第7章「狂犬伝説」
特務“四日目”の朝。その時、神宮司まりもは後悔と困惑と混乱の渦中にあった。
目の前で起こってしまっている現象と現実と事実と事態に、脳の処理が全くついていかない。
少しずつ周囲を認識するたびに、もはや取り返しがつかないことを悟らざるを得なくなってくる。
「ま……まりも、あ、ああ、あんた……なんって、ことを……!」
ああ、あの冷静で冷徹で冷厳な夕呼でさえ、自身のあり得ない失態を見て、ひたすら狼狽している。顔は青ざめ、指し示す指が白くふるえていた。
――どうして……こんなことに……。
記憶に無い。どうして自分が、こんなことをしてしまったのか。なぜ自分が、こんなことになっているのか。
だが一つだけ、確かに分かることは、
――ああ……みんな、ごめんなさい……!
私はもう、地球の土を踏むことはできない―――。
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特務三日目の朝。地球組三人それぞれが別行動を取る中、神宮司まりもも文明格差〈カルチャーショック〉にも段々と慣れ、比較的冷静に軍事技術に触れられるようになってきた。
地球ではまずありえない、低重力下での白兵戦。光線式という、重力や風や反動の影響を受けない銃の存在。衛士強化装備とは異なる、宇宙空間の絶対零度さえ耐えられる防護服の着用。
白兵戦や射撃に関しては、現地球のものと大差がないものだったこともあり、むしろ好奇心を持って新しい技術に触れられた。
特に軍事訓練の見学をさせてもらえたのが大きかった。
「きさまら、遊ぶつもりでここにいるのかっ!? 役立たずのヒヨコどもがっ!」
「いいか、生き残る奴は強い奴だ! 正義なんて振りかざしてもなんにもならんっ! 道義や権利を口にしたければ、まずは生き残れっ!」
「幼年学校からやり直してこいっ! いいかここは最前線だ、せめてママのおっぱいから離れてからやってこいよ、ボク!」
「ぴーちくぴーちく弱音を吐く元気はあるようだなっ! あと10km!」
「戦場で最後にモノを言うのは体力と気力だっ! この程度も耐えられんやつが味方を殺すんだ!」
火薬式の軽機銃を持ち、5kmの徒歩と300mの水中歩行、25カ所の障害越え。地球とほぼ変わらない訓練を見て、ああ未来の軍隊でも変わらないんだと、春の木漏れ日のような精神的安静を得られた。よかった、自分はまともだ。
「統率された訓練されておられますね、さすがです」
「いえ、まだまだ彼らは新兵も同然です。とてもではありませんが、最前線には出せないだろう。熟練兵が見守らなければ、いざという時動けない者たちばかりです」
神宮司まりもは案内をしてくれている初老に近い男性――『ムライ中将』の説明を受けて、納得をした。確かにまりもの眼から見ても、10代とも見える若い兵士たちは洗練された動きとは言い難かった。
でも、とまりもは思った。
「ですが、熟練された兵たちが直接指導に当たることが出来る……それは貴官の故郷からすれば、十分すぎるほど恵まれた環境と言えるかもしれませんな」
どうやら見透かされていたようだった。いえそんなことは、頭を下げたのだが、内心は同意するところだった。
「では次だが、砲撃場に案内しよう」
「はっ! 中将にご足労を煩わせ、真に申し訳ありません!」
