1992年2月16日 京都 煌武院の屋敷 武の客室 武は、悠陽と冥夜の生き別れ状態をどうにか出来ないかと考えていた。(チャンスがあるとしたら、やはり大侵攻の時だな) 前の世界で帝国が完全に滅亡しなかったのは、BETAの侵攻がハイヴ建設のために止まったからで、それはBETAの都合でしかない。BETAの大侵攻時の戦力は帝国を滅亡に追い込むに十分だったはずだ。そして興亡が掛った戦が始った時点から、勝利に資する為ならば為来りや政治問題は相対的に些細になる。(冥夜は軍事的に価値がある) 大侵攻時の防衛戦は長期戦になるから、士気の維持が最重要で、士気高揚ユニットは多ければ多いほど良い。そして何より戦域がとんでもなく広くなるから、例えば中国地方と四国地方に同時に紫の機体が居て、双方の政威大将軍が激励の言葉を発していても、別の戦線なので戦闘中に気がつかれる事はまずない。戦後に将兵の間で噂になるだろうが、それはむしろ好都合だ。(悠陽様が将軍になっている事と、冥夜の気持ち次第ではあるけど) 政略条件を整える事を考えると、大侵攻前に悠陽が将軍になるのは方法は別にしても必須条件だろう。そして冥夜は、日本の為に戦える機会を与えられれば喜んで戦うはずだ。前の世界より三年と数ヶ月早い十四歳での初陣になるが、早期に戦術機の操作訓練を受け始めれば戦えぬ年齢ではない。(冥夜の早期訓練は内密に行う必要がある) そして内密に訓練できる場所と言えば、煌武院家のシミュレータールームしかない。実機訓練と機体慣熟はコネを作っておく事で、機密性の高い技術廠のテスト場を使わせて貰おう。士気の維持が目的なので積極的に戦闘に加わる必要はないが、念のために確り鍛える必要がある。(どの時点から可能になるかな……)1992年5月23日 京都 煌武院の屋敷 シミュレータールーム 武が第壱開発局の信用を得たと確信するまで、三ヶ月以上の時を要した。 その間に、悠陽が毎月の十六日に武の部屋に忍んで来るのが恒例化した。この世界の未来の事はあまり話さない方が良いし、元の世界の話も徐々に尽きて来たのだが、悠陽はお返しにこの世界の事や自分の事を教える。と言ってあれこれと話す事で逢瀬を続けるつもりのようで、この世界にもこの時代にも疎い武には有り難い授業だ。 また、武と早朝訓練を一緒にする事になった唯依は、剣術に関しては妥協できないのか、遠慮しながらも武に助言をするようになり、それなりに自信を取り戻したのか、硬さも取れて自然に話せるようになって来た。武は生身でも回避技術こそ高いが、刀を使った攻撃技術には疎いから唯依との訓練は実になっている。 そして純夏とは文通状態だ。案の定と言うか純夏は武の影響で斯衛を目指しているらしい。武家の人間でない以上はまずは帝国軍衛士を目指すと言う事なので、国連軍に入ると斯衛になれないぞ、と念を押して置いた。「このところ更新されて来るデータから見て、信用されて来ましたよね」「白銀さんの要望が最優先で用いられるようになったので、そう判断してよろしいかと」 此処一ヶ月ほど特に、不知火の開発方向が武の要望に添った物になって来ていた。XMシリーズの交渉は今までの概念に無い物を持ち込むだけに、事前の信用は有れば有るほど良いが、不知火が完成に近づくほど変更が難しくなる事も確かなので、武は真耶に相談して今の時期が頃合だと同意を得た。 武は、XMシリーズの開発交渉は真耶に代理を任せると頼んである。年齢の問題を抜きにしたとしても、武では専門技術的な話はできない。そのためにXM2とXM3の要求仕様と概念について真耶に入念に説明した。「つまり、キャンセルと先行入力の複合がXM2で、そこにデータを蓄積して反映した上での動作・姿勢制御命令を可能とする、所謂コンボを加えたのがXM3と言うわけですか」「はい。XM2はまだしもXM3は現状では不可能でしょう。