西暦二千年、二月某日、第一帝都東京。
地球の公式文書に記されている伝説の始まりはその日であった。
将軍公室にその日呼ばれたのは、国家の「表」の重鎮三名。
日本帝国、現内閣総理大臣、榊是親。
国連事務次官、珠瀬玄丞斎。
武家最高位、五摂家が一家、祟宰家が現当主、祟宰恭子。
国家内外、公家武家に多大なる影響をもたらす者たちが平伏しているのは目の前の少女。
帝国議会の上位執政機関、元帥府の長。皇帝陛下より国事全権総代を任命された政威大将軍、煌武院悠陽。
この日、三人は目の前の少女の有様に目を見張った。
本来はお飾りに過ぎないはずだった少女。しかし今日この日は違った。全身から放たれる清冽なる覇気、瞳が放つ凛烈たる王気。それは千の戦場を潜ってきた大将軍の名に恥じない姿だった。
いったい、この娘に何があった――?
ただの聡い小娘だったはずだ。権限はなく、経験も浅く、ただ理想だけが高く、己の非力という現実を嘆くだけだったはずだ。何がこの娘を一夜で真の将軍へと変えたのか。
その答えは、後の公文書にて一文で端的に記されることになる。
「イゼルローンと友誼を結びました」
当時の三人がどのような表情を浮かべたのか。それらは一切、公文書には記されてはいない。
そしてまた。どのようにして、なぜ、いつ、この若き将軍がイゼルローンと友好を深めることが出来たのか。彼女はその全てを明らかにすることも遂には無かった――いやそれが真実だと証明できる一級歴史物は存在しなかった。
故に、後の歴史考察・創作物において、煌武院悠陽ほど対象となった近代人物はいないとまでされる。
彼女は後の世、様々な渾名で呼ばれることになる。「日、出ずる処の太陽妃」「中興の祖にして、最後の将軍」「国家と結婚し、歴史を産んだ姫君」「ヤン・ウェンリーの使徒、序列第四位」「最も高値で国家を売りつけた売女にして、最も世界を守った処女〈おとめ〉」。
そんな悪名勇名を含め、彼女を彩る一つの言葉が欧米において広まっていく。それは、彼女が真の意味で将軍と認められた西暦二千年という年にちなんで名付けられた。
その後の歴史における彼女の偉業と、その凛とした美貌を評してこう呼ばれている。
「千年王国の明星〈ミレニアム・ビーナス〉」―――と。
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第12章 「歴史の終わり、伝説の始まり」
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【地球、極東日本時間、西暦2000年2月23日、AM9:32。太陽系第四惑星の第一衛星軌道上】
悠陽との交信から約半月が経った頃、ヤンはひたすら、その時を待っていた。
「提督、まだ地球には行けないんですか? ――と、皆さんからの抗議がそろそろダース単位になってきてます」
机の上に両脚を投げ出して腕枕で休んでいた提督に、ユリアンは三回目の紅茶の差し入れを持ってきた。机を見ると、途中で飽きて投げ出したクロスワードやパズルなどが散乱していた。
「まあ、そろそろかな? この手の仕込みには、時間がかかるものだけどね、動くときは一気さ」
「こっちはとっくに舞踏会への馬車とスーツの準備は出来ているぞと、今日もポプラン中佐がボヤいていましたけど」
そこに某中将2名も加わっての、わっしょいどっこい、大合唱であるとのこと。
それを聞いたヤンはよっこいしょと胡座をかいて、新茶の香りを堪能しだした。そろそろシロン星の茶葉の残りも少ないなぁ、とノン気に考えていた。
「地球訪問の一番乗りを志願した者たちばかりだからねぇ。数日も待てないのも仕方ないか?」
「『退屈だ退屈だ、どうせならここが戦場の中心地になればいいのに』と言っている方々ばかりですからね」
悠陽との交渉により、艦隊で地球に訪れるための前段階は済んだ。しかし、今回の地球上陸作戦に、ヤン艦隊の全員が参加できる訳もなかった。
そもそもイゼルローン要塞の機能と治安の維持にも残さねばならない人員と、何より上級士官が必要だった。
そこで地球派遣幹部として、ヤン提督、フレデリカ議長、アッテンボロー提督、シェーンコップ中将、ポプラン中佐、ほか数名。
イゼルローン滞在組には、メルカッツ提督、キャゼルヌ中将、ムライ中将、フィッシャー中将、パトリチェフ准将他が残されていた。
ちなみにローゼンリッター連隊は半分が地球派遣組で、カスパー・リンツ連隊長は残念ながら居残り治安組に任命されてしまっていた。(本来の要塞防御指揮官が派遣組に入ることに関しては、当然のごとく諦め、もとい認められていた)。
