とーたる・オルタネイティヴ
第36話 ~じゃしん、あしゅら、めがみ、きじん、のち、けだもの……ところによりちのあめがふるでしょう~
―2001年11月22日 08:00―
「―――それでは武様……またお会い出来る日を……」
「ああ、元気でな」
正門前には黒塗りの高級車が止まっており、主である悠陽―――冥夜の格好をした―――が乗り込むのを待っていた。
この場には、俺と悠陽の他にはまなちゃんしかいない。
門兵二人組は離れた位置に立っており、珍しい取り合わせの俺たちがやはり気になるのか、時々視線をこちらへ送ってきていた。
空は雲一つ無い快晴で、悠陽お忍びツアーの終焉を祝福しているかのよう。
俺は、立ち去りがたい様子の悠陽に微笑みかけ、軽く手を振ってやった。
悠陽もそれに応えて微笑み、手を振って来る。
「…………」
「…………」
「…………」
「―――おい」
「何で御座いましょう、武様」
「……いや、だから何時までそうやって突っ立っている気だ、と」
実の所、冒頭のやりとりはもう五回は繰り返している。後部座席のドアを開けて直立不動の運転手も、初めこそ微笑ましげな表情だったが、今ではすっかりその穏やかな顔も凍りつき、こめかみを引き攣らせている。
悠陽は俺の台詞を聞いて、衝撃を受けたかのように膝を突き、大げさに軍服の袖で涙を拭う振りをする。
「ああ、武様……なんと冷たい……武様にとり所詮わたくしは一時の戯れ。
骨の髄までしゃぶり尽くされ、哀れ犬猫のように捨てられる定めなのですね……」
『しくしく……』などと泣き崩れる真似。
「いや、だからな……。会おうと思えばまたいつでも会える。
何だったら次は俺が帝都まで出向いても良い―――って、この台詞も何回目だ!」
「ああ……武様は、愛する殿方から一時も離れていたくない、という乙女心を解しては下さらないのですね……」
更に大きく泣き崩れる『真似』。
何だかもう、出来の悪いコントを見せられているような気分だ。
「あ、あの……殿下」
「何ですか、まなちゃん。……今わたくしは忙しいのです。
邪魔しないで下さい」
「―――はっ!申し訳ありませ―――ではなくてっ!
そろそろ、帝都城で殿下役を勤めておられる冥夜様も限界に近いかと。
……色々な意味で」
それは、もうそろそろおかしいと思うやつが現れてもおかしくないとか、冥夜自身の忍耐力が限界突破する頃だとか、そんな意味だろう。
まあ冥夜にとっては、突然呼び出されたかと思えば服を剥ぎ取られ、悠陽の服を着せられて身代わりにさせられたのだ。
悠陽が何処へ行ったのか、なんて冥夜にしてみれば見え透いており、それだけに相当の鬱憤を溜め込んでいるだろう。
……まなちゃんのその言葉に納得したわけでは無いだろうが、とりあえず悠陽は寸劇を中断して立ち上がった。
可哀想に、運転手は懐から錠剤を取り出して水も使わず飲み下していた。多分胃薬だ。
まなちゃんは、立ち上がった悠陽の膝と袖についた埃をはたいている。
「―――それでは武様……またお会い出来る日を……」
「ああ、元気でな」
何度目の正直なのか、今度こそ悠陽は車に乗り込み去って行った。
車が完全に見えなくなり、俺とまなちゃんはどちらからとも無く顔を見合わせた。
『―――はぁあ~~~』
そして、盛大な溜息。
「……んじゃ、戻ろうか。……新設部隊の件で、まだいくつか机仕事が残ってるんで宜しく……」
「―――武様」
踵を返した俺を、まなちゃんが呼び止める。
俺は足を止め、首だけ回してまなちゃんを見た。
―――って言うか、『武様』だと……?
「殿下の事、御礼を申し上げておきます」
そう言って、深々と頭を下げた。
俺にしてみれば何のことだか分からない。そもそも何故、こうまで俺に対する態度が軟化したのか。
いや、あるにはあるのだが……。
「……まさか、屋上の会話……」
「はい、聞いてしまいました。処分は如何様にでも。
―――ですが、一言だけお許しください」
「……どうぞ」
「あのように楽しげな殿下はこれまで見ることの出来なかったものです。殿下にとり武様の存在はそれほどまでに大きくそして支えになっているのだと痛感致しました。
そして何より、私は貴方の表面に見える姿だけを重視し、本質を見誤っておりました」
これは、どちらかというと俺の落ち度だろう。誰も来るわけ無いと比較的入り口に近い位置で、扉に背を向けて話し込んでいたのだ。
まなちゃんほどに武道に通じていれば、俺に悟られずに近寄るなんて造作も無い筈だ。
そもそも、結果的にまなちゃんの俺に対する確執が解消されたというなら俺に不利益は無い。
「他言無用。……それさえ守ってくれるなら、俺は構わない。
―――寒いから、俺はもう行くよ」
「お待ちください!……上官となる人物に対しての数々の暴言、そして侮ったかのような振る舞いは許されないことです。
―――どうか処分を!」
困った。角が取れ、懇願するような表情で縋ってくるまなちゃんはとても可愛く、ついつい『罰』の名目でイケナイことをしてしまいそうになる。
だが、こんな形でやるのは俺の信条に反する。
―――でも、わざわざ進んで『罰』を望むなんて、実はまなちゃん相当の『エム』だったりしちゃうのか……?
