1992年1月16日 京都 煌武院の屋敷 武の客室 武の夜は訓練の疲れを癒しながら、BETAの大侵攻を防ぐ為の大戦略を練る事に費やされている。はっきり言って、まともにやってはどれだけ備蓄して置いても砲弾が足りなくなるだろう。XMシリーズや不知火の早期開発も重要では有るが、所詮は戦術レベルの有効性である事は否定できない。(本当に、XM3が完成した時の夕呼先生の気持ちが解るなぁ……) ちゃぶ台を引っ繰り返す戦略こそ必要で、その戦略を実行可能な政略条件が必須で、政略条件を整えるための謀略が肝心。そのために武は、BETAの日本上陸までの歴史と、本土防衛戦の概要を分析している。(こうなるって分かってれば、概要以上に詳しく調べといたんだけどな) しかし、十年も前に戻るなんて事前に予想できる訳もないので愚痴でしかない。(それなりに形にはなって来たけど、推測・推定の部分が多すぎる) とりあえずは、今の武にできる戦術レベルの強化をする事で、自分の煌武院家内ひいては斯衛での足場固めと、煌武院家自体の影響力強化を図りながらじっくりと考えるしかない。と、いつもの結論に達した所で部屋の扉――武は洋間を借りている――をノックする音がした。「はい。どうぞ」 武が答えを言い終わるかどうかのタイミングで扉が開き、外にいた人物は素早く室内に入ると後ろ手に扉を閉めてから、ほっと一息ついている。「ゆ、悠陽様!」 てっきりお手伝いさんだと予想していた武は驚愕して叫んだ。「忍んで参りましたので、大声はご勘弁を願います」「あっと、すいません」「いえ、夜分に押しかけて申し訳ありません」 そう言って謝りつつも、悠陽はとても楽しそうだ。「その、何か御用でしょうか?」「用がなくては、来てはいけませんでしょうか?」 そう言って悠陽の表情が一転、消沈した物になったので、武は慌てて取り繕った。「いえいえ。用がなくともいつでも来てください」「ふふっ、冗談です。今日は何の日かご存知ですか?」「今日は1月16日ですから……。降参です」「今日は、武殿とわたしくの誕生日から丁度一ヶ月です。あの時は、それどころではなかったので、一月遅れのお祝いをしたいと思い伺いました。武殿、お誕生日おめでとうございます」「そう言うことでしたか。悠陽様も、お誕生日おめでとうございます」 そうして祝い合った後に、悠陽は後ろ手に隠していた物を武に差し出した。「これは……。煌武院の指輪を入れてあった」「誕生日のお祝いですから、ちゃんと中身も入っていますよ」 悠陽がにこにこしながら箱を開けると、確かに煌武院の指輪が入っていた。「これは、『今の』わたくしの指輪です。受けてくれますか?」 未来の指輪はあれ以来、悠陽が預かったままなので、誤解のないように『今の』を強調したようだ。「はい。喜んでお受けします」 悠陽の信頼が何よりも欲しい武に断る理由はない。武はそもそも並列世界の話を、よく信じてもらえたものだと思った。考えられる最良の状況を整えたとはいえ、並列世界からの影響にすら期待したくなるほどの賭けだった。今はまだしも、当初の真耶は悠陽の判断を信じただけだろう。「未来の指輪は、わたくしが引き続きお預かります」 そこで武は悠陽に渡せるプレゼントがない事に気がついた。一ヶ月遅れの祝いは突発的なのだから仕方ないのだが、個人的な物を刀ぐらいしか所持していない事実に軽くへこんだ。「えーと、その。本来なら私からも何か贈るべきなのでしょうが……」「その事なのですが、お願いがあります。武殿が住んでいた世界のお話を聞かせて頂きたいのです」 武が困る事は予想済みだったのか、悠陽はプレゼント代わりに提案をした。「私の元居た世界の話ですか、何から話しましょう。お恥ずかしいのですが、元の世界にいた頃は自分の世界にも国にも感心が薄かったので、政治体制の違い等について説明できるかどうか」「ふふふ。そういうお話も興味深いのですが、武殿がどのような生活をなされていたのか、身近なお話を聞かせていただきたいのです」「身近な話ですか。――あちらの世界の私は高校生で、物理の教師だった香月博士の教え子であった事は話しましたよね。他にも、私のクラス担任は神宮司まりも先生だったのですが、神宮司先生は香月先生と親友でした。そして香月夕呼と神宮司まりもが親友なのは、この世界でも同様なのです。さらに2001年のこの世界で、私が衛士訓練生の時に指導教官を務めて下さったのは、神宮司まりも教官なんです」「まあ、まさに似て非なる世界と申しましょうか、縁(えにし)は共通するのですね」「はい。香月博士の言を借りれば因果が近い世界という事らしいです。この世界で目覚めてから直に京都に来てしまったので詳しくは確かめていませんが、隣りの家に住んでいる鑑純夏と幼馴染の関係にあるのも同様です。