とーたる・オルタネイティヴ
第33話 ~たべられるけだもの~
―2001年11月19日 20:00―
俺は今、PXにて夕食の真っ最中だ。
とは言え、それだけならば別にどうって事は無い。夕飯なんぞ毎日食べる物だからだ。
だが、この日は少々特別だったのだ。
……そう、色んな意味で。
―――目の前のテーブルに展開する二つの皿。
一つは、純和風で陶器製の深皿。中には、湯気の立つ肉じゃが。大きさの揃ったじゃが芋、人参、玉葱といった具材に調理人の真心を感じる。
もう一つは洋風のグラタン皿。その皿の名の通り中にはグラタンが入っており、チーズの焦げる美味そうな匂いが湯気と共に鼻腔に吸い込まれてくる。
肉じゃが―――古き良き日本食、と思われがちであるがその歴史は案外新しい。
何でも、19世紀後半にかの東郷平八郎が艦上食として作らせたのが始まりであるらしい。そして、一般家庭にまで普及するようになったのは昭和30年代になってから。
そんな比較的新しい料理であるのに、何故か食す者に郷愁とおふくろの味を思い起こさせる―――
グラタン―――正式名称を、『ヤンソンの誘惑』と言う。こちらは、スウェーデンの伝統的な家庭料理だ。
そのけったいな名前の由来は、菜食主義のエリク・ヤンソンという宗教家があまりにもおいしそうな見た目と匂いに勝てず、ついに口にしてしまったとされる事からこの名前が付いた、らしい。
ポテトグラタンに玉葱とアンチョビを加えてあるのが特徴だ。こちらも、それほど古いわけではなく発祥は19世紀のようだ―――
この、日瑞両国の『おふくろの味』対決とも言うべきこの状況。
肉じゃがの後ろに立っているのは日本代表、篁 唯依。
グラタンの後ろに立つスウェーデン代表、ステラ・ブレーメル。
それぞれ黄色とピンクのエプロンをシャツの上に着けていて、普段の無骨な軍服姿よりは数段魅力的に思えた。
―――ああ、かみさま……なぜ、おとこといういきものは、こうもえぷろんすがたのじょせいにこころひかれるのでしょうか……?
―――では、そなたいとしの『でんか』にもえぷろんをつけさせてみましょうか……。
……いや、それは御免被る。だって、どう考えても料理が得意ってキャラじゃない。
神聖なるスキル『エプロン』は料理上手な女の子だけに許されたレア・スキルなのだ。
殿下には悪いが、『花嫁修業』を2~3年ほどやってから出直してもらおう。
……まあ、これがワンランク上の『はだかえぷろん』ともなればあらゆるジョブに共通の極悪必殺スキルへと変貌を遂げるわけであるが……。
「―――ぎゃべらっ!!」
「タケル、どうしたのっ!?」
「武、なにがあった!?」
「……ぐっ……なんか……いま、かみなりがおちなかったか……?」
突然、数万ボルトのスタンガンを浴びせ掛けられたかのような衝撃が、全身を駆け巡ったのだ。
毛髪が微妙に焦げ臭い匂いを発しており、手足からは煙が立ち上っている。
ぶっちゃけ、何処のギャグ漫画だと問い殺したくなるようなシュール過ぎる光景。
頭がアフロになっていないだけいくらかマシ、とでも言えば良いのだろうか。
「―――それはともかく武、食べて見て?……母から習ったの」
「―――あら、肉じゃがなんて食べ飽きてるでしょう?こっちの方がおすすめよ。
味わった事の無い美味しさと、何処か懐かしい味を約束するわ」
「……は、ははは……」
―――『それはともかく』は無いだろう、唯依タンよ……。
だがまあ、今の現象に関してはあまり突っ込まれても困るのでちょうど良かった……のか?