「あのねえ、俺はまなちゃんが初め思っていた通りの人間なんだって。だから、まなちゃんは本当のことを言っていただけで何も暴言なんて吐いてない。
それこそ、俺が処罰するなんてお門違いもいいところだ」
そう言い残して、俺は早足でその場を立ち去った。
……逃げたわけではない。
正直、もったいない事をしたという思いはある。あのままベッドに連れ込んでもまなちゃんは大人しく従っただろうから。
だが、物事には順序というものがある。
今回の件を不問とした事でまなちゃんの俺に対する好感度は更に上昇した筈で、今後もより一層の上昇が見込める。
此処で抱いてしまってはそれ以上の進展は望めないと俺は判断したのだ。
―――基地内の廊下を歩きながら、まなちゃんのこれまでのツンツンとした態度を思い返し、あれはあれで良かったな、なんて思っていたことは秘密だ―――
―2001年11月22日 13:00―
シミュレータールームへと向かう途中、見知った後姿を発見した。
あれは、祷子さんだ。どうやら一人のようで、俺は早足で彼女を追いかけ、声を掛けた。
「…………」
だが、返事が無い。まるで俺など居ないかのように歩き去ろうとしている。
ならばと今度は彼女を追い抜き、正面から声を掛けて見た。
「……あら、どなたかと思ったら、殿下の覚えもめでたい国連軍のエースパイロット様じゃありませんか。
私のような下々の一兵士に、何か御用でも御有りですか?」
柔らかい物腰と微笑み。だが、ちっとも癒されないのは何故だろうか。
「は、ははは……。冗談きついですね、祷子さん。
な、なにか嫌な事でもありました……?」
「御自分の胸に手をお当てになって、良くお考えになって見たらいかがかと愚考いたしますわ。
……白銀『新中尉』殿?」
とりあえず、言われたとおり胸に手を当て、考えを巡らせて見た。
―――いかん。全く心当たりが無い。そもそも、前に別れたときはそんな素振り―――いや待て。
……前に会ったのって、何時だったっけ……?
そう、確か13日だ。唯依タン相手に芝居を打って、一悶着あった日だから良く覚えている。
という事はつまり、俺と祷子さんは9日間も会話一つですら行っていないのだ。
よくよく目を凝らして祷子さんを見れば、彼女の頭上に破裂寸前の爆弾マークが見えた。
これは、アレだ。一昔前のゲームで見たことがある。長い時間放っておくと爆弾が破裂して、女の子達の好感度が激減してしまうのだ。
今祷子さんの頭上で不気味に光るコレは、俺の記憶によればリミットギリギリ。
明日になれば破裂していただろう。
ここに来て、背筋を伝う冷や汗は最高潮に達した。
「ご、ごめんなさい!でも一応言い訳しておくとコレは決して祷子さんのことを忘れていたとかそんなんじゃなくって会いたくても会えなかったと言うかそもそも帝都に呼ばれてみたりそうかと思えば新部隊を結成するとか言ってしかもその隊長が俺だったり慣れない仕事に悪戦苦闘してようやくケリがついたかと思えば帝都から招かざる客人が来てその相手が忙しかったり―――げほっ、ぐぇほごほっ……!」
最後まで言い切ることが出来なかったため、お詫びとしてその場に土下座して頭を祷子さんの靴先に擦り付けてみた。
今なら、靴を舐めろと言われれば恥も外聞も無く舐めていただろう。
―――ただし、人のいない所で。
―――俺が土下座して、五秒。
道行くねーちゃんがぎょっとした顔をして、早足で駆け抜けていった。……ちょっと美人。
―――十秒。
男一人、女二人の一行が廊下の角から現れ、俺たちの姿を目にした途端回れ右して逃げていった。……去るのは男だけで良かったのに。
―――十五秒。
―――二十秒。
―――もう良いだろう。俺は恐る恐る顔を上げ、上目遣いで祷子さんの様子を窺ってみた。
……口に手を当て、必死な様子で笑いを堪えている祷子さんと目が合った。
「…………」
「…………」
「……おいこら」
「……なぁに、武くん?……そんなに睨んじゃ、こわいわ」
「……何処まで本気で、何処から冗談だったんです?」
「少しだけ怒っていたのは本当よ。……でも、あんまり必死に言い訳するものだから、ついおかしくなって……ごめんなさいね?」
