第五章「魔女と魔術師」
香月夕呼は目の前の男性を観察する。
――この人が……イゼルローンの軍部最高責任者?
ヤン・ウェンリーと自己紹介した黒髪黒目の男。見た目の年の頃は夕呼やまりもよりも少し年上。少し加算して考えても三十代前半だろう。そんな歳の者が閣下。地球の軍の常識かすると、まずありえない。まだ後ろで不適に腕を組んでたたずむ中将(かなり夕呼好みのナイスミドル)の方がそれっぽい。
だが、余所の国家のことをどうこうはいえないだろう。実際――様々な政治的な思惑が絡まった結果だが――18にも満たない少女が、自分の出身国の政威大将軍を務めているのだから。
……だが。にしても、しかし、だけど、いくらなんでも。
――議長の女性はまだ分かるけれど……“これ”がねぇ?
雰囲気がまるで軍人、いや責任者っぽくない。替え玉であったとしても、いくらなんでも人選を誤りすぎだろう。と、すれば正真正銘の閣下ということか?
確証はまだ取れなかったが、夕呼は会談の先手を取った。
「お会いできて光栄ですわ、閣下、議長。お頼みされていた物をお渡しいたしますわ」
まりもを促し、運んでいた荷物の中から贈り物を取り出させる。白のテーブルの上で、十段の重箱かと見間違うほどの固まりが重量音を出した。
「我が国と世界の国々の歴史書になります。十冊ほどですが、よろしかったでしょうか?」
「うわっ! これはありがとうございます、博士っ!」
喜色満面。小躍りしかねないほどのウキウキしたオーラを出して、男はさっそくと本の中身を確認しだした。ふむ、どうやら軍部が欲しがっていたようね。
となりではまりもが「やけにかさばって重いと思ったら……」といった目を夕呼に向けた。仕方ないじゃない、贈り物なんだから。
――やはり地球の情報を知りたがっている、ということかしら。
おそらく……いやほぼ確実にだが、イゼルローンは地球住人に姿を現す前から、地球の情報をかなりの精度で押さえていた。そうでないと、あの絶妙なタイミングで作戦に介入できたことに理由がつかない。
1600年後、しかも平行世界からきたという、異星の住人。彼らが情報を集め、地球をどうしたいのかは未だ判らない。だが宇宙船で出された食事などからも推察されるが、文化に関しても積極的に調べている様子だ。
――歴史を知りたいということは、やはり政治にも絡んでくる気かしら?
彼らに提出した歴史書は市販もされていた物(現在は入手困難)で、情報の秘匿度は高くない。帝国大学の学生なら閲覧可能なレベルだった。
「――ああ、ターニングポイントはやはりここか」
イスの上で半分あぐらを掻き、ぱらぱらと本をめくっていたヤン閣下が7冊目を机の上に置いた。表題は「帝国の歴史」。近現代の日本についてがメインテーマの本だった。
円卓を囲んでいた夕呼やまりも、議長もみな、本に注目する。
「これを見てください、ADの19世紀中頃の所です」
細く長い指が指す先には、1867年の大政奉還の項目があった。
「我々の世界の歴史では、この翌年に『王政復古の大号令』があり、明治政府および総裁・議定・参与の三職が置かれ、征夷大将軍――ああ、『政威』か――は廃止されました」
いきなりの話に、まりもは面をくらったようだが、しかし夕呼はたいへん興味を惹かれた。
「大政奉還、までは同じ歴史を歩んだということでしょうか?」
「ええ、もともとこの大政奉還というのは、倒幕派の名目を奪う狙いがあったのでしょうね。一時形式的に朝廷に政権を返上したとしても、いまだ諸藩を圧倒する将軍家が天皇――ああこちらでは皇帝でしたね――の下、新政府に参画すれば、実質的には政権を握れると」
夕呼は警戒度を一つ上げた。この男、戦場しか知らない純粋軍人ではなく、政治にも詳しい。
