1990年、カシュガルのBETAが本格的な東進を始め、1998年夏、ついにBETAが日本上陸する。北九州を初めとする日本海沿岸に上陸し、わずか一週間で九州・中国・四国地方に進行。犠牲者3600万人―――日本の人口の約三割が犠牲となる。そののち日本の首都であった京都が陥落。首都は東京へと移されることとなった。 帝都。皇帝により任命される全権代行職である政威大将軍がおられる場所。そのため護りも厳重だ。そこの護りを預かる帝都守備隊は精鋭中の精鋭。この世界においても上位の衛士のみで構成されたエリート部隊だ。その彼らに護られているから帝都は安心……という伝説を今から崩しに行きましょうか。 武は「伊邪那岐」のコックピットの中、不敵に笑い、コンソールを握るのだった。 帝都、帝都守備隊兵舎のその一角。とある部屋の中で10数名の軍人たちが地図を広げ、なにごとかを話し合っていた。部屋の外には見張りが立っていることから、ただならぬことを話していると容易に想像がつく。 この集いの名は超党派勉強会「戦略研究会」という。今の日本の現状を憂い、集った憂国の烈士たちの集いである。 その中でも中心に存在している帝国本土防衛軍帝都守備隊第一戦術機甲連隊所属沙霧尚哉。誠実で実直な武人であり、日本を蝕む国賊を滅し、日本を本来ある姿にもどそうと立ち上がった人物。 彼らが今話しているのは自分たちが計画しているクーデターの手順だった。いつ決起するかの正確な日時。決起した後の制圧目標――首相官邸、帝国議事堂、各省庁などの政府主要機関。各政党本部に主要な新聞社、放送局。また主要な浄水施設に発電所。計画を万全に遂行させるために必要な施設を地図上にひとつひとつ印をつけていく。それと同時に現在の日本を食い物にしている国賊たちのリストアップなどなど。 我らは決して将軍殿下に刃を向けてはならない、帝都の、この国の民にいらぬ恐怖を与えてはならない。我らの目的は日本をあるべき姿に正すことなのだから。 計画は綿密に組まれていった。これまでの何度もの話し合いである程度のことは決まっている。今日もこのあたりにして、この集いをお開きにしようと、沙霧が立ち上がった。「同志諸君!今一度確認したい!」 そう言ってみんなの注目を集める沙霧。地図に何かしらのマークをつけていたものや、コンピュータでなにかのデータを打ち込んでいたもの、みんながその作業をやめ、沙霧に注目した。「我らが此度決起する理由! それは将軍殿下――」 自分たちの決起した理由を確認して、より結束を高めようと思っていた沙霧だったが、その言葉は突如鳴り響いた警報によってかき消された。 ――防衛体制1発令。繰り返す防衛体制1発令。衛士は速やかに戦術機に搭乗後、各自出撃せよ。「なっ!?」 突如鳴り響いたこの場所では決して聞くことのなかった防衛体制1発令。これはBETAないしなにがしかの脅威がこの帝都を直接襲っていることを意味する。しかし、ここは将軍殿下がおられる帝都。周囲の守りは厳重であるし、帝都圏には無数の防衛線が引かれている。仮にBETAが攻めてきたとしてもその前の防衛体制2が先に発令されるはずである。しかし、それを通り越しての発令。事態は一刻を争う。 沙霧は慌てて、自分の不知火が置いてあるハンガーへと向かった。 そいつは突如レーダーに現れた。距離たったの2000。どうしてこれほど近づかれるまでレーダーが反応しなかったのか。それに帝都圏の防衛軍は一体どうなっているのか。しかし、そんなことを考えている間にそいつはあっというまに距離1000まで近づいてきていた。慌てて、防衛体制1を発令。この日、帝都は銀色の悪魔と対峙することになる。「どこの機体だ、あれは?」 防衛体制1が発令されたとき、帝都の南を守備していた中隊がその機体を始めて目視した。銀色の機体。見たこともないカラーリングだ。しかもあの機体、既存のどの機体にも該当しない。戦術機にのってあるデータをすべて確認してみるが、やはりみたこともない機体だった。「こちらは帝国軍帝都守備連隊である。不明機に告ぐ。貴殿の所属、目的を答えよ」 オープン回線で繰り返し伝えるが、帰ってくるのは無音。