第16章「最後の二つ名」
西暦最後の年にして、宇宙歴元年の“8月”。イゼルローンがその姿を見せてから、ちょうど一年という月日が流れた。この一年はまさに地球にとってもイゼルローンにとっても激動の期間であり、同時に伝説はまだ始まったばかりともいえた。
地球の復刻と発展は始まりを見せていたが、BETAから祖国の土地を奪還したとはいえ、民間人がすぐに故郷に戻れるわけもなかった。ハイヴはいまだユーラシア大陸の半分以上の土地を占拠しているのだ。せいぜい前線を上げられたくらいの状態だ。
映画館の感動が終わった後は、現実でどう動いていくかを決めなくてはならない。プランを立て、その通りに動き動かし、さらに修正を加えていく。それを可及的速やかに行わなければいけない理由があった。
そう、イゼルローンである。
ヤン・ウェンリー一党が本格的に地球との交流を始め、様々な双方での遣り取りが行われていた。大きな点から細かい点まで、後に法典の厚さにもなる交渉を慎重にかつ大胆に進めていた。
だが既に、技術と経済の交流第一人者は香月夕呼、政治と軍事の交流第一人者は煌武院悠陽というように声明を出したため、一番を引こうとする争いにまで発展することはなかった。
しかし問題は尽きなかった。誰を指名するかを決めるのは、もちろんイゼルローン側にこそその権利があるのだが、それは全く公平ではないそれでも民主的かという声も当たり前のように上がった。日本帝国ばかりが良い目を見ているではないかと。
それに関して、当時、ヤン・ウェンリーは“生徒”達にこう教えていた。
『公平と公正は異なる。公平とは理不尽であり、公正は無情だ。公平は神がサイコロを振るように、善人にも冷たい雨を降らせ、悪人にも暖かい日差しを与える。だが公正は現実社会の法則を知り、得るための準備を怠らなかった抜け目のない強者にのみ、その全てを与える』
イゼルローンの公園のベンチに腰掛けながら、青空教室で授業を進めていた。
『現実世界の多くは、残念ながら公正なんだよ。戦争では数の多い方が勝つ。富めるものが更に富む。よく知る者がそれを活かす。人脈を持つ者が更によい人脈と繋がれる。残念ながら、ギャンブルの一発逆転は99.99%無い。力も富も知恵も人間も、持つものが更に独占できる。その逆もしかりさ、格差は個々人の努力のみでは縮まらないように出来ている』
芝生の上にシートを敷いた生徒たちは、その一語一句に聞き入っていた。
『貧困や紛争、偏見や呪いに囚われてしまったら、その連鎖を断ち切ることは相当に難しい。まずいことに、心は伝染してしまうものだからね。あんまり後生の後輩たちに、そういうものは残したくないものだ』
一つの例を、ヤンは上げた。
『こういう話がある。とある民族と民族の紛争だ。そこの子供が親から聞かされた。隣の土地の子とは遊ぶなと、やつらは悪だ、お前を傷つけるだろうと』
人差し指と人差し指で指人形を作って、つたない劇を行った。
『でも僕は隣の土地の子とは会ったことがないよ、と答えると、いやいずれはそうなる、だから出会っても決して気を許すなと父親は警告した』
片方の指を曲げて、考える人のポーズを作った。
『じゃあ父さんは隣の土地の人にひどい目に遭わされたことがあるの、と聞いた。父親は答えた―――いや出会ったことはない、でもきっとそうなんだ』
話の意味を理解し、生徒達はみな一斉に顔をしかめていた。
『いいかい、歴史と伝聞は限りなく近く、そして遠い。愚者は経験にのみ学び、賢者は歴史から学ぶとは言う。しかし決して経験――特にその時に得た感情や感動を軽んじたり、人から聞いたままの話を鵜呑みにしてはいけない。歴史とは検証を続けることにこそ、その価値があるのだからね』
それを聞いて、黒髪ショートの学生は何度も何度も頷きを返していた。最初は反発と警戒の固まりの猫のようだと思ってたが、後に「ボス」と敬意と愛着を持って彼を呼び、最も慕い添う犬のようになっていったと、メガネの三つ編み委員長は述懐した。或いは彼の父性的な何かに惹かれたのかもしれないと。
というか、お偉方に対してしゃらくさい口をいくらでも利ける面と、普段はそれをも面倒くさがるという点で、あの二人、本当に親子じゃないのっ、と酒の場で漏らすこともあったらしい。
閑話休題。
そのように、日本帝国にのみイゼルローンの恩恵があるのは不平等という陳情は尽きなかった(或いはそう世論操作されたのかもしれないが)。
確かに毎日の食事がきちんと配給されるようになった。暖かい衣服と布団が皆に配られた。BETAの脅威から解き放たれ、命の危険がなくなった。難民キャンプの治安維持にも働きかけて、安心して道を歩けるようになった。
だが、それでも満足できないのが、やはり人間だった。
それに関しても、その都度その都度、ヤンは彼女たちに丁寧に告げた。
『人間というのは、そのときに一番痛いとこにだけ意識が取られるものさ。一つ治れば、もとから痛かった他の部位にも意識が移る。だが、それに囚われたら永遠に痛みを追いかけることになる。新しい悩みは生きている限り、どんどん出てくるからね』
一緒に紅茶を飲みながら、のんびりと話した。
『君たちの国のコトワザにあるだろう? 起きて半ジョー、寝て1ジョー、天下取っても2ゴー半と』
私は食が細いからライスは半ゴーで十分だけど、と言う言葉に、和服を着崩して、畳の上でお茶漬けをすすっている姿を想像してしまった生徒たちだった。なお、似合いすぎて、みんな笑いをこらえるのに必死だった。あれほど猫と風鈴と団扇が似合う姿は無いとも。
だが、誰もがヤンのように先が見すえて、淡々と生きれるわけではなかった。
真っ暗闇の中、イゼルローンという光が見えたが、いまだその光は足下を照らしていない。暗がりを恐れる人々が、無我夢中でその光を追いかけるのは仕方ないことだった。
今よりもっといっぱい、もう二度とあんな目に遭わないために、いっぱいいっぱい集めなくちゃ―――と、単純な欲望ではなく、未来への不安が拍車をかけた。特にそれはBETAによって国を追われた難民にこそ傾向が強く見られた。
『ばかばかしくはあるけど、放ってもおけないからなぁ。不安ってやつは恐慌と猜疑の卵だ。わざわざ孵化させてやることもない』
そのためイゼルローンも予防を欠かさなかった。具体的には情報の共有と公開である。情報統制や規制によるデマと暴走を避けるべく、イゼルローン番組をラジオに流し、難民キャンプの空に向けて、ホログラム番組も放映した。特に低重力フライング・ボールは近未来を感じさせるもので、娯楽にも飢えていた民間人には大いに好評であった。
だが―――権力者たちは難民を利用した。
日本帝国は1999年のBETA侵略以降、自国の国民を各国へと預けたが、そのツケを十分に払っていない。自国のハイヴを攻略した今こそ、その負債を精算してもらおうという要求が示し合わされたように出された。
つまり、難民の押しつけである。政治的にも経済的にも、これは断ることが難しい難問だった。実際、オーストラリアや南米などにも、一部の国民を避難させてもらったりしていたからだ。
ここにきて「攻略」の矛先がイゼルローンでなく、その滞在地である日本帝国に向いてきた。
姿を見せたばかりのイゼルローンには各国にも国連にも何らの繋がりも無く(あくまで日本に駐留滞在しているだけなので)、要求できることなどゼロに等しい。
