「さて、あんたこの後どうするの?」
話がまとまったところで、夕呼からIDカードを渡され、今日これからの予定を尋ねられた。
もともとしようと思っていた話であり、武は即座に答えを返す。
「そうですね。最初に言った通り、まず純夏と霞にあいさつを。それから207Bのみんなに会いたいです。訓練兵として編入の手続きをとってもらえませんか?」
「訓練兵~? あんた、話通りの腕なら、あいつらに混じって訓練なんて時間の無駄でしょうが。やってもらうことは山ほどあんのよ? だいたいあんた、地位が欲しいんじゃなかったの?」
眉間にしわを寄せ、眇めた目で睨んでくる夕呼。
だが、武にとっては大事な理由のあることだ。きっぱりと押し通した。
「あいつらは大切な仲間ですから。あいつらのおかげで、オレは『前の世界』でオリジナルハイヴを攻略し、生きて帰ってくることができました。衛士としての力はもちろん、最善の未来を選び取る力も───先生流に言えば、最高の00ユニット適性を持ったやつらです」
その彼女達ですら、最善の結果を勝ち取るために命を擲たなければならなかった『前の世界』。
大きすぎる犠牲を払ったオリジナルハイヴでの戦いを───その手で仲間を撃ったことを思い返し、武は瞑目する。
笑って命を差し出した彼女たちのためにも、誇りを持って語らねばならない。
「これからの戦いの為に、絶対に必要な戦力です。けど、今のあいつらは色んなしがらみに縛られてその力を発揮できていない。だからオレが訓練兵として仲間になって、引っ掻き回してきます。一週間もあればなんとかなるでしょう。そのころにはそろそろ数式も回収できる目処が立ってるでしょうし、約束通り昇進させてもらいます。さすがに総戦技演習まで参加してる暇はありませんからね」
夕呼は納得した様子だった。
彼女らの厄介な政治的立場については言わずもがなだし、適性の高さについても思うところがあったのかもしれない。
「話はわかったわ。まりもには伝えておくから、あいさつとやらを済ませたら、グラウンドに行きなさい」
そう言うと、夕呼はもう武には興味無いかのように、パソコンに向かってキーボードを叩き始めた。もう話しかけても聞こえなさそうだ。
ある意味いつものことなので、武は邪魔をせぬようにと、黙って踵を返した。
夕呼の部屋を出た武は、青白い光に照らされた廊下を歩いていた。
純夏のいる部屋に続く廊下。きわめて頑丈に造られた通路を照らす光には、目指す部屋を満たす光と似通った印象がある。
まさかこんなことでハイヴの機能を利用しているというわけでもないだろうが、ある種の諧謔だったりするのだろうか。
鼓動が高鳴るのを感じながら武は歩を進め、その部屋の前に着く。
滅多な人間では入れないセキュリティレベルだが、スライドドアは問題なく開いた。
通路の照明と同じく青白い、しかしより深く、まるで息づくような光が零れ出た。
機材やパイプ、いくつものコードが入り混じる部屋は、しかし広さの割りに殺風景で、中央に青白く光るシリンダーがある。
部屋には少女が『二人』いた。
まずは、シリンダーの前にひとり。
そして、シリンダーの『中』にひとり。
脳みその浮いたシリンダー、その光に照らされた薄暗い部屋。
普通の人間が見れば薄ら寒くなるような景色だったが、武は温かい気持ちを覚えながら、シリンダーの前の少女に話しかけた。
「はじめまして。オレは白銀武。君の名前は?」
もちろん、よく知る少女だったが、武は敢えてそう訊いた。
『前回』は話しかけようとしたら逃げられたものだが、今回はそうはならなかった。
それでも返事はなかなかもらえなかった。ウサギの耳がぷるぷるふるえている。
『二ヵ月後』の毅然とした彼女との対比を楽しみながら待っていると、ようやく返事があった。
「……はじめてじゃ……ないです」
確かに、武にとっては初めてではない。けれど。
「うん、たしかにオレにとって、君は大事な家族みたいなもんだ。でも、やっぱり『この世界』では会うのは初めてだからさ。自己紹介はきちんとやりたい。あらためて、オレは白銀武、君の名前は?」
「…………………………」
「…………………………」
「……社……霞です。……霞、で……いいです」
今度は呼び名まで先回りしてきた。
驚きながら、武も返事をする。
「わかったよ、霞。もう『観てる』だろうから知ってると思うけど、オレは別の世界出身で、おまけに未来から来た。これから夕呼先生の下で働くから、霞とは長い付き合いになるだろうけど、またよろしくな」
そう言って手を差し出した武に、霞は「……はい」と答えておずおずと握り返す。
その顔はほのかに嬉しそうだった。本当にほのかで、普通の人間ならわからない程だっただろうが。
その顔を見て──霞の表情鑑定技能を鍛え抜いてきた武だから、もちろん嬉しそうなのはわかった──武は思う。
今度はもっと楽しい思い出をいっぱい作ろう。前に果たせなかった、一緒に海に行くという約束もきっと果たそうと。
