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No.6379の一覧
[0] マブラヴ ~新たなる旅人~ 夜の果て[ドリアンマン](2012/09/16 02:47)
[1] 第一章 新たなる旅人 1[ドリアンマン](2012/09/16 15:15)
[2] 第一章 新たなる旅人 2[ドリアンマン](2012/09/16 02:35)
[3] 第一章 新たなる旅人 3[ドリアンマン](2012/09/16 02:36)
[4] 第一章 新たなる旅人 4[ドリアンマン](2012/09/16 02:36)
[5] 第二章 衛士の涙 1[ドリアンマン](2016/05/23 00:02)
[6] 第二章 衛士の涙 2[ドリアンマン](2012/09/16 02:38)
[7] 第三章 あるいは平穏なる時間 1[ドリアンマン](2012/09/16 02:38)
[8] 第三章 あるいは平穏なる時間 2[ドリアンマン](2012/09/16 02:39)
[9] 第四章 訪郷[ドリアンマン](2012/09/16 02:39)
[10] 第五章 南の島に咲いた花 1[ドリアンマン](2012/09/16 02:40)
[11] 第五章 南の島に咲いた花 2[ドリアンマン](2012/09/16 02:40)
[12] 第五章 南の島に咲いた花 3[ドリアンマン](2012/09/16 02:41)
[13] 第六章 平和な一日 1[ドリアンマン](2012/09/16 02:42)
[14] 第六章 平和な一日 2[ドリアンマン](2012/09/16 02:44)
[15] 第六章 平和な一日 3[ドリアンマン](2012/09/16 02:44)
[16] 第七章 払暁の初陣 1[ドリアンマン](2012/09/16 19:08)
[17] 第七章 払暁の初陣 2[ドリアンマン](2012/09/16 02:45)
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[6379] 第六章 平和な一日 3
Name: ドリアンマン◆74fe92b8 ID:6467c8ef 前を表示する / 次を表示する
Date: 2012/09/16 02:44

 真夏のそれのような青の濃さはないが、かわりに透き通るような深さをみせる澄んだ空。
 その蒼に、特徴的な秋の雲が儚く薄く広がって、浮き上がるような白波を描いている。

 ───まるで海を見下ろしているみたい。

 煉瓦造りの駅舎から外に出て、雑踏とざわめきの中、少女は空を見上げてふとそんなことを考えた。
 見つめていると吸い込まれてしまいそうな高殿の深み。
 短めに整えられた明るい赤毛が、肩口を撫でる穏やかな風にそよぐ。
 爽やかな空気を胸一杯に吸い───

「───茜ちゃん、茜ちゃん! 置いてくよー、茜ちゃーん!」

 と、そんなところで声が掛かって、少女は我に返った。
 見れば一緒に来た友人達は駅で待ち合わせた一人を加え、彼女を置いて先の交差点まで歩いていってしまっている。

「あ、ごめんごめん! ちょっとぼーっとしてた!」

 慌てて答えて、名前を呼ばれた少女は走り出す。
 照れたような表情は快活で、躍動する動きは水面に跳ねる魚のよう。軽やかにひらめく白い制服が、そんな彼女にとてもよく似合っていた。




 ちょうど11月も半ばを過ぎ、そろそろ年の瀬も近く感じるこの日は、涼宮茜にとってひさしぶりのオフの日であった。
 こう言うとまるで芸能人の話のようだが──ついでに言えば、彼女はそんじょそこらのアイドルなど顔負けの美少女であるが──それは違う。彼女は一流のアスリート、横浜の名門白陵柊に通う高校生スイマーである。
 三年のこの時期、部長を務めた水泳部はとうに卒業していたが、すでにアメリカへのスポーツ留学が決まっており、近い将来にはオリンピックでの活躍も期待される彼女にとっては、厳しい練習に励む日々に変わりはない。今日はその練習がしばらくぶりに休みなのであった。

 そんなわけで、茜は仲の良い級友らと一緒に橘町に出てきていた。もちろん遊びに、そして幾らか用事を片付けに。


 橘町の駅で待ち合わせたひとりと合流し、会話に花を咲かせながら茜らがやってきたのは伊勢佐木のモール。入り口である帆船のアーチをくぐって、歩行者天国に入る。
 そこは半ば観光名所となっている綺麗な通りであり、11月とは思えないような陽気の良い週末とあって、普段以上に人があふれて明るい活気に華やいでいた。
 とはいえ、茜にとっては通いなれた場所であるわけで、当然特に珍しく眺めるようなことでもない。変わらずみんなと話しながら、予定の買い物のために目当ての店へ向かおうとしたのだが、そこでふと視界の端、通りの一角に目を引き寄せられた。

 別段人垣ができたりしているわけでもないのだが、そこには茜のみならず、周囲の視線が自然と集まっている。どうもその視線に誘導されたらしい。
 当然何があるのか気になったが、今の位置からでは人込みが邪魔で直接見ることができなかった。ならばとばかり、茜はすぐさま確かめようと駆け出す。これで意外と好奇心旺盛な性格なのだ。
 そうして人波を躱しながら近いところまで走ってみれば、そこにいたのは笑い合う三人の男女。意外なことに、そのうちの一人は彼女がよく知る相手だった。

「……香月先生」

 茜は思わずそう呟く。陽気がいいとはいえ、完全に季節(以外にもいろいろと)外れのやたらと露出の高いボディコン姿。けれど抜群のスタイルに派手な容姿で、それがしっかりはまっている。紛れもなく彼女のクラス、3-Dの担任であるエキセントリックな天才物理教師、香月夕呼であった。