しかし日本帝国は別だ。国債を含めて、さまざまな関係や資本を持つ以上、交渉や要求を迫れる隙は数限りなくあったのだ。将を得んとするならば、まず馬を狙うのが常道だ。
その魔の一手が、日本が難民の大部分を負担せよという国連での決議だった。そして多数の賛成によって、多くの難民を日本国内で受け持つことになってしまった(しかも次年度も次々年度もまだある)。
これによって日本の復興が大幅に遅れてしまうと、誰もが嘆息を隠せなかった。これからの予算をどう配分するか、省庁は頭を抱えた。
だが――そんなことを予期していないイゼルローンではなかった。
『 一つ許可をいただけたら、世界の状況をひっくり返します。 』
議長の呼びかけと説明に、やや考えた後、GOサインを出した姫将軍がいた。
ここに、イゼルローン法人、自由学園都市〈フリー・アカデミック・シティー〉の建設許可が下りたのだった。
※ ※ ※
国家には三要素がある。領土と国民と主権である。
領土とは、領土・領海(領水)・領空が一定に区画されていること。
国民とは、恒久的に国家に属し、一時の好悪で脱したり服したりしない人のこと。
主権とは、正当な物理的実力のことで、領土の国内外に対して排他的に行使できる実力を有すること。
尚、現代においては他国からの承認という第四の要素もあるが、少なくとも以上の三つの要素を保たれなければならない(ちなみにイゼルローンは政府であり、国家ではない)。
話は変わるが。イゼルローンが地球に長期滞在するに当たって問題となったのは、どこの国家の一部を間借りするか、ということだった。
およそ二十世紀の地球世界においては、北極も南極も太平洋も大西洋も、地球上から下まで余すところ無く領有権問題を抱えていた。BETAの問題があったので尚更である。
今後に大いに関係する件として、宇宙空間の領有権をどうするかという現実的議題も国連内において持ち上がっているが、とりあえず今は関係なかった。
とにかく、艦隊を千隻だけ地球に泊めるにせよ、どう考えても広大な土地がいる。国連と交渉して外洋に泊めるか、最悪、月の裏側に基地でも作るかという話も持ち上がっていた(尚、月にも領有権争いはある)。
だが悠陽との交渉によって獲得できた、日本国内におけるイゼルローン軍の駐留許可。これによって大手を振って、地球に滞在できることになった(尚、艦隊の地球上の交通に関しては各国から文句が出ている)。
さて。では次にどこに留めるかという話で、そこはフレデリカと日本政府との交渉によって、“四国本島を丸々貸借地”とすることが出来た。これにはとあるトリックがあった。
そもそも。日本(地球)と、イゼルローンの間には、共通通貨がない。
通貨レートを決める以前に、そもそも急な転移の影響でイゼルローン内の経済と物資を回すだけでも大変であるのに、地球との本格的な経済交流など始められるわけもない。いくら演算装置によるビッグデータの処理が出来るといっても、初期設定は人が決めなければいけない。それをしたら、確実に他の国家も口を出してきて盛大に揉める。
なので、もっと単純な物々交換に出た。
『 こちらは艦隊や機材をリースいたしますから、そちらは土地を貸して頂けませんか? 』
だから天曜は「譲与」ではなく「貸与」だったのだ。そもそも宇宙艦を渡されても、それを維持整備をできるだけの経済力が日本にあるわけもない。だからこそのお互いのリース。イゼルローンは使わない艦が余っていて、日本はBETAに侵略されて荒廃無人の四国が余っていた。正に蜜月の関係である。
もちろん国内からの非難も轟々とあったが、そもそも日本国民が何千万人と殺され、国土の大半が荒廃している以上、土地があっても誰が住めるのかいつ元に戻るのかという話だった。土地は管理してこそ国土となるのだと。
それに加え、イゼルローンが租借する十年間の間に造った施設や宇宙艦ドッグなどは、必要ならばそのまま日本が優先的に買い取る権利を得る、ということで、首相は強引に不満を退けた。
正にいたせりつくせりの扱いに、他の国が不満を募らせたのもある意味無理はなかった。BETA撃退後には宇宙エレベーターの建設も考えているという情報も錯綜したため、混迷は更に深まった。
さて、いまだグレーゾーンだらけの貸与条約が、難民を押しつけられるという事態に逆転をもたらせた。
『 不満がある、というのはエネルギーが有り余っているということだ。その行き先さえ間違えなければ宇宙へも導ける。 』
長きに渡って虐待と抑圧を受け続け、ずっと「いらないもの」扱いされてきた難民たちは、新天地にて驚きに包まれた。
ようこそ、自由学園都市へ! 建築したばかりの各種大型施設の中で、イゼルローン主催の入学式が盛大に開かれたのだった。
これには各国は一斉に非難した。「どうして日本国が引き受けずに、イゼルローンが引き受けるというのか!?」と。
それに対して日本はこう答えた。「租借地とはいえ、我が国の領土です、我が国が受け入れたも同然です」と。
これを聞いたイゼルローンの人々は思った。「なんだ、またヤン提督のペテンか」と。
日本以外の他の国と正式な交流を深めなかった鉄壁のイゼルローンが、いきなり難民を受け入れるなど誰が分かるか。そもそも軍隊の駐留地に部外者を大量に受け入れるなど、常識の埒外にあった。そもそもそれは法的にどうなのかという問いかけに対しては、議員お得意の先延ばし作戦によって、なんとか回避し続けた。
司法・立法・行政の最大の弱点は、前例がない事案を扱う場合である。法や前例を踏襲した上で動かざるを得ない者たちにとって、イゼルローンという人類未聞の存在の行動には、慎重にならざるを得なかったのだ。
『 確かに世界は公平ではない。だけど、ささやかな機会を作ることは出来るさ。 』
与えるのではなく、得るための方法を学ばせる――最新の自由環境の中で。これが地球再生の一手だった。
『 私たちは国家を相手にしていたわけじゃない。主体的な意志を持った個人が集まって国家を構成するものである以上、どっちが主で従かは明らかだ。 』
奪われ続けた者たちはここに咆哮を上げた。革命よ改革よ、今こそこの辺境より世界に広がれ、と某革命大好き中将まで加わっての大学祭が始まった。悪ノリが過ぎると止める者も一部イゼルローンにもいたが、歴史の流れは止まらず、世界を震撼させた。
避難施設ではなく学園というのが、世界の種を受け入れる土壌だった。ここに永遠にいるわけではなく、花を咲かせて実を成し、そして世界にも宇宙にも旅立つようにという願いを込めて、その学園は建てられた。
最新の設備、全く新しい未来知識、自由と革命への意志持つ講師陣と、自由学園都市の存在は、「極東のゼッフル粒子」と呼ばれ恐れられることになった。
ただ、日本国民からもさすがにやりすぎだという声が続出し、我々を助けてくれたイゼルローンならまだしも、なぜ先祖伝来守り続けてきた土地に外国の者を滞在させなければならないのか、という非難が多く上った。
それに対しては首相ではなく、将軍殿下が自ら国民に語りかけた。
『 BETAによって故郷を追いやられることが、どれほど惨めで苦難を味わうものか、それを知らない者はおりません。イゼルローンのおかげで我々は衣食に足ることが叶いました。なれば何故、いまだ困窮している民に対し、なおも手をさしのべようとするあの方々をも非難しようというのでしょうか。 』
