第十章 「理解者」
人工照明も明度が薄まり、静まり返った公園フロア。その一角において、二人の男女が向かい合っていた。
一方の男性は両手を挙げ、やれやれといった表情で女性を見つめ、一方の女性は拳銃を構えながら、不敵な表情で男性を見つめていた。
「ああ、わかりました。博士の疑問にはお答えするので、とりあえずその銃を下ろしていただけないかな、“中将”」
その呼び声を聞き、音もなく気配を現したのは、もう一人の男だった。その手に持ったブラスターをゆだんなく構え、女性に向けて利き手を向けていた。
「あら? 男女の逢い引きを覗き見るなんて、どこの出歯亀野郎かしら」
「これはこれは。閣下だけなく、博士もとうにお気づきであったようで」
「当たり前でしょ? いくらなんでも護衛一人もつけないで、司令官を身元不明の外部の人間と接触させるわけないでしょうし」
「博士ならやりかねませんな」
「そこは同意するところだね、中将」
「うっさいわね、男二人でうんうん頷きあってんじゃないわよ」
銃口を自身に向けられたというのに、夕呼は軽妙な態度を全く崩さず、物怖じせずに銃をヤンに向け続ける。
ここに緊張関係が生まれた。シェーンコップ中将が夕呼に、夕呼はヤンにそれぞれ銃口を向けている。どちらか一方が銃火を灯した瞬間、もう一方は躊躇わず放つであろう。
「しかし大胆な才女とは分かっていましたが、コーヅキ嬢も恐れを知りませんな。我らが提督を銃で脅し、手込めにしようなどとは」
「なかなか本心を明かそうとしてくださらない御方ですもの。その宝石が詰まっている頭の鍵を開けようと思っただけですわ」
「心の鍵と言わないところが実に可愛らしいですな、閣下」
「すいませんが、私は注射と歯医者は嫌いなのでね。頭に電極を刺すのだけは勘弁していただきたい」
「あら、知らない? 痛みを感じるのは頭蓋骨と脳膜までで、脳そのものは何も感じないのよ♪」
「痛い知識のプレゼントをありがとう、博士。おかげで今日は睡眠導入剤を飲んで、グッスリ眠れそうだ」
まったく。こうした一触即発の場面だというのに、いつもの皮肉や冗談の言い合いは無くならない。
あるいはこうしてペースを乱させておいて、銃を取り上げるチャンスを狙っているのかもしれないが、イゼルローン流のやりとりを感得してきたあたしには通じない。……毒されてきた証拠かもしれないけど。
さて。
「それでは囚われのヤン閣下に、その真意をお聞きさせていただきますわね」
「それはよろしいのですが、やっぱり二人とも銃は下ろさないかい? 長い話になりそうだし、見ているこっちの肩までコリそうだ」
やれやれと肩をもみほぐして、さらっと場の緊張を崩壊させる発言をする。
「中将も、実弾を込めていない女性を撃ったとあっては、フォン・シェーンコップの名が実に不名誉なモノになってしまうぞ」
…………。まったく、お手上げだ。
銃を持ったまま、バンザイの姿勢を取る。
「はぁっ……あんた、いつから気づいていたのよ?」
「ハッタリです」
おい、こら。
「これはこれは。まさか閣下が、白兵戦における秘技を扱えるとは。これは小官の評価も上方修正せざるを得ませんな」
シェーンコップも銃は持ったままだけど、腕を組んで片膝を軽く曲げて背を軽く木につけた。くくっと不敵に笑って……ったく、最初からあっちも気づいてやがったわね。
「博士がそういう暴挙に出るとは思えませんでしたからね。人間はバカなことほど本気でするものですが、それはかなり追いつめられてからのことですし」
「じゃあ、これはどういう行為だと考えているのかしら?」
「古来から戦術上の最終決戦場というのは、双方のある程度の合意――というより、もう、そこしか有り得ないという場所を取られてきました。日本風に言えば、ここが博士にとってのセキガハラという所ですか?」
「そこの中将、ちょっとあたしに寝返らない?」
「ほう、これは実に心揺さぶられる魅惑の声。ふーむ、閣下と博士の優勢具合を見てからにいたしましょうか」
そこのコバヤカワ・シェーンコップ。G弾を鼻先にぶちこまれる前に決断しなさいよ?
