1991年10月22日 白銀家 自室「しかし、具体的にどうするかな」 現状は死んだはずの不審者よりはマシでも、ただの一般人に過ぎない武は、なにをするにも何らかのコネが必須だ。(いきなり指輪や鍔を使っての煌武院関係は却下だな) この世界には、この世界のそれらが有るだろうから、どうやっても偽者でしかない。なまじ本物と判別できない代物なので、背後関係を疑われて自白剤や拷問コースだろう。誰彼構わずに全ての情報を、吐き出させられるようなリスクは負えない。そんな状態では信用されないだろうし、もしも未来情報の的中で後々になって信用されても、情報の秘匿が手遅れになっているだろうから致命的だ。そもそも牢獄で何年も時間を無駄にできるわけもない。(夕呼先生がどこにいるかは、一応心当たりを思い出した) 武が初めてBETAのいる世界に来た時間軸では、夕呼は武を頻繁に呼び出して雑談に興じていた。その中で武が、元の世界では夕呼が学会に無視されていた。と、語ったところ。負けず嫌いの夕呼がオルタネイティヴ計画の責任者になる前にも、帝国大学に招聘されていたと自慢していたのを思い出したのだ。だめもとで帝国大学を尋ねる価値はあるだろう。(オレと夕呼先生の利害が対立してる事が問題だ) なんとか武の目的を隠し夕呼を利用する必要がある。そう考えると夕呼の傍に霞がいたとしたら無理だ。そういう意味でも帝国大学にいる事を想定するしかない。霞が不在と仮定すれば、知能は圧倒的に不利だとしても、情報では圧倒的に有利ではある。しかし、霞のリーディングが有ったからこそ、最初にある程度の信用を得られたわけで、霞がいない想定だと信用されるのが難しい。もちろん対夕呼の最終兵器として数式はあるが、使いどころは見誤れない。(オレが、この世界に来たのは初めてだと思わせれば、いけるか?) そもそもループしてる事が異常なのだ。未来を知ってるようなそぶりを見せなければ、想像すらできないだろう。因果律量子論でループを事前に推測し得たのなら、最初の世界で夕呼がそれを想定してなかった説明がつかない。事前予測と事後解釈では、天と地の開きがある。(オレが並行世界の人間である証明と、夕呼先生以外のコネの構築。一挙両得の手があるにはある) どこまで望みに近い結果が出るかは未知数だが、一気に破綻する事もないだろうから、試してみる価値はある。もちろん夕呼が既に帝国大学を出た後なら、最初から方針の練り直しになるが。1991年10月27日 白銀家 武がこの世界に来てから一週間が経った。「小学生のやる事なんて、どこの世界でも同じか」 意外なほど問題なく日々を過せている。(体を鍛えるのも8歳では限界があるな) 脳が覚えてるからか、かなりのペースで体力は増えてるが、直に限界に達するだろう。この年齢で実機は無理でも、シミュレーターに乗れる程度の体力は欲しい。この体の戦術機適性については計測するまで確実ではないが、鉄棒で無茶をしてみた感じでは、おそらく以前と同じ適性があると思われる。手足の長さについては壬姫や美琴が問題無く操縦していたのだから、着座調整でなんとかなると思いたい。徴兵年齢が下がる前だとしたら、着座調整の自由度が低くて無理かもしれないが。(とにかく、夕呼先生が帝国大学にいる――あるいはいた――事を知っている理由が必要だ) 武はそれを一週間ずっと考え、図書館で調べたりもしているが、機密だったら知りえる方法はないし、そうでなくともこの世界は、一般への情報公開のレベルが低い。新聞に記事として載ってなかったらお手上げ状態だ。元の世界でも夕呼が東京大学にいた事にするにも、帝国大学は京都にある。この世界の東大に相当する場所として推理しても不自然ではないが、元の世界の夕呼の情報は正直に伝えないと矛盾を見抜かれるだろう。1991年11月10日 桜並木の坂――散々悩んだのがアホみたいだ。夕呼先生が目の前にいる。 武は体力作りと図書館での調べ物を一日交代でしていて、この日は体力作りのために、前の世界では横浜基地の前の坂を走って上り下りしていた。今現在は帝国陸軍横浜士官学校が存在し、最初は門兵に声を掛けられもしたが、地元住民で将来は衛士になるために鍛えてると言ったら、好きに走って良いと許可してくれた。走るだけならどこでも良いとはいえ、かつて訓練した場所の近くで走ると実が入る。 そして何回目かの坂を登っていたら、10年後まで会えないと思っていた人物が坂を降りてきた。(まりもちゃん!) 迷彩服に身を包んだ神宮司まりもは、当然ながら武が知っているより若々しい姿をしていた。(年齢的に訓練兵かな、まりもちゃんもここの出身だったのか) 武がすれ違う時に頭を下げると、まりもは武に向かって微笑した。(まりもちゃんは、どの世界でも優しい人だな) 武は坂を上るのをやめ、ふらふらと後を付けるように坂を降りてしまうが、坂の下まで来たところで我に返った。