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「では、紹介しよう。彼が今日から207B分隊に入隊する直枝理樹君だ。彼は昨日まで徴兵免除を受けていたが、諸事情あってこの基地に来た。皆、ビシバシ鍛えてやってくれ」
「「「「「はっ」」」」」
「ああ、楽にしていいぞ。堅苦しいのは嫌いだ」
来ヶ谷さんの言葉に、僕の目の前に立つ少女4人と、彼女たちから一歩先に立つ女性が休めの姿勢を取る。
僕がいた世界では、見たこともないほど引き締まった顔をした彼女たちに、思わず気圧されそうになる。
「…………」
「理樹君。こちらの彼女が、君たちの教官を務める千場彩乃軍曹だ。あーちゃん先輩と気軽に呼んでやってくれ」
にこやかに傍らに立つ女性を紹介しながら、僕に意味ありげなウインクを飛ばしてきた。初対面として振る舞え、ということだろう。さっきも、鈴の名前を呼んでしまったのを誤魔化すのにかなり苦労したから。
紹介にあずかった寮長――じゃなかった――千場軍曹が、辟易したようにしかめつらをした。心の中とはいえ、ちゃんとした呼び方をしておかないと、とっさに出ちゃうからね。
毛先にやや癖のかかった赤茶色の髪をひっつめにした、いかにも厳格そうな教官だった。
「お言葉ですが、来ヶ谷司令。その呼称を公の場で用いるのは、控えていただきたいと何度も申し上げたはずですが……」
「おっと、すまないな。プライベートでの癖が出てしまった。確かに公私混同はよくない。今度は気をつけるよ、はっはっは……」
高笑いをしながら、来ヶ谷さんはひらひらと手を振って帰っていった。
ごほん、と軍曹が大きな咳払いを一つして、話し始めた。
「では諸君。新米に一人ずつ自己紹介をしてやれ。西園!」
「「はっ」」
列の両脇に立っていた2人の少女が、同時に返事をして進み出て、くるっとお互いの顔を睨み合った。
僕から見て右手に立っているのが、かつて西園さんの影だった少女、美鳥。挑発的な口調と、活発な印象を与えるくりっとした瞳が特徴的な女の子だ。
対して、左手に立っているのが、鏡の中に美鳥を見出した少女、美魚。美鳥と顔立ちや背丈は全く同じなのに、どこかおっとりして優雅な雰囲気を漂わせていた……はずだけど、今は四肢も背筋もびしっと伸びているから、まるで小間使いを纏め上げるメイド長か何かみたいだった。
美鳥がせせら笑うように言った。
「あれ、どうしたの美魚しゃしゃり出てきて。こういうときは普通、隊長のあたしが一番に自己紹介するはずだと思うんだけど」
「そうですか。千場軍曹は、明らかに私の方を見ながら『西園』と呼ばれたように思ったのですが……気のせいでしょうか」
「ぐっ……」
「それに肩書きは隊長ですけど……実力が伴わなければ、ただのお飾りでしかないですし。重荷にならないうちに、早く辞退してはいかがでしょう?」
「な、何ですって!」
「貴様らぁ! 誰が口論などしろと言った! 2人とも前に出ろ、歯を食いしばれ!」
「「は、はっ!」」
しまったといった顔をした2人が、ざっと一歩前に踏み出した。そして、その横面を、軍曹が思い切り拳で殴りつけた。
ぱぁん、と鋭い音が二度して、西園さんと美鳥がよろめくが、何とか踏みとどまり、大声で斉唱した。
「「ご指導、ありがたくありますっ!」」
「下がれっ! 次やったらこの程度ではすまさんぞ!」
激しい叱責を受け、2人はすごすごと元の位置に戻った。
(これが軍隊なんだ……)
昔恭介たちと見た、戦争映画のワンシーンそっくりの光景を目の当たりにし、僕はすっかり度肝を抜かれてしまった。
命令に背いたり、無礼な態度をとれば、容赦なく鉄拳制裁を加えられる。そんな過酷な環境で、彼女たちは生きているのだ。
こっそりと、僕は軍曹の顔を覗き見る。しかしそこには、僕の期待したような悲痛や悔悟の色は全くなく、彼女はただ烈火のごとく怒っていた。
(何も、殴らなくたっていいのに……)
口で言えば分かることを、どうして手を出すのか。僕にはさっぱり理解出来なかった。
「もういい、貴様らは後で個人的にしておけ。次、神北!」
「は、はっ!」
ぴょこんと出てきたのは、あの世界で鈴の親友だった女の子、小毬さんだった。さすがに軍隊で星つきのリボンはまずいのか、彼女のトレードマークのそれらは、今は見当たらなかった。