勘違いしないように、そもそもイゼルローンは日本に、いいや地球に滞在しなくてはならない理由はないのだと。それを忘れて、日本ばかりが彼らの庇護下にあり恩恵を受けられるわけではないと。あなた方は、巣を暖めてやるから餌を寄越せと囀るだけの雛鳥なのかと。将軍殿下は静かな口調で、しかし厳に戒めた。
そうして、様々な職種の、様々な人種の、様々な経歴を持つ、『世界市民〈コスモポリタン〉』はここに勃興した。歴史は新たな転換点を得た。
ただし、統合した単一の国家を目指すなどではなく、もはや国家なんてものを気にしなくても生きられるようにということを指向したと、ヤンは注意喚起した。
『 我々は難民第一主義でもない。自分たちこそがイゼルローンに導かれた唯一正統などと思いこんだら、ろくなことにならない。 』
民主主義とは多様性と複数性にある。そういうわけで、難民以外の希望者も学園に入学できるように準備し始めていた。
それを聞いた各国は、非難の手のひらをあっさり返し、希望者――というより間違いなく工作員――を用意するために早速動き出していた。
ああ、ますます火薬庫に火種がつくことになると、首相は胃薬を大量に用意していた。
……ただ実際のところ、初期の学園はリアルMMO(事前登録人数、数百万人突破!)開幕当日、と呼ばれるほどごった返した。おい運営仕事しろ、が皆の合い言葉となるほどカオスな状況となっていた。
そういう修羅場には慣れている、むしろケンカとトラブルはイゼルローンの華だ、かかってこいではあったが、全てを引き受ける事はせず、地球の人からも祭りに参加、もとい参画してくれる者を募った。そのため各国は(以下略)。
フレデリカ直々にスカウトした神宮司まりももその一人になった。いまだ国連軍所属ではあるが、そこら辺は政治的駆け引きによってもはや何でもありで、本人の希望もあって兼任することになった。おかげで「……過労死ラインって何百時間だったかしら?」と膨大な仕事を抱えることになったが。
そのように、一年を経った現在でも、いまだ宇宙は日本を中心として盛り上がりを見せていたのであった。
※ ※ ※
「あら、あんた、まだ死んでなかったの? あ、そうだ、じゃあいっそここで死ぬ? むしろシネ?」
「ははははは、博士は相変わらず冗談がお上手なことですな」
「えーと、荷電粒子ライフルはどこにあったかしら? せっかく提供されたんだし、試し撃ちの的が欲しかったとこなのよねー」
そんな暑さの盛りの8月。横浜基地の香月夕呼は招かれざる客をどう追い払うかを考えていた。
まー、来ることは“社のおかげで”判っていたし、そろそろ政府も何らかのアクションを起こしてくるでしょうと準備はしていたのだけども。
「おお、おお、博士、無抵抗でか弱い紳士を過剰戦力で迎えるとは、なんという感嘆の至り」
「自称エセ紳士はイゼルローンの連中でお腹いっぱいなのよ、とっとと本題に入りなさい」
マジで構えたので、あっさりと手みやげを渡す―――と思いきや、“採点”を要求してきた。
「時に、以前香月教諭から出されました宿題に関してですが」
「? ……ん? あーそういえば、あんた2月から姿を見せてなかったかしら?」
だからてっきり関係各所から社会的に抹殺されたもんだと。
「猫の手を1000匹ほど借りるよりは、死者の手を用意するほうが早いとの判断ですな。しかしあいにく首輪付きなもので、いつ棺桶に戻らさせられるか冷や冷やとしておりまして」
まあ実際、銃で殺すくらいなら働かせて忙殺させた方がいいものね。モノや技術が足りても、時間と人が足りないのが世界の現状だし。
「下らない前置きはいいわ。こっちだって時間がないの、さっさと評価を言ってみなさい」
「では――――」
・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・
・・・・
「ふーん……なーるほどね、聖者、あー、なるほど、ヤンが聖者…………100点中5点、やり直し、補習は自分でやりなさい」
「採点基準はどのように?」
「文学的センスおよび理学的証拠に欠ける、ナンセンス、以上、カエレ」
「証拠ならばいくつかあるのですがねぇ」
……ほーぉ、ようやく聞く価値のある情報を開示するようね。まったく、相変わらず迂遠に話すもんだから、いつぶっ飛ばしてやろうかと思ったけど。
「いいわ、話してみなさい」
「最近、某塾なる勉強会の集まりが、若手の武家を中心に行われているのをご存じで?」
ふーーん? ……武家、若手、勉強会…………となるとイゼルローン? 狙いは…………で鎧衣あたりが動いている…………あー、あー、下らない。
「国内の反イゼルローン派のあぶり出しかしら」
「いえ、それが見事に企画倒れしまして」
あら??? スケープゴートを立てて、耳障りをよくしたプロパガンダからの、反対派閥を集めての、一網打尽じゃなかったのかしら?
「将軍殿下はイゼルローンの傀儡と化したー、日本帝国の自治は地に墜ちたー、とかいう連中、思ったより多くなかったのかしら?」
正直、自由学園都市はやりすぎだったものねー。国内の土地貸借から始まって、難民とはいえ勝手に他国の人間を入れたってんだもの。我々意識の強い連中はワメくでしょうね、そりゃ。
だったら自分たちで賄えるかっていったら、口を閉ざしたでしょうけど。技術と物資だけよこせ、口は出すな、なんてイゼルローン様に言えるわけもなしと。はっ、情けないわねっ。
「いえいえいえ、おりましたとも。しかしながら、先の月の『ヤン・イレギュラーズ』の活躍によるものですな」
「あー、あれね」
“実験”の一部を思い返す。なんということはない、A-01部隊の中から大隊(36名)を選抜して、ヤンに戦術指揮をとってもらっただけ。A-01部隊の内情は基本秘密だから、通称ヤン・イレギュラーズって呼ばれたらしいんだけど……。
「あいつ、帝都防衛部隊に勝っちゃったものねー」
「はははは、博士の模擬線企画のおかげで政府軍部は大混乱でしたがね」
※ ※ ※
――でもあれは面白かったわ~~。
A-01部隊全員を並ばせて、今日からこいつに戦術指揮を取ってもらうからって、モニター越しに紹介したときのことを思い出す。まりもなんて、盛大に吹き出していたものねー。ただ肝心の連中、リアクションが乏しくて、え、本物、え? みたいな感じだったのが残念。
横浜基地の司令官なんか、あんぐりと口を開けて固まった後、詰め寄ってきたけど。
『まあ大変、そのヤン元帥閣下って、ずいぶんとご立派なのねぇ。どこかの穀潰しのヤンに見習わせたいわ♪』
『同姓同名の別人というのは、同じ時代に三人はいるらしいですからねぇ。そのごくつぶしのヤンさんという方も、きっとどこかにいるのでしょう』
これを聞いた社曰く、「口ケンカは同じレベルどうしでしか起きませんね」とのこと。まったく悪い影響をイゼルローンから受けたものだわ。
ま、確かにヤンを使うなんて越権どころか、そもそものところ誰にも権利なんてありはしない。イゼルローンの中でも、議長だけだろう。
だから「お願い」をしただけのこと。それも、国連軍所属の香月がイゼルローンのヤン提督に、ではなくて、香月夕呼個人がヤン・ウェンリー個人に対してだ。
