雷電:Side 武が技術廠で開発に没頭しているころ、煌武院家の大広間では雷電と悠陽が真耶から報告を受けていた。内容は建設中の甲19号目標についてだ。この場にいる人間は、既に武の実績から逆行を疑ってはいなかったが、それでもハイヴの建設時期と座標の的中には衝撃を受けた。「――報告は以上です」「そうか……白銀の言に誤りは無かったか」「…………」 報告を終えた真耶は、表情を硬く引き締め何かに耐えているかのようだ。重々しく頷いた雷電の声にも苦渋が滲んでいる。武の正しさが証明された事を嬉しく思う悠陽にしても、帝国に迫る脅威が確定した事に慄く。武を信じてはいても、心のどこかで情報の誤りを期待していたのだ。 未来情報の利用には制限――因果律――が存在するので、本土進攻への主体的な対処は武に任せるしかない。つまり煌武院家の面々は、破滅的な危険を知りつつも積極的に動く事が出来ないのだ。そこから生じる焦燥感たるや並大抵の物ではない。「事前に知れただけ……いや、比類なき僥倖じゃ!」「はい!」「御意!」 雷電は途中で言葉を飲み込んで言い切った。それに続き悠陽と真耶も何かを吹っ切るように答える。“まだマシ”等と言う己への慰めは、力無き者ならまだしも、将軍家に連なる人間には許されない。ましてや“知りたくなかった”の如き現実逃避は論外である。「これ程の天佑を得たのじゃ、最善を求めずして何の為の摂家ぞ。此れより煌武院家は……全面的に白銀武を後援するっ!」 煌武院当主としての雷電の宣言に、悠陽と真耶は低頭する事で応じた。是親:Side 首相官邸の執務室では、日本帝国総理大臣榊是親が電話を掛けている。「内閣広報室の――君に繋いでくれ」 几帳面に整理された執務机の中心には、書類束が一つと一通の手紙が置かれ、是親の鋭い視線はその両者に注がれている。書類は新設されたハイヴに関する資料であり、手紙はソレ以前に鎧衣左近を介して手渡された物だ。 両者に書かれている座標は、寸分と違わず一致していた。(当てずっぽうでは……あり得んな) 是親が内心で独りごちたところで、目当ての人物に回線が繋がる。「……私だ。例の法案を見据えての少年志願兵との面談だが、一人加えて欲しい人物がいる」 例の法案とは、帝国議会で審議中の徴兵年齢の引き下げを柱としたものだ。後方任務に限定するとの文言が含まれるとはいえ、戦況が悪化すれば済し崩し的に、実戦にも投入されることは明らかだと、学徒動員――志願は建前――には反対意見も根強い。 そこで僅かでも学徒動員への忌避感を払拭する為、首相との面談イベントを通じて少年志願兵達の存在をアピールし、現在でも志願と言う形で未成年が軍務に着いている現実を広く国民に示すことで、現状を追認させる為の政治宣伝が必要となる。「技術廠に出向中の斯衛軍少尉で、氏名は白銀武」 是親が武の名前を挙げたのは第一に、武と不自然でない形で会談する為だが、純粋な適正だけ見ても悪い人選ではない。やはりテストパイロットと言うのは少年にとり憧れの的であるし、その危険性は一般には知られていないので、教導隊と並ぶ後方任務の花形的存在だ。「あぁ、摂家には私の方で了承を取る」 そして電話を切った是親は、ひとりごちた。「次期将軍殿下の忠臣か妖臣か、全ては会ってみてからだな……」1994年4月16日 京都 帝国陸軍技術廠 某所 武が技術廠に出向した後も、左近との接触は続いている。「極東国連軍は十年、朝鮮半島を持たせるつもりですか……」 国連太平洋方面第11軍の防衛計画に目を通しながら、武は呟いた。「北欧国連軍が、スカンジナビア半島で十年以上持ち堪えたからな。そちらへの対抗心が強いようだ」 1981年の北欧圏侵攻と、ロヴァニエミハイヴ――甲8号目標――の建造開始から、1993年の全欧州大陸放棄までの間、ボスニア湾など半島特有の地形を最大限に活かし、北欧戦線で最後まで抵抗を続けた北欧国連軍の国際的な評価は高い。 対して極東国連軍は、核兵器使用権の関係で中国軍に極東アジア戦線の主導権を握られていたから、戦線が中国国内から朝鮮半島に押し込まれた事で、主導権は極東国連軍に移ったばかり。半島防衛という共通項がある北欧国連軍を意識するのも解るが……。「同じ半島とは言っても、かなり地形が違いますよね」 どちらの半島も海峡を利用すれば、多方面からの圧力を軽減できる利点は共通していても、スカンジナビア半島の広大な山脈に比べれば、朝鮮半島の山地は随分と見劣りする。 スカンジナビア半島は、海岸近くの平野部を除く広範囲に山脈が連なっており、その地勢に特化したスウェーデン王国製の戦術機――北欧国連軍の主力――は、NOE(匍匐飛行)能力が重視され、手足の付いた戦闘機とも言われるほどだ。 そして、スウェーデン王国サーグ社製の第三世代戦術機であるグリペンは、実質的にスカンジナビア諸国(スウェーデン、ノルウェー、デンマーク)の共同開発であり、特に莫大な埋蔵量を誇る油田を持つグリーンランドを領有する、デンマークからの資金提供は必須だった。 ちなみにグリーンランド油田の埋蔵量は中東並とも言われているが、厚い凍土に覆われた大地は地下資源の採掘が困難で、採算性が悪い為に開発は遅れていた。しかし中東地域の失陥以来、人類の石油に対する採算性の基準が激変したので、急ピッチで採掘が進められた。