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No.6379の一覧
[0] マブラヴ ~新たなる旅人~ 夜の果て[ドリアンマン](2012/09/16 02:47)
[1] 第一章 新たなる旅人 1[ドリアンマン](2012/09/16 15:15)
[2] 第一章 新たなる旅人 2[ドリアンマン](2012/09/16 02:35)
[3] 第一章 新たなる旅人 3[ドリアンマン](2012/09/16 02:36)
[4] 第一章 新たなる旅人 4[ドリアンマン](2012/09/16 02:36)
[5] 第二章 衛士の涙 1[ドリアンマン](2016/05/23 00:02)
[6] 第二章 衛士の涙 2[ドリアンマン](2012/09/16 02:38)
[7] 第三章 あるいは平穏なる時間 1[ドリアンマン](2012/09/16 02:38)
[8] 第三章 あるいは平穏なる時間 2[ドリアンマン](2012/09/16 02:39)
[9] 第四章 訪郷[ドリアンマン](2012/09/16 02:39)
[10] 第五章 南の島に咲いた花 1[ドリアンマン](2012/09/16 02:40)
[11] 第五章 南の島に咲いた花 2[ドリアンマン](2012/09/16 02:40)
[12] 第五章 南の島に咲いた花 3[ドリアンマン](2012/09/16 02:41)
[13] 第六章 平和な一日 1[ドリアンマン](2012/09/16 02:42)
[14] 第六章 平和な一日 2[ドリアンマン](2012/09/16 02:44)
[15] 第六章 平和な一日 3[ドリアンマン](2012/09/16 02:44)
[16] 第七章 払暁の初陣 1[ドリアンマン](2012/09/16 19:08)
[17] 第七章 払暁の初陣 2[ドリアンマン](2012/09/16 02:45)
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[6379] 第七章 払暁の初陣 2
Name: ドリアンマン◆74fe92b8 ID:6467c8ef 前を表示する
Date: 2012/09/16 02:45

「───さて、部隊長の件はそれでいいとして。新潟の作戦についてはここでこれ以上話すこともないから、後は実験の報告をしてもらいましょうか。まずは向こうについた時のことを聞かせてもらうわ。白銀、今回実体化したときはどんな状態だった? 場所は? 向こうの自分との同一化は起こった?」

 武と冥夜が『向こうの世界』から数式を持ち帰った11月8日の夜。
 報酬と称して武に少佐の肩書きを押し付けた夕呼は、用意していた安っぽいパイプ椅子に腰を下ろすと、矢継ぎ早に質問を投げ掛けてきた。

 部屋の過半を占める巨大な転移装置からはすでに電源が落ち、実験室は静寂に包まれている。
 渡されたパイプ椅子に同じく腰を下ろして、冥夜は先程までとはまた表情を変える夕呼を見た。
 興奮気味のその様子はおそらく、話が主に彼女の個人的興味に係わるものだからなのだろう。そういう人なのだと、『この世界』に来てから冥夜にもわかってきていた。

「ああ、それオレも結構気になってました。えっとですね、実体化したときの感じは十日前の時と変わりなかったです。場所も同じ校舎裏の丘でしたし、冥夜もここで用意したときのまま一緒にいました。あと、向こうのオレ達とは別々のままでした。昼間に向こうのオレと冥夜の姿を、この目で確認しましたから。確実です」
「そう……、やっぱりね。御剣の方はどう? 何か身体の変調とか、前回と変わったところはなかった? 足の状態とかが向こうに行ったら変わったとか」
「…………いえ……、特に思い当たるような違いは……。右足も歩くだけなら支障はないといった具合で、変化はありませんでしたが」

 夕呼の質問に武は気軽にすっと、対して冥夜はいくらか考え込んでから答えた。結果として内容の揃った二人の答えに、夕呼は目を細めてふーんと呟き、ひとつ頷いてから話を続ける。

「わかったわ。出力は格段に上げたけど変化はなし。因果情報の干渉もなし。だとすればやはり……いや、まあいいわ。じゃあ次は、今日一日向こうで何をしてきたか、なるべく詳しく報告してちょうだい」
「そうですね。夜明け前に向こうについたんで、まずは予定通り、人目に付かないように学校に忍び込んで先生に連絡を取りました。それで数式を受け取って、あとは昼までこっちのこととかについて質問責めにあって……あ、そうそう! 昼飯は先生に奢ってもらったんですけど、すごかったですよ。横浜のフランス料理店だったんですけどね、まさかまさかで……京塚のおばちゃんのお店でした」
 笑いを含みながらの武の言葉に、注文通り目を丸くする夕呼。

「おばちゃんがフレンチ? あー、まあこっちでも元は横浜で料理屋やってたんだから、わかるっちゃわかるけど……。へえー、フレンチねえ。なんというか……当然おいしかったんでしょ?」
「そりゃあもう。マジですっげー旨かったですよ。な、冥夜」
「む……そうだな。あまりの見事さに驚かされた。しかし、京塚曹長は向こうでも何らお変わりなかったな。……いや、別人だとはわかっているのだが、こう、お人柄が……」
「あっはは、確かにおばちゃんこっちとそっくりだったな。オレの知る限り、向こうとこっちじゃ同じようで結構違いがあるもんなのに。きっと───」


