2001年10月23日
「───ごめん、霞」
新しいループに入って二日目の朝、目を覚まして早々、武は目の前の少女に手を合わせていた。
といっても、何か悪いことをしたというものではない。出会った次の日から早速起こしに来てくれた霞より、武の方が早く起きてしまっていたというだけだ。
しかし、明らかに徹夜明けという様子の彼女に、頬をぷーっと膨らませて(武視点による拡大解釈)にらまれてしまっては、武としては謝るしかなかった。
「……また……あした」
平謝りに謝って、明日からはちゃんと霞が起こしに来るまで寝ているからと、それはどうかという約束を交わして、ようやく機嫌を直した霞は、まりもが点呼に来る前に部屋を出ていった。仕事の続きに戻るのだろう。
忙しいなか、わざわざ起こしに来てくれたことを感謝して、武も自分のできることを頑張るべく、居住まいを正して教官の到着を待った。
「よし次! ケージにあるあの装備を担いで10キロ行軍だ!」
「りょ、了解です……」
午前のグラウンドに教官の声が響く。
それに体力的には207B最下位の珠瀬壬姫が、今10キロを走ったばかりのへたり気味の声で返事をする。
『前の世界』でも二日目に見た光景だ。
朝の一幕の後、これまた前回同様に国連軍への入隊宣誓を済ませ、武の207Bでの訓練が始まった。
もっとも、当然のごとく今の武にとってはちょろいメニューだ。まずは10キロのウォーミングアップをぶっちぎりでとばしてゴールし、そのまま全員が終わるまで走りながら休んだ。
かつて『一回目』のときは、今にも倒れそうにへたばった武が走り終えるまで、他の皆も連帯責任で走らされたものだった。ほとほと迷惑を掛けたものだと、まりもの声を聞きながら前回同様懐かしんだ。
「教官! 自分は完全装備で行軍してよろしいでしょうか」
「ほお……白銀、貴様徴兵免除で体力が有り余っているらしいな。いいだろう、ならばついでに分隊支援火器のダミーも担いでいけ!」
「了解ッ!」
「すごいですね……いしょっ!」
『二回目』と同様に──今度は自ら志願だが──完全装備で行軍しようとする武に、壬姫が感嘆の声を漏らす。
「ん、なんでだ?」
「だって、自分から完全装備でやるなんて言い出すなんて……ミキなんかこれでもいっぱいいっぱいなのに」
「体力はすべての要だからな。衛士だって最後は体力勝負なんだから、たまもこれぐらい軽くこなせるようにならないと、一人前の衛士にはなれないぞ」
体の小さなたまには大変だろうと思いながらも、武は語調を強めてはっきりと言う。
これから彼女らが戦うであろう過酷な戦場で、体力の有無は極めて重要だ。体力がなくなれば、いずれ集中力も保たなくなる。ひしめき群れなすBETA相手の戦闘で集中力を切らせば、それは即、死につながるのだ。自分か……あるいは仲間の死に。
ましてこれから彼女達が乗る戦術機は、最初からXM3搭載となるのだ。XM3で可能になる武の機動は、有効な分体力の消耗も激しい。
後衛のたまは前衛に比べればずっとましとはいえ、体力はあればあるだけいいことに変わりはない。
多くは語らなかったが、その意は汲んだのか、彼女は真剣にうなずいた。
たまはやっぱり素直でかわいいなぁ──と思いながら武もまた頷き返し、次いで素直でない二人の方に振り向いた。
かわいくない二人はやっぱりたまほど素直でないようで、まだまだ武を認めているという様子ではない。
が、それでもどちらかというと、体力派の彩峰の方が視線は柔らかいだろうか。指揮官タイプの榊は、体力バカなだけでは認められるものかと思ったか、むしろ視線が厳しくなったようだ。彩峰嫌いの反映だろうか───
「貴様らぁ! なにくっちゃべってる! さっさと始めんかあ!!」
と、武が思ったところで、ひよっこ達の尻を叩く教官の怒声が響いた。
結局その日の訓練は滞りなく──珠瀬などは入れ込みすぎたか、かなりへたばっていたが──済み、すでに夜遅く『二日目』も終わろうとしていたが、冥夜が目覚める気配は未だなかった。
新OSの開発に没頭しているのか、あるいは別の謀を巡らしているのか、夕呼からの連絡も無く、武は改めてこれからどう動くべきなのかを考えていた。
とはいえどうしても夕呼頼みな事柄が多い以上、今の武にとっては不確定に過ぎて見通しが立ちにくく、いつの間にやら想いは『前の世界』の戦いに跳んでいた。
つらつらと逝ってしまった仲間達のことに想いは至り、次第に気持ちが重くなる。
自らの手で撃った冥夜のこと、あ号標的に辱められたたまの亡骸、自分の死を知っていた純夏、道を切り開いて散っていったヴァルキリーズの仲間達。
───って、なに後ろ向きに思い出してるんだ!
