夕呼の用事がすんで急いで訓練に戻ると、幸いまだ射撃訓練をやっていた。射撃場の各地にいるみんなの動きを見てみる。(うん。一呼吸おいて正確に狙いをつけるようになってる) どうやら、まりもに指摘されたことをちゃんと実践しているようだ。そのことに武は安心する。 訓練の様子を見ていたまりもに声をかけた。「教官、いま戻りました」「ん?白銀、思ったより早かったな」 脇に置いてあった銃を手に取る。そしてまりもを見ると、まりもは訓練に戻ることを許可すると一度うなずく。 少しとは言え、訓練を離れていたのだ。一応銃を撃つ前に体をほぐしておく。そして銃をかついでみんなと同じようにレンジに入った。 とりあえず300mをいくらか撃ってみた。全弾命中。2回目のループでは300mと言えば、この銃の有効射程距離ギリギリ。風がある場合など二発ほど用いて弾道を見る必要があり、そのときの武はなんとか当たるというレベルだったが、今の武は、それ以上の技術を持っていた。 目標を400mにあげてみた。さすがにこのレベルになるとど真ん中とはいかなかったが、それでも全弾命中はする。当たれば無力化できるんだ。この結果で良しとしよう。「……すごい」 いきなり、後ろから声が聞こえた。振り向くと、そこには榊が立っていた。「あなた、射撃得意なのね」 武の横まで歩いてきて、先ほど武が撃った400mの目標を双眼鏡でのぞきながらいう。「この部隊で、その銃を使って400m以上を全弾命中させられるのは珠瀬だけよ」 さすがに今の武でもたまレベルまでとはいかない。武の長いループでも、たま以上のスナイパーはそうそう見たことがない。極東一のスナイパーは伊達じゃない。「で?榊、何か用があったんじゃないのか?」 おそらく武に何か用があって、近づいてきたときに武の射撃を見たのだろう。そう推測した武は榊に問いかける。「え?ああ、お礼を言おうと思って」「お礼?」「ええ、あなたの指摘のおかげで私たちは間違った癖を直すことができたわ。あのまま間違った癖を身につけたまま戦場にでることになっていたら重大なミスをおかすところだったわ……ありがとう、白銀」 そう礼を言う、榊。律儀だな、と思う。やっぱりこの世界でも委員長は委員長だ。真面目でいいやつ。「新たに配属されたあなたの目から見たら、今まで私たちが気付かなかった悪い癖がまだあるかもしれないわ、その時は遠慮なく言ってちょうだい」「ああ、わかった」 その後、榊も自分の訓練に戻って行った。 うむ。やはり、あの指摘は隊のみんなのためになったようだ。新人配属だからといって、ためらうことはない。遠慮するなともいってくれたのだ。その小隊長殿の言葉を信じ、これからも気づくことがあればどんどん指摘してやろう。 その日の午後は座学だった。今更訓練課程の座学で学ぶことのない武にとっては非常に暇な時間だった。しかし、みんなまじめな顔でまりもの話を聞いているのだ。あくびなんてできるはずがない。その時間、武は睡魔と戦うので必死だった。 夜。PX。207小隊の面々が食事をとっていた。「白銀さん、すごいですね~」 席についた瞬間の第一声はたまのそんな声だった。いただきます、と大きな声で言おうとした瞬間だったので、出鼻をくじかれてしまった。 さて、すごいとは午前の射撃訓練だろうか。いくらなんでも、座学の途中で居眠りしてしまったことをすごいとは言わないだろう。ん?いや、教官の前でよく居眠りできたな、という図太い神経をすごいといったのか?今日のおかずをつまみながら考える。「まさか、居眠りをしていて、教官の質問に答えられるとは思わなかったぞ」 冥夜が、呆れ6割、感心4割といった若干マイナスの感情が勝っている声でいった。 そうなのだ。武は前日の疲れが完全に抜けきっていなかったことと、座学の退屈さで座学終了残り10分でついに睡魔にKOされてしまったのだ。 そこをまりもに見つかってしまい―――室内には訓練生が5人しかいないのだ。見つかるのは当然―――今日の座学でやった応用例題を3つも出されてしまったのだ。答えられなければ、連帯責任で部隊全員飯抜きというプレッシャーのもと、その応用例題を見ると、なんとか武も答えることのできるものだった。 なんとか答えることができて事なきを得たのだが……まりもには厳重注意をたっぷりくらった。「睡眠学習というものだよ、諸君」 はっはっは、と笑いながら言う武に、「……講義中に居眠りとは感心せんがな」という冥夜の言葉がぐさっと心に刺さった。「うっ……すいません」 当然だ。