「まあとにかく、博士にとっては“ヤシロ君抜きであっても”、どうしても今、話をしておかねばならない内容ということでしょう」
…………。
「いつから、あの子のこと知ってたの?」
「お三方が乗ってきた艦で検査させていただいた時です」
……ああ、まさかそこまで知っていたとはねー。予想の範疇には一応入れていたけど、まさか本当に知った上で同席させてたなんて。大胆というか適当というか。
しかし自分もあんまり驚いていない。ヤン相手だと、大概のことは知られていると覚悟しているせいもあるのかも。むしろ理解が早くて助かるっていう気持ちかしら?
「彼女のことを知っているイゼルローンの者は、私とシェーンコップ中将、それと情報部局の大佐だけですよ。ユリアンやフレデリカには、何も知らせていません」
「それは機密保持のため?」
「それもありますが、彼女にはできるだけ公正に、イゼルローンそのものを学んで知ってほしかったからです」
ヤンは収まりの悪い髪をかき混ぜた。
「失礼ですが、ヤシロくんは一般的な意味での教育を受けていないようで」
「ええ。だからちょっと目を離した隙に、イゼルローンの空気に毒されちゃったみたいで。あんな清純で素直で可愛かったあの子に、なんてこと覚えさせたのよ、あんたら」
「面目のしようもありません。ウチのユリアンもいい子だったのに、ああ、どうしてあんなにヒネクレた子になってしまったのですかねぇ」
っと、いけないいけない、つい向こうの流儀に乗っかってしまった。とっとと本筋に戻らないと脱線した会話ばかりが続いてしまう。
「それで? あの子に教育という名の洗脳でもさせて、イゼルローンの味方にでもしようと思ったのかしら?」
「……人間の成長はどのような影響を外から受けようと、当人の責任で受け入れていかねばならないと思います。どんな成長も進路も、結局は当人が決めることです」
「つまりあんたは、生まれた頃――いいえ生まれる前から他人に定められた生き方、いわゆる『宿命』ってのがきらいってこと?」
「実に嫌ですね。それは人間というものを二重の意味で侮辱しています。思考を停止させ、人間の自由意志を価値の低いものとして扱っている」
珍しく――本当に初めて見たけど、ヤンは言葉をあらげた。
「信念や宿命、それは便利な言葉だ。事態や状況や世界がどれほど変わろうと、それを振りかざすだけで、もはや考える必要もなく、他者からの言葉も何も受け入れず、楽に自分の生き方を正当化でき、他人に強制できる」
「あの子自身が、そう生きることを望んでも?」
「ええ。しかしそれは他者の言葉ではなく、彼女自身の生命や思惟を込めたものでなくてはならない。自らの生を嘆くも慶ぶも、肯定するも否定するも、彼女が彼女自身で決めてからでなくてはならない。彼女以外が、彼女の生と死の在り方を定めることはしてはいけない」
……ふぅっん。
「あら、飄々とした優男だと思ってたら、ずいぶん熱くなれるんじゃない」
「あ……いえ、これは私の考えであって、結局はヤシロ君が決めることだということでして」
くすくすとした軽い笑い声と、くくっとした重い笑い声が同時に響いた。
「ま、今は社のことはいいわ。じゃあ、そろそろ本題に入りましょうかしら?」
ベンチの上で足を組み替える。
「率直に言うわ。あたしと本格的に手を組みなさい、ヤン」
「…………博士には既にご協力をお願いしたはずでは?」
「はっ! あんな各国の調和を目指すなんてお優しいモノじゃないわ、地球そのものを手に入れなさいって言っているのよ」
木に軽くもたれていた中将の目が、危険に輝き始めた。
「あんただって解っているはず。このまま進めば、イゼルローンと地球の接触の最後にある未来を」
「…………」
「地球の各国政府が互いに足を引っ張りあい、いがみ合い、それでもイゼルローンの技術や知識を我先に取り込もうとする。それは初期には確かにあるでしょうね。でも後々に待っているモノは、あんた達を地球人類の敵――『Another BETA〈もう一つの地球人類に“敵対的”な生物〉』と見なす結末よ!」
ヤンは反論も何もせず、その考察を聞き続けた。
やっぱりこいつ、その可能性を知った上で、二度の会談に望んでいたのか。
「狡兎死して走狗煮くる―――地球のBETAという脅威無き後に残るのは、自分たちよりも圧倒的な軍事力を持つイゼルローンという脅威よ。それを地球側の人間が全く恐れないと思うの?」
「反逆する力を持っている。それこそが汝の罪である、ですか」
「なまじ自分たちと“同じ”と分かっちゃうぶんね。でも未来の人類といっても、本拠地が地球にないあんた達は、どこまでいっても余所者に過ぎない。『あっち側』と『こっち側』に分けるのが得意な権力者達が、それを利用しないと思って?」
「……間違いなく煽動の材料にするでしょうね」
「そんな連中のために、なんだってわざわざ回りくどいことしなくちゃいけないっていうの? どんなにお膳立てしても、まだ足りない、もっともっとあるだろ、寄越せ寄越せって訴えるバカの群は尽きないわ」
かかっとハイヒールを地面に突き立て、颯爽と立ち上がり、手を差し出す。
「あらためて言うわ、あたしと手を組みなさい、ヤン・ウェンリー! そうすれば世界の半分をあんたのモノにしてあげる」
しんっとした空気の振動が肌に突き刺さってくる。
そうだ認めよう、イゼルローンの技術力と軍事力、それにヤン・ウェンリーという軍事の天才の超絶さを。この天才の自分が彼らと手を組めば、数年で世界は正しい復活と繁栄を目指し、BETAがはびこる宇宙へも進出できる!