(これじゃストーカーだな。ここで走ってれば、またすれ違う事もあるだろう) そう考えて踵を返そうとした所で坂の下に車が止まり、人が降りて来た。――武が会いたくて堪らなかった香月夕呼だ。「夕呼先生!!」 望外の幸運に武は大声で叫んだ。その声に夕呼は眉を顰め、まりもは夕呼を武から隠すように移動した。「オレは因果律量子論を実証しました」 なんとか一瞬で落ち着きを取り戻した武は、準備しておいた夕呼のプライドを刺激する台詞を言った。さすがに驚いた顔をする夕呼に向かって武は更に続けた。「科学者としてではなく、被験者としてですが」 夕呼は、真剣な表情に変わり少し考えた後、口を開いた。「まりも、そのガキのボディーチェックをしてくれる」「了解」 武はまりものボディーチェックに身を任せた。「武器は持ってないわ」「そこのガキ、車に乗りなさい。まりもは車の外からガキを見張ってて」「はい」「わかったわ」(前の世界だと数時間も厳重チェックされたのにな。自分で車を運転して移動してるぐらいだし、今の時点では暗殺の危険はないってことか、権限の方も少ないのかな) そして二人が車に乗り込み、ドアを閉めたところで夕呼が口を開いた。「被験者としてなら、科学者は誰?」「並列世界の夕呼先生だと思います」「あたし? 思います?」「オレは10月22日に目が覚めたら、この世界にいたんです。そんな事がやれそうな心当たりは、夕呼先生しかいません」 武は再びBETAのいる世界に来た原因として、少なからず夕呼を疑っているので、まるっきり嘘でもない。もちろん本当にそうだったら、感謝したいぐらいだが。「あんたの知ってる香月夕呼について、知ってる事を全て言いなさい」「夕呼先生はオレの高校の物理の先生で、因果律量子論って珍妙な理論を提唱していて、面白い事が大好物で主にオレを巻き込んだ騒ぎを起こします。オレのクラス担任のまりもちゃんとは学生時代から親友で、まりもちゃんに変わった服を着せて楽しんだり、恋愛関係でからかったりして、まりもちゃんをよく泣かせていました。愛車はストラトス。それに自分が担任をしているクラスの生徒を、本物の猫に変えた事があったんですよ」 その他に武は、こまごまとした夕呼のエピソードも話した。「ふ~ん。あんたは高校生ってわけね」「真面目に勉強していなかったので、学力で証明しろと言われても困りますけどね」「そんなのはどうでもいいわ。あそこにいた理由は?」「オレの通っていた白陵柊学園は、あの士官学校の位置にあったんです。だからあそこら辺に足が向くんですよ。そもそも、オレの世界にはBETAなんて化け物は存在しません」「BETAがいない世界?」「ええ、新聞で知った限りでも、歴史が違いますね」 その後も歴史や社会について夕呼が質問し、武が答える事をしばらく繰り返した。「なかなか面白い話が聞けたわ。で、証拠は有るのかしら?」 夕呼はニヤリと笑いながら聞いた。絶対にないと思っているのだろう。「オレの世界から持って来たと言うか、ついて来た物品があります。この世界にある同じ物と夕呼先生が分析して比較すれば、因果律量子論でしか説明のつかない同一性を見つけられるのでは?」>>香月夕呼:Side<<「ええ、新聞で知った限りでも、歴史が違いますね」(少なくても個人が考えた作り話の完成度ではないわね) 創作だとしたらどこかの組織がバックにいるはずだ。因果律量子論に通じている上に、夕呼の性格を精密に分析できていなければ、この話は作れないだろう。夕呼以外にこれほど因果律量子論に通じた人間がいるのかと言う疑問はあるが、武の言う事を信じる根拠もない。それらは後で探らせる。「なかなか面白い話が聞けたわ。で、証拠は有るのかしら?」 もちろん夕呼は証拠があるとは思ってない。あくまでも優位に立つための質問だ。「オレの世界から持って来たと言うかついて来た物品があります。この世界にある同じ物と夕呼先生が分析して比較すれば、因果律量子論でしか説明のつかない同一性を見つけられるのでは?」(……確かに比較分析の結果によっては証拠になるわ) それを持つからと言って人間までそうとは限らないが、意思を持たない物品だけを移動させる事は不可能だ。少なくとも誰かが世界移動をした証明にはなる。そして武がそうではない場合でも世界を渡った人間を見つけるキーには違いない。もし物品が証拠になる物なら、武を確保しておいて損はないと夕呼は考えた。(そういえば、急にまりもに会いたくなったのよね) 夕呼は仕事でしばらく関東に滞在するので、都合の合う日にまりもに会おうとは考えていたが、普段ならさすがに訓練兵の立場であるまりもの都合を考慮するのに、今日に限って直前に連絡して会おうとした。――もしかして、最良の未来を引き当てたのかしら?