1992年1月22日 京都 煌武院の屋敷 居間 雷電は、悠陽の覚悟を計るかのように鋭い眼光を向けていた。しかし、悠陽は怯む事も視線を逸らす事もなく答えた。「はい」「そうか」 そのやり取りで満足したのか雷電は重々しく頷いた。そもそも当主と言えども指輪の授受に口出しはできない。しかし、八歳という若年で渡す例は少ないが故に、雷電は一時の気の迷いでないか確認したまでだ。「武殿の逗留を認めてくださった事、改めてお礼申し上げます」「鎧衣と月詠が揃って保証した上に、お前たっての頼みだ。認めぬわけにもいくまい。――少々の謎があろうともな」 雷電としても武の経歴――突然に香月夕呼の助手になった子供――に疑問はあるが、思慮深くとも積極性に乏しいところのあった悠陽に、大きな影響を与えている事は確かなので様子を見る気になっていた。今後どう転ぶにしても、悠陽の成長に繋がるだろうとの予感がある。「畏れ入ります」 悠陽は、雷電に全てを話すべきか武と話し合ったが、現状で客人として置いてもらえている以上、急いで危険を冒す必要はないという結論に達した。しかし何れ雷電にも、未来の情報を信用してもらう必要が出て来るだろう。その時までに多くの実績を詰んで置く事が重要だ。1992年2月3日 京都 煌武院の屋敷 シミュレータールーム 最近の武は、不知火のテストに没頭していた。それと言うのも最初の各テスト項目の数値が良かった事と、第壱開発局から折角のシミュレーターテストなのだからと、実機では到底やれない内容のテスト依頼が大量に来たからだ。要求の厳しさは期待の大きさを示し、達成すれば信用に繋がると判断した武は張り切ってこなしている。「CPよりシルバー1、反応が落ちている。休息に入れ」「了解」 そして武の張り切りすぎは、計測兼管制役の真耶が諌めてくれるので、武のテストパイロット生活は概ね上手く行っていた。しかし、やや別方面で新たな問題も発生していた。「このペースでカリキュラムを消化できていれば十分でしょう。体力的に限界があるとは言え体力さえ回復すれば、再び搭乗できる戦術機適性は驚異的です」「前はそれだけが取り柄でしたからね」 この様に真耶とは気楽に話せているのだが、どうも最近は唯依の表情が硬い。(大よその見当はつくがどうしたものかな) おそらくは不知火のテストに入ってから管制役をする事ができず、見学だけの身分に戻ってしまった事を気に病んでいるのだろう。しかし、現役の技官である真耶ならまだしも、賢い子供でしかない唯依に開発テストの管制が出来ないのは当然の事だ。(正論で諭したら、余計に落ち込むタイプっぽいんだよなぁ) 要点は、『役立たずになった』と言う唯依の認識をどうするかだが、子供は役立たずで当然と言ったところで、武を間近で見ている唯依には逆効果だろう。武の存在に嫉妬するのではなく、自省するのが生真面目な唯依らしいところではある。(役割を与えつつ、自分にもオレより優れている部分があると解らせるか……)1992年2月3日 京都 煌武院の屋敷 廊下 シミュレータールームからの帰り道、本殿に向かう途中で真耶とは分かれたので、武は唯依と二人になったところで語りかけた。「篁さん。ちょっと話良いですか?」「っ!はい」「いえ、歩きながらで良いですよ」 慌てて直立する唯依だが、武がそう言ってから歩き出したので、唯依も付いて歩かざる得ない。立ち止まっているよりは歩いていた方が、運動により自然と緊張が解れる。「レーザー属種を狩るのに、一番重要な能力はレーザーを回避する技術ですが、他に重要な能力は何だと思いますか?」「他にですか……。――回避か攻撃かを選択する判断能力ではないかと」 さすがに毎日のように見学しているだけあって、熟考した唯依はやや自信なさげながらも、高得点と言える答えを返した。「確かに判断能力は重要ですね。良い答えだと思います。それに加えて剣技も重要だと私は考えてます」「……剣技ですか?」 