 しかしその不良教師は、今日一日授業もHRも全て自習と宣い、物理準備室に籠もりきりだったはず。よくわからない研究に没頭している時にはままあることなので気にしていなかったのだが、あれでまったく責任感のない教師というわけでもないと茜は知っており、こんなところで見かけたことが少々疑問で首をひねる。
 もっとも実のところ、その引っ掛かりはごくごく些細なものにすぎなかった。茜の注意の大半は、担任の姿よりもむしろ、彼女と話している二人の方に向けられていたからだ。

 茜からすると、いくらか年上に見える若い男女。服装などは決して目立つものではないが、纏う空気が明らかに違う。とにかく並外れた姿の良さが印象的で、自ずと光を放つ威風とでも呼ぶべきものを直観した。
 これは人目も集めるはずよね、と少し離れた木陰で茜は思う。もっとも普通に美男美女なので、そうでなくても目立っただろうが。

 茜が二人を眺めながらそんな風に考えている間にも、そばを通り過ぎる人たちは皆ちらちらと彼らに目をやっていく。少し離れたところでは、茜と同じように立ち止まって眺めている者もおり、そこかしこで二人について話すひそひそ声も聞こえてきた。だというのに、彼らはそれを気にするそぶりも見せない。
 その落ち着きぶりに、一体何者なのかと思ったところで、ふと茜の脳裏に何かが引っ掛かった。
 あの二人、どうも見覚えがあるような……。いや、こんな目立つ人間なら忘れるはずはないのだけど──そう考えたところで、眇めた視線に反応したかのように、唐突に相手が首をめぐらせた。
 横顔が正面を向き、一瞬見せた驚いたような表情。茜の前後から名前を呼び合う声が響く。

「涼宮! 柏木!」
「あれま、白銀君に御剣さんじゃない。香月先生と一緒になにやってるの?」

 背後から声を掛けたのは、一緒に来ていた友人の柏木晴子。
 その彼女が名前を呼んで初めて、茜は目の前の二人が誰であるかに気が付いた。

 白銀武と御剣冥夜。
 親友である榊千鶴が気に掛けている男と、彼女のクラスである3-B(晴子のクラスでもある)に突然転入してきて嵐を巻き起こしている少女として、茜も話は良く聞いていた。ついこの間行われた球技大会絡みでいくらか直接話もしたし、冥夜とは決勝戦で戦ってもいる。ほんの一週間ばかり前の話だ。

 だというのに、何故気が付かなかったのか。というか、名前を聞いても二人の姿、そのイメージが一致しない。
 確かに今は二人ともカジュアルな私服姿で、冥夜の方は普段の武士然とした髪形も変えてあるため、学校での印象と食い違うのも当然かもしれない。
 しかし、それを充分考慮に入れたとしても、茜の目に二人の印象は違いすぎた。
 二人のその表情、その声音、その物腰、その姿勢。どれをとっても同い年とは思えない重みと落ち着きがあり、どうかすると哀愁さえ感じさせる風情だ。

 対して以前のふたりはどうだったか。
 親友から散々吹き込まれている『ろくでもないこと』はともかく、茜が自分の目で確かめても、以前の武を一言で言い表すとしたら、『お調子者』以上に適当な言葉はなかった。冥夜は冥夜で、威風は感じても、今のような細やかなしとやかさは見て取れなかった。有り体に言って、今の方がずっと綺麗で魅力的だ。
 男子三日会わざれば──とは言うものの、随分とこれは……。

 わずかの間にそれだけ考えて、茜は思わずにんまり笑った。これはなんだか面白そうだと、脇を抜けて歩み寄る晴子に続く。
 とりあえず、共通の話題を切っ掛けにしようと話しかけた。




「こんにちは、白銀君、御剣さん。決勝戦で戦って以来だね。今日は先生と一緒にどうしたの?」
「あはは、奇遇だよねえ。ていうかおふたりさん、私が出てきたときまだ教室にいたはずなのに、先回りしてるなんてずいぶんはやいよね。いつの間にか服まで着替えてるし───」


 見知った二人をその場に見つけて、一瞬驚きを顔に出した武だったが、話し掛けられたときにはもうもとの様子に戻っていた。
 もっとも、内心では「やっべえ、どうしよう」などと慌てている状態だったのだが、なかなかそうは見えない自然な態度である。

 舌鼓を打ったランチの後、武達はタクシーでこのイセザキモールに直行した。
 約束した霞へのお土産を選ぶのと、夜まで横浜の街を巡るなら制服姿のままではまずいので服を揃えた方がいいから、という理由だ。
 到着して早々、適当なブティックに入ると夕呼の見立てで服を選び、続けて霞への贈り物も折良くちょうど良い物が見つかって、さて、これからどこを回ろうか、というところで茜達に捕まってしまったのである。
 服を替えたのは一応、知り合いの目に止まるのを避けるためという意味合いもあったのだが、この広い横浜でいきなりかち合うとは、武にとっても予想外だった。まあ、因果流入の危険がないらしいということで、正直真剣に警戒はしていなかったのだが。

 とにかく、茜たちに話し掛けられて武は困っていた。

 京塚のおばちゃんであれば、こちらでの知り合いではない以上、接触してもたいした問題ではないとも思えたが、今度のこれは話が違う。
 晴子は武達と親しいクラスメートであり、茜は榊と親友同士だ。下手な対応をすればかんぐられようし、そうすると後々『こちらの世界』の自分達や純夏らに迷惑を掛けてしまうおそれもある。
 それは嫌だと思う武だった。できれば穏便に、明日以降彼女達の話題にも上らない程度の薄い印象でさよならしたい。