「繰り返す。こちらは帝国軍帝都――」『避けろっ!06!』 味方機からの警告。切迫した声にほぼ無意識に機体を後退させていた。次の瞬間、機体の前の地面がはじけた。「なっ!?」 土砂が機体へと降り注ぐ。何が起こったかは明白だ。あいつが撃ってきたのだ。『01より各機へ。兵器使用自由!繰り返す、兵器使用自由!鶴翼三陣(フォーメーションウイングスリー)で包囲殲滅――あのふざけたやつに帝都を傷つけさせるな!』『『『了解!』』』 中隊4機の不知火と8機の撃震が不明機へと向かっていった。 敵機の外見は先ほども確認したがどの既存のどの機体にも該当しない。どこか斯衛軍の武御雷に似ている気もするが、しかしそれもほんの些細な一致でしかない。しかし見たところ、第三世代機のような機動力を重視した設計のようだ。ならば装甲は薄いはず。あのふざけたやつを36mmで穴だらけにしてやる。『01より制圧支援(ブラストガード)二機へ。92式多目的自立誘導弾システム(ミサイル)発射後、02と04で突撃砲36mm正射。でてきたところを06、08が仕留めろ。残りはその場の状況において対処!』『了解!』「06了解!」 命令を受けた制圧支援が敵機をロックオンしようとしたときだった。その不明機の肩と足の装甲が開き、そこから無数の小型ミサイルが発射されたのだ。どうしてそんなところにそんなものを仕込めるのか。正面から見てはわからないが、この不明機の両足と肩は同じ第三世代機の不知火と比べて幾分厚くなっている。まあ、それに気付いたところで、そんなところにミサイルポッドが収められているなど考えもしないだろうが。『さ、散開!』 とっさの指揮官機の指示。無数のミサイルが白い線を引き迫ってくる。このような予測もしていなかった攻撃でも迅速に動けたのはやはり精鋭ぞろいだからか。しかし、急な散開で隊形はめちゃくちゃ。同時にミサイルが地面に着弾後の土煙によって敵機を見失ってしまう。いや、土煙だけではない。白い明らかに人工の煙があたりに充満している。まさか、さきほどのミサイル、これをまきちらすのが目的だったのでは……。『各機状況を報告せよ!』 帰ってくる報告によると、各機さきほどの奇襲におけるダメージはないようだ。最後の機体から連絡が入る。『07機体各部異常な―――うわああああああああああ!!』『07どうした!?応答せよ07!?―――くっ、各機噴射跳躍!土煙の中から出ろ!』「06了解っ!」 指示されたとおり、ブーストを用い、飛び上がった。もくもくとした土煙がきれ、ようやく外に出られた―――と、外に出た瞬間、目の前に不明機が迫っていた。「何っ!?」 慌てて、突撃砲を放つ。空中という不安定な場所からの射撃であったが、さすがは帝都の護りを担う精鋭の一人。すこしもぶれることなく、その弾丸は不明機へと向かっていった。いや、向かっていくはずだった。 しかし、こちらが突撃砲を放つほんの刹那の前、やつは跳躍後、もう一度跳躍ユニットを使いさらに飛び上がったのだ。それは既存の戦術機のブースト出力をはるかに上回るであろう跳躍だった。いや、飛翔といってもいいかもしれない。 そして襲いかかる衝撃。網膜に映る機体データが自機の両腕が破壊されたことを伝えていた。 落ちていきながら見た敵機は、背面ブースターとブースターを用い、空中を自由自在に移動しているのであった。「……俺は夢でも見てるのか?」 それは応援に駆け付けた中隊の指揮官が漏らした言葉だった。目の前に広がるのは四肢の欠けた3機の不知火と、8機の撃震であった。見てわかるとおり、すっかり戦闘能力を奪われてしまっている。いったい何が起こったというのか。自分たちがCPから連絡を受け、応援に駆け付けるまで10分もかからなかったというのに。そして今目に映っているのは、銀色の戦術機が不知火の肩を長刀で貫き、帝都の外壁に縫い付けている姿であった。『シ、シールド1より各隊へ!気をつけろ、こいつは―――ぬあっ!』 不知火から長刀を引き抜いた不明機が、その不知火の頭を掴み、ブン投げた。そしてその光景に唖然としているこちらに向き、長刀を持っていない片腕で手まねきしてきたのだ。