「……私が政治と軍事の覇権を握り、博士は経済と技術の権益を独占する、ですか」
「悪くないと思うけど? もし望むのであれば、あんた達が元の時代と世界に戻れる研究をしてあげてもいいわ」
ヤンは腕を組んで顔をしかめた。
「まだ地球と公式に交流していない今なら、それが出来るわ。BETA大戦があんた達の世界の第三次大戦に当たるというのなら、尚のこと統一国家を樹立する! それこそが『正解である世界』へのベストな選択よ!」
熱く煽ってみても、まだ返答は無い。
――とっくに結論はでているようなものだけど、何をためらっているのよ。
ヤンだって本当は分かっているはずだ。現在のイゼルローンのプランは「抜け」が大きすぎる。あたしの行動のことごとくを予測していた慧眼は感心するが、人類全ての挙動を見て取れるわけがない。
建設的な構想力と、破壊的な策謀力を持つヤンなら分かっているはずだ。先手を打つことが何よりも肝心だと。ならば尚更、戦後のことを考えて狙っていくべきなのに。
――いったいこいつの真意ってどこにあるのよ。
心の中で舌打ちし、相手のプランの弱点を更に突く。
「権力者だけじゃない。民衆も最初はあんたたちに感謝はするでしょね。でも民衆が求めているものは、理想でも正義でもない、ただ食料と身の安全だけよ。ただ権利ばかりを訴える連中を食わせるために、何であんた達がボランティアをしなくちゃいけないのよ?」
「吾々が『ルドルフ』にならないためにです」
反論が、即座に彼の舌から飛び出た。
「ルドルフ……? ああ、あんた達の歴史の中にいた、銀河帝国の創始者のこと?」
「宇宙の略奪者というべきでしょうが、絶大なカリスマ性を備えた鋼鉄の巨人であったことは確かです」
社がミンツから聞いたという彼らの歴史。そこに自由惑星同盟を語る上で外すことの出来ない存在、銀河帝国の存在があったことを。
「博士の危惧されていることは、決して間違ってはいません。未来からの知識技術の本、そして軍事の剣を携え、滅亡の困窮にあえぐ人民を助けにいく。彼らの名君として立ち、人々を正しき方へ導く。ソリビジョンの題材としてはこの上なく名ストーリーとなるでしょう」
でも、とヤンは言った。
「しかし名君にとっての最大の課題は、名君であり続けることです。名君として出発し、暗君や暴君として終わらなかった例はごく珍しい」
彼が断固として反論するときの声。それは怒声を張り上げることは決してなく、むしろ淡々としていつもと全く変わらない口調で、静かに訴えるものだった。
「最初から統治者としての責任感も能力も欠くのなら、かえって始末はいい。しかし名君たろうとして挫折した者こそ、往々にして最悪の暴君となる。それは歴史が証明している」
「……そのルドルフってやつがそうだっていうの?」
「ルドルフが最初から独裁者を目指したわけではない、と私は思ってます。彼はただ、自らの権限の中で義務を果たす中で、ふとこう思ってしまった。自分がこれほど彼らに尽くしているというのに、“こんなもの”に正当な権力を与える政治とは何なのか、こんなものを支持する民衆とはいったいなんなのか、とね」
「…………それはあなた自身の経験かしら?」
ヤンはそれには返答をしなかった。シェーンコップも普段の皮肉げな笑みをやめ、静かに見守っている。
「逆説的なのですが、悪逆な専制者を生むのは民衆なのです。自分たちの努力で問題を解決せず、どこからか超人なり聖者なり、あるいは異世界の英雄なりが現れて、彼らの苦労を全て背負ってくれるのを待っている限り……」
ヤンはそれ以上の言葉を口にはしなかった。だからあたしから彼に問いかける。
「……わからないわね。仮にそれが善政であったとしても、あんたは専制や独裁を否定するの?」
「私は否定できます」
「なぜ?」
「専制政治の罪とは、人民が政治の――本来は自分たち自身の問題や害悪を、自分たち以外のせいにできるという点につきます。まさにそれこそが、独裁の罪なのです」
「…………」
「してもよいことと、やってはいけないことを教えてもらい、指導と命令にさえ服従してさえいれば、手の届く範囲の安定と幸福を与えてもらえる。それを満足とし、それを選択するのは個人の自由です。しかし柵の中にいる家畜は、いつの日か、支配者の恣意によって殺され、壇上の供物にされる日も来るでしょう」
