とーたる・オルタネイティヴ
第23話 ~あいふかきまおう、けだものとそうぐうす~
―2001年11月10日 12:00―
『馬鹿と煙は高い所が好き』とはよく聞くが、一人になりたいと思う時、つい屋上に足を向けてしまう自分はやはり馬鹿なのだろう。
だが、俺はそれで良いのだと思う。なまじ『利口』な奴が、自分の所属する部隊の女性隊員全てを守ろう等と考え付く筈も無いのだから―――。
この日、世界はやや黄色く濁っていた。異常気象―――という訳ではなく、これはただ単に俺が寝不足だというだけの事……らしい。
正直、今朝クリスカとイーニァの部屋を出てから俺が何処で何をしていたのか、全く思い出せなかった。
彼女達四人に『天にも昇るかのようなお仕置き』を受けていた所までは覚えているのだが。
其処から先の記憶は真っ白。
気が付いたと思ったら其処は医務室で、腕には点滴らしき物が突き刺さっていたのだ。
無論のこと、点滴を受けなければならないような病気の自覚症状など心当たりが無かった為、即座に引き抜いてヴァルキリーズの訓練へと向かった。
そしてどういう訳か、俺の顔を一目見るなり伊隅大尉を初めとする隊員の方々は、俺に臨時休養を言い渡してシミュレータールームから追い出したのだ。
そして今、俺はこうして屋上でコーヒーの満たされた紙コップを片手に懐かしい我が町を眺めていた。
部屋で休むようにとの伊隅大尉の言付だったが、生憎と一向に眠くは無いためにこうしてぼんやりと物思いに耽る事くらいしかすることは無かった。
こんなに元気な俺を病人扱いとは大尉も酷い人である。
俺は、コーヒーを啜りながらいよいよ明日に迫った『新潟防衛戦』について思いを馳せていた。
考えてみれば、何度も経験している筈の11月11日だが、こうして出撃にまで至る事は初めてだった。
明日BETAの侵攻が確認されるのが06:20の事。そして、奴等が上陸するのが06:27。
敵は旅団規模の侵攻であるから多く見積もっても一万を越える事は無いだろう。
迎撃に当たるのは、本来あの一帯を守っていた帝国本土防衛軍第12師団で、それに第14師団も加わる。更に、俺達ヴァルキリーズも防衛戦の一つを受け持つ。
今回の出撃は名目上『実弾演習』であるため、政威大将軍である煌武院 悠陽殿下が視察に訪れる予定になっており、更にその護衛役として帝国斯衛軍一個連隊が同行する事になっていた。
BETAの上陸予想地点にこれらの戦力が予め布陣しているのだ。負ける気遣いは必要なく、あえて不安材料を挙げれば味方の士気という点のみ。とは言え、全てが俺の思惑通りに運んだ訳ではない。
残念ながら、沙霧 尚哉大尉の所属する第一師団は参加しないらしい。
―――まあ、そう都合良く事は運ばないよな……。
だが、殿下が来るというだけで俺的には大満足の結果だった。この一連の作戦において、最も優先度の高い任務は『殿下の覚えをめでたくする』という事だったのだから。
敵襲が早朝という事もあり、戦闘前に知己を得る事は難しいだろうが、戦闘終了後に戦果著しい一部隊の衛士に拝謁の機会を与えて下さる可能性は大きい。
ただでさえ花形と言われる突撃前衛で、しかも俺のポジションはワントップなのだ。
これで活躍出来なかったとしたらそれは、俺が戦闘開始早々に不覚を取った、という場合のみ。
俺は手に持っていた空の紙コップを握りつぶし、数m先の屑篭目掛けて放り投げた。
綺麗な放物線を描いて籠に吸い込まれる紙コップを目で追いかけながら俺は再び黙考した。
―――実は今回、殿下の件とは別にもう一つ期待していることがある。
それは、今回のループで国連軍に志願していないらしい冥夜が、姉である煌武院 悠陽の元にいるのではないか、という事。
……これまでの世界では忌み子として御剣家に養子に出された彼女であるが、今回此処にいないのはあるいはそういうことではないのかと淡い期待を抱いてしまったのだ。
以前、ピアティフ中尉に調査を依頼した事がある。……無論夕呼先生には内密に。
その調査報告によれば国内、国外を問わずあらゆる国連軍施設に『御剣』の姓を持つものはいないとの事。
いや、国連軍にその名が確認されなかったのは『御剣』だけではない。
榊、珠瀬、彩峰、鎧衣―――この四つの姓、そのいずれも国連軍にその名を発見できなかったのだ。
これが意味する事は、容姿が殿下と生き写しである冥夜を、事実を隠して他所に出すよりは継承権が無いことを明言した上で斯衛軍に配属させる、あるいは側近として教育を受けさせる。