本来、訓練中に居眠りなどあってはならないことなのだ。今日はしっかり休んで疲れをとらないとな。そう思う武であった。それに疲れもそうだが、みんなに再び会えたことで、少々浮かれていたのだろう。覚悟を決めたなどと言っていい加減なことだ。武はそんな自分に人知れず喝を入れた。「まあ、あの状態で応用例題に答えられたのだ。普段から自分で率先して事を学んでいるのだな」 このときの声は感心10割だった。榊もそれに同意するようにうなずいていた。「……やるね」 右の彩峰からもそんな評価をもらった。「それに、今日の射撃訓練のときだって……あれって神宮司教官も気づいてなかったんですよね?」 たまがきらきらとした純真無垢な瞳を向けてくる や、やめてくれ!そんな子供のような顔で見られると増長してしまう!「それに、白銀自身の射撃能力も相当なものよ」 やーめーてー。「そ、そんな褒めると、オレすぐに増長するぞ?」 そんな武の声にキョトンとした表情を浮かべた面々だが、次の瞬間には笑って、「じゃあ、やめましょう」 そんな榊の声により一層笑う一同。武は、まるで昨日配属されたばかりとは思えないほど部隊内に溶け込んでいることに満足感を覚えた。まだこの場にいない美琴のことが心配だったが、あいつのことだ。すぐにこの空気に混ざることができるだろう。 夜。今日座学で居眠りしてしまったことから寝なければならないと分かっている武だったが、どうにも体を動かしたかった。今日は射撃訓練と座学のみだったのだ。体を動かし足りなかった。 トラックに出ると、先客がいたようだ。だれかが、トラックを走っていた。だんだんと近づいてくる人影。「ん?何だ、白銀か」 冥夜だった。「おっ、冥―――御剣か」 とっさに言い直した武だったが、冥夜は耳ざとく気づいたようだ。「めい? ……そなた名前を呼ぼうとしたのか?」 呆れたように言う冥夜。武はしまったと思いながら、謝った。「うっ……す、すまん。馴れ馴れしくて」「……順序というものがあると思うがな……まあよい。今日の礼だ。そなたが名前で呼びたいのなら好きにすればよい」 礼? 一体何の礼だろうか。「今日の射撃訓練でのことだ。そなたのおかげで自分が間違った癖を身につけていることに気づいた。本当ならすぐにでも言いたかったのだが、そなたがいなかったのでな」 ああ、その時は夕呼のもとへ行っていた。しかし、冥夜も榊と同じで律儀だな。「しかし、なぜ名前で呼ぶのか、聞いてもよいか?」 冥夜がそんなことを聞いてきた。 武としてはただ単に前の世界で呼びなれていたから、注意してないときはつい名前のほうで呼んでしまうだけなのだが、それを言うわけにはいかない。 ただ単に馴れ馴れしいということでこの場を乗り切ってもよかったが、ここはこれを利用して冥夜の中に一歩踏み込んでみることにした。「そうだな……オレにとって人の名字ってのは、その人自身より、その人の背景……家柄とか経歴とかを表しているように感じるんだ」 特に、この207分隊では、その名字の意味するところは大きい。征夷大将軍殿下・煌武院悠陽の双子の妹、内閣総理大臣・榊是親の娘、国連事務次官・珠瀬玄丞齋の娘、元帝国陸軍中将・彩峰萩閣の娘、情報省外務二課課長・鎧衣左近の娘。「でも、オレにはそんなこと関係ない。その人自身そのままと付き合ってみたいから、かな」 一呼吸おいていった。「例え……お前でもな」「―――っ!」 冥夜が目に見えて驚いていた。当然だ。昨日配属されたばかりの訓練生が冥夜の背景を知っているようなのだ。いや、あの言い方なら知っている。 しかし、冥夜が驚いたのはそのことより、そのことを知ってなお、冥夜に普通に接しようというその態度だった。長年一緒である207分隊のみんなもなんとなく冥夜の正体に気づいているため、今までも、どこかよそよそしいものが感じられることがあった。だが、目の前の男はどうか。冥夜の正体を知ってなお、態度を改めず、さらに名前で呼ぼうとすらするのだ。「し、白銀……そなたは知って……」「……」 武はただ黙っていた。やがて、冥夜が首を振りながら言った。「……いや、何でもない」 そんな冥夜の頭にポンポンと優しく手を乗せる。「お前はお前だよ」 すると、冥夜が慌てて武の腕を振り払った。2,3歩下がり、少々興奮気味に言う。「な、何をするのだ、そなた!」「おいおい、頭なでただけだろ。そんなに照れるなよ」「て、照れてなどいない! そなたの馴れ馴れしい態度に面食らっているだけだ」 うそつけー。顔赤いぞー。 