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No.6379の一覧
[0] マブラヴ ~新たなる旅人~ 夜の果て[ドリアンマン](2012/09/16 02:47)
[1] 第一章 新たなる旅人 1[ドリアンマン](2012/09/16 15:15)
[2] 第一章 新たなる旅人 2[ドリアンマン](2012/09/16 02:35)
[3] 第一章 新たなる旅人 3[ドリアンマン](2012/09/16 02:36)
[4] 第一章 新たなる旅人 4[ドリアンマン](2012/09/16 02:36)
[5] 第二章 衛士の涙 1[ドリアンマン](2016/05/23 00:02)
[6] 第二章 衛士の涙 2[ドリアンマン](2012/09/16 02:38)
[7] 第三章 あるいは平穏なる時間 1[ドリアンマン](2012/09/16 02:38)
[8] 第三章 あるいは平穏なる時間 2[ドリアンマン](2012/09/16 02:39)
[9] 第四章 訪郷[ドリアンマン](2012/09/16 02:39)
[10] 第五章 南の島に咲いた花 1[ドリアンマン](2012/09/16 02:40)
[11] 第五章 南の島に咲いた花 2[ドリアンマン](2012/09/16 02:40)
[12] 第五章 南の島に咲いた花 3[ドリアンマン](2012/09/16 02:41)
[13] 第六章 平和な一日 1[ドリアンマン](2012/09/16 02:42)
[14] 第六章 平和な一日 2[ドリアンマン](2012/09/16 02:44)
[15] 第六章 平和な一日 3[ドリアンマン](2012/09/16 02:44)
[16] 第七章 払暁の初陣 1[ドリアンマン](2012/09/16 19:08)
[17] 第七章 払暁の初陣 2[ドリアンマン](2012/09/16 02:45)
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[6379] 第四章 訪郷
Name: ドリアンマン◆74fe92b8 ID:6467c8ef 前を表示する / 次を表示する
Date: 2012/09/16 02:39

 ───風が吹いた。


 舞い降りた異邦人を歓迎するかのように、その丘を一陣の風が吹き抜けた。

 緑なす丘をなびかせ、木々の葉を宙にさらったその風を受け、武は思わず目をつぶる。


 ───葉ずれの音がやわらかく響いた。

 ───冷たい風のはずなのに、とてもあたたかく感じた。

 ───そしてなによりも、満ち溢れるような生命のにおいがした。


 その一瞬に、複雑な想いが胸をよぎる。が、すぐさまそれをしまい込んで、武は空を見やった。
 すでに太陽は沈みかけている。時刻は16時半近くだろうか。
 急がないとと考えながらも、その目は空から移り、丘から望める風景に注がれていた。

 眼下に広がる赤らんだ街並み。その中で一ヶ所、不自然に開けたとある区画。横浜港を挟んで、橘町の観覧車もベイブリッジも見える。
 道にはおかしな様子もなく人が行き交い、風に乗って車の音も聞こえてくる。

 変わらない。何も変わっていない。
 何が真実かはまだわからなかったが、それでも武はわずかに安堵した。

 そして、武が安堵の息をついたそのとき、ただひとつ『前回』と違う声が掛かる。
 先程から、武の左腕にしがみつくようにして傍らに寄り添う少女。
 その少女は、流れる黒髪を風に揺らしながらゆっくりと周囲を見渡し、そして口を開いた。


「───ここは……一体どこなのだ?」


 呟いたような冥夜の声は、しかし風の中でもふるえて消えることなく、武の耳に届いた───








 第四章  訪郷


「やっと来たわね、白銀」
「おそかったではないか、タケル」

 武が扉を開けると、早々にそんな声が掛けられた。
 部屋の奥には、はや唸りを上げている実験装置。そしてその足元には、夕呼を含めて三人の人間がすでに揃っていた。
 装置の調整をしていたらしい夕呼と霞のふたりはともかく、さっき別れた冥夜まで自分より先に到着していることには、おいおい何でだよ! と思う武だったが、早速夕呼が説明を始めたので黙って耳を傾ける。
 もっとも、その話自体は今の武にとって特に目新しいものではなかったし、夕呼にしてもそれがわかっているからか、説明は随分簡単なものであった。

 まずは確率の霧実験に関する簡単なおさらい。
 今回は武の話から解析して、必要な実験条件はほぼ整っているから、試験運転はなしだということ。
 当然の事だが、向こうでは不用意な人との接触は避けること。
 その程度の話が終わったところで、武は小型のケースを渡された。必要な証拠書類が収められたものだ。