そちらの方にこそ、より利があると判断する人間がいた―――という事ではないのか。
仮に、『前の世界』ではそれが許されなかったのだとしても『この世界』ではそれが可能な情勢下にあったとしても不思議ではない。
他の四人にしても、軍以外の場所に居場所を得たという事は多いに有り得る。
あいつの言葉ではないが、俺と冥夜は『絶対運命』とやらで結ばれているらしい。真実そうであり、且つこの世界にあいつが存在しているのならば必ず近い内に会える筈だった。
そして、今回冥夜に会うことが叶ったならばそれは、残りの4人との再会も実現可能な事を意味する。
―――もちろん、『この世界』において俺は旧207B分隊の五人とは面識が無い。故に彼女達にとって俺は全くの初対面であり、今更同じ部隊に配属される可能性など無きに等しい。
だけど、この世界でもあいつらが生きていて、そして戦場から遠いどこかで無事に生を全うできるとすれば、それはなんと素晴らしい事か。
いつだって俺はあいつらを見送る側だった。例え一面識も無い『この世界』であろうと、彼女達に見送って貰えるというのならば俺は喜んで死地に赴くだろう―――
「―――白銀さん……」
「うおっ!……って、霞か……俺に気付かれずに此処まで接近するとは、なかなかやるな……!」
「……何度も呼んだのに、全然気付いてくれませんでした……」
なんと。……またしても自分の世界に浸りすぎたらしい。呼ばれる声に振り向いてみれば僅か後方1mの所に霞が立っていた。
どうやら、少しご機嫌斜めな様子だから、フォローしておいた方が良い―――と思ったのだが、意に反して口を開いたのは霞の方が先だった。
「……白銀さんは、『御剣さん』という人に、会いたいですか……?」
……そうか、不機嫌そうに見えたのは呼び掛けに気付かなかったからではなく、此処に居ない『昔の女』を思い出していたからなのだろう。
「『読んだ』んなら分かるだろう……。俺は、あいつらに借りがある。……そしてそれは、あいつらの為に身体を張る事でしか、返せない類の物だ……」
「―――そんなの、いやです……!」
俺に抱きついてくる霞。身体が小さいために俺の腰に縋りつくような格好だった。
俺は、霞の頭に手を載せ、ゆっくりと撫で回してやった。
「……此処にいない人たちじゃなくて、今白銀さんの傍に居る女の人たちを見てください。……もしその人たちのせいで白銀さんに何かあったら私は―――」
「―――霞」
やや強い口調で霞の言葉を遮り、霞の目を見た。
どのような形であれ、霞の口から冥夜たちを罵倒するような言葉は聞きたくなかった。
俺はゆっくりと、噛んで含めるように声を出す。
「……此処にはいない人間だからどうなっても良い、なんて言い方だけはしないでくれ……」
返事は無く、代わりに俺に縋りつく力が強くなった。顔を伏せている為に表情は窺い知れないが、おそらく後悔に彩られているだろうことは分かる。
―――さて、どうしたものか……。なんか、予想外に重い雰囲気になってしまった。
考えてみれば、冥夜達がこの世界に存在する確証など何も無いのにそれが原因で俺と霞がギクシャクしてしまうなんてやりきれない。
「霞……顔を上げてくれ」
俺の声に反応して霞の身体がピクンと揺れる。そして、俺のほうへと向けられる視線。
霞の瞼が微妙に揺れていた。
―――それは期待なのか、それとも不安なのか。
―――俺は、彼女の顔に両手を伸ばし―――
―――その頬をビロ~ンと引っ張った。
「……キスされると思ったか?……思っただろ?……けど悪いな、日付が変わる頃には出撃しなきゃならないんで今日の所はお預けだ」
目を大きく開いてきょとんとしている霞。
予想の遥か斜め上をいく俺の攻撃に流石に付いて来られないらしかった。
「……白銀さん、酷いです……」
霞は俺が頬から手を離すと同時に後ろに下がり、そっぽを向いてしまった。
彼女の頬が赤いのは俺が抓んでいたせいだけでは無いだろう。
―――良く踏みとどまったな、俺……。
霞の反応が可愛すぎる。もし最初の思惑通り彼女にキスしていたら、俺は間違いなくビーストチェンジしていただろう。
ただでさえ体調が万全とは言い難いのに更に体力を消耗するような事をしたら、流石に明日の実戦がどうなるか自信が無かったのだ。
「……徹夜で『お仕置き』なんてされてなかったら、いくらでも抱いてやれたんだけどなぁ~~」
……霞の顔が更に真っ赤になる。水をかけたら蒸発するんじゃないのか、これ……?
