とーたる・オルタネイティヴ
第27話 ~ぎゃくしゅうのたける~(ちゃばんへん)
―2001年11月13日 18:15―
唯依タンが呆然としている。彼女の視線の先には、廊下上に仰向けに倒れた俺がいた。
俺の腹部を染め尽くす真っ赤な液体は、今も尚溢れ続けていた。
唯依タンの手には彼女愛用の『竹光』が握られている。
―――その刃には、真っ赤な液体がべっとりと付着しており、彼女の手から肘までを赤く染めていた。
いや、手だけではなくその液体は彼女の軍服にまで飛び散っていた。
この光景を見てそれが『模造刀』である等と、誰が信じるであろうか。
「―――い……、いやあぁぁぁぁっ!!」
祷子さんの悲鳴が響き渡った。
「た、篁……お前、何て事を……」
宗像中尉の押し殺した声。
「……え?……だって……これは、ただの竹光で……」
「竹光でこんな真似が出来るものか!」
唯依タンがふらふらと定まらない足取りで俺に近付いて来た。
服が赤く染まる事を気にした様子も無く、倒れた俺の元にペタンと座り込む。
「武……わ、私は……なんてことを……」
今の俺は、唯依タンの顔に焦点を合わせることは出来なかった。
だから、赤く汚れていない方の手をゆっくりと上げ、彼女の頬を撫でてやった。
「武……何故……どうしてこんな事に……!!」
―――全くだ。何故、どうしてこんな事になったのか。
話は、10時間ほど前に遡る―――
―2001年11月13日 08:00―
「これまで虐げられてきた全確率時空の俺よ!……数多の苦難を乗り越え、遂に立ち上がるべきときがやってきたのだ!
毎度毎度事あるごとにこの俺様をどつきまくる憎き仏敵、篁 唯依に我が怒りの深さを思い知らせてやろうぞっ!!」
『…………』
「……なあ祷子……こいつ、うっとおしいぞ……」
「もう、美冴さんったら……心にも無いことを言うんだから……」
ここは祷子さんの部屋。一昨日が『予期せぬ』実戦となってしまったため、今日は夕呼先生の計らいで臨時の休日となったのだ。
207Bの訓練生達は普通に訓練があったために、こうして朝から祷子さんの部屋にお邪魔している次第であった。
「よしよし……武くん、落ち着いて……」
祷子さんにふわりと抱きしめられ、頭を撫でられる。
―――ああ……いかりがしょうかしてゆく……
「……って! 昇華しちゃったら駄目なんだってば!」
危ない所だった。ここで怒りを収めてしまってはいつもと変わらない。
今回は、断固たる決意で唯依タンを懲らしめてやらないといけないのだ。
「ふむ。昨日帝都城でよほど酷い目に遭ったみたいだな……」
―――いや、どちらかと言うと『良い目』だったんですけどね……。
むしろ、ここ最近唯依タンには色んな意味でやられっぱなしだから立場の逆転を図りたい、というか……。
「つまり、武くんは唯依ちゃんを『ぎゃふん』と言わせてあげたいのね……?」
「……まあ、端的に言えばそういうことです」
ここで重要なのはあくまでも『ぎゃふんと言わせる事』なのだ。いくら復讐とは言え、身体的に傷を負わせる等論外で、精神的に傷が残ってしまうような物ももってのほか。
この微妙なニュアンスが伝わらないと、場合によっては洒落にならない事にもなりかねないので注意が必要だ。
「それは分かったが……何故ここでそんな話をするんだ?やりたいのならば一人でやればいいだろう」
「そんなの、共犯者が欲しいからに決まってるじゃないですか。……皆で作戦タイムとしゃれ込みましょうよ」
「断る」
宗像中尉はそっぽを向いて吐き捨てた。余りにもつれない態度に泣きそうになってしまう。
だが、この程度で引き下がる人間に『かみのしもべ』など勤まりはしないのだ。
「其処を何とか」
「他を当たれ」
「…………」
「…………」
まさか、宗像中尉がここまで強情だとは思わなかった。……まさか、先日祷子さんと三人でいたしてしまった時の事を根に持っている、とか?