大侵攻までに間に合うかどうかと考えていますので、今回は可能な限りの拡張性を確保して貰えれば十分です」「XM3には大幅な自動処理能力の引き上げが必要ですので、妥当な判断かと」「全ては、このデータがOSその物に対する戦力評価を激変させ得る物か……ですね」 武の言うデータとは、擬似的にXM1を搭載した不知火で行ったシミュレーションデータだ。レーザーの初期照射時点での回避や、三次元機動によるハイヴ内での高速進撃など、既存の戦力評価を打破するに足る物ではある。しかし、全てシミュレーターデータなので信用がなければ改竄したデータと見なされるだろう。「全力を尽くします。お任せください」「宜しくお願いします」 簡単な交渉にはならないだろうが、武は真耶を信じて吉報を待つ事にした。1992年5月30日 京都 煌武院の屋敷 応接間 数日後、真耶は悠陽と武に交渉の結果を報告した。「懸案だったデータの信憑性ですが、白銀さんの実績から信用を得る事ができました。そして自分達の作っている機体の限界以上の機動を目にして大変な衝撃を受けたようで、OS次第で従来より機体性能を引き出せるという認識が広まりました」 不知火の開発は最終調整段階まで進みながら足踏みしていた。その状態の突破口になった武は第壱開発局で高く評価されており、当初は外部協力者に否定的だった者達にも信用されるに至っていたのだ。そして、OSその物に対する現場の認識を変えた事は大きい。「まず、XM1については即決で採用されました」 それを聞いた武はとりあえず安心した。XM1だけでも採用されれば、例え遅くなったとしてもXMシリーズの有用性は実証されるはずなのだ。それだけの物であると武は確信している。「次にXM2ですが、第壱開発局の方から第参開発局に、不知火用のOSとして製作依頼を出すそうです」 帝国陸軍技術廠は、第壱開発局が戦術機本体と全体のバランス調整を、第弐開発局が個別武装や跳躍ユニット関連を、第参開発局がOSや各種センサー等の電子関連を担当している。そして第参開発局が規模も予算も少ない傾向にあるのは、やはり見た目にも解り易い部分が優先されている面は否めないだろう。「そして、拡張性は可能な限り全てのスペースを確保できました。XM2による即応性低下は、このCPUスペースの拡充で吸収できる予定です。しかし、XM3については有用性こそ理解されましたが、将来的な目標として以上の具体化はできませんでした」 それも仕方ないと言える。XM2までと違って、XM3に必要とされる並列処理能力は余りにも高い。「OSの戦力評価は見直されつつありますので、XM2の実戦証明が成された後にXM3を目標としてCPUの開発が加速する事は間違いないと思います。しかし、不知火に確保したスペースで、XM3を大侵攻に間に合わせる為には余程の集中投資が必要かと」 不知火は、困難な要求仕様を実現するため突き詰めた設計がなされており、発展性のための構造的余裕についても極限までそぎ落とされていた為、可能な限り全てのスペースを確保したと言っても限界がある。「予算についてはXM2が十分な戦果を上げて、不知火をベースに開発される機体に影響を与えられるかどうかですね。現状ではXM2に実戦証明の機会が与えられただけでも十分過ぎます。ありがとうございました」「真耶さん。此度の働き見事でした」「過分なお言葉を戴き、有り難き幸せ」 武が真耶に礼を言って頭を下げると、悠陽も真耶を労わり報告は終わった。(武御雷と吹雪をどうするかだな……) 武の未来知識で、不知火をベースに開発された戦術機は不知火の技術を応用して開発された斯衛軍の専用機である武御雷と、不知火の原型機を量産パーツの流用を前提に再設計した高等演習機の吹雪だ。これらの開発計画にXMシリーズが影響を与える事で、武が介入できるように持っていく必要があるだろう。