけで、大和がエリスに対して何か強烈な想いを抱いている証拠になる。
イーニァを見守る目でもない、クリスカを後押しする目でもない、自分に向ける目でもない。
ズキリと胸が痛む、溢れる不安に押し潰されそうになる。
大和の事は自分が良く分かっているという自負が崩れ、あっと言う間に自分より近い位置に入り込んだと思えるエリスに怒りが湧く。
今まで大和や周りに抱いていた嫉妬なんて、比較にならない想いが溢れ出そうとする。
確かに、大和の心を抉じ開ける為に、イーニァやクリスカの事を後押ししたし、自分でも妾は仕方が無いと嫌々納得していた。
だが、いざ自分より彼に近い人間が現れた瞬間、背筋が凍る感覚を覚えた。
それは、自分の立ち位置を、自分の居場所を、自分の求める物を、全て奪われるという恐怖。
「大和…大和、大和ぉ…」
弱々しく、助けを求めるように呟く唯依。
視線を上げると、そこにはベッドの上でこちらを見下ろすように座るたけみかづちくん。
よろよろとベッドへ近づくと、たけみかづちくんを抱き締めて顔を埋める。
「私は…私は何時からこんなに弱くなったのだ…」
小さく呟いて、涙を流す。
流れた涙が、腕の中の人形に落ちて、小さな染みを作るのだった……。