 旧知の人の思わぬ話題に空気が和らぐ。肝っ玉おばちゃんの人徳か、おかげでその後の話は滞りなく進んだ。
 武が朝からの行動を逐一報告し、時折問われて冥夜が印象などを補足する。リラックスした様子の武を横目に、冥夜は今日の一日を思い出していた。
 膝の上、あちらで着替えたジーンズの青い生地に手を這わせる。そのざらついた、けれど質の良い手触り。
 それがなんだかとてもあたたかく感じて、冥夜はほうっと息をつく。両の指先をそっと絡めた。



 ───そう、ずいぶん前のような気さえするが、それはわずか半日前。
 今は静かなこの部屋が、重低音の唸りを上げていた。

 コンソールについた社がその小さな手で機械を操作し、博士が指示を出している。
 私は稼働する装置の懐でタケルの腕に手を絡め、感じる熱とともにその存在を強く心に思い描いていた。
 それだけに集中して、いつの間にか感覚とともに意識が途絶える。次に気が付き瞼を開けたときには、そこにはもう違う場所、違う世界の景色があった。

 足裏に踏む軟らかい土の感触。頬に感じる冷たい風の流れ。ゆっくりと目を開いてみれば、東の空はいまだ夜の暗さに包まれている。
 黎明を待たずに私達が降り立ったのは、以前と同じ、横浜の街を見下ろす小高い丘の上だった。

 違う世界とはいえ、同じ横浜の地。
 だがそうでありながら、その空気はあまりにも違って感じられた。はるかに穏やかで瑞々しく、生命に溢れて感じられた。
 それがタケルの故郷。そんな世界にタケルと時をともにしている。
 それはとても貴重なことなのだと。丘を下りながら、夜明けに差しかかり刻々と色を変えていく紺碧の空に思った。


 まずは何を措いても任務として香月教諭と接触し、目的の物を受け取らねばならない。タケルのおまけにすぎない身とはいえ、人類の未来に関わる任務として私も気を引き締めていた───のだが、結局目的の物は何の障害もなくあっさりと受け渡され、以降半日以上の時間が残されてしまった。

 だが、それを話すと香月教諭は余った時間の多いことを大いに喜び、午前の間は彼女からの絶え間ない質問を受け、タケルと共に話し詰めるはめになった。
 問われ答える中で自然と解ってきた、二つの世界の様々な差異。最も大きく致命的なBETAの存在以外にも、歴史の違いはそこかしこに存在するようであった。
 それだけの違いがありながら、異なる世界に同じ人間が存在していることが不思議に思える。
 『向こうの世界』の香月教諭。とても鋭く、楽しく、そして優しい方だった。
 オルタネイティヴ計画の重責を、そして人類の命運をその肩に背負うこちらの世界の香月博士とは、やはりずいぶん違って感じられた。けれど今こうしてタケルと話す様子をみれば、逆にとてもよく似ているようにも思える。
 そのようなことが何故か面白い。

 その後、教諭に連れられて横浜の街に出てからも、思わぬ人間との出会いが重なった。
 京塚曹長に涼宮茜ら元207Aの仲間達。そっくりだと言えるほど似た者もいれば、大きく印象を違える者もあった。
 違う世界。平和な世界。彼女らとの語らいは、その意味を確かな真実として私に教えてくれた。


 そして餞にと言葉をくれた香月教諭が去り、太陽が中天を過ぎてから。
 それからがある意味、この日の本番だと言えたのかもしれない。

 タケルとふたりきりであちらの世界の横浜、あの者の生まれ育った故郷を歩く。
 何が変わったわけでもないはずなのに、タケルに手を引かれて巡った街の姿には、それまでとは全く違った印象の記憶が残っている。
 なにかふわふわと浮き立つような、ときに地に足がつかず何もかも曖昧だったかと思えば、逆に非常な鮮明さで焼き付いている景色もある。時間はあっという間に過ぎ去った気もするし、あるいはタケルと共に何日もあの街にいたような気もする。
 初めての経験で言葉にしづらいが……ただ、とても、とても楽しかったことは確かだった。

 断片的ですらある記憶の一葉一葉。
 それは陽光に彩られた一面の黄葉であったり、潮風に混じる海鳥の鳴き声であったりした。
 穏やかで洗練され、それでいて活気に満ちた横浜の港。異国情緒に溢れた、騒々しいまでににぎやかな中華街。
 道端の露店で小さな装身具を買い入れ、ビルの合間に歩きながら知らずタケルの横顔を見つめていたり。様々に見慣れぬ風物を眺めては、何であるかと聞いたりしていた。