――あいつ、軍令や軍務を破ることもあるくせに、根底の規則には人一倍うるさいものね。
まあ、あいつに今のところ仕事が無いのも効いていた。
社にも聞いたけど、日本との交流が始まって以降は、お茶飲んでいるか、本読んでいるか、パズル解いているか、チェスやっているか、日なたのベンチで寝ているか―――基本、ぼけーっとしているだけだったものねー。
何でも、こっちに転移してからの半年ほどはかなり考えている様子だったが、地球との交流もうまくいった今はその反動で、やることなすこと他人に全部任せて、書類の裁決以外は食っちゃ寝の物置と化していたみたい。
妻の議長は日夜働かせて、夫の軍人はぐーたらしているって状況。しかもヤン夫人はむしろ喜び、養い子も「ヤン提督が一生懸命働くようになったら、いよいよイゼルローンも終わりな気がしますので」と、不真面目さを肯定していた。
そこに目を付けたのが、あたしと中将ズ(3名)だった。
『あんた、作戦について考えるのは好きなんでしょ? だったらちょっと乗りなさいよ』
『寝て起きて食って寝てと。お前、夫人もユリアンも地球に行った途端、ホコリを友として呼び戻したな』
『朝寝、朝酒、朝風呂、妻は遠くに単身赴任中。これで愛人でも呼び込めば完璧なのですがなあ』
『せっかくのお祭りへの誘いを断るのは、老年への始まりだと思うのですがね』
と懇切丁寧に包囲説得〈こうげき〉すること長期間。司令官はあたしで参謀はあんた、あたしの責任と裁量の範囲内に納める、部下の生命を決してもてあそばない、etc...で、不定期ならばと参謀を勤めてもらうことになった。辞めたい時はいつでもどーぞ、がお互いのご挨拶で、皮肉が基本。イゼルローンからも地球からも、周囲からはふざけた関係と見られている――――狙い通りに。
本命の理由は、ヤンとヤン夫人にだけは伝えた。
地球どころか宇宙全体のBETAの攻略、そのためだと。細かい理由は伝えられない――実験の意図を伝えたら、効果に影響が出てしまうから――と、その時が来たら全てを明かすと約束をした。あと、ヤン達がこっちの世界に来た原因についても、あたしなりに解明してみせると約束した。
それと、ヤンが関わらなければ関わらないでもいい、その代わり、どうしても犠牲になる人数は増えることになる、千人単位程度だけど、という「事実」も話したのが効いた。
そして何より、
『 ご主人に人殺しの手伝いをさせるようなことは、決していたしません。 』
彼女にそう約束をしたのが最後の一押しになった。
英雄としてのヤンではなく、個人としてのヤンの力が必要なのだと。
殺人者と殺人被害者を増やすために動くわけではないと。
議長が神妙に頷くと、あいつはしみじみと深いため息をついて、給料分は働きましょうと答えた。
これ以上、下らない戦争の犠牲になる若者たちを少しでも減らすため。ヤン風に言わせれば、いかに効率的に味方を殺すか。その名分でお互いが手を組んだ。
そういうわけで、うちの「非常勤参謀」は決定した。ちなみにそれもヤンのあだなの一つだったらしい。ふむふむ。
それが今年の3月中の出来事。佐渡島ハイヴ攻略前にあいつを陥落できたのは大きかった。最初はまりもに対してだけ戦術指揮を任せてみたけど、思いの外、すぐに「効果」は見られた。だからこそ、あの日も実戦を任せられたわけだ。
それを更に検証すべく、今度はA-01部隊に対して実戦指揮を任せてみたけど、今度は“逆方向”にも働く場合があることが確認できた。
――だからでしょうね、先月の戦果は。
更に様々な検証を秘密裏に行った後、ひとつの模擬戦を特別に将軍殿下とイゼルローンとに諮った。それが対人最強と謳われた帝都本土防衛を担う戦術機部隊と、A-01部隊との戦いだった。
ま、国内のハイヴを完全攻略した日本帝国には戦術機が余っていたし、『大翔』の活躍で「旧型」になった戦術機は博物館送りになっていくってのは分かっていたしねー。
それに加えて、ハイヴ攻略後の3ヶ月はまーったく「実戦」をすることが無くなった連中が多くなったことも交渉材料になった。気を緩ませたら今度こそ実戦で命を失う、どこかで喝を入れねばいけないという意見もあったのだ。
「誰もが思ったでしょうなあ、かのイゼルローンの元帥といえども、これは不可能だと」
あっちは最新の第三世代の武御雷と不知火、こっちは不知火と型落ちの吹雪。戦術機の搭乗時間数や実戦経験も圧倒的にあっちが豊富。何より人数が72対36というふざけた戦力差。
下馬評で不可能と言われた最大の要因が、ヤンの存在だった。そもそも宇宙艦隊司令官殿が戦術機の指揮を取るなど、海軍が陸軍の部隊を扱うようなものだ、部署違いもいいとこだと、軍部のほとんどが憤慨するか嗤い飛ばした。
だけど、ヤンはそれを覆した。
「ステイルメイトだったかしら? あの状況」
「三コウともいいますな。防衛戦においては勝利とも言えるのですが」
地球上でも前代未聞の公式軍事演習ということで、各国の軍事顧問たちもそれを見守った。
さすがの戦力差と、帝都防衛部隊の本来の任務を省みて、あっちが防衛部隊、こっちが攻撃部隊にしてもらった。勝利条件は「三カ所すべての拠点を撃破したら、攻撃側の勝利」「攻撃部隊全てを大破させたら、防衛側の勝利」となった。
序盤・中盤は完全に帝都防衛側に押されていた。斯衛の誇りにかけて、一カ所たりとも攻略させてなるものかという意気に溢れ、指揮は万全、連携完璧。こちらは防衛に隙を見つけることが出来なかった。
そう、何一つミスはなかった。なにも連中は間違えていなかった。正に軍事の教科書に乗るような戦法だった。
だからこそ、ヤンに勝つことが出来なかった。
「帝国軍ではイゼルローンの詰め将棋と呼ばれ、日夜研究されているようで」
「はっ。必要な時に解けなかった問題を説くことに何の意味があるんだか」
戦闘が続き、三分の一近く減らされたA-01部隊。これは一気に決着が付くかと思ったが、そこは熟練の帝都防衛部隊、慎重に包囲網を作り始めて―――というギリギリの瞬間で、ヤンは部隊を動かした。
その配置とタイミングが実に絶妙だった。見事なまでに逆包囲を完成させ、こっちは全滅間際と引き替えに三カ所全てを撃破することが可能という状態になった。
そして特筆すべきことに、ヤンはそれを相手側に悟らせたのだ。
『 遊兵を作らないのは兵法の法則だが、遊兵がいる、ということを相手に知らせるならば、遊兵もまた兵法になる。特に相手が兵法に通じていればなおさらだ。 』
敵の心理と思考につけこむヤンの真骨頂が発揮された。逆包囲が完成する直前、敵にこちらの意図を気づかせたのだ。
瞬間的に、あちらの総指揮官、摂家の斑鳩当主は部隊を制止させてしまった。なまじ優秀であるが故に、その詰め将棋の難解さに気づいてしまったのだ。だから、何とか突破口を見つけようとしてしまった。
双方の部隊が制止した。お互いがお互いに包囲してしまい、ここからの一手を間違えてしまえば勝敗が決まる状態となってしまった。
戦況を見守っていた軍部関係者もざわめきはじめ、選手だけでなく観客までもがどうすれば勝てるのかを考えた。現場にいた部隊の沈黙とは対照的に、大モニターの前の貴賓席は喧噪に包まれた。
その状態が数分、あるいは十数分続いた頃、誰かが気づいた。
『 そのままだと、あちらさんも勝利条件を満たせないんだよねえ。 』