1992年7月3日 京都 煌武院の屋敷 シミュレータールーム 武は、XM2搭載型不知火のデータを持って来た左近に捕まっていた。「いやはや。これほど簡易な変更で、戦術機の性能をここまで引き出すとは香月博士が助手にしたのも頷けると言うものだな。これは香月博士に秘密にした方が良いのかね?」「いつまでも隠れていては何もできませんから、隠し切れないでしょう。この程度の事を知られるのは覚悟してます」 並列世界の事を知っている夕呼なら、別世界人ならではの発想と、ある程度は納得するだろう。武の戦術機操縦技術は明らかに高すぎるわけだが、表に出るまでのタイムラグの関係で、いつの時点から一流の操縦技術を持っていたかは計れない。ならば、天才的に上達が早かったと判断するしかない。「ふむ、この程度の秘密と言う事かね」(しまった……。最近は緩みすぎだな) 武にとって左近は味方ではあるが、出来るだけ情報を与えない方が良い相手なのは、何も夕呼と交渉する必要性からの霞対策だけではない。夕呼と違い帝国や将軍への忠誠心は十分に有るだろうが、人類勝利と比べてどちらを優先するか計れない人物なのだ。 やばい仕事を頼む予定なので、常に興味を引いておいた方が良いとは言え、何の意味もなく気楽に秘密の程度を測られるような事を言ってしまうとは、夕呼の元にいた頃と比べるといろいろ順調になったせいか、武は自分が弛んでる事を自覚して反省した。「香月博士の方に何か動きはありましたか?」「先月の事だが、スワラージ作戦が発動した。表向きは印度・インド亜大陸反攻作戦と言う事になっているが、実質は第三計画の特殊部隊を送り込むための作戦だ。しかし、目ぼしい成果は上げれなかったようで、第三計画の中止は時間の問題だろう。第四計画がすんなり決まるとも思えんがね」 あからさまに話を逸らした武だが、左近が何も言わずに乗ってくれたので助かった。「つまり香月博士は、私を何れ第四計画の権限で召集するつもりなんですか」 武は話の流れから、左近が自由のタイムリミットを示唆していると気がついた。第四計画に日本案が採用された場合、日本はあらゆる面で国連と第四計画に協力する必要がある。オルタネイティヴ計画の誘致国にも関らず、国連とオルタネイティヴ計画に非協力的と批判されれば、それこそ第五計画への移行理由にされかねない。 未来のクーデターの折に榊首相が国賊と見なされたのも、強制力が弱い国連の要求に従い続ける理由を、国連の後ろにいる米国に従っていると見なされた為だ。オルタネイティヴ計画を巡る攻防を知らない人間から見れば、そうとでも考えねば理解できなかったのだろう。 国連への提供戦力と影響力で米国が突出しているとは言え、それにしても過剰な日本人の国連と米国の同一視は、この辺から来ているのかも知れない。もちろん第五計画へ移行する口実を欲した米国が、国連経由で過剰な要求をした事もあるだろうが、面従腹背の有効性と危険性を考えさせられる事例だ。「そのようだ。とても楽しそうな顔で、君をどうしてくれようかと言っていたよ」「それは遠慮したいですね……」「博士のような美しい女性を袖にしたのだ。自業自得と諦めたまえ」 ニヤリと笑う左近に武は反論できない。夕呼の性格から言ってある程度は扱き使われてから出ないと、悠陽には会わせて貰えないだろうと思い込んでいたので、駆け引きの結果とは言え何の手伝いもしないうちに夕呼の元を去る事になるとは、武としても予想外も良い所だったのだ。 しかし、千載一遇の機会を見逃す事が出来るはずもなかった。それに唯一の機会だったかも知れない。今更どうにもならないので、穏便に夕呼の召集から逃げる手段を考える必要があるのだが、そこで脳裏に夕呼のイイ笑顔が浮んだものだから、武は考えるのを後回しにして話を変えた。