 ───『前回』はとんでもない欺瞞書類だったな、これ。
 武が受け取ったケースを複雑な思いで眺めていると、それを読み取ったか、夕呼が言葉を挟んでくる。

「今回は余計なことは書いてないから心配しなくていいわよ。同じ手なんか陳腐でしょ」
「そんな心配はしていませんよ、いろんな意味で。ほんの少し引っかかっただけです」
 軽く答えて、ケースを脇に抱えた。それを見て夕呼は肩をすくめる。
「オッケー、じゃあさっさと始めましょう。実験条件が同じということは、結果はあんた次第なんだからね。一発で決めなさいよ」
「わかってますよ、先生。意志の強さが決め手、でしょう? 問題ありません」

 『向こうの世界』には様々な負い目のある武だったが、もはやそれを理由に逃げるような惰弱さは持ち合わせていなかった。霞にも浅からぬ負担を強いることになる以上、無駄を踏むつもりは毛頭ない。
 しかし、そう考えて意志を固めていた武も、夕呼の次の一言には一瞬真っ白になった。つまり───


「あ、そうそう、『向こう』には御剣も連れてってもらうから」

 という一言だ。
 さすがに慌てて聞き返す。

「はぁ!? ちょ、ちょっと、何言ってんですか!?」
「だから御剣も連れてけって言ったのよ。聞こえなかった?」
 飄々と繰り返す夕呼の様子に、聞き違いや冗談でなかったようだと悟り、武は考えをまとめてから改めて反論した。

「……待ってください。冥夜を連れてけって、オレ以外は無理って話じゃなかったんですか? 『向こう』の正確なイメージができない、座標が掴めないからって」
「ああ、『前の世界』のあたしがそう言ってたと。そうね。もしもあたしが行けたんなら、何もあんたを遣いに出す必要もないものね。でも、あたしが直接行けない理由はそれだけじゃないのよ。そして、御剣なら話は別かもしれないってこと」
 あっさりと答えて、夕呼は一旦言葉を切る。自らの名が出て何事か聞きたそうな冥夜の方に目を遣り、少し話題を変えて再び話し始めた。

「あんた達が何故またループしたのか、どうすればその原因を取り除けるのか、いくつか仮説は立ててるんだけどね。実験してみないことには検証も確定もできない。これはその為の実験のひとつよ。どうせ数式を取りに行かなくちゃいけないんだから、一石二鳥というもんでしょ。だから四の五の言わずにやんなさい」
 実験のついでに冥夜に武が別の世界出身であることを説明する事にした、と称して彼女をここに呼んだというのに、これは不意打ちもいいところだと武は思う。自分の過ちでまりもを死なせ、純夏を傷つけたあの世界に、たとえ可能であったとしても冥夜を連れていくのは、正直躊躇する感情もあった。
 だが、ループの解明、およびそれからの解放は、武にとってBETA殲滅と並ぶ最優先の課題である。確かにそれを出されれば否と言う余地はない、と口をつぐんだが、そうすると今度は冥夜が思案気に口を開いた。

「……正直話がつかめないのですが……、副司令、要するに私は何をすればよろしいのでしょうか」
「特に難しい事はないわよ。白銀から離れないように、あいつのことだけ考えていればいいから。簡単でしょ?」
「は、はぁ……」 
 あっさりとそう返されて、冥夜は生返事しかできずわずかに頬を染める。そのように言われても訳がわからないのだが、更に質問をできる雰囲気ではなかった。


 そんな冥夜の背中を押し、有無を言わせず武の腕にしがみつかせると、夕呼は二人を転移装置の前に押しやる。改めて集中するよう告げると、霞にもなにやら確認を取った。霞も真剣な表情で頷き、ふたりの方を見る。
(そうか、冥夜も一緒に送るつもりだったから、霞を207Bで訓練させたんだな)
 スケッチブックを抱えた霞と目を合わせた瞬間、武はそれに思い至った。
 だが、「それじゃあ、そろそろいくわよ」との夕呼の言葉で、雑念を振り払い集中するべく目蓋を閉じる。訳がわからない様子だった冥夜も、この上ない真剣な空気を感じて表情を引き締め、武にぴたりと寄り添った。
 制服越しに冥夜の体温を感じる。その温かさに支えられながら、武は『あの世界』の記憶を掘り起こしていった。


 ───活気に満ちた横浜の街。

 ───三年間通った白陵柊。

 ───委員長、彩峰、たま、尊人。向こうの世界の友人たち。

 ───送り込まれた因果に命を奪われたまりもちゃん。

 ───記憶を失い、冷めた目で自分を見ていた冥夜。

 ───バスケットゴールに押し潰され、血にまみれた純夏。

 ───最後に自分を送り出してくれた、夕呼先生の力強い笑顔。


 平穏な記憶も、辛い記憶も、ただ生のままによみがえらせ、『あの世界』へと跳ぶべく強く願う。夕呼の檄を再び心に染ませたところで、過去の記憶と共振したように世界が歪んだ。
 全てがかき混ぜられるような感覚を覚えて、武の意識が遠くなる。
 ただ、寄り添う冥夜が抱きしめる腕に力を込めたのと、最後に呟かれた夕呼の言葉は覚えていた。

