とーたる・オルタネイティヴ
第8話 ~かたゆでたまごなんて、がらじゃない~(前編)
俺は、クリスカを引き連れて自分の部屋へと戻ってきた。
正直な話、呆れればいいのか、それともやはり深刻な事態なのか、俺は態度を決めかねていた。
「……視線を感じる、だって……?」
「ああ、正確には、むしろイーニァをより強く見ているような気がする。
……ねっとりと、絡みつくような視線なのだが……」
「く、くそっ。俺のイーニァに、俺の許しも無くそんな汚らわしい視線を向けたと言うのか……?―――どこのどいつだ!?」
「イーニァはお前のものではない!……いや、むしろ犯人はお前ではないのか?」
―――む。前科があるだけに耳が痛い。
だが、もしもそれが俺の視線だというのならば、それは優しく、包み込むかのような、慈愛に満ちたものとなる。
そこらの一山いくらの変態と『かみとあいのせんし』を一緒にしてもらっては困るというものだ。
「何を馬鹿な……。俺は、隠れてこそこそ覗くような真似はしない。常に真っ向勝負だ」
「胸を張って言う事か!」
「……ふむ……」
「な、なんだ。その目は」
「いや、クリスカも突っ込み役が板に付いて来たな、と感心していたんだ。
―――初めて会った時から素質があるとは思っていたんだけどな……。
その調子でがんばれよ?」
にやりと笑い、彼女に向かいサムズアップ。
「……帰る。……邪魔したな」
「まあ、待て待て、頼むから帰るな。軽いジョークだから。……それで、イーニァはまだ気付いていないのか?」
「……ああ。視線を感じるのは訓練中だからな。体を酷使する訓練中に、能力を使う余裕は彼女にはない」
『話す事より見ることのほうが楽だなんて思うな』……霞の言葉だったな。
……やはり、イーニァにも相当の負担が掛かっているんだろう。
「今のところ、実害はないんだな?」
「……今のところは、な」
「……よし。とりあえずお前らは、明日は普段どおり訓練に出てろ。俺は、副司令絡みの特殊任務ということにして探ってみる」
「お前だけに任せておくわけには―――」
「クリスカ」
俺は、クリスカに最後まで言わせず、強い口調で遮った。
「お前さんの任務は、イーニァの傍に付いて、離れない事。―――だろ?」
「―――くっ。……了解した」
まだ納得はしていないみたいだな。……まあ、クリスカの性格からしてこうなるだろうとは思っていたんだが。
―――正直なところ、この『狩り』は少々危険なのだ。
例えば仮に、視線の正体が単なる覗きの変態だったとしよう。だが、此処が軍施設である以上、そいつは『人殺しの技術を習得した変態』である可能性が高いのだ。
207Bの彼女達は良い素質を持っている。いずれは、生身にしろ戦術機にしろかなりの戦闘力を得るはずだ。
しかし彼女達は未だ未熟な訓練生。正規兵を相手に生身で闘り合うのは少々荷が重いだろう。
俺にしてみたところで、余裕綽々という訳には行かない。
仮に相手が複数だったりした場合、相当危険な目に遭う可能性もあるのだ。
―――とりあえず、夕呼先生のとこ行って拳銃を確保して置かないとな……。
あとは、唯依タンに頼んで剣術の訓練もやっておく必要がある。以前の経験の中には月詠さんや冥夜に手解きを受けた剣術もあるのだが、やはり腕は鈍っているだろうから。
―――やれやれだな。やはり、女の子ばかりにかまけていられる都合の良い世界など無いらしい。
おっと。……俺としたことが、どうやらシリアスに浸りすぎたらしい。さっきからクリスカが怖い顔でこっちを睨んでるじゃないか。
「白銀……、一つ疑問がある。……何故お前は、私達のためにそこまでする……?」
「お前もイーニァも、いずれは俺のものになるんだからな。……自分の女を護るのは漢として当然だ」
「―――っ!」
「―――おっと」
クリスカの放つ、鋭い拳。だが俺はそれを難なく受け止めた。
―――ふん。残念だが、今は俺のターンだ。ここで一撃喰らってしまっては流石に立場が無いというもの。
