2001年6月7日―――
この日、大和が管理する70番格納庫の奥に、二機の機体が搬入されてきた。
対外的に極秘扱いで搬入された機体は、コンテナに詰められ、遥々海を渡ってこの横浜基地へとやってきた。
「数日遅れたが、無事に到着したか…」
見上げる二機は、それぞれ薄黒い配色の機体と、グレーの機体。
頭部モジュールの長い顎からF-15の意匠を感じさせるその機体は、米国のATSF(先進戦術歩行戦闘機)計画で生み出された機体。
競合であったF-22A、当時の名前であるYF-22とは対照的な戦闘スタイルでありながら、YF-22を開発した会社をも負けたと確信させた程の機体。
しかし、米国のG弾運用が決定した事で戦術の見直しなどから採用されず、雨曝しの後に展示品として米国各地の博物館を盥回しにされた悲運の戦術機。
ノースロック社製第3世代戦術機、YF-23『ブラックウィドウⅡ』。
世界一高価な鉄屑とまで比喩された二機が、今大和の目の前で鎮座していた。
横浜基地着任時から、夕呼に設計図などを渡して交渉を頼んでいたのは、全てはこの機体を手に入れる為に。
大和が知る限りで、現存する機体において“最強”と呼ぶに相応しい機体は、このYF-23だ。
日本の武御雷、同じ米国のラプター、欧州連合のタイフーンなど、第3世代戦術機を数多く知る大和が最強と推すのはこの機体に他ならない。
高い総合性能もそうだが、米国では珍しい近接格闘戦を重視し、可動兵装担架システム位置の見直しなど、目新しい特徴の多いYF-23。
大和が設計・開発した機体に良く似た特徴を持っている…いや、大和がこのYF-23をモデルにして設計しているのだ。
「……………何年ぶりかな、お前に触れるのは…」
タラップを上がり、整備ガントリーに固定された機体の装甲に触れながら上を目指す大和。
その表情には、昔馴染みに再会した時のような、懐かしいという感情が見受けられる。
やがて一番上のキャットウォークに辿り着いた大和は、自然な動作で機体の上へと飛び降りた。
頭部モジュールの横に降り立ち、その頬に触れる大和。
「……また逢ったな、相棒…」
ゆっくりと額を冷たい装甲に触れさせ、瞳を閉じる。
「お前は知らないだろうけど…俺はお前を良く知っている…」
懐かしさと共に思い出す、この機体…YF-23PAV-1…愛称はスパイダー。
かつての世界で、たった一度だけだが共に戦った記憶を、大和は思い出していた。
2008年8月27日―――
既に30回を超えたループを経験した大和は、やはりオルタネイティブ5が発動した世界で戦っていた。
5が発動してから数年、地球に残された人類はG弾の大規模運用と共に次々にハイヴを攻略。
勝てるという希望が出てきた瞬間、G弾が戦果を上げなくなり、やがて材料までもが枯渇する事になる。
あ号目標が健在であり、G弾に対する対応が各ハイヴからBETAに伝えられてしまったのだ。
G弾を最優先で撃墜され、時にG弾を撃った後に数倍の規模が無事だった地下から押し寄せてくる悪夢。
米国の戦術は、たった6個のハイヴを落としただけに止まり、その後は惨敗…。
日本、台湾などのユーラシア大陸は完全にBETAに占領され、帝国軍と中華統一戦線はそれぞれアフリカ・オーストラリア、そしてアメリカへと避難。
やがてBETAはカムチャッカ半島を占領し、そこからアラスカ・北アメリカへと侵攻。
頼みの綱のG弾が尽きた米国は次々に防衛線を抜かれ、ワシントンを始めとした各所にハイヴが建設されてしまう。
国連本部はオーストラリアへと移設され、米国の国連での発言権は衰退。
アメリカの崩壊は、目前に迫っていた。
そんな中、大和は国連軍衛士としてアメリカの大地に居た。
「どうなっている、何故民間人を避難させないッ!?」
前線から戻り、F-15から降りた大和は、仮設駐屯地の現状を見て声を上げた。
大した防衛能力の無い駐屯地には、数百人の避難民が居り、侵攻してくるBETAの恐怖に怯えていた。
