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No.6379の一覧
[0] マブラヴ ~新たなる旅人~ 夜の果て[ドリアンマン](2012/09/16 02:47)
[1] 第一章 新たなる旅人 1[ドリアンマン](2012/09/16 15:15)
[2] 第一章 新たなる旅人 2[ドリアンマン](2012/09/16 02:35)
[3] 第一章 新たなる旅人 3[ドリアンマン](2012/09/16 02:36)
[4] 第一章 新たなる旅人 4[ドリアンマン](2012/09/16 02:36)
[5] 第二章 衛士の涙 1[ドリアンマン](2016/05/23 00:02)
[6] 第二章 衛士の涙 2[ドリアンマン](2012/09/16 02:38)
[7] 第三章 あるいは平穏なる時間 1[ドリアンマン](2012/09/16 02:38)
[8] 第三章 あるいは平穏なる時間 2[ドリアンマン](2012/09/16 02:39)
[9] 第四章 訪郷[ドリアンマン](2012/09/16 02:39)
[10] 第五章 南の島に咲いた花 1[ドリアンマン](2012/09/16 02:40)
[11] 第五章 南の島に咲いた花 2[ドリアンマン](2012/09/16 02:40)
[12] 第五章 南の島に咲いた花 3[ドリアンマン](2012/09/16 02:41)
[13] 第六章 平和な一日 1[ドリアンマン](2012/09/16 02:42)
[14] 第六章 平和な一日 2[ドリアンマン](2012/09/16 02:44)
[15] 第六章 平和な一日 3[ドリアンマン](2012/09/16 02:44)
[16] 第七章 払暁の初陣 1[ドリアンマン](2012/09/16 19:08)
[17] 第七章 払暁の初陣 2[ドリアンマン](2012/09/16 02:45)
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[6379] 第五章 南の島に咲いた花 3
Name: ドリアンマン◆74fe92b8 ID:6467c8ef 前を表示する / 次を表示する
Date: 2012/09/16 02:41

 右足に走った痛みに、力が抜けそうになった。
 だが、ここで止まれば死ぬ。その一念で歯を食いしばり、大地を蹴りだす。
 身を翻したすぐ後ろにぞっとするような気配。くくっていた何かが弾けとんだ。
 轟音とともにヘリポートが削れていく。それを尻目に、放心したような珠瀬の手を取って必死に駆ける。

 信じられないほどに息が苦しい。

 大岩の陰に転げ込んで、安堵にか、痛みにか、体の力がどっと抜けた。
 気がつけば、砲撃の音は止んでいた───




「御剣!」「冥夜さんっ!!」

 岩陰に走り込み倒れこんだ冥夜に、すぐさま榊と美琴が駆け寄る。
 荒く息をつく冥夜の右腿が真っ赤に濡れていた。急いでBDUパンツを脱がせようとして、冥夜がぐうっ、と呻きを上げる。その傷の酷さにふたりは揃って息を呑んだ。
 太腿の中ほど、外側から前部にかけて、ごっそりとえぐられたように肉が吹き飛んでいる。血塗れの断面に骨がのぞいていないのが不思議なほどだ。
 わずかな逡巡にふたりが動きを止めたその時、コール音が鳴った。ベルトキットの中、榊の通信機───非常連絡だ。

「───くっ。……鎧衣、彩峰、応急処置を頼むわ! 早くっ!」
 目の前の傷の深刻さに非常連絡もひどく邪魔に思えて、榊は一瞬躊躇した。だがコールを受けないわけにもいかない。
 榊は通信機を掴み取り、美琴と彩峰に指示を出す。この状況でもしっかりと周囲の警戒をしていた彩峰が走り寄るのを見て、一呼吸してから通信を受けた。

「こちら第207分隊」
 何事かを抑えかねた声で応える榊に対して、返された教官の声は冷然としたもの。
「榊か。隊に損害はないか?」
「御剣が右足を負傷しました。それ以外に損害はありません。あの砲撃は?」
「貴様らの現在地点から、北東の離島にある砲台が稼動してしまっているようだ。自動制御のため、こちらからでは停止できない。したがって───」