直線に伸ばした背中の斜め後方を歩きながら、まりもは思った。
――こんな人もちゃんといるのね……。
冷静で緻密な処理を行い、常識と秩序を重んじ、汚職や冗談を好まず、礼儀や規則に重きを置く軍人。それがまりもが彼に抱いた感想だった。
今まで出会ってきた中佐や中将や元帥が、いささか……うん、想定以上に型破りすぎたのでかなり不安だったのだが、軍人らしい軍人が案内してくれて助かっていた。
(某中佐と某中将がそろって案内をしてくれると申し出てくれていたのだが、主席幕僚が案内することになったらしい)
そうやって案内された各所で兵器を確認し、モノによっては使用を許可され、地球上で扱えるかどうかの相談も行い、数十にわたるブロックを渡り歩いた。
謹厳実直で実務的なことしか言わない案内であることも助けになり、実に充実した演習の時間をとることができた。
そうしている間に、どうやら胃が昼を知らせてきたようだ。兵士たちの食堂に案内され、そこで休憩を取ることになった。
ムライ中将が入った瞬間、ほぼ全員が起立し敬礼をした。和んでいた兵士たちに緊張感が見える。
中将が軽く手を振ると、みなが着席した。兵士の中には急いで食事を放り込み、席からそそくさと立つ者もいた。
「普段は高級士官用の部屋で食事を取るものでね。ここに来るもの久しぶりだ」
相席を失礼いたしますと断りをいれて、彼の前にトレーを置かせてもらう。食事中に失礼だとは思ったが、先ほどの演習についての補足質問をいくつか投げかける。
中将は表情を変えず、階級も年齢も圧倒的に下の自分に、淡々と、でも一つ一つの質問にとても丁寧に答えてくれた。それは、まるでそう―――自分が訓練校の生徒だったころ、教官に教えを乞いていた頃のようだった。
またこんな風に、誰かから教えられる機会が訪れるなんて思ってもいなかった。
――そうか……あれからもう、9年も経つのね……。
ああ……そんなにも経ってしまってたのか。私も歳を取ったなんて言いたくないけど、BETAとの戦争のさなか、過去を振り返る余裕なんて無かったから。
……振り返りたくなかったから、というべきかもしれないけれども。
「どうかしたかね、軍曹」
しまった、貴重な話を聞かせていただいている最中だというのに、意識が別のところに飛んだ。
素直に謝罪をし、同時に話題を少し変える。
「そういえば元帥閣下のお噂を少し耳にしたのですが」
「……………………どんなものかね」
??? 表情は変わっていないが、やけに重く苦い沈痛な感情を出している? まるで聞きたくないような……話したくないような……。
やはり訊いてはいけなかったのだろうか……でも、これも任務の内。夕呼から『社ばかりでなく、あんたも訊いてきなさい』と言われたので、少しでも彼についての情報を集めなくては。
「いえ、元帥閣下のご栄達と武勲の数々、尊敬の念と口にするのもおこがましい……正に畏敬の念を抱かせていただきました! あの若さで元帥にまで栄進され、激戦の地にて伝説の数々をうち立て、それに驕らず、なおも最前線に在りつづける。部下からの信任も厚く、まさに武人の誉れ、軍人の鑑〈かがみ〉というべき御方だと!」
…………あら? 率直で素直な感想を口にしたというのに、なぜ中将は頭を抱えていらっしゃるのだろうか?