逆に、俺は掴んだクリスカの拳を強引にこちらに引き寄せる。そして、俺の胸に飛び込んでくる格好になった彼女の腰を左腕で固定した。
「……おいおい。拳じゃなくって、折角なら御礼をしよう、あるいは報酬を渡そうって気にはならないか?」
互いに、吐息のかかる距離。俺は、クリスカに囁いた。
「……報酬?……何をすれば良いのだ……?」
「この状況でダンスの練習も無いだろう。……おまえの、身体が欲しい」
「―――?……すまないが、言っている意味がわからない」
俺は、思わずクリスカの目を見つめてしまった。
『真顔でボケるとはやるじゃないか……』とでも言ってやるつもりだったのだ。
―――だが、どうやら、『振り』では無さそうだった。彼女は、本当に『解っていない』のだ。
まだ見ぬソビエト軍幹部に、俺はこの時初めて、殺意にも似た怒りを抱いた。
クリスカと、おそらくはイーニァも、この歳になるまでおよそ人らしい情緒を全く教えられることなく生きてきたのだ。―――いや、『生かされてきた』のか。
「その、怒らせてしまったのなら謝る。……本当に解らないのだ。お前の言うとおりにするから、教えてくれないか……?」
クリスカの真剣な、訴えかけるような目。―――だが。
俺は、彼女の身体をそっと離してやった。
「いや、今は止めとこう。……すまなかったな」
「―――待ってくれ。頼む、どういう意味なのか教えてくれないか。それを知らないのはおかしな事なのだろう……?」
―――さて困った。どうしたものか。『据え膳喰わぬは~』などという言葉もあるにはあるが、世の中、喰ってしまう方が遥かに恥、という事もあるのだ。
今回は明らかに後者だろう。
「……なら、目を閉じろ」
「……あ、ああ……」
目を閉じたクリスカに、俺はやや強引に唇を重ねた。
―――数秒で、そっと離れる。
「……どうだった?嫌な気分になったか?」
「いや……そんな気分にはならなかった」
「じゃあ、今のを初対面の中年男にされていたら?」
「そ、それは正直、鳥肌が立つ……」
「なら、今はそれだけで良い。……この続き……お前を貰うのは、お前が心底俺に惚れてデレデレになった時だ」
俺は踵を返し、扉へと向かった。
そして、ドアノブに手を掛けた所でクリスカに呼び止められた。
「白銀、……どこへ行く……?」
「とりあえず夕呼先生のところかな。……その後、唯依タンのとこにでも顔を出すさ」
「……そ、その、お前は、今私にしたことを、タカムラにもしているのか……?」
―――クリスカの不安げな顔。
……こいつの、こんな表情を見られただけで、多少は危険な事にも首を突っ込んでやろうという気になる。
「……ああ。彼女も、俺のものだからな」
「……そ、そうか……」
「―――お前が今抱いている感情。……嫉妬ってやつさ。覚えておくと良い……」
俺は、呆然とした面持ちで佇むクリスカを置いて、部屋を出た。
部屋の中には見られて困るようなものなど置いてはいないし、どうせクリスカもすぐに部屋を出るだろう。
久しぶりのシリアスモードをやったせいか、顔面が少々引き攣り気味だ。あと、何より気疲れした。
―――この疲れは、やはり唯依タンに癒してもらうほかあるまい……!
いや、その前に剣術の手解きをしてもらわないといけないんだけどね。
そうと決まれば、早速夕呼先生のところへ行って拳銃を借りてこよう。
無事に夕呼先生から拳銃を拝借し、その足で俺は唯依タンの部屋を訪ねた。
「ゆ~い~た~ん、あ~そ~ぼ~!」
ノック代わりに、部屋の外から大声で呼び掛けてみた。部屋の中から、何かをひっくり返したような音が響き渡る。
そして、慌てたようにこちらへ向かってくる足音。
―――扉が、勢いよく開かれる。
「ば、ばかっ!そんな大きな声で呼ぶやつがあるか……!」
うん、その照れ怒ってる顔が見たくてやったんだ。
嗚呼……! 引き攣り気味の顔筋が癒されてゆく……!