「イゼルローンはともかく、こっちは歯止めする方が不在ですけど。これ、地球で独立運動でも起こされたらどうするんですか、提督」
「ユリアン、ユリアン、致死量を超えた毒ならいくら飲んでも変わりないよ」
「ムライ中将が頭痛と腹痛と心痛を起こしてましたけど」
実のところ、地球派遣への志望倍率はかなり高かった。イゼルローンにいればほぼBETAの危機はなく、“安全対策”もしているので安寧と平和はまず保証されている。のだが。
ヤン・ファミリーの悪童組にとっては、平和や平穏という言葉はNo thank youであった。このビックウェーブに一番乗りで行くぞと、嵐の日にネクタイを締めて飛び出す連中ばかりが揃っていた。
「『地球の未亡人が、こうして俺を呼んでいる声が聞こえないのか、不肖の弟子よ』とのことです」
「確かに、地球からのラブコールは止んでないからねぇ」
「日を追うごとに文面が多種多様になってきてますよ、読みましょうか?」
現在、ヤン艦隊(地球派遣組)は月の裏側で地球から見えない位置で待機している。これは北半球にあるBETA砲撃級の攻撃を避けるためなのだが、それでもこの位置に来るまでに南半球の国々からは感知されてしまっていた。
イゼルローン艦隊が地球に再接近している、ということは、ここ数日の間に地球側でも広まってきているのだろう。そのためか大国を含め、あらゆる国家や組織からの電文が連日届きっぱなしであった。
だがユリアンの不安は別のところにあった。
「でも提督……その、ニホンのショーグンですけど、ちゃんと合図を送ってくれますか?」
煌武院悠陽との交信後、ヤンは一切の連絡を絶っていた。もっぱら日本以外の他勢力の暗謀を避けるためなのだが、根本的な理由は違った。
「全体の絵図を預けたら、後は任せることだ。何しろこっちは余所者なんだから。地元の人たちを蔑ろにしちゃいけないよ」
ヤンは暗にユリアンを―――いや、自分自身を戒める言葉を出した。
「ユリアン、復習しておこうか。なぜ私たちは、なるべく地球の人たちに任せようとしている?」
「第一には、それが地球の方々自身の問題ですから。問題は放っておいても、誰か偉い人や力のある人が解決してくれると。そう思ってしまうことの危険性です」
「そう、それが第一義だ。でもそれとは別の厄介な問題もある。私たちは文字通り、歴史の余所者だということだ」
力も知識も人員も持つ自分達なら、もっと“うまく”やれるはずだ、お前らは引っ込んでいろ――と。そう主張してしまう危険性をヤンは熟知していた。
強い力――中でも権力を持つものは、自分が思い描いた設計図のとおりにコトが運ぶと思いこむ。だがそれは『権力』という力が、何に立脚して成り立つかを見誤っている。
「ユリアン、暴力とは何だと思う?」
いきなり話題が変わったように思えたが、それはヤン提督の説明の仕方だった。
「……他人が望まない行動や思想、法や命令を強制することが出来る力だと思います」
「そうだね。だが暴力の中でも、軍事力や財力ではなく、権力というのは特殊なモノなんだ。それは相手に“自発的に”服従させる『権威』を兼ね備えなくてはいけない」
相手が望まないことを、自発的に服従させる―――その矛盾こそ権力の魔力だった。
「昔、地球の宗教のトップに教皇という者がいた。最盛期の教皇は一国の王すらお伺いを立てなければならない程の、強い権力を持っていた。それこそ、雪の降る日に裸足で赦免嘆願をしなければならないほどに」
「逆らえば、旧帝国のように憲兵に捕まってしまうからですか? それとも地球教のように薬物とマインドコントロールで……?」
「いいや、最終的には破門されるだけだよ。その宗教とは一切関われなくなる」
ユリアンによく解らなかったのも無理はなかった。ヤンだって本当のところ、実感としては解らない。彼らの人生と社会には、その“共通の土台”が無いからだ。
「権威を持つには、持つ者も受ける側も、ある種の価値体系や規範を“共有”しなくてはいけない。この場合は『神』という概念だ」
ヤンはイスから机の上の腰掛けなおした。
「それは漠然とした実体の無いものではない。彼らの社会や生活に根ざした規範や規律を記した、ある意味、法だ。もし逆らえば彼らはそのコミュニティから排除される、例外なくね」
「それは教皇もですか?」
「そう、それが共有するということだ。軍隊だって同じさ、階級という規範を共有しているからこそ権力が産まれる。昨日まで年下の下士官だった者にも、上官になったら敬礼しなければいけない」