彼等は米国全土、ニューヨークなどから逃げてきた人々だ。
航空機は既に光線級の影響で使えなくなり、彼等は陸路で逃げるしかなく。
やっとの思いで、この駐屯地まで辿り着いたのだ。
「それが、脱出用のムリーヤが足りないんです。南からの機体もBETAに撃ち落とされたらしく…」
「メキシコが落ちたのかッ!?」
「わかりません、しかし戦線が大きく後退しているのは確かです」
整備兵の言葉に歯痒い思いをする大和。
米国軍の能天気な考えの為に、民間人の避難が遅れに遅れ、既に何万人も犠牲になっている。
それなのに、こうして無事な人々は、未だBETAへの恐怖に震えている。
「中尉、貴方の機体はもう…」
「……そうか、すまないな…」
「いえ、耐久限界までこうして戦えたこいつは幸せですよ」
先ほどまで戦場を駆け、撤退の殿までこなしたF-15を見上げる。
全身に傷や汚れが付着し、関節部は悲鳴を上げているかのように音がしている。
整備兵からすれば、こんな機体でよくここまで辿り着いたモノだと驚愕する位の摩耗度だ。
「換えの機体は用意できるか?」
「残念ながら…」
「だと思っていた、ボロボロだなここも…」
駐屯地を見渡せば、そこら中にスクラップ寸前の機体が転がり、無事な機体は一機も存在しない。
そもそも無事な機体があれば、早々に戦線に送られている。
ここは防衛線から後方にある、補給基地を兼ねた駐屯地なのだが、現状では満足な補給も儘ならない。
「中尉っ、ご無事ですかっ!?」
「エリス少尉か、見ての通りだ。そちらも無事帰還出来た様だな」
駐屯地を見渡していた大和に駆け寄ってくる金髪ショートの女性。
その瞳は喜びで潤んでいた。
「中尉が殿を務めて下さいましたから。お陰で全員無事です」
「そうか、それならこいつも満足してくれるだろうな…」
「……中尉の機体もですか…」
大和が見上げた機体を見て、エリスが表情を曇らせる。
彼女、エリス・クロフォード少尉は、国連軍の衛士で現在大和の中隊の部下だ。
だが中隊とは言え、既に部隊は半壊。
生き残った衛士は、大和と彼女を含めて5名。
戦える機体も無い為、部隊再編すら出来ない現状だ。
「司令部に行くぞ、せめて民間人だけでも避難させなければ…」
「はい!」
大和の後の続くエリス、彼女はこんな状況であっても絶望しない年下の上官を頼もしく思っていた。
司令部に辿り着くと、大和はあまりの現状に言葉を失った。
なんと司令官不在で、数名の情報官が南アメリカへの救助要請を何度も繰り返している。
彼女達に司令官の居場所を聞いて部屋へと走れば、またそこで言葉を失う。
司令官室で基地司令や駐屯地上層部の人間が、軒並み逃げ支度をしているのだ。
「グルウィック司令官、何をしているのですかッ?」
「見て分からんのか馬鹿者が、南アメリカへ避難するのだ。もう前線は持たない、明日にはここも戦場となるのだぞっ」
「ならば何故民間人の避難を始めないのですか、まだムリーヤはある筈です。女子供から避難させねば――」
「馬鹿者がっ、この状況下で民間人などを運べば我々が逃げる分が無くなるだろうがっ!?」
大和は司令官が何を言っているのか一瞬理解出来なかった。
そしてそれを理解した瞬間、大和の表情が消えた。
それを感じたエリスは、自身が敬愛する中尉が、本気で切れた事を理解した。
「では、民間人は見捨てると?」
「当たり前だ、我々に連中を運ぶ余裕はない。ムリーヤだって衛士と機体を積めば一杯なのだ。連中がここに残ればBETAの侵攻も遅れるだろうしな」
肥え太った司令官の言葉に、エリスは同じ人間である事を拒否したくなる思いだった。
自分達が助かる為に民間人を、自分達が守らなくてはいけない人々を見捨て、その上囮にまでしようとしているのだ。
「中佐、それは軍の行動規定に反しますが?」
「規定がなんだ、そんなもの戦場では何の意味も無い! 中尉、貴様も助かりたければ大人しく従う事だ。それとも得意のカミカゼでもしてくれるかね?」