「唯依タン唯依タン、今からお外で遊ぼうぜ!」
この場は、お子様のノリで突っ走ってみよう。
さあ、唯依タン! ノッて……は来ないだろうな、うん。分かってはいるんだが。
「……正気か……?」
「もちろん。 正気と書いてマジだ! だから、お外でちゃんばらごっこやろうよ」
「……それはつまり、私に剣を教えて欲しい、とそういうことなのか……?」
「まあ、そうとも言うかな」
「……はぁ……。わかった、今準備して来るから待っててくれ……」
呆れながらもちゃんと付き合ってくれるあたり、面倒見が良いというか人が良いというか。
けど、そういう所も可愛い、と思えてしまう辺り俺は相当彼女にやられているらしい。
―――だが、すまない唯依タン……!『きょくとうのたねうま』たる俺様は、君一人に愛を注ぐ訳にはいかんのだ……!!
「―――ま、待たせたな。今準備が終わった」
息が上がっている。……そんなに急がなくても良かったのに。
「よし、それじゃあ行こう!」
―――恥ずかしがる彼女の手を無理矢理とって、『おててつないで~』とやっていたのは内緒だ。
そして、道中多くの人にそれを見られ、ノリの良いヤツに『カノジョとデートか、ボーイ!?』などと冷やかされたのも。
もちろん、俺はその黒人兵士ににっこり笑顔で手を振ってやったわけだが。
『ピ』のつくなんとか中尉にばっちり目撃されていたような気もするが、それも気にしない。
そう、例えそのなんとか中尉のおかげで、明日ヴァルキリーズ全員の知る所となろうとも。
―――気にしないったら気にしないのだ―――
薄々感じてはいたことだが、どうやら唯依タンは刀を持つと人が変わるらしい。
いや、精神のスイッチが切り替わると言えば良いのか?とにかく、普段の『からかい甲斐のある女の子』の表情は一切鳴りを潜め、凛とした一人の剣士の姿がそこにあったのだ。
―――唯依タンは、本当に強い。
とにかく俺は月詠、冥夜じるしの剣術を封印し、これまで磨いてきた我流で剣を振っていた。
だが、それでは精々十数合打ち合っただけで呆気なく一本取られてしまうのだ。まあ、これが数百年積み重ねた流派の重みと言う奴なのだろう。
おかげで、鈍っていた腕の方も大分取り戻したような気がする。この世界では、生身での戦闘技術が必要とされる事などほとんどないため、必然的に訓練のウェイトも軽くなってしまうのだ。
今後何時、クリスカの件のようなごたごたが起こるとも分からない為、やはり定期的に訓練はやっておいた方が良いのだろう。
―――訓練を終え、俺と唯依タンは手近な芝生に座った。
火照った身体に秋風が心地良い。
「……武……、お前は、不思議な男だな……」
「……いきなり、何だ?」
「……初めて会った時、私は『何なんだ、このふざけた男は』と思ったんだ……。
それなのに、気付いてみたらお前は私の心の大きな部分を占めていた……。
そうなってから改めて見てみると、お前は本当はとても優しく、そして傷つきやすいのではないか、と思えてきたんだ……」
「……勘弁してくれ……。俺はただの女好きだ。
俺が優しく見えるのは、『女の子と仲良くなりたい』っていう下心を上手く隠しているからだよ……」
「―――ふふ……」
「……なんだよ?」
「もう一つあった。……本当は、とても可愛い」
「―――勝手に言っててくれ。……汗も引いたし、もう戻るぞ」
俺は彼女を待たず、さっさと歩き出した。
全く、今日は厄日なのか?ガラじゃないってのに、どいつもこいつも軽い雰囲気をマジに変えてくれる。
―――ねえ、かみさま。ぼくってそんなにわかりやすいのですか……?
―――なにをいまさら。……あなたのまわりにいるおんなのこたち。すべてあなたの、ぎゃぐとしりあすのぎゃっぷに『もえている』としりなさい……!
……『ほほほほほ』と高笑いする幻聴が聞こえたような気がした。
かみさまよ。そいつは正直、ぶっちゃけすぎだと思うんだがどうだろう?
それに、『もえ』はないだろう『もえ』はよ……!!
―――俺一人がどんなに泣き、叫び、喚いてみても世界はどうにもならない。
だったら、為すべき事を為した上で、肩の力を抜いて一日一日を精一杯楽しもう。
そんな風に思うようになったのは何時の事だったのか―――