逝った人達のなかにヴァルキリーズの突撃前衛長(ストームバンガード・ワン)速瀬水月の顔を見出し、同時に彼女に叩き込まれた衛士の流儀も思い出す。パンッと頬を叩いて、武は暗い気持ちを振り払った。
今はこれ以上思い返すまいと、ベッドに身を横たえる。
考えまいとするのには努力が必要だったが、じきに睡魔が彼を眠りにいざなっていった。
ところで、静かに眠る武だが、彼が感じた重さは死んだ仲間達への感傷だけではなかったのかもしれない。
『この世界』でただ武のみが知る『救われた世界』。その先例がありながら、それ以上の結果をつかめなかったとしたら、その責は究極的には武ひとりの肩にかかると言ってもいい。
いかに人ひとりにできることなど少ないとはいえ、それがただひとり時と世界を渡り歩く『特別な』人間に降りかかる呪いなのだろう。
その呪いとともに、一握の希望があることを願いたい───
一方、眠り続ける冥夜の病室では、明かりを消した中で彼女のそばに寄り添いながら、月詠真那が武について思案していた。
今日も訓練部隊の者たちと共に、冥夜様の見舞いにと称してやってきたあの男。
城内省のデータを調べてみれば、かのBETA本州侵攻の際に、この横浜で家族もろとも死亡しているという結果であった。
無論、BETAの侵攻で踏みにじられたというなら死体が確認できたわけではないが、あの地獄のような状況では、事前に避難を完了していない限り生き延びられたとは思えない。また生き延びていたとしたなら、その後の記録が全くないはずがないのだ。
当時の白銀武はまったく平凡な一中学生だ。今改めて城内省情報部にさらに詳しく調べさせているが、もしそれが正しかったならば、足跡を消す理由も、その手蔓もあろうはずがない。
ならばやはり顔を変え、名前を騙っているのだろうか。
いや、それも理由がわからない。なぜわざわざ顔を変え、すでに死亡した名もない一学生に化ける必要がある? しかも城内省に記録が残っていると自ら知っていて。
わからぬ。
だが、いずれにせよ冥夜様を害そうというならば、必ずや我が手で地獄の底へ送り返してくれる。
そう決意して、月詠は思案を止めた。
未だ目覚めぬ主の姿に乱されながらも、心を静めて目を瞑る。
調息の音が、夜の静謐に長く響いていた。
2001年10月24日
「……で、アジ化鉛が雷汞の代替品となる。以上が爆破物の種類」
三日目、約束通り霞が来るまで眠っていた武は、ユサユサとベッドを揺する彼女に起こされて、朝食の後に座学を受けていた。
二日続けて徹夜のようで、あからさまに目に隈を作っていた霞だったが、その甲斐があったのか、新OSのα版はもうすぐ完成というところまで漕ぎつけたそうだ。「完成したら一眠りするから、207の訓練が終わったらデータ取りに来なさい」との夕呼の伝言を受け、その仕事の速さにびっくりするやら感謝するやらだった武は、待ち遠しい思いで訓練に臨んだ。
自分の知る未来の再現性を確かめる為もあって、あえてカリキュラムの変更を夕呼に要請せずにいた武だったが、冥夜がいないだけで、ここまで訓練の内容も食事のメニューも、更にはニュースの内容なども一切変わりがない。
そうなると、正直衛士としてやっていく上ではあまり必要ない今の内容の座学をこなすのは、時間の無駄という気持ちが大きくなる。207Bの皆は優秀だから座学に関しては手直しの必要もなく、ましてや三度目の武となればなおさらだ。