今回の模擬戦は防衛側が圧倒的に有利ということで、制限時間守りきるのではなく、攻撃部隊の全撃退が勝利条件となっていた。つまり、いつかは勝負に出なくてはいけなかった。
『 だけど、そのまま強引に力押しされたら、たぶんこちらがやられてしまうだろう。 』
とアッサリとヤンは認めた。計算上は確かにこっちがギリギリ勝てるラインだったけど、それは馬の背に乗っかっている状態であり、勝つには飛んでいる針に糸を通すような精密な動きが必要だったと。物量戦ありきのBETA相手なら十中八九負けたと。
だが、それは対人ならば――相手が“優秀”であれば全く別の話になる。
一度止まってしまったからこそ、作戦時間を取れたからこそ、戦法に拘ってしまった。そして攻撃側が動かないからこそ、防衛側が先攻を取らざるを得なくなったのだ。
『 あちらが“対応”する場面でのミスは期待できない。だが“選択”がいくつもあれば、先の複雑さにどこかで詰まる。そこを狙うしかない。 』
ヤンはワザと先手のバトンを渡したのだ。勝利と敗北に全責任を負わせる、という恐怖をちらつかせるために。斯衛として、日本の帝都を護る者として―――そんな武家達のプライドを狙い撃ちにすることこそ、ヤンの心理作戦だった。
『 まあ、たぶん、殿下が止めてくれるから、決戦まで行くことはないよ。気楽に待っててくれ。 』
何よりあいつの怖ろしいところは、その終着点まで予言しきったことだ。それを聞いたA-01部隊は「はあ……」という半信半疑で返事していたが、模擬戦後は魔術師を見るような目でヤンを見るようになった。
事実、膠着状況が限界にまで達したところで、将軍殿下が一喝して戦いを止めた。双方ともに十分にその成果を示した、これ以上の模擬戦は無意味であると。
突然の戦闘停止指示に、しかしヤンはあっさりと受け入れた。いきなりの事態に困惑の色が浮かんだ各国の観戦者たちも、ヤンが「やあ、お見事でした」と拍手したことにつられて賞賛の声を上げた。
実際は引き分けなのだが、防衛指揮官の斑鳩は敗北を認めた。それは、模擬戦後の戦術考察をしたいとヤンに申し込んだ時、ヤンが吐いたセリフのせいだった。
『 いえ、私たちは最初から負けていました。もし最初から、防衛側が三拠点の内、二つを捨てて一カ所に戦力集中していたら、こちらは白旗を揚げざるを得ませんでしたので。 』
ええ、これを聞いた時の武家側の反応といったらもう笑うしかないくらいだった。ぽっかーーん、って擬音が聞こえるくらいに全員が口を開いて、まじまじと“宇宙人”を見つめた。それ、わかっていてもヤるかって作戦だものねえ。ヤン、卑怯、さすがヤン、汚い、エゲツナい。
呵々大笑した斑鳩は「いやいや、これは敵わない。我々は天ではなく、己自身の慢心……いや傲慢に破れたわけだ」と、憑き物が落ちたような顔でヤンに敗北の握手を求めた。
それが帝都模擬戦の決着となった。
※ ※ ※
「あれ以降、いえいえ、過激派や中立派だった武家の方々も元帥、いやヤン参謀に好意的な声を出すようになりましてねえ。いえ、実にこちらも“仕事”を進めやすくなりました」
「ふーん」
ま、そちらは予想通り。あいつの影響力は半端じゃないものね。なるほど、それが鎧衣の言う証拠の一つってわけね。
武家の連中は格式とか歴史とかよく口にするけど、同時に「強さ」の原理に関してはよく従う。特に今回は、ヤンという一個人の力に敗北したとあって、摂家さえもヤンを個人的に認めるようになったということだ。実際、彼らとのパイプ作りにもヤンはよく働いてくれた。
ただ、鎧衣自らがわざわざ言いにきたってことは、それだけじゃないってことだろうけど。
「――それで逆の連中は?」
「ははは、やはり今を、いえ歴史をときめかせる香月女史は鋭い。―――高貴なるお方は、最近の星の動きに気を害しているようで」
ふーーん……高貴、ねえ? 元帥府……なら、『斑鳩』は今聞いたように肯定派に鞍替え、『嵩宰』は元から消極的賛成派、『煌武院』は論外、となると……。
「先代(元将軍)の『斉御司』かしら」
「いえ最後の一つですな」
ああ『九條』ね。でも妙ね、今の情勢で? 確かに現将軍は色々と……ええ、ほんとに色々とやりすぎている面もあるけど、功績でいったら世界的規模だし。次の将軍狙って裏工作に動くにしても、時節ってモンが読めていないにも程があるけど……。
「ああ、時に博士、」
「何よ、ちょっと考え中なんだけど」
「“彼のお方”を第四計画の対象者にする心算ですかな?」
…………。
「………………」
……なるほどね。こいつ……いや日本帝国は、ついにあたしという天秤の位置を測りに来たわけか。
イゼルローンがその姿を明らかにし、オリジナルハイヴ攻略も今年達成すると計画されている今となっては、オルタナティヴ計画に比重を置く理由がもはや無い。まあ予算のぶんどり合いは今に始まったことじゃないけどね。
だけどお偉方にはとある誤算が生まれた。そう、オルタナティヴ4計画の総指揮者であるあたしと、イゼルローンからご指名された香月女史が同一人物であるということだ。
そのため連中は計りかねた。あたしという存在をどう扱うか、オルタナティヴ計画は凍結すべきなのか、継続すべきなのかを。
まあふっつーに考えれば、とっとと暗くてうす汚い計画なんてお蔵入りして、イゼルローン様の目に触れないようにさせる配慮をしたいんだろうけど。あたしはそれを止めさせた。むろん、イゼルローンから仕入れた様々なおミヤゲを餌にして。
だが、やりすぎというものはある。それがイゼルローン最高軍事責任者であるヤン・ウェンリーに軍事指揮をさせたという点だろう。いくらあちらの合意を得たからといって、あまりに越権行為、あまりに秘密保持義務違反、あまりに売星奴だと。
いったい香月博士はなにを考えているのか。それをこいつが測りにきたって訳か。あるいは、あの将軍殿下も危惧を抱いたのかもしれない。だいぶヤンに心酔しているみたいだしね。
――……ま、煙にまいても後々が面倒かしら。
何だかんだで鎧衣は人を見抜く目が鋭い。黙っていても嘘をついても、謀殺はされないまでも、権限は一気に削られるだろう。何しろイゼルローン様の御気分を害されるかもしれないってことに関しては、日本ほど敏感になっている国もないものねー。
しょうがない、一部は答えてやるか。
「しないわよ、無意味だから」
「…………。ほぉ? 無意味とは、また意味深な回答ですな?」
「ヤン・ウェンリーを『00ユニット』にしても、まったく効果が出ないって言ってんの」
変に勘ぐられるのも面倒だから、直接言ったけど……まったく、ちょっとばかり補足してやるとしますか。
「いい? あたしの『因果律量子論』においては、世界の在り方には人の意志(観測)が大きく影響を与えているという仮説があるわ。世界に意志を投影する力を持つ者は、並行世界から漏れ出す因果情報を受け取ることができる。だからこそ、意志こそが重要不可欠なものになる」
「…………ふむ」
「だけどね、ヤンはね、勝ちたいなんて意志は持っていない。自分が正しいだなんて信念なんて有りはしない。そもそも、あんちくしょうには、やる気なんてこれっっっっ、ぽっっちも無いのよっ」
「…………ほぉ? それは博士が提唱する理論とは真っ向から反対しますな。では、はてさて? かの名将は偉業とも奇跡とも称えられる戦績の数々をいかにして成されたのでしょうかなぁ」
