とーたる・オルタネイティヴ
第32話 ~けだものもなかずばうたれまい~
俺こと白銀 武が武御雷のみで構成された新部隊を率いるにあたり、いくつかの問題点があった。
それは、この世界において冥夜が斯衛一個中隊を預かる大尉だった、という事。加えて、その下で小隊長だった月詠『先任中尉』の存在である。
俺は、12月01日付けで中尉に昇進する身であり、先述の二人を無視する事は出来無い。
いくら秘匿部隊といえど、階級の序列は守られてしかるべきだ。
俺は、その問題を、殿下や先生といった黒幕の方々がどう解決するのか、と思っていたのだ。
まあぶっちゃけた話、殿下に対してすらタメ口で話せる俺だ。今更特殊な立場の人間を率いる事になったからといって、必要以上に畏まってしまう程殊勝な性格はしていない。
まして、二人は知らない仲ではないのだから。
とは言え、外聞というものもあるし軍においては序列が絶対の存在。
それを熟知している筈の黒幕連中がこの件についてどのように折り合いをつけるのか、俺は興味と皮肉の視線をもって眺めていたのだ―――。
―2001年11月18日 09:00―
そして今、俺は国連横浜基地の正門の前に立って新たなる部下の到着を待っていた。
告げられていた到着予定時刻の30秒前、微かなエンジン音が聞こえてきた。そして、それにやや遅れて坂の下から黒塗りの高級車が姿を現した。
俺の前に車が停車したのが予定時刻ジャスト―09:00―の事だった。
50mだか60mだかのリムジンで運転手は鷹嘴さん……というようなこともなく、極普通の高級車だったという事実に俺はひそかに安堵した。
まず、助手席から真っ先に降り立ったのが月詠中尉。ぐるりと回りこんで右側後部座席のドアを開き、一礼した。
そこから降りてきたのは無論のこと冥夜だ。月詠中尉と並ぶと、青と赤の斯衛服がなんとも眩く見える。
「―――ようこそお出で下さいました。貴女方のご来訪を心より歓迎いたします、冥夜様」
俺の前に立った二人に対して俺は敬礼し、そう言った。
「これより我らはタケルの部下だ。……頼む、そのような口調は止めてくれ」
「ははは、演出ってヤツさ。―――ほら、そこで遠巻きにマスコミ連中がカメラ回してるからな。
まあ、声までは拾えないだろうけど一応ね」
俺はそう言って冥夜に笑いかける。その返事に対し、冥夜は苦笑を浮かべた。
「相変わらずだな、そなたは……」
「月詠中尉も、お久しぶりですね―――っていうか、そんな怖い顔で睨まないで下さいよ。
俺、今日はまだ何もしてないですよ?」
「……ふん、主に近づく不逞の輩に注意を払うのは、傍仕えとして当然の事だ」
「……わかった。要は、俺が冥夜と殿下とあんまり仲良くしてるもんだから嫉妬してるんですね?」
「―――っ!な、なな何をバカな事を!」
慌てた様子で否定する月詠中尉。だが、どもりながら言ってみた所であまり意味は無い。
「……月詠……。タケルは、これより我らの上官となるのだ。あまり無礼な口を聞くでない」
「……失礼ですが、12月01日まで我らの立場は変わりません。故に、私と冥夜様は未だこの男の上官となります。
……今無礼を働いているのは、臨時少尉の身でありながら大尉に対してぞんざいな口調で話すこの男の方です」
「……このツンツン中尉め……たまにはデレてみろってんだ……」
俺はそっぽを向いて、わざと聞こえるような大きさの声で呟いてやった。
「聞こえたぞっ!貴様、よほど死にたいらしいな!」
月詠中尉が顔を紅潮させて腰に手を伸ばした―――が、すんでのところでマスコミが見守るこの状況を思い出したらしい。
腰の物を掴んだまま必死で堪えている。
俺はそんな月詠中尉に、ニヤリと邪悪な顔で笑いかけた。そして、冥夜の方に向き直った。
「……うわ~ん、めいやぁ~おばちゃんがこわいよぉ~~」
冥夜のぱいおつ目掛けて飛び込んだ。
―――くっ、この弾力、大きさ、そしてこの香り……相変わらすイイモノ持ってるぜ……!
ちなみに、台詞が思い切り棒読みだったのはわざとだ。
マスコミ連中から見ればこの状況、俺と殿下の妹君が抱擁を交わしているようにしか見えまい。
会話を聞き取れる筈もなく、きっとこちらが恥ずかしくなるような美談をでっち上げて報道してくれるに違いなかった。
「誰がおばちゃんだっ!! 私はまだ二十―――ではなくっ!冥夜様、この男は危険です!