笑う基地司令、戦線が混乱した為に偶々中佐だった上に他に上の階級が居らず司令になっただけの無能。
そしてそれに同意する上層部。
エリスがあまりの怒りで涙が零れそうになった時、大和が彼女の目の前に移動し、連中からその姿を隠した。
いや、逆だ、彼女の視界から彼等を隠したのだ。
「司令、こんな話を知っていますか?」
「なんだ、私は忙しいのだぞっ!?」
「BETAとの戦争より前、人間同士の戦争において、指揮官が死ぬ理由の大部分を占めている理由を……」
「はぁ? それがなんだ――『パンッ!』―――あ…?」
短く小さな音が響き、その後司令の胸から赤い染みが広がっていく。
「無能な指揮官は、部下に撃たれて死ぬそうですよ。誤射に見せ掛けてね…」
その言葉が終わると同時に、連続で銃声が響いた。
大和の持つ拳銃から硝煙が上がり、基地司令を含めた全員が血の海に沈む。
「司令っ、何事です―――なぁっ!?」
銃声に駆け付けて来たMPの兵士が見たのは、無表情に銃を持って死体を見下ろす大和と、その背中で固まっているエリスの姿。
「ちゅ、中尉っ、何をしたのか分かっているのですかっ!?」
銃を向ける兵士達。
それを一瞥すると、大和は銃をしまい、入り口へと歩き出す。
「と、止まれっ、上官殺害の容疑で拘束するっ!!」
「時間が無い、直に駐屯地内の民間人と怪我人を脱出させるぞ」
「聞いているのか、貴様を拘束す―――ひっ!?」
兵士は大和が向けた瞳に戦慄した。
能面のような無表情と、ギラリと鈍く光る視線。
言い表せない恐怖を感じる彼の持つライフルが震える中、大和はその銃口を掴むと自分の額に当てた。
「撃つなら撃て。だが、俺を撃てば明日にはBETAの体内の中に入る事になるぞ」
「な、何を…っ!?」
「既に前線は崩壊を始めた、ここも明日にはBETAに埋め尽くされる。死にたくなければ俺に従え。死にたいのなら俺を撃て」
兵士は絶句するしかなかった。
銃口を額に押し付けているのに、微塵も恐怖を感じていない大和に。
そして、銃を持っているのは自分なのに、まるで自分が銃口を向けられているかのような恐怖に。
「基地司令共は民間人を餌に自分達だけ逃げるつもりだった。貴様もその口か? もしそうなら―――」
その先は口にしない大和。
だが兵士達は理解した、もしも自分達が死んだ司令達と同じなら、彼は躊躇なく自分達を殺すと。
例え銃を向けられていても、額に銃口が付いていても、彼は自分達を殺すだろうと。
「………こ、この事は上層部に連絡しますよ…」
「好きにしろ。それまで生きていればいくらでも罰を受けるさ…」
折れた兵士達、目の前の衛士を止める術が無い事を彼等は理解してしまったのだ。
それに、大和が言う事が本当なら兵士である自分達は民間人を守らなければならないのだから。
だから、今は見逃す。
大和を捕らえるのは、ここを脱出してからだ。
「エリス、各部隊の隊長を集めろ、お前はムリーヤの状況を調べてくれ。そっちのお前は戒厳令をしいてくれ、民間人に基地司令達が逃げようとしたなんて知られたら、暴動が起きるぞ」
迅速に指示を出す大和の有無を言わさないその指示に、部下であるエリスだけでなく、MPである兵士まで従ってしまう。
「何としても、彼等だけは逃がしてみせる…」
そう呟いた大和は、死体があるだけの部屋を一瞥し、扉を閉めるのだった。
数時間後、各部隊長やその他の代表を集めた大和は、基地司令達の行動を話すと共に自分が射殺した事を説明。
文句があるならここで自分を殺せと、作戦テーブルの上に拳銃を放り投げた。
皆戸惑う中、数名の部隊長が大和の行動に同意し、大和を殺すなら自分達も殺せと同じように拳銃を投げる。
ここに集まった部隊の大半が前線からの退却兵であり、彼等が無事ここまで辿り着いたのは大和の部隊が殿を務めたからだ。
元米国軍の上官との不祥事で中尉のままの大和だが、実際は佐官になっていてもおかしくない武勲を挙げている。