「───気をつけなさい。行く先があんたの知っている世界とは限らないわよ」

 それは、やけに苦い声であったように───








 バラバラになった存在が急速に再構成され、ふたりは夕暮れの丘に意識を醒ます。取り戻した感覚はまず始めに、冷たくもあたたかな秋の風を受け取ることになった。
 吹き抜ける風と平穏な風景に感慨を覚え、しばし動きを止める武。その武に腕を絡めたまま、ゆっくりと辺りを見渡して、冥夜は呟く。

「───ここは……一体どこなのだ?」

 いましも陽が落ちようとしている時刻。その丘から望める街並みは、日本の風景に見えた。
 しかし、それでも空気が違った。いまやBETAの侵略によって滅亡の危機に瀕している国のそれとは違う、確かにのどかな空気があった。
「……随分と栄えている街だが、東北の何処かか? しかし、今の日本でこのような……」
 感じた疑問を押し出すように冥夜はそう口にするが、答えが返らず、促すように傍らを見上げる。そうすると、まさに目と鼻の先で驚く武と目が合い、あわてて冥夜は腕を解き、突き押すようにして体を離した。

「すす、すまぬ、タケル」
「……いや、なんていうか。……あまり驚かないんだな、冥夜」
 今まさに薄暗い地下の実験室から瞬間移動してきたというのに、随分と落ち着いた物腰で周囲を確認し問うてくる冥夜に、武はいささか呆気にとられていた。
 答えの代わりに口をついたその感想に、冥夜は鼓動を鎮めるように深呼吸し、あらためて心外そうな表情を作って言葉を返す。

「ふぅ……。言ってはなんだがタケル、そなたとともに過去の世に舞い戻るなどという、前代未聞の経験をした後だぞ? おまけにあれだけ目の前で怪しげな会話をされれば、何か面妖なことが起こると覚悟できて当然であろう。なればいまさらこの程度の不思議で驚けるものか」

 ため息とともに吐かれたその言葉に対して、それもそうか、とも思えば、何か違う、とも思う武だったが、冥夜が不可解さを呑み込んで対応してくれるなら、助かることは確かだった。

 ここが『あの世界』のその後であるなら、夕呼は白陵柊にいない可能性が高い。なにしろ武とふたりで原子炉を有する実験施設への不法侵入をやらかしているのだ。
 教師をクビになっているどころか、現在MPならぬ警察や公安に逮捕拘禁中であって全くおかしくない。もしそうであれば、連絡を取るのも一苦労だろう。
 だからといって、こちらの世界に長くとどまれば、それだけ50億の死の因果をばら撒く危険性が高くなる。となれば今回の渡航で、最低夕呼の居場所程度はつかんでおかねばならない。
 今の自分と冥夜のふたりなら、少々の荒事は問題ない。最悪『あちらの世界』から装備を持ち込めば、警察署や拘置所の一つくらい制圧、占拠も可能だろう───

 と、武がそんな物騒な考えに思考を傾かせていたところで、冥夜の声が強く掛けられた。改めて「ここはどこなのか」と聞いてくる。
 これからのことを考えて没頭していた武は、冥夜の問いで現実に帰った。とにかくまずは行動しよう、と決めて、簡単に答えを返す。
「ここはオレの故郷みたいなもんだよ。詳しく話すと長くなるから、説明は後で。今はとにかくついてきてくれ。会わなきゃならない人がいるんだ」
 それだけ言って武は速やかに歩き出す。返された答えはむしろわからないことを増やしただけであったが、武の真剣な横顔に、冥夜も黙って頷き後に続いた。








「───タケル、ここは国連の訓練施設の類か?」

 ふたりが校舎裏の丘から白陵柊──白陵大学付属柊学園高校──の正門を望める位置に移動したところで、冥夜がそう質問してきた。正門からは、今のふたりと同様の服装をした少年少女がちらほらと出てくるところだったからだ。
 武はその質問に「まあそんなようなもんだ」と返事をしながら、どう潜入するべきかと頭を悩ませていた。

 人目につかないようにして校内に入るだけならもちろん簡単なのだが、なんといっても夕呼の居場所を確認しなければならない。
 だが、自分は『この世界』で夕呼とともに犯罪行為を犯した身である。『この世界』の武が今どうしているかはわからないが、校内でおおっぴらに顔を晒すのはどう考えてもまずい。
 隠密に潜入して夕呼の自宅の連絡先をなんとか入手するか、それとも冥夜に聞き込みに行ってもらうか、いや、それはいくらなんでも……

 ───ッ!!

