オデッサ撤退戦から、宇宙(そら)に上がったマ・クベを待っていたのは、キシリアの艦隊だった。無論、出迎えなどではない。
ザンジバルに乗込んできた憲兵たちを、部下が剣呑な目で見る。歴戦の兵士独特の冷たい殺気をはらんだ視線に憲兵達が僅かにたじろぐ。
一触即発の緊張感があたりを包んでいた。
「義務を果たしたまえ」
部下たちを目で下がらせると、マ・クベは自ら前に出た。
「マ・クベ閣下に対して司令部から謹慎命令がでております」
回りを伺うように憲兵隊の士官が言うと、緊張した面持ちで命令書を読み始めた。内容は、核の無断使用及び、オデッサ防衛の失敗、これらの
処分を決める為、グラナダにて謹慎せよとの事だった。
上級将校であるため、副官のウラガン少尉もしばらくして送られてきた。無論、それは方便で、本音は彼を経由して、マ・クベが自分の部下を
動かすのを恐れてのことだろう。そんな、あからさまな態度も別段気にもとめず、そんなことをする気ならば艦からおとなしく出るはずが無いだろう
にと、内心で呆れるばかりだった。往々にして、人の心という奴は曇りガラスの向こうにあるものだ。
それにしてもとマ・クベは与えられた部屋を見回した。謹慎の割にはなかなか良い場所を用意である。豪華とはいえないまでも質の高い調度品。
図書専用ではあるが、情報端末まである。こうして、マ・クベとウラガンの長い一日が始まったのである。
「運動の時間だな」
本から顔を上げたマ・クべはウラガンの方を見た。ウラガンが振り返って、剣のかかったラックを見やる。情報機器以外の私物の持込は許可されて
いるとはいえ、いささか、やりすぎだとも思わないでもない。ともあれそれが意味するものは一つだ。謹慎中とはいえ、基地内をある程度歩き回る
ことは出来る。運動もまたしかりだ。
「マ・クベ様、得物は何に?」
空間機動フェンシングは、ノーマルスーツの軽量化に伴う白兵戦技能(宇宙空間では、銃の撃てない状況など星の数ほどあるのだ)として実戦用に
再編されたものである。宇宙世紀初期には決闘なども行われていたらしい。士官学校でも実技科目の一つとして、採用されておりマ・クベが士官候補生
だったの時代には学生決闘も盛んであった。当時、同期だったバウアーとは何度も遣り合っているが、いまだに決着がついていない。
そのせい否かあらぬ噂がたったこともある(学生決闘最盛期に一個小隊ほど宇宙の藻屑にした二人組みとして伝説になっているとかいないとか)。
「レピアとダガーを」
言われて、ルネサンス時代のそれをレプリカした長剣と短剣を渡す。マスクと、胴当は基地の運動場に置いてある。
「……ウラガン」
先に行きかけたウラガンを、後ろから呼び止めた。
「何でありましょうか?」
振り向きざまに視線を合わせ、ウラガンはビクッと震えた。あとで聞いたことなのだが、そのときはどうも爬虫類が獲物をみるような目をしていたらしい。
「今日は疲れたい。手加減はするな……」
ウラガンは壊れた人形のようにかくかくとうなずいた。
―――― グラナダ フラナガン機関本部研究エリア
「ご協力ありがとうございました」
無味乾燥な口調で、白衣の男が頭を下げる。脳波の測定や口頭での面接。一応、上官と言うことを考慮してか、口調は丁寧だが、実験用のマウスを
見るような目が、なんとも不快だ。とはいえキシリア直々の命令である以上、逆らうわけにはいかない。なにせ、こちらは謹慎中の身だ。
それも、軍法会議を待っている身である。もっとも、マ・クベにとってそれは、謹慎で持てあました暇を潰す。その程度のものだった。
それにしても、虫の好かん連中だ。マ・クベは心中ではき捨てた。研究室、独特の匂いが染み付いた部屋。複雑な機材の数々、英知を結集して
探し求めているのは「NT」つまりは人類の革新であるという。
ばかばかしい、人類はその手と頭脳の閃きを駆使して、新たな時代を「創って」来たのだ。それをいまさら、生物学上の進化を持ち出すなど
時代錯誤もはなはだしい。そう、心の中で断ずる反面、どうしてそこまで強行に否定しようとするのか、マ・クベ自身にも分らない。