そんな彼を慕う人種は多く、この場でも彼の指示に従うと言ってくれた。
「現在BETAにより前線はほぼ壊滅…遅くても明日の昼にはここまで到達する。光線級の脅威を考えると、明日の朝までに輸送機を送り出さなければならない」
「しかし中尉、ムリーヤは現在3台しかありません…民間人全員はとても運べませんよ…」
整備班の代表からの言葉に、表情を暗くする面々。
司令部が散々南アメリカへ救援を願うものの、メキシコ戦線が危機の為にこちらに救援は回せないと言う。
「…整備班長、ムリーヤがギリギリ飛行できるレベルで、外に何個コンテナが付けられる…?」
「え…そりゃ、つけるだけなら戦術機用の再突入殻で3…あとは小さいのを7~8位ですが…まさか中尉っ?」
「そうだ、そこにも人を入れれば人員だけなら避難可能だ」
大和の無茶な提案に多くの人間が驚愕する。
「だが流石に女子供を乗せるのは危険が多い、そこには兵士や機体の無い衛士などに乗って逃げてもらう」
「しかし中尉、そうなると機体が輸送できねぇぜ?」
現在国連軍の各基地は、撤退の際は出来るだけ機体と武装を持ち帰れと通達されている。
「この基地に持っていって使える機体があるのですか大尉?」
「あ、それもそうか…」
連隊の大尉が大和の言葉に苦笑する。
ここには前線から撤退してきた機体ばかりで、無事な機体など存在しないのだ。
「……いえ、6機だけあります。無事な機体が…」
だが、整備班長からの発言に全員が振り向く。
「基地司令が、近隣の航空博物館から接収した機体があるんです。南アメリカの基地への手土産にするつもりだったのか、周りには内緒で…」
そう発言する整備班長は苦々しい顔だ。
あの連中の、逃げた先での敷金代わりに使われる予定だった機体達。
戻ってきた衛士達が、機体がないと嘆き悔しんでいたのを見て酷い罪悪感に襲われていたのだろう。
「そうか…よく報告してくれた班長。これで脱出する機体の護衛が出来るな」
そう言って班長の肩を叩き、直にその機体を整備して戦えるようにしてくれと頼む。
「了解しました、バッチリ整備しておきますっ」
敬礼し、さっそく機体の準備を始める為に走る班長。
それを見送り、大和は残った面子とこの後の予定を話し合うのだった。
翌日の夜明け前―――
駐屯地では3機のムリーヤに民間人と非戦闘員、それに負傷者の受け入れが急ピッチで進められていた。
女子供と負傷兵は機体内部に乗り込み、急造だが手すりやベルトに身体を固定して離陸を待つ。
MPや兵士達、それに無事な衛士は外に固定されたコンテナや再突入殻に乗り込む。
そしてそのムリーヤを守るように、10機の戦術機が立っている。
F-16XL…F-16ファイティング・ファルコンの派生機でありF-16より少々大型の機体。
これはF-15Eストライクイーグルに採用試験で破れた試験機であり、近隣の航空博物館に保管されていた機体が2機。
さらにF-15・ACTVが2機、こちらも記念に保管されていた機体で、航空ショー用にカラーリングは派手になっている。
機体表面がボロボロなF-15E 3機とF-16 1機は、帰還した機体で比較的無事だった物を、使えないと判断された機体からパーツを持ってきて修理した物だ。
そして、前線の方を見据えて鎮座するのは、悲運の戦術機、YF-23ブラックウィドウⅡ。
偶々近隣の博物館で展示されていた機体を、司令部が接収し、手土産にと保管していたらしい。
現在米軍の主力であり、国連軍にも多く配備されているラプターと凌ぎを削った機体。
そのコックピット内で、大和が各種システムと機体のチェックを進めていた。
「まさか、あのYF-23に乗る事になるとはな…」
「中尉もこいつの話をご存知で?」
チェックをしている整備兵の言葉に、苦笑して頷く。
元の世界でも、自分のお気に入りだった悲運の機体。
それに乗って戦う日が来るとは、長いループの中でも考え付かなかった事だ。