そして特に親しくしていたクラスメイトは、衛士訓練校での同期で任官してからも一緒に戦った戦友でした」「本当に不可思議な体験をなされたのですね」 二つの世界に類似性に感心しているのか、悠陽はしきりに頷いていた。「そうですね。こちらは相手を良く知っているのに、相手からは初対面に見られるのは少し堪えました。っと、いつの間にかこちらの世界に話になってしまいました。元の世界の話に戻すと、高校三年の秋までは本当に平凡な高校生活を送っていました。クラスメイトと騒いでクラスメイトに怒られたりと、特に何をやっていたのか思い出せないほどです」「お気持ちお察しします……。高校三年の秋に何かあったのですか?」 悠陽は目を伏せて武の気持ちを想像してから、武に習って話を切り替えた。「一人の転校生がやって来たのです。その転校生は『御剣冥夜』と名乗りました」「っ! 御剣冥夜……ですか」 武としてはなるべく悠陽の驚きが少ないように、話を組み立てたつもりだが無駄だったようだ。「はい。悠陽様の双子の妹である事など大凡の事情は知っています」「そうですか……。未来のわたくしが指輪を託したのですから、それも道理でしたね」 既に武が事情を知っているなら、冥夜との関係を隠さなくても済むと悠陽は安堵した。「冥夜と私は幼い頃に一度だけ公園で遊んだ事があり、別れ際に結婚の約束をしました。もちろん幼さ故に結婚の意味を知らなかったからなのですが、冥夜はこの約束を覚えていて私に会うために転校して来たのです。しかし、薄情にも私は冥夜の事も約束もすっかり忘れていたので、私の事を絶対運命で結ばれている相手だと言われても困惑しきりでした」「その一時があの者にとりて、よほど楽しい一時であったのでしょう……。なんとなしに解る由がします。幼き日の思い出と武殿が忘れてしまったのも、また無理からぬ事なのでしょう。あの者は約束の事を武殿に言わなかったのですか?」 約束を忘れていた事で、多少は批難されるかと思っていた武は驚いた。実の妹の気持ちのみならず、武の立場までも慮れるとは流石だと、武は悠陽に対する尊敬を深くした。「それは御祖父さんとの約束で、言わない事になっていたそうです。その世界の御剣家は世界経済を左右するほどの大財閥で、冥夜は後継者でしたから色々と家の事情があったらしく、私が自力で思い出さない限りは口にしないとの約束で、私の通う高校に転校を許されたとの事です」「得心しました。ところで、その世界のわたくしと武殿は、面識が有るのでしょうか?」 面識が有る事を期待して聞いてくる悠陽に武は話すべきか悩んだが、ここまで話した以上は誤魔化すのは不可能だと判断して正直に話す事にした。「その世界の悠陽様は……。幼い頃に、ご両親と供に交通事故で亡くなったと聞いています」「…………そうですか、いろいろと得心が行きました。両親を事故で亡くしたのはこの世界も同様です。その時、わたくしは奇跡的に助かったと聞いております」 別の世界とは言え自分が死んでいたと聞いても、短時間で立ち直る悠陽はどれほどの精神修養を積んでいるのだろう。「不快な思いをさせてしまい申し訳ありません。あくまで別の世界の話ですので……」「いえ。わたしくがお尋ねした事ですし、在りのままを話して頂けた方が嬉しいのです」「誤魔化そうかとも思いましたので、ほっとしました」「ふふっ、平気ですよ。その世界で武殿と縁がなかったのは少々残念ですが、この世界では天命に定められています」「天命ですか?」 普通に生活していては滅多に聞かない言葉だけに、武は鸚鵡返しに聞いてしまった。「はい。煌武院の指輪を御揃いで持つ等、決してありえない筈の事が起こっています。これを天命と言わずして何と言いましょう。生まれ落ちた日が同日なのも、とても偶然とは思えません」「確かに煌武院の指輪(と皆琉神威の鍔)と一緒にこの世界に来たのは、何か理由があるのかもしれません」「わたくしと武殿を、引き合わせるために決まっています」 武は思案顔で呟き、悠陽は胸を張って宣言した。二人の認識は世界的な事と個人的な事で微妙にずれていたが、この世界で二人の縁が強いのは間違いないだろう。――トントン ドアをノックする音がしたので、武はこの場面を第三者に見つかったらどうなるのか、盛大に焦って冷や汗を流した。『悠陽様。お時間です』「あぁ、もうそんな時間ですか……。武殿、今宵はこれで失礼します」 ノックの相手は真耶で、どうやら共犯らしいと知り武は心底から安堵した。しかし、真耶が切りの良い所でノックをできたのは、話を盗み聞きしていたからに他ならないのだが、武は気がつかない方が幸せだろう。「はい。頂戴した指輪は大切にします」「その……。また来月の十六日に忍んで来ましたら、迷惑でしょうか?」 