「…………そうか、貴官はそう感じられたわけか。そうか……そうだな……うむ……それが正常な反応か……」
ふぅっと吐息をもらし、少し何かをためらうかのように沈黙を保ち、こちらに問いかけてきた。
「…………軍曹。昨日、君は閣下と対面したが、実際に彼を見てからその話を聞いて、それが事実だと納得できたかね」
……すごく、難しい質問だった。ちょっと顔を背けたい気分になる。
「…………は、いえ、あの……し、失礼ながら! この話は、閣下の養い子である中尉殿からお聞かせ願ったものでしてっ! 小官も又聞きなものでありまして!?」
「いや、すまない。意地が悪い質問だった。……まず、その話は全て事実だ。軍のデータも残っているし、実際の兵の証言もある。私も証人だ」
重く重く、深いため息を吐いた。普段の苦労全てを吐き出すように、主席幕僚としての証言をはなしてくれた。
「…………うむ、地球とイゼルローンの相互理解と交流のため、私も貴官の質問にはなるべく答えるよう、閣下より指示されている。そのように、認識に大きな齟齬があると今後の交流に差し支えるだろう。なので率直な疑問を口にしてもかまわん」
「…………」
「閣下の見た目と武勲とが、あまりにもかけ離れているようですが、とな」
「……い、いえ、そ、そのようなこと、小官は……」
顔を背けてしまった自分はなんて弱い子なのだろう。ああ、本当に訓練学校に戻ってしまったようだ。
「正直に打ち明けよう。身内の恥をさらすのは実に、甚だ、とても、遺憾ではあるのだが……一つの例だが、閣下を含め、幕僚のおよそ半分が、軍事訓練校で門限破りをしてきた経験がある」
口と目が、ぽかーんと開いてしまった。
「幕僚の一部は、酒を飲む楽しみの半分は、禁酒法を破ることにあると公言していたり、いかに合法的に規則の網を抜けるかに腐心する者たちばかりで。まったく困ったものだ」
どんな軍隊よ、ここ。
「閣下に至っては、『スパルタ教育の語源となった国では、新兵の訓練のため、あえて与える食料を減らし、畑から作物を盗むことを唆したという歴史があるのだよ』とのたまっておられるほどだ」
どんな元帥よ、あの人。
ああ……昨日見て、今日聞いてきた未来の超技術よりも、ここの人たちの方が意外性がありすぎた。本当におそるべきは、イゼルローンの軍人たちか。ほんとに、どうやって軍の規律保っているのよ、ここ。
「特に閣下はその地位や立場に比べると、非常識なまでに容儀が軽い。……貴官等との会談にも、もう少し護衛を用意するよう具申したのだがな」
ぴくんと警戒心の糸が張った。それと同時に今までの疑問が一つの考察となって行き着く。
「……ヤン閣下が、イゼルローンにおける小官たちの自由を許可されたのでありますか?」
「私以外にも、反対はあったのだがね」
中将は目の前のコップを口元に持っていった。その沈黙の期間が、私に思考の自由を許す。
――あの人が……でもどうして……?
正直、自分もずっと疑問だった。一介の下士官に過ぎない私に、なぜここまでの行動の自由を許されているのか。夕呼もその疑問は持っていたようで、イゼルローンの狙いを計りかねていた。
「……なぜ、閣下はわたくし共のごとき者に、これほどの自由をお許しになっているのでしょうか」
「すまんが、その質問に関しては私の権限を越えている。答えられる範囲で言うならば、地球の平和のために必要だからだろう」
――また平和……でも、本当にそれだけ……?
これまでイゼルローン側から要求されたモノはほぼ皆無だ。地球側の技術――筆頭は戦術機だろうが、噂に聞くBETA由来の技術に関しても、何も求めてきていない。
地球側の劣った技術など必要ない? 地球という市場の確保? 知識や技術の特許独占? 陰からの支配? 労働力の提供を後から求める? 歴史を変えるため? 民族解放? イデオロギーの浸透? 半植民地化? BETAとの戦いへの布石?
――……ダメだ、どれも確証を持てない。
疑えば疑うほどキリがない。いっそBETAのように分かりやすい侵攻なら――いや何を思っている、私は。遙か未来から現れた彼らの好意と比べるなんて、無礼にもほどがある。
だというのに、疑問が堂々と巡る。同じ人間だというのに、これほどまでに彼ら―――ちがう、“彼”の本当の狙いが分からない。
「あの……ヤン閣下とは、どういう御方なのでしょうか?」
漠然としすぎる、でもおそらくは、これこそイゼルローンの核心というべき疑問が出てきた。
私の質問に対し、ムライ中将は腕を組み、しばらく沈思黙考した。
「……難しい質問だ。だが答えられる範囲でいうならば、」
ごくりと唾を飲み込む。体が思わず前のめりになる。
「私も正直、よく分からん」
こけた。
「……これは冗談ではないのだ、軍曹。私は冗談は苦手だし、あまり好まない。幕僚の多くも同じように答えるだろう」
ふぅっと腕を組んだままため息をもらす。
「私の知る限り、閣下ほど軍人や戦争を毛嫌いしている者はいない。同時に閣下ほど、戦略戦術の智略に優れ、個性的な部下をまとめ、変化する戦局に柔軟に対応できる方を私は知らない。まさに矛盾の固まりのような人だ」
……?