美魚さんとは違い、軍隊に入っているにも関わらず、ふわふわした物腰は直っていないみたいだった。
「え、えっと……神北小毬訓練兵です! 実技はダメダメですが、直枝さんの足を引っ張らないように精一杯頑張ります!」
「よし、下がれ。次、棗!」
「はっ」
そつのない動きで進み出た鈴は、きちっと踵を揃えて僕の方に向き直った。
「棗鈴訓練兵であります。座学は苦手ですが、その分実技が出来るであります。分からないこと等おありでしたら、ご遠慮なさらずお尋ねになってください。早く仲良くなれば、早く強くなれます。では以上であります」
「…………」
僕が知っているどの鈴よりも、今目の前にいる鈴は堂々としていて、社交的だった。相変わらず舌足らずな喋り方だったけど、むしろそれがいいアクセントになっていて、とても親しみが持てた。きっと、この世界の鈴は、恭介なしでもしっかりやってこれただろう。
……あの変な語尾がすごく気になるけど。
(……そういえば、恭介も真人も謙吾も見ないなあ)
食堂をちらっと見た限りでも、結構見覚えのある顔がいたから、もしかしたらと思ったんだけど……まあ、きっとどこかで会えるだろう。特に恭介あたりに。
「よし、次……と言いたいところだが、もう一人は今入院していてな、退院時に紹介してやることにする。では、今日はここで訓練を切り上げる。各自、親交を深め、信頼関係の醸成に尽くすように。解散!」
「敬礼!」
美鳥の号令で、皆がぴっと敬礼する。軍曹はそれに無言で答礼すると、どこかへ歩き去った。
すると美鳥が僕ににっこりと微笑みかけて、言った。
「じゃ、改めて自己紹介。あたしは西園美鳥。一応、そこにいる美魚の双子の妹よ。ちなみに、この207B分隊の隊長やってるから、困ったことがあったら何でも言ってね」
「うん。よろしくね、美鳥さん」
がっちりと握手を交わすと、美鳥は僕から離れた。
「じゃあこれからあたしが基地内を案内してあげる。皆は先にPXに行ってて」
小毬さんと鈴は無言で頷きかけたが、それに西園さんが異を唱えた。
「待ってください。まだ、私の分の直枝さんへの自己紹介が済んでいないので、案内がてらさせてもらいたいのですが」
「何よ美魚。隊長の私の決定に逆らうつもり?」
「訓練中でもないのに、隊長権限を振りかざされても困ります。……行きましょう、直枝さん。まずは体育館です」
「ま、待ってよ西園さん!」
「美魚で結構です。間違えられたくない相手がいますから」
すたすたと足早に行ってしまった西園さんと美鳥の顔を交互に見比べて……結局、僕は西園さんの後を追った。
歯噛みする美鳥の顔が、瞳に焼き付いていた。
◆
「――これでひと通り案内は終わりました。何か質問等はありますか?」
基地内をざっと一回りして、僕たちは食堂――ここではPXというらしい――に向かっていた。
美鳥の制止を振り切ったときほどは荒れていないみたいだけど、まだ何だか声が硬かった。もっとも、普段から西園さん……美魚さんはこんな口調だけど。
「その、美魚さんは美鳥隊長とは仲が悪いの?」
「別に。彼女が私を目の敵にするので、あしらうのに苦労しているくらいです」
それはお互い様だよ……と言いたくなったけど、やめておいた。今の2人は、僕が知っている2人じゃない。下手に首を突っ込んで、余計に怒らせるのはまずいだろう。
「じゃ、じゃあ、何で隊長は美魚さんを目の敵にするのさ」
「さあ? それこそ本人に訊いてみなければ分からないことです」
言外に、これでこの話は終わり、と言っているのに気づき、僕は押し黙ってしまう。
しばらく無言で歩き続けていた美魚さんが、唐突に尋ねてきた。
「……直枝さんの出身地をお聞きしてもよろしいでしょうか」
「え? えっと……」
ここだけど……と言おうとして、はたと思い留まった。
そういえば、グラウンドに行くとき、来ヶ谷さんからいろいろ口止めされていたことがあった。
その中の一つが、出身地を正直に言ってはいけないということ。話題づくりの一環なら、東京と言えと。
理由を聞こうとしたけど、例によって「君は立場を分かっていないようだな」と封殺されてしまった。