「…………」
「博士のおっしゃることは、確かに人類を救済の道を歩ませるでしょう。最小限の犠牲の中で、最大の幸福を得られるかもしれない。しかしそれは結局、BETAという人類史上最大の共通課題から、何ら人類自身は学ばなかったという悪しき前例を作ってしまう」
「これがベストな選択だと分かっていても?」
「それでも、私は、ベターを選びたいんです」
……やれやれ。
「はぁっ……思った以上の頑固者だったみたいね、あんた」
「申し訳ありません」
ぺこりと謝られた。それはこちらの提案への最終拒絶の現れだった。
あーあー、いい線いっていたと思ったのに。これはこれ以上押せないわね。
「ああ、それともう一つの理由がありまして」
自身の攻勢が失敗したことが分かって引こうとしたあたしに、今度はヤンが声をかけてきた。
「博士、あなたをルドルフにしたくないからです」
気の抜けた声のような息が喉から出てきた。その発言の意味へと思考を走らせる中で、憤りの感情が相乗りしてきた。
「――随分と見下してくれたものね、ヤン? このあたしが、自分のエゴで人類の命運を好き勝手にもてあそぶとでも思ったわけ?」
「いいえ。二流の政治家がその地位につくことだけを目的とするなら、一流の政治家はその地位で何を為すかを明確にしている。博士は間違いなく、一流の政治家でしょう」
「……それじゃあ何? あたしがしている“実験”で人命を犠牲にしていくことでも非難しようっていう気?」
「博士、博士。戦場にいる以上、犠牲が皆無ということはありえませんよ。いかに“効率よく味方を殺す”かが、用兵学の存在意義なのですよ?」
人畜無害な笑顔で、さらっととんでもない発言をするわね、この男……!
「汝、殺すなかれ、奪うなかれ、騙すなかれ―――いったいどれだけ背いたことでしょう。何千万の敵という名の人間を殺し、それ以上の味方を死なせてきたことか。彼らの遺族も含めると、何百回、輪廻転成しても地獄の特等席が永久指定席で用意されていることでしょう」
「…………」
「博士はおそらく、自分で自分の生き方を選んだし、それを悔いる気持ちも躊躇の想いもないのでしょう。最初の選択を誤り、まったく自発的でもない私とはえらい違いです」
「……ふんっ」
「でも私はこうも思うのですよ。平和な世界――そう、私たちの世界であったという、半世紀に及ぶ日本の平和な時代にいたとしたなら、果たして博士は今と同じようなことを買って出たのでしょうか」
心にさざなみが寄る。波紋があたしの心に浮かび立ち、反論が陳腐なものになってしまった。
「……当たり前でしょ? そうね、帝大の研究機関のリーダーどころか国を掌握して、世界に名だたる研究者として名を馳せていること、間違いないわね」
「私としてはアナーキストなところがある博士は学会から煙たがられて、けっこう一学校の物理教師になって、『研究なんてどこでも出来るわ、賞なんてチョロイチョロイ』とうそぶいていると思うのだが、中将はそのへんどう思うかね?」
「ふむ、名物美人教諭ですか。なるほど、小さな社会の独裁者としては、これ以上ないほどお似合いなお姿でしょうな」
「うっさいわね、そこの“おっさん”共!」
今までの発言の中でもっとも彼らを傷つけたようだ。中性子爆弾を投げられた後のように、よろめいて木に手をついた。
「ああぁ……差別だ、中傷だ、暴言だ。“こっちの世界にきたのが33歳の誕生日”だったとはいえ、中将ならさておき、私までおっさんだなんて……中年だなんて……」
「なよなよ嘘泣きしてるんじゃないわよっ」
ああ、まずい、こんなので動揺している。こいつの発言って、いちいちこっちの気持ちをかき混ぜてくる。
「はぁっ……ただ、私はこうも思ったのですよ。ルドルフを銀河帝国の皇帝にしてしまったのは、彼に対等たる友がいなかったせいではないかと」
なんとか立ち直ったヤンがこちらに向き直ってきた。
「自我が肥大と変性を繰り返し、鋼鉄の巨人へと変貌していく時、それを諫め、反対できる対等の者が彼の傍にいなかった。それこそが周囲の罪だと思うのですよ」
「……あんたはあたしがそうなるっていう気?」