「こちらPAV-1スパイダー。PAV-2グレイゴースト、調子はどうだ?」
『こちらグレイゴースト。最高です中尉、まさかこの機体に乗れるなんて…』
ヘッドセットから聞こえる声と網膜投影に映る映像のエリスは、少々陶酔しているように見える。
「喜ぶのは良いが、この機体に乗る意味を忘れるなよ?」
『当然ですっ、この機体に乗る以上…絶対に、輸送機は守り抜きます』
大和とエリスに与えられた…否、自らが志願した任務。
それは、間も無くここへ押し寄せるであろうBETAの先陣を押さえ、輸送機を無事に逃がす事。
その為に、最高の性能を誇るYF-23がその任務に使用される事になった。
他の機体には各部隊長が乗り、輸送機の護衛を任されている。
南アメリカまでの航路に、BETAが居ないとは限らないのだから。
その為、8機には半壊した戦術機から燃料や外付けのスタスターを急造で装備し、航続距離を伸ばしてある。
『中尉、何もお前さんが残らなくても良いんじゃないのか?』
「生憎、戻れば銃殺が待っていますので。死ぬのは戦場と決めてますからね」
ACTVに乗る大尉からの言葉に、軽口で返す大和。
相手の大尉も笑い、そして真面目な顔で敬礼する。
それに大和も答礼して答える。
「そろそろ時間だ…君も早く行け」
「は、はい…中尉、グッドラック!」
最後まで整備をしてくれていた整備兵を輸送機へと行かせ、深呼吸してグリップを握る。
今まで何度も死に、何度も繰り返してきた人生。
最近では死んでもいい、死んだとしてもまた繰り返しだと諦め始めていた。
『あの、中尉…』
「…どうした少尉?」
通信を繋いできたエリスに、大和は優しい視線を向ける。
その視線に赤くなるエリスは、一度深呼吸をしてから顔を上げて真っ直ぐに視線を向けてきた。
その表情は、とても美しいと大和は感じた。
『私は、中尉の部下になれて幸せでした。貴方が居なければ、きっと私はアラスカ戦線で死んでいましたから…』
「…そうか」
彼女との出会いは、2年前のアラスカ戦線。
その時から、ずっと彼女は大和の部下として戦ってきた。
『だから中尉…いいえ、ヤマト。私は、貴方を愛しています…心から、貴方を…』
そう言って優しく、儚げに微笑む彼女の言葉に、大和は目を見開き…そして小さく感謝の言葉を述べる。
「ありがとうエリス…その言葉だけで俺は……戦える」
操縦桿のグリップを強く握り締める。
今だけは…今この瞬間だけは、死ねない理由が出来たから。
『こちらドーバー1、間も無く離陸態勢に入る。繰り返す、間も無く離陸態勢に入る』
「了解したドーバー1、後ろは必ず守る、安心して行ってくれ」
『感謝します中尉!』
1機目のムリーヤが離陸態勢に入る。
と、無人の筈の司令部から通信が入る。
『こちらCP、スパイダーおよびグレイゴーストに連絡。観測機がBETAの反応を確認、数は凡そ300、侵攻速度から突撃級および要撃級と思われます』
「こちらスパイダー、管制感謝する。君たちも早く逃げろ」
『……了解しました、これで最後の通信を終わりにします。ご無事で…!』
司令部からの通信も途切れ、駐屯地はこれで完全に無人となる。
残るのは、2機のYF-23と、自動防衛機能のみ。
元々駐屯地であったここにあるのは、旧式の迎撃ミサイルと、セントリーガン程度だ。
『レーダーに反応、前方の街にBETAが侵入しました』
「あぁ、見えている」
エリスからの通信と共に、センサーに映る映像の向こうで、白い粉塵が舞い始める。
廃墟と貸した街に仕掛けれたトラップが発動しているのだ。
しかし、それも焼け石に水だろう。
「さて、行くか…お前のデビューがこんな戦いで済まないな…」
BETAとの戦闘も無く展示機にされていた2機。
その2機が今、初めてBETAと対峙する。
「こちらスパイダー、BETAの侵攻を遅らせる為に出撃する。全員の無事を祈る!」
輸送機と機体、全ての通信装置へそう告げて飛び立つスパイダー。