 BETAを相手にした命がけの戦いや、撒き散らしてしまった死の因果のことを思えば、それは小さなこだわりかもしれない。
 それでも、大事なことだと思う武だった。

 そういうわけで、何とか前に出ずに済ませられないかと、武は隣の教師に目で助けを求める。
 だが、まさに軽い話だからと面白がっているのか、夕呼は露骨に知らぬふりを決め込んだ。これはダメだと一発で理解して、武は軽く舌打ちする。
 かといって、他に頼れる相手もいなかった。まさか、いきなり冥夜を矢面に立たせるわけにはいかないのだ。
 仕方ない。とりあえず誤魔化しながら様子を見よう。
 ざわめく雑踏の中、そう決めて武は息を吐く。乾いた唇を湿らし、頭の中でさっと話をまとめて口を開いた。


「───夕呼先生が送ってくれたんだよ、全速力のスピード違反で。知り合いの女の子に誕生日プレゼント買いに来たんだ。夕呼先生の親戚でさ、ほら」
 そう言って武は、右手に提げていた大きな紙袋を掲げてみせる。袋の口からは、真っ白ふわふわなウサギの耳がのぞいていた。

「わぁ、かわいい! 御剣さんが選んだの?」
「あ、いや……私は……」
「選んだのはオレ。冥夜はそういうの疎いから───」
 顔をほころばせた茜の問いに、武が横から割り込んで答える。冥夜に話が向かないようにと、一息置いてそのまま言葉を続けた。

「そもそもその娘のリクエストなんだけどな。ウサギのぬいぐるみ。前に夕呼先生が贈ったのはあまりかわいくなかったから、今度はかわいいのがいいって言うんで。どうだろ、大丈夫だと思うか?」
 そう問いかける武に、笑顔でお墨付きをくれる茜と晴子。あながちただ話をそらす為の問いというわけでもなく、結構本気で気になっていたことなので、その答えを聞いて武は頬をゆるませた。

「そりゃよかった。オレもあんま自信なかったから安心したよ。やっぱプレゼント贈るなら、喜んでもらえる物贈りたいもんな。……ところでオレが言うのも何だけど、柏木達の方はどうしたんだ? わざわざ橘町まで」
「ああ、それは奇遇っていうかね。私たちも───」

 攻守を変えて質問を返した武に、晴子が答えようとする。しかし、その言葉は途中で遮られた。
 人混みを割って、新たに三人が武たちに声を掛けてきたのである。先ほど茜がモールの入り口においてきた三人だった。


「おーい、茜ちゃーん。だれだれ? その人たち友達~? って、夕呼先生?」
「こらっ、あーちゃん。失礼でしょ。言葉遣いはきちんとしなさいっ」
「わっ、ごめんごめん、お姉ちゃん。ちゃんとするってば~!」
「……香月先生。今日授業全部すっぽかしたのに、こんなところでなにやってんですか?」

 そんな風にかしましく加わってきた三人を見て、武は驚きつつも半ばなんとなく、やっぱりなと思う。茜、晴子に続いて、向こうで言うところの残る207A分隊メンバーの登場だった。
 『前の世界』では出会うことのなかった、知り合ってわずか一週間あまりの相手であるが、武にとって大事な現在の仲間であり、またある意味、初めての教え子であるとも言える相手だ。こうして『こちらの世界』でも出会うというのは、なにか感慨深いものがあった。
 ふっと思いついて振り返ってみれば、冥夜もまた似たような表情を浮かべている。そんな彼女の方は、さらに複雑な思いだったかもしれない。
 同期としてともに衛士を目指して訓練をし、一足早く先に行かれて、追いついてみればそこにはもういなかった相手なのだ。
 それに冥夜は、新しい世界ではまだ彼女達に顔を合わせていない。懐かしさとともに、皮肉な寂しさとでもいうようなものが、その瞳によぎったように思えた。

 それはそうと新たに現れた三人だが、全員ともに207Aの少女達というわけではなかった。高原明日香と麻倉優はいるが、最後の一人、築地多恵だけは見当たらない。代わりに一人だけ、私服姿の女性が混じっていた。

 スラリとした長身を包むのは、薄手のセーターと足元まであるフレアスカート。淡い色で揃えられたそれらに、緩やかなウェーブのかかった明るく長い髪がよく映えている。
 柔らかで気持ちの良い笑顔や、心地よい声音と相まって、穏やかで明るい雰囲気の女性だった。

 そんな彼女が、武に微笑みかけてくる。反射的に頭を下げて、はて誰だったかと考えた。
 見覚えがある気がするのだが、ど忘れでもしたように、どうも記憶のファイルが引き出せない。詰まっていたところで、今更ながら目前で交わされた会話が蘇る。
 ごめんごめん、お姉ちゃん、と彼女に───

 ───って、高原しょ……ッ!

 思わず驚きの声を上げそうになり、それを何とか喉元で押し止めた。
 けれども息を詰めた武を、茜が興味深げにじろじろと見つめてくる。それからいたずらっぽくにっと笑って、武はなにかいやなデジャヴを覚えたが、茜はそこでくるっと振り返り、普通に仲立ちとして紹介を始めた。


「優と明日香は知ってるよね。ラクロスの時のこっちのチームメイト。あと、明日香のお姉さんで高原今日子さん。私たちより一つ年上で、今は白陵大の文学部に通ってる先輩だよ。今日子さんは───」

 ───やっぱり高原少尉……いや、高原先輩か。

 茜がお互いの紹介を続ける傍ら、武は会話に応じながら彼女を注視していた。
 わかった上で見れば、確かに向こうの高原少尉と同じ顔をしているのだが、そうでありながらあまりにも違う。
 向こうにあっても初顔合わせから一週間程度の関係とはいえ、あの模擬戦での一件から、高原今日子は武にとって印象深い相手だ。『前の世界』から知る隊員達ならいざ知らず、新たな仲間の中では間違いなく一番目を惹かれていた。
 そんなわけでこの一週間、彼女には自然と注意がいっていたのだが、その武をして、彼女が笑ったところなど一度も見ていない。訓練中の最低限の応答以外、ほとんど声を聞いたこともない。たとえ妹相手でも、気安いところなど全く見せなかった。