 正門の見える位置で物陰に身を潜め、これからの方針を考えていた武だったが、その瞬間視界に現れた少女の姿に思わず目を見張り、体を竦ませた。

 白地に青の線が引かれた制服を着て、颯爽と歩くその姿。
 日本人形の如く整った顔立ちに浮かぶ、凛々しい表情。
 頭上にくくり上げられた黒髪は、それでもなお、長く艶やかに背を流れる。
 武があまりにもよく知るその少女。それは、『この世界』の御剣冥夜の姿であった。



 自らを鏡に映したようなその姿を認めて、冥夜もまた武と同様に体を固めていた。視野から流れ込んだ混乱が心を掻き乱し、思わず声を上げそうになってしまう。
 が、その叫びは出かけたところで遮られ、それ以上響くことはなかった。
 一瞬の硬直から逃れた武が、寸でのところで冥夜の口を塞いだからである。
(わ、私!? い、いや、まさか姉上? い、いやそんな……しかし───)
 冥夜が武の腕の中で惑乱している中、ふたりの視界に納まったもうひとりの冥夜は、背後に向かって声を掛けた。
 彼女が呼んだ名前に応えて聞き慣れた声が上がり、新たな人影が正門に姿を現す。

 すらりとした長身に白の制服。短くそろえた髪に、やはりなかなか整った顔立ち。
 これまた二人のよく知った顔ながら、もう一方に比べればいくらか締まりや深みの足りない表情だろうか。
 新たなひとりの少年。つまるところ、『この世界』の白銀武が現れたということである。



 もうひとりの武の出現によって、冥夜の混乱はますます増したようだった。口元を押さえられているにもかかわらず、今にも振り払って大声を上げそうな様子だ。それを感じて、武は慌てて耳元で強く囁く。
「静かにっ。落ち着いて気配を消せ。月詠さんに気付かれるぞっ」
 見当たらないが、冥夜のそばには確実に彼女がついている。もしもこの場で見つかったりしたら、大変な事になってしまう。
 囁く声は必死だった。冥夜も武が本気なのはわかったのだろう。唐突に出た月詠の名にますます混乱した様子があったが、言われたとおり、無理やりにでも体の力を抜いて気配を抑え込んだ。
 そうして、おとなしくはなったが未だ目を回している冥夜を抱えながら、武は夕呼の言葉を思い出していた。
 記憶をなくしたはずの冥夜が、『この世界』の自分と話している。つまり、『この世界』は───


「タケルちゃ~ん、御剣さ~ん、ふたりとも待ってよ~」


 武が考えをまとめ切る前に、さらに重ねられたその声が、予感を確信に押し上げた。三人目の姿を目にして、武は更なる戦慄にその背を総毛立たせた。
 もういちいち描写するまでもない。因果の流入によって瀕死の重症を負ったはずの、武にとってかけがえのない幼馴染───鑑純夏の姿だった。


 その幼馴染が息を切らせて合流したあとには、更に四人、こちらでは本当の委員長である榊千鶴、彼女とは犬猿の仲の彩峰慧、大きな鈴を鳴らして歩く珠瀬壬姫、そして屈託なく笑いながら、バスケ部の柏木晴子が一行に加わった。
 七人は仲良く、一部は角を突き合わせながら、正門を離れ、並木道をくだっていく。
 彼らの会話に耳をそばだてながら、武は冥夜を押さえ込む指先を、抑え切れぬ戦慄にわななかせていた。




「───タケル! いったいなんなのだ!? なんなのだ、あれは!?」

 あまりにもよく知る七人の姿が見えなくなり、ようやく武が冥夜を押さえていた手を放した。すぐさま冥夜は勢い込んで尋ねる。武の胸元をつかんで、ガクガクと揺すりながら問い詰める姿は、つい先程とは打って変わった取り乱しようだった。
 だが、対する武も抵抗なく揺すられるままでろくに反応がない。張り詰めていた顔を力なく歪め、ため息と共に半ば無気力に答えた。