それに続くグレイゴースト。
低空飛行で向う先は、廃墟の街。
「グレイゴースト、時間を稼げばいい、無理に倒そうとするな!」
『了解です!』
突撃砲を構え、BETAとの戦闘に突入する2機。
侵攻してきたBETAは、突撃級と要撃級を主力とする一団。
その後ろには、恐らく光線級なども控えているだろう。
「悪いが…ここは通さんッ!!」
スパイダーの突撃砲が咆哮を上げ、突撃級と要撃級を駆逐していく。
『中尉に近づくな化物がぁぁっ!!』
エリスの乗るグレイゴーストが、スパイダーの背中を守る。
「これがYF-23の性能か…実に俺好みだ!」
機動力・旋廻性能・格闘能力、全てに置いて優れているYF-23。
確かにこれならF-22Aの連中も負けを認めると納得。
特に近接格闘能力は米国製なのに驚くほど高い。
突撃砲の銃剣や、長刀も使い易く、効果も高い。
右手の長刀で要撃級を切り殺しつつ、左の突撃砲でグレイゴーストを狙う突撃級を撃ち殺す。
『流石に、数が多いですね…っ』
「前線は完全に崩壊したようだな…ッ!」
次々にBETAを駆逐しつつ、駐屯地の状況を確認する大和。
今2機目が飛び立ち、最後の機体が飛び立つ準備を始めている。
「―――ッ、不味い、光線級が来たかッ!」
レーダーに最重要のマーカーが点滅し、光線級が来た事を知らせる。
距離を考えると、ここからでもレーザーで照射されてしまう。
「グレイゴースト、ここは任せる!」
『あ、中尉っ!?』
スパイダーの噴射跳躍システムを最大噴射し、飛び立つと、案の定レーザー照射をされる。
「ちぃッ!」
それを機体性能で避け、光線級を狙う。
「貴様等に、あの機体は落とさせはしないッ!!」
多くの民間人が乗る輸送機、一機でも落ちれば数百人の人々が死ぬ事になる。
「やらせるものか、やらせるものかよッ!!!」
咆哮し、重光線級を切り捨て、光線級を36mmで打ち砕く。
その動きを、戦いを、後方でBETAを抑えながらエリスは見惚れていた。
それと同時に思い出す、極東国連軍に存在する、二人の鬼。
一人は、現在オーストラリアで戦っている、突撃鬼(ストーム・オーガ)の白銀 武。
もう一人こそ、アラスカ戦線で多数の戦果を上げた強襲鬼(ストライク・オーガ)の黒金 大和。
誰が名付けたのか、二人の鬼は互いの顔を知らないまま、日本人衛士の代表格となっていた。
「私も、負けられない…っ!」
エリスはそう呟いて、駐屯地へと向おうとするBETAを殺す。
大和の培ってきた技量と経験、そしてYF-23の性能が合わさり、今ここにニ闘流の修羅が誕生した。
瞬く間にBETAの死骸が出来上がり、その事から大和達を危険と判断したBETAは、駐屯地への進軍を止めて2機に群がり始める。
それを次々に撃破していく大和達。
戦闘開始から数十分、最後の輸送機が重光線級の射程範囲から抜けたと連絡があった。
その頃には、既に2機は囲まれ、見渡す限りのBETAの山。
「これでは簡単には帰れないな…」
『どちらかが残れば、もう一機は逃げ切れると思いますよ…?』
軽口を叩きつつBETAを倒す二人。
大和はエリスが何を言いたいのか理解していた。
「どうせ、自分が残るから俺に逃げろと言うのだろう?」
『お見通しですか…そうです、中尉はまだ死んではダメです。必ず生き残って下さらないと…っ』
真剣な瞳で見つめながら戦うエリス。
その瞳には、決死の覚悟が見て取れた。
「そうか…だが、連中は俺達を逃がすつもりはないらしい」
『え…?』
大和の呟きと共に、地面が激しく振動を始める。
BETAの侵攻の地響きでは無い、もっと地面の下からの振動。
『地震っ!?』
「まさか、同じ人生で二度も相対する事になるとはな…母艦級め…ッ!」
大和の脳裏を過ぎる映像。
日本の、横浜基地を襲撃するBETA。
膠着していた戦線を、たった一種類のBETAによって崩された。
体内に数百ものBETAを入れて地中を移動する、母艦級。