「変わらない人間はいませんよ。それは脳科学的にもそうです。無慈悲な時の流れの中で、いったいどうして、人間だけが永遠なるものがありえましょうか」
…………時間は何よりも優しくて、そして残酷、か。
「私はよい主君もよい臣下も持ちたいとは思わない。でも佳い友人がほしいし、誰かにとっての佳い友人でありたいと思います」
だからと、ヤンはあたしに告げた。
「私は、あなたをこれ以上、“怪物”にしたくありません」
不敗の名将の一言は、香月夕呼の核なるものを撃ち抜いてきた。
「……つまり、えーと、なに? いろいろと大層な計画を練っていたけど? とどのつまり、あんた達は? あたし達と“お友達”になりたくって? こんな宇宙の果ての果てまで? 招いたっていうこと?」
「はい」
嘘偽りも、騙しも奇襲もなく、淡々と、当たり前のよーに、ヤンは告げた。
「……くっ」
腹の底から何かがこみ上げてきた。ぷるぷると顔や頬のの筋肉が崩壊を起こしはじめ、ついで胸筋やお腹までふるえ始めた。
「くっ、くくくっ…………!」
立っているのももう限界だった。ベンチに勢いよく腰掛け、背もたれに体重を預ける。
「あっ、っあははははっっ、ははははっ!!」
蛇口が壊れたかのような、陽気な酔っぱらいの笑いが辺りにあふれた。
いくら笑ってもお腹の中にたまっていた色んなものは止まらず、あまりに面白くてありえなくて、笑いと一緒に涙腺まで崩壊した。
酔って、笑って、泣いて、叫んで、震えて。いろんな思いが言語ではなく、声と体で代弁するように、あたしは笑い続けた。
それがいったいどれだけ続いただろう。笑いきった後には10年分の垢がすべて抜け落ちたような軽い気持ちと、むくんで重くなった瞼が残った。
「あー……おっかっしぃ。あんた達、バカなの?」
二人の男はそれぞれの表現で苦笑していた。
「あんたの言ったことをやるって、地球の敗残処理をある程度は引き受けるってことよ? しかも見返りは大したものでないし」
「まあ今更ですね。昔からそういう役ばかり回されるもので」
「下手すれば地球の9割を敵に回すわよ?」
「宇宙の9割を相手に戦争しようとしていた事に比べれば、ですと。まったく、博士達が美人であることも加わって、一部幕僚連中以下が乗り気だらけですよ」
「我らを騎士症候群〈ナイト・シンドローム〉にかけるとは、さすが地球の魔女殿でしたな」
つまりそれは、地球を助けると同時に、あたしやまりも、社の身の安全を保障するということの明言だった。
――こんなに“個人”を守りたいっていうんだから、よっぽどよね。
ヤンの基本スタンスはそこにあるのだろう。
自立と自律をした個人が集まり、互いに過度の干渉をせず、互いに自尊と他尊をし、それでも共通の課題には団結し、それぞれの役割を担い解決していく―――ああ、それは。なんて尊く、素晴らしいものか。
主権国家というモノが人類歴史上に現れてしまったのに、彼はそれでも“個人”を尊重し、共和政府という実現に少しでも近づこうとしている。自分の代で成そうと焦らず、イゼルローンだけでなく地球にもその種を蒔き、千年の時を経て、その花を咲かせようとしているというのか。
――しかも言葉だけでなく、それを正に実践しているのだからねー。
その壮大といえる遠望を聞き、その一端といえるイゼルローンの空気に触れると、なるほど、まりもや社が“あれほど”感化されてしまった理由も分かる気がした。
――そしてあたしまで、感化されちゃったってわけか。
やれやれっとてっぺんの髪を軽く押さえる。
「まー、あたしは利害さえ一致していれば、あんた達がどういう主義でいようとも、どーでもいいわ。あたしはそれを利用するだけだから」
「ほぉ、とうとう閣下も勤労主義に目覚める時がきましたかな?」
「え、なになに!? やっぱ、こいつってあんまり働かないわけ?」
「それはもう。魔術師やら奇跡のヤンと呼ばれる以前のあだ名は何でしたかな、閣下?」
「…………私は自分の出来る範囲で何か仕事をやったら、後はのんびり年金で気楽に暮らしたいと思っているだけで」
「怠け根性ね」「まだ老年の佳境に入るには、些か以上に早いかと」
ああ、だめね、だめだめね。こいつ変な方向で能力あるんだから、尻けっ飛ばして働かせないと。特に、このあたしが懸命に働いているっていうのに、そんな自堕落を許すわけないでしょ!