「ええ、勝とうとする意志や気持ちや行動が大きい方が強いし勝つ。基本はそうよ。プラスの意志こそが、運命ってやつを切り開くって言ってもいいわ」
その最たる存在が、あいつの世界の新皇帝なんでしょうね。言うなればプラスの極限値。それは全てのプラスの意志をねじ伏せ飲み込んでしまう、圧倒的な恒星。だからこそ、ヤンのいた同盟側の猛将も知将も勝ち得なかった。ベクトルでは強い力の方が勝ち、相手を飲み込んでしまうのだから。
では、なぜヤンだけは、正の極限的存在に対し得たのか。あいつの存在の答えはそこにある。
「でもね、理論には必ず例外……いいえ、特異点というのがある。あいつはね、その例外的存在、“ゼロ”なのよ」
あいつを計算に入れようとするのは、それこそゼロ除算をするようなもの。決して特定の答えが出てこない存在。マイナスゼロでもプラスゼロでも同じ存在なのに、演算機にかけると例外処理されてしまう悪魔。無意味、無定義、無限、パラドックス―――それがヤン・ウェンリーの正体。
「ヤンは勝とうと思っていない。でもね、負けようとも思っていない。だから、強いのよ」
「…………」
「あいつには勝利への欲とか、敗北への畏れなんてほとんど無いのよ。真ん中なのよ、ゼロなの。どうやっても、どんな時でも、なにがあっても」
「欲はその脚を浮つかせ、畏れはその一歩を躊躇させる、ですな」
たぶんあいつに死にたいのかって訊いたら、『あまり死にたくないかなぁ?』って答えるでしょうね。しかもその精神性だけじゃなくて、学者的視点から未来を予測するんだから効果は倍増する。
普段はモノの役にも立たないあいつが、死か生かの究極極限状況においては、その真価を発揮する。ごく淡々と冷静に、しかし確実に生死の突破点を見つけだす。
「あいつは相手側の思惑や意図や行動なんて、ほとんど読み切っている。読んだ上で、相手に何が何でも勝とうなんてしないのよ。そんな宙を浮くノレンみたいな存在に誰が勝てるってのよ」
勝とうと動く者は必ず力を入れざるを得ない場と、弱くなってしまう場がある。あいつはそれを一瞬で読みとって、それを逆手に取り一発逆転を狙う。それは、後の先の極み。
劣勢から取り返そうとするのはあたしも同じだけど、一つ違う。香月夕呼は、いつも勝つつもりでやる。でもヤン・ウェンリーは負けないつもりでやる。
だから――あたしはあいつには決して敵わない。新銀河帝国の皇帝さえ、ついにヤンに勝ち得なかったように。
「ふむ。ふむふむふむ。なるほど、ゼロなる存在と。――しかし気になりますな。ではいかにしてヤン・ウェンリーに接触した彼女たち、特に社霞はあれほど成長できたのでしょうかな?」
あー、やっぱりつっこんできたわね。ま、そっちはとっくに裏の連中にはバレていたんでしょうけどね。
そう、ヤン・イレギュラーズに入った連中もだけど、社はその能力を多大に伸ばしていた。特に思念波を飛ばすことに関しては比類ない成長で、『停滞工作員〈スタグナー〉』を炙り出すことさえ出来るようになった。
停滞工作員、それは指向性蛋白を注入された自覚無き工作員。人工的な生化学物質――但し、ウイルスや細菌、ナノマシンの類ではないため、免疫系の影響を一切受けず、専門的な検査をしないと発見できない――を投与された人間。その物質は一時的な記憶障害や暗示、猛毒や爆発物まで体内で生成させる、いわば武器を持たない暗殺者と人間爆弾を生むことさえ出来る。
欧州連合情報軍所属のとある男は、その思念波を(特定の条件下で)出せるようだけど、社のそれはもはや完全な任意での発動だ。
それ以外にも様々な点で、イゼルローン訪問後から能力の飛躍が見られている。それは正に、あの一週間で『洗礼』されたかのようだった(個人的には『汚染』ってつけたい、もんのすんごく名付けたい)。
――しっかし、その成長がヤンに“感応”しただけで起こるって、どんなおとぎ話ってのよ。
科学にケンカ売ってんの、あいつ。
――そもそも、対象に接触しただけで『より良い確率分岐する未来』を引き寄せる能力を上げるか“下げる”って、どんだけよ?
まさか本当に奇蹟〈ミラクル〉のヤンだなんて、想定もしてなかったわよ。そーいう触媒がいるかもしれないとは仮説には置いていたけど。
そもそも因果量子論的に言えば、「運」とは各個人に先天的に備わっている『より良い確率分岐する未来』を引き寄せる能力を指す。並行世界から漏れ出す情報を、無意識のうちに的確に選択して、『正解である世界』を選び取っているのが人間。
ヤンはその能力の影響力がとんでもなく、接触した相手の運を巻き込むことが出来る。仮説通りなら、それは歴史に名を残した『始まりの賢者』というべき存在。
それはヤンが偉業を成せば成すほどに、相手への影響を高めていく。それこそ最終的には、相対している相手がヤンの名を聞くだけで影響をもたらしてしまったほどに。
――ま、実際、銀河帝国の連中もけっこう無能化したみたいだし。
表面的にはさっき鎧衣が言ったのと同じ現象が起きたのだろう。ヤン艦隊に対して、欲か畏れの針が限界を振り切って――実際はそうさせるようヤンが仕向けて――普段なら決してやらないような失策を打ってしまう。そして味方は不敗のヤンへの信仰によって、十全の力を発揮できるようになる。
しかし根底にはヤンの因果律の力が働き、敵には幸運の低下を、味方には“悪運”の上昇をもたらしていた。あたしはそう睨んでいた。
「あいつ自身がゼロだからこそ、周りが勝手に触発されて変わっていく―――いいえ、『本来』に戻るのよ」
「…………」
「……人間の心って生きている内にいろんなモノをくっつけられて、変わってしまう―――自分が変わったことにさえ気づかされないままに、時は人間を置き去って流れてしまうわ」
「………………」
「全ての物質は、そこに『在る』ことを求められて存在している。様々な意志によって、存在は初めて存在できる。だからいっぺん凝り固まった存在はそうは化われない。それこそ、ゼロなる存在と掛け合わされない限りね」
「……なるほど」
そういったことを教えてやったら、なるほどなるほどと――こいつには珍しく、本当にそう見えるように――納得したようだった。
「月は変わらず天にあり。ただ我々の見え方が変わるのみ、という具合ですな」
「ま、月は実在するから見えるんじゃなくて、見ている時だけ存在するって考え方よ」
そういう意味ではヤンは湖畔に反射する朧月。実体は無い。勝手に出会った人間が想定するだけ。あいつに飛びかかるのは、月をたたこうとして湖に飛び込むみたいなもの。
あいつ自身は、ちっぽけでだらしないロクデナシのゴクツブシなんだもの。そんなヤツに挑んでも勝てないっていうんだから、まったく不条理を感じるのも無理ないわ。
「だから解った? ヤンはね、あたしの貴重な、きっちょぉぉぉなサンプルなの。サ・ン・プ・ル! あいつをそんな一発勝負の使い捨てにするのなんて、勿体ないったらないわ」
「時に博士はイゼルローン語録の『ツンデレ』なる存在をぉぉぉぉっ!?!?」
ちっ、避けたかっ!
「はははははっ、なるほどそれが香月夕呼女史の『本来』でいらっしゃいましたか。ああ、若く研究一途で優秀すぎる適齢期の女性、年下は性別識別圏外、おお、だがそこに出会ったのは歴史学の教授―――」
もう一発っ! いいえ当たるまでっ!!