「……見たとおりだろ。冥夜もよく知った顔揃いだったはずじゃないか……」

 そう、まさに見たとおりだ、と武は思う。
 今見たとおり、『この世界』は『あの世界』ではない。少なくとも『あの世界』のその後ではない。洩れ聞こえた会話から、『今』があの球技大会の三日前であることがわかった。ならば、12月17日に離れたはずの『あの世界』の続きではあり得ない。
 なるほど、それなら夕呼への接触は先程までの懸念とは裏腹に、いとも容易くなったといえる。だが、武にとってそれは決して歓迎すべき事態ではなく、むしろ最悪のことだった。
 新たな世界に来訪したということはすなわち、死の因果が流れ込む先を、またひとつ新たに作ってしまったということだからだ。
 自分に『あの世界』から逃げたい気持ちがあったからではないか。無意識にそう望んだから、こんなことになったのではないか。武はそう考えて奥歯を噛み締める。
 自らを苛む記憶が、自分を責める感情が、野火の如く武の心に広がっていこうとしていた───


 そう、広がっていこうとしていたのだが───武の目の前には、そんなことを許してはくれない相手が彼を睨んでいた。



 ついさっきの台詞はなんとやら、垣間見た不可思議に盛大に動転していた冥夜だったが、虚無的ともいえるような武の様子を見て、逆に落ち着きを取り戻した。
 正直何が何やら全くわからない。だが、今の武が纏うものには既視感を覚えた。神宮司軍曹が死んだ日の空気に似たものを、わずかに感じたのだった。

 いけない、と冥夜は思う。
 かつての記憶が心に蘇る。あの時、何の力にもなれなかったこと。
 結局武は自分ひとりの力で苦しみを克服したが、助けになれなかったことを、どれだけ不甲斐なく思ったか。
 過去にして未来の記憶、それに伴う想いが鮮明に蘇り、冥夜の胸に火をともす。
 その火はたちまち熱を持ち、気が付けば、腕は勝手に動き、言葉は迸っていた───



「しっかりせよっ!! タケルッ!!」

 パンッ!! という衝撃音と共に、大音声が耳を貫く。
 両頬に感じた熱い痛みと脳まで響く衝撃。一瞬意識が真っ白になり、後にじんじんとくる疼痛とともに、見えていなかった視界が晴れてくる。
 白黒となる武の目には、射抜くような目をした冥夜の顔が映っていた。
 小気味よいといえるまでの大音を響かせた両掌は、そのまま頬を挟み込んでいる。燃え立つ黒炎のような瞳で武を睨みすえたまま、斬り込むように言葉は続いた。

「何があったのかは私には全くわからぬ。だが、そなたがそのように沈み込むのだ。何か途方もなく悪いことが起こったのであろう。しかし、いや、だからこそ───後ろを向いてはならぬ!! 前を向け、タケル! そなたが前を見据えて進めば、この世に為せぬことなど何一つなかろう!!」

 言い放った冥夜はじっと動かず、放たれた大言は冷たくなっていく大気に残響する。
 その残響が風に呑まれたときには、代わりに笑い声が響いていた。

 最初はかすかに。だんだんと大きく。
 呆気にとられたような顔をしていた武から、自然と漏れ出した笑いだった。

 聞く者の心を和ませるような、爽やかな笑い声。
 穏やかに、しかしとても楽しそうに笑いながら、武は涙が出るような思いだった。
 まだ誰が死んだわけでもないのに、何を最悪のことだけ想像して鬱になっているのか。『この世界』に来てしまった原因だってまだ全くわからないっていうのに、本当に自分は成長していない、と武は思う。
 さっきまで心を覆おうとしていた、粘りつくような黒雲。そんなものは、冥夜がただの一振りで吹き払ってしまっていた。
 『前の世界』での、宗像中尉の言葉が思い出される。


 オレの弱音に耳を傾け、必要な時に苦言を呈し、道を誤れば躊躇なく殴り倒してくれるような───

 ───そんな『尊い存在』。

 まったく───本当に冥夜にはかなわない。


 武が心の底からそう思い、笑い声が止まったときには、冥夜もいつの間にか手を放していた。
「ごめん、冥夜。いつもいつも心配をかけちまって。それと、ありがとう。おかげでやるべきことを思い出せたよ」
 そう言ってあらためて微笑む武に、冥夜は頬を赤らめながら「気にするでない」と返す。しかし、そのあとには表情を引き締めて続けた。

「だが、礼というのなら聞かせてもらいたい。あれは……いったいなんだったのだ?」

 真剣に求める様子の冥夜に、武もまた真摯に、しかし簡潔に答える。

「あれは『この世界』のオレ達だよ。冥夜、おまえが目を覚ましたとき、夕呼先生がちょっと言っていた事を覚えてないか? ここは別の可能性の世界、無限に存在する並行世界の一つなんだ。ここはBETAが存在しない世界の横浜。オレ達は00ユニット完成の為に、『この世界』の夕呼先生に会いに来たんだ───」