 そう言ってまりもは、新しい脱出ポイントの場所を指示した。そこまで行くには、もと来たジャングルを引き返す必要がある。だがそれは───と榊は絶望的な思いで、止血の処置中、歯を食いしばって痛みを堪える冥夜を見た。

 榊の思いに合わせるように、医療班が待機中であることが告げられて、短い通信が切れる。
 まりもの最後の言葉はわずかに感情的な様子を見せた、躊躇したような声だった。当然モニターはしているのだろう。冥夜の負傷が重大ならば、もう合格の目はない。すぐに通信して救援を呼び、彼女の治療を、ということか。最後のチャンスを失う教え子らに、掛けづらかった言葉なのだ。



 通信機をしまって、応急処置が終わるのを待つ榊。熟練の手早さで美琴はほどなく手当てを終わらせ、榊の方を振り向いた。
「鎧衣。傷の具合は?」
 なんとかなりそうか、と暗に問う榊の言葉に、美琴は渋い表情を作る。わずかに迷いを見せ、それから話し出した。
「……少なくとも、最悪の状態じゃないよ。直撃してれば、脚どころか身体ごと吹っ飛んでるところだったのをかすっただけだったし……。骨は折れてないし、重要な神経も大きな血管も傷ついてない。ほとんど奇跡的だよ。でも……」

 でも、の意味は明白だった。今すぐに命の危険はなくとも、演習を続けることは、まして時間内に新たな脱出ポイントに辿り着くことはとうてい無理だと、声の弱さが言っていた。
 だが、そうして言葉を詰まらせたふたりに、「待て!」と強い声が掛かる。痛みに表情を強張らせた冥夜が、荒い息を吐きながら、しかし鋭い目をして身を起こしていた。

「───私は……続けられる、ぞ……ッ。ここまで……走れたのだ。ただ、痛むだけ……。この先も動かせる……歩けるッ!」
「む、無茶だよ、冥夜さん! その傷じゃ完全な止血はできない。止血帯で止めてるだけなんだよ。例え歩けても、丸一日以上なんてもちっこない! 死んじゃうよ!?」
「まだ……そのような、状態では……ない。全力を尽くさずに……諦められる、ものか! そなた達ならば……、こんな、傷、ごときで……仲間の道を、閉ざすことに……納得がいくとでも言うのか!!」

 冥夜の言葉に反対の声を返せるものはいなかった。そのように言われて、否と答えられるはずがない。
 緊迫した沈黙がその場に流れる。
 そして、それを破ったのは榊の決断だった。


「……わかったわ、演習は続行しましょう。でも御剣、本当にあなたの命が危険になったら、そこで終わり。すぐに救援を呼ぶわ。それで、いいわね」

 まっすぐに目を見て言われた言葉に、冥夜は決然と頷いた。他に反対するものもいない。
 それを確認し、榊は即座に「出発準備!」と号令を掛ける。
 美琴が杖を作るため森に走り、その間、冥夜は破壊されたヘリポートを睨んでいた。焼け付く脚よりなお痛む、痛恨の思いを呑み込みながら考える。

 足を負傷したこと以上に、まずかったことが一つあった。冥夜はあの砲撃で、せっかく携行してきた軽油もなくしてしまったのだ。あそこで弾き飛ばされたのは、自作したシートの油袋。あれがあれば、足の負傷があろうとほとんど問題なくゴールできたというのに。
 この足では新たな脱出地点はあまりにも遠い。自分の油断、それが招いた失敗。こんなことで不合格になろうものなら、皆にも武にも顔向けできない。
 冥夜はそう考え、なんとしてもそれを覆さんと、頭蓋に響くような痛みを堪えながら決意を固めた。








「───珠瀬……、ライフルの、スコープを……貸してくれぬか?」

 午後に入り、すでに日暮れも近くなった時刻。突然冥夜に声を掛けられて、珠瀬はビクッと背を震わせた。
 あわてて頷いて、ライフルからスコープを外す。
 それを受け取った冥夜が、木々の間に見える対岸の崖を調べるのを、珠瀬はただぼーっと眺めていた。


