2001年5月2日―――
20:50―――
「♪~~~♪っ」
鼻歌を歌いながらご機嫌に廊下をトテトテと歩くのは、本日の訓練を終了したイーニャ。
彼女はシミュレーターでの訓練を終えると、シャワーを浴びて一目散に大和の執務室を目指していた。
理由は当然、大和。
昨日一昨日と、シミュレーターでの成績が悪く、居残り練習をしていたので逢えなかったのだ。
その為、彼女はその分も含めて大和に甘え倒そうと考えていた。
彼女の保護者兼姉であるクリスカは、提出する書類を纏めているので後から来る予定。
普通なら伊隅がするべき仕事だが、イーニャのように甘えられない彼女は、仕事を大義名分として大和と接する時間を増やそうとしていた。
急に仕事熱心になったクリスカに、伊隅達はただただ呆然とするしかなかったとか。
「ついた」
大和の執務室へ到着。
「ヤマトー、あけてー」
インターホンを鳴らし、いつも通りの言葉を受話器に向ける。
普段なら次の瞬間に聞こえる筈のイーニャの大好きな声は―――
『……誰だ?』
「――――――っ!?」
知らない女性の声だった。
時間は少し戻り20:30―――
「ぬ、もうこんな時間か…」
「え…あ、そうだな…」
仕事を一段落させて背筋を伸ばした大和が、壁の時計を見て呟く。
それに反応して新たにセットされた執務机で仕事をしていた唯依も、知らずに時間が過ぎていた事に気付いた。
「やれやれ、夕食を食い損なったか…」
「まだ夜食なら貰えるだろう、何が良い?」
思い出したように空腹を訴える腹を撫でながら苦笑する大和。
同じように苦笑しつつ、席を立とうとする唯依。
現在、二人きりという事もあって、プライベートな話し方をしている二人。
第三者がいれば確りと上司と部下になるものの、唯依も大和や武に染まったものである。
「いや、整備班に渡す書類もあるし、俺が行こう」
そう言うと書類を片手に執務室を出て行く大和。
何か言いたげだった唯依は、結局椅子に座り直して書類仕事を続ける。
「変らないなぁ、アイツも…」
元の職場で仕事をしていた時も、こんな感じだったと思い出し、微笑を浮かべる唯依。
所属や階級が変わっても、中身が変らない大和の性格に、意味も無く嬉しく思ってしまう。
広めの執務室に二人っきりという状況に、最初こそ緊張していたものの、大和の変らない態度に今ではすっかり無くなっている。
「そう言えば、月詠大尉が言っていたな……」
ふと、以前彼女に言われた言葉を思い出す。
「『二人が馬鹿な事をするのは、信頼した相手だけ』…か。全くだな…」
斯衛軍で名前が売れ始めた二人は、時折畏怖や切望の目で見られ、若い衛士達からは尊敬の目で見られていた。
『鬼』と呼ばれた白銀、その相棒であった黒金。
武が鬼ならば、大和は『金棒』だろう。
二人が組んだら、それこそ手が付けられない。
だが、そんな二人も、特定の相手だと歳相応の表情を見せる。
「信頼の証か…ならば、それに答えないと…っ」
よしっ、と自分に気合を入れて書類仕事を進める唯依。
大和の副官となった彼女の役割は、大和と整備班、開発班とのパイプや、陣頭指揮、それに雑務だ。
今まで全部大和一人でこなしていたが、これからは唯依がそれを受け持つので、大和の仕事が減り、結果開発や設計に時間がかけられるようになる。
密かに大和の副官の座を狙い、必死にアピールしていた技術スタッフ(女性多数)は、彼女の着任に内心涙を流していたり。
だが、逆に言えば大和が副官や直属の部下を持つ事が出来るという証明でもある。
その事に考え至ったスタッフ達は、より一層のアピールと、唯依から推薦してもらえるように彼女への売込みを始めるのだった。
大和本人に、部下を持つ気があればの話だが。
それは兎も角。
大和が戻るまでにきり良くしておこうと書類を片付けていた彼女の耳に、執務室のインターホンが鳴る音が聞こえる。
そして次の瞬間、スピーカーから聞こえる声に絶句する。
『ヤマトー、あけてー』
「…………っ!?」
スピーカーから聞こえた声は、昨日紹介された訓練兵と同じか、下位の少女の声。
インターホンの画面を見れば、そこには日本人ではない、銀色の髪の儚げな少女が映っていた。
そんな少女が訪ねてきた事も驚きだが、何よりも馴れ馴れしいにも程があるあの呼びかけ。
武と大和で慣れたとは言え、形式と規律を重んじる斯衛軍出身の唯依には、衝撃的な言葉。
だからなのか、彼女は引き攣った頬で受話スイッチを押し。
「……誰だ?」
硬い言葉で返答してしまうのだった。
「いかんな、遅くなってしまった…っ」
大和の執務室への道を、足早に駆け抜けるクリスカ。