 ところがこちらでは、それらが全て逆さまである。
 表情はころころと柔らかく変わり、落ち着きはあるがよくしゃべるさまは、雰囲気的には全くの別人としか思えない。
 姉妹仲も睦まじいのは明らかで、妹をとても可愛がっているのがよくわかった。
 またそのせいなのか、姉ほどではないにせよ妹の明日香も、『向こう』に比べて随分明るげな性格をしているように見て取れる。
 世界の違い。実際に別の人間なのだとはわかっているが、不思議なものだと武は思った。


「───で、私たちもみんなで誕生日プレゼント選びに来たってわけ。だから奇遇だなあってさ」

 武が思いにふけりながら受け答えている間にも、話は普通に進んでいた。先ほど武の話を聞いて、奇遇だねと話しかけた晴子が、改めて橘町に来た理由を説明してくれる。
 知り合いの先輩の誕生日祝いが目的だったらしい。まだ少し日にちは先だが、茜のお休みなどを考えて今日やってきたそうだ。
 話の中で名前は出ず、あえて聞きはしなかったが、またヴァルキリーズの知り合いかな、などと武は思う。
 そうだとしたら、『向こう』でも近く誕生日を迎える仲間がいるわけだが、『前の世界』ではあまりそういうことに頭が回らなかった。『一回目の世界』で基地内クリスマスパーティーをぶち上げた自分を考えると、もはや隔世の感がある。
 しかし、向こうでだってやっていけないことじゃないだろう、とも思った。

 こちらよりもはるかに死を身近に感じる世界だけど。
 生きる為に命がけで戦わなければならない世界だけど。
 決してただ殺伐として苦しいだけの世界じゃないと信じている。
 余裕がないのは確かだけど、派手に誕生パーティーなんかやってみるのもいいかもしれない。
 ヴァルキリーズのみんなとなら、きっとすごく楽しいだろう。

 そんなことを考えて、武はついと視線を上向けた。思い浮かべた場景に口元がほころぶ。
 隣では、その様子を冥夜が静かに見つめていた。想いを汲み取ろうとするかのように。




 そんなこんなでお互いの紹介が終わった後、語らいはしばらく続いた。

 初めのうちは、適当なところでさりげなく切り上げようと構えていた武だったが、いつの間にかその足を休め、腕を下ろしていた。
 なんとか違和感の出ないようにと最低限気を配ってこそいたが、無理矢理話を切り上げるには、その場は居心地が良すぎたのだ。
 冥夜もまた、途中から自然と会話の輪に加わっていた。世界は違っても、茜や晴子などは『向こう』の彼女らとほとんど雰囲気が変わらず、話しやすかったこともあるかもしれない。
 当たり障りのない語り口ではあったが、むしろこちらの彼女よりも、よほど空気を読んで話をしていたのがおかしかった。

 それはただの日常の会話。何の変哲もない会話。
 けれど前にこちらに戻った時とは、感じるものがまるで違う。
 諸々の些細な事が、ことごとく武の胸に響いた。


「───あ~~、でもアメリカに留学って、茜ちゃんうらやましいなあ。ハリウッドとかディグミーワールドとかニューヨークとかグランドキャニオンとか……あたしも遊びに行きたいなあ!」
「も~、遊びに行くんじゃないんだよ、明日香? 結構大変なんだから。手続きとかいっぱいあるし、練習は忙しいし、英会話とかも覚えなきゃいけないし。そりゃ向こうに行ったら少しは観光ぐらいしたいけど……」
「あははは。そりゃ遊ぶのはほどほどにしとかないと、オリンピックなんて無理だもんねえ」
「金メダルくらい取ってもらわないと、友達として自慢し甲斐がないから、観光とか禁止……」
「あ、の、ね~。……まったくもう───」


 ───屈託なく話される明日の話。


「───ねえねえ冥夜ちゃん。冥夜ちゃんのこと、冥夜ちゃんって呼んでもいい?」
「あーちゃん、それ順番が違うから! ……あ、ごめんなさいね、御剣さん」
「いや、姉上殿、お構いなく。しかし、冥夜ちゃんとは。どうも慣れぬゆえか、少々こそばゆいな。だが───」


 ───なにか懐かしげな、はにかむような冥夜の顔。


「───そうそう、千鶴が珍しく白銀君のこと褒めてたよ」
「……なんか雪でも降りそうな話だけど、なんて?」
「うん。君がいなけりゃD組には勝てなかった。感謝してるって。考えなしで勢いだけでバカだけど、そういう人間にしかできないこともあるみたいね、だって」
「あっははは、榊さんらしいねえ。でも、私もほんとそう思うよ。ね、白銀君」
「褒められてる気がしないっての! ていうかそれ、明らかに馬鹿にしてるじゃねえか───」


 ───手放しで笑える昨日の出来事。


 その優しさは、『向こうの世界』では有り得ないほど希少なものだったはず。

 『前の世界』でこちらに来たとき。
 武はこちらのみんなとの間に言い知れぬ空気の違いを感じ、拭い難い違和感を覚えた。
 なのに今は違う。
 以前にはぬるま湯のようなと感じ、苛立ちと隔意が募ったはずのその空気が、今は冬山に熾した焚き火のように暖かく感じる。
 もしかして、これが平和ってものなんだろうか、と武は思った。
 実体はないけれど、とても貴重で大切なもの。そう、命や人間と同じくらいに。
 かつて霞がそう言った。泣き笑うような、けれど毅然とした顔で。
 振り捨てた今になって、彼女の想いが理解できたような気がする。
 だからこそ、目の前の暖かさにもっと手をかざしていたかった。