「しかし私たちの歴史では、諸大名が上京の指示に従わず、将軍抜きの新政府は五藩主導となりました。ちなみにこの王政復古によって、京都守護職や所司代、あと五摂家も廃止され、首都は東京に移っているようです」
わずかに感心の吐息が、まりもから漏れる。どうやら彼女も、彼らが平行世界から来たということを段々と認識し出したようだった。
「あともう一つ大きな違いとしましては、私たちの世界では、第二次世界大戦中、日本に二発の原子爆弾が落とされていました」
「ドイツではなく、日本に……!?」
「ええ、本土空襲に加え、ヒロシマとナガサキに原爆が落とされた一週間後には全面降伏宣言の受諾、およびその事実を天皇自身自らが全国民に伝えました」
まりもが僅かに身を堅くした。帝国国民にとっては皇帝および将軍は国の象徴そのもの。そこからもたらされる完全なる敗戦の報を受けた民の失望はどれほどのものだったろうかと。
夕呼もまた表面上だけでなく、心の中でもその事実に驚かされた。
それと同時に、それがもたらすであろう日本の復興への影響についても計算し、男に向かって考察を返す。
「そうですか……それでは帝国、いえ日本は米国の影響を大きく受けたことでしょうね」
「ええ。西洋文化がどんどん入ってきまして、純日本的文化は段々と衰退していったでしょうね」
「……“でしょうね”?」
ニュアンスが妙だったことを、夕呼は見逃さなかった。
「はぁ、実は」男はベレー帽を脱いで、片手で黒髪をかき回した。「西暦2040年あたりに熱核兵器の世界大戦がありまして、それ以前の歴史や文化はほとんどが消失してしまったんですよ」
まりもは完全に言葉を失い、夕呼は最大限の注意と関心をもって一言一句を逃さないよう目を細めた。
「…………詳しくお聞きしても?」
「当事者だったのは北方連合国家と三大陸合衆国でした。こちらの世界でも在る、ソビエトと米国のイデオロギーの違いによる、最悪の形での第三次地球大戦でした」
淡々とした口調で語られるそれは、神に遣わされた預言者の言葉か、全てを知る賢者の想いか。
「それは十三日戦争と呼ばれました。戦術核の撃ち合いは両国家陣営の大都市軍を放射能の井戸に変え、どちらにも属さない国をも巻き込みました」
「……味方ではないのなら、敵ですか」
「そこに資源があり、敵国に利用される、あるいは寝返るかもしれないというだけの理由だけで。疑わしきは罰せよ、まったく末期もいいところですよ」
「ええ全く、同意いたしますわ」
本心からうなずく。今の地球の政府連中も、そちらの世界の政府とレベルが変わらない。BETAの勢力がますます増しているというのに、まったく一つにまとまろうとしないのだから。
「戦後、統一政府ができるまで90年もかかり、最盛期80億に近づこうかという人口が10億前後までに落ち込んでいたと。BETAなど関係ない、人類同士の行為の結果がそれです」
「……そちらの世界ではBETAは存在しなかったと?」
夕呼も気づかない内に前のめりになっていた。
ふむ。この男、なかなかの語り部だ。飽きさせないというか、こちらが知らない情報をすらすらと分かりやすく伝えてくれる上、こちらの質問にも的確に答えてくれる。お互いの相互理解にはうってつけの人材だ、地球側もちょっとは見習ってほしいものだ。
「ええ。太陽系を飛び出し、恒星間を飛び立てるようになり1200年ほど経ちましたが、人類は未だ地球以外の生物とは遭遇できません。お三方にお出しした食材も地球原産です」
多少は品種改良したり、人工合成してますがねという言葉は、夕呼の耳には残らなかった。
――歴史の違い……それ以上にBETAがいない?