「…………とまあ、とある平行世界の話は別にしまして」
カチカチッ、エネルギー切れっ!? まったくっ! 誰でも当たるように改造しておくべきだったっ。
「なによっ、もう用件は済んだでしょ、とっとと棺桶に還りなさいよ」
「“マイナス”なる存在はご存じで?」
………………。
「いま、なんて?」
「負。あるいは人間の悪意の“群体”。己が存在できるならば、他の存在を幾ら浸食しようと失おうと腐らせようと一切を省みない。人類のがん細胞、悪性新生物」
…………、それは……。つまりさっきの話は……。
「尊きお方ってヤツの動きの裏にいるのは、どっかの国家ってこと?」
「香月博士、貴方はお若い。それだけに『奴ら』の存在を知らないのも無理はありません」
なによ、こいつ。急に真面目になったりして。
「組織には居ても組織の長ではなく。国家に属しても国家に従わず。個人でもあり、時に他の同類とも繋がり、しかし決してその存在の本質を知らせず、常に生き残る。寄生粘菌という言葉がお似合いですな、どこにでも入り込む」
「…………オルタナティヴ計画にも」
「います。ですが、それは特定の個人ではないのです」
「…………」
「どこの組織にも、いつの時代にも、必ず存在するマイナスの存在。ちっぽけな裏切者であることもあれば、仮面をかぶった国家的煽動者であることもある。共通している事は、奴らは“自分以外はどうなっても一向にかまわない”ということです。それこそ国家も歴史も破滅しようが」
……なるほどね。
「確かに自分の手足を切れば痛むでしょう、勿体ないとも思うことでしょうな。しかし奴らにとってはそれだけ。またどこかで新しい手足を見つけてくっつけ、ひたすらに自分のためだけに生きる」
「潰すのは?」
「BETAを撲滅するほうがまだ可能でしょうな。人類が生きる限り、そういった手合いがどこそこに生まれてくるでしょう」
……あー、ヤンも言ってたわねー。
『 人間が戦争を始める時は、命より大切なモノがあるといって始める。止める時は、命より大切なものは無いといって止める。この場合の命とは、権力者とそれ以外とで意味が異なります。 』
自分の命のみを重んじて、他人の命をとことん軽んじる者がいるかぎり戦争は終わらない。そんなことを人類は何千年と続けてきたんだと。
「ちょうどイゼルローンの存在が明るみになり、奴らの活動が活発になってきました。こちらの網に引っかかる程度にはね」
「…………」
「私は疑問に思ったのですよ、香月博士。はたして、彼の聖者殿の叡智は、その存在にまで気づいて計画してたのかと。ここ一連の彼らの政策は、そういった負の存在の浸食を加速させてしまっているのではないかと」
確かに……正直、やりすぎな面はある。民主主義とかのあいつの理想は解るけど、もっと慎重にやっても良かったはずだ。焦り? いやそういうのではない。だけど……
「…………、なるほど博士もご存じではなかったようで」
ちっ。なーるーほーど、こいつ、そっちを確かめるのが本命だったってわけか。やられたっ。
「ははは。では、白き狐と黒き狸の心温まる交流を今後を期待しまして、月下氷人は去ると致しましょう」
言いたいところだけ言って、音もなく部屋から抜け出していった。
……空間ディスプレイを出して、ぴぴぴっと。せめてセキュリティを上げて嫌がらせしておく。ただで帰らせるものか。
「まったく、招かれざる客と問題ばかりがやってくるわねっ」
…………まあいいわ、いい機会だものね。せっかく出されたこの命題、この天才が解いてみるとしましょうか。
「社ー、ちょっとコーヒー入れて。休憩するから」
『……わかりました』
社に連絡を入れて、ちょっと本腰を入れて思考回路を回す。
「そう……ヤン、あんたがいったい何を隠していたのか、考えていたのか。あたしが捕まえて、解き明かしてやるわっ」
ゼロ除算? はっ、そんなモンのパラドックスなんてあたしが解けないわけがないってことを教えてやる。あんたの飄々とした態度も今日までってことよ、覚悟なさいっ!
『……わたし判ります。それはライバル関係と見せかけての、博士なりの独占欲なんですね』
とりあえず、社、あんた正座。
※ ※ ※
「さーて、やっぱり考えるべきは、初期のイゼルローンの行動の不自然さね」
「……はい」
社の入れたブレンドコーヒーを飲みながら、ゆっくりと思考実験を始める。ちなみに社はイスの上に座布団を敷いて正座していた。
片手で空間ディスプレイを操作して、三次元の黒板に書き込みを始める。
「各国の連中も突っ込んでいるけど、イゼルローンの地球へのコンタクトは、一貫性がなく中途半端な点がいくつも見られている」
誰かに教えることは、自身の考えを整理することにも適している。自分の説明に何か曖昧さや不足があると、キチンと伝わらないからだ。
「もし仮に、本気でイゼルローンが地球に援助するのであれば、一年前の最初から声明を出し、国連にでも接触すればよかったのに」
「……ですけど博士、ヤン提督が仰っていたように、それは混乱を招きかねませんでした」
「反論できるわ。それは現在も同じじゃない? どうあっても混乱は避けられない。なら、あちらが組織なり人物を交渉相手に指名すれば良かったともいえる。明らかにイゼルローン側が主導権を取れるのだから」
「……でも、一年前の時点では資源や物資は不足していました。皆さんに行き渡る分はなくて、たくさんの暴動が起きたかもしれません」
「それにしても、各国の協力があれば――まあ地域の偏差は埋まらないにしても――全体の底上げにはなったはず。そもそも地球側の問題があっちが背負いこむことなんてないわ」
そうだ、ヤンの意見では、イゼルローンは最初から地球側を信用していなかったように捉えられてしまう。ま、実際、とんでもない実態や裏があるんだけど。十分以上に情報をよく集めてから判断したので、余計に慎重にならざるを得なかったとも言えるけど……。
「かと思うと、ここ数ヶ月のイゼルローンの行動は、今までの慎重さから解き放たれたように、好き勝手やっていて隙だらけに見える」
自由学園都市はその最たるモノだ。熱気があって面白いのは認めるけど、自由度が高すぎて、地球側の様々な思惑も絡まる魔都と化している面も見られる。
この行動の温度差はいったいなんだろうか?
「これは、あたしと社、まりもと将軍殿下――ひいては日本と正式に接触できたことで彼らの行動地盤を固めることが出来たから?」
「そうだと思います。ヤン提督は、私たちを信頼なさってくれているんです」
ぷんすーっと可愛く鼻息を漏らして、小さい拳を構える社。なんだかんだで社もヤンのことを信頼しきっている。ま、ヤンの養い子の記憶を見過ぎたせいで、社自身もヤンに数年間養われていたような感覚になっているのでしょう。実際、社があいつの所で養われていても、おんなじように育てたでしょうけど。
「そうね、日本や地球に大枠を任せられる段階になったからこそ、大胆になっているとも言えるわ」
そこには矛盾は無い。信頼できる地元のビジネスパートナーを慎重に捜しだし、準備を進めたらお互いに協力し、一気にコトを成す。それは全く正しい。
……そうなんだけど。
「やっぱりどこかおかしい」
「………………」
「導かれた命題の正しさは証明できるし、隙はあってもなるほどとは思える。でも、そもそもの公理系に、一貫性や無矛盾がないように思えてならない」
そう公理系――つまり前提と仮定だ。その認識がそもそもの間違えを呼んでいるんじゃない?
「最初に立ち返りましょう。そもそもヤン、いいえイゼルローンの当初からの目的は何? いくつでも列挙していきましょう」
社と一緒に空間上に付箋を貼っていく。
「地球とイゼルローンの平和、民主主義、独立独歩、BETAの撃退……というか防疫体制の構築、この男女バランスの解消は公理ではないわ、公理は最小にするのが原則よ、地球人との交流、個性の尊重、人類生存チャンスの確保、経済の健全化と発展…………」
あー、いけないいけない、現在の状況から前提を当てはめようとするのは循環論に陥るわ。ここからはもっと絞っていくとして。
「地球との平和、民主主義、BETAの撃退。この三つが彼らの目的なのは間違いないわ」
「はい」
「BETAの撃退……だけをイゼルローンでやってしまうと、民主の原則からはずれる……だから地球人、特に個人に対しての接触を特に重んじた……そして地球の混乱を少なくするために………………」
……?
「ここ。あの時感じた違和感は、ここだったのよ」
『 私たちは、なるべく、それを止めたいんですよ 』
『 …………すると閣下が、いえイゼルローンが望んでいるのは。 』
『 平和です。 』
『平和』という文言。そこが矛盾を生じさせている。定義が成されていないのだ。
「でも、そもそも平和って何? BETAの撃退は判る、あいつの言う民主主義の精神もまだ理解できる、でも彼らにとって、地球の……いえお互いにとっての平和って何を意味するの?」
席を立って、室内を歩き出す。
「国家においても平和維持を口にして、従わない者や反対者を公然と排除しているのが実態よ。平和は決して聞こえのいい言葉じゃない。なのに何故、ヤンが、あの政治嫌いの男が、平和なんてフワフワした言葉を口にしたの? あいつは決して無意味なことは言わないのに、」
つかつかつかと歩みを止めることが出来ない。あいつ、何かとんでもないことを最初から明かしていたんじゃないかしらッ!?