その軍隊の階級が機能として、互いの合意の上になりたつ内はいい。だがそれが拡大解釈され――特に権力者当人はまったくの自覚無く――他の範囲にまで命令権が与えられる時、それがもっとも怖れる事態となる。
「……こういう言い方をするのはなんだが、私がお前に権力的になってしまうのは、まあ少しばかりお前よりもモノを知っているかもしれない、ということと、後は年齢が少し上だってことだ」
「15歳くらい、ちょっとですね」
くすっと笑ったユリアンに年上の権力者は続ける。
「つまり権力ってヤツは一対一の関係の中でも生まれてしまうんだ。これは年上ってものが年下よりも人生経験があり、そういった経験者に従うのが当然っていう価値を共有しているから起こるものだ」
そーいう割にはヤン艦隊のほとんどが、年上の上官に逆らってばかりじゃなかったかな――とは思っても、ユリアンは口にしなかった。
「で、だ。その価値観や歴史観、人生観なんかを共有していない余所者相手には、まったく権力というものは発動しなくなる。もう少し言うなら、その命令が当然であるとは、受ける側は感じも考えもしない」
「ええ、それはよく分かります。僕だって旧帝国の皇帝に頭を下げろといわれたら断固として断りますが、カイザー・ラインハルトに言われたら、ちょっと考えちゃいます」
「お、言うじゃないか」
紅茶を一口すすって、教授は授業を進めていく。
「……歴史の余所者とは正に我々だ。地球の彼らが受けてきた数十年に及ぶ苦悩と苦痛を、私たちはまったく共有していない。そして彼らもまた、百数十年に及ぶ星間戦争を体験していない。これらが決定的な齟齬を生みかねない」
自分たちの“体験”が他者よりも優れている――あるいは自分たちの方が悲惨な目にあったのだと、切に訴えたい気持ちはよく分かる。最初はいいだろう。しかしそれを延々と聞かされては、お互いがたまったものじゃなくなってくるだろう。
「我々はね、ユリアン、共有することが出来ないんだ。イゼルローンの誰一人――ああ彼女らは別だが――大切な人をBETAによって失っていない。そして地球の彼らもまた、人間同士が数千億の同じ国民を、いとも容易く殺してきた歴史を持っていない」
生徒は眉根を寄せ、静かな鎮魂の痛みを感じた。
「地獄への道は善意で舗装されている。善人が悪人よりも厄介なのは、彼らが少しも自分たちは間違ったことをしているとは省みない点だ。相手もこの善意をきっと分かってくれるだろう、そう思いこむのは余りに甘すぎる。それはよく覚えておいた方がいいよ、ユリアン」
イゼルローンの真面目な将官ならば、こう言うだろう。『アムリッツァ会戦の始まり、解放軍と名乗った我々はどうなった?』と。
また、イゼルローンの両巨頭の箴言はこうだった――『出会い方より別れる時の方がはるかに難しい』と。
「関わり方を間違えると、どちらも泥沼だ。だが関わらなければ、この先の地球も、そして“イゼルローンにも”未来は無い」
「……難しいんですね、ほんの少しだけ、互いが協力するだけなのに」
「そうさ、それが拗れると、人類は何百年の時間と生命を失うこともある。だからまあ、あとあと楽をするためにも、少し回り道もしながら超過勤務もしなくちゃいけないってことさ」
「クロスワードを解いて?」
「お前の淹れた紅茶を飲みながらね」
弛緩した暖かい空気が流れたのは、きっと空調のせいではないだろう。ヤンはおどけたが、ユリアンにはしかし、もう一つ懸念があった。
「でもヤン提督、その地球のショーグンですけど、提督の期待に応えてくれそうだったんですか?」
軽く「おや? お前さんも同世代の女性に興味を持ったのかな?」と茶々を入れた後、ヤンは答えた。
「“期待”はしていないよ。“信”じているだけさ」
同時刻、煌武院悠陽は空を静かに見つめていた。寒気も極まった冬の空は、とても青く静かに、どこまでも遠くの星を見られそうなくらい澄んでいた。
でも残念ながら、月の裏側にいるであろう彼らの姿は見つけることが出来なかった。
「……殿下、時間です。そろそろ式典へ赴くご準備を」
静かに、悠陽は付き人に頷いた。そう、今日この日はロールアウトした「零式」のお披露目ということで関係各部を集めている。幸い、この地方の天候は一日快晴。式典を外で行うには問題の無い日だった。これならば本来の目的は十二分に効果的なものになるだろう。
……だが付き人――月詠の胸の中は未だ暗中にあった。
「…………彼らは――」
その後の言葉を舌の上に乗せた瞬間、月詠真耶は後悔した。自分は何を言おうとしたのか、このお方こそが自分などよりも遙かに不安を抱えていらっしゃるに違いないというのにっ!