本日までのシミュレーターの情報を提出する為に書類を整理していたら、少々時間がかかったようだ。
先に行ったイーニャが心配…という理由ではなく、単純に大和の手間を増やしてしまうかもしれないという不安からの早歩き。
国連軍の制服はタイトスカートで走り難いので早歩き。
「訓練着の方が楽なのだが……」
以前、その事をつい大和に呟いたら「ナイス脚線美!」と親指を立てられた。
言葉の意味は不明だが、とりあえず褒められたようなので悪い気はしないクリスカ。
大和と知り合ってからそろそろ4ヶ月、思えば随分変わったものだと苦笑する。
「これも、少佐のおかげか…」
内緒の教導や相談で、随分とクリスカの腕前が上がった。
それは横浜基地最精鋭であるA-01のメンバー全てが認めている。
大和には感謝してもしきれない…と、頬を染めながら執務室を目指していると、その執務室前でイーニャが何やら叫んでいた。
「イーニャっ、どうしたの?」
「あ、クリスカ!」
慌てて駆け寄ると、イーニャは悲しげに顔を歪めて頬を膨らませていた。
「クリスカ、こいつがヤマトにあわせてくれない!」
「なに…っ?」
頬を含めて指差す先には、インターホンのスイッチと受話器。
一瞬、インターホンが壊れて通じないのか? と思うが、受話器の向こうから聞こえた声に、イーニャが言いたい事を理解する。
『だから、何度も言うが正式な理由も無く入室は認められない』
「誰だ、貴様!?」
聞き覚えの無い声が聞こえ、思わずイーニャを庇ってインターホンを睨みつけるクリスカ。
頭の隅で、この光景かなりマヌケなのでは…?という疑問が湧くが、今は無視。
『私か? 私は黒金少佐の副官として着任した、篁 唯依中尉だ。貴官こそ名前、所属、階級を言わないか』
「少佐の副官だと…っ、そんな、そんな話聞いていないぞ……。わ、私はクリスカ・ビャーチェノワ少尉、“黒金少佐の部下”だ!」
受話器の向こうの相手…唯依の言葉に激しく動揺するものの、言い返すように答えるクリスカ。
『な―――っ、ぶ、部下だと? そんな、渡された資料には載っていなかった……証拠はあるのか?』
事前に夕呼から大和の元で開発などに関わっている人間のプロフィールを借りている唯依は、それに乗っていなかった部下を名乗るクリスカを睨みつつ問い返す。
睨んでいても、クリスカ側からは唯依の姿は見えないのだが。
「め、明確な証拠はない…だが、少佐には毎晩戦術機の教導をして頂き、この部屋へはほぼ毎日入室の許可を頂いている!」
『ま、毎晩!? 毎日っ!?』
何を想像したのか、声が裏返っている唯依。
因みに、クリスカが部下と言い張っているのは、大和がA-01へ配属されたから、階級が下の自分は当然部下という考えから。
唯依はA-01をまだ知らないので、大和の個人的な部下と勘違い。
知らない間に、外人でスタイルが良い美人の部下を持っていた事に、内心嫉妬してしまう唯依姫。
クリスカもクリスカで、心を許した相手に出来た突然の副官の存在に嫉妬していた。
「はやくあけて、ヤマトにあわせて!」
焦れたイーニャが扉をドンドンと叩きながら抗議すると、確証は無いものの大和の部下を名乗る二人を追い返したら問題かと思い、警戒しながらも扉を開く唯依。
扉が開いた瞬間、身体をねじ込むように入室してきたイーニャとクリスカ、唯依との間に火花が散った。
「ふぅ、遅くなってしまった……」
PXでおばちゃんに作ってもらった握り飯(13個)と残り物の合成唐揚げと合成竜田揚げ、それに味噌汁を入れたポットをお盆に乗せ、自分の執務室への道を歩く大和。
遅くなった理由は、PXで武が207+霞と遊んでいたので、弄り倒してきた為だ。
因みに現在、武は大和の情報に踊らされた冥夜・千鶴・茜から「ちょっと…お話しようか?」状態である。
「ふふん、社嬢が武の部屋から出てきたという情報だけであの嫉妬っぷり…これは近々大規模な修羅場が発生するかもしれんなぁ…」
因みに続きの映像は、麻倉盗撮後衛がバッチリ撮影中だ。
「唯依姫、待たせた―――――な゛」
扉が開いた瞬間硬直する大和。
室内では、修羅姫モードの唯依と、デストロイモードなクリスカが睨み合っている。
―――え、ちょ、なんでいきなり修羅場?―――
固まったまま脳裏で焦る大和。
幸い、二人は眼前の相手に集中しており、こちらに気付いていない。
理由は不明だが、間違いなく原因は自分にある気がして撤退を選ぶ大和。
「あ、ヤマトっ♪」
しかし、大和の戦術的撤退は、無邪気な天使によって阻まれた。
クリスカの後ろで唯依を睨んでいたイーニャは大和に気付くと同時に嬉しそうに駆け寄り、その胸に飛び込んで頬擦り。