 朝のヘリポートからここまで、歩いた距離からすれば非常に時間がかかってしまっていた。言うまでもなく、遅れている原因は冥夜だ。
 杖を突き、あるいは榊や彩峰に肩を借りながらここまで歩いてきた冥夜は、酷い状態だった。
 堪える痛みに脂汗を流し尽くし、止血帯をゆるめるたびに生乾きの傷から血を滴らせ、歯を喰いしばっているというのに、いまや顔色は蒼白だ。そんな状態で、ただでも厳しいジャングルの行軍である。もはや体力も限界に見えた。

 そして、冥夜がそんな怪我を負ったのは自分のせいだと、珠瀬は自分を責めていた。
 冥夜も皆も何も言わない。けれど明らかなことだ。
 自分のせいで。御剣さんも、みんなも───
 血に塗れて歩く冥夜を横に、珠瀬はずっとそんなようだった。


「───せ! 珠瀬ッ!」
「───は、はいッ! な、なんですか榊さんっ」

 目の前の出来事を見ながら目に入れず、自責に沈んでいた珠瀬を、榊が気付ける。
 「しっかりしなさい」と一言し、冥夜が向こうの崖にレドームを発見したと説明がされた。
 砲台の目である可能性が高いレドーム。それを潰すために、珠瀬に狙撃をしてほしいと。

「……あ、で、でも……わたし……」
 説明を聞いて、珠瀬は震え上がった。
 ただでさえ間に合わないこの状況。ここでレドーム破壊に失敗すれば、もはや完全に可能性が失われる。そして一発しかない弾丸。自分のせいで負傷した冥夜。
 そんな事々が頭の中で踊り、生来の弱気が顔を出す。
 私には無理。私のせいなのに。まるで当てられるイメージが───


「───珠瀬」

 そうして答えられずうつむく珠瀬に、冥夜が名を呼びかける。
 痛みに顔をしかめたまま。整えきれない息。しかし、それでもなお毅然とした声だった。
「優しいそなたの、ことだ……私の、怪我を、自分の責任と思って……背負い込んで、いるのだろう。だが、違うぞ。決して、そなたの責などではない。全ては私の油断……失敗ゆえのこと。皆まで、巻き込んでしまって……謝らねば、ならぬのは私のほうだ」
「そ、そんな。あれは私が……っ」
 泣きそうな顔で否定しようとする珠瀬を制し、冥夜はなおも言葉を続ける。

「そなたを、気遣っての……言葉などではないぞ。掛け値、なしの事実だ。だが、それを償おうにも、今この場で、私にできることは、何もない……。だから……頼む、珠瀬!」
 そう言って頭を下げる冥夜。ハッとする珠瀬に対し、冥夜は追い打つように強く詰め寄る。
「撃ってくれ……ッ! そなたしか、いないのだ。私に、次に繋がるチャンスをくれ! そなたの為の道でもあるはずだ!」
 
 それはあまりにもまっすぐな頼みだった。その冥夜の必死さ、強い眼差しに押され、気が付けば珠瀬は頷いていた。
 考えて頷いたわけではない。勢いに押されただけだったというのに、なぜか弱気な気持ちは吹き飛んでいた。先程までが嘘のように、自然とイメージが湧いてくる。
 そんな珠瀬を見て、冥夜は微笑んだ。

「ありがとう……、珠瀬。そなたに、感謝を……」




 巨大な対物狙撃銃(アンチマテリアルライフル)を抱え、珠瀬がプローンに構える。
 対岸を望む崖の際、周囲は夕陽に赤く染まりかけていた。珠瀬以外は付近の警戒などで、彼女の位置からその姿を見てとることはできない。
 あがり症を心配してくれたのだろうと珠瀬は思い、トリガーに指を添えた。

 弾丸は一発きり。これをはずせば合格は絶望的だ。
 プレッシャーはまだある。むしろ今までに感じたことがないほどにある。自分のせいだと責める声もまだ消えない。
 けれど指は震えなかった。心は怖じけなかった。
 ありがとうと言ったときの冥夜の笑顔が思い浮かぶ。
 脂汗を浮かべて、すごく痛いはずなのに、透き通るような微笑みで声が出なかった。
 思い出すだけで心が落ち着く。穏やかになる。