「来ます」
だがそんな彼女の葛藤を見抜いたがごとく、何の躊躇もなく、若き将軍は言い放った。
「あの方たちは、来てくれます」
それは蒼天の輝きにも勝る、晴れ晴れしい笑顔だった。どうしてここまで断言できるのか、なぜここまで疑わないでいられるのか、それが月詠には理解……いや納得しがたかった。
そんな真耶の疑問に答えるためか、将軍は静かに一人ごちた。
「触れ合った時間は関係はありません。わたくしは、あの方を信じるだけです」
あの殿下にここまで言わせる魔術師の実力は、真耶も不本意だが認めざるを得ない。かなりアクの強い人物だったが、政治屋や軍人特有の空気はまとっておらず、嘘はついているようには見えなかった。
「信とは、期待することとは異なります」
奇しくもそれは、同日同刻、ヤンが告げたことと同じものだった。
「期待とは、其れ即ち妄念………こうであれという己も気づかぬ欲と、こう成るはずだという浅はかな予測の混血児に過ぎません」
悠陽は真耶ではなく、遠くにいるヤンに聞かせるように星をみた。
「信とは、人が言うこと――ひとたび言明したことを真っ直ぐに押し通す意です。信じるとは、言ったことを必ず守るということなのです」
くると振り返り、悠陽は胸に手を置いた。
「あの方は、約束して下さいました。わたくしも、約束を守りました。ならば、それ以上のことを思い煩うことは、もはや信義に反します」
真耶は恥じた。このお方は自分が考えている以上に純粋で、しかし金剛石よりも尚澄んだ堅さを持っているのだと。
しっかと頭を垂れて、真耶は再度、仕えるべき主君が誰かを再認識した。
そして遂に出発の時間が来る。イゼルローンから(正確には鎧衣から)渡された装置に悠陽が“呪文”を唱えようとした時、ふっと何か思い出したかのように、顎にしなやかな指を置いた。
「ええ……ですが、わたくしも少し緊張と不安と興奮があります。このような心持ちをなんといえばいいのか……」
やはりこの方でもか? という疑問を持った真耶の前で、ぽんと胸に両手を置いて微笑んだ。
「ああ、分かりました。わたくし、生まれて初めて、“わくわく”していますのね」
………………。
なんとゆーか……。
そー、なんとゆーか………大切に大切ーに育てていた箱入りお嬢様が、“いい歳こいて家出した放蕩児”に引っかかって、いけない夜の道を突っ走ろうとしているよーな。
そんな、BETAによる人類滅亡の危機よりも厄介な、とてつもなくイヤーな予感が侍従長、もとい斯衛の脳裏を走っていた。
※ ※ ※
極東日本時間、西暦2000年2月23日、AM10:25。
公式記録において、五度目となるイゼルローンからの電文が届いた。「ウジ茶を一杯。ヤツハシでもなく焼き餅でもなく、コンペートーと」と。
その5分前、非公式に、地球の帝都からとある電文が出されていた。「健康と美容のために、食後に一杯の緑茶を」と―――。
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
第13章「とある女性士官の証言より」
あの日のこと? ……ああ、もちろんよく覚えている。“西暦の終わり”となったあの年。あの日の空の色も、そして寒さも、何よりも殿下の言葉一言一句、決して忘れはしない。
西暦2000年2月23日。あの日の私は、当時、ようやく量産体制に入った――とはいっても、年間20~30台程度しか造れない――00式戦術機、武御雷〈たけみかづち〉の公式発表会の会場に向かっていた。
当時の私もいささか疑問だったな。帝国の技術の粋を込めた最新機のお披露目とはいえ、配備される斯衛軍どころか、陸軍や海軍、各省の閣僚を召集するのは何故かと。