 そうしているうちに、いつの間にか秋の陽は傾いていた。真っ赤に染まった西の空を川縁に眺め、その後に乗った大観覧車。
 二人きりのその場所で尋ねたこと。とても頬が熱かった。天から見下ろす夜の港。光り輝く夜景。
 一周を終えて、その夜景の一角、一際高く輝いていたビルに立ち入った。
 吹き抜けの大ホールは昼日中のように明るく、内部に華やかな店が立ち並んで混み合う様子は、まるでそれ自体がひとつの街のごとくだった。みやげの品を選んでかなりの時間そこにいたはずだったが、まばゆい輝きに当てられたのか、その間何を話したかよく覚えていない。
 ただ、柄にもなくずいぶんと浮かれてしまったようで、後にしてみれば少々気恥ずかしい思いだった。


 そうして戻ってきた元通りの小高い丘。夜も深まって髪を梳く風もさすがに冷たく、浮き足立った心も落ち着いていた。
 二度と訪れることのないであろう街の灯火をぼんやりと眺める。過ぎ去った熱の後、己の世界とのあまりの違いにもの悲しさすら感じた。
 今日の一日をタケルと思い出し、語り合い、そうしているうちに別れを示す白い光が周囲に溢れ出す。

 私は立ち上がった。最後に目の前の景色をこの目に焼き付ける。
 膨れ上がる光の中に何もかもがぼやけ、消えていって、そして───



「───無事帰ってきた、と、こんなとこですかね。他にまだ聞くことありますか、先生?」


 武の報告が終わっていた。冥夜もまた、半ば沈み込んでいた長い幻視から我に返った。
 目に映るのは元通りの薄暗い実験室。報告を終えた武にとりあえず結構と答えて、夕呼が深く思考に入り込んだところだった。
 その様子に邪魔をしないようにと考えてか、武も口を噤み、何か思いに耽っている。
 そして冥夜もまた、つい先程までその手で触れていた世界の、その温かさと切なさに胸を疼かせていた。

 考えていたのは自分のこと、世界のこと、そして武のこと。

 今日の一日で『別の世界』という言葉を本当に理解できた気がしていた。
 平和という言葉の意味を肌で知り、翻ってその光は、自らが生きる世界の狂気をも浮かび上がらせた。
 たった一日過ごしただけの自分がそう感じるのなら、あの世界で生まれ育った武の思いは如何ばかりだろうか。
 そんな冥夜の思いにしかし答えは出ず、そうこうしているうちに、考えのまとまったらしい夕呼が口を開いた。


「……概ね予想通りではあったけど、なかなか面白い結果だったわ。因果律量子論の補強、あるいは進展に関わることもいくつかある。ま、今後にすぐ役立ちそうなものじゃないけど……。どうする? あんた達に関わりのあることもあるし、聞きたきゃ説明してあげるわよ?」

 抑えているがあきらかに嬉しそうな声音で言う。聞かないと答えても教え込まれそうな様子だったが、それなりに聞いておきたい話には違いない。
 頷く二人に対して、滔々と講義が始まった。


 まずは今回、武達に『向こうの世界』の自分達との同一化現象が起こらなかったことについて。
 これは夕呼にとってはもともと予期していたことだったらしいが、その予想を結果として確認できたことで、現在ふたりを取り巻く並行世界の状況をかなり確定できたという。
 だが、その結論を話す前に前提としてと、夕呼は『前回』武の身に起こった同一化現象の概要について説明を始めた。

 そもそもの話として、本来人間ひとりの存在を確率の霧状態に戻して別の並行世界に送ったとしても、実体化の際に転移した世界の自分と同一化するなどという現象は、通常ならば考えられない。
 確率の霧となった状態から実体を再構成する際に、別の世界からの因果情報の影響を受けて状態が変化する───武自身は認識していないが、『元の世界』で夕呼が築地を猫に変えてしまったそれである───ことはあっても、完全にひとり分の因果情報を、実体を持ったもう一人の人間に流し込んだりするなど無理がありすぎる。確率の霧状態とはいっても、存在の質量は変わらずそこにあり、下手をすれば双方の存在が飽和して自己崩壊を起こしてしまうだろう。
 とはいえ、『前の世界』では現実にその同一化が起こっている。考えられないことが起きたのは何故なのか。その疑問に夕呼は、武の存在としての特異性を原因として挙げた。

 それはすなわち、今の武が無数の世界───『元の世界』の10月22日から分岐した確率世界群───の白銀武から構成要素を集めて形作られた統合体であるという性質である。
 『前回』は、転移した『向こうの世界』が武の出身世界のひとつだった。つまりその世界の白銀武は今の武に構成要素を提供したうちの一人であり、二人に共通するそれを触媒とすることで、二人分の存在情報が一人の人間の中に収まる無理が軽減されたのだ。
 それであっても無理な話は無理な話なのだが、もとより同じ人間が一つの世界に別々に存在するということ自体、世界に過度の負荷を強いるものには違いなく、転移装置の出力増による重ね合わせの強化と併せて、『前回』は同一化という稀な現象が起こったのだ、と夕呼は言う。

