1991年11月10日 桜並木の坂の下 車中「……物品って具体的に何?」 さすがの夕呼も、証拠が有る事には驚いたようだ。「因果律量子論でしか説明のつかない同一性を、見つける事は可能なんですか?」「やってみないと、なんとも言えないわ」 今までは、夕呼の質問にひたすら武が答える事で、会話の打ち切りを防いでいたが、武は夕呼がやってみる価値を認めたと判断し、多少は探りを入れても問題ないと判断した。「因果律量子論でしか説明できない同一性が認められたら、因果律量子論の証明に寄与しますよね?」「そうね」「つまり夕呼先生に、メリットがあると言う事になりますね」「残念ながら、既に因果律量子論は証明されてるから、メリットにはならないわね」 夕呼はニヤリと唇を持ち上げた。「ご冗談を、これまで観察したところ、両世界の人間は性格や適正等に大きな違いはないようです。いくら夕呼先生が天才でも、オレみたいなイレギュラーでもない限り、同じ天才の夕呼先生より10年も早く証明できたとは思えません」 武は、実際に証明されてない事を知ってるので、強気で押せる。「で、元の世界に帰るのでも手伝えって?」 図星を突かれても、夕呼は余裕の態度を崩さない。「この世界にはもう会えないと思っていた人がいるので、元の世界に戻りたいとは思ってません」「ふ~ん、BETAはなくとも人は死ぬ。か」 夕呼は帰還への協力を武への餌にするつもりだったので、面白くなさそうにつぶやいた。「因果律量子論の証明。これに見返りを期待するのは間違ってますか?」「舐めてるの? こっちはあんたの意思ぐらい無視できるのよ」 夕呼は武を睨んで威圧する。「逆ですよ。オレが世界移動した事が証明された場合は、オレの事を骨の隋まで利用しつくすつもりなんでしょ? 駒の用途を限定するほど、夕呼先生が甘いとは思えません」 夕呼が現時点で武を00ユニット候補と考えてるかは別にしても、因果律量子論に関連した実験は、被験者の意思や双方の信頼関係が大きく影響する。つまり取引によらない一方的な収奪や強制をした場合は、それらの実験での成果が期待できなくなる。そうなれば夕呼にとって武の価値は半減だ。「そっちのあたしにでも仕込まれたのかしらね。言ってみなさい」「ある人に会いたいのですが、こっちの世界では一般人が会える人物ではないんですよ」「もったいぶるわね」「先に証拠になりうる物品の話からした方が、理解しやすいと思います」 夕呼は顎で先を促す。「オレの世界では、無現鬼道流という剣術流派の宝刀『皆琉神威の鍔』がソレです」「あんたの世界のソレと、この世界のソレは両方揃ってるのかしら?」「実はこの世界のソレがどこにあるか、分からないんですよ」「あるかないかも知れない物を、あたしに探せって言うわけ?」 話の底が見えたと思い、夕呼は落胆したような声を出した。「この世界でも全く無名とは思えないので、所在だけは直に判明すると思いますが、問題は借りられるかです。高確率で煌武院家に関連する人間が所持しているでしょう。とりあえず、無現鬼道流について調べてみては?」 時期からして所有者は、冥夜の剣術の師匠である紅蓮斯衛大将だろう。武は天元山の噴火救助をした世界で皆琉神威について聞いている。武が元いた世界では御剣家の宝刀だったので、冥夜は幼い頃から所持していたが、BETAのいる世界では無現鬼道流皆伝の証であり、元の世界で冥夜は皆伝から3年後に武に会いに来たので、BETAの脅威があったにしても修行期間を7年も短縮するのは無理だろう。冥夜が所持していたら複雑すぎる事になるので、武は慎重に検討した。「煌武院ってどんな家か知ってるの? なんでそんな物をあんたが持ってるのよ」「オレの世界でも、煌武院家は世界経済に影響を及ぼすほどの財閥でした。縁があった理由は、えーとまあ、夕呼先生はオレの事を恋愛原子核とか言って、まりもちゃんのために研究するとか言ってました」 武としては御剣と煌武院は混ぜて説明するしかないが、もともと同じ家みたいなものだから矛盾はない。縁については武からしても不思議なぐらいなので、夕呼の理論である恋愛原子核を持ち出して補強した。並行世界の自分が名づけた理論なら感じる物があるだろう。「つまり煌武院の関係者に惚れられたと、とりあえず現物を見せなさい」「見た目からして値打ち物なので、家に置いてあります」「そう、今からあんたの家まで送るから持ってきなさい」 そう言った夕呼は車内にまりもを呼んで、武の案内で白銀宅前まで移動した。1991年11月10日 白銀家前 車中 武は急いで鍔を持って来て、手を伸ばしているまりもに渡した。まりもは受け取った鍔をしばらく調べて危険はないと判断したのか、夕呼に渡してから再び武のボディーチェックをした。そして武が車内に入ると、夕呼が興味深そうに鍔を見ている。「ふ~ん。年代物っぽいし、因果が強そうではあるわね」「分析比較が終わったら、ちゃんと返してくださいよ」「いつになるか分からないけどね~。で、誰に会いたいんだっけ?」「煌武院悠陽です」「あんたの言う事が証明されて、あたしの研究に役立ったなら考えない事もないわ」 夕呼は本当に楽しそうだ。武も覚悟していた事だが、望みを言う事は弱点を晒す事でもある。「簡単には会えないでしょうが、どうしても忠告する事があります」「この世界は、あんたがいた世界とは違う世界なのよ?」 夕呼は世界の因果が近くて個人レベルなら忠告には効果があると考えたが、同時に逆効果の可能性にも思い至ったので、せっかくの餌を無意味にする必要もないと別の事を言った。「BETAの有無で違う面も多いですけど、似ている面も数多くあります」「言っておくけど、あたしにだって難しい事なのよ。あたしの権限が増せば楽になるけどね」 夕呼は会いたかったら役に立ちなさいと言わんばかりだが、実際に会わせる気があるのか疑問だ。夕呼にしてみれば自分以外の権力者と武を会わせる事は、百害有って一利無しとしか言えない。武も現時点で夕呼に会わせる気がないのは覚悟の上なので、牽制の発言を放った。「オレが痺れを切らして、無謀な行動にでないとも限りませんよ」 そうなれば夕呼も、使える実験体候補を失う事になる。「覚えておくわ。あんた名前は?」「白銀武です」「そう今日はもう良いわ。分析の結果によってはまた会いましょう」「はい。なるべく早く再会したいです」 そして夕呼とまりもが乗った車は走り去った。(そういえば、まりもちゃんとは一言も話してないな……。夕呼先生との交渉に集中してたから仕方ないか。とりあえず、BETAのいる世界の未来を知ってる事は隠し通せたはずだ。隠し事を疑われてはいるだろうけど、BETAのいない世界の未来をこの世界に当てはめて、殿下を助けようとしてると誤解させれたのなら大成功だろう。夕呼先生を相手に油断は禁物だが……) 武が家の前に立ったまま思索に耽ってると、後ろから大声がした。――タケルちゃん!!(ただでさえ生活習慣変えて怪しまれてるのに、純夏に高級車と迷彩服姿のまりもちゃんを見られたか……)