事象の生起には必ず原因があるはずだ。さて、この大きい違いはいったい何を意味しているのだろうか。
「ですが、なぜBETAが私たちの世界にいなかったか、というのは余り問題ではありません」
こちらの思考を読みとられたかと、一瞬警戒したが、どうやらそうではなかったようだ。単純に意識を持って行かれたのが身体に出ていただけか。
「肝心なのは、こちらの世界にはBETAがいて、早く駆除する必要がある、ということでしょう」
「え、ええ、閣下、その通りですわ」
隣のまりもも改めて背筋を伸ばした。今までの会話は名刺の交換程度。まだまだ彼の口からあちらの歴史を聞きたいところだが、ここからが会談の本番だ。
だがここまでの前振りでも収穫は大きかった。彼らの世界の歴史はもちろん、BETAが存在しないこと。何より、目の前のこの男が、軍部のみならずイゼルローンの最高責任者だということ。
――どうやら軍部が上に立っている、ということね。
先ほどから隣の女議長は、全ての会話を――姓が同じことから夫か――彼に任せている。それが単純な夫婦関係によるものでなく、このイゼルローンの関係でもあるのだろう。
――なら、彼の決定がすなわち、イゼルローンの決定になる。
下っ端相手にちまちま話を進めるより数億倍ありがたいが、その分、責任へのプレッシャーも重くなる。ここでの自分たちの会話が、その後の地球の流れを大きく左右するかもしれないのだから。
「そうですね……そういえばわたくし達に技術の提供をしてくださるとのことですが、それはどれほどのモノを?」
だが「待ち」はしない。6日間という期間は、国家間の交渉では決して長くはない。最大限の利益を得るためにも、最初こそ肝心だ。技術の流出は国家において忌避するものだろうが、どんな些細な技術・理論だろうと、そこを交渉の突破口として――
「とりあえず、亜空間跳躍航法と重力制御と慣性制御でもどうですか?」
――――――――――
――――――
―――は?
「「…………は?」」
まりもと私の口から同じ吐息と疑問が漏れた。それって恒星宇宙船の基礎かつ根幹理論にあたるのでは?
「ああ、ただ跳躍航法に関しては、“BETAに真似される”と困りますから使用には制限をかけてもらいたいのですが」
「………あの、閣下?」
なんか聞き捨てならないセリフがぶすぶすと脳髄を犯してくる。
「あと大変申し訳ありません、イゼルローン内では“資料の閲覧は自由”にしてよろしいのですが、地球への持ち込みはしばらくは無しでお願いします」
「………………ヤン閣下?」
地平線の彼方まで懐石と満漢全席とフルコースとが、どんどん並べさせられていく。私にどうしろと? 食えと? 残さず食べなさいと?
「あとはそうですね、“核融合炉や超光速通信”なども、BETA戦だけでなく復興への役に立つかと」
「ちょっとっ、待ちなさいよッ!!」
白テーブルに振動が走った。…………あ。
「……ゆ、夕呼……!」
ああ……まりももかなり動揺している。今聞いた事態はもちろん、自分がしてしまった行為と発言を目撃して、顔を白くしてパクパク口を動かしている。
「……大変、粗相をいたしました。どうかお赦しを、閣下」
何年ぶりになるのかな。素直に謝ろう。お辞儀の角度は70度くらい。人類の未来のためなのだから、これくらいこれくらい。
こら、そこでくつくつって笑っている中将、あんた後で覚えておきなさいっ。
「いや、こちらこそ申し訳ありません。博士にも都合があるでしょうし、こちらの希望ばかりを押しつけてしまいまして」
ベレー帽を外して、ぺこりと謝られた。……ほんっとに偉そうには見えない。まるで同じ研究室(文系と理系で分かれるでしょうけど)で交流している同僚のように思えてきてしまう。
――ああ、だから油断したのね……。
こちらが憤慨しても何をしても、変わらず淡々としている、心理的に構えさせないその茫洋とした雰囲気。予想を遙かに越えた提案と相まって、それで自分も油断して本音を出してしまった。
だがここからはまた引き締めていかなくては。
「……今、希望と仰られましたが、閣下はわたくし共に何を望んでいらっしゃいますの? ……いえ、正直申し上げさせて下さい、初対面の私たちへのその提案は、一国家の、軍部の、最高責任者としましては、あり得ない決断です。いったい何をお考えでしょう?」