これまでの立場上、同年代の男に頭をなでられることなどなかったのかもしれない。そんな慌てふためく冥夜を見て笑みがこぼれた。「むっ!」 そんな武の様子をみて、冥夜が口をへの字に曲げてしまった。いけない、すこしからかいすぎたかもしれない。ここらで話を変えてみることにした。「実はな、ここだけの話……」 武がいきなり声質を変え、真面目な顔で内緒話をするように顔を近づけてきたので、冥夜はその空気を察し、自分も顔を近づけた。「オレは榊を委員長と呼びたくて仕方ない」「ふむ……って、は?」 至極真面目な顔、声でそんなことをいう武に冥夜は何とも言えない気の抜けた顔になった。「いいん、ちょう……?」 武はうなずき説明した。以前、武の住んでいたところの学校の学級委員長に榊がそっくりだということを。そのため榊を見ると、ついつい委員長に呼びそうになって困っているということを話した。「私は名前で、榊は委員長とは……まったくそなたは変な奴だ」 冥夜はすっかり武のペースに翻弄されていた。 そんな冥夜の言葉に苦笑しながら、武はトラックを走りだすため、準備運動として体をほぐし始めた。自主トレで怪我して訓練に参加できなくなるなどあってはならない。念入りに体をほぐしておく。「そなたも自主訓練のためにでてきたのか……」「そういう……冥夜もっ、……そうかっ」 背中をそりながらしゃべったため、少々苦しかった。「ああ、私は一刻も早く衛士となり、そして戦場に立ちたいのだ」 きた。冥夜が目指すもの、護りたいものだ。「どうしてか聞いてもいいか?」 そんな武の言葉に一度頷き、空に浮かぶ月を見上げながら言う。「月並みだが……私にも守りたいものがあるのだ」 冥夜。やはりおまえはどの世界でも立派だよ。「……この星……この国の民……そして日本という国だ」 この「国」が意味するものを、一回目の天元山のところで教えられた。『私が守りたいのは人々だ。人々の心を、日本人のその魂を、志を守りたいのだ……古より脈々と受け継がれてきた心をな……』 国とは、日本というのはそういったものを指すのだと思うと、冥夜は言っていた。 冥夜は人の心を守りたかったから、あの山で、婆さんを強制的につれていかなかったんだよな。「そう言えばそなたは言っていたな。目指すものは私たちと変わらず、そなたは全人類を救ってみせると……」 確かに言った。今度こそは最高のハッピーエンドを目指すんだ。お前たちも絶対に死なせない。そのためにも強くなってもらうぞ。「すこし訓練生には大きすぎる目標かもしれないがな……目標があれば、人は努力できる―――オレの尊敬する人の言葉だ」「ほう……?簡潔でいい言葉だ……私も見習わせてもらおう」 ああ、本当にいい言葉だよ、冥夜。「そうだ」 と、武は何かを思いついたと声をあげた。「オレだけ名前で呼ぶってのはよくないよな……冥夜がよければオレのことも名前で呼んでくれ」 そんな武の言葉に、考え込むように腕を組む冥夜。「名前、か……何であったかな?」 ひ、ひでぇ!部隊内に溶け込んでいたと思っていたのはオレだけだったのか!?名前すら覚えられていないとは。冥夜のその言葉に武はかなりのショックを受けた。「ふっ、冗談だ」「なっ!?」 め、冥夜にからかわれた!なんですかこれは、さっきからかったことへの仕返しとかそういうことか!?冥夜という堅物に冗談でからかわれたことに少なからずショックをうけた武だった。 冥夜は武に一矢報いたことに満足したように、笑みを浮かべていた。そして、武の顔をみながら、「タ・ケ・ル……ふむ、タケルか。それでは私もこれからはそなたのことをそう呼ばせてもらうことにする」 こうして一歩冥夜へと近づいた、そんな夜だった。 ――ブン、ブン! 次の日は近接戦闘の訓練であった。武は冥夜と組み、10分ほど打ち合っている。両者が手にした模擬ナイフを相手に向かって繰り出す。積極的に攻めているのは冥夜のほうだ。武は守りに徹し、冥夜の攻撃を自分のナイフでさばいている。しかし、たまに、冥夜が予想もしない攻撃が繰り出されるので、その度に冥夜は肝を冷やすおもいだった。「まさか近接戦闘もここまでできるとはな!」 言い終わると同時、突きを繰り出してきた。武はそれを自分のナイフではじく。そして、正面ががら空きになった冥夜に向けて蹴りを放つ。しかし、これは冥夜に2,3歩下がられることで避けられてしまう。「っ!今のを避けられるとは思わなかったぜ」 そんな武に、「なめるでない!」という言葉とともに再び攻撃をしかけてきた。 