 ───御剣さん。

 スコープを覗き、呼吸を整えながら、必ず当てる、と珠瀬は念じた。
 感覚が研ぎ澄まされてゆき、周囲の音が聞こえなくなる。意識が広がり、当てるという思いは、当たるという確信に変わっていった。
 銃と目標の間だけが世界になり、光のラインが結ばれる。ここまでの世界は初めてだと珠瀬は思い、そしてすぐにそんな意識も消えていった。
 トリガーが引かれる。目標が沈黙する。そのふたつは全く同じ意味で、それを俯瞰で確認した瞬間、珠瀬は我に返った。

 命中を告げる珠瀬の声が、ジャングルの中に響いた───








 珠瀬が狙撃を成功させても、いまだ合格が極めて厳しい状況に変わりはない。ますます悪くなる冥夜の状態を気にしながらも、隊は陽が落ちるまで前進を続けた。
 それでも足りないところだったが、折悪しく夕方から上空は曇天に包まれ、月明かりも期待できない。無理をしようにも、これ以上の移動は不可能だと判断せざるを得なかった。
 そうして隊に野営の指示を出す榊。しかし、そこに再び冥夜が待ったを掛けた。彩峰に肩を預け、苦しそうに、それでも全く退かずに言う。

「それでは、駄目だ……、榊。そなたも、わかっておろう。ここで、止まって、いては……もう到底、間に合わぬ……ッ。進まねば───」

 もはやかすれた声しか出せない冥夜。しかし、その言葉は正しい。その正しさに唇を噛みながら、それでも榊ははっきりと言葉を返した。
「無理よ。たとえ万全の状態であったとしても、月明かりもない夜の森は進めないわ。ましてあなたはもう限界よ。やっぱりこれ以上は……」
「私の、ことなどいい……ッ! 灯り、があれば……、よいのだろう……?」

 そう言って冥夜は一旦押し黙る。
 極度のあがり症である珠瀬が、それを押して一縷の望みをくれたのだ。その優しさに応える為に、もう手段を選んではいられない。
 そう思って珠瀬に視線を移し、心を固めて、冥夜は改めて言葉を続けた。低く、重い声で。


「……この少し、先に……、ラテックスの、群落がある……。樹液を、集めて松明、を……作ればよい。それで充分に……灯りは確保、できよう……」


 その言葉の内容に、聞いた全員が呆気に取られた。彩峰が冥夜の肩を落としてしまい、慌てて支える。
 少しの沈黙の後、「あなた……それは一体……」と榊が言いかけるが、横合いから美琴がそれを遮った。
「それでも無理だよ冥夜さん。松明だけじゃ、ぼくでも夜の森でトラップを見つけるのは難しい……。だったら夜の間に少しでも体力を回復させて、明日に賭けるべきだよ」

 現実的ともいえる美琴の意見。しかし、裏には冥夜を心配する思いが見えた。
 出血は今も止まり切っておらず、休んだところで体力の回復など望めぬことは明らか。だがそれはつまり、これ以上無茶をすれば本当に命が危ないということである。
 冥夜の頑なさを慮って、美琴はそういう言い方をしたのだろう。言われた冥夜も充分感じ取ったが、それは聞けない相談だった。再度あり得ない言葉で美琴に答える。

「このルートなら……、この先、橋を、越えてからの……地雷原以外ほとんど、トラップは……ない。何も、問題はない」
「ちょっと、御剣───!」
「不正云々などと……言っていられる、場合では、なかろう。私は、ひとりでも……行くぞ……ッ、榊……!」

 合流後からここまで、設置されたトラップなどは全て、『前の世界』で冥夜が経験した通りのものだった。それを信じての言葉、血を吐くような言葉は真剣の如くで、全員に疑う余地を与えない。
 それでもむしろ一番の問題は冥夜自身の状態だったのだが、疲労と出血、激痛に塗れながら、その目だけは異様に精気を漲らせた彼女の姿に、榊達はもう何も言うことができなかった。