 そこで少し話が途切れた。珍しく相手が理解するための時間をしっかりと待ち、改めて夕呼は目を細め二人を見つめた。


「───で、ここからがあんた達、まずは白銀の方に係わる話なんだけど……。今回の転移、実験条件はその『前回』と同様だったはずなのに、結果として同一化は起こらなかった。白銀、何故だかわかるかしら?」
 文字通り教師が生徒に提示するような問題。指名されたのは武だったが、冥夜もまた同じ問いを考えた。
 といっても考え込むほどのものでもなく、今までの流れから簡単に答えは予想できる問題だった。
 慣れない冥夜にも見当がつき、問われた武も戸惑うことなく答える。

「今回オレ達が行った『向こうの世界』は、『前回』オレが壊した『元の世界』でないのはもちろん、オレが知っているはずの───オレの元になったはずのどんな世界とも違う。そういうことですね」
「正解。まあ極めて近い世界ではあるんでしょうけどね。じゃあ次の質問。何故今回あんたは───というか今回じゃなくて十日前、一回目の転移の時ね───その知らないはずの世界を選ぶことになったのか。どう?」

 二つ目の問いは冥夜には難しかった。なにしろ行き先を選んだのは武であるわけで、考えようにも前提となるべき情報が決定的に足りない。
 早々に思考を中断して視線を向けてみれば、武は厳しい顔で眉根を寄せている。似た表情を見たことがあった。冥夜は初めて武とともに『向こうの世界』へ渡ったときのことを思い出した。

「……オレに強い意志がなかったから。あの世界が今どうなってるのか、それを知るのが怖くて、無意識に避けていたから……だから、ですか?」
 沈黙の間に何を思ったのか。武は苦みを呑み込むように答えて、しかしそんな武の深刻さを、夕呼は無造作に一蹴してしまう。
「ぶー、不正解。あんたが実際怖がってたかどうかは知らないけど、それだけなら他に無数にあったはずの別の『元の世界』、あんたの出身世界のどれかに辿り着いたはず。けれどそうはならなかった。それもそのはず。あんたがどれだけ強く思ったとしても、そもそも行く先の世界が存在しなかったからよ───」

 ふたりともすぐには意味をつかみかねた。水面に落ちた波紋のように、言葉がしんと染み渡る。
 残響が消える頃合いで、再び夕呼の唇が動いた。

「わからない? 要するに、あんたが逃げ出してきた『前の向こうの世界』は、今やもうどこにも存在しないってことよ。『前の世界』で聞いた通り、ばらまかれた因果が回収されて、鑑純夏の意思のもとに新しい、全く別の世界として再構築されたから。その際に、あんたの出身となった無数の世界も、全てひとつの世界に統合されたはず。そういうわけであんたの願い事、ひとつは聞いてあげられなくなったわ。なにしろ最初からかなってたんだからね」

 最後には肩を竦めるようにしながら、夕呼は結論をまとめてみせる。それを聞いた武の表情が見物だった。
 夕呼の言葉、その意味を理解するとともに、顰められていた顔から険が取れ、目元口元はほうけたように弛む。衝撃を受けたその様子は、ややあって噛みしめるような淡い笑みへと変わり、最後には何か遠くを見つめるような、哀しげにすらみえる顔に落ち着いた。

 一回目の転移実験で冥夜が並行世界に転移できたことから、『この世界』が『前の世界』とは別の並行世界であること、武達が過去にループしたのではないことは結論づけられていた。しかし、それだけでは『前の世界』や『前の向こうの世界』がどうなったのかまではわからないままだった。
 50億の死を撒いたあの世界を救うという、夕呼との約束。
 命に代えても、いや、たとえどんな地獄であっても生き延びて果たさなければならなかった約束が、今思わぬところで成就を告げられたのだ。想いただならぬことは想像に容易い。

 そんな武を夕呼は黙って見守っていたが、しばらくして落ち着いたと見て取るや、また皮肉げに言葉を掛けた。

「どうしたの、白銀? なんだか嬉しくなさそうな様子だけど。余計なことは聞かない方が良かったかしら?」
「……いえ、まさか。タイミングが一周遅れみたいな感じで複雑なのは確かですけど、あの世界が救われて、先生との約束が果たせて、こんなに嬉しいことはないですよ。ただ、あの世界が救われたってことは、本来関係なかったはずの世界がたくさんそれに巻き込まれたってことですから。純夏がきっと幸せな世界を作ってくれた、って信じられても、色んなことが全てなかったことになってしまったってのは……やっぱり厳しいです」

 全身から力が抜けたようだった武であったが、心配するかのような夕呼の言葉に笑って答える。その笑みは儚げだったが、それでも確かにうそではない。だから夕呼はそう、とひとこと呟いて、そうして自分も含み笑う。
 と、その反応に何かピンときたのか、武はふいと表情を変えた。今更ながら疑問に思ったという顔で質問をする。
「でも先生、とりあえず理屈は解りましたけど、なんていうかそれだけなんですか? いや、因果律量子論とかよくわかんないんでなんですけど、今回オレが同一化しなかったってだけで断言するのは色々と飛ばしすぎなんじゃ……」