否、分りたくないのかもしれない。なにやら、面接室の中に数人の研究者が入ってきた。
「おめでとうございます」
科学者の一人が開口一番、そう言った。先ほどとは打って変わって、興奮気味だ。
「マ・クベ中将殿。ご協力いただいた検査の結果、中将殿は極度にストレスの掛かる状態、例えば戦闘中などに、大変特殊な脳波を発生してらっしゃることがわかりました」
「……どういう意味だ?」
「ご自分の思考や意思などを、内集団に対して―― 内集団と言うのは、心理的に自分が直接所属していると感じている集団のことです――
発信することが出来るのです。中将殿はNTです。それも、極めて特殊な」
頭を何かで殴られたような気がした。決して、予想にない展開などでは無かった。ただ、予想していた最悪の結果だっただけだ。
「諸君の喜びに水を指すようで悪いが、私は、元来NTと言うものには懐疑的でな」
内心の動揺を悟られぬように、憮然とした口調で返す。ところが、研究者は気にした風も無く、むしろ、身を乗り出してまくし立てた。
「勿論、いまだ世間に認知されているとは言いがたい理論です。ですが、中将殿も見られたはずです! トオル・イワモト曹長の活躍を!!
現地の特殊部隊が撮影した彼の戦闘データを解析した結果、イワモト曹長はまず間違いなくNTであることが分りました。他にもオデッサ撤退戦に
参加した兵士の中には、その兆候が見られるものやNTとして覚醒した可能性がある者も……」
「何だと?」
自分でも驚くほど低い声に、目の前の科学者たちの表情が凍る。
「悪いが、帰らせてもらおう。……いまだ磨かねばならん壷が残っているのでね」
皮肉を言ってマ・クベが席を立つと、科学者たちが引きとめるように、立ちふさがる。
「しかし、中将殿! 彼はあなたによってNTになったのですよ!!」
研ぎ澄まされた杭のように言葉は心臓を貫いた。歩みを止めたマ・クベは凍りついた表情で振り返った。
「……それは、一体どういうことだ?」
「通常のNTは、パッシブで物体の存在や自分に対して指向性をもった意思、所謂敵意や殺意と言ったものを敏感に感じ取ります。
お互いの心を読みあうことで、コミュニケーションをとることすら可能であります。ですが、中将殿の場合、そういった共感能力は
物理的接触を伴わなければ不可能なほど弱い。その代わりに、中将殿はアクティブに自分の意思を、NTで無い者たちに対しても伝えることが
出来るのです。結果、他人の意思を認知出来るようになった者がNTとして、覚醒する。いわば時代の呼び声なのです!!」
「…………」
興奮した科学者が、一気にまくし立てるのを、マ・クベはただ、黙って聞いていた。しばらくして、ふっとため息をつくと腹を抱えて笑いだした。
「くっくっくっく、ふはははははは」
研究者たちが、一様に怪訝そうな顔をする。だが、マ・クベにとっては夢想家の反応など、知ったことではない。古い時代と共に去ることを決めた
男が、時代の革新などとは、冗談にしても度が過ぎている。いや、事実がどうあれ、それは是が非でも肯定できぬものだった。
「此処まで、大げさすぎる追従は、始めてだな」
そう、マ・クベが切り捨てると、科学者たちは一様に不服そうな顔で、マ・クベに詰め寄る。
「いえ、我々は!!」
「……黙れ」
群がる科学者たちを、静かな、しかし、良く通る声が押し返す。先ほどとは段違いに凍りついた空気に、科学者の一人がごくりと唾を飲んだ。
「諸君、私は軍人だ。確かに諸君の言うとおりなら、これは喜ばしい能力だろう……」
その中でマ・クベはユックリと、しかし突きつけるように言葉を紡いでいく。狂熱に氷水を浴びせられた研究者たちは口を
縫われたかのように押し黙った。
「諸君らの言うNTが、宇宙に適応した新人類であるなら、私は戦場に適応した生粋の戦争屋ということになるな……なにしろ
ミノフスキー粒子散布下の戦闘で、それほど便利なものは無い。そんなものが時代の呼び声だと? 冥府の呼び声の間違えでは無いかね?