「っ!?」 明らかにこちらを挑発している。「な、なめるなーーーーーーーー!!!!!」 中隊全員同じ気持ちであるらしい、通信を通して仲間たちの怒りの声が聞こえてきた。この帝都の護りを預かるものの意地と誇りにかけて負けるわけにはいかない。 そこからの戦闘は帝都の目の前とは思えない、まるで最前線のような有様だった。突撃砲が地面をえぐり、ミサイルが空を舞い、長刀が空を裂く。 しかし、そのいずれも不明機に当たることはなかった。帝都守備隊といえば個人の技量もそうだが、部隊としての連携の錬度も半端なものではない。決して二機連携を崩さず、不明機に肉薄していた。 だが、相手は自分たちをはるかに超える機体と衛士だった。瞬く間に一機また一機と撃墜されていく。あるものは突撃砲を、あるものは両腕を、あるものは足を、あるものはブースターを破壊されていく。ことごとくこちらの戦力を奪っていく敵機になすすべがなかった。 圧倒的機動力で迫る敵機の長刀になんとか自分の刃を合わせることができたときだった。『どうした!?帝都守備隊ってのは、この程度なのか!?』 初めて敵機から通信が入った。男だった。「くっ!貴様の所属、目的を答えよ!なぜこのようなことをする!?」 しかしその問いには答えようとしない。それどころか次の相手の言葉に驚愕するのだった。『クーデターのことで頭がいっぱいで集中力が欠けてんじゃねえのか!』 「!?」 かろうじて声を出すのは抑えた。もしここで下手に声を出せば自分たちがクーデターを画策していると公言するようなものだ。しかし、なぜこの男はそれを知っている。自分達は確かなる志の下集った同志だ。その中から裏切りがでるとは考えられない。 いったいどういうことなのかと考えていると通信が入ってきた。 二個中隊が応援に駆け付けたというものだった。 視界の隅、確かに、20機以上の機体がこちらに向かってきていた。しかし、彼らでも目の前のこいつに勝てるかどうか。 その一瞬の警戒心の喪失。その隙をつかれて、あっというまに手足が切断されてしまった。受け身もとれず無様に地面を滑る。その機体の中、相手に手も足もでなかったことに歯噛みする帝国軍中尉であった。 応援に駆け付けた中隊。しかし目の前の光景に、ついしり込みしてしまう彼らであった。精鋭だと思っていた同志が全員手も足も出ずに地面に倒れているのだ。なんだあの化け物は。 しかし、自分たちに退くという選択肢は存在しない。なぜなら彼らが守るのはこの帝都なのだから。BETAによって落とされた元首都京都。もう一度城が落ちる光景など決して見たくない。意を決して攻撃を開始しようとしたときだった。『下がっていろ!貴官たちの敵う相手ではない!!』『そういうことだ。ここは我らに任せてもらおう』 その中隊をとび越える二機の機影があった。 そこに降り立ったのは不知火と赤の武御雷だ。その不知火と声には心当たりがある。「沙霧大尉!」 この帝都守備連隊でも最高レベルの腕を持つ衛士である。しかし、もう一機の武御雷は、『月詠‘大尉’、いったいどういうことだ。斯衛軍は帝都城の守りを固めるのではないのか!?』『帝都城は斯衛軍第二連隊がお守りしている。私は一刻も早く事態を収拾せよと派遣されたまでのこと』『……ならば、早急にこのものを片付けよう』『承知!』 この帝都でも最強の二機連携(エレメント)が不明機へと突っ込んでいった。 中隊はその場に待機させた。あのレベルの敵と戦うとなると生半可な味方はただの邪魔となる。ただ、相手が逃げないように周囲を固めておけという命令だけを出して、沙霧は自身の不知火を不明機に向けた。 水平噴射跳躍による、時速数百キロにも及ぶ超高速移動。本来なら700km/hにも及ぶ長距離噴射ができる不知火ならではのスピードだ。並走するのは月詠‘大尉’の赤い武御雷。味方としてこれほど頼もしい者はいない。 不明機がこちらに向け突撃砲を放ってきた。と同時、不知火と武御雷がそれぞれ逆の方向に飛び出してそれを避けた。相手は突撃砲を一門しか装備していない。このようにわかれていけば相手は片方の敵にしか集中できないのだ。