「軍人がお嫌いと仰りましたが、閣下は軍部の最高位では?」
「閣下は隠されていない――むしろ公言されているのだが、軍人になったのは食い扶持がなかったからで、当時の士官学校に無料で歴史を学べる科があったからだけらしい。およそ正義や信念とは無縁の志望動機だ」
…………。もう、地球の軍人は、全力で石投げてもいいかも。私みたいに、怒りを通り越して、全力で呆れるかもしれないけれど。
「我々の軍は長年勤めれば年金が付くので、辞め退きを計っていたらしい。だが“仕方なく”戦場で武勲と功績を上げたせいで、階級が上がり部下も多くなったきて、辞めるタイミングを逸してしまったと」
「…………確かに、よく、分からない、御方ですね……」
なんとかぎりぎりな返答できたけど、言葉にならなかった。
ああ……イゼルローンの超技術に適応できてきたと思ったら、次は未来人の非常識さを越えなければいけないのか、私は。なんて試練だ。
私とほぼ変わらない歳で将官になり、32歳で元帥になった人が、実は仕方なく昇進していって、年金を狙って辞め退きを探していたなんて。
軍部の常識って何かしら、軍人の信念って何かしら、軍の勝利って何なのかな。
イゼルローン、おそるべし――否、ヤン・ウェンリー、おそるべし。
死んだ魚のような目を浮かべていた私に、ムライ中将は話を続けた。
「だが誤解の無いように……いや既に誤解をしていても仕方のないことだが、しかし閣下は決して不真面目な方では――いやすまない、言葉を変えよう。あの方は無能と無体という言葉からは、限りなく遠い人だ」
中将は今までのような苦い口調とは異なり、淡々としたそれに戻っていった。
「閣下は自らが率先して他の模範となり、全体を自らのコントロールに置いて他者を引っ張るという、いわゆる典型的な指導者ではない。むしろ個々人の個性を十二分に発揮させる場を提供する、人材配置の達人というべきだろう」
少し沈黙があり、中将は続けた。
「私は万事、型どおりの考えしか出来ない男でね。型は提供するが、柔軟に修正を施すのは他人に任せたいと思っている。閣下は正に非常の御方で、あの人の幕僚となれたことは、私の軍人生活において充実した日々だった」
中将は少しベレー帽を直した。……もしかしたら照れているのかも。だとしたら余りこれは他の人に告げない方がいいかも。
「主席幕僚にイエスマンを置きたがる軍人は多い。しかし閣下はむしろ、最初に私の反対意見を期待されている。その上で会議で議論と説得をし、納得の上で全体の行く道を決めていく。自身や組織のバランスを調整する役目を、私に負わせているというわけさ」
それは凄いと思えた。確かに変化が激しい前線においては、トップが部下の意見を聞かず、拙速を旨としてしまう場合が多いから。
「だが同時に、閣下はある事柄に関しては、人が変わったように断固とした態度を取る」
「…………」
「貴官が見てきた演習場において、上官が訓練兵に私刑を行っている場面はあったかね?」
「……いえ、ありませんでした」
確かに思い返せば、そういった醜聞は見なかった。地球からきたゲストの前で遠慮していたのか?
「閣下は枝葉末節な軍律に関しては甘い御方だが、軍人が民間人に危害を加えることと、上官が部下に私的制裁を加えることについては、厳格に対処している。それが下まで浸透しているのだよ」
それはまりもにも思い当たるところがあった。
軍部における悪しき習慣の一つに、出来の悪い下士官が睨まれるのと同じくらい、“出来のよすぎる”下士官や年下の者は、上官や年上に決して好まれないというのがある。上下関係の軍律は重要だが、私的な混同が過ぎると、それはむしろ軋みと不満をもたらしてしまう。
ここイゼルローンではそのよどんだ空気が限りなく薄かったのだ。
――イゼルローンの空気を作ったのが、あの人……!?