 結論は疑ってないけれど、という体の武の疑問。それを受けて夕呼は「意外と鋭いじゃない」と返す。
 聞けば確かに武の感じたとおり、今回の結果は結論付けの傍証、裏付けに過ぎないと言う。詳細は内緒と語られなかったが、あの世界群が無事再構成されたという結論は、今回のそれとは別口の実験から得られたものらしい。
 武はそれ以上のことは聞かなかった。ここで話さないのなら、そうする理由があるのだろう。そんな思いを呑み込んだ、確かな信頼が窺えた。



 ここまでが『元の世界』の話だった。これに関しては係わりがあるのは武ばかりで、冥夜は少々蚊帳の外だったのだが、次の話はそうではなかった。
 今度はふたりがともに当事者である世界のことだったからである。

 すなわちそれは、数限りないリセットとループを繰り返し、その果てに武と冥夜がオリジナルハイヴを落とした『前の世界』についての話。
 『元の世界』と同様に、二人には去就の知れなかったその世界。冥夜にとっては故郷ともなる世界が、無事に閉じた輪から抜け出し、二人が世界から消え去った後も存在し続けている───それもまた確かめられた、という話だった。
 もっとも、『前の世界』が消滅したりループしたりしたわけではないというだけで、その世界の中で人類が窮地にあることは依然変わらず、あの先の未来に何の保証があるわけでもない。
 だが、それでも人類滅亡の崖っぷちからは遠ざかった。
 その後の苦難は残された者の責務だが、少なくともあんた達の戦いは無駄にはならなかったはず。そう言って夕呼はふたりをねぎらった。先に逝った死者として誇りに思えばいい、と。

 そんな話を聞きながら、武も冥夜も知らず『前の世界』のことを思い浮かべていた。
 それは例えば、かつて汗を流した教練の日々であり、搬入される自分達の吹雪を初めて見た時の気持ちなど。
 あるいは冥夜ならば、幼き日に自らの境遇を思い悩んだ夜があったことや、武から渡された古ぼけた人形に涙を流した想いであったりした。
 そしてもちろん、もはや彼らの血肉となっている、先に逝った者達に託されたもの。誇り高い仲間達の生き様が鮮明に思い浮かぶ。

 それらが語り継がれる世界が、今も確かに存在している。もうふたりには関わることの出来ない世界の話であっても、それは確かに嬉しいことだった。
 とはいえ、ふたりの受け取り方にも少々違いがあって、冥夜の場合武ほど明確な理解があるわけではなかったが───その辺りはキャリアの違いかもしれない。

 なににせよ『前の世界』の行く末を知らされて、武と冥夜は安堵していた。何かに一区切りがついたような、ほっとしたような悲しいような、少し気の抜けた時間が流れる。
 そうした空気の中で、夕呼が最後の話を切り出した。



「どう受け取るかしらと思っていたけど……まあ悪くもない様子で良かったわ。何にせよ、これで過去の思い残しには踏ん切りがついたとして、最後は今、『この世界』についての話よ。ふたりとも、ここまで説明した中でひとつ、今のあんた達の状態に矛盾する理屈があったことに気がつかなかった?」

 楽しげに、しかしなにか不安を抱かせもする声で聞かれる。
 三つ目となる問題に、武も冥夜も訝しみながら首を傾げた。揃っての反応に肩を竦める夕呼。

「『二人の人間が同一化するなんて、普通なら考えられない』って言ったでしょ。けど───」
 そう言って意味ありげに視線を動かす。武ははっとなった。
「あ、そうか……今の冥夜は……」
「そっ。今の御剣は、『この世界』の御剣と『前の世界』の御剣がひとつに重なった存在のはず。だけどいかにほとんど違いがなくても、『この世界』と『前の世界』は全くの別物よ。二人の御剣も全く別の存在。白銀のような同一化は起こるはずがない。ならば他の原因があるはずなのよ」
「他の原因っていうのは?」
「……あんた、少しは自分で考えなさいよ。そこが一番面白いんじゃない。脳みそのしわ減るわよ」
 間髪入れず身を乗り出す武に、夕呼は呆れた声で返した。が、憂い顔の冥夜を見て息を吐く。

「ま、いいでしょ。そうね、今はとりあえず御剣の不可解について話したけど、実のところ、白銀が今ここにいることも充分におかしな現象なのよ。だって、『元の世界』が再構築されたのなら、あんたはその新しい世界に帰ってやり直すことになるはずだったんでしょう? なのに実際には、あんたは今ここにいて、平和なんて無縁の世界で戦っている───」