「大丈夫よ、ヤン。あんたはあたしが知る中で、もっとも有益な駒だから♪ 地球とイゼルローンの平和のため、最上の舞台を用意してあげる♪」
「これはこれは。ついに閣下も最上級の演出家をパートナーに得ましたな。どんな名演技をするか、このシェーンコップ、最後まで見届けさせていただきましょう」
「……ああ、一つの過ちを次の過ちでは矯正できないって本当なんだなぁ」
とほほっとした苦笑いが一つ、皮肉げな笑い声が二つ、その日、イゼルローンの一フロアに響いた。
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それからの二日間は特に大きな事件という事件は起きなかった。まりもや社と合流し、イゼルローンとの技術と文化交流を更に進めていった、というだけだ。
そうそう、大きな種明かしはあった。“あたしら以外に招いた地球人”はいなかったかという事だ。
――何回も同じトリックにひっかからないっていうの。
これはあたしの方から問いかけて、ヤンはあっさりそれを認めた。
実の所、招くに当たっていくつかの候補がいたらしく、その中で最終選考を勝ち抜いたのが、香月夕呼その人だったということだ。
最終的に手を組もうと考えた選考基準は何か。それはいくつかの条件があった。
第一に、全世界的に名を知られた理系学者であること。これは当たり前。
第二に、例の暗号文を解くことができ、かつそれをイタズラであると軽々に判断せず、きちんと考察と推論をし、実際に確かめることをした者。要はイゼルローン人が地球人――同じ人間であると信じられるか否かということ。
第三に、あちらの要求――人数は三人までということを守った者。鼻で笑っちゃうけど、軍を配備して宇宙船の捕獲でもしようとしたり、替え玉を使おうとした国がけっこういたようだ。どことは言わないけど。
そして第四に――とそれを語る前に、あたしにだけ知らせた新事実があった。
あたし達が来る以前、すでに“亡命”を果たした者がいたのだ。
今挙げた第三の条件までクリアしたけど、自ら亡命を望んだと。詳しい話はしなかったが、他2名をつれて地球を捨ててイゼルローンに逃げ込んだと。
でもヤンは、相変わらずの表情と口調で告げた。
『 誰だって自分の身の安全を計るものですよ。私だってもっと責任の軽い立場にいれば、形勢有利な方に味方したかもしれない 』
動乱時代の人間というものはそういうものだと。状況判断能力や柔軟性という表現をすれば非難される言われもないと。
で、ヤン達は彼(彼女? 会わなかったから判らない)を受け入れ、今はイゼルローン市民の一員となったと。
まああたしもそこを突っ込む気はないけど、頭抱えたのは、“戦術機やら地球の研究データ諸々”まで土産に持参したことだった。ヤンが社――オルタナティヴ3の研究成果を知っていたのもそのせいである。
――こいつらが本気で地球ねらっていたらどーしたのよ。
まあ確かに、本気で地球侵攻する気でいたら、そんな回りくどいことしなくても戦艦用意すれば十分だったろうけど。
とにかく、あたしやまりもに提示されたやけに解りやすい資料は、その亡命者がリストアップしたものだということで謎は解けた。
で、先ほど挙げた中での第四の条件―――実は最終候補まで残ったアメリカなどは、その条件をクリアできなかったらしい。
第四の条件とは、招待状を受けた博士が選んだ第三の人物が、その博士の下か上かということだった。で、アメリカは上(政治家?)を、あたしは社、つまりはあたしの下の人物を選んだのだった。
――イゼルローンが欲しがったのは、徹底的に“個人”の協力者だったわけね。
例の招待状を自らの能力で解き明かせる者。
信頼に値する人物二名を選びとれる人脈を持つ者。
準備を決して怠らず、かつリスクを承知で未知の領域に飛び込める者。