初めて見た時は想像も出来なかったが、夕呼とあの人の話を間近で聞き、こうして彼に詳しい人々の話を訊いていると、それが確かなものなのだと実感できてくる。
ヤン・ウェンリーこそ、イゼルローンを知る上で、最も知らなければ人物なのだと―――。
「『軍紀で抵抗できない部下を一方的に殴るような者が、軍人として賞賛に値するというなら、軍人とは人類の恥部そのものだな。そんな軍人はいらない。少なくとも、私にはね』とな」
「……耳の痛いお言葉です」
「しかし、貴官は違う」
いきなり、思わぬ言葉をかけられた。
「閣下は人を見る目―――いや見抜く目を持つ。もし貴官がそのような軍人であったのなら、ここまでの行動の自由は、閣下も決して許されなかっただろう」
中将は厳格な表情のまま、しかし少しだけ柔らかさをこめて、軍曹に答えを返す。
「閣下は貴官を認められた、ゆえに幕僚である私も貴官を認める。それが『なぜ自由を許可しているか』という質問に対する、もう一つの答えだ」
数瞬遅れて、まりもは起立と最敬礼を返す。
「……はっ! 中将より勿体ないお言葉をいただき、真に感激の念に耐えません!」
「私は貴官の直接の上官ではない。故に敬礼は不要だ、席に腰掛けてくれたまえ」
着席した後でも、まりもは敬意の念を抱かずにはいられなかった。
遙か1600年もの未来からやってきてくれた軍隊。イゼルローンに来た当初は、不安や疑問だらけでたまらなかった。でもこうして話をしていて分かる。
彼らは同じなのだ。BETAなんかのコミュニケーションが不可能な生命体とは全く違う。自分たちと同じ人類であり、こうして互いに認め合い、互いを分かろうと伝えあえるんだ。
――そうか、これがヤン閣下の狙いだったのかも……!
ただ技術や知識を提供するのでなく、お互いの文化や考えなどを交流しあい、真の意味でイゼルローンを知ってもらうために、最大限の自由を許可していたのだと。少なくともまりもには、彼の意図はそうなのだと思えた。
それを知ると、ますます勇気と意欲が湧いてきた。残り数日という短い期間ではあるが、技術や知識だけでなく彼らのことを知らなくてはと。
――――と、そこへ。
「ややっ、これは麗しき一輪の花が見えますことでっ!」
「……ポプラン中佐」
中将はあまり表情は変えていないが、憮然とした雰囲気を醸し出してそちらに振り返る。
対する中佐は厳しい上官の表情もなんのそのといった、緑色の瞳に笑顔を浮かべてこちらに話しかけてきた。
「壁の花にしておくには余りに余りにもったいなく思い、一匹の蜜蜂がこうしておそばにやってきた次第であります」
相変わらず軽薄ではあるが、冗談ではなさそうだ。こういったタイプの熟練兵は前線でもいたが、ここまで陽気さを出せる者はいなかった。なるほど、中将がおっしゃっていた、“幕僚の一部”というわけか。
「中佐。案内役を閣下より仰せつかったのは、小官であると記憶しているのだが?」
「もちろんですとも。演習を案内するのはムライ中将にお任せいたします。しかし交流会の主催役を認可されたのは、我らでして」
交流会? 私と中将の声が同時に出た。
「ええっ。“自分とシェーンコップ中将とアッテンボロー提督”とが企画・立案・誘致をいたしまして、第一回、地球とイゼルローン交流会をと。既にヤン提督の許可は得ています」
「…………君たち三人が併せて行動したら、深刻な問題が冗談でも済んでしまうような気や、軽く革命でも起きそうな予感がするので、あまり好ましくないと思われるのだが、どういうものだろうね」
「そいつは独断と偏見と悪意というものです。例の二人はさておき、おれ、ではない、小官は、おふくろの腹から生まれた頃から、誠実と双子として生まれたというのが自慢なもので」
「……中佐殿、それは生き別れになったということでは?」
……はっ。つい話にツッコんでしまった!? 自分はまったくの部外者なはずなのに、どうしてこんなっ!