「それもあるが、組織の成り立ちの方が深刻だろうな……」 元々欧州には、経済的な連合体である欧州共同体(EC)という枠組みがあったところに、BETAの地球侵攻の影響で、政治的・軍事的な連携を含めた欧州連合(EU)を結成する動きが加速し、これには北欧諸国も含まれた。という歴史的経緯がある。 だからこそ欧州全域に置いて、EUには政治から軍事まで一貫した権限が与えられ、政戦両略の方針を合致させることが可能だった。加えて北欧は人口密度が全体的に低く、戦線の後退に連動した疎開政策が比較的スムーズに進んだのも大きい。 ただし全てが上手くいっていた訳でもなく、フィンランドはモスクワ陥落に伴うソ連の東方退避までの間、その勢力下に置かれていた為、ECにもNATOにも参加できず、EUへの加盟も随分と遅れたので、北欧諸国内で微妙な立場になってしまった。 フィンランド人のイルマ・テスレフ一家が、北欧圏の避難先であるアイスランドやグリーンランドやカナダではなく、米国に移民して市民権を欲したのも、その辺の国家関係が遠因だとしたら、過去の歴史を含めて大国に隣接した小国の悲哀を感じさせられる。 そんな欧州と比べて極東アジアは、その手の枠組みが無かった――APECの創設は1989年で、この世界には存在しない――上に、東欧諸国が壊滅したのに対して、中ソ両国は今だ影響力を残しているので、東西両陣営の勢力争いも収まってはいなかった。 そして極東国連軍の主体は在日在韓の両米軍だから、戦力的には相応でも、極東地域の事情よりも本国の意向を優先するのが当然で、後の光州作戦の時に、極東国連軍と大東亜連合軍の意図するところが食い違ったのも必然だった。 光州作戦は朝鮮半島撤退支援作戦なので、祖国を追われた後も国を纏める困難を痛いほど知る大東亜連合は、政治的な理由で脱出を拒む現地住民の避難救助を優先したが、国土喪失の危機から縁遠い米国にとっては人事で、その辺の温度差は如何とも埋め難い。 国家統合の基盤である領土を失った上に、脱出を拒んだ住民は見捨てましたでは、亡命政権を組織したところで直に空中分解だ。未来に希望を持てないから、せめて故郷で最後を迎えたいと願う人間には迷惑な話だとしても、去り際ともなれば美談の一つや二つは必要になる。 その是非は兎も角、極東国連軍と大東亜連合軍が戦略目的を一致させられなかった時点で、光州作戦の失敗は決定的だったのだから、両軍の板挟みになっていた彩峰中将の命令違反だけに敗因を帰すのは、明らかに問題の摩り替えであり矮小化だ。 しかし、バンクーバー体制の不備で大敗したとなると、元々自国軍が国連統合軍の指揮系統下に編入されるバンクーバー協定への反発は根強いので、今後バンクーバー体制を継続する上で不都合が生じてしまう。下手すればバンクーバー体制の崩壊もありえた。 そしてオルタネイティブ計画にとっても、世界中の軍隊を動員できるバンクーバー体制は必要――桜花作戦とか――だし、抗弁すれば第四計画の失速は必至だったが、逆に帝国軍が泥を被る形でバンクーバー体制の存続に寄与すれば、それは国連への貸しになる。 榊首相が土下座して彩峰中将に説いた日本の未来とは、榊政権が誘致した日本主導の第四計画達成に他ならない。だからこそ笑って人身御供を快諾した彩峰中将に対して、榊首相は陰ながら涙したのだろう。(極東国連軍の総司令部に、第五計画派が多いのも厄介なんだよな) 来歴からすれば当然の話なのだが、夕呼が再三要求した横浜基地所属の駐留国連軍の戦術見直しを握り潰されたり、HSST落下事件等の妨害工作がされ易いのも、所属軍の上層部で敵対派閥が主流なのと無関係ではない。「何にしても、出来るだけ持たせて欲しいものです」 帝国の半島への影響力からして知れたものである以上は、現状で武に出来る事は、初陣の戦死者がXM2の効果で減る事を祈るのが精々だ。戦訓を得る前に戦死されては、経験も力量も蓄積しようがない。「それはそうと、あちらで香月博士はどんな様子ですか?」 今年に入って早々、夕呼はニューヨークの国連本部に招聘されている。「各国とも必死だからな。離合集散と権謀術数が繰り返され、流石の博士もお疲れのご様子だよ。此方での工作を私に任せるほどね」 高度情報化社会といえども、距離的な制約は馬鹿に出来ない。そして米国が一枚岩ではないように、今の所は後方国家である日本帝国にも、親米派を中心に米国案を押す声は少なくないので、肝心の本国を自国案支持で固める事は重要だ。「そして君は、鬼の居ぬ間にといったところかね?」「まさか、TVに出る事になるとは思いませんでしたけどね……」 既に武は、面談イベントに参加するようにとの命令を受けている。武がTVに映っているのを見たら、両親や純夏達はさぞ驚く事だろう。「君の年齢からして、榊首相の狙いは徴兵年齢の引き下げというより、女性徴兵への布石だろう。全国のお姉様方が、君を前線に出さない為に戦ってくれる。と、なんとも頼もしいな」 少々あざとい手だが、武のような子供を戦わせたくない思った女性の志願兵が増えれば、女性徴兵へのハードルは下がる。「現実に人材が足りてないのなら、頼りにする他ありませんよ」 年齢や性別で区別してくれる相手ではないのだから、皆が生延びる為には武器を取って戦って貰うしかない。「同感だ。さて、そろそろ本題に入るかね」「えぇ、お願いします」 長い前振りは、これからする話がそれだけ重要だという証左である。――帝国本土防衛軍、生物化学研究部、後藤部隊の調査結果だ。