 その日、白陵柊の物理教諭である香月夕呼は、窓の外も暗くなってきた物理準備室で、珍しい二人組の訪問を受けた。
 ひとりはしょっちゅう顔を出すバカだが、もうひとりの顔をここで見るのは初めてだ。だが、そういう珍しさ以上に、なにやら普段と様子が違う。
 「良かった……いてくれた」と呟いて入ってきたバカ──白銀武は、なんだかやけに折り目正しく、普段より随分大きく見えた。
 対して、いつも自信満々なもう一人の少女──御剣冥夜は、きょろきょろと辺りを見回して落ち着きのない様子だ。
「お久しぶりです、夕呼先生」
 覚えた違和感に目をすがめ身構えていた夕呼は、そう言って頭を下げる武の姿を見て、思わず言葉を発していた。

「……あんた、いえ、あんた達───誰?」



 何者か? と詰問されたにもかかわらず、武は嬉しそうに目を細めた。どの世界でも変わらぬ洞察力を持った夕呼を確かめられて、安堵する思いだったのだ。
 「それについては後で」と断り、『前回』同様、まずは証拠の品として向こうの夕呼から受け取ったケースを渡す。
 いぶかしむようにそれを受け取った夕呼は、中身を読み進めるうちに、鬼気迫るように様相を変えていった。


「白銀! なのよね。……あんた、これどこで手に入れたの? あんたがまとめたなんて言ったら、即行車で跳ね飛ばすわよ!」
「……お察しの通り、別の世界の夕呼先生がまとめたものです。『因果律量子論に基づく多元宇宙の実証考察』、でしたっけ?」
 ケースの中身にざっと目を通すや否や、胸元に詰め寄って問い詰めようとする夕呼に対し、武はさらっと答えを返す。そして、なおも言い募ろうとするところを、「これから事情を説明します」と制した。
「すごい長い話なんでかいつまんで話しますけど、とにかく時間がないんで、質問は話が終わってからにしてくださいね」

 そう断りを入れて、武は雑然とした準備室で椅子に座る。同様に席に着いた二人は、これからの話を聞き逃すまいと、非常に真剣な様子だった。
 そんな二人を見て、さてどこから話すか、と武は考える。
 全くの最初から話すことになるとは思っていなかったので少々迷ったが、とりあえず思いつくところから話すことにした。夕呼が信じてくれることはわかっているのだから、余計な前置きは抜きで切り出す。

「まず、オレは先生から見て未来の時間軸から来た白銀です。少し違う気もしますが」
 まずはそう話して、武は夕呼の反応を見た。目だけで続きをと促され、身近な話題を繋げていく。
「……もともとオレは『この世界』で普通に暮らしていました。純夏がいて、みんながいて、まりもちゃんはいつも先生にいじめられていて……10月22日には冥夜が加わって、普通にというには随分どたばたでしたけど。今日は11月6日ですよね。三日後のはずの球技大会も楽しかったです。オレの一喝が功を奏してチームは一致団結。決勝で見事D組の涼宮達を打ち破って───」
「ちょっと! あたしがあんたごときに負けるわけないでしょ。未来の事象だからって勝手に捏造してんじゃないわよ!」
「──って、いきなり茶々入れないでくださいよ! 事実なんだからしょうがないでしょ。とにかく本当に時間ないんですから、静かに聴いててください!」

 まりもの有明行きを賭けた勝負の敗北を予言され、早速突っ込んできた夕呼。なんとか抑えて、武は先を続けていく。
 それは、長い長い遍歴の記憶だった───



 生まれ育った平和な世界で過ごした、とても賑やかで輝かしい日常。
 そこから一転、悪夢のように突如放り出された、人類の敵BETAが蠢く、死と狂気の世界。
 なんの力も覚悟もなく、狂った現実を認められずにいながらも、仲間達と過ごした厳しい訓練の日々。
 その果てに見て、体験したはずの人類の終焉。自らの死。

 そして、新たに目覚めることとなった『二回目の世界』。
 垣間見た絶望を胸に空虚な使命感に燃え、不完全な記憶を以って『特別』と思い上がり、自分が世界を救おうと思い上がり、挙句の果てには思い知らされた自らの弱さに耐えられず、全てを捨てて逃げ出したこと。
 そして、逃亡者に下された報いの刃。因果導体という律。
 犯した罪の重さに命を絶とうとしたところで、夕呼に示された世界再構成の希望。
 彼女の助けを得て『向こうの世界』に戻り、00ユニットとなった純夏と再会したこと。
 そして、数多の犠牲を払った熾烈と言うも生温い戦いの末、BETAの中枢オリジナルハイヴを落とし、因果導体という運命からも解放されて、再構成された世界へと帰ることになるはずだったこと。