裁量を自らの範疇で果たし、決断を誰にも託さず、自らで未来を決められる者。
誰かが用意してくれた優れた設計図でなく、純白のキャンパスに喜んで絵筆を握って挑む者。
――あたししかいないじゃない。
実際のところ、かなーりイゼルローンも焦っていたようで、あたしがダメなら、当初の予定通り国連に接触するしかなかったみたい。
まあオルタナティヴ4の責任者であるあたしの存在を知って、あえて時間が経つごとに立場が悪くなるのを計っていたという、その悪どさ、もとい抜け目のなさは誉めてやってもいいけど。
まあとにかくイゼルローンの狙いと思惑と真意は明らかになったし、あたしも遠慮なく、ほくほく成果を持って帰ることができた。
そこからのスケジュールも聞いたし、後はあちらとの連絡に合わせていけばいい。もし連絡が無ければ無いで、こっちはこっちで動けばいい。そういう関係なのだ、あたしとイゼルローンは。協力も連絡もするけど、指示も命令もない、対等な存在だから。
そーいうわけで、イゼルローン滞在を終え、元の横浜まで無事に戻ってきた。
ワープ先は一週間前とは別のポイントを指定していて、そこに連絡通り、鎧衣のヤツが迎えにきてくれた。イゼルローンからの連絡をして、あいつが驚く顔を見られたことが最後の収穫だった。
で、今は久しぶりの横浜基地の食堂にいた。一週間だけだというのに、もう何年もあそこに滞在していた気分になっていた。
「おやっ、夕呼ちゃんじゃないかいっ! ひっさしぶりだねぇ、まりもちゃんと一体どこへ行っていたんだい!?」
「久しぶり~、おばちゃんも元気だった? ちょーっとバカンスに行ってきてねー。おみやげはあいにく無いけど」
ちなみに、そのまりもちゃんは、食堂の向こう側で元教え子たちに囲まれていた。あたしが『滞在先で男を自分のベッドに連れ込んでね~』って肉食獣の群にエサを投げた瞬間、そのエサは階級の柵に囲まれてしまったということだ。あらあら、黄色い声が上がってる上がってる。
まあ機密事項は話すほど、まりもも抜けてないから、あっちは放っておいていいだろう。でも、もうちょっと火種を投げてもいいかも。
「なんだい、ずいぶんといいことがあったみたいだね?」
「あら、分かる~? さっすが京塚曹長ね」
「そりゃもうっ。ずいぶんと“憑き物”が落ちた顔をしてるよ、あんたは」
配給し終えたおばちゃんは、なんとなしに話を続けた。
「なんていうか、まりもちゃんもそうだけど、夕呼ちゃん、昔に戻ったみたいだねー」
「あらやだ、あたしが女の武器に錆をつけたっていうの?」
「ちがうちがう。二人とも、いい意味でこわいもの知らずだった頃に戻ったってことさ」
おばちゃんは仕込みを続けながら、わずかな沈黙の後、それを打ち明けた。
「まあ、今だから言うけどね、あたしゃほんとは心配だったんだよ。かれこれ10年ぶりに二人の顔みたときゃ、この子たち、どんだけ重い苦労しょいこんできたんだろうってね」
こんなご時世だし、二人に限った話じゃないけど。おばちゃんは声を小さくして話し始めた。
「二人とも強い子だからね~、あたしから言えることなんて何もないし、出せるのは料理くらいだからね。ちょっとでも旨いモン食べて、元気だしてくれればそれでいいって想ってたさ」
「…………」
「でも、だからこそ今日は驚いたよ。義務とか責任とか過去とかじゃなくて、二人とも、そう……陳腐な言い方だけど『希望』ってやつが眼にあったからね。いったい何があったねって思っちゃうもんさ」
おばちゃんも一応軍部所属だけあって、機密をはなせないことを重々承知なのだろう。だからそれ以上は何も訊いてこなかった。
「……おばちゃん、あたしね」
ちょっとだけ躊躇ったあと、背を後ろに向けたままのおばちゃんに少しだけ語った。
「あたしは、誰に非難されても憎まれてもいいことをしてきたし、これからもしていくわ。必要になるなら、おばちゃんだって切り捨てる」