 声の質が変わっていた。重く、厳かですらある低い響きに。
 すうっと細まった眼の光が、まるで透き通すようにふたりを射抜く。

「そのどちらの不可解も、原因は一点に集約される。───オリジナルハイヴよ。あんた達が『前の世界』であ号標的を消滅させたそのときに、ことが起こった」

 武も冥夜も知らず息を呑んだ。かの桜花作戦は、彼らにとっても最も重く、そして鮮烈な記憶を刻まれた戦いであったからだ。
 詰めた呼吸をそのままに続く言葉を待つふたり。だが夕呼はその前に、と別の話を挟んだ。
 それは『一回目の世界』で起こった出来事。
 武が黄昏の世界に流され、BETAとの絶望的な戦いに巻き込まれることとなった、そのそもそもの原因についての話だった。

 発端はBETAの日本侵攻。横浜の地で捕われた、こちらの世界の白銀武と鑑純夏。武は無惨に殺され、純夏は果てない陵辱の末に脳髄だけの姿とされる。
 そして明星作戦における二発のG弾の爆発。それによって作られた空間の裂け目。
 闇の中で、ただ『タケルちゃんに会いたい』という一念だけで存えてきた純夏の意思が、反応炉と繋がることで増幅され、そこに干渉する。すなわち、その空間の裂け目から異世界への道を繋ぎ、統合体となる今の武を自らの元へと喚び出したのである。


「───それが全ての始まり。そして、それと同様のことがオリジナルハイヴで起きたのよ。白銀が引き鉄を引いたその瞬間に、今のこの世界に繋がるいくつかの要因が同時に存在した」
 そこまで話して少し間を取り、夕呼は指を一本立てた。
 内緒話をするように唇の前に寄せ、ふっと息を吹きかける。

「そうね。ひとつはそのとき、御剣が脳の記憶野深くにまであ号標的からの侵蝕を受けていたこと───」
 立てた指をすうっと滑らして、夕呼は自らのこめかみをとんとんと叩く。
「───それは逆に言えば、御剣の意思が超巨大な反応炉であるあ号標的に対して干渉しうる状態にあった、ということよ。脳髄状態で横浜ハイヴの反応炉と繋がっていた、鑑純夏と同じようにね」
 本当にいろんなものが明星作戦の時と似ているのよ、と夕呼は更に指を立てながらその先を続けた。

 二つめの要因として挙げられたのは、停止していたはずのムアコック・レヒテ機関が起こした原因不明の異常臨界現象。
 オリジナルハイヴに貯め込まれた大量のG元素との、未解明の反応現象だと考えられるそれは、G弾の原理と極めてよく似た抗重力機関の暴走現象であり、周囲の空間を歪めるのに充分なものがあると推察される。

 そしてその状況にあって、冥夜が純夏と同様に極めて高い00ユニット適性───この場合因果時空に干渉する攻性の能力と意思力───を持った存在であったこと。

「───そういう条件が揃った中で、御剣の意思がそれらを束ねる鍵になった。最期の瞬間に何を思ったかしら。生きたいと思った? それとも未練があった?」
「…………」
「ま、何にせよ、その全ての要素が今に繋がっているのよ。明星作戦の時と同じように、増幅された御剣の意思が力を持ち、ゆるんだ時空の壁を越えてこの世界への道を開いた───」

 からかうような、面白がるような、それでいて降り積もるように響くその言葉。
 押し黙る冥夜の姿に少し間を置き、夕呼は軽く首を回して肩を揉む。そうしながらくすりと笑いをもらし、改めてすっと目を細めた。

「でも、そうやって道を開いただけなら、今御剣がここにいることはなかったはず。ただ世界を転移しただけでは、肉体の状態が変わることはない。あの時点でBETAに侵蝕されて死にかけだったあんたが『この世界』に流れ着いても、遠からず命を失ったでしょうし、どのみち二人の同じ人間が同じ世界に存在するような不安定な状態は長くは保たない。だからといってあんたの場合、本来白銀のような同一化現象は起こらない。さっき言ったようにね。じゃあ一体何があったのか───」
 その語り口は、段々と表情を冷たくしていった。夕呼はわずかに間を置いて、ちらりと武に目を移す。

「───答えはひとつ。あの時白銀は、あ号標的を消し飛ばすために御剣もろとも荷電粒子砲を撃った。御剣、あんたは奇跡的に生き残ったんじゃない。そのとき確かに……死んだのよ」

 殊更に抑揚の欠けたその一語。
 どうしたわけか、その静かな言葉はとても大きく冥夜の耳に響いた。
 あのときに果たして何を思ったか。死の間際、真っ白な瞬間が脳裏に蘇る。