最初は、これは今年中に佐渡島を取り戻すという殿下の意志を示すためだと考えていた。世界最高クラスの戦術機の性能を皆に示し、明星作戦のようにもう一度………まあ実際は、彼らが戦果のほとんどを持っていってくれたのだがな。
(証言者、苦笑し、お茶をすすった)
そうだな……正直、当時の私もまだ薄い希望を持っていた。あの1999年のとても熱かった日のように、彼らがもう一度、来てくれれば……と。
不安はあった。そう、確かに……。いかに武御雷が優れた機体といえども、純国産の技術を結集したものであっても。彼らが持つ戦艦一隻にさえ敵しえないのだから。
だから殿下が壇上で演説の初めに、彼ら――イゼルローンに触れた時はそれほど不自然には感じなかった。
(記録者、レコーダーからその演説を再生する)
『 この声が聞こえますか。此の日、此の時、共に同じ世界に生きている、親愛なる皆様。わたくしは日本帝国政威大将軍、煌武院悠陽。本日、貴方方すべてに伝えたいことがあります。 』
そう……あれはいささか風変わりな始まり方だったな。帝国臣民にも放送しているとはいえ、あなた方とは妙な言い回しだった。
『 三十年の長きにわたる戦乱の終わりは見えず、皆様の心身には、苦難と不安が大きなうねりとなって押し寄せていることでしょう。 』
ああ……声だけでも思い出される。六色の武御雷の前で、全ての民に向かって語られる殿下の御姿を。
『 わたくし達の国、日本帝国もまた、戦火から逃れることは出来ませんでした。二年前の敵対異星生物の侵攻により、わずか一週間に3600万の……いえ、今日に至るまでに、それ以上の御霊が大地に散っていきました。 』
その時の私には分からなかったが、後になって、なぜ殿下が先の言葉を述べられたのかが理解できた。
『 己の生命が助かった者達も、難民キャンプでの困窮と苦悩を伴う生活を余儀なくされている者。大切な者たちを見捨てなくては生きることが出来なかった者。今も戦いの中で友を失っている者。本当の意味の安寧と平和を、この地球上で謳歌している者はおりません。 』
静かに、誰もが皆、その鎮魂の言葉に耳を傾けて…………実はいなかった。なぜか閣僚の一部に耳打ちしている者がいて、何事かと眉をひそめたものだ。
……その通りだ。後になって分かったが、月にいたイゼルローン艦隊が動き始めたという連絡だったらしい。
『 ……そんな時流の中で、 』
殿下の「気」が変わられたのはその時だった。その場にいる者にしか伝わらない、裂帛の覇気が発せられた。
『 先の年、我々は彼らと出会いました。Another BETA――いえ、イゼルローンの民と。 』
殿下は晴れ晴れと、それが我が誇りのように彼らを語り始めた。
『 彼らが何者なのか、どうして我らと言葉を交わしてくれないのか、もしや彼らも私たちを排斥するのではないか――そのような暗鬼を生むこともあったでしょう。ですが、 』
ほほえみをもって、殿下は続けられた。
『 ですが、それは違いました。 』
その瞬間、さすがの私たちも殿下の演説が明らかに妙だと気づいた。私は恭子様――そう、当時の五摂家の祟宰家の当主――にお尋ねしようと振り向いた。
だが疑念を顔に浮かべた私とは異なり、恭子様は固く手を握り、緊張の面もちで殿下を見守っていた。
『 彼らは、イゼルローンの方々は、わたくし達と同じ心と想いを持っていました。彼らは、この地球に友を求めてやってきたのです。 』
演説を止めようかと動き始めた者もいる中―――そう、その放送は日本国内だけでなく、あの日と同じように、全世界中に放送されていたから。それ故に、日本駐在員に連絡も入ったのだろう、事態を知った米国がまず動いた。
『 ゆえに、今こそ、わたくし達は歓呼を以て迎えましょう。遙か遠くの世界、遙か未来の時代からやってきた、私たちの隣り人を! イゼルローンの方々をっ!! 』