すぐにお離れ下さい!」
「タケル、案ずるな……私が居る限り、そなたには決して手出しさせぬゆえ……」
「うん、ありがとうめいや……」
俺は月詠中尉に見せ付けるようにして冥夜のぱいおつを頭で『グリグリ』した。
月詠中尉の顔は、既に赤を通り越して蒼くなっている。流石に、血管が切れてしまわないか心配になってくる。
「―――アンタ達、いつまでトリオ漫才やってるつもりなのよ……」
いつの間にか、夕呼先生が姿を現していた。俺としたことが、柔らかい至福の感触に夢中になり過ぎて接近に全く気付かなかった。
月詠中尉は流石に腰の物から手を離して、冥夜は俺に抱きつかれたまま先生に対して敬礼した。
それに対して、先生は面倒くさげな表情でおざなりな敬礼を返した。
「先生、『マスコミウザイから出迎えは任せる』って言ってませんでした?」
「……考え直したのよ。適当にいい顔して印象を良くしておけば情報を操作する手間も省けるでしょ?」
「さっすが、先生。腹黒さでは敵う者なしって感じですね!」
「うるさい。……アタシは適当に連中の相手してくるから、アンタ達は先に執務室に行ってなさい」
「了解。―――さて冥夜、こわいおばちゃんは放っておいて執務室行こうぜ」
「そ、それは良いのだが……そろそろ離れてくれぬと、身動きが……」
―――そう言えば、俺は未だ冥夜に抱きついたままだったのだ。あまりにも皆がスルーするのですっかり忘れていた。
いい加減月詠中尉弄りも限界が近い。これ以上刺激すると廊下で後ろからバッサリ、何て事にもなりかねないから許してあげるとしよう―――
―2001年11月18日 11:00―
つまる所、先の新潟事件において殿下を命の危機に晒した中隊長・御剣 冥夜大尉と副隊長・月詠 真那中尉は責任を痛感し、殿下に対して辞表を提出。
だが、それまでの功績とその技能を惜しんだ殿下は両名に責任が無いことを表明した。だが、事実は事実として何らかの厳罰は必要だと訴える一部の強硬派の存在があった。
無論それとは真逆の穏健派もおり、彼らは慈悲を請うた。
折衷案として殿下は両名の降格、及び斯衛からの追放―国連横浜基地への派遣―を命じた。
歴とした殿下の妹君である冥夜、また武家の中でもそれなりに高い地位にある月詠家令嬢たる月詠中尉、殿下の信頼も篤いこの二人を斯衛からの追放。
この厳しい処分に、流石の強硬派も後ろめたい表情だったという。彼らは、精々月詠家のお側役からの追放程度の結果が得られれば満足だったらしい。
要はそのお役目に自家が、という目的だったのだろう。結局代わりの中隊長は斯衛軍第16大隊の『青』が勤めることとなり、強硬派の思惑は完全に外された。
対して、厳罰に対する両名の潔い態度もあり、冥夜と月詠中尉の二人は結果的にますますその株を上げたそうな―――。
「……そのシナリオを、殿下が一人で考え出したってのか……?」
「……遺憾だが、その通りだ……。姉上から『申し訳ないが辞表を提出してくれ』と言われたときには肝が冷えたぞ……。それに、言ったとおりの展開になったときもな……」
「ま、まあそうだろうなぁ……」
コワイ。何が怖いって殿下のその『黒さ』が怖い。俺の知っていたかつての殿下はそんな娘じゃなかった筈。
まさかこれが、姉妹共に育ち憂いの無くなった殿下の真の力だというのか。
「以前からしたたかな所のあるお人であったが、近頃ますます磨きが掛かったように思えるのだ……」
「もしかして、お前に記憶が戻った、10月22日くらいからじゃないのか?それって……」
「―――っ!……まさか、私と同じく何らかの記憶が……!?」
「それは無いだろう。もしそうなら殿下は初対面で俺にそういった筈だ。
むしろ―――」
初の謁見時の事を思い出した。あのとき、俺はかみさま―――。
「た、タケルっ!それ以上考えるでない!せかいのほうそくが乱れ始めたぞ!!」
―――わたくしのすじょうをさぐろうというのですか?……おろかな『しもべ』にはしんばつがくだるとしりなさい……!
―――CPよりフェチ01、繰り返す、CPよりフェチ01! 後催眠暗示を使う。秘匿回線Bを開けっ!!