「と、彼女も言っているようだが?」
「参謀長! 地球人類との交流のテストケースと考えたら、これは重要な任務であります。残念ながら博士は部屋で研究中ではありますが、嬢ちゃん、もとい、ヤシロ・カスミ嬢も参加の意を示しております」
外堀から埋めてきたというわけね。
………普通に考えたら断るべきところだけど……でも。
うんっと頷いて、意志を固めた。
「畏まりました、中佐殿。ご厚意に甘えまして、神宮司軍曹、交流会に参加させていただきます」
「私は遠慮しておこう。大騒ぎよりも静かな休暇の方が好みなのでな」
これも任務の内だ。この交流会を通じて、彼らのことをもっと知っていこうっ!
「だがポプラン中佐。あまり羽目を外しすぎないように」
「了解しました、もちろん“未成年組にはノンアルコール”を振る舞いますので――――」
※ ※ ※
タンク・ベッドの蓋が開き、そこから一つの裸身が現れる。その女性はんん~~っと上半身を回しながら、シャワールームに移動した。40℃の熱く激しい雨を全身に受け、次に15℃の冷たいスコールを浴びる。それを交互に繰り返し、一気に全身の細胞を覚醒させていく。
寝ている間も脈々と動いて脳細胞に加え、体の細胞もそれにあわせて脈動し始める。
ふわっふわのタオルで全身をくまなく拭き、ぱりっとした白衣を着込み、ごきゅごきゅっと一番搾り冷たい牛乳を胃に流し込み、ぷはぁっと至福の吐息を吐き出し、大部屋の中央で一言。
「あたしってやっぱり最高だわっ!」
全てを成し遂げた女傑がそこにいた。
あれからきっちり42時間。香月夕呼の本気に駆逐された資料の山々が、死屍累々と周囲に横たわっている。
「ふっ……イゼルローンってこの程度? あたしを満腹にさせたかったら、この十倍は持ってきなさいよねっっ!」
高笑いが部屋で反響する。ええ、別に盗聴されてよーが、もはや関係ないものっ!
やった! 確かにやったっ! 自分は1600年を、世界を縮めてしまった! ああ、なんて至福の時間だったのだろう! なんて刺激的な時だったのだろう! あの無知で蒙昧で、何もかもが新鮮だった二日前に帰りたいっ! 知識を遠慮なくむさぼり食らえた夢のような時間よ、あたしにもう一度カモンっ!
部屋の中でダンスを踊れるくらい舞い上がっていた夕呼も、だんだんと平常を取り戻す。
しかしその脳の中は興奮からいまだ醒めやらぬ夢の中にあった。
――最大最高の収穫は、亜空間跳躍と超光速通信の原理ねっ!
これら二つの原理を応用することは、すなわち「人間の観測」を超えることが出来るということだっ! それすなわち、「可能性」の世界へと更に足を踏み入れることが出来るということ。
すなわち、すなわちっ! 自分の研究の長大なる躍進を望めるということっ!!
――これでだいぶBETA由来の技術からの脱却ができるっ!
これを流用しての、完全なブレイクスルーはもちろん出来ないが、それでも更なる発展を見込める―――否、その天井はこの天才の自分でさえも計り知れない。
ああ、ああ! 次々あふれてくるアイディアを残せないのが悔しい! タンク・ベッドの中で見てきた、弾ける創造が消えてしまうっ! 資料は持ち帰れなくても、検閲なしでマイノートを持ち帰る許可を交渉しなくては!!