「……いいけど」
俺はようやく立ち上がり、やや大げさに両足の膝から脛をはたいた。
「そもそも、俺が悪いのは事実ですから。……とりあえず、俺は許してもらえたって事で良いんですよね?」
「ええ。……これも、『惚れた弱み』って言うのかしらね?」
「知りませんね、そんなの」
俺は、そっぽを向いて吐き捨てた。
―――右腕に感じる『ふよん』とした感触。
祷子さんが両腕を絡めてきたのだ。
だが今の俺は、こんなぱいおつごときでは屈しない。視線はあくまでも別の方。
「―――ねえ……そんなに怒らないで……?」
祷子さんの手が俺の頬に伸びる。ひんやりとした手が気持ち良い。
「もう……怒っちゃイヤ……」
頬から首、そして喉へ。更に下降し、俺の胸を祷子さんの手が這い回る。
「まだ、許してくれないの……?」
祷子さんの手が、胸から腹。そしてこか―――
「―――って! どこまでいく気ですか!? ここは廊下ですよ!?」
「……くすん。 だって、武くんが許してくれないんだもの……」
遂に耐え切れず、祷子さんの方へ顔を向けた。
視線と視線が絡み合う。
「…………」
「…………」
―――嗚呼、祷子さん。……そんな、瞳をウルウルさせて上目遣いで見詰められちゃったらぼくは……ぼくはもう……!!
「……祷子さん……」
「……武くん……」
互いの顔が、近づいてゆく。
30cm……20㎝……10㎝……そして、ゼロに―――
「―――バカップルに、天の裁きをぉっ!!!」
「―――ひでぶっ!」
「―――きゃっ!」
―――なる直前で俺は頭に強烈な一撃を喰らい、悶絶する羽目になった。
廊下の上をのた打ち回り、ようよう顔を上げると、肩に巨大な『ハリセン』を担いだ速瀬中尉の姿。
―――その威容、まさに『戦乙女』副隊長の名に相応しい。
……担いでいるのが『ハリセン』でさえなければ。
「―――な、なんて事しやがる! 折角良い所だったのに!」
「あんた等ねえ、こんな公衆の面前で見てるこっちが恥ずかしくなるようなラブシーン始めんな!
どこの少女漫画だってのよっ!!」
「……ほら、速瀬中尉も羨ましいのよ、きっと……」
「……そっか、そういえばこのヒトも男日照りが長いでしょうしねぇ……」
「―――そこっ! しっかり聞こえるような声で内緒話すんな!
それに、『男日照り』とか人聞き悪い事言うな! 私はれっきとした処じ―――」
台詞の途中で、自分が何と叫ぼうとしたのか気付いてしまったらしい。
真っ赤になって口をパクパクしている。
……うん、可愛いぞ。
「……処……の続きは?」
「た、武くんてば……悪いわよ、そんな事聞いちゃ……」
いや、そのフォローも大概酷いと思うぞ。
「……う……」
「鵜?」
「……卯?」
「―――う、うわ~ん! 悪かったわねぇ! そうよ! 私は処女よ! バージンよ! 乙女よ!
……ふえ~ん、はるかぁ~~~」
速瀬中尉は、涙を撒き散らしながら走っていった。
正直、あの姿はギャグとしか思えない。
二人、廊下に取り残される。
「……ねぇ、武くん……」
「なんすか、祷子さん」
「流石に……悪いことしちゃったかしら……」
「……そう、かも……しれませんねぇ……」
「……フォロー、お願いしてもいい?」
「……いいですけど。……でも、祷子さんは……?」
「私は、今ので充分『たける分』を補給できたから」
「……俺、殺されるんじゃないだろうな……」
祷子さんに手を振って別れを告げ、速瀬中尉の後を追うべく歩き出した。
多分自分の部屋に戻ったんだろうから、慌てて後を追う必要も無い。ゆっくりと考えを纏めながら行くのが吉だろう。
―――たとえギャグにしか見えなくとも、女の子を泣かせてしまったのは事実。
『あいとかみのしもべ』の名に掛けて俺は彼女に『あい』を説かねばならないのだ。
―――修羅の道を歩む者よ……汝の選ぶ道に、幸多からんことを……!!
―――だから、誰だっての。
―――此処が地下であるにもかかわらず、何故かカラスの鳴き声が聞こえてきた。
『アホウ、アホウ』というその愛らしい鳴き声が、俺に勇気を授けてくれるのだ―――