「塵ひとつ残さず吹き飛んで、あんたは死んだ。けれど幽霊とか霊魂とか、そういうオカルトも馬鹿にしたものじゃないってことかしらね。少なくとも死後の刹那、わずかな時間、その場所に何かが……魂とでも呼ぶべき何かが残った。まあそんな大層なものじゃなく、命の残り火のようなものだったかもしれないけれど……。とにかくその完全に消滅する前の猶予、意識だけの存在になった瞬間に、あんたは唯一の機会を逃さず世界を渡って、この世界の自分に入り込み同化した。肉体という、構成情報のほとんどを失ったそんな状態だったからこそ、ふたりの人間がひとつに重なるという異状が成り立ったのよ。その結果として、幽霊となった御剣冥夜は今もなおここにあるというわけ」
「…………」
「そしておそらく、白銀が『元の世界』に帰れなかったのも、そうやって御剣がこの世界に道を作ったせい。鑑純夏という楔を失ったあんたは、どれだけ望もうと寄る辺ない世界に長く留まることはできなかった。けれど御剣の通した道があったから、最後の瞬間、それを頼りにあんたは『元の世界』の再構成に逆らおうとした。再構成される世界の吸引力は、本来決して抗い得ないほどに絶対的だったはず。けれど御剣が道を通し、あんたがしがみつこうとしたこの世界には、今まさに別の世界から『白銀武』を喚び出そうとする『鑑純夏』の存在があった。本来喚び出されるはずのまっさらな『白銀武』を押しのけて、あんたはその身を『この世界』に滑り込ませた。自分を呼び戻そうとする『元の世界』の力に抗うため、一度は開放されたはずの因果導体になることを自ら選んだのよ。無意識の選択とはいえ、ふふ……まさに因果なことよね……」


 途中から武の方に視線を移し、平坦な声のままに、夕呼は過去の事象を紐解いてみせた。
 それは冥夜と武が行った運命の選択。
 どう反応すればいいのかわからず、ふたりは動けなかった。
 夕呼は左手を額に当て、足を組んだまま蹲るように顔を伏せた。悩んでいるかのように沈黙する間、その表情はうかがえず、そのうちにだんだんと肩が震えてくる。そして。

「……ふふ、ふふふ……、ふ……、あーっははははははは!」

 あろうことか、堪えきれないというように笑い出した。

 愉快でたまらないというような哄笑だった。まったく遠慮なしの高笑いに、重い雰囲気だった聴き手ふたりが呆気にとられる。
 腹を抱えた笑いはそのまま続いて、ようやく収まったときには夕呼はずいぶん息を弾ませていた。

「……はー、久しぶりに笑った笑った。笑いすぎて涙出てきちゃったわ」
 ようやく落ち着いてひとりごちる夕呼に、武がおそるおそる問いかける。
「……あのー、先生。今の話、どこが笑いどころだったんですか? そんな話じゃなかったような気がするんですけど。それともどっきりかなんかですか?」
「どっきり? 何よそれ?」
 夕呼はきょとんとした顔を見せた。

「まあいいか。笑いどころもなにも、あんた達の人間離れしたとんでもなさ加減に笑いが止まらなかったのよ。あと、三人の似た者同士ぶりにもね」
「似た者同士……、三人?」
「それって純夏のことですか?」
「そうよ。あんた達と鑑純夏のこと。あんた達三人は揃いも揃って、『最善の未来を選び取る力』なんて範疇には到底収まらない、途方もない力を示したわ。望むままに因果を歪め、あり得ざる現実すら喚び起こす意思の強さ。しかも面白いのが、三人がそれぞれ望んだこと、それがある面で共通しているってことね。それぞれがギリギリまで追い詰められた、ある意味人生の最後で渇望した無意識の想い。それはあらゆる飾りを剥ぎ取った、あんた達の本質そのものを表していると言ってもいい」
 愉快そうな調子のまま、夕呼は話を進めていく。だが内容は心に切り込むようで、聞く方はただ軽く受け取ることはできなかった。

「似た者同士と言ったのはそのことよ。あんた達は三人とも、最後の想いに己のエゴを通した。誰かのためにとか、まして人類のためになんて考えず、それどころか誰かの願いや存在まで踏みにじって、ただただ自分の都合と欲望のままに世界を枉げた。……話に聞いたあんた達の仲間───伊隅や速瀬や、そしておそらく他の207Bの連中も───状況の違いはあったにせよ、おとなしく死んでいった彼女たちとは大違いもいいところね」

 そこまで言ったところで、またも笑いがこみ上げてきたらしい。言葉を切り、くっくっくっ、と今度は控えめに笑いをもらす。
 死者を引き合いに揶揄するような調子で言われ、武が体を強張らせた。顔を歪めながらも言葉に詰まり、それでも夕呼をキッと睨む。

「……オ、オレはともかく、冥夜には関係ない話でしょう? 死にたくないって思うのの、何がいけないって言うんですか! それだったらあいつらだって、みんなッ……、当然のことでしょう!?」
 声を震わせた詰問にも夕呼は動じない。笑みを浮かべたままにするりと流す。
「そうでもないわよ。少なくとも結果としては犠牲になった相手がいるんだし。それに説明しといてなんだけど、さっきの話は鶏と卵がどうも怪しいわ。時間の前後、因果の順逆が絡み合ってる。ねえ……御剣。あなたが最後に願ったことって……自分が死にたくない、なんてそれだけじゃ、そんなことじゃなかったんじゃない?」
「……それ、は」

 急所を突くような言葉と透き通すような視線に押され、冥夜は答えを返せずに目を伏せた。
 心に浮かんだのは最期の瞬間。白い光に凝縮された時間。
 因果も時空も飛び越えて、何を望み、何を掴もうとしたのか。