その時だった。大地に影が生まれた。ざわつき始めていた会場は一斉に言葉を無くし、空を仰ぎ見た。
天には緑碧の船が埋め尽くしていた。BETA光線級の攻撃を避けるためだろう、極限の低空飛行の船は空に蓋をして、私たちを睥睨しているかのようだった。
理解が追いつかなかった。認識も及びもしなかった。だが不思議と、私には恐怖もなかった。
隣にいた恭子様が私の手を強く握り、喜びに上気した表情で空を見上げていたから。恭子様は「来た……っ! 本当っ、にっ、来てくれたっ!」って、震えた声で口元を覆っていたわ。
その艦隊群の中の一隻、旗艦と思わしき船から数隻の小型船が飛び出しきた。
地上の会場に近づいてきた船を警戒する動きももちろんあったけれど、殿下はそれを止められ、御自ら船の先頭に立たれた。
開かれた扉の先頭から出てきたのは、一人の女性だった。赤みがかった褐色の瞳と金褐色の髪を短く切り揃えていた。私たちが見守る中、女性は殿下よりマイクを受け取り、澄んだ声で告げてくれた。
『 初めまして、地球の皆さん。わたくしはイゼルローン共和政府代表、フレデリカ・G・ヤンと申します。 』
議長は語り始めた、イゼルローンの正体を。
数千年未来の、違う時間軸から来た元地球人であることを。
他の星系まで人類は到達し、そこで繁栄してきたことを。
正直、悪い冗談にしか……いや冗談と認識することさえ出来なかった。完全に思考が停止してしまって、ただ聞き流すだけで精一杯だったから。
『 そして今、私たちイゼルローンは、地球の友人を得ることが出来たことを誇りに思います。 』
『 わたくし、煌武院悠陽もまた、イゼルローンの人々の意を受けて、ここに宣誓いたします。 』
だけど議長が殿下の手を取り、そして大きく天に向かって掲げられた時、
『『 共に、平和をっ!! 』』
沈黙は永遠に続くかと思えた。でもそれは一瞬だった。すぐに殿下らの後ろにいたイゼルローンの護衛と、殿下の斯衛たちが大声を上げたから。
『 イゼルローン万歳!! 』『 将軍殿下万歳!! 』『 平和に乾杯っ!! 』『 新たなる時代の幕開けをっ!! 』『 くたばれ、BETA!! 』
半拍の間を置いて、天からも周りからも、一斉に鬨の声が挙がった。世界各地に放送されていた声が、向こうからもこちらに伝わっていたんだ。それだけじゃなく、立体映像も合わせて投影していたらしい。
喜びの声はさらなる喜びを生み、波紋が重なるように熱気は世界全土をかけていった。ある者は呆然としていたし、若い者は歓呼の声を殿下たちに向けていたな。
……私か? あ…あまり話したくないのだけれども………た、たしかに今日は記念日だけど…………んんっ、そうだな……。
……泣いていた。熱いものがひたすらにこみ上げてきて、ただただ、子どもみたいに泣きじゃくってしまった。な、情けないとか言わないでくれ。
わたしは……あの……京都での初陣で……同期の、みんなを失った後………もう泣かないと、心に決めていたのに。でも、なんでだろうかな、あれはその時とは違ったんだ。
きっと……とても、とても、眩しかったせいだろうかな。あの日のことを思い出すと、どうしてか、今でも、あまりに切なくなってしまうんだ。
あの時、たぶん分かってしまったんだ。ああ、あの殿下と議長の姿こそが、私たちがどうしようもなく渇望し、求めていたものだったって。
最新鋭の戦術機でも戦艦でもない。違う星に生まれた二人が手を繋いだあの姿こそが、本当の「希望」の形だったんだって………。
でも、それから直ぐに判った。あの伝説の演説でさえも、それから十年に渡る、黄金の光に満ちた神話の始まりに過ぎなかったって―――。
【証言者:ユイ・タカムラ
記録者:ミコト・Y・アッテンボロー
記録日:宇宙歴12年2月23日 】