褒められた事で安堵した唯依だったが、武の答えは余りに意外だった。毎日のように見学してる唯依からしても、武がレーザー属種を長刀で倒している姿は見たことがない。重レーザー級を倒すのにも突撃砲を使っていた。「要塞級ってデカイのいますよね。あれはレーザー属種と移動速度が近いので傍にいる事が多いのと、まだシミュレーターでは再現されていませんが、レーザー属種を守るような行動を取るという報告が有ります。つまりレーザー属種狩りを邪魔する要塞級を、鎧袖一触にする剣技が重要だという事です」「なるほど……。納得しました」 BETAは単一種編成ではない。B時折に見せる絶妙とも言える連携に、人類は幾度も煮え湯を飲まされているのだ。「そして、私は剣術に自信がないのです。それで良かったら、早朝訓練を一緒にやりながら助言しくれませんか?」「……承知しました。ご一緒させていただきます」 指導して欲しいと言うと恐縮されてしまいそうなので、武は一緒に修行して欲しいと頼んだ。しかし、剣術は基本しか知らない武と、物心付いた時から修行しているだろう唯依が一緒にやれば、自然と唯依が武に指導する形になり、唯依は役割と自信を得られるだろう。(篁さんに躓かれては困る) 篁唯依は、武がこの世界で最初に機動概念を指導――今は見学だけだが――している相手なのだから、優れた衛士になってもらわなければ予定に不都合が出る。1992年2月9日 京都 煌武院の屋敷 武の客室 その日の武は、約束通り純夏に手紙を書いていた。『――と言うわけで、煌武院様の目に止まって、居候させて貰いながら斯衛を目指しているんだ。凄いだろ』 書けない事も多いが、基本的にそれ以外は知らせて置くべきというのが武の現在の方針だ。第三者から嘘を指摘されれば疑心暗鬼の種を巻かれる事になるし、自分から遠ざける事で安全にしたつもりになるのは、ただの自己満足に過ぎないだろう。 純夏の状況や心理状態をある程度は把握していないと、いざと言う時に危険を避けさせるための施策すら打てない。遠ざけるために連絡を取らないで放置なんてのは論外で、第三者に良い様に利用してくださいと言っているような物だ。(手紙はこれで良いとして、問題はこっちか) 手紙を退けた武が見ているのは、未来の情報が書かれたノートだ。(普通に考えれば、悠陽様や真耶さんとも情報共有して三人で方策を考えるべきだ) しかし、武の状況は普通ではない。そして、この状況について一番知識を持つであろう夕呼は、前の世界で武の未来情報を直前まで聞かない方針をとった。(今にして考えると、あの時に夕呼先生が言った聞かない理由はおかしい) 問題があるかどうかわからない――適切な時期に聞くのとは影響が違う――にしても、脳のリソースと時間の消費にしても、未来の情報を早期に知りうるメリットに、釣り合うほどのデメリットではない。夕呼なら十分に制御できるレベルのデメリットだ。(特にHSST落下事件の後は尚更だ) その前のBETA新潟上陸で武の未来情報の正しさは証明済みで、その後に危く未来情報が間に合わずに、全てが終わる可能性が有る出来事が起こったのだ。この事態を受けても、未来情報の開示時期を武に任せて置くなんて、確実性を重視する夕呼としては有り得ないだろう。(それ以外に選択の余地がなかったとしか思えない) そこで思い出されるのが、数式を回収した世界の夕呼の発言だ。――あんたはきっと、自分の意志で世界を変えてしまえる存在なのよ。 これは単純に世界移動の事だけを言っていない響きがあった。この言葉を逆にすると『武以外は世界を変えられない』となる。例えば武以外が未来の情報を知りえても、利用――対処や考察――が直前まで出来ないとしたらどうだろう。 つまり、武が呆れた『脳のリソース』発言が、言葉以上の意味を持つのではないか。『知っていても利用できない』それは気になって脳のリソースを大量に消費するのに、全く何の価値も生み出さない状態になる事であり、夕呼にとっては正に悪夢だ。