そんな俺の内心も知らず、二人は互いに自分の皿を持ち、ずずいっと俺の前に身を乗り出してきた。
どこかでかつて経験したような、懐かしい気持ちに浸りつつ俺の全身からは冷や汗が滴り落ちていた。
―――なんでこんな展開になるんだよ……。
―――それは、二時間ほど遡る―――
―2001年11月19日 18:00―
「それにしても、たった2~3日で此処まで上達するなんて思わなかったな」
「ふふ……教官が良かったからだと思う」
俺、唯依タン、冥夜、月詠さんの4人はシミュレータールームでの訓練を終え、廊下を歩いていた。
本日の課題は難度Sのヴォールク・データ。それは俺と冥夜が前衛装備、唯依タンと月詠さんが後衛装備という編成で行われた。
圧倒的に不足している経験値の差から、これまでどうしても穴となっていた唯依タン機が本日遂に中階層突破という偉業を成し遂げたのだ。
これは只単に部隊に二名追加されたから、という理由だけでは無い。
開花の兆しを見せていた蕾が遂に花開いた、という事だ。
これで、未だ国連軍に配属されてこない三バカが加わり、隊員達の新OS慣熟が進み、部隊内の連携が上手く機能するようになれば最下層到達も余裕だろう。
「なあ冥夜……折角だから、PXで飯喰っていかないか?」
「……すまぬが、私と月詠はこれより所用があるのだ……」
「いや、謝る事無いさ。……唯依タンは?」
「私は構わない」
「んじゃ、行くか。―――またな、冥夜、『まなちゃん』」
「うん、では、な」
「貴様にそんな呼び方を許した覚えは無いっ!!」
PXと居住区の分岐点で、俺たちはそんな会話をして別れた。
PXに到着した俺たちを出迎えるのは夕飯時の喧騒―――ではなかった。
喧騒どころか誰一人としていやしない。
俺と唯依タンは頭上に疑問符を浮かべて見詰め合った。
「……なあ、PXにも定休日ってあったっけ……?」
「そ、そんな話聞いた事無いけど……」
「ま、まさか……連日の激務に耐え切れず、遂におばちゃんが過労でぽっくりと―――」
「そ、そんな……!」
俺と唯依タンの顔が、不吉な想像に蒼褪めた。
「あたしが過労でどうしたってぇ~~!?」
『うわあぁっ!!』
背後から掛けられる突然の太い声に、俺と唯依タンは文字通り飛び上がった。
背後に仁王立ちするは我等がおっかさんこと、京塚 志津江臨時曹長だ。
「アンタ達、連絡聞いてないのかい?……昼過ぎにフライヤーが調子悪くなっちまって、機材取替えのため此処は明日朝まで利用停止―――って」
「……なるほど」
だから、照明は薄暗いし誰もいなかったのだ。
俺に連絡すべき直属の上司は夕呼先生。忙しいあの人のことだから連絡を忘れても無理はな―――いや、むしろわざと黙っていた可能性もあるか。
―――肉の焼ける香ばしい匂いが厨房の方から漂ってきた。
「あれ、調理中だったんですか?」
「ああ、アタシじゃなくって―――」
「―――キョウヅカさん、お客さんですか―――って、あら……タケルじゃないの」
「ステラ?……何やってんだ、そんな格好して……?」
厨房から現れたのは、ピンクのエプロンを身に着けたステラだった。
いや、何やってるも何も調理中だったのだろうけど。
……間違っても、射撃訓練やってるようには見えない。
「見れば分かるでしょう?……格闘訓練よ」
「……おい」
「ふふ……冗談よ」
ステラは悪戯っぽい微笑を浮かべ、舌を出して再び奥に引っ込んでしまった。
俺は何故ステラが厨房にいるのか、という疑問の答えをこそ欲していたのだが……。
「前から頼まれてたんだよ。 都合の良い日があったら厨房を使わせてくれってね」
疑問の答えはおばちゃんから得られた。というか、別にどうって事無い理由だ。
―――奥に引っ込んでいたステラが、再び姿を現した。手には何かの盛られた大皿を抱えていた。
「―――ちょうど良かったわ。作りすぎちゃって、どうしようかと思っていたの。
良かったら食べてみて?」
ステラ渾身の一品、その名を『ショットブラ』と言うらしい。いわゆるスウェーデン風肉団子。
彼女の故郷、スウェーデンの伝統料理でおふくろの味、とも言うべきポピュラーな料理だそうな。
三人はテーブルに着き、俺と唯依タンはステラによそって貰いながら解説に耳を傾けていた。
おばちゃんは、何故か『納入業者と打ち合わせが―――』とか言って出て行った。
あの曹長、なかなかの気遣い上手である。
―――俺は、美味そうな湯気を上げるそれを口に運んだ。
まずは肉団子。固すぎず、柔らかすぎずのそれは口腔内で豊かな旨みを溢れさせる。
次にソース。デミグラスソース、あるいはブラウンソースとも言うそのソースは主役である肉団子の味を見事に引き立てている。
そして、ほのかなバターの香り。察するに肉団子をバターで炒めてあるのだろう。
「……なんてこった……美味いぞ、これ……」
気が付けば、俺は目の前の皿に盛られた肉団子全てを平らげていた。
唯依タンは俺の食べっぷりに当てられたのか呆然とし、対してステラはとても嬉しそうに微笑んでいた。
「す、すまん……全部喰っちまったな」
「いいのよ。……料理した側にとってはね、そうやって美味しそうに食べてもらえるのが一番の報酬なの……」
「そ、そうか……」
なんというか、そうやってニコニコと嬉しそうな表情で見詰められていると、非常にむず痒い。