 はたして207隊の進んだ先には、冥夜の予言通りラテックスの木の群落があった。

 それを目にして榊はさすがに驚く。
 トラップのことだけならば、武から伝えられていたということで納得できる。冥夜が不正と言った通りだが、武の『特別』ぶりを思えばありそうな事だ。
 しかし、これは全く話が違う。孤島とはいえ充分に広大なジャングルの中で、小さなラテックスの群落の場所なんて、一体どうして知っていたのか。考えるほどにわからなくなる話だった。
 しかし、榊が驚いていたのはわずかの間。それは今考えることではないと首を振って、同様に驚いていたみなに、樹液を集め、松明を作るよう指示を下す。


 一方、その間に冥夜の手当てをしようとした美琴だったが、「その前に」と冥夜から頼みを受けた。松明のものとは別に、薪を集めて欲しい、と言われたのだ。
 訝しい頼みだったが、それを言うならこの状況全てが訝しい。手早く集めて小さな焚き火を設える。集められた樹液もいくらか放り込み、火力の高まったところで、冥夜は自分のハチェットを抜いた。
 燃え盛る炎にくべて、刀身を熱する。
 包帯代わりに右足に巻いた服地をその手で取り去る。
 そこに到ってようやく、美琴は冥夜のやろうとしていることに気が付いた。

「ちょっ、待って、冥夜さん!」
 慌てて止めようとする美琴を一睨みで制する。荒げた息で、けれど口端を吊り上げて、冥夜は笑ったように見えた。
「鎧衣……。そなた、の言った通り、だ。これ以上、血を失えば……明日まで、もたぬ。だから……」

 そこまで言って、冥夜は取り去った布地を噛み締め、真っ赤になったハチェットを手に取る。美琴に動く隙も与えないまま、一息に傷口に押し当てた───


「ぐううぅぅっッッ!!」

 文字通りの焼けた鉄の熱さ、激甚な痛みを味わいながら、冥夜は砕けんばかりに奥歯を喰いしばって手を動かす。
 ただの傷ではない。クレーターのように抉れた傷口を、焼き鏝でまんべんなく焼いていくのだ。それを自分の手で行うというのは、並大抵の精神力でできることではない。

 抑えきれない呻きとともに、肉の焼ける匂いが周囲に漂い、そばに立つ美琴と、そして彼女の叫びを聞いて集まってきた榊らがその身を震わせる。
 全員が陰惨な拷問の如き光景に目を奪われた。
 赤い炎に照らされたそれは、凄烈で、見る者を引き込むようで。呑まれた気が戻ったときには、もう冥夜の作業は終わっていた。



「はあっ、はぁっ……、ふうッ、ふうぅ……ッ」

 実際にはほとんど時間の掛からなかった作業。しかし、それを終えた冥夜は、体力を絞り尽くしたかのように喘いでいた。
 焼け焦げた傷口からは、もう血は流れていない。それでもその痛みはいかばかりか。冥夜の呼吸が幾らかでも治まるまではしばらく時間が掛かり、そこで初めて美琴が声を掛けた。

「冥夜さん……、大丈夫?」
「ああ……大丈夫だ……。気付けにも……、なった。これで、明日までは……眠らずに、いられよう……」
 おずおずと尋ねる美琴に冥夜は答え、ぎこちなく笑ってみせる。笑えない冗談だったが、未だ気力が尽きていないことは皆がうかがえた。
 だからそれ以上は何も言えず、美琴は焦げた傷口の手当てをして、残る榊らは準備を再開する。

 目指す脱出地点まで、道行きはまだ長い───








 2001年11月6日


「はっ、はっ、はぁッ───」


 総合戦闘技術評価演習最終日。207隊が最後に渡った離島の丘に、彼女達の苦しげな呼吸と、大地を蹴る足音が木霊していた。
 昨夜から降り出した雨は既にやんでいたが、濡れてぬかるんだ地面は、疲労の著しい少女達から残り少ない体力を更に削り取る。
 もはやほとんど足も動かず、意識も朦朧とした冥夜を支え続ける榊と彩峰、ひとり昨夜から一睡もしていない美琴など、冥夜の負傷は雪だるま式に隊の負担を増やし、多少なりと体力に余裕があるのは、珠瀬ただひとりという状態だった。その珠瀬にしても、他の皆から装備を一手に引き受けており、もとより体力に於いては他のメンバーに劣る彼女が苦しくないはずもない。