「───どうやら覚えがあるみたいね。鑑と違って自我を残していた分、無意識でなくある程度意識的に時空に干渉したのかしら。いずれ実験してみたいところだけど……」
 黙して沈む冥夜を見て、興味深そうに呟く夕呼。武はその言葉を渋い顔で聞き、冥夜も目を上げる。二人の視線を受けながら、ようやく夕呼がまとめに入った。

「もう話もだいたい終わり。『前の世界』や白銀の『元の世界』についてはきれいに片がついた───というより縁が切れたってところだけど、この世界はおそらく、新たに白銀を因果導体としてループに囚われている。『前の世界』と同様なら、鑑が00ユニットとして起動すれば自ずと解決するはずのことだけど、今回はあんた達二人が自分の意思でその環に介入しているわけで……、解放の条件はこれからの課題ね。
 ああ、それと今更だけど、さっきは悪く言ったんじゃないのよ? わがまま執着生き汚さ、むしろ大いに結構、大歓迎よ。今のこの世界は新しい『一回目の世界』。あんた達がおとなしく運命を受け入れて、今ここにいなかったとしたら……あたしの計画に先はなく、人類にも地球にも未来はなく、あげくわけもわからないうちに、いずれ全てをなかったことにされてしまったんでしょうから。───例えいつか、その繰り返しの果てにただ一度のチャンスがあるのだとしても……そんな無為の繰り返し、あたしはまっぴらごめんよ。知ってしまった以上は。だから……『今』チャンスをくれたあんた達には感謝してるわ」

 淡々とした話しはじめから、また軽く笑い含みになり、それからだんだんと研ぎ絞るような響きを加えて、最後には真剣な声音で礼を告げる。
 二人に向けた顔は静かで優しく、自らの無力を呑み込んでなお微笑むような───冥夜にとっては初めて目にする、武にとってはあるいは以前に一度見たかもしれない───そんな邪気のない、透き通った眼をしていた。
 次々に転じる話の流れもあって、冥夜はその場で少し固まる。

「……どうしたのよ」
「……いや、まさかというか……、まるでマジに感謝してるみたいじゃないですか。先生らしくないですよ」
 訝しむ声に、幾拍かおいて武が返す。夕呼は途端に渋い顔になった。
「マジで感謝してるのよ。らしくなくて悪かったわね」
「オレ達まだなんにもしてませんよ? 今からそんなこと言われたんじゃ、むしろ後が怖いんですけど……」
「あんたねえ。人が珍しく、素直に礼を言ってやってるってのに───」


 お決まりの掛け合いが始まっていた。その様子を流し見ながら、冥夜はもつれた話を顧みる。

 無限に存在する並行世界。その数多の世界に存在するという別の自分たち。
 鑑純夏の意思によって造り直されたという武の故郷、『元の世界』のこと。
 過去にして未来。生まれ育ち、戦い抜いたはずの『前の世界』。
 そこで命を落とした。拭えない未練があった。そしてその自分が、世界の理をも変えたという。

 あまりにも常識からかけ離れた、非現実的な話ばかりだった。
 だが、それでは常識とは、現実とは一体何なのか。
 宇宙からの侵略者、BETAによって滅ぼされようとしている地球と人類。平和な、あるいはまともな世界を垣間見た今、その現実を狂っていないと言えるだろうか。
 起こったことは、全て紛れもない現実だった。だから冥夜は考える。理を外れたという最期の刻に、自分が一体何をしたのか。
 おぞましい侵蝕とそこからの解放。凝縮された想いと記憶。不明瞭なビジョンが数知れず瞬いては消えていく。うなじに得体の知れない怖気が走り───そこで夕呼の声に引き戻された。

「───ここまでにしておけば、とりあえずきれいに終わるとこだったんだけど……そんなにあたしらしくないっていうなら、ついでにあとひとつ言っておきましょうか」
 ついでにと前置きながら、それは意味ありげで静かな口調。嫌な予感でも走ったか、武が口を挟みかけるが、夕呼は軽く手をかざして押しとどめた。そしてはっきりと、明確な意思を込めて言う。

「この世界は、あんた達の生まれた世界じゃあない」

 それはある意味で言わずもがなの事実。
 ただ、それが鍵だった。混沌とした何かに形を与えるものだった。
 夕呼がふたりを見据えて先を続ける。

「それは御剣にとってもそうだし、白銀にいたっては二重の意味でね。だからあんた達が今ここにあることは、この世界本来の流れじゃないわ。この世界には、あんた達の代わりに生きている人間がいるはずだった。要するに───」



 それはゆっくりと、しかし途切れなく連なる言葉。
 舞い落ちる雪のように、しんしんと降り積もる不吉な寓話。
 そして、何を変えようもない終わった話だった。

 けれど今夜の話で、その希望のない話が最も冥夜の心に根を張ることになる。
 形のない影は徐々に意味を確かにし、恐怖を絡みつかせて大きくなっていった。



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