洗い物をしながらのおばちゃんは何も言わなかった。
「後ろ指さされて当然のことしているし、別に誰に何を言われたって構わない。自分で決めて自分がやってきたことだもの。でもね、一つだけ勘弁ならないことがあるの」
きゅっておばちゃんは蛇口をひねった。
「あたしは、『わかるよ、仕方なかったんだよね』て、いかにも分かったツラして哀れむヤツだけは、絶対に許せない」
がやがやと食堂で聞こえてくるはずの声が、今は遠くに聞こえた。
「誰のせいでも、誰に強制されたからでもない。あたしが、あたしで決めたことに、何も知らない連中から口出されるのだけは勘弁ならないの。結果からなら、いくらでも評価も非難もしていい。でも、解られたフリだけは絶対にイヤ」
あたしは何故か、イゼルローンでの日々を語りたくなった。
「でもね――“あいつ”だけは別なの」
報いられることもなく。理解されることもなく。守ろうとしてきた者に謀殺されそうになり、価値のない者たちに非難され。全ての旗に背きながらも、なお、自らの願いを―――個人が個人として生きられる自由を、ついに目指そうとした。
自らの命令によって、何千万の敵を殺め、その何倍もの味方を死なせ、恩人を見殺しにしながら、悩み苦しみながら。それでも、自らの決断を悔い続けることなく、人類そのものの意識と戦ってきた。
一戦局のみならず、歴史という大河の中での戦争を見つめ、その中で懸命に、より良い選択を探り続けてきた男。人類の行く末そのものを見つめ、その意義を問い続けてきた男。
ああ、そうだ。間違うのならば、自らの責任で間違いたがったあの男だけが――
「あいつだけが、香月夕呼を理解って〈わかって〉いいの。あいつはそんなこと絶対に言わないけれど、それでいいのよ」
傍聴されている可能性もあって、意味不明なことしか言えなかった。
まったく、ああ、自分もずいぶんイゼルローンに毒されたものだと、髪をすくう。
「夕呼ちゃん、あんた……」
……? おばちゃんが目をキラキラさせ始めた? はて、これはおばちゃんが井戸端会議をするときのような……。
「そーかいっ! 夕呼ちゃんにも、ついにいい男が見つかったんだねっ!!」
「え゛?」
今までの小さな声から一転、いつも以上に大きな声を張り上げて、食堂中に聞こえるような―――あ、まずい、すでに全員がこっち見てる。
「や、やーね、京塚曹長、そんなんじゃないわよ」
「いやいや、皆まで言わなくていいんだよ、夕呼ちゃん。旦那と女房ってのはね、何も言わなくても、お互いを理解しているって間柄なんだから。で、で、どんなヤツだい、お相手は」
「やめてよ、おばちゃん。だいたいそいつは、穀潰しのろくでなしの甲斐性無しなヤツで、おばちゃんが考えているようなもんじゃ―――」
「かぁーーっ! やっぱりだっ! もぉーっ、夕呼ちゃんは何でもできちまうから、そーいうダメな男にひっかかっちまうんだねっ! いいかいっ! そーいう亭主はシリ引っ叩いて働かせなきゃダメだよ」
「……ああもう、だからね」
がしっ。
「……誰よ、今取り込みちゅ――」
「フクシレイカン」
ぞわっと、肌が泡だった。
「クワシク、ハナシヲキキマショウッッ!!」
両目に炎をたぎらせた友人がやけに強い力で引っ張っていく。ちっ、新たな餌を見つけた肉食獣(独身女子)どもも、すでに待ち構えていやがったか。
――やれやれ、あたしも緩んだものだわね。
さーてどうやってこの場を切り抜けたものかしらと、頭を回転させながら、ずるずると引っ張られていった。
陽光が新雪に照らされて輝く頃。人類史に今後燦々と輝く、西暦2000年という年は、その12分の1を終わろうとしていた。
後の歴史学者、そして戦争の生き証人たちが語る、公的に残る人類史上最高に激動の時代は、この次の月より始まるのだった。
イゼルローンが、ついに来る。