「次のときは優しくしてあげますから」
「…………」
宗像中尉が少し赤くなった。思い出して照れてしまうなんて案外可愛い人である。
まあ多分、これまで作ってきた性格の手前、素直になれないだけだと思うのでここは引いて見る手だと思うのだ。
「じゃあ祷子さん、もう宗像中尉は放っておいて二人で話し合いましょうか。
―――俺の部屋で、『二人っきりで』ね」
「もう……、変な事したら駄目よ?まだ明るいんだから」
「もちろんですとも!」
俺は、祷子さんの肩を抱いて意気揚々と扉に向かった。
正直な所、本当に二人では少々寂しいので、宗像中尉が駄目なら柏木か茜あたりを引き込むつもりだったのだ。
柏木にしろ茜にしろ、こういうイベントには乗ってきそうだ。
「―――待て!」
「……なんですか?」
「お前と祷子を二人きりにするのは危険だ。……不本意だが私も付き合う」
なんて分かりやすい、お決まりの台詞だ。俺と祷子さんは、思わず顔を見合わせた。
『ツンデレ……』
「ち、ちがうっ! 私は純粋に祷子のことが心配でだな―――!」
「まあまあ、あなたの言いたい事はよ~くわかりましたから、落ち着いてくださいよ」
「わ、分かっていないっ、誤解しているぞ、白銀!!」
「美冴さん、可愛いですよ……?」
―――必要な人員は確保して、あとは最善の策を導き出すのみ。
策がはまった後の、唯依タンの『ぎゃふん』な表情を思い浮かべるだけでついつい顔がにやけてしまう。
待ってろよ……唯依タン……!
「……なあ祷子……時々思うんだが、実はこいつって凄いアホの子なんじゃないか……?」
「もう、駄目よ美冴さん。……こういう所が可愛いんだから……」
「……お前も、大物だよ……」
―2001年11月13日 10:00―
宗像中尉がメンバーに加わる事を快諾してくれたためにあえて場所を移動する必要も無く、俺たちは相変わらず祷子さんの部屋で顔を突き合わせていた。
「―――と、まあ作戦についてはこんな感じで良いと思うんですけど」
「……その場合、どうやって篁をそのような状況に持って行くか、という事だろう」
「……俺が、別の女の子と仲良くしている所を見せ付ける、とか……?」
「私達ヴァルキリーズは先日の『会議』で身内みたいに思われているから、効果は薄いと思うわよ……?」
言われて見ればその通りなのだ。唯依タンは最近複数プレイに抵抗がなくなりつつあるような気がするが、それはその女の子達が『自分の身内』だと言う意識が強いからだろう。
仮に俺が祷子さんと仲良くしていた所で、何らかの行動に出る可能性は少ない。
もちろん、心中穏やかとは言い難いだろうが……。
「―――いや……まてよ?」
そもそも唯依タンがああいう行動に出るのはどんな時だ?これまでの経験を思い出せ。
―――俺が、不穏当な発言をしたとき。
―――俺が、公の場所でセクハラ行為に出たとき。
大体において、この二点に集約されるのではなかったか……?
「祷子さん、宗像中尉……策が決まりましたよ……少々お耳を拝借……」
「……ここには私達だけしか居ないだろう」
「気分ですよ気分……さあ早く」
耳を寄せてくる二人。……普通ならばここで息を吹きかけてやるところだが……俺はそんなお約束で満足する男では無い。
ターゲットは二つ。ここはあえて宗像中尉に期待したい。
俺は、ゆっくりと宗像中尉の耳に顔を寄せ―――
「―――はむっ」
―――むしゃぶりついた。
「んあぁぁっ!」
「―――れろっ……」
効果は絶大だった。日頃は中々聞く事の出来無い艶っぽい声。
ついついそのまま舌を伸ばして責めてしまう。
「くぅんっ!……そ、そこは……だめ……い、いい加減に―――しろぉっ!!」
「―――ぐぼぁっ!」
世界だって狙えてしまいそうな鮮やかな右が俺の顎に直撃した。
「お、お前と言う男は……ほ、本当に懲りないなぁっ!?」
「ちょ、ちょっと耳を甘噛みしただけなのに……さては、そこが弱いんですね……?」
「―――コロス……!」
宗像中尉が飛び掛ってくる。
何が怖いってその形相だ。『悪鬼羅刹』という言葉がこれほど似合うヒトはそうそういないと思う。
「み、美冴さん落ち着いて!―――武くん、駄目でしょう?