 けれど。


「───悪い! オレ達まだ予定あるから、もう行かなきゃいけないんだ。切りよくなくてすまないけど、この辺で」

 けれど、さすがにそういうわけにもいかない。
 すでにして長居をしすぎている。このままここにいて、さらに誰かが、あるいは万が一にも自分達と出くわしでもしたら、もう目も当てられない。
 名残を惜しみながらも、武は会話の隙間に声を差し込む。顔の前で申し訳ないと手を合わせ、急いた調子で暇を乞うた。

 その慌てた様子に、茜達も頷いて話を切り上げる。そう言えば自分達も用事があったのだと思い出した風だった。
 武にとっては一期一会、ここで別れれば二度とは会えないであろう人達であり、袖すり合っただけとはいえ多少なり心も残る。
 隣の冥夜も同様なのだろう。突然会話を切り上げられて、珍しくぽかんとした様子だ。
 しかし、当然向こうからすればそうではないわけで、色々と面白がっていた茜にしても、いくらか残念そうな顔はしたが、それでもあっさり「わかった。じゃあまたね、白銀君、御剣さん。あと先生も」と答えを返してきた。

 最後にお互い軽く礼を交わし、武は冥夜と夕呼を促して背を向ける。茜らの方もさっさと元々行く方へ、武達とは逆方向へ向かって歩き出した。
 それを見て、とりあえず無難に済んだか、と考え、武は胸を撫で下ろす。
 ついつい長く話し込んでしまったが、幸いあれ以上の闖入者もなく、不自然な会話も交わしていない。これなら大した問題にもならないだろう。武はそう考えて安心し、元々の思案、次はどこに向かうかを考え始めた。


 もっとも実際のところ、そう思うのは少々楽観的なことだった。
 いくら当たり障りなく振る舞ったつもりでも、武は決して演技達者な人間ではない。茜らに何ら違和感を持たせなかったなどと思うのは、武も自分自身の変化について過小評価が過ぎるというものだろう。
 最初に茜がひとめで普通でないと感じたように、もうこちらの白銀武とは中身が違い過ぎるのだ。言及はしなかったし、態度も全く変えなかったが、クラスメートの晴子だって当然のようにその変化に気がついていた。
 さすがにまさか違う人間だなどとは思っていなかったから、あえて、あるいはたまたま、ここでは話題がその件に及ばなかったというだけのことである。

 そういうわけで、今回の邂逅は週明け以降こじれて拡大し、バタフライ効果よろしく回り回って一騒動、というか嵐を巻き起こすことになるのだが、それはまた別の話。違う世界のものがたりである。








 スタジアムの脇を抜け、武と冥夜がその通りに入った途端、左手から一陣の風が吹きつけた。 
 秋晴れの木漏れ日が周囲に燦めく中、その風は金色をまとって、二人の髪を大きくなびかせる。
 思わず手を翳し、目をつむる武と冥夜。わずかに後、吹き抜けた風の向こうには、見事に黄色く染まった大銀杏の並木通りが伸びていた。

「───これは、すごいな……」

 その美しさに冥夜は思わず息を呑む。
 しばらく惚けたように金色の景色を眺め、そうして感嘆の吐息とともに小さく呟いた。

「ああ。初めて見たけど、確かにこれはすごい。なんか圧倒されるな……」

 傍らに立つ武が同じ響きの声でそう答え、そこでようやく冥夜が視線を動かす。

「……初めて? そなたの薦めで来たのではないか。地元なのであろう?」
「いや、来たこと自体はあるんだけど、考えてみればこの時期に見たことってなかった。まあ地元の名所なんて結構そんなもんだろ───」


 ふたりがそんなやり取りを交わしている場所は、横浜は橘町の名所の一つ、日本大通り。県庁舎ほか、瀟洒で歴史ある建物が並んだこの通りは、銀杏の多い横浜にあっても随一の名所として有名である。
 先程まで二人がいたモールからは駅を挟んでそう遠くない距離にあり、横浜巡りをするならまずここからだろうと武が決め、今まで歩いてきたのだった。

 だが、今この場にいるのは武と冥夜の二人だけで、夕呼の姿は見当たらない。茜達が去った後すぐ、彼女ともその場で別れてしまったのである。



「───さて、涼宮達も行ったことだし、あたしもそろそろ帰らせてもらうわ」
「え? オレ達が帰るまで付き合うんじゃ。貴重な観察対象じゃなかったんですか? ていうか、先生がいないとオレ達こっちじゃ一文無しなんですけど……」
「あんたねえ……。いったいどこまで図々しいのよ」
 モールの入り口を抜けたところで、夕呼は不意に別れを切り出した。驚いた武が聞き返しついでに茶々を入れ、夕呼は渋い顔で肩を竦める。
 けれどすぐに口元をゆるめ、軽い口調で答えた。
「ま、ちょっと閃いたことがあったからね。さっさとまとめておかないと。それにこれ以上デートの邪魔をするのも野暮ってもんでしょ?」

 その言いように、どう答えるべきか武は迷った。その数瞬に、夕呼が何かを投げてよこす。
 思わず手を出して受け取って、何かと手元で見てみれば、それは重みのある黒革の財布だった。

「……先生?」
「一文無しなんでしょ? 持っていきなさい」
「あ、いや、さっきのは冗談だったんですけど……」
「情報料の残りよ。それとあとは餞別。あっちじゃ意味ないんでしょうけど、社って娘以外にもお土産とか買っていったら? 大事な仲間とか、戦友って言うのかしら……いるんじゃないの?」

 軽かった口調が、少し真剣味を帯びた。その目は正面から武を見つめていた。瞳の奥の優しい光に、武は続けようとした反駁の言葉を呑み込む。
「……わかりました。遠慮なくいただきます。もう返せって言われても聞きませんからね」
 代わりにそう言って、武は夕呼に目礼を返した。込めた想いは伝わったのだろう、夕呼もささやかな微笑みを返す。