「それはそうと、表向きの作戦の方はどうなったんですか?」「インド亜大陸への戦力増強と、軌道爆撃からの軌道降下戦術の実証には成功したようだ。前者については中東奪還の第一歩を口実に、反米的なイスラム系兵士を厄介払いしたとも言われているがね」 既に、東南アジアと分断されているインド亜大陸は海以外に脱出路が存在せず、対BETA戦の現実を考えれば死地と言える。「フェイズ5ハイヴが二つもあるアラビア半島側から中東奪還を目指すよりは、いくらか現実的なんじゃないですか」 米国の悪評を話した左近の目的は、武の対米姿勢を見極めたいが為と感じられたので、客観的に返す事で感情は二の次だと示した。「確かにそうだな。東進への牽制にもなっていれば良いがね」「それは疑問ですね。オリジナルハイヴから増援を送られる方向が侵攻方向とはいえ、逆方向の支配地域も着実に増やしている以上、人類の行動で侵攻方向を変えたりはしないでしょう。それこそ人類初のハイヴ攻略が成功でもしなければ」「そういえばXMシリーズは、ハイヴ内でこそ真価を発揮するそうだね。XM3ならハイヴを落せると思うかね?」「えぇ。帝国の備蓄砲弾全てと帝国軍の2/3を地上陽動に、斯衛全軍がXM3搭載の不知火でハイヴに突入すれば、フェイズ3の甲17号目標マンダレーハイヴなら落せます」 もちろん損耗率を考えなければだし、マンダレーハイヴの反応炉を破壊した時点で、残存BETAが近場の重慶ハイヴに逃げ込むかも知れない。結果として、重慶ハイヴのBETA量が飽和量に達し日本に大侵攻して来る危険性もある。武が大戦略としてはリスクが高すぎると思っている案だ。 悩ましいのが、重慶ハイヴからの大侵攻が南に向く可能性も十分にある事だ。例えマンダレーハイヴが奪い返されても大侵攻が数年単位で遅れるなら安い物。しかし、最大の問題点として重慶ハイヴからの大侵攻が、未来を知る人間以外には存在しない脅威だと言う事だ。 存在しない脅威を取り除いても、それは第三者に成果と見なされる事はない。そして、多大な損失を出してせっかく攻略したハイヴを、簡単に奪い返されたと言う認識しか結果としては残らないだろう。これでは政治的に後が続かない。これは重慶ハイヴへの先制間引き作戦にも共通する問題点だ。「えらく具体的な事を簡単に言うものだな」「今までだって突入までは成功しているんですから、要は突入部隊の質の問題ですよ。そろそろ、ハイヴ内専用戦術機が開発されても良いと思いませんか? どう考えても上陸作戦専用の海神より、優先度は上だと思うんですけどね。やはり予算が縦割りだからですか」 帝国海軍は、ユーラシア大陸内陸部が主戦場だった81年に海神を配備して、どこに上陸するつもりだったのか謎過ぎる。海神は専用の潜水空母を必要とする事を考えると、相当の予算を使った事だろう。 要するに、陸軍への戦術機の導入で予算獲得競争に押された海軍としては、是が非でも戦術機を導入する必要があった。内部的には効率を最優先する軍だが、外部相手には組織維持の為に効率を無視する事はままある。 もちろん、いずれは必要になる機体だから早めに導入して錬度を向上させると言う考えもあるのだが、ここで問題にしているのは優先度だ。しかし、適正な時期に導入しようとした場合に、既に予算が縮小されていて不可能だったとも成りかねないので、海軍が悪いという話でもない。 つまり、軍には予算の弾力的な配分は期待できないと言う事だ。そうなると、武が未来の知識や経験から新しい開発計画を立ち上げるなんて事は、現状では夢のまた夢で、既存の開発計画への介入にしても、最小限の変更で最大限の効果を得る必要がある。「海神についてはその通り。しかし、ふむ、ハイヴ内専用戦術機か……」 武の思惑通り、左近はかなり興味を引かれたようだ。――その事に関連して、いろいろ調べて欲しい事があるんです。具体的には……。