……見かけによらず、美冴さんは初心なんだから……」
間一髪で祷子さんが宗像中尉を取り押さえる事に成功した。
正直、あとコンマ数秒遅れていたら俺はザクロのようになっていただろう。
―――なぜだか最近、俺の周りの女の子達は暴力的に過ぎるような気がする。
俺の他愛の無い悪戯が受け入れられないとは、嘆かわしい世の中になったものである―――
―2001年11月13日 18:00―
ここは、PXから唯依タンの部屋へと向かう途上にある廊下だ。訓練後彼女達がPXに向かう事は知っていたため、そこから居住スペースへと繋がる此処に罠を仕掛ける事にしたのだ。
「α-2よりα-1……対象がA地点を通過したわ。……C地点への到達は1分後」
「α-1了解。……α-3、準備は良いな?」
「α-3よりα-1。……好きにしてくれ」
A地点とC地点の中間、B地点にいた俺はこちらへと向かってくる唯依タンの姿を確認しゆっくりとC地点に向かった。
L字型の廊下で、先端をA、曲り角をB、末端をC地点としてもらえば分かりやすいだろうと思う。
C地点から唯依タンの自室まではほんの数十mというところだ。
俺がC地点にいるα-3こと宗像中尉に要求したのは一点のみ。
それは、B地点を通過した唯依タンから見える位置で俺に『偶然』会ってしまう事。
宗像中尉には、俺が何を言ってもその場から動かない事、という指示以外には他に何の説明もしていない。
ちなみに通信機は、以前ヴァレリオ達が使っていたものを借りてきた。
「……よし、『痴情のもつれ』作戦を開始する……!」
『なに、それ……?』
うるさいな、いいだろう別に。『ネーミングセンスのかけらもねえ』とか言うんじゃねえよ……。
「―――あれ宗像中尉、ちょうど良かった」
「……何か用か、白銀……」
どうでも良いけど、演技が硬いですよ……宗像中尉。
さて、唯依タンは偶然出会い、話し込んでいる俺たちに気付いただろう。
「実はね、うちの整備兵のヴィンなんとかっていう軍曹から『いいもの』を貰ったんでヴァルキリーズの皆にお裾分けしてた所なんですよ」
「ほう、それはわざわざすまないな……」
唯依タンは俺たちに声を掛けるべく向かって来ているだろう。
「是非、開けて見てください」
「ああ。―――なんだ、これは……?」
こちらからは見る事が出来無いが、背後の唯依タンの気配が中身を見て明らかに『変わった』のを感じた。
微かに聞こえる唯依タンの足音が若干高くなった。
今の所予想通り。
「知りませんか?……『ブルマ』て言うんですよ?」
「……これを、私達にどうしろと……?」
実の所、これは演技でも何でもない。ヴァレリオから入手した事も本当だし、一石二鳥で丁度良いから利用させてもらう事にしたのだ。
―――さあ、唯依タンはもう俺の後方数mだ。
ふふ……いつものように『来てみる』が良いっ!
「いやぁ、次の基礎訓練のとき皆さんに着て貰おうかな、と思いまして―――あべしっ!」
後ろからどつかれる俺。……このうらみ、もうすぐで晴らしてやる事ができるのだ……!
「……お前の頭には、そんな事しか無いのか……!?」
「よ、よう唯依タン。……実は、唯依タンの分もあるんだ。今度、剣の訓練するときにでも着て見てくれないか?」
相変わらず、キレのある鋭い殺気を纏っているな……唯依タンは。
正直、無かった事にして逃げ出したい。
「それで……例の『なんとか団』に盗撮させて、資金集めにでもするというのだろう……?」
「……それは誤解だ。これは、俺独りで楽しませてもらう」
「……言いたいことはそれで終わりか……?」
こ、こわいコワイ怖いっ……!!