「じゃ、これでお別れね。『あちらの世界』の絶望がどんなものなのかはわからないし、あたしにはしてあげられることもない……。だけどせめて、あんたたちの幸運だけは祈っておいてあげる。死ぬんじゃないわよ」
「わかってます。これでも命の尊さは身に染みてますから。先生も元気で。あんまりまりもちゃんをいじめないであげてくださいね」
「あれはまりもも喜んでるんだからいいのよ。ま、多少は善処しましょう。ああ、あと御剣」

 武の言葉を軽く笑っていなし、夕呼は冥夜の方を向いた。武のそばから離して、小声で話しかけた。
 最後にあんたにも忠告を。そう称した話を聞いて、冥夜の顔が赤く染まる。けれど冥夜は慌ててそれを振り払った。わたわたと受け答えをした後、真剣な、けれど少し寂しげなまなざしで頷く。

「香月教諭のお心、まことにありがたく存じます。教諭の忠告、何よりの金言としてこの胸に刻みましょう。我が名に懸けて、最期の瞬間まで忘れませぬ。教諭もどうかお健やかに……」

 堅く誓って、お互い目で笑い合った。
 それで終わり。
 最後に並んだ二人をまぶしそうに一瞥し、夕呼はあっさりと背を向けた。振り返らずに人混みに消えた。



 そうして自分達だけとなって、武と冥夜は今ここにいる。
 並木としては珍しく、大きく横に張り出した枝振りをした、今が盛りの銀杏のアーチ。
 はらはらと黄色い葉が舞い落ちる風情の下、穏やかに話しながら歩いていた。

「───しかし銀杏って、こうしてみると面白いよな。枯れ葉のはずなのに、全然枯れてる感じがしないぞ。むしろこれから花でも咲かしそうな勢いだ」
「ふふ、確かにそうだな。同じ秋の風物だというのに、嵐山の紅葉などとは随分趣が違う。あの燃えるような赤さは、悲しくすらあったものだが……」
「嵐山……、京都か。宗像中尉が一番好きだったっていう……」
「ああ、そなたも聞いたのか。失礼ながら、初めに聞いたときは中尉らしからぬ話と驚いてしまったが……」
 並んで歩いていたふたりが、顔を見合わせてくすりと笑う。
「……良い理由だった。私も一応は帝都……京の生まれだからな、あの景色が愛されるのはわかる。そうか、こちらではあの場所も失われてはいないのか……」

 出征を前にした想い人に、彼女が見せた一番好きな風景。今は失われたその景色を、いつか取り戻すという固い決意。クールで奔放な態度の下で、その真情が胸に沁みる。
 先達の戦う理由を辿って、その後はしんみりとした声が響いた。海からの風がさらさらとした葉擦れの音を奏でる中、ふたりとも失われたもの、失ったものに思いを馳せる。
 その思いと重ね合わせるように、方々に視線を巡らし、けれど沈黙は長く続かなかった。どちらからともなく口を開き、穏やかに会話が紡がれていく。

 陽光に燦めく黄金色の木々と、それに染め上げられた美しく落ち着いた街並み。浮き立つように行き交う人達と、ここではとてもやわらかな車の音。
 暖かく光にあふれ、まったく陰を感じさせない目の前の風景は、『向こうの世界』には決してない、しかしいつの日か得られるかもしれないもの。
 黄葉が散り落ちるその道には、心を震わす歓びがあった。黙って感傷に浸るには、そこは少し明るすぎたのだ。


 そうした中で、ふと舞い落ちた葉っぱの一枚が武の目の前をよぎった。反射的に手を動かし、二本の指でその葉をピタリと摘み取る。思わず足を止め、まじまじと見つめてしまい、並んで歩いていた冥夜がそのまま幾歩か前に出た。
「……タケル?」
 冥夜がくるっと振り向く。
 手元から前に視線を移し、目に入ったものに武ははっと息を呑んだ。
 黄金の回廊を背景にして、不思議そうな表情で立つ冥夜。柔らかな陽の光を正面から浴びて、普段の彼女からは考えられないほど力を抜いている。

 ───きれいだ。

 と、武は思った。その瞬間、飾りなく純粋にそう感じた。

 先の別れ際、夕呼は「デートの邪魔を───」と口にしたが、デートと言うには冥夜の服装自体はあまり華やかなものではない。
 真っ白なカッターシャツにごく普通のジーンズ、足もとはスニーカーという簡素な格好。一応の防寒具代わりにと、光沢ある白のストールをサッシュのようにして腰に巻いている。髪は時代がかった普段の髪形ではなく、下ろして銀の飾り紐で簡単にくくっていた。
 これならば元の制服姿の方が、よっぽど華やかというか可憐な格好である。『こちら』の冥夜だったならば、加えて宝刀皆琉神威も常時携帯しているわけで、インパクトにおいても大きく上回ろうというものだ。

 だが、秋の陽に照らされた冥夜の姿は、武の目に久しく見た覚えがないほど可愛らしく映った。いつも凛とした印象の彼女が、今はとても柔らかく思え、湧き上がった感情が強く胸を打つ。
 そうして何かがよぎった。それは久しく前には見ていたはずの何か。胸を疼かせる何か。
 けれど、武はそれを追いかけはしなかった。刹那の内に溶けて消えた。
 それはきっと、削り取られた記憶の影なのだろう。かつて自分にとってとても大事なものだったであろうことはわかっていたが、そうせざるを得なかった純夏の気持ちを思えば、もう必要のないものだと考えていたから。