その思いは、BETAを地球から叩き出し、この星にかつての美しい姿を取り戻させるという意志を、よりいっそう強くするものだった。
霞との初対面の挨拶を終えて、武はシリンダーの方に向き直った。不思議な質感の表面に手を当てて、『前の世界』のことを思い返す。
───純夏。
オレがおまえと話したのは、桜花作戦の出撃前が最後になっちまった。
207Bの仲間をみんな失って、それでもおまえだけは生きててくれてると思ってたから、帰ってきて真実を知ったときは、本当に悲しかったよ。
おまえも辛かったよな、純夏。
だから約束する。
精一杯、本当に精一杯戦ったおまえの分まで、『この世界』の純夏には未来をやる。
00ユニットっていう重い運命を背負わせるのは避けられないけど、それでも生きていける未来を。
必ずだ。
今の純夏は目も見えず、耳も聞こえない。だから、武は心の中でのみ誓った。
それは運命すらも変えうるほどに強い誓い。
固く定まった意思の下、時間までが固着するように思えた。
さて、あまりもたもたしていると207Bの訓練が終わってしまう。
しばらく身じろぎもせずにいたあと、そう考えて突いていた手を離し、武は純夏のシリンダーに背を向けた。
霞に純夏とずっと話し続けてくれたお礼を言って、スライドドアの前に立つ。
最後に振り向き、「またな」と言って外へ出た。
───なお、今度も霞は、一度で「……またね」と返事をした。すごい成長(?)だと思う武だった。
すでに陽も傾きかけたグラウンドで、武は神宮司まりもと対面していた。
「貴様が連絡のあった白銀武だな?」
「はっ、神宮司教官! このたび207B衛士訓練分隊に配属となりました、白銀武訓練兵であります!」
───神宮司軍曹。まりもちゃん。
かつてその厳しさによって育てられ、その優しさに慰められ、その死によって鍛え上げられた、武にとって無二の恩師。
今目の前にいる女性は、彼女らとは別人ではあるが同じ人間でもある。武にとって尊敬すべき先達であることには何の変わりもない。
いまや一人前の衛士となった武は、もう自分以外に知る者の無い彼女らへの恩返しとばかりに、万感の思いを込めて敬礼し、姿勢を正した。
一方、答礼をするまりもは内心驚いていた。
「207B分隊にひとり新しく編入させるから」と、腐れ縁にして上官の香月夕呼から言われたのは、まさについさっきだ。
横浜基地の副司令である夕呼の命令では逆らいようもないが、総戦技演習を控えたこの時期にいきなり訓練兵を追加すると一方的に通達されて、不安に思ったのは確かだった。
事情があって徴兵を免除されていた『特別』な人物だと聞かされたが、『あの』207B分隊に編入されてくる人物となると、自然『特別』の意味もその類かと考え、一ヶ月足らずで鍛え上げねばならないとなると忙しくなりそうだと、覚悟を新たにしていたのだ。
だが今目の前で敬礼をした少年を見て、まりもは考えを改めた。
軍に入ったばかりの訓練兵とは思えない堂に入った敬礼。
制服の上からでもわかる、鍛えられていながら無駄な肉は全くついていない肉体。その隙のない身ごなし。
そしてなによりもその眼だ。
自分の目を見つめるその視線は強く、揺るがぬ覚悟を秘め、それでいて若さに似合わぬ落ち着きを備えていた。
───文字通り、『特別』な力の持ち主なのかもしれない。
まりもはそう考え、少しの間武の目に魅入られていたことに気づいて答礼を解いた。
そうしながら、彼の目がわずかにうるんでいることに気付く。
まるで旧知の人に会った様な──初対面のはずだが──目にごみでも入ったのだろうか。
……と、埒のあかぬ思考だ。
まりもは雑念を振り払い、声を上げた。
「分隊集合───ッ!」
まりもの号令で、207B分隊のメンバーが訓練を中断して二人の前に集合した。
「紹介しよう。新しく207B分隊に配属された、白銀武訓練兵だ」
彼女達が整列したところで、まりもが武のことを紹介する。
「見ての通り男だ。こんな時期に編入ということでいささか驚いただろうが、とある事情によりこれまで徴兵免除を受けていたものだ。白銀、分隊のメンバーを紹介しよう。右から分隊長である榊千鶴訓練兵───」
?
「───白銀」
まりもに名を呼ばれて、武は我に返った。考え事に浸って半分話を聞いていなかったようだ。
「どうした白銀。いきなり驚いたような顔をして」
「はっ、申し訳ありません。分隊の隊員は5人と伺っていたものですから」
オレの行動が、いきなり未来に影響を与えたのか?
「ああそうか、香月博士から聞いていたか。確かに、本来はあと二人紹介する隊員がいるはずだったのだが、現在ともに入院中でな」
だが、たいしたことじゃないのかもしれない。
「鎧衣美琴訓練兵は、訓練中の怪我で検査入院中。一週間後には退院の予定だ」
いや、何か違う。大事の予感がする。これは───
「そして副隊長である御剣冥夜訓練兵は、今朝の訓練中に突然倒れて意識不明。とりあえずこの基地で入院中だが、未だ意識が戻らず、原因も不明だそうでな───」