別にそれは示し合わせた行動ではなかった。しかし、幾度の戦場を超えてきた戦士だからこその二人の判断だった。 相手は月詠‘大尉’の武御雷に標的をしぼったようだ。体をそちらの方に傾け、突撃砲を放っている。 ならば、と沙霧は不知火を加速させた。背中の長刀を両手に構える。 さすがは斯御軍のエースパイロット。視界の隅に映る武御雷は相手の突撃砲をブーストの緩急と噴射跳躍で巧みにかわしながら敵機に肉薄している。 距離150。相手が近づいてくる不知火に気づいた。突撃砲から長刀に瞬時に持ち替える。「何者かは知らぬが、この帝都――将軍殿下に刃を向けるものを許しはしない!!」 不知火のスペック上最高速の突きだった。不明機の胴体を狙ったもの。可能ならば捕獲して背後関係を吐かせたいが、この衛士が簡単にそうさせてくれるとは思えない。下手したら自分がやられる可能性もある。だから、最初から仕留めるつもりでいく。 しかしその突きは相手が構えた長刀の腹で防がれてしまう。 そこで動きは止まらない。瞬時に刀を引き、次は斜めから振り下ろす。だが、それも防がれる。やはりこの衛士並みの腕ではない。だが、これでいい。両腕は刀を持ってふさがれているのだから。「月詠‘大尉’!」 すでに不明機の真後ろまで迫っていた武御雷が長刀を上段に構えている。『覚悟っ!』 振り下ろされる長刀。不明機の薄い装甲では防ぎようのない一撃だ。『―――さすがは、沙霧大尉と月詠‘大尉’だ』 その時、不明機の長刀が二つに分かれた。今までもっていた長刀が縦に真ん中から分離する。瞬時に半身を武御雷のほうに向けその長刀をその半刀で防ぐ。「『!?』」 何だその武器は。なんだその主腕の出力は。言いたいことはさまざまあったが、その時この二人の体を恐怖が駆け巡った。「まずったな」 その戦闘の最中、武は「伊邪那岐」の中で一人愚痴っていた。武としては此度の戦闘、この「双刀」を使うつもりなど微塵もなかった。しかし、さすがにこの二人相手には抜かざるを得なかった。 この「双刀」は「伊邪那岐」の超速戦闘をよりスムーズにするため造られたものだ。やはり、両手で握る長刀では切り返しなどでせっかくの超速戦闘に遅延ができてしまう。そのための「双刀」だった。しかし、この「双刀」、現在スペアは存在しないのだ。どうせならBETA戦で使いたかった。これは長刀一本を二本にしているため耐久力が弱いのだ。「仕方ない、これ以上消耗するわけにもいかないしな……」 主機出力を上げ、交えていた長刀を弾く。そして、腰に備えつけてあった丸い物体をつかむ。それを投げる。 突如、まばゆい光があたり一帯に満ちた。 ――閃光弾。対BETA戦では意味はないが、これが対戦術機ならばかなり有効だ。案の定、二機の動きが鈍っている。 「双刀」を構え、武御雷に向かっていった。一瞬のうちに手足を切断。機動性と攻撃性一気にを奪う。 次に不知火。足を切断。腕を胸の前でクロスさせ、そこに握られた双刀で相手の肩を貫く。ブーストにより自分の機体ごと相手を持ち上げ、帝都の壁に縫い付ける。「沙霧大尉ですね」『っ! 貴様、なぜこの秘匿回線を知っている!?』「そんなことはどうでもいいんです。オレはあなたが計画しているクーデターの件でお話があるんですから」 通信機から沙霧大尉の息をのむ声が聞こえる。「この地点に明日0530に一人で来てください。お話したいことがあります」 そう言ってデータを送る。『ここは……』「忠告しておきますが、ばれたからと言って、クーデターを早めようとなんて思わないでください。今はまだオレしか知りません」『……それを信じろというのか』「決めるのはそちらです。ただ今回の襲撃で何機もの機体を失い、あなた自身もこの有様。クーデター軍の士気は低下するでしょうし、あっというまに鎮圧されるでしょうね」『……』「何も悪いことではありません。オレ自身も今の日本をどうにかしたいと思っている一人ですから……では」 そう言って、不知火から刀を引き抜く。支えをなくした不知火はそのまま地面に落ちた。『……この包囲を抜けられると思っているのか』 その不知火からの最後の通信。