 ところが、パラポジトロニウム光に包まれて意識を失い、再び目覚めた先は、またもあの黄昏の世界における10月22日であったこと。
 『三回目の世界』での新たな異状。最後の戦いで命を落としたはずの冥夜の存在。
 そして今、あらためて00ユニット完成のため、新理論の数式を求めて自分達が夕呼の前に立っていること。



「───白銀、あんた……この世界を離れてから、どれくらい経ってるの?」
「3年ってところですね、主観時間で。本当のところはどれだけ経ってるかわかったもんじゃないですが」

 武が簡潔に、しかし要点を押さえながら全てを話し終えてからしばしの時を待ち、考えていた夕呼がゆっくりと口を開いた。
 『前回』の夕呼はキスの雨を降らせてくれたものだったが、今回は出した話の重さが桁違いだ。態度に浮かれたものは無く、口調も真摯なものであった。
 横に座った冥夜がなんともいえない表情で見つめる中、武はやや苦く、だが穏やかに笑って答える。
 その表情に、夕呼も強張らせた体から力を抜いた。

「そう……。ねえ、白銀。あんた……元の世界に……帰りたい?」

 静かで寂しげな、そして優しい声での問い掛け。
 それに動揺したのは、問われた武よりも冥夜の方だった。はっとした表情で武を見つめ、何かを言いかけながらも言葉にできず口を噤む。その顔に葛藤と怖れが滲んで見えた。
 そんな冥夜に目をやりながら、武は夕呼の問いに少しの間押し黙る。
 答えを考えていたわけではない。かつてと同じ問いを受け、自らの変容に思いを馳せていたのだ。
 目を閉じて静かに一呼吸し、武ははっきりと答えた。

「いいえ」

 揺るがぬ眼差しと、突き通すようにまっすぐな声音。

「桜花作戦が終わったとき、みんなが逝ったあの世界で戦い抜き、骨を埋めたいと心底から思いました。今も同じです。オレにとって、いまやあの狂っていたはずの世界こそが故郷なんです」

 力強い言葉が、冥夜と夕呼の心に染み入る。
 しかし、武は一転寂しそうにその後も続けた。

「……だけど、もしオレのそんな思いが、終わったはずのループを続けさせてしまったのなら……今度はその未練を断たなければならない。壊してしまった世界に償うために───」




 答えは全て返されて、それ以上続くことはなかった。
 夕呼は色々なものを呑み込み、冥夜は何かを胸に渦巻かせたままだったようだが、それからは他の話。

 求めた新理論の数式は、今論文をまとめている途中だから、一週間後に受け取りに来てくれということ。
 新たに来訪することになった『この世界』は、まず間違いなく武が干渉した世界の過去ではなく、また別の並行世界のひとつであるだろうという話。
 「あんた達が来たせいで、すっかりラクロス対決が色褪せちゃったわよ」という愚痴。

 そんな話をしているうちに、突然武と冥夜の体から、白い光が溢れ出した。
 パラポジトロニウム光! と武は思い、とっさに部屋の隅の時計を見る。
 まだ18時半、二時間しか、と思いながらも、二人で渡航したことで計算違いが起こったんだなと思い至る。

「すみません。時間みたいです」
 そう言って、武は自然と背筋を伸ばし、敬礼をしていた。それを見て、冥夜もまた同じ様に手を額に添える。
 まさに絵のようなふたりの姿に、夕呼は感嘆の思いを噛み締め、ただ一言「じゃあまた」とだけ呟いた。

 膨れ上がる光に、夕呼は思わず手をかざしてその目をつぶる。
 瞬きの後、部屋には夕呼ひとりだけが残されていた───








 二時間の旅路から帰ってきたふたりを、夕呼と霞が出迎えた。

「大丈夫か、霞」
「……大丈夫、です。白銀さん」

 二人を観測し続けた霞を心配して駆け寄った武に、銀の少女はしっかりと答える。抱えたスケッチブックには、稚拙だが、仲良く寄り添う男女の姿がたくさん描かれていた。
 ありがとう、と武は霞に頭を下げ、それから夕呼に報告をする。

 任務は成功して、数式は一週間後に受け取りに行く予定だということ。
 そして、辿り着いた世界は、以前の『あの世界』とは別の並行世界であったこと。

 夕呼はそれを転移の前から予想していた。報告を夕呼が了承してから、何故なんですか、と武は問う。
 しかし、その質問に対する答えは返らなかった。
「それは内緒。まだ確証が取れてない話だからね。今回の実験で確かめられて、わかったことはひとつ。御剣があんたと一緒に転移できたということよ」
「そういえば、それもどういうことだか聞いてませんでしたね」
 武と冥夜を前に並べ、夕呼は真剣な顔で講義を始める。