そんな二人の訓練をまりもは少し離れた位置で見ていた。「……ふむ」 御剣の近接戦闘能力はこの部隊でも彩峰と並ぶほど、訓練生とは言えかなりのレベルだった。だが、その攻めをなんなく凌ぐ白銀。傍目には互角に見える戦いだったが、まりもの目にはそう映っていなかった。「はぁはぁ……」 ここだ。御剣が息切れのため、後退するとき、白銀は攻め込まないのだ。白銀を見る限り、まだ少しも疲れた様子はない。ただ、彼女の息が落ち着くのを待っていた。「冥夜はここ一番という時に大ぶりになる。敵はそんな隙を見逃してはくれないぞ!」 しかも、御剣にアドバイスする始末だ。しかも、先程の蹴りもそうだった。白銀は御剣のナイフを左にはじいたのだから、その流れにのって右足を繰り出せばよかった。だが、白銀はわざわざ反対の左足をつかったのだ。このことにより、一呼吸だけ攻撃のタイミングがずれ、御剣に避けるタイミングを与えてしまった。そのことに御剣は気づいていないだろう。 まりもには白銀が御剣に訓練を施しているような印象だった。 まりものすぐ横、ナイフを構え1人突きを続ける彩峰がいた。現在この207小隊は5人編成のため2人1組だとどうしても1人余ってしまうのだ。一心不乱にナイフを突く彩峰だが、その目はさっきからずっと白銀と御剣の戦いを見ていた。「……彩峰、お前も白銀と闘ってみたいか?」「……はい、少し」 ふむ。この部隊で最も近接戦闘に秀でている彩峰か。だが、まりもには白銀のほうが技量が勝っているように思えた。そこで、「よし、御剣とタッグを組め、訓練相手は白銀だ」 戦術機での戦闘は基本2機連携半小隊(エレメント)だ。ここらで、仲間と協力しあう戦い方を学ばせるのもいいかもしれない。問題は白銀が何分持ちこたえられるかということなのだが。「って、ちょ!まりもちゃん!?」 ふいに聞こえてきたとんでもない組み合わせ。オレに207部隊が誇る近接戦闘コンビを相手にせよと?武はつい口をすべらし「まりもちゃん」と呼んでしまっていた。「……まりも、ちゃ、ん……?」 まりもがゆっくりと復唱する。なんだその仲良しお姉さんに対するような呼び方は?軍隊において上官に対してそのような呼び方をするとはいい度胸だなー白銀。「御剣、彩峰、遠慮はいらん。徹底的にやれ。私の怒りお前たちに託す」「了解!」「……了解」(ヒ~~~~~~~~~~~~~~~~~) なんか背後から黒いオーラを放つまりもと、教官命令により目がターミネーター化した目の前の二人に戦々恐々する武。ジリジリと後ろに下がる。「覚悟!」「……死ね」 2匹の獣が襲いかかってきた。「あー、ひどい目にあったー」 その夜、PXで武はテーブルにつっぷしていた。まだ、今日の分の夕食もとってきていない。「何が『ひどい目にあった』だ、タケル。結局最後まで一撃も喰らわなかったではないか」 そこへトレイに夕食を乗せた冥夜が呆れたように言ってきた。「……嫌味?」 彩峰もすでに自分の夕食を手にして戻ってきていた。そしてトレイを武の頭の上に置く。「……やめろ、彩峰」 自分でのける気にもなれない、今の武は精神的にも肉体的にも疲れていた。 二方向から襲いかかってくる突き薙ぎ突きの嵐。相手はナイフ2本、腕は4本あるのに、こっちにはナイフ1本、腕は2本しかないのだ。戦闘範囲もかなり広くなり、走りしゃがみ急停止を繰り返し2人の攻撃をさばいていた。 今の武が本気を出せば。この二人を倒すこともできただろう。まだ二人は連携攻撃というものを分かっていなく、ただ闇雲に攻撃するだけだったのだ。もっと連携を重視した戦い方であったらさすがに武でもこの二人相手には無理だったろうが。そこで武は自分に対して枷を用意した。それは自分から攻撃はしない、相手が疲れるまで攻撃をさばき続けるというものだ。だが、二人はなかなかあきらめず肩で息をしながら何十分も闘い続けた。結局はまりもにとめられるまで続いた。 しかし、ここで終わらないのがまりもの恐ろしいところだ。疲労困憊した冥夜と彩峰に変わり、今度は委員長とたまのタッグの相手をさせられたのだ。いくら武に体力があるといっても慣れぬ生身での二人相手の訓練で思いのほか体力を消耗していた武にはそこからが地獄だった。「……白銀さーん、生きてますか―?」「放っておきなさい、珠瀬。私たち相手に一時間以上闘いつづけた白銀よ?しかもその戦闘中にアドバイスする余裕もある。それくらいなんともないわ」 ひどいよ。「まったくどこでそのような体術を身につけたのか……」「昔、優秀な教師と仲間たちにな……」 つまりお