つい、エプロン姿のままお姫様抱っこで『お持ち帰り』したくなってしまうというものだ。
「…………」
何となく、俺はステラから視線を逸らす事が出来ず、見詰め合っていた。
長いまつげ。整った鼻梁。艶のある唇。手に取ると零れ落ちそうなサラサラのブロンド・ヘア。
実はこのステラ、良く見ると―――いや、パッと見でも超を付けても良いくらいの美女だ。
―――いかん……目を離せねえ……。
「あ、あれだよな、ステラって、案外家庭的な所があったんだな。うん、実にポイント高いと思う。
そのぱいおつとあわせて、これからもますます精進してくれ」
「そ、そうかしら?……ありがとう」
突然訪れた甘い雰囲気に俺はおバカな事を口走り、ステラもまたテンパり気味なのか素直にお礼など言っていた。
『アハハハハ……』
「―――ステラッ!!」
お見合いしながら乾いた笑いを浮かべる俺たちに被せられる鋭い声。
むろん、誰あろう唯依タンだ。
その目が、その口が、その眉が、そして何よりもその纏うオーラが、唯依タンのはち切れんばかりの『嫉妬』を如実に表していた。
「食材はまだ残っているの?」
「……え、ええ。まだ、結構残っていた筈だけど……」
「……そう。なら、少し借りるわね。……待ってて、武」
言うが早いか肩を怒らせ、大股で厨房へと向かって行った。
「……ゆ、ユイも随分女の子らしくなったのね……」
「……ああ。それに、積極的になったよ……」
「折角だから、私ももう一品作ってみるわ。……ユイに対抗して。
……いい子で待っててね、タケル」
そう言うとステラは立ち上がり、俺にウインクをして軽い足取りで厨房へと向かっていった―――
―――そして時は舞い戻る―――
―2001年11月19日 20:00―
『さあ、どっち!?』
どっちもなにもあるか、というのが本音。
両方とも楽勝で完食出来るし、例え出来ずとも二人の心尽くしを残すなんて、漢として失格だ。
―――やっぱり、どっちが先か、どっちが美味しいかってことなんだろうな……。
女って奴は、時々こうやって男に無駄に心臓に悪い選択を迫ってくる。どっちを選んでも根が残るのは分かりそうなものだが。
まあ、理屈だけでは割り切れないのが女心というやつなのか。
俺は、意を決して肉じゃがに箸を付けた。
……特に理由は無い。強いて言うなら単に右側にあって箸を伸ばしやすかっただけ。
「……むう……これは……!」
ホコホコのじゃが芋、味の染みた人参、そして合成とは思えないほどの肉。
汁には、溶けた玉葱の甘みが浸透し、旨みに深さが出ている。何よりこの汁、だし汁をベースにしておりおまけに醤油に濃口を使っている。
ああ、これはご飯が欲しい。この汁だけでも一杯食える。
俺は結局、一度も箸を止めることなく完食していた。
唯依タンは嬉しさと、安堵と、満足の入り混じった表情で微笑を浮かべていた。
続いて、グラタンに箸を伸ばした。
「……なんと……!」
拍子に切られたじゃが芋、人参は全て長さと太さが揃っておりとても丁寧な仕事。ホワイトソースは甘さの中に凝縮された旨みを感じる。
アンチョビの微かな苦味。玉葱の甘さ。
こいつも、ご飯が欲しい。皿に残ったホワイトソースの中にそいつをぶち込んで掻きこんでやれば、最高だろう。
やはり、一度も止まることなく完食した。
ステラは、先程のものに勝るとも劣らない満足げな表情だ。
「ごちそうさまでした」
俺は手を合わせ、深々とお辞儀した。
ステラと唯依タンはつられたように『おそまつさまでした』なんて言いながら俺に合わせてお辞儀してきた。
三人で頭を下げるこの姿は、他人から見ればさぞ滑稽だっただろう。
「―――さてと。……腹も膨れたし、部屋に戻って風呂入って寝ようかな……」
さりげなく立ち上がり、早足で、それでいて細心の注意を払って撤収した―――いや、するつもり、だった。
いつの間にかがっちりとホールドされている俺の両腕。右腕には唯依タン、左腕にはステラ。
「……離してくれないか?」
「答えをまだ聞いてない……」
「そうね。どちらが美味しかったのか、ちゃんと判定してもらわないとね」
だから、答えられるわけ無いだろうって話なんだが。
「……どっちも最高。……故に、減点なしの引き分け。
それじゃ駄目ですか……?」
『…………』
意味がわからない。何故今、このタイミングで二人して『ニタリ』という蛙を前にしたマムシのような邪悪な笑みを浮かべ合うのか。
「……ねえステラ……優柔不断の甲斐性無しには『罰』を与えるべきだと思う……」
「あら、私も一緒で良いの……?」
「ええ。……料理の好きな人に、悪い人はいないと思うから……」
「ありがとう、ユイ……。……考えてみれば、ご馳走するのが私達だけっていうのも不公平よね……」
「うん……この際、私達も武から『ご馳走』してもらうべきだと思う……」
オーケー分かった。皆まで言うなオチは読めた。
俺に拒否権が無いことも過去の経験が物語っている。
覚悟は決めたし逃げも隠れもしない。
―――だからせめて、これだけは言わせてくれ。
「……初めてが3『ピー』って、それで良いのかステラよ……」
―――ああ、もう一つあった。
「……おくちにあうものを『ご馳走』できるかはわからんけど、流石に此処で『喰う』のはまずいとおも―――うばらっ!!」
―――これもお約束、というヤツなのか。結局最後まで台詞を言わせてもらうことは出来なかった―――