(夕呼先生が弱みを隠すのは当然だしな) さらに言えば、夕呼は武に未来情報への対処法を言わせ、何だかんだ言っても武の提示した対処法から大きく外れた対処法を取っていない。BETAの新潟上陸の時にA-01を派遣してBETAを捕獲したのにしても、武は横浜基地からの派兵を進言している。防衛基準体勢2にしても事前に帝国軍に知らせて行動させるという意味では、武の提案した水際作戦の範疇から逸脱はしていない。(そう考えて見ると直前での利用すら微妙だ) それに、HSSTや天元山噴火への対処なんて、武の提案を丸呑みしたも同然だ。そして肝心要の量子電導脳の理論についても、武が『自分に聞いてくださいよ』と言った事が突破口になっている。これは単純に閃きの問題だったのだろうか?(まあ、数日単位で行動していた前の世界と違って、この世界の問題は直前に知っても間に合わないので、あんまり関係ないけどな) 武はどちらにしろ、悠陽や真耶が以前に与えた未来の情報をどう消化しているか、これを確かめる前に更なる情報を与えるのは危険だという結論に達した。悠陽や真耶が詳細情報を武に聞いて来ないのも変といえば変だろう。真耶ならこのノートを既に盗み見ていても不思議ではないが。1992年2月10日 京都 煌武院の屋敷 応接間 武は悠陽と真耶に、2001年を二度経験している事と、二度目の世界で夕呼が未来情報を直前まで聞かない方針を取った事を説明した上で、以前に話した未来情報をどう消化したのか尋ねた。「わたくしなりに対策を考えましたが、纏まらずに己が至らぬ故と思っておりました」「私も思考が纏まりませんでした。そして他の情報が知りたいとも思いませんでした」 考えて見れば不可解だという顔で答える二人の状態は明らかに不自然だ。特に真耶が情報を知りたいと思わないのは異常過ぎる。武が昨日した考察は大よその部分で正解だったようだ。「なるほど。難しいと思いますが、未来の情報については考え過ぎないようにしてください」 二人とも自分の状態を自覚したのか、基本的に未来の情報は武しか利用できないと納得して頷いた。「ですが、武殿一人に重荷を背負わせる事になってしまいますね……」「私の案の問題点を指摘したり、補足的に追加する事は可能だと思います。私は未来を知っていますが、現在については疎いのです」「ならば、わたくしと真耶さんは武殿の足元を固める事が役目と心得ましょう」「は。心得ました」「よろしくお願いします」 そこで武はふと思った。(未来情報の利用に制限があるのなら、現状で夕呼先生とも協力できるか?) しかし、武の説での制限は『未来を変える』方向のみに働く可能性が高い。夕呼が未来情報を知った場合の選択は『明星作戦まで未来を変えない』だから、やはり現状で夕呼に未来を知っている事を教えるのは危険だろう。完全に秘匿するならともかく、一部だけ教えて都合良く操るなんて夕呼相手には不可能だ。(夕呼先生に頼りたい気持ちは、常に戒めないと不味いな。今は根本的な部分で敵対しているんだから)1992年2月16日 京都 煌武院の屋敷 武の客室 先月の約束通り悠陽が武の部屋に来たので、武は先月の続きを話をしていた。「ある秋の日に目が覚めたら冥夜が布団に潜り込んでいて――。転校初日に教室で――。月詠さんが侍従長で、あっ真那さんの方です――。冥夜と純夏が弁当対決を――。三バカが――。公園を残して周囲の土地を買い占めて――」「ふふふっ。世界や状況が違っても、あの者らしい所が見え隠れしていますね」 やはりと言うか、悠陽は冥夜の話を聞いてる時が一番楽しそうなので、武は冥夜の話を中心にして話した。元々この時期の武は冥夜に翻弄されっぱなしだったので話のネタに困る事はない。そうしていると真耶が悠陽を迎えに来て、悠陽は来月の約束をしてから帰る。これが月課になりそうだ。――悠陽様と冥夜の事も、できる範囲で何とかしたいな……。