この戦乱の時代の先に、諸君はさらに血と暴力の時代を望むのか」
言うだけ言って、きびすを返すとマ・クベは部屋の出口まで歩き出した。その場に居た科学者たちが、モーゼの「十戒」のように道を明けていく。
「それでは、失礼させてもらおう。私の仕事は戦争であって、モルモットではない」
それだけ言うと、薬くさい部屋を後にした。
代わり映えの無い廊下を歩いてくと、ハスキーな声がマ・クベを呼び止めた。
「キシリア様」
振り返りざまに目に入ったのは黒い高級士官用マント、その下の紫の特注生地が、相手が誰であるかを明確に語っていた。
「研究所の連中に随分と、灸をすえてくれたようですね」
口を覆う覆面の為に、声がくぐもっている。とりあえず、威圧的な響きは感じられないものの、油断は出来ない。なにしろこの方の
面目を潰したことになるわけだし、それでなくともこちらは罪人である。油断無く相手を見据えていると、唐突に見据えていた顔が和らいだ。
「そんなに、警戒する必要はありませんよ、中将。私は貴方の処分を聞きに来ただけです」
むしろこの場で言い渡す権限をお持ちなのはそちらでは? とっさにそう思って口の中に留めた。正直は時と場合によっては、悪徳である。
「どういう、意味でしょうか?」
さすがに相手も役者だった。声音からも表情からも心中を読むことが出来ない。単純無垢な将官の多い公国軍にあって、目の前の女性は
一番手ごわい相手だった。
「今、貴様には二つの道がある。一つは死刑になったことにして、私直属のNT部隊に入るか。もう一つは……説明の必要があるか?」
「……それならば、迷うことはありませんな。もう一つの方を選ばせていただきます」
この問いも予想されていたのか、キシリアは顔色一つ変えなかった。しばしの静寂の後、塞がれた口元から、くぐもったため息がこぼれた。
「死を望むのは贖罪のつもりですか?」
簡潔な問いに、心をえぐられた。正直に言えば、マ・クベは悩んでいた。死は責任を果たすことにはならないと、理性(こころ)の
片割れが冷徹に言う。それは死の恐怖からの逃避だと断じるのもまた理性(こころ)であった。
「分りません。ですが、私はダーウィニズムのルネサンス(復古主義)に乗る気は、断じてない。これだけは言えます」
言い終えて、キシリアの顔を見た。こちらの見据える相手の目をしっかりと見返す。キシリアが、自分の目から何を読み取ったのか
マ・クベには分らなかった。しかし、かすかにであったが、マ・クベは相手の目に憐憫の色を見た。
「!」
「……分った」
マントを翻すと、キシリアはそのまま、歩き出した。その後ろ姿を見つめながら、マ・クベは、一瞬の憐憫の意味を考えていた。
心の氷壁を突き破らんばかりに燃え立つ心は剣を握る手を強くし、御する為に凍てつかせた脳髄はそれらを正確に狙いへと打ち込ませる。
半分パターン化した打ち込みが、凄まじいまでの連撃の正体だった。
考える暇を与えぬほど無いくらい、早く、正確に、剣を振る。腕の筋肉が悲鳴を上げ始めても知ったことではない。この腕が千切れようが
そんなことはどうでもいい。痛みはやがて口をつぐみ、ただ剣の軌跡のみを感じ取る。
『彼はあなたによってNTになったのですよ!』
一瞬の雑念が、マ・クベの体勢を大きく崩す。驚き半分、防戦一方だった相手がこの隙を逃さず突きを入れる。
「黙れぇっ!!!」
一瞬、頭の内で反芻した声を打ち消すように、長剣を横薙ぎに払う。