それにしても、最近『あっち』の方で主導権を握られっぱなしだったのだが、流石に霞一人に後れを取るほどに落ちてはいなかったらしい。
霞と一対一で遣り合って、負けてしまった挙句ベッドの上で『もう終わり?』等と溜息混じりに言われてしまったら、俺は二度と立ち上がれなかっただろうから……。
「―――帰ってきたら、いの一番で会いに来るからさ……色々と勉強しとけよ……?」
『何を』勉強するのかは言わぬが華、というもの。
こいつの事だから、俺の予想を遥かに越えるウルトラCを披露してくれるだろう。
「……待ってますから、絶対に帰ってきて下さい……」
―――『待っていてくれる人がいるのなら、魂だけになっても必ず帰ってくる』なんて台詞は、思い付きはしたが口には出せなかった。
……流石に気障過ぎると思ったし、霞が泣いてしまうんじゃないかと思ったから―――
霞と話をする事によって、張り詰めていた糸が良い感じに緩んでくれたらしい。
眠くて眠くて仕方が無かった。俺はまるで夢遊病者のようにふらつきながら部屋へと続く廊下を歩いていた。
ふらふらと頼りない頭を上げ、進路の先に目をやると人影らしきものが目に映った。
あれは―――まりもちゃん。
―――なんということだ……。『なんじ、ねむりをほっするならばわがしかばねをこえてゆけ』ということなのか。
言っては悪いが、今の俺は尋常では無い。今ならば、例え幼児にだろうとガチで負ける自信があるのだから。
だが、越えねばならぬ壁であるというのならば越えて見せよう。
―――フヨン、という柔らかい感触―――
どうやらふらついていたせいで距離の目測を見誤っていたようだった。俺の顔がベストタイミングでまりもちゃんの最もクッション性の高い部位で受け止められた。
力が抜けていたせいで弾き飛ばしたり弾かれたり、という事も無く只今リアルタイムで良い感触に包まれている。
「……お、おのれ魔王め……色仕掛けとは卑怯な……!」
「ちょっと、白銀!―――そんなにふらついてどうしたの!?」
「……ま、魔王と語る口は持ちあわせておらぬ……!」
「……ぶつわよ……!?」
「い、いや……昨晩ちょっとした行き違いから『折檻』を受ける羽目になってしまいまして」
―――さ、寒気がしたぜ……。今一瞬眠気が吹っ飛んだもんな……。
「……何があったのか、分かってしまうのが何だか嫌ね……」
何故だか知らんが、今日のまりもちゃんは素で話してくれている。そんな些細な事がどうしようもなく嬉しくて、俺は彼女のぱいおつから抜け出ようとする気力を失っていた。
「まりもちゃん……あいつら……あいつらにつたえてください……。『おれはさいごまでにげなかった』と……!」
いかん、今つい『ちゃん付け』で呼んでしまったような気がする。
だがまあ、今の俺にはどうでも良いことだ。今の俺に大切なのは、このぬくもりと柔らかさに包まれたまま『ヒュプノスの園』へと旅立つ事なのだから。
「―――ちょっと、白銀、白銀ってば!」
―――遠くでまりもちゃんが俺に語りかける声が聞こえる。『教官に対してちゃん付けとは何事だ』とか『背中に回した手を離しなさい』だとか、『グリグリするなぁ~』とかだったり……。
今の俺には、そんな罵倒と悪態の声ですらが心地よい子守唄と化して聞こえるのだった―――