 気がつけば、冥夜はもう普段通りの冥夜だった。武が尊敬する、凛々しく強い彼女だった。
 並木道を越えた先に、山下公園の入り口、横浜の港が見えていた。








「───タケル、……その……そなたにひとつ、聞きたいことがあるのだが……」

 日も落ちて刻々と群青色を濃くしていく空を窓の外に眺め、冥夜は向かい合って座る武に、か細い声で切り出した。
 ふたりが座る椅子の間に机などは挟まれず、その距離はとても近い。それもあって冥夜は顔が赤らむのを感じたが、その場の暗さが覆い隠してくれていた。


 ここまで短い時間であったが、冥夜は武のガイドで横浜の街を周遊してきた。

 豪華客船や帆船が停泊し、沖には大小様々な船が浮かぶ横浜の港。
 そこに軍艦の姿が見えないことに今更ながら驚き、武の話を聞きながら埠頭の公園を散策して、戯れる恋人達の姿に少し羨ましさを感じたりもした。
 そのまま極彩色に彩られ、人波と活気でごった返した横浜中華街に入り、見慣れぬ店や風物に目を回しながら歩く。中華街を抜けてからも、買い物と寄り道を、発見と驚きを繰り返しながら半ば迷うようにビルの間、雑踏の中を歩き回り、日の沈む時刻にはちょうど見通しの良い川縁にいた。
 燦めく水面を挟んだ西の空。渦を巻くような薄雲が夕陽を彩り、地平の山際から上空まで、複雑で鮮烈なグラデーションを描く。
 その美しさにしばらくの間見入っていた二人だったが、雲に映った朱の色が薄れてきたところで、武が「そうだ、次は遊園地に行こう」と言ったのである。


 そこもまた、冥夜にとっては初めて見るものばかりの場所だったが、武は珍しがる冥夜に色々と説明しながらも、進む先は決めていたようだった。
 園の中央に立つ巨大な骨組み。その内部を登って──階段は冥夜が難儀したので、武がその手を引いて登った──ゆっくりと動く小さな籠に乗り込む。
 つまりは定番の観覧車だ。橘町のシンボルである、かつては世界最大の大きさを誇った観覧車、コスモクロックである。

 黙り込んでいた冥夜が問い掛けたのは、それが直径100メートルに及ぶ円周を昇りだしてから少し経ってからのこと。「なんだ、冥夜?」と、外を見ていた武が聞き返して、冥夜は意を決したように言った。

「その、私のことを教えてほしいのだ! そなたとどんな関係なのか!」
「……は?」
 ぽかんとした顔になる武。言葉を間違えたことに気がついて、冥夜は真っ赤になってわたわたと続ける。
「い、いや、違う! いや、違わないのだが……わ、私のことではなくて……その、つまり、こ、こちらにも私がいるのであろう? この間こちらに来たときに確かに見た。そのこちらの私は、そなたとどんな関係だったのかと……。いや、べ、別に何か他意があってのことではなくて……その、今まで話に聞かなかったものだから、つい……」

 しどろもどろになりながら、早口で溜まった言葉を吐き出す冥夜。何故こんなことを口にしてしまったのかと、言葉にしてから後悔したが、こぼした水はもう返らない。
 くらくらとなって惑乱していた冥夜だが、今日の日に感じていた引っ掛かりを言葉にできて、少しすっきりしていたのは確かだった。

 心に引っ掛かっていた一本の棘。それはおそらく、鑑純夏という名前。
 今日この異郷の横浜を巡る間、武は思いつくまま冥夜と様々な話をした。平和なこちらの世界の話。あちらで経てきた戦いの話。どちらにしても、この輝かしい幻想郷では響きは優しいものになる。
 ただ、武が故郷の思い出を語るとき、横浜の街を語るとき、その話には端々に幼馴染みの名前が付いてきた。
 それが嫌だったわけではない。自分の分は弁えている。ただ、少しだけ胸に引っ掛かった。ときに207Aの仲間達の名前まで出たというのに、自分の名前だけは出てこなかったことも少しだけ引っ掛かった。
 だから今、ゆらゆらと揺れる籠の中で、お互いの息づかいも感じる近さに押されて、つい口が弛んでしまったのだ。

 そう自分に弁明して、火照った頬から少しは熱を取って、冥夜はうつむいていた顔を上げた。そうしてすぐそばにある武の顔を見る。
 そうしてみれば、武の方も普通ではない。眉間に手を当てて顔をしかめている。呆然としたような様子でもあった。


「……どうしたのだ、タケル?」
「……いや、なんでもない。ただ……、ちょっと知らなかったことを思い出しただけだ……」
「む……?」
 心配した冥夜の言葉に、武はわずかに苦い顔で答える。だが、次の言葉を続けたときには、もう普段の武に戻っていた。

「こっちの冥夜の話か……。純夏とは生まれたときから隣同士で、ずっと一緒に育ったけど、冥夜とは付き合いが短かったんだ。一緒に過ごした記憶は二ヶ月もないくらいだから」
 それを聞いて、冥夜は少し悲しげな顔になる。けれどそこで、武は小さく笑いを漏らした。
「それでもまあ、絶対忘れられないような濃い二ヶ月だったよ、冥夜が一緒にいた時間は。橘町での思い出となるとあまり関わらなかったけど、この遊園地なら一緒に遊びに来たな。迷子の男の子に懐かれちゃってさ。この観覧車にも二人で乗ったぞ、昼間だったけど───」

 笑い含みで語った話を皮切りに、武はこちらの冥夜との思い出を広げていった。

 全ての始まりとなった10月22日の出会い。
 押し掛けてきた学校での、天井知らずの奇行と世間知らずっぷり。
 突っ込みどころいっぱいの料理対決。

 冥夜がまたもや真っ赤になったり、笑ったり、あきれたりしながらそこまで聞いたところで、武がふっと言葉を切る。窓の外に目を遣って、残りの話は後にしようと言った。
 いつの間にか、ふたりの乗る籠は頂点近くまで達している。
 西の空には燃えさしの炎のような鈍い赤みがまだ残り、対して天頂は夜の群青に染まっていた。
 横浜湾に架かるベイブリッジには青い光でライトアップがされ、連なる車の灯、浮かぶ船の灯が星のよう。陸地に目を転じれば、人の営みを伝える都市の灯りが、高みから見通せる地平の先まで続いている。