総戦技演習の予定を大幅に早めてもらうつもりなのだから、やはりこれからは座学は省略して実践訓練にシフトしてもらうべきか───
「……白銀っ!」
などと武が考えていると、案の定まりもに目をつけられた。考え事の内容こそ違え、前回と全く同じ展開だ。
考え事をしてる余裕があるなら簡単だろう? と皮肉られて、例題作戦に関しての説明を課される。
これまた前回と全く同じ問題だ。別の問題であったとしても答えに困ることはないが、ここまで展開が乱れないのは安心材料には違いなかった。
それでも、予想外の事態はいつ起こるかわからない。心構えを改めて意識し、武は立ち上がって説明を始めた。
「この例題は───」
「ほんっと凄いよたけるさん!!」
この日の訓練を終えた武たちは、今日もまた冥夜の見舞いにと病棟へ向かっていた。
座学を首尾よくまりもの叱責なしで切り抜けた武は、続いての小銃組み立て実習でも、前回同様彩峰の記録をぶっちぎりで更新。他にも力を見せつけて、さすがの榊と彩峰も敗北宣言といった様子だ。
もっとも、榊など「いずれ必ず勝ってやるから見ていなさい」と付け加えてくるあたり、負けず嫌いなのもこれまた変わらない。
どうやら信頼も得られてきたようだし、そろそろ榊と彩峰の関係改善計画に着手しようかなどと応答しながら武は考えていたが、少し引っかかっていることもあった。
小銃の組み立てや他の様々なことで、わずかなものではあるが、確実に腕が上がっているのだ。いや、上がっているというより馴染んでいるといった感じだろうか。小銃の組み立てなど武はもう一月以上やっていないのに、少し前にみっちり訓練し直したかのような馴染み方だったのだ。
いったいどういうことなのかと自問するが答えは出ず、そうこうするうちににぎやかな美琴が合流して、相変わらず空気を読まない言動にツッコミを入れながら歩くうちに考えが逸れてしまう。
と、そのときだった。
武たちが歩く先から、「冥夜様!」と喜色にあふれた叫びが聞こえたのは。
扉越しにもはっきりと聞こえたその声の、意味がわからないはずもない。何を言わずとも皆悟って、一斉に廊下を駆け走った。
一番にドアに取り付いた武を先頭に、押し合うようにして部屋に飛び込む。病室にはあるまじき乱暴さに、武は押し出されて派手によろめいた。
うわわわっ、と思わず声を上げて倒れるようにベッドの前まで転げ込み、慌てて顔を上げる。
目の前には、三日ぶりに意識を戻した冥夜がその身を起こしていた。
ゆったりとした紫色の寝衣はわずかに寝乱れて。
普段きっちりと結ってある黒髪は、無造作に、しかし麗らかに背に流れている。
目を覚ましたばかりの冥夜の姿はあまりに無防備で、武が良く知る凛々しい彼女とは別人のようで、目を合わせた武は思わず顔を赤らめた。
盛大に音を立てて扉が開けられた後、ふたりが見つめ合ったまま、病室に奇妙な静寂が訪れる。
偶然現出した奇跡的な調和にみな手を出しかね、声を掛けかね、武もまた『初対面』である冥夜に対し、どう反応すればいいかわからなかったのだ。
わずかの時間が流れ、固まりかけた空気を動かしたのは冥夜だった。
ぼーっとしているかの様子で目の前の武を見つめたまま、両手でゆっくりとその手を握る。
その瞳が徐々に焦点を取り戻し、それとともに眦からは一筋の涙がこぼれ落ちた。
そして次の瞬間、握った腕を引いて武を引き寄せるや、その胸にすがって子供のように泣き出したのだ。
「タケルッッ!!」
と、その名を呼んで───