核心をついたせいだろうか、すらすらと語っていた男がいきなり黙してしまった。
隣に腰掛け、今まで黙っていた議長はすっと彼に提案をする。
「……閣下、紅茶をお入れしましょうか?」
「ああ、うん。頼むよ。ブランデーも入れてくれないか」
一時休憩ということでお茶が振る舞われることになった。
自分たちにも入れ立ての一品が出される。自分はストレート、まりもはミルクを入れて口に含んだ。
琥珀色の液体はコーヒー愛好家の自分としてもなかなかの一杯であり、縮んだ胃を休めてくれた。……ちょっと入れ方がまだ甘いけど。
紅茶にブランデーというなかなか変わった一品を、しかし男は静かに口に含んで、まったくの予想外の方向から切り込んできた。
「……地球からのBETA撃退後、すぐに地球人類は平和になれると、博士は思われますか?」
………………。
ああ、なるほど。
これは自分が評価を誤っていた。
この男、かなり、いや物凄く頭がキれる。
――だから情報を集めていた、というわけ?
出された紅茶を自分ももう一度口に運び、慎重に、しかし正直に返答をする。
「無理ですね」
「でしょうね」
あっさり同調された。そーか、そこまで見通されていたとはね。こりゃ、地球側お手上げだわ。武力とか財力とか技術力とか以前に、情報や内情がここまで筒抜けじゃあね。
なんか少し力が抜けてきちゃった。淡々としているこいつを前にしていると、なんか毒気が抜かれてしまう。ああ、入れ立てなら紅茶もいけるわね。
「ゆうっ! 博士!?」
「世界各地の戦場を見たあなたなら予想できるでしょ、神宮寺軍曹。“戦後”、世界がどうなるかなんて」
目の前の男も紅茶を口に運びながら、淡々と未来予測を口にした。
「ユーラシア大陸全土とカナダの半分、さらには北アフリカ大陸の一部という、地球人類がかつて経験したことのない規模の壊滅と荒廃は、今後一世紀近くにわたる混乱を起こすでしょう」
地球全陸土のおよそ30%の更地化、地球人類は約十数憶にまで減少。いまだ宇宙に蔓延るであろうBETAの脅威。ほぼ無傷のアメリカと南アメリカ諸国とオセアニア。
「私たちの歴史の第三次世界大戦後、大きな戦争も内乱も起きませんでした。それは単純に、そういったことをする“余力”も残されていなかったから、というべきでしょう」
……ふーん。なるほど、話はよく通る。
――最初は、地球人類との交渉へのカードに残しておいたと思ったけど。
全てを鵜呑みにはできないが、なるほど、それは確かに当たっていた。
「……それが、あなた方がハイヴを全て潰さなかった理由でしょうか?」
「ご明察の通りです」
夕呼も疑問だった。なぜ彼らは横浜ハイヴだけ叩くのを手伝ったのか、なぜ世界各地のハイヴは触れずにいたのか。
それが、BETAが地球からいなくなった瞬間、全ての人類が耐えてきた“名目”が消失してしまうからだったとは。
「BETAの消滅が発表された瞬間、今までの不満や問題は一気に各地で噴出するでしょう」
「人種、人口、国境、国土、技術、経済、権利、宗教、貧富……さて、これらの格差や不平等を解決するのにどれくらいかかりますことね」
「人類の刃という戦術機は、今度は人類自身を傷つけていくでしょう。BETA相手のため、人類生存のためという名目で徴兵されていた子たちは、今度は国家のためという名目でそのまま――しかも今度は同じ人間を殺すために組み込まれていきます。いつ終わるともしれない、人類同士の戦争のために」
まりもが顔を真っ青に変えていく。こちらに口を開いたが、私は視線でそれを止める。まだ何か言いたげにして、じっと拳を握ってうつむいた。
「私たちは、“なるべく”それを止めたいんですよ」
「…………すると閣下が、いえイゼルローンが望んでいるのは」
「平和です」
テーブルの上にそのままカップが乗り、陶器と木材の奏でる音が芝生の上に響いた。
「ですが、私たちはそもそも部外者です。他の星の、未来の人間だけが関わるのでなく、当事者である地球人類自身の力が必要になってくるでしょう」
「……………」
「そのために、あなた方に技術や知識をお伝えしたいと考えているのです」
風の音だけがしばらく聞こえてきた。人工の太陽があたりをてらし、木々の葉が揺れ、芝生にいくつもの影を作っていた。
――平和、ねぇ……?