不安そうに上目遣いで聞かれた武は、また冷や汗を流す場面に遭遇しそうだなと思いつつも、悠陽を悲しませられる訳もなく二つ返事で了承した。「歓迎します」「ありがとうございます。では、名残惜しいですが、おやすみなさいませ」「おやすみなさい」 華が咲いたような笑顔で礼を言った悠陽は、名残惜しそうにしつつも部屋から出て行った。>>悠陽:Side<< 時間は悠陽が武の部屋を訪ねる前に遡る。「先月の今日は悠陽様と白銀さんの誕生日でした」「そうでした。お互いの誕生を祝う機会でしたのに、本当に惜しい事をしました」 真耶の指摘に悠陽は残念そうな顔をした。「今からでの遅くないかと存じます。一月遅れの祝いと言えば白銀さんは納得するでしょう」「そういうものでしょうか?」「そういうものです。尚、祝いの品はご自分でお考え下さい。そして白銀さんは用意が無いでしょうから、代わりに白銀さんの世界の話等を所望するのが、よろしいかと思われます」「武殿の世界の話。――とても聞きたいです」「その状況ならば必ずや話してくださるでしょう。そして次の約束をする事も肝要ですが、本殿を抜けて離れを訪ねるのは一月に一度が限度でしょう」「一月に一度だけですか……」 毎日のように会っている唯依と比較してか、悠陽は落ち込んだ。「毎日会うのだけが芸ではありません。一月に一度の逢瀬故に貴重な時間となりましょう」「考え様によっては、織姫と彦星の様ですね」「ご明察畏れ入ります。注意点と致しましては、白銀さんの精神年齢は十以上も年長なので、あまり歳の差を感じさせてはいけません。妹的存在だと認識されてしまうと、非常にやっかいな事になります。常に思深い言動を心掛けてください」「武殿がお兄様というのも心惹かれるのですが?」 悠陽は小首を傾げて真耶に質問した。「今はそうお思いになられても、いずれ後悔なさる事になります。ここは私を信じてください」「わかりました。真耶さんを信じます」 このようなやり取りが行われていた事も、武にとっては知らない方が幸福な事実だ。1992年1月18日 京都 煌武院の屋敷 庭 武が無現鬼道流の基礎修行を行っていると、背後に忽然と気配が発生したので思わず振り向きざまに切りかかってしまい、なんとか刀を止めて相手を確認したところ左近だった。「ふむ、もう少し接近できると思ったのだが、気配感知はなかなかの物だな」「反射的に攻撃してしまうようでは未熟です。すいませんでした」「こちらも悪戯が過ぎたようだ。ところで、君のお待ちかねの品を持ってきた」「件のデータですか」 左近は機密情報の運搬を行う人材として、これ以上ないぐらい適任だろう。「どうやったのかは知らないが、あちらは君にかなりの期待をしているようだ。それだけ焦っているとも言えるがな」「帝国初の試みともなれば、方々からの期待も大きいのでしょう。データは真耶さんに渡してください」 そう言って武は修行を再開した。「承知した。早い段階で成果を出さねば、君への期待も失望に換わるだろうが、余裕があるようで結構だ」 左近はニヤリと笑ってから去っていった。(鎧衣課長の興味は、引けるだけ引いて置く必要がある) いずれヤバイ仕事を頼む事になるからなと、武は心中で呟いた。1992年1月18日 京都 煌武院の屋敷 シミュレータールーム 武がいつも通りの時間にシミュレータールームに行くと、真耶が筐体のセッティングをしている途中だった。「もう少し待ってください」「わかりました」 暫くして真耶のセッティングが終わったので、武は不知火(仮)を使ってみた。(やはり第三世代機は機動力が圧倒的だな。開発途中の段階でも現行機の性能を凌駕してる) そうして乗り心地を確かめた後に、真耶の管制で各テスト項目を計測して見たところ、実測値で計画理想値を上回る結果が出たので、武は自分の操縦技術がテストパイロットにも応用可能と知り安心した。しかし、テストで良い数値を出す事も重要だが、本命は完成形を知ってるが故のカンニングにある。「未来で乗ってた不知火と比較して、足りない部分と違う部分を書き出せば良いんですよね」「はい。白銀さんの要望が入れられれば、試行錯誤の手間が大幅に省けるはずです」 どのような要望書を書けば開発方向を正解に誘導できるか、真耶に要望書の書き方を教わりながら、武は要望書を書く作業に入った。1992年1月22日 京都 煌武院の屋敷 居間 煌武院家の居間で、煌武院家の現当主である『煌武院雷電』と悠陽が向かい合っていた。「悠陽よ。最近頓に活発に動いているようじゃな」「はい。ご迷惑をお掛けしましたでしょうか?」「よい。お前は何れこの国を背負うが定め、己の責任で事を成すならば早すぎる事はない」「ありがとうございます」――それはそうと、白銀武に指輪を与えたそうじゃな。