防衛線の背後に突然地中から出現し、体内から要塞級を含むBETAの一団を吐き出すこいつによって、横浜基地は壊滅。
日本はBETAの手に落ちた。
この母艦級は、他のBETAよりもエネルギーの消費が激しいのかハイヴ近辺でしか確認されていない。
それが出現すると言う事は、この地にハイヴを作るつもりなのだ。
ハイヴの地下構造を構築しているのは、何を隠そうこの母艦級。
母艦級が掘り進んだ場所を他のBETAが広げ、あの内部構造が誕生するのだ。
「あの時の屈辱…忘れていないぞ母艦級!」
『中尉っ、私も…っ!』
振動からどの辺りに出現するか当たりを付け移動する大和に付いて行こうとするエリス。
しかし、大和がコックピットで何かを操作すると、突然グレイゴーストの操縦が出来なくなってしまう。
『な――っ、操縦が、どうしてっ!?』
「すまんな少尉、実は整備班にお願いしてグレイゴーストには特別な装置を搭載させてもらった」
『中尉っ!? どういうことですかっ!!』
エリスのグレイゴーストに搭載されたのは、データリンクを応用しての自動強制帰還システム。
機体に入力された場所まで、自動操作で機体を移動させるという物だ。
元々最近の戦術機には搭載されているものだったが、これは衛士が疲労で帰還できない場合に使用される物だ。
それを大和は、整備班と共に改造し、スパイダーからの操作で起動し、帰還するように設定した。
そして帰還するまで、一切の操縦を受け付けない。
「帰還場所は輸送機の後を追うように設定してある。後の事はブレックス大尉にお願いしてあるから心配するな」
『中尉っ! そんな、最初から、最初から私を逃がすつもりだったんですねっ!? どうして、どうして一緒に行かせてくれないのですかっ!!』
操縦が効かなくなった操縦桿をガチャガチャと動かして、必死に叫ぶエリス。
機体は既にBETAを避けながら離脱を始めている。
グレイゴーストが離脱しても、BETAはスパイダーを狙い、追いかけるのは少数だけだ。
「すまんな…これは、俺のエゴだ…。恨んでくれていい、呪ってくれて構わん。だから…生きてくれ、エリス」
『中尉っ、ヤマト中尉ぃ!! 嫌です、私も、私も傍に、貴方の傍に居させてください、お願いです、お願いだから…一人にしないで、ヤマトーーーっ!!!』
映像の中で泣き叫ぶエリスに微笑み、大和は通信を切断した。
そして、小さくなってくグレイゴースト見送ると、周囲のBETAを引き連れて震源の場所へと向う。
「すまんなスパイダー、俺に付き合せて…お前の兄弟は無事の筈だから許してくれ」
レーザーを避け、要塞級を殺しながらその場所へ向う。
グレイゴーストの燃料を持たせる為に、敵をひきつけ動き回り、レーザーを空撃ちさせる為に跳び続けた上に、輸送機や護衛機の為に燃料を渡した今のスパイダーには、離脱する為の燃料が無いのだ。
「もしも次にお前と逢う時は…俺がお前を強くしてみせる。その時まで待っていてくれ、相棒…!」
次のループへの誓いを胸に、大和は操縦桿を握り締め、跳躍する。
レーザーを避け、落下するスパイダーの真下の地面が隆起し、中から母艦級が顔を出す。
「貴様の好きにはさせんぞ、母艦級ッ!!」
口を開いた母艦級の中へと飛び込んでいくスパイダー。
内部がBETAだらけの中、機体が削られても進む大和。
そして噴射跳躍システムが脱落した所で、拳を振り上げる。
「いつか必ず…貴様等を滅ぼしてやるぞッ、BETAぁぁぁぁぁぁぁぁッッッ!!!!」
壮絶な叫びと共に大和は拳を振り下ろし、機体に急遽搭載した複数のS-11が爆発。
内部から母艦級の前の部分を吹飛ばすのだった。
「中尉…? そんな、嘘ですよね…ねぇ、中尉…ヤマト…中尉ぃ…っ」
スパイダーの反応が途絶えた事に気付いたエリスが、操縦席の中泣き崩れる。
彼女を乗せたグレイゴーストは、無事に輸送機に追いつき、護衛をしていたACTVに連れられて南アメリカの基地へと辿り着く。