聞こえはいいが、たいへん信じがたい。これを容易く呑んだ後には、どんな毒がもたらされるものか。
――社を別にされたのはイタかったわね。
彼女がここにいれば、この男の言葉が是か非かが判ったというのに。彼女の存在を知られていたということか?
――さて、どうしたものかしらね。
困ったことに、これを断る「理由」がない。BETAを地球から追い払うだけでなく、その後の地球の平和のためにも尽力してくれてるといっているのだ。
しかし、このままあちらのペースで話を進めていけば、彼ら“が”ではなく、彼ら“に”協力するしかなくなってしまうだろう。
――まずいわね、このままじゃイゼルローンの下に立たされてしまう。
某国のようなあからさまな圧力ではないが、この話を断ることができない。かといって断れば当然、お客様はお帰りですよといわれ、何も知識を得られないまま地球に帰ることになるだろう(イゼルローンに監禁されそうにないのは幸いだが)。
肯けば、今後の要請を断ることは出来ず。
背けば、未来の知恵を得ることは叶わず。
……………。それならば。
――毒を喰らわば皿まで。
一か八か、魔女の本性を発揮する時はここだった。
「閣下、そのような回りくどいことはなさらずとも、地球の平和は得られますわ」
すっと薄く笑いを浮かべ、甘い蜜の毒林檎を差し出す。
「イゼルローンが、地球政府をまとめて下さればよろしいのですよ」
隣の軍曹は、今までで一番愕然とした表情を貼り付けた。
「一つの案としましては、あなた方イゼルローンのお力でハイヴを全て潰していただくのです。その後、しばらく交信を途絶し、国連が世界各国の事態を収集できなくなったタイミングで――そうですね、5年以内でしょうか――再び現れていただくのです」
薄く笑みを浮かべ、最高責任者に謀略を投げかける。
「そしていがみ合う各国の独裁者を一掃してしまうのですよ。民衆は万呼の歓声で迎えるでしょう。それから地球を復興し、統一してしまえばよろしいのですよ」
空気が重く、冷たくなっていく。だが夕呼は続ける。
「第二の案としましては――いっそ徹底的に地球の国家を分裂させ、互いに抗争させてしまうのですよ。何も難しい話ではありません、あなた方が各国に技術や兵器や物資をちらつかせておくのです。必ず互いの国家が先んじようとするでしょう。そうして互いの競争に消耗した国家を併合するのですよ」
香月夕呼は地球を救うためなら手段を選ばない。
そして徹底的に疑い、検証する。イゼルローンが取るであろう策の可能性を。彼らの本当の狙いが何かを。
自分たちをいったい何に利用しようかということ知らず、信用なんて出来ないのだから。
――さあ、激昂するかしら? それとも大げさに笑い飛ばす?
その反応次第で計れる。彼らが隠しているものを。真意を。
……パチパチパチパチ。
「実に素晴らしい。博士は政治の先見もありますな。閣下にも見習っていただきたいものです」
だが返ってきたのは、賞賛だった?