「いい? 数式を手に入れるために目的の世界へ転移するには、あんたというナビが必要。ナビはひとつあれば充分で、今回御剣はあんたの付属物としてついていったってことになるのよ。けど、誰でもそれが出来るわけじゃないわ。安定を求める世界の力に逆らって他の世界に跳ぶなんてことは、口で言うほど簡単じゃない。少なくとも、こんな急拵えの装置でできるものじゃないのよ。なのに御剣にはできた。それがどういう意味か、ふたりともわかるかしら?」
 ふたりをねめつける夕呼の視線。しかし、武も冥夜も首を傾げるばかりで答える声は上がらず、まったくこれだから凡人は、などと言いたそうな表情で、夕呼は答えを口にした。

「『この世界』は、あんた達の言う『前の世界』の過去ではないっていうことよ───」

 その言葉の意味するところを本能的につかんだか、武は大きく目を見開く。

「───そうでなければ御剣が転移できた理由が説明できない。閉じた世界がループしたというのなら、たとえ未来の記憶を持っていても、今の御剣が『この世界』の御剣であることに違いはない。けれど転移が可能だったということは、今の御剣、あんたは純粋な『この世界』に生まれた存在ではないということになるわ」

 据わった瞳で冥夜を見据えながら、夕呼はなおも話を続けた。その声音に得体の知れないものを予感したか、冥夜の背に脂汗が浮き出す。

「でも、白銀と違ってあんたの場合、もとから『この世界』に存在していたことは確実。なのに今のあんたは『この世界』の存在ではない。つまり、あんたと白銀は過去に遡ったのではなく、『前の世界』から極めて似通った別の並行世界である『この世界』に転移してきた……。そして、白銀はともかく、あんたはその際に『この世界』本来の御剣と融合し、その意識を乗っ取ったということになる」

 それを聞いて抑えられぬ激情を抱いたのは、しかしむしろ武の方であった。自らが『前の向こうの世界』で、その世界の白銀武に対して犯した罪を想起したのだ。
 だが、全てを放り捨てて逃げ出した自分とは違い、冥夜にはなんの責任もない。なのに何故わざわざそんなことを話す? と、夕呼に対して憤怒の感情を覚える。
 だが、冥夜であれば話しておくべきことだったのかもしれない。そうも思って、前に踏み出しかけた足を押し止めた。
 それに他に気になることもあった。
 『この世界』がループした過去でないなら、『前の世界』は、『前の向こうの世界』は一体どうなったのか。
 それを聞こうとした武だったが、その前に夕呼がまた話し始めた。

「ま、あたしにとってはどうでもいいどころか、好都合ってもんだけどね。そうそう、『前の世界』とかがどうなったのかとかはまだわからない。でも、次の実験を経ればもっといろんなことがわかるでしょう。これ以上の質問はそれからにしなさい。白銀、あんたは明日からヴァルキリーズの教導。御剣は明後日から総戦技演習なんだから、今はそれに集中することね」

 そう言って、夕呼は霞を連れて部屋を出て行こうとする。
 自分からあんな話を振っておいてなんて言い草だ、と思いつつも武は黙って見送り、傍らの冥夜に話しかけようとした。
 だが、その矢先に「すまぬ。なにやらひどく疲れていてな。今日はもう休ませてはもらえぬか」と断りを入れられ、その方がいいか、と考えて頷く。
 結局そこで、冥夜は自室に、武は明日からのXM3教導を詰めるべくシミュレーターデッキに向かい、二人は話すことなく別れることになった。








 自室に戻った冥夜は考える。
 武が憤ったのに比べて、『この世界』の御剣冥夜を乗っ取った、と言われても彼女はあまり思い悩んではいなかった。余りに実感が持てない話であり、まだそこまで考えが到達しなかったということであろう。

 それよりも考えていたのは武のこと。
 BETAのいない平和な世界から、こちらの世界に放り出されたというその素性。それはいったいどのようなことなのか。
 平和というものがどんなものなのか、生まれ落ちたときからBETAに蹂躙される世界に暮らしてきた冥夜には、思い描くことができなかった。
 翻ってこの世界の狂気も、それがどれだけ狂ったものなのか、判断することができなかった。

 だが、理解しなければならない。タケルの本当の『特別』、タケルの優しさの根源は、きっとそこにこそある。
 そんな世界に生まれ、理不尽にその幸せを奪い取られながら、この黄昏の世界をこそ故郷と言ってくれた意味を、私は理解しなければならない。

 殺風景な部屋の中、想い続ける冥夜の目には、いつしか涙が浮かんでいた───



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