 それは幻想的な美しさであり、同時に命の温かみを感じさせる光景だった。影の中にまとまった光を指さし、武があれは何々、これは何々、と解説してくれる。
 自分が本当は何を聞きたかったのか、何を求めていたのか、冥夜にはわからなかったが、少なくとも、もう胸の疼きは消えていた───








 観覧車を降りた後、武達はそれ以上遊園地にはとどまらず、すぐ近くにそびえる横浜の目印、超高層ビル、ランドマークタワーに向かった。この際だから夕呼の勧める通り、向こうの仲間へのお土産として、買える限りの物を揃えていこうと思い立ったのである。
 もっとも、あんまりなオーパーツを持ち込んでも夕呼と霞以外には渡せないので、品目は結構偏ったものになった。要するに飲食物関係中心である。驚かれるものではあるかもしれないが、向こうでもあるところにはあるもののようだから、それほどの問題はないだろうと思われた。
 あとはそれ以外で、工夫すればなんとか誤魔化せそうな小物の類をいくつか。
 そして、オーパーツであっても夕呼に渡す分には問題がないということで、かのゲームガイのような、向こうには存在し得ない代物もやはりいくつか。使い道は後で考えればいいと選んだ。


 そうして八時を過ぎ──なにしろ財布には三十万円以上入っていたので、買い物には随分時間が掛かったのだ──そろそろ約束の時間という頃合いで、武と冥夜は今朝のスタート地点、校舎裏の丘へと帰ってきていた。
 抱えてきた荷物をそばに下ろし、視線を遠く、後にしてきた橘町の夜景を眺める。
 昼間の暖かさもさすがに去りゆき、吹き抜ける風は朝と同様に冷たい。武は自分のジャケットを冥夜に着せかけて、彼女の隣に腰を下ろした。

 楽しかった一日の反動か、何か力が入らない。ぼーっと街の灯りを見つめていてしばらく、呟くような冥夜の言葉に醒まされた。
 夜の帳の中ではやはりしめやかになるものか、冥夜もまたもの悲しそうな様子で街に目を向けている。お互いしんみりと言葉を紡ぎ、けれどそこで話を変えた。
 気持ちを明るく立て直して、今日の思い出を語り合う。途中で、丘から見えるなぜか灯りの見えない一角についての話題も挟まれた。これもまた、冥夜の呆れたような憤ったような、面映ゆい表情が見ものだった。


 木々の静寂の中に笑い声が響き合い、いつの間にか別れの時間が来た。
 星の光の下に、柔らかく真白い光がこぼれ出す。

「……時間、か」
「そうだな……。我らの世界に戻るときだ」

 光の合図とともに下ろしていた土産を抱え、ふたりはよっと立ち上がる。敬礼をするには荷物が重かったが、尊い世界に敬意を込めて目礼した。
 膨れあがる光の中、まず感覚が薄れ、次第に意識も薄らいでいく。
 そして最後に光が弾けて、二人の異邦人はこの世界から消えた。一時の休息を終え、自らの戦場に赴くために。








「───もお、夕呼ったら。こんな時間にいきなり呼び出して、しかもどこに行くでもなくこんなところで待機って。一体どういうつもり?」
「黙っときなさい、まりも。あんたは見ておくべきだと思ったから連れてきたのよ。どうせひましてたんでしょ」
「う……それは言いっこなしよ。だいたいだからといって───」


 武と冥夜が消えるその少し前。校舎裏の丘を見渡せる目立たない路地に、一台の車が止まっていた。
 イエローボディのスポーツカー。香月夕呼の愛車、ランチア・ストラトスである。
 座席に見える姿は、夕呼と彼女の親友神宮司まりもの二人。今回は定員オーバーではないので、普段の愛車を駆ってきたらしい。
 呼びつけられて車に乗せられたあげく、こんなところで30分は停車中とあって、当然まりもの剣幕は厳しい。それを適当にいなしながら、夕呼は時間を待っているようだった。

 そしてその時、丘の上に光が点る。
 徐々に強く明るく広がっていく光の中に、小さく二つの人影が見えていた。

「ゆ、夕呼! なんなの、あれ!?」
「……あれを見せに連れてきたのよ。意味はわからないでしょうけど、教え子の門出なの。教師としては見送ってあげないとね」

 突然の異常現象に動転するまりもに、夕呼は落ち着いて答える。もっとも言葉通り意味のわからない話だったが、代わりにその口元に浮かんだ微笑が、まりもの心を落ち着かせた。
 危険なものではないのだろう。そう思って、まりもも前方の光に顔を向ける。その時には、光の中の人影はもう薄れて見えなくなりかけていた。
 しかし、まりもはそこに誰かがいたことを、その誰かと自分が目を合わせたことを、不可思議な知覚で直感した。得も言えぬ気持ちが胸に溢れる。

 知らず目尻に涙の粒が滲んで、気がつけば光は消えていた。
 溜まった涙が頬をこぼれ落ち、ハンカチでそれを拭ってから息をつく。
 何が起こったのかはまったくわからなかった。けれど、大事なことだったと思った。

 答えてはくれないことに確信があったのか、隣に座る友人にまりもは何も尋ねず、夕呼も黙ってエンジンを掛けた。すでに何者もいなくなった丘を背にし、ランチア・ストラトスがスピードを上げていく。
 唸るような音の響きに隠れて、夕呼の唇が動いた。

 ───神様なんて信じない。だけど、願わくばあいつらの強い意志に祝福を。その生命に報いがありますように。



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