「……中将、君まで乗ってこないでくれ。その話は何度もしただろう。私には合わないよ、そんな服は」
「まあ貴方は軍服も似合わないが、他の服は何を着ても似合いませんからね。とはいっても、意外と合うかもしれませんよ。誰よりも善政を行う為政者、宇宙国家元首ヤン・ウェンリーの格好もね」
「未来から持ってきた技術と知識と人員を振りかざしてかい? ソリビジョンの題材にしたら、それなりに視聴率は取れるだろうがね」
「異なる立場、性別、年齢の者から同じ意見が出たのです。いい加減、認めてもよろしいのでは?」
……これは予想外すぎた。まさか部下の方からもけしかけられていたとは。
――にしても、ずいぶんと部下に言いたい放題いわせているのね。
自分も堅苦しいのは好まないが、ここまでは言わせない。階級に人一倍厳しいまりもなんか、珍獣を見るような目で見つめている。
――部下をコントロール出来ていない……?
…………いやそうではないだろう。それならば軍を軍として機能できるはずがない。あの八月に見せた艦隊の統制は、素人目から見ても完璧すぎた。無能な人間が上に立って出来るものではない。
――この男、見た目以上の化け物かも……。
正直……この提案をすることによって、この人工惑星で散ることも覚悟していた。まりもには悪いけど、これを聞いておかなければ、今後どんな風に利用されるか判ったものでなかったからだ。
しかし結果は空振り――どころか、先に言われた目的が本当なのではないかと思ってしまうほどだ。
それくらいこの男、雰囲気がまるで変わらない。動じず、驚かず、怒らず、怯まず。視線も動作も何も変わっていない。神経が結晶炭素繊維で出来ているかと思うくらい。
「……議長は宜しいのですか?」
会話にほとんど加わっていなかった女性に向かって問いかける。イゼルローンの意志が本当に統一されているのか、それを確かめるために。
だが女性は芯の通った透き通った声で疑念に答えた。
「閣下は民主国家の軍隊が存在する意義は、民間人の生命を守るためにあるという事を本気で信じていて、しかも決してそれを一度たりとも違ったことはございません。どんな過酷な戦場であっても、民間人を戦争に巻き込みませんでした」
ショートカットの髪が陽光に反射して輝いていた。
「イゼルローン代表議長としてお約束いたしますわ。時代は違えど、同じ祖を持つ地球人類の生命を必ず守ると」
ふっと微笑みを浮かべて、こちらに優しく語りかけてくる。
「閣下には閣下の深慮がございます。今は信じられなくとも、全てを明らかにするときが来ます。だってあの人は『魔術師ヤン〈ヤン・ザ・マジシャン〉』ですから」
……マジシャン。なるほど、何らかのタネは仕掛けられているということか。
しかしそこに虚偽〈ウソ〉は無いのだろう。約束を破る行為など、マジシャンとしても政治家としても失格なのだから。だとしたら彼らの目的を信じて、この話に乗っても良いのかもしれない。
――でも何かしら……この違和感は。
2日目の始まりとしては、これ以上ないくらい交渉がうまくいっているというのに、全てがあちら側のレールに沿っているような気がしてならない。
……うん、うまくいっているのは良い。知識を制限無く知れるなんて望外の幸運だ。素晴らしい成果といえる。使用には制限があるだろうが、それでも問題はなし。
でも、なんというか。
――めちゃくちゃ気にくわないわっ!
駒扱いされているような気がしてならないっ!! いいように言いくるめられている気がするっ! 大きな詐欺にかかっていて、しかもそれから抜け出せないもどかしさがあるっ!
……ならっ!
「ありがとうございますわ、閣下、議長。それでは資料を見せていただけますか? ああ、それと部屋も大部屋一室ご用意していただけると大変助かりますわ」
あちらの予想を裏切ってみせよう。この限られた期間で、イゼルローンの全資料を読破してみせるっ!
――1600年分の格差? 超技術の固まり? ハッ、この天才の実力を甘く見てもらったら困るわ。6日なんていわない、2日で基礎理論全てを網羅してみせるっ!
ここに――地球の魔女とイゼルローンの魔術師との盟約は結ばれた。
……ただそれが友好的なものといえるのかは、当人同士でないと判らないのであった。