「―――はっ!?……い、今俺は何を考えて……?」
「……考えてはならぬ、タケル。……私は思い知ったぞ、『世の中には決して触れてはならぬ領域がある』という事を……」
「そ、そうだよな!はははははは! 頼もしい味方が出来たと思えばどうって事ないよな!」
「そうだとも!……は、はははははは……」
―――俺の部屋に響き渡るノックの音。俺と冥夜は恥も外聞もなくドアに向かって武器を構え、そして慌ててそれをしまいこんだ。
執務室で先生に軽い伝達事項を受けた後三人は俺の部屋へと向かい、話し込んでいた。そして途中月詠中尉が茶を入れるために中座していたことを思い出したのだ。
全く、今俺は何に対してそんなに警戒したのだろうか。……不思議だ。
「失礼致します……」
それぞれの前に茶を置いてゆく。なんだかんだと敵意を抱きつつも、ちゃんと俺にも茶菓子とセットで湯飲みをくれる。
やっぱり月詠中尉は良い人だった。俺は極上の玉露を口に運んだ。
「―――言い忘れていたが、貴様の湯飲みには毒が垂らしてある。―――猛毒のトリカブトがな……」
「ぶふぅ~~~~~っ!!」
月詠中尉に向かい、盛大に吐き出す俺。
手にしたお盆で華麗に防御する月詠中尉。
「やれやれ……冗談も通じぬとは、白銀隊長殿は狭量なお方だ……。
これでは、先が思いやられてしまうというものです」
ニヤリと笑って、そんなことを言ってくれた。
―――真那ちゃんよ、これで勝ったなどと思わぬことだ……。
「……月詠中尉、お疲れ様でした。……座布団をどうぞ」
「ほう、気が利くな。……ようやく悔い改める気になったか?」
部屋の中に置かれた三人がけのテーブル。月詠中尉は、残った椅子に俺から受け取った座布団を敷き、冥夜に断って座ろうとする。
『ぶぅう~~~~~~~~』
腰掛けた月詠中尉のお尻の辺りから響く何とも間の抜けた音。言わずと知れたかつて俺のいた世界で一世を風靡した『ぶーぶークッション』だ。
だが、むろん彼女達はそんなこと知らない。
「つ、つくよみ……はらのちょうしがわるかったのか……?それならそうとはやくいってくれればよいものを……」
『そうすればタケルの前で恥を掻かずともすんだのに』と沈痛な表情で呟く冥夜。
「め、めいやさま! ちがいます、ちがうんですっ!!」
「―――クッ……ククククククク……」
必死の形相で弁解する月詠中尉に、俺は必死で笑いを堪えていた。
だが、どんなに頑張っても口を抑えた手の隙間から声が漏れてしまう。
「なにをわらっているっ!―――はっ!?まさか!」
月詠中尉が敷いていたクッションを取り出し、二三回手で押さえた。
それに合わせて
『ぶう~、ぶう~』
と、クッションは愛らしい音を奏でてくれた。
そこで、俺は我慢の臨界点を突破した。
「ギャハハハハハハハハハッ! さ、最高でしたよ、中尉! 『め、めいやさま! ちがいます、ちがうんですっ!!』って!」
声色まで真似して先程の台詞を再現する俺。
ちなみに、腹筋が崩壊しそうで苦しい。息が出来無い。
「ふ、ふふふふふふふ……」
立ち上がり、俯いた月詠中尉の手から『ぶーぶークッション』がポトリと落ちた。
「……あれ?」
なんだか、部屋の空気が重苦しい。それに、なんだかイヤなオーラを感じる。
「死ね」
ヒュンと風を切り裂く音。俺の前髪がハラハラと数本舞い落ちた。
月詠中尉の手にはキラリと光る真剣。
「あ、あの……まなちゃん?……いま、おれがうしろにさがってなかったら、りあるでしんでましたよ?」
「お許しください、冥夜様。……この下郎を切り捨てた後、すぐさま私も割腹して果てますから……」
じりじりと間合いを詰めてくる。俺は、部屋の片隅に何故か転がっていた『おなべのふた』を取り上げ、それを構えてじわじわと後退する。
「に、逃げてくれ……タケル……。こんな月詠を見るのは初めてだ……」
冥夜の声が恐怖に震えていた。出来ることなら、俺だって逃げ出したい。
「かくごぉ~~~っ!!」
『キィーーーン』
甲高い音を立て、おなべのふたが火花を散らした。
そして、その役目を終えたかのように床へと転がり落ちた。
―――更に襲い掛かる剣戟!
―――とっさに掴んだお盆で剣筋を逸らす俺!
「避けるなぁっ!!」
「避けるわぁっ!!」
迫り来る刀を俺は手にした様々なもので防いだ。角瓶、一升瓶、ビール瓶、ペンたて写真たて……。
それらの悉くがくっつければ再生しそうな切り口で真っ二つになっていった。
―――結局、呆然とした冥夜を置き去りにしたその攻防は数時間に渡り、俺が来ないことを疑問に思った唯依タンが俺の部屋に迎えに来るまで続けられた。
後刻、俺は額に走る微かな赤い筋を発見し、恐怖に打ち震えることとなったのは秘密だ―――