武は自信をもってこう答えた。「逃げて見せますよ」「……沙霧大尉が、負けた?」 崩れ落ちる沙霧大尉の不知火を見ながら、その衛士は呆然とつぶやいた。 不明機がこちらに向いた。沙霧大尉と斯衛のエースを倒した相手に自分たちで勝てるのか。そんな恐怖が体中を駆け巡る。『そいつは逃げる気だ! 絶対に逃がすな!』 沙霧大尉からの全回線通信だった。 その言葉と同時。不明機の装甲が各部一斉に開いた。そこに収められていたのは無数のミサイル。それらが一斉に発射された。「な!?」 縦横無尽に空を舞う小型ミサイル。それらが地面、壁、あるいは機体に着弾したとき、あたりが煙に包まれた。『CPより全機。敵機が南に逃げている。繰り返す敵機が南に―――なんだ!?消えた!?全機目視で不明機を確認できないか?』「こう煙が充満してちゃあ」『吹き飛ばします!』 近くにいた制圧支援機からミサイルが発射。その爆風で煙は吹き飛んだ。しかし、「どこにもいないぞ!?」 南を見ても、そちらは道路がしばらく続いたあとは山となっている。見晴らしはいいはずなのに不明機の姿はどこにも見あたらなかった。レーダーにも味方機以外の機影は一切映っていない。『逃げられてしまったか……』 沙霧大尉の悔しそうな声が聞こえた。 被害は甚大。あげくに不明機には逃げられる。この戦い完全に帝都守備隊の敗北だった。そのことにただただ呆然となる彼らであった。 ―――しかし、彼らは知らない。そのとき、そいつは彼らのはるか上空を悠々と飛んでいたことを。 翌日。 ここは、箱根。かつてはBETAの占領地であったが、今だ自然が残る場所である。そこにある塔ヶ島城。このあたりがBETAに占領されたときも斯衛軍第24連隊が踏みとどまり、本州が奪還されるまでの数ヶ月間守り抜いた離城だ。 そんな場所から北に2kmほどの山間部。そこが、沙霧が昨日不明機に指定された場所だった。 現在の時刻は午前5時20分。早朝というべき時間であり、この季節はいまだ太陽がのぼっていなく、暗かった。そんな闇を照らす青白い光。沙霧の乗った撃震のブーストだった。先の戦闘で自身の不知火に多大な損害を受けた沙霧は連隊の空いていた撃震を借りてこの場までやってきた。 なぜこの場までやってきたのか。土壇場まで沙霧はこの誘いにのるかのらないかをずっと迷っていた。そのため昨日から一睡もしていない。それほど悩んで出た結果がなぜ誘いにのるということなのか。それにはいくつかの理由がある。 一つは奴の真の目的を知りたいということ。昨日の襲撃の真意、どうしてあんなことをしたのか。やつは自分たちがクーデターを画策していることを知っていた。しかも自分が首謀者であるということまで。やつの目的がクーデターを阻止するのならその情報を帝国軍に漏らせばいい。だがやつはそうしなかった。その真意を知りたい。 二つ目は、ある意味こうするしか道がないということ。クーデターの情報が漏れた時点で自分たちの計画は破綻だ。仮に捕まらなかったとしても新たな計画を実行に移すにはかなりの時間を要するだろう。それまで日本が無事であるかわからないし、日本は今以上に腐ってしまう。やつの誘いにのらなければ奴がなにをするかわからない。 三つ目は、奴と話をしてみたいということ。昨日の戦闘の最後の言葉、「オレ自身も今の日本をどうにかしたいと思っている一人ですから」この言葉が本当か確かめたい。 戦術機のレーダーが反応した。距離1500。塔ヶ城の方角から戦術機が一機近づいてきている。すぐに目視できる位置までやってくる。やはり昨日のあの機体だった。相変わらず恐ろしいステルス性だ。この距離までレーダーが反応しないとは。距離50mほど開けて降り立つ相手。降り立った直後はただ静けさだけが両者の間を支配していた。『……沙霧大尉ですね?』 音声のみの通信。顔は映っていない。「ああ、そうだ。言われた通り一人で来た」『将軍殿下の御尊名に誓ってですか?』 それを帝国軍人にきいてくるということは絶対の真偽を確かめたいからだ。「……ああ、そうだ」 わかりました、と相手の言葉から少々の硬さが消えたように感じた。