キンッと澄んだ音と共に、銀色の軌跡が宙に二つの円をかく。その音で、マ・クベはハッと我に返った。澄んだ音を立てて二つの剣先が地面に落ちる。
相手を務めるウラガンは、唖然とした様子で尻餅をついている。
「すまんなウラガン、ちょっと熱が入りすぎたらしい」
倒れている相手に手を貸すと、一気に引き起こそうとして、自分も転んだ。
「ま、マ・クベ様!?」
手にまったく力が入らない。気づけば、体中ガタガタだ。どうやら、気が抜けて脳内麻薬が切れてきたらしい。急に襲ってきた疲労感に
さいなまれながら、急に笑いがこみ上げてきた。
「くくくく、あははははっ、はっはっはっはっ!!」
狂ったように笑い続けるマ・クベを、ウラガンが心配そうに見ている。
「すまんな、ウラガン。手に力が入らんのだ…」
苦笑交じりに言うと、ウラガンが、怪訝そうな顔になる。
「はあ……?」
曖昧な返事を返すと、ほっとした様に笑った。
「どうした?」
「いいえ。ただ、このところ、中将殿が笑うところを、見なかったもので…」
心配しておりました、とウラガンが晴れやかに笑った。良い部下である。ウラガンも、オデッサを共にした男たちも忠実かつ屈強な戦士たちだった。
「ウラガン、君には苦労を掛けるな」
「……自分は中将殿の副官です」
それ以上言葉は必要なかった。
しばらく、黙っていると、ウラガンが控えめに尋ねてきた。
「マ・クベ様、もしよろしければ、何があったのかをお聞かせ願えますか?」
「…………」
沈黙を否定と受け取ったのか、出すぎたことを言いました、とすぐに引き下がる。
「ウラガン。キシリア様から呼び出しを受けたのは知っているな?」
「へ? あ、はい」
唐突に振った話題に順応できなかったのか、ウラガン少尉が間の抜けた声で答える。それに、構わず話を続ける。
「呼び出された先は、フラナガン機関だ」
「ふ、フラナガン機関!?」
その名を聞いた瞬間、ウラガンの目が一瞬、剣呑なものになる。ジオン内部でも、あまり良い噂も聞かない連中である。当然と言えば当然の反応だ。
「それで、連中が一体何を?」
「皮肉だよ。……それも最上級のな」
口の端を吊り上げて、男はニヤリと笑った。
――― グラナダ駐留ジオン軍 司令官私室 ―――
一人、部屋に篭ったキシリアは、一人の男の事を考えていた。オデッサから帰ってきて、彼は変わった。上手くはいえないが
なんとなく違和感があるのだ。その違和感が何者かは、キシリアには分らない。ともあれ、マ・クベをこのまま殺すのは惜しいと思った。
キシリアは机の上の通信端末を掴むと履歴の中にあった相手に繋いだ。
「…パイパー大佐か? 私だ。貴公から頼まれた件だが、……許可する。もう当人も了解済みだ。こき使ってやると良い」
後日の略式法廷による判決でマ・クベは4階級降格の上、第600軌道降下猟兵大隊への異動を言い渡された。
あとがき
幕間ってなんて、便利なんでしょう。あれこれ、欲張る私には、いろんなバックストーリーを詰め込めて幸せいっぱいです……!!
……すいません。調子にのりました。ちゃんと本編も進めます。ちなみに、作中で出てきた現地の特殊部隊とはフェンリル隊のことです。
作中オリジナルである「空間機動フェンシング」は前にちょこっとだけ言ってますが、士官学校の正式科目という事になってます。
実はバウアーが次席でマ・クベが主席で卒業してます。