「ふぅっ………やれることはまだまだ山積みね」
今日は四日目か。七日目が帰還の日と考えても、それでもあと丸々三日分の時がある。
最低限の技術と知識と理論は、既にこの天才の頭脳の中に入った。あとはこれを活かして、どう各国のお偉方と交渉していくかも考えなくては。
と、段々と醒めてきた脳細胞が、別の注意を警告してくる。
――……にしても、ずいぶんと解りやすい資料のチョイスだったわね。
要求したのは確かにこちらだが、それにしてもずいぶんと地球側の技術ベースに合わせた難易度だった。こちらが理論の壁を超えるたびに、がんばれば理解できる範疇の理論を提示してきた。
まるで前人未踏のロッククライミングではなく、整備された登山道をひたすら登ってきたような……。
――まだ彼らの思惑の内、ってことかしら?
イゼルローン側の意図が完全には見えない中、ひたすら集中してきたわけだが(正直、至福の時すぎて、もーどうでもいいやって思ったけど)。
でもここからは、また彼らとの交渉と交流の時間。対理論のお勉強の時間よりも、対人間の営業の時間の始まりだ。更に地球に有利な形で話を進めていかねば。
――まりもはどうしているかしら?
これからのことももちろんだが、まりも達が集めた情報も訊ねて、ミーティングをしなくてはと、大部屋から出る。
至福の時間を過ごしたこともあり、足取りも楽しく、るんるん気分で廊下を歩んでいける。
まだ時刻は標準時間で朝の五時頃。まだ寝ているだろうが、忍び込んでびっくりさせてやろう。
個室のドアの前に立ち、既に二人から聞き出しているパスコードと、自分に配布されたIDカードを当てる。
音もなくドアが開いた。屋は暗い。どうやらまだ寝ているようだ。寝息が聞こえてくる。どうやら彼女も任務を果たすべく、一生懸命だったようだ、こうやって人の気配があるのに反応して起きないとは。
「まーりーもっ! 私の帰還よっ、さあっ目覚めの時間は今っ!」
ぱちっと部屋のライトをつけると同時に、学生時代のような気軽さで彼女を起こし―――
「……え゛っっ」
香月夕呼は、完全に、沈黙、した。
「…………っ、っ、っ……!?」
声が、出ない。息が、詰まる。指が、震える。どうしよう、これ、どうしようっ。
BETAが大挙して横浜基地を襲ってきた、という報がまだマシと思える。人間の思考と想像の限界を、今、香月夕呼は思い知った。
「……んっ……んんぅ……?」
その夕呼の混乱など知らないとばかりに、“服を着崩した”神宮司まりもが声の主の方へ向く。
「あれ……夕呼? どうしてここに………資料は……?」
「ま……まり、まり、まりまりまりもっ、あああ、あんた、それ、それっ」
震える指でこちらとは反対側、ちょうどベッドの向こう側の“それ”を指さす。こんなにも自分が慌てている最大の原因の、片割れがそこにはあった。
「……それ?」
まりももそちらを振り向き―――そして凍った。
「「………………」」
どうしようもない沈黙が辺りを凍結していく。
「ま……まりも、あ、ああ、あんた……なんって、ことを……!」
そこにいたのが“それだけ”だったら、まだ大した問題では無かった。とてもマズすぎるのは、神宮司まりもがそれの隣で寝ていたという事実だった。
そう、そこにいたのは、
「……うーん、ユリアン……あと10分でいい、いや9分45秒……あと9分と30秒だけでいいから…………」
………………。うん。
赦せ、友よ。これも地球人類のためだ。NAME,君の名を忘れない。
「ゆ、ゆうこ、わ、わたし、わたし……」
慌てふためき始めた彼女の肩に、ぽんっと優しく手を乗せ、かつてないくらい穏やかな笑みを浮かべる。何も心配することはないのだよと、聖母のように語りかける。
「大丈夫よ、“神宮司さん”。面会は、年に一回は来るようにするから」
「軍籍抹消決定ーーーーっ!?」
最高のはずの四日目の朝は、最悪の形で幕を開くのだった。