「では、聞こう。話とは一体何なのだ」『その前に、なぜあなた達がクーデターなどを起こそうと考えたのか、その理由を教えてください』 なるほど、先にこちらに喋らせる腹か。「知れたこと。帝国に巣喰った逆賊どもを討ち、日本をあるべき姿にもどすのだ」 続けてください、という相手の言葉。「まず、今の日本において、将軍殿下の御尊名において行われるはずの政が殿下の御意思と違えているという現状こそが許されざることなのだ!現在、わが帝国は人類の存亡をかけた侵略者―――BETAとの戦いの最前線となっている。そして殿下と親愛なる国民を、ひいては人類社会を守護すべく、日夜命を賭して闘うことが、政府と我々軍人に課せられた崇高な責務であり、唯一無二の使命であるのだ。 しかしながら、政府および帝国はその責務を十分に果たしてなどいない。殿下の御尊名に於いて遂行された軍の作戦の多く、政府の政策の多くが、政府や軍にとっての効率や安全のみが優先され、本来守るべき国民を蔑ろにしているのだ。 しかも、その奸臣どもは、その事実を殿下には伝えていない。 このままでは殿下の御心と国民は分断され、遠からず日本は滅びてしまう!だから我らは立ち上がった。日本を蝕む国賊、亡国の徒を滅するために!」『……そのためにあなたは人を殺すのですか』 ゆっくりと、通信ごしに無機質な声が聞こえてきた。その言葉に目を伏せる。「……それが必要なことなら致し方あるまい。彼の者たちに自浄作用を求めることなどすでに期待できないのだから」『そんなことを殿下がお望みになっていると思っているのですか?』 心が痛む。あのお方は日本すべての民の苦しみに心痛めることのできる御方だ。このようなことを望むはずがない。自分たちの行く道は外道だ。外道をもってこの国を正すのだ。「……いや、殿下がこのようなことお望みになるはずがない」『それを承知の上で、ですか……』「我らがいくは血塗られた外道。外道は外道、それ以上でもそれ以下でもない」 しばらく二機の間を沈黙が流れる。やがて相手がゆっくりと口を開いた。『―――それが米国の手のひらで踊らされている、としてもですか?』「なに!?」『クーデター軍の中に米国諜報機関の諜報員が数名紛れ込んでいます。決起のときなにかしらの動きをして、場を混乱させるのでしょう』 そんな馬鹿な。我らは確固たる目的のもと集った同志のはずだ。その中に日本を見捨てた憎き米国の手のものなど―――。『そして、その機に乗じ、米国軍を日本に派遣。見事、内乱を収め、極東での米国の地位を復活させる……これが米国の描いたシナリオです……残念ならがこれは本当のこと、あなたが同志と信じてやまない者の中に裏切り者がいるのは確かです』「な、ならばその者たちを見つけ出し、米国に突き出し!その後に事を起こせばいい!」『……それでもやめるとは言わないんですね』「当然だ!我らの先達は日本をこのような国にするために、散っていったのではないのだから!」 ついつい興奮してしまい、声を荒げてします。気付くと指が硬く握られていた。強化服越しでも爪が自分の手のひらに食い込むのがわかる。『……』 相手は何も言ってこない。沙霧は興奮によって乱した自分の呼吸をゆっくりと整えていた。 やっと相手が口を開いた。『……だそうですよ?』 ん? 一体だれに話しかけているのだ。先ほどの話の流れからして沙霧に向けた言葉とは思えなかった。『――白銀。もう少し機体を近づけてください』「!?」 女!?突如回線から聞こえてきたのは先ほどまで話していた男ではなく女性のものだった。まさかあの機体、複座型コックピットなのか。 ゆっくりと相手の機体が近づいてくる。距離20ほどの地点で止まる。『コックピットを開いてください……』『わかりました』 そのやり取りのあと、ゆっくりと相手の機体のみぞおちの辺り―――コックピットが開いていく。そこからだれかが出てくる。それを見て沙霧の目が見開かれる。 長い絹のような髪。白く荘厳な着物を着て前に出たのは見間違うはずもないあの御方。「……で、殿下……」 日本帝国国務全権代行、政威大将軍―――煌武院悠陽、その人だった。 つづく