 それでも、絶望的と思われた状況で、彼女達はもうゴール間近まで到達していた。
 時間はまさにギリギリ。もう時計を見る余裕もなく、ただただ気力を振り絞って足を動かす。
 先頭の美琴が地雷の場所を確認し、榊と彩峰は二人で息を合わせて、冥夜を抱えるように運ぶ。珠瀬がそれぞれをつないで連携し、残る距離と時間は、ともにじりじりと少なくなっていった───





 笛の音のような擦れた息が、苦しげで荒い呼吸が、耳に綿でも詰めたかのように遠く聞こえる。
 肩を借りているのは榊だったか、彩峰だったか。
 自分の足は動いているのか。打ちつけるような激痛すらも、自分の痛みと感じられない。

 それでもただ足を前へ。ただそれだけを念じる。
 まだだ、まだ動ける。ほとんど目の前も真っ白でも、まだ。

 ふと、前にもこんな事があったような、と思った。
 自分ではなく、誰かが───


 ───タケルは……。タケルは、本当はもうとっくに限界だったんだよ……。

 ───ふざけるなよ! オレは……オレはまだやれる!


 誰かがそう言って───


 ───今日合格しなければ、私達は……。

 ───オレはお荷物なんかじゃねえッ!


 誰かが───


 そう思った瞬間、浮かび上がった光景は、白日夢のように冥夜の脳裏から消え去った。
 その途端に、踏み出した足の痛みが頭まで突き抜け、意識がわずか現実に立ち戻る。
 戻った視界に映った緑の丘。もうゴールは近い。
 朦朧とした意識に喝を入れ、冥夜は両肩を支えられているのに気が付いた。
 榊と彩峰。二人三脚のように、ふたりでひとりのように息が合っていた。
 腕を引く二人についていこうと、冥夜は最後の力を振り絞る。横浜で待つ武の顔が心に浮かんだ。








 ひた走る少女達が向かう先。ヘリポートを備えた脱出地点。
 神宮司まりもは医療班の衛生兵数人とともに、教え子達の到着を今や遅しと待っていた。
 しかし、丘の向こうに人の姿が見えても、まりもはひと言も発さない。彼女達が自力でゴールに到達するのを、拳を握り締めてただじっと待つ。
 そうしてどれだけ待ったか。遂に最後尾の冥夜達三人が自分の前に辿り着いたところで、弾かれたようにまりもは動いた。

 ゴールするとともに気を失い、崩れ落ちた冥夜を抱え上げ、衛生兵に指示を出してすぐ後ろの大型ヘリへと運び込む。
 完全武装の兵士20人以上を乗せられる軍用ヘリには、衛生兵とともに手術用の設備が用意されていた。
 冥夜がそこに運び込まれるや、すぐさま輸血の準備が始められる。まりもも一緒に入っていって、外には訓練兵の四人だけが残された。



 そうして三十分ほどが経っただろうか。
 残された榊たちは、冥夜の身が心配で、しかし自分達の方も限界まで疲労していて、すでに日差しが覗いた空の下、思い思いにうずくまっていた。
 そこにようやくまりもが顔を出す。

「冥夜さんは大丈夫なんですか!?」
 と、一番に駆け寄りそう質問したのは、4人の中でも最も疲労しているはずの美琴だった。顔に濃い隈を浮かべながら、厳しい表情で教官に詰め寄る。
 そんな美琴に、また同様に詰め寄る教え子達に、まりもは笑って「心配するな」と言った。

「血を大量に失って極度に疲労してはいたが、あれだけの怪我を負って、丸一日以上ジャングルを行軍してきたとは思えぬほど、状態は良好だそうだ。傷の処置をしたのは鎧衣だな? 医薬品もない状態で見事なものだと、衛生兵たちも感心していたぞ」
「いえ、そんな。ボクなんて何もできなくて……」
「そんなことないよ、鎧衣さん! 鎧衣さん夜通し御剣さんの看病して、真夜中にひとりで薬草も探しに行って───!」
「うん。鎧衣がいなけりゃ、御剣も私達もここまで来れなかった」
「そうね。あなたがいなかったら、御剣は今頃本当に命が危なかったかもしれない。胸を張るべきよ」