「これは謎かけなんかじゃない、ミスリードよ、こっちが勘違いしただけのこと、またやられたの、だからそう、でもああ、ヤンは地球を実効支配しようなんて気はサラサラないし、だったら平和っていうのは、あの時、いいえ現時点でもその選択は残しているはず、じゃああたしや将軍殿下がもしも――――もしも?」
ぴたりと足が止まった。
『 団体、組織、あるいは国家、どう言ってもいいのですが、人間の集団が結束するためには、どうしても必要なものがあります。 』
…………、あっ。
「――なによ、それ……!?」
行き着いてしまった。今更ながら、あいつに追いついた。
ワラいがこみ上げてくる。腹の底から顔の皮膚までふるえが止まらなくなってくる。声が出せない笑いが全身を駆けめぐる。
「……博士っ……!?」
はめられていたんだ、最初っから。いいえ、あたし達が勝手に作った墓穴に飛び込まされていただけだった。
「………いーい、社ー? 三流の詐欺師は騙した後で、当人が騙されたことを知るの。二流の詐欺師は騙した後でも、当人も騙されていたことに気づかない」
なぜ、ヤンは社の能力さえも欺けたというのか。それは精神防壁の装置を使ったとか、そんな後付けトリックなんかじゃない。
「そして一流の詐欺師は、騙した後でも詐欺師自身さえも騙していたことに気づかない……ってことよ」
騙すとか隠しているところが無ければ、見えてしまった絵図からこっちが解釈し想像するだけだったのだ。視点を180度変えれば出てくる絵が違っただけだったのか。
「――ヤンは最初っから! 地球の敵になる気だったのよっっ!!」
社が大きく目を見開き、言葉を失った。しばらくの沈黙が部屋に満ちる。
「え……ですが……でも……でもだって、提督は私たちにとっても優しくしてくださって、仲良くしてくださって……」
「結果的にね」
ばっさりとその意見を切り捨てる。
「そうなれば良かったんでしょうね、そして結果的にそうなった。あいつは事がうまく運ぶことを望んでいたし、今だってあたし達や日本国を使い捨ての道具扱いしているわけじゃない」
社は幾分か安心したような、しかし余計に混乱したような表情を浮かべた。
「じゃあ、もしもうまくいかなかったら? あの時、技術交流者のあたしが見つからなくて、日本国との交流もまるでうまくいっていなかったら?」
「……それは……国連と……」
「うまく行かないわ、必ずどこかで詰まる」
再度、手刀でばっさりと空中の糸を断つ。
「100歩譲って地球のBETA撃退までね。その先はあたしがあいつに言ったように、イゼルローンが地球の敵になる。そう仕向けられる」
でもあいつは、それでも地球を支配なんてしないって言った。あたしはそれを、そういった手段に依らないで、あたし達を良き友人として、いい意味で交流していくためだと思ってしまった。それは実際そうなのだろう。
「でも、社……ヤンがいったように、全員が賛成か反対の一色になるなんてことはないの。必ずイゼルローンを肯定する連中も出てくる。そうなると、イゼルローンの存在自体が、地球を二分してしまうような事態になるとも限らない」
そんな退くことも避けることも出来ない状況になったとき、果たしてイゼルローンはただ宇宙に引っ込むだけで終わっただろうか。それも選択肢の一つだったのかもしれない。だけど、“逆方向に”積極的な手段に訴えたかもしれないのだ。
「そうなった時……ヤンは言ったでしょうね。『その通りです、実は私たちは悪い宇宙人だったのです』って。そして地球の騒動に決着をつけた」
自らを悪とし、敵となり、地球の統一を促す。だが目的は達成される。地球とイゼルローン双方の平和、BETAに対抗しうる力の確保、地球の自治という三原色が。
それでも……人類の歴史が続き、いつか自分たちの行動を再び見直してくれる者も現れるだろうと信じて。イゼルローンはその功績を地球に残して、宇宙に消えたのだと知っていてくれる人がいいと。そうして勝手にあいつらは消えていったのだろう。
「…………どうして」
社は、その小さな手でスカートの端をつかんだ。
「……どうして、ヤン提督はそんな手段を……わたし達にはどうしてそれを一言も………なんで今でも………」
「あたし達に……いいえ、イゼルローン側にも選択を残すためでしょうね」
まったく……どこまで自由意志ってのを重んじてるのよ、あいつは。ああっ、もうっ!
「地球人類が敵に回っても……それでもイゼルローンに乗るか、それとも地球に残るかの選択権を残したかったのよ」
今も政府が頭を悩ませている問題の一つ、イゼルローン側の男と地球側の女が結婚した時、国籍をどうするかということ。交流が進めば、当然そういう問題も出てくる。
では、もしもコトが起こった時、その二人はどうするのか。元々はイゼルローン側の人間でも、地球に残りたいって選択をする者も出てくるかもしれない。
逆に、あたしみたいに姉達を地球に永遠に残して、ヤン側に付く判断をするケースもあるかもしれない。
「殿下みたいに、一個人の心情としてはイゼルローンの味方でいたくても、国家の一部としてはそれは出来ないってケースもあるしね……」
「でもそんなの……そんなのって……! なんでそんなっ……!」
……行動に一貫性が無いように見えたのも当然か。あいつは常に両方の可能性を残していた。
「……イゼルローンの連中には明かしていなかったのも当然ね。あくまでそういう可能性がある程度にしか、ヤン自身も捉えてなかったもの」
「…………ポプランさんなら、喜んで宇宙海賊のマネでもしそうな気がします」
やるわね、絶対。あいつら偽悪者ぶりたがるもの。地球での空気がギスギスしてきたら、そういった手段に訴えたでしょうし。
あたしらは全部ほっぽって、「地球の後のことはお任せしました、では」ってとっととイゼルローンに帰っていったでしょう。
あー、まったくっ……!!
「どこがミラクルヤンよ、ただの結婚詐欺師じゃないっ!?」
「…………今、思い出しました。ヤン提督の最後のあだな、『ペテン師』でしたっ」
やっぱりか、あんにゃろぅっ!! あたしらをなんだと思っているのよっ!
「ふっ……ふふふふふふっ、ああー……まったくナメたマネしてくれるじゃないの……」
これなあたしの勝手な想像、いいえ妄想と言ってもいいかもしれない。証拠となる部分は何一つなく、あくまで可能性の一つ。こんな風に断じるとは、科学者として恥じるべきとこだわ、ええ。
どっこい、あいつの人格分析に関しては、ここ、ずーーっと実験を進めてきたせいで、たぶん、あいつならそうするだろうってのが解ってしまう。
ダメだと判ったら、とっとと撤退する。どんな誹りを受けようと、結果的に人死にが出ないのならば、どんな悪評でもどんとこい、遠慮なくサイテーの策を使ってくる。
「…………やってやろうじゃない」
「(こくこくっ!)」
ここまであたしはヤンに裏をかかれっぱなし……いいえ、あたしが勝手に裏があると思って空回っていた。ここからあいつに一泡吹かせるなんてまったく不可能に近い。だけどねぇ……
「あいつに魅せてやろうじゃない。戦術レベルがその戦略をひっくり返す瞬間ってのをっ!」
「ふぁいと、ですっ」
お・ぼ・え・て、なさいよぉぉっ、地球人〈あたしら〉をなめたこの屈辱っっ、10倍にして叩き返してやるーっ! あたしが分析したあんたの弱点ってのを教えてやるわ、たっかい授業料つきでっ!!