けど、ここで逃げるわけにはっ!
「……もしかして、『なまあし』は見せられないとか……?」
「このっ―――ドアホォッ!!」
まるで走馬灯のように、コマ送りで俺の元へと向かってくる『竹光』。
遂に、俺の策は成功を迎えるのだ。
―――けど……いたいのは変わらないんだよなぁ……。
―――そして、唯依タン御用達の『竹光』が俺の腹部を抉った―――
―2001年11月13日 18:20―
―――というわけなのだ。無論と言うべきか、俺は懐に赤い塗料の入った袋を忍ばせていたのだ。
それを、唯依タンの刺突に合わせて破裂させてやった。
水性なので、後で洗濯すれば綺麗に落ちる優れもので、尚且つ一見しただけでは血液と変わらない。
唯依タンは、誤って俺を真剣で刺してしまったと思い込んでいる。追い付いて来た祷子さんの『悲鳴』と宗像中尉の(笑いを)押し殺した声が彼女の判断力を奪う絶好のスパイスとなっていた。
―――さあ俺よ。ここからが演技の見せ所だ……。
俺は、片手で唯依タンの頬から、頭に手を伸ばし弱々しい手つきで撫でる。
「ゆ、唯依タン……いいか……君は悪くない……悪いのは……バカばっかやって来た……俺だ……」
「た、武っ! もう喋らないで! 直ぐに軍医を連れてくるから!」
「……もう……助からん……。
―――いいか、君は死ぬな……絶対に生き延びてくれ……!!」
全身から力を抜き、目を閉じる。支えを失った手が落下し、赤い水溜りの上に落ちて飛沫を上げた。
「い、いやっ……たける、武っ!……こんな、こんなことって……!
―――お願いっ、目を開けてぇっ!!」
―――ぐっ、お、おい唯依タン。俺はもう『死んでる』んだからあまり揺らすなっ……!
「な、なかなか面白かったが……流石に篁が気の毒になってきたな……」
「……そ、そうですね……美冴さん。……ね、ねぇ、唯依ちゃん?」
「か、風間少尉っ、宗像中尉!―――はやく、ぐ、軍医を!」
「……何も言わずに、武くんの鼻と口を塞いで見て?」
「そんな、遊んでいる場合じゃ―――」
「いいから」
なんて事だ。まさか二人が裏切るなんて思いもしなかった。
だが、まだまだ終わるわけには……!
……一分
……二分
……さんぷ―――って無理に決まっているだろうがっ!!
「ぶはっ!!―――な、なんて事するんだ唯依タン! 本当に死んじまうだろうがっ!」
「―――え?……た、たける?」
何となく気まずい。俺と唯依タンは無言のまま暫く見詰め合った。
いつの間にやら二人は逃亡した模様。
―――どうしよう、この状況……。
「ほ、ほら唯依タン、この絵の具、良く出来てるだろ? ぱっと見、血と見分けがつかないもんな!
―――は、はははははは……」
「……たける……」
―――くっ、今度はどんなお仕置きが待ってると言うのだ!
「た、たける……よかった……わた、わたし……ほんとうに……さしちゃったとおもっ……おもって……!」
意に反してどのような攻撃も襲っては来ない。
―――それどころか唯依タンの目には見る見るうちに大粒の涙が―――
床に座り込んでいる格好の俺の胸に、唯依タンが縋り付いて来た。
泣きじゃくりながら俺の胸を叩いてくる。
―――俺は反省していた。この状況は明らかに『ぎゃふん』の範疇を越えていたから。
たとえどんな理由があろうと、たとえ自分の事であろうと、『ヒトの生き死に』をネタにして悪戯を仕掛ける等やるべきではなかったのだ。
「ごめんな……唯依タン……」
俺は唯依タンの顎を持ち上げ、口付けを交わした―――。
―――余談ではあるが、この日俺と唯依タンはとても、とても盛り上った。
四十八手の半分くらいは制覇したんじゃないか、と思えるほどのフィーバー状態。
もちろん用意してあった『ブルマ』も有効活用させていただいた。
……二度と使い物になりそうでは無かったが―――