1991年12月15日 京都 煌武院の屋敷 応接間 二十畳以上ありそうな応接間の上座に悠陽が座り、その斜め前に赤の斯衛服を着た。月詠真耶(マヤ)が護衛として座っている。 夕呼と武はというと、悠陽から離れた正面に並んで座っていた。「このたびは拝謁の栄誉を賜り、恐悦至極に存じます」 夕呼がそう言って頭を下げたので、武も習って頭を下げた。「世界有数の頭脳と名高い香月博士。一度はお会いしたいと思っておりました」「恐縮です。こちらが助手の白銀武です」「白銀武です」 そう言ってから、武はまた頭を下げた。「わたしくと同じ歳で、香月博士の助手を務めるほどとは、とても優秀なのですね」 悠陽は武に微笑みかけた。「香月博士の助手に選ばれる基準は特殊なので、一般的に優秀かは計りかねます」 武はタイミングを計っているので、冷静に応じる。「どのように特殊なのか、聞いてもよいでしょうか?」 悠陽は夕呼の方を見て小首を傾げる。「私と会話しても、退屈させない知性を持っている事ですわ」「知性ですか?」「はい。私の助手ながら、常に油断のできない相手です」 夕呼は武を見ながら口元を緩めた。(夕呼先生。しばらくお別れです。皆琉神威の鍔は預けて置きます) 今しかないと思った武は切り出した。「実は、煌武院様に見て戴きたい品が有るのですが、護衛の方からお渡しして貰ってもよろしいでしょうか?」 夕呼は怪訝な顔で武を見たが、悠陽は断る理由もないので真耶に指示を出した。「真耶さん。お願いします」「はい」 そう言って真耶は武の前まで来る。武は右手の中指に嵌めていた指輪――秘中の秘だけありボディーチェックの護衛も知らなかった――を外し真耶に手渡した。 それを調べようとした真耶は、怪訝な顔になってから一転して驚愕の表情を浮かべた。「これは……どうしてあなたが持っているのですか?」 真耶は静かな殺気を向けて来るが、主人の客人には詰め寄れないのか、言葉だけで問い詰めてくる。武はこの状況こそ欲しかった。 夕呼は武が隠し玉を出した事に気がついたが、真耶のこの感心の持ちようでは、とても流れを切れないので、介入の機会を伺うしかない。「煌武院様にお見せ戴きたい。その後に説明します」 真耶は悠陽を伺い悠陽が頷いたので、悠陽に指輪を渡した。「これは、わたくしの指輪にそっくりです。どのような意味でしょうか?」 悠陽も真耶も本物は別に有ると知ってはいるが、とりあず聞く体制に入ってくれたので、武はほっとした。「その前に、お人払いをお願いします」 しかし、この要求が護衛の真耶に受け入れられるわけがない。「考慮する価値もありません。すぐに話してください」「護衛の方、誤解を招いてしまい申し訳ない。香月博士に退席を促して戴きたいとの意味です」「「「なっ!」」」 武のこの要求には三人とも驚いた。夕呼もまさか自分に論破させないためとはいえ、助手が博士を追い出そうとするとは予想できなかった。 なにより、悠陽がどうしようか悩んでいる。それもその筈で『煌武院の指輪』に関する事なら、驚いていて無関係らしい夕呼には知られたくないのだ。 真耶としては、自分がいられて相手の人数が減るのなら、異存はないと言いたい所だが、香月博士を追い返したとなれば問題になる。 しかし、あの指輪は自分をして見分けが付けられないほどの品であったので、煌武院家以外の者に聞かれては困る内容であろう事は予測できる。 三人とも動けなくなり、状況を支配できたと判断した武が言った。「人払い願いは取り下げます。今日の会談は元々、香月博士と煌武院様の物。私は添え物ですので、私が席を外したいと思います。護衛の方、別室にご案内戴けませんか?」 真耶が悠陽を見ると悠陽は頷いた。残るのが夕呼だけなら、代わりの護衛が来るまでの間は問題ないだろう。