硬直していたのに咄嗟にお盆を上に上げる大和の反応に拍手。
「「少佐っ!?」」
だが、次の瞬間、イーニャの言葉を耳にした二人のギラリという視線が大和を捉える。
「(こ、これは、武が発生させる修羅場フィールド!? な、何故ここに発生しているんだ!?)」
時折武を巡る女性達の間で発生する、恋愛原子核特有の現象。
それが何故自分の周囲でまで発生しているのか分からず内心大混乱。
その間に唯依とクリスカがズンズンと歩み寄り、それぞれ大和の腕をグワシッと掴む。
「「少佐、詳しい事情を聞かせ願います……」」
「は、はひ……」
あぁ、何か昨日もこんな感じだったような……。
そんな感覚を覚えつつ室内に引き込まれる大和。
閉まる扉が、地獄門のように感じられたのは恐らく気のせいの筈。
「すまなかった、まさか少佐の所属している部隊の隊員とは知らずに……」
「いや、こちらこそ。少佐の副官なら当然の対応だと私も思う、すまなかった中尉」
「ごめんなさい…」
数十分後。
ビシッと謝罪する唯依に、こちらも謝罪するクリスカとイーニャ。
あの後、大和からそれぞれ紹介を受け、お互いの事情を話した上でお互いの非礼を詫びる三人。
そもそもの原因は、未だに二人にパスを与えていなかった大和にある。
教導だけでなく、複座でのデータ収集や武装開発を手伝って貰っているのだから、パスは与えるべきだった。
大和も意地悪で与えなかったのではなく、単純に二人が自分が居る時に訪ねてくるので必要と思っていなかっただけだ。
「…………よし、これで二人も一応自由に入室できるぞ」
「ありがとう、ヤマト!」
「ありがとうございます、少佐」
青い顔で二人にパスを与える大和。
顔色が悪いのは、二人の怒りのオーラに当てられたからだろう。
パスが貰えて嬉しそうなイーニャと、心なしか頬が赤いクリスカ。
特にイーニャは、これがあればいつでも大和の部屋に入れると、宝物のように胸に抱いている。
「それにしても、香月副司令直属の部隊…もしや、横浜基地で唯一不知火を運用している部隊ですか?」
「おや、中尉は知っていたのか?」
「えぇ、非常に練度の高い部隊が横浜に居ると、巌谷中佐に以前聞いた事があります」
色々と耳ざとい中佐なら知っていて当然か…と納得する大和。
「その通りだ、一応秘密部隊扱いなので詳細は伏せるが……ま、その内中尉も知る事になるだろうな」
「そうですか……」
大和の副官となった以上、嫌でもA-01との関係は増える。
下手をすれば、A-01と一緒に戦う事もありえるのだ。
「………タカムラ、ヤマトとながいの…?」
おばちゃん特製の味噌汁を飲みながら見上げてくるイーニャ。
彼女の言葉遣いが普段からこうと説明された唯依は、若干慣れないものの、顔には出さない。
「そうだな……一応一年以上の付き合いになるな」
「………いいなぁ…」
唯依の言葉に、本当に羨ましそうなイーニャ。
これには唯依も何を言えば良いのかと困り、クリスカを見る。
が、彼女の視線からも、似たような感情を感じて最後には大和を見るが……。
「ぬぅ、また梅干し……ッ、これはおばちゃんからの遠まわしなお仕置きなのかッ!?」
三回連続で梅干しお握りを食べてしまい、戦慄していて役立たず。
「あぁ…そう言えば梅干し苦手でしたね…」
「わたしもキライ…」
「私も得意ではないな……」
苦笑する唯依と、酸っぱいとばかりに唇を尖らせるイーニャ。
クリスカも嫌なのか顔を顰めている。
因みにお握りの具は、合成梅干し・鮭・昆布・オカカである。
「仕方ない…少佐、私のと交換しましょう」
そう言って、自分が食べようとしていたお握りを差し出す唯依。
「い、良いのか中尉…ッ、ありがたい、今日から君の事は女神☆唯依たん(ゴッデス☆ゆいたん)と呼ぼう!」
「殴りますよ」
大和の言葉は兎も角、お握りを交換する二人。
次こそ鮭、いや昆布でも良いなぁと呟きながら齧り付く大和を、苦笑しつつ自分が持つお握りに目を向ける。
梅干しが露出しているお握り、つまり食べ掛け。
「(あ……今更だけど、これってもしかして――――っ!?)」
「かんせつ……キス…」
「ッ!?(///」
ジト目のイーニャに指摘され、真っ赤になる唯依。
「タカムラ中尉………」
「ち、違う、意図してやった訳じゃなくて、誤解だ、そんな目で見ないでくれ少尉っ!(///」
暗い瞳で見てくるクリスカに、慌てて弁解する唯依。
大和の同僚をやっている内に身に着いた世話焼きスキルを恨めしく思いながら原因である大和を見ると―――
「………………………今日は、厄日か………」
また梅干しだったお握りを片手に、真っ白に燃え尽きていたのだった。