「……東京から来たんだ」
「そうですか……。あちらは今、大変だそうですね」
「う、うん。そんな話もよく聞くよね」
「首都再編に伴い、皇居も京都からそちらへ移られたそうですが、最近は一部の過激派が、閣僚による政夷大将軍の統帥権干犯を糾弾していて、かなり不穏な雰囲気になっているとか……」
「そうそう。大変だよね、本当」
「…………」
いい加減に相槌を打っていた僕の顔を、美魚さんがじっと見つめてくる。
まるで、全てを見透かしているかのような眼差しに、思わずたじたじとなった。
「な、何?」
「いえ、何でもありません」
そのまま、また顔を前に向けて歩いて行ってしまった。
◆
「――では、直枝君の入隊を祝して、カンパーイ!」
「「「かんぱーい!」」」
「ど、どうも……」
掲げられた各々のジョッキ(もちろん中身はジュース)をぶつけ合い、乾杯する。
夕食時とあって、PXはかなり混み合っていた。僕たちが全員一つの机に座れたのは、奇跡に近いことだろう。そう小毬さんに話したけど、彼女はただ曖昧に笑うだけだった。
鈴は、最初に一口だけジュースに口をつけると、後は黙々と鯖の味噌煮……のようなものを口に運んでいた。よほどお腹が空いていたのだろう。
不意に鈴が顔を上げたせいで、僕とばっちり目が合ってしまう。
「あ、ごっごめん。じろじろ見たりして」
「直枝殿も欲しかったのでありますな?」
「へ?」
「遠慮なさらずに、ささ一口。それ、あーん」
「え、ええっ!?」
鈴本人も大きく口を開けながら、箸でつまんだ鯖の味噌煮モドキを、僕の口元に運んでくる。
何故か冷たい目で見てくる美魚さんや、ニタニタしている美鳥、顔を赤らめている小毬さんの方をうかがうけど、当然誰も止めようとはしない。
結局、
「あ、あーん……」
「ふふ、実家で飼っていた猫を思い出しますな。……元気にしているでありましょうか、龍馬は」
猫なのに龍馬とはこれいかに、などと考えながら、給餌された合成鯖味噌を咀嚼する。絶品とまではいかないけど、学食のものと同じくらいの味わいだった。
「お、鈴は早速新米君と仲良くなったみたいじゃん。負けてられないね、小毬」
「ふえぇっ!? む、無理だよぉそんなこと」
「あっはっは、冗談よ冗談」
ひとしきり笑ったところで、美鳥が真顔になった。
「さて、これから一緒に訓練をしていくにあたって、少し訊きたいことがあるんだけど、いいかな?」
「……いいよ、何でも訊いて」
「じゃあ単刀直入に訊くけど……あなた、期待していいの?」
いつの間にか、皆の視線が僕に集中していた。今までの賑やかな雰囲気とは打って変わって、張り詰めたような緊張が漂っている。心なしか、周囲の喧騒から遠ざかったような気がした。
「これから一ヶ月後に、総合戦闘技術評価演習……総戦技演習があるの。これに合格しないと、あたしたちは衛士になることは出来ない。つまり、失敗は許されないってわけ。あたしの言いたいこと、分かってくれた?」
僕を見据える美鳥の目は、いつになく鋭い。総戦技演習とやらに掛ける思いは、相当強いみたいだ。
当然、僕はリトルバスターズ以外でスポーツなんかやったことがないし、ナルコレプシーのせいで鍛錬も出来なかったから、体力は普通の女の子と大差ない。ましてや、軍事訓練を受けた女の子たちが相手では、何をか言わんやだ。
だからといって、「あまり期待はしてもらいたくない」なんて言える空気じゃなかったから、慎重に言葉を選んで言う。
「……何とか、皆の足を引っ張らないように頑張るよ」
一応の正解を引き出したのか、美鳥の表情が心なしか緩んだ。
「うん、そうしてほしい。多分、今のあなたじゃ私や鈴はもちろん、小毬や美魚にも実技じゃ勝てないし、座学は言うまでもないだろうから。かなりキツいと思うけど、あたしたちも精一杯サポートするから、いつでも頼って。ちなみに、格闘術なら鈴か、今はいないけど葉留佳。狙撃なら小毬。座学の兵法ならあたし、それ以外は美魚に聞くといいよ」
「分かった。これからよろしくね」
「うん、よろしく」
「よろしくね、直枝君」
「よろしくお願いするであります、直枝殿」
「…………」
とりあえず、直枝殿だけはやめてもらいたいなと思った。
そうして、PXが閉まると同時に解散になった。