 目の前で冥夜に自らの傷を焼かせた美琴は、苦い声でまりもの褒め言葉を否定しようとしたが、仲間達がそれを更に否定する。
 そう。美琴が昨夜一睡もしていなかったのは、彼女が一晩中冥夜のために動いていたからだ。
 強い雨で歩みを止めた榊達が野営して休息を取る中、美琴は雨中のジャングルを駆けずり回り、冥夜のために薬となる植物や食べられる果物などを集めてきた。
 その上で焼き付けた傷の痛みで眠れない冥夜に付き添い、状態が悪くならないよう、休みなく傷の手当てをしてきたのだ。
 皆それを知っているから、美琴への言葉は優しい。その言葉を聞いて、また、冥夜に命の心配がないと知って、美琴も少し微笑んだ。


「───ところで教官。総戦技演習の結果はどうなったのでしょう」

 冥夜のことは心配ないとわかったところで、今度の質問は榊だった。真剣な眼差しで、自分達の行く末を問い尋ねる。
 その問いに、まりもはひとことだけ答えた。

「5分前だ」
「は?」
「聞こえなかったか? 到着はリミット5分前。合格だ。正直あの砲撃の時点で無理だと思っていたが、本当によくやったな」
 その答えを聞いて、珠瀬が真っ先に歓声を上げかける。が、榊の変わらず真剣な様子がその声を萎ませた。
 少しの間を置き、意を決したように榊が口を開く。

「教官。私達は不正を働きました」
「榊さん!?」
「御剣は、今回の演習の内容を事前に詳しく知っていました。最後の一日、彼女からそれを聞かなければ、私達は絶対に間に合わなかった。ですから、裁定はそれを踏まえてお願いします」
 あまりにも馬鹿正直な榊の言葉。珠瀬達は絶句していたが、まりもはじっと榊の目を見詰めていた。
 答えはもうわかっているというような、揺るぎない瞳。ふっと笑ってまりもは言った。

「合格は変わらんぞ。演習の内容を知っていたがどうした? ひとたび戦場に赴けば、それも単なる条件の一つに過ぎん。有利な条件を利用して、貴様等は脱出という目的を果たした。それが全てだ。ま、馬鹿正直に言うのもなんだと思うから、他では口にするなよ」

 まりもの答えを聞いて、榊がふっと口元をゆるめた。けれど、残りの3人は表情を強張らせたまま、なかなか動かない。
 熱帯の太陽の下に生まれたおかしな静寂。それに思わず吹き出したまりもが、改めて「どうした? 合格だぞ、喜べ」とひとこと加え、ようやく時が動き出した。


「やったーーー! 合格だよ、榊さん!」
 珠瀬が飛び跳ねて榊に抱きつき、美琴もそれに習う。彩峰が後ろから「馬鹿……」と一発どついて、あとはもうもみくちゃになった。
 そうして思いっきり喜んで、けれど一番一緒に喜びたい相手がいなかったから、そのうち自然と言葉が出た。

「教官、冥夜さんはこの後どうするんですか?」
「うん? ああ、充分に輸血をして命の心配はもうないが、右足の方は再生治療を施さなければならないからな。このままヘリで横浜に送ることになる。向こうに帰るまで起きることはないだろうが、お前達はどうする? 本来演習後には一日休日があったわけだが───」

 美琴の言葉に答えて、逆に意思を聞くまりもだったが、答えは予想通りのものだった。冥夜がいないのでは意味がない、と全員が横浜への帰還を希望する。
 幸いヘリの収容定員には余裕があったので、仮設キャンプでシャワーを浴びた後、全員でヘリに乗り込む事になった。



 過酷に過ぎた最後の一日があった分、喜ぶ少女達の笑顔はまるで花が咲いたようだった。その笑顔があまりにまぶしかったので、まりもは余計に彼女達の行く末を案じてしまう。
 教育者を目指した彼女の想い。奇しくもそれは、未来を知り、時を越えた武と冥夜の抱くものとよく似た想いだった。



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