シミュレータを1時間ほど体感した後は、そのままピアティフ中尉によって、自身へと割り当てられた部屋へと赴く。
部屋自体は、おそらくその辺の部屋と変わりはないだろうが、監視の目や耳は多少覚悟していなければならない。
そもそもの存在自体が怪しいのだし、その程度で動じるほど未熟な精神などしていないが……あまり心地良いものでないのも確かである。
もっとも、先ほど少女── 社 霞 ── に対して多少なりともアクションを起こしたのだから、全くないとも言い切れない。
「では、こちらがお部屋となっています。 お食事などはどういたしますか?」
「あぁ……何処かで食べることもできるのか?」
「Post eXchange……PXの方でお食事はできます。 必要であれば、お部屋まで運ばせていただきますが?」
「いや、それはいい。 場所の方は?」
「それでは、お連れ致します。 ……ですがその、その服では……」
「……ふむ」
ピアティフが言っているのは、勿論イングラムが現在着ている『地球連邦軍』の制服のことである。
部屋のベッドの上には、既に国連軍の制服が置いてある。
黒を基調としたそれに対し、連邦軍の佐官用軍服は白と青を主体としているため、訓練生と同じような感じではある。
もっとも、その存在自体と付けている階級章のようなものから、訓練生と間違えられると言うことはないだろう。
だが問題は、もっと根本的なところ。 軍服そのものにある。
国連軍ではない制服、まして帝国軍でもアメリカ軍のものでもない。
そこに奇異の視線が集まることは必須。 それ以上に、この人間が巨大人型兵器のパイロットであることは、箝口令がしかれているとはいえ、ある程度知られている。
「その内解ることだ。 このままでも良かろう」
「ですが……」
「それに、俺はまだその制服に腕を通すわけにはいかん」
現在のイングラムの身分は、あくまで異世界からの異邦人。
そんなこと言ったところで信じられるかどうかは5:5……否、機動兵器とセットで説明すれば7:3くらいにはなるだろうか。
兎に角、イングラム自身がこの世界の政治事情に精通していないことからも、先ずは情報を集めるのが先決である。
香月夕呼の反応からも、日本はともかく、アメリカに行かれるのは相当拙そうであるのは窺い知れる。
かといって、国連軍に所属すれば彼の国の影響を受ける可能性は否定しきれない。 そして、夕呼自身はイングラムをできるだけ手元に置いておきたい。
結局何処かしらの部分で状態がコンフリクトする。 それ故に自身の考えをふまえた上で決定しなければならない。
「……わかりました。 それではご案内致します」
「すまんな」
肩をスッと落としたピアティフの後に続く。
少しは……少しは悪いことをしたと思っている。 結局この女性は『案内』を任されただけであって、『何かしらの決定』までは任せられていない。
そんな彼女に対し『着るわけにはいかない』と言う。
それでなくとも、彼女は未だ自分に対して『恐怖』という感情が存在する。……そんなに簡単に覆せるものではないが。
†
PXの1つについた時、ピアティフは思わず安堵した。
人がいない。 まるで出払ったかのように人がいないのだ。
確かに、時間帯としては早くはないが、遅いというわけでもない。
食堂のおばちゃん── 京塚曹長も、何となく暇をもてあましているという感じだ。
「こちらがPXです」
「……殆ど食堂だな」
PXとは、元々売店のことを指すのだが、この場所は売店と言うよりももはや食堂だった。
まぁ、だからといって文句を言うつもりなどさらさら無い。 売店もセットになっているのだから便利、と考えられなくもない。
「食事の方はこちらで……京塚曹長」
「ん?……あぁ、ピアティフ中尉。 どうしたんだい?……っと、そちらさんは?」
「この方は……あぁ、その、えっと……」
「んん?」
「……イングラム・プリスケンだ。食事を取りたいのだが」
今までに見たことのない顔、見たことの無い服を纏っている男ではあるが……ピアティフ中尉が連れてきたのだから問題ないのだろう。
それに、連れてきた当の本人が、なにやら難しいような困ったような顔をしている。
つまり、説明が難しいか、説明すること自体が問題なのか。
そうなると、こちらから聞き出すのも悪いし、何より聞く必要性もそこまでない。
「メニューはこっちだよ。 どれにするんだい?」
「ふむ……ではこの合成サバミソ定食を頼む」
「はいよ。 ちょっと待ってな」
そう言って、早速厨房へと向かう。
イングラムとしては『合成』の2文字が気になるところではあるが、ここで詮索するようなことではない。
……まぁ食べられないものが出てくるというわけではないだろう。
「飲み物はお茶で良いかい?」
「あぁ、頼む」
「──── はいよ。 ピアティフ中尉の分もだよ」
「えっ?……あ、ありがとうございます」
一瞬思考が飛んでいたのか、言われるまで気がつきませんでしたというような顔で答えるピアティフと、特に気にした様子も見えないイングラム。
それから時間を於かずして、注文した『合成サバミソ定食』ができる。
見た目は普通……だが味はどうなのだろうか?