一人残り、大勢の民間人と兵士達を救った大和だったが、上官殺害などの容疑から二階級特進すら無く、さらに因果導体の宿命で誰もが彼を忘れていく。
しかし、彼の事を生涯忘れなかった一人の衛士が、その後オーストラリアにまで大和の事を伝え戦うのだった。
「――…さ、――…う―――…さ、――少佐っ!」
「む…ッ、おぉ、中尉、どうかしたのか?」
記憶の海から強制的に戻された大和の視線の先には、キャットウォークから彼を見下ろす唯依の姿が。
「どうしたではありませんっ、機体に額をつけて動かないから、体調が優れないのかと心配したんですよっ!?」
「あぁ…すまない、少し考え事をしていた…」
「ぁ……あの、少佐…? 泣いて…いるのですか…?」
「え…」
唯依が顔を心配に歪めて問い掛けて来たことで、初めて自分が涙を流していた事を知った大和。
右目から流れるその涙を指差しで拭うと、苦笑を浮かべる。
「感傷に浸っている場合では無いというのに…情けない」
「あの、少佐?」
「なんでもないよ中尉。それより、何か用かな?」
涙を拭い、唯依を見上げながら問い掛ける大和に、先ほどまでの表情は無い。
「あ、はい。間も無く模擬戦闘の準備が完了しますので、地上まで来てください」
「そうか、なら急ぐとしようか」
「あ、ちょっと、少佐っ、危ないですよっ!?」
唯依が驚く視線の先では、大和がスパイダーの上から飛び降りて、一番近いキャットウォークへと降り立っていた。
「さぁて、楽しい楽しい公開処刑…もとい、模擬戦闘の始まりだ」
「少佐、不謹慎な発言は控えて下さい、聞いてますかーーっ!?」
慌てて大和を追いかけてくる唯依。
下まで降り、少し歩いた所で後ろを振り返る大和。
「待っていろよ相棒…お前に、新しい力と名前を与えてみせるからな」
そう言ってスパイダーを見上げる。
機体は、物言わずそこに鎮座しているが、どこか戦いを待ち望んでいるようにも見えた。
「あの後の事は分からないが…エリスが無事なら良いんだがなぁ…」
死んだ大和に、あの後エリス達がどうなったのか知る術は無く、また人類は総じて10年程度しか生き残れないのも知っている。
それでも願ってしまうのは、彼女との絆を思い出してか。
「考えても仕方が無いか…今は、この世界で出来る事をするだけだよな……」
「何をブツブツ言っているのですか少佐?」
「おや、早いな中尉。いや、YF-23を弄れて嬉しいな~ってね」
「本当ですか…? まぁ、米国がこの機体を提供してくれるとは思いもよりませんでしたが…」
唯依とて戦術機の開発に関わっている人間だ、YF-23の事も知っている。
その機体が搬入されたと聞いて、一番驚いたのも彼女だ。
「この機体達も、不知火のように大々的に改造するのですか?」
「いや、この機体は姿をなるべく残すつもりだ。ステルス性能が勿体無いし、何より…」
そこで一度立ち止まり、もう一度2機を見上げる大和。
「少々、思い入れがあるのでね…」
「…少佐…?」
遠くを、機体よりも遠くを見ている大和に、不安を覚える唯依。
彼女が時々目にする、大和のどこか遠くを見ている視線。
その先がどこかのか分からず、唯依は言い知れぬ不安を抱く。
時々大和が、とても遠い人に思えて。
いつか、消えて行ってしまうような気がして。
唯依は、堪らなく不安になる。
「しょ、少佐!」
「お? どうした中尉…?」
突然唯依が大和の手を握り、歩き出すので軽く驚く大和。
「そろそろ模擬戦の時間が近いです、急いで下さいっ」
「おおおおおおおーーーーっ!?」
顔を真っ赤にしながら大和を引っ張っていく唯依。
周囲のスタッフが首を傾げる中、唯依は自分の行動に赤くなりながら、握った手の温もりを感じていた。
こうでもしなければ、大和が消えてしまいそうで怖かったから…とは、今の彼女はとても言えない事だ。
結局唯依は、顔をリンゴのように真っ赤にしながらも、地上に着くまで手を握り続けるのだった。