そして真耶に連れられて武は部屋から出て行った。「助手が、無礼な真似をして申し訳ありません」 冷静さを取り戻した夕呼だが、正直に言って対処法が思いつかなかった。武がまだ並列世界の事を言っていないのに、この時点で悠陽にそれを信じるなと言うのは、いかにも不自然だ。 結果的に夕呼の方が挙動を疑われる事になり、武の発言の信憑性を上げかねない。それに、自分が連れて来た以上は、武を異常者扱いする事も不可能だ。 夕呼は武が並列世界の事を持ち出し論破する事になったら、御前討論だったと誤魔化すつもりだったのと、そもそも武が負ける勝負を挑む筈もないと考えた。それは正解だったが、武は勝負をしないで勝ちに来た。 そして、武が夕呼のいない場所で悠陽と話す事は確実と見て良いだろう。悠陽が武の話を信じない事を期待するのは、自分が助手にした事で信憑性が増しているので危険だ。武にまだ隠し玉がないとも限らない。「いえ、なにか複雑な事情があるのかも知れません」 悠陽は武の話に興味があるのか、武をフォローする。「……そうですね」 夕呼をして相槌を打つしかなくなり、敗北を認めた。「此度は斯様な仕儀になり、申し訳ありませんでした。本日は、此処までと致したく存じます」「佳日まで、ご壮健で在られる事をお祈りしています」 悠陽も引き止めはしなかった。1991年12月15日 京都 煌武院の屋敷 別室「ありがとうございました」 武が案内の礼を言うと、真耶は武を睨みながら言った。「この場なら言えるのですか?」「ことが事ですので、煌武院様の前でお願いします」「会談が終わるまで、私が見張ります」「それはもちろんです」 武としては、ほぼ理想通りの展開になった。いかな夕呼といえど、武があの『場』を完全に作り変えたので、どうしようもないだろう。>>香月夕呼:Side<< 夕呼は煌武院家の門前で振り返りながら考えていた。(あの指輪が、そんなにとんでもない代物だったとはね) 武があの指輪を出してから、完全に二人の感心は武に移っていた。むろん夕呼は武が御守りに指輪を入れていた事は気がついていたし、大事にしてる事からBETAのいない世界の物だとも予測していた。 しかし、あの指輪について調べても何も出なかったので、個人的に武が悠陽に渡して、悠陽の死後に戻って来た物だろうと推測していた。 これは現在の夕呼の情報収集能力の限界を示している。夕呼の情報網は有り余る資金で諜報関係者を大量に雇い、玉石混合の情報を大量収集させて、そこから驚異的な情報分析力で玉のみを取り出すというものだ。 資金と頭脳のみが武器である現在の夕呼にとっては、最適の方法であろう。しかし、宝玉とでも言うべき情報を手にいれるのは不可能だ。 2001年の夕呼は『現代の忍者。鎧衣左近』『心を読む少女。社霞』『未来を知る男。白銀武』『対BETA諜報員。鑑純夏』と、情報戦国士無双とでも言うべき陣容を揃えていたが、現在の夕呼には一人もいなかったどころか、そのうちの一人が敵だった。 天才香月夕呼と言えども、諜報分野においては他者に頼る必要がある。そして情報が無ければ夕呼でも敗北するのだ。(やはり全ては情報ね。オルタネイティヴ4への確信が深まったわ) 多少負け惜しみの感もあるが、流石に夕呼だけあっていつまでも落ち込んではいない。煌武院家が武を囲い込めば、現在の夕呼が干渉するのは無理だろう。 しかし、オルタネイティヴ計画の最高責任者になれば、第四計画に必須の人材として日本帝国に武の引渡しを要求できる。 武が使えなくなったのはとても痛いが、なんとしても検証作業を終わらせて、国連に招聘されなければいけない。と、夕呼は決意を新たにした。1991年12月15日 京都 煌武院の屋敷 応接間――それでは、そなたの話を聞きましょう。(やっと殿下に説明できる……)