トレイを持って席へと着くと、ピアティフも後へと続く。
そして、『合成』の名の付くものを口にする。
「……ふむ。うまいな」
不味くはない。 だが、何か足りないような感覚がするのも確か。
もっとも、ネビーイーム内の正体の分からない食事に比べれば天と地ほどの差もある。
これを不味いというようなものなら、今まで自分が食べていたものは何だったのだろうか?と問いかけたくなる。
……裏切る前までは、伊豆基地などで美味いものを食べていたのは確かだが。
「『合成』と言っていたが、食料プラントか何かで作られているのか?」
「はい。 現在世界の殆どの国は食物自給率が極めて低いため、国連軍では合成食が主となっています。 アメリカなどのBETAに侵攻されていない国は、まだ自然食などがあるのですが……」
「フッ、自国の国民……いや、軍人には美味いものを食べさせているという訳か。 あの国らしいと言えば、あの国らしいが」
「……やはり、自然食の方がよろしいですか?」
普通の人間なら、迷わず自然食の方が良いと言うだろう。
そもそも、横浜基地は料理の鉄人である京塚曹長がいるからこそこの味が保てるのである。
他の基地は時にそのようなものに拘っていないので、アメリカ軍からの配置転換組には極めて人気がない。
加えて、目の前の人物は夕呼曰く異世界から来た人間。
異世界がどのような物であるかは分からないが、なんとなく自然食を食べていたのではないか、と想像してしまう。
そうなると、この地よりアメリカの地を選んでしまうのでは……などと考えていたピアティフではあった。
「いや、食に関しては特に拘るつもりはない。 これがここの食事であるのならば、それで構わない」
「そう、ですか」
本日二度目の安堵の息と吐くと共に、いただいたお茶に口を付ける。
おそらく、自分で感じていた以上に緊張していたのだろう。 喉を通るお茶がとても美味しく感じられる。
そんなピアティフを尻目に、イングラムは箸を進めていく。
元々大食漢ではないため、この量でもイングラムにとっては多い方だ。
結局、全て食べきるまでに20分を要したのであるが……終始、会話が交わされるという事はなかった。
「なかなか美味かった。 代金の方は……」
「あぁ、いいよいいよ。 今日はもう、閉めるだろうしね」
「……何かあったのか?」
勿論、その『なにか』など、考えるまでもない。
もっとも、その事態とこうして食事を取る人間がいないというのに、いったい何の関係があるのかは分からないが。
「昼過ぎだったかい? なんか大きな兵器が降ってきたって大騒ぎでね……」
そこまで言って、おばちゃんは口を紡ぐ。
見慣れない顔、見たことのない制服。
おそらく自分の考えた通りなのだろうが……かといって、そんなこと口には出さない。
かといって、何も言わないというわけではない。
「このご時世だ。 BETA以上に敵が増えないことを祈るだけだよ、あたし達は」
「そうか……そうだな」
この女性の言いたいことはわかるし、人間に敵対する気など、今のところ毛頭ない。
かといって自分がパイロットだなどと言うべきとも思わない。
お互いの心の中では分かっている。 口にするべき事、口にするべきではないこと。
……そう、今はそれで良い。
だが、何事にもイレギュラーという物は付き物である。
未来世界のメイガス然り、OG世界のもう一人の『並行する世界をさまよう宿命を背負う者』然り。
そして……この地に存在する、『因果の狂った者』然り。
「──── それにしても、昼間の騒ぎはいったい何だったのであろうな?」
「さぁな……何でも巨大兵器が降下してきたって話だけど……実際見てないからなぁ」
グラウンドの方からだろうか。 男女一組の声が聞こえてくるが、足音はそれだけではなかった。
「兵器って噂が流れるぐらいだからBETAじゃなかったんでしょうけど……ほんと、何だったのかしらね」
「とてもすごい謎」
「でも、戦術機が結構壊されたって誰かが言ってましたよ?」
近付いてくる声に、イングラムは何かを感じ取る。
念動力者? 確かに、それに近い存在もいるような感じはする。 だがこれは、そのようなレベルではない。
もっと違う……そう、強いて言えば、前の世界で最後まで正体を掴めなかった『あの男』のような……
「まぁ、我らが詮索することでもあるまい ────── ?」
「どうしたんだ? 冥夜……っ?」
イングラムの前に表れたのは、4人の少女と1人の男。
(──── この男、因果の鎖が……? いや、違う。 直接因果の鎖があるというわけではない……世界に縛られているのか?)
危険。
何が危険だとは分からなかったが、イングラムの脳裏にはその2文字が浮かんできた。
自身の存在が? この世界が? それとも、この男に関わることが?
考えども、その答が得られるというわけではない。
その時、眼鏡をかけた少女は何かに気がついたのか、他の4人に対して号令を掛ける。
「っ! 敬礼ッ!」
その言葉に、他の4人は反射的に右手を挙げる。
そして、それに釣られるようにして、イングラムも敬礼を返していたが……何故返したのかは、本人にも分からない。
「あなた達、どうしたの? こんな時間に」
「はっ、本日の訓練が途中で中止となったため、分隊で自主訓練をしておりました、少佐殿、中尉殿」
「少佐……あぁ、これか」
イングラムもようやく理解した。
目の前の少女は、自身の服に付いていた連邦軍の階級章を見て、少佐だと思ったのだろう。
世界の階級章という物は、次元を越えても殆ど大差のない作りになっているため、そのような間違えをするのは当然といえば当然だったのだが。
それとは対称的に、ピアティフはこの場をどう乗り切れば良い物かと思案していた。
イングラム自身の存在などに比べればたいした物ではないが、目の前の少女達の経歴も、この世界では十分に『特別』であった。
話を誤魔化すか? 目の前にいるのは幸い訓練生。 臨時中尉とは言え、上官から何か言われれば、おそらくそれに従うだろう。
……が、そんな思惑などお構いなしに、イングラムと目の前の少女達の話は進んでいた。
「イングラム・プリスケンだ。 君たちは?」
「はっ! 207衛士訓練小隊B分隊分隊長、榊 千鶴でありますっ!」
「同じく、御剣 冥夜であります!」
「た、珠瀬 壬姫でありますっ!」
「彩峰 慧であります」
「白銀 武であります!」
ピアティフの考えは早速瓦解。 しっかり自己紹介まで済ませてしまっていた。
……そう、ここで香月博士に託けてイングラムを連れ出せば良かったのだが、世界はそんなに甘くはなかった。
というよりも、イングラムの背中から立ち上るオーラの様な物が、ピアティフの口にチャックを付けていた。
……実際はピアティフに向けられた物ではなく、ここにいるもう1人の男── 白銀 武 ── に向けられた物であったのだが、特に敵視というような物でもなかったためか、武の方は気がついていない。
そしてそれ以上に、この男の名前と因果の鎖が、2~3時間前に感じられた強念者の念を思い出させた。
(シロガネ・タケル……タケル、か……なるほど、あの少女は……)
あの脳髄の状態から少女、と判断したのではない。
だが、あの脳髄の正体が、今目の前にいる男に何らかの干渉をしたというのは間違いないようだった。
悲痛な思い、叶えられぬ望み。
どれとも取れない思いが、この少年への影響としてでているのだろう。
「それでは失礼します。 プリスケン少佐」
「イングラムでかまわん」
「はっ! 了解しました、イングラム少佐」
さて、なにやら自分は会話をしていたようだが、タケル・シロガネに関する脳内考察に思考を割いていたためにどのようなことを話したか覚えていない。
……まぁ、妙な目で見られていないことからも、アストラナガンに関することは喋っていないようではあったが……とんだイレギュラーだったが、収穫はあった。
あの長髪の少女はどことなく見覚えのある顔ではあったが……彼女には『念』の素質があるように感じられた。
訓練兵と言っていたが、どうやらまだ実機やシミュレータには乗っていないようだった。 となれば、できるだけ早めのシミュレータ改造が必要となるか。
……忘れていたが、後ろのイリーナ中尉は固まっているようだ。 再起動まで、およそ3分といったところだろう。
今後の予定も、データを纏めた上で、こちらの情報に目を通すだけ。
食事と共にもらったお茶を、イングラムは1人啜っていた……ピアティフ中尉が再起動する5分後まで。
†
同日同時刻 香月夕呼副指令 執務室
Prrrr......
イングラムが出ていった直後から、ここの電話はこのように鳴りっぱなしである。
正確には、イングラムとの対話中から、司令室などの方にはこのように電話がかかりっきりだったのではあるが、イングラムとの対話を優先させていたため、折り返し電話をするように、オペレータや指令に
は頼んでいた。
「──── えぇ、ですからBETAなどではなく……はい、詳細は追って知らせますので……」
電話の相手は大方予想通りだった。
帝国だけでも内務省に城内省、情報省に斯衛軍高官。国連にアメリカにロシアに……数え上げればきりがないが、そのどれもが、昼間に降下してきた物体に関する情報提示を求めていた。
アメリカやロシアに比べて、帝国は特に気になっていたようだが、無理もないだろう。
落ちてきた場所が場所なだけに、また目の前にハイヴがあるために、必至になっているのだ。
かといって、帝国とはいえおいそれと奴の情報を渡すわけにはいかない。
奴は自分が持つジョーカーであると共に、下手を打てば自分の喉元に剣を突き付ける可能性すらあるJokerでもあるのだ。
帝国に情報を渡した上で、奴自身を日本の味方とすることができるのならば何も問題ないが、現状日本に見切りを付けないとも言いきれない。アメリカに行こうものなら尚更である。
オルタネイティヴ4完遂のためにも、今はまだ奴の真意を探る方が重要である。
だからこそ、こうして対応してはいるのであるが……いい加減疲れてきているし、対応も全てマニュアル通りのようなもの。
それだけに、日本帝国の『事実上』のトップからの電話には、少々対応が遅れてしまった。
『香月夕呼博士、どうしても彼の者との話し合いは望めませぬか?』
「……殿下、彼の者といわれましても落ちてきたのは異形の物体であり、生命反応までは」
『博士、こちらでも既に確認済みのことですので……やはり、『まだ』できませぬか?』
「……少々、お時間をいただけるでしょうか。私はまだ、あの男を全面的に信用しているというわけではないので」
それに関しては、嘘偽りのない事実だ。
結局あの男から何かしらの情報を引き出すことはできなかったし、技術提供をするといわれても、それがどれほどの物なのか、どこまで信用できるのか、そしてどれほど有用な物なのか……全く分かっていな
いのだ。
ただ気になっているのは、奴が感じているらしい『借り』について。
それが何に対するのか……それだけでも分かれば対策が取れそうな物ではあるのだが、生憎そう簡単に口を割くような男ではない。それは先ほどの問答で理解しているつもりだ。
『そうですか……それでは仕方がありませんね』
「申し訳ございません……ところで殿下、何故殿下自らこのような連絡など?」
大凡殿下の部下─── と言っていいものかどうか迷うものであるが、日本帝国の上層部と言われていい連中からの連絡には既に応対済みだ。
何故、殿下自らなのか……と言うよりも、マニュアル応対してしまったために思わず受話器を落としそうになってしまった事を隠す目的もある質問ではあるのだが。
『──── わかりません。自分でも、何故こうまで気になるのか……ですが、紅蓮の言っていたことが、やはり耳に残っているからだと』
「……紅蓮大佐は、なんと?」
『『黒い天使が舞い降りたようだ』と……』
「天使……ですか」
夕呼にしてみればむしろ堕天使のような気がしてならないが、帝国軍にとっては黒くとも天使に見えたのであろう。
……その言葉を聞き、夕呼はいくつかの考えを纏める。
それは、イングラムがどのような答を返すかではなく、どのようにしてイングラムの答を誘導させるか。
限りなく無理だと思われることだが、今自分の取りかかっている半導体150億個などに比べれば、遥かにまし───── とまでは言えないが、それが可能であれば一気に今の状態を覆せることのできる言って
となる。
……当面は、自身の論文で興味を引かせればいい。 ではその興味が他に移ったら?
今はまだ、そんなことどうでもいい。
目の前にチャンスがあるのなら、それにチャレンジすればいい。
幸運を掴むことのできる人間というのは、目の前に存在する『切っ掛け』に気づくことのできる人間だ。
「───── 殿下、先ほどのことで1つ、提案があるのですが……」
夕呼は、自分の『Joker』を『ジョーカー』にするため、目の前の橋を渡り始めた。
当てればそれこそ天使が手に入り、外せば全てが無へと帰しかねない……博打の最初の一手を。
──────後書き──────────────────
遅くなりました。久方ぶりの更新となります。
少々現実の方が忙しいため、更新はこれくらいが限度かも知れませんが……どうにか努力していきたいと思っています。
え~……技術関連ですが、TGCジョイントなどには現代物理学以外の『スパロボ物理学』が適用されるため、現地整備員&科学者達には『不思議な』パーツにしか見えません。
……と言うことにしておきます。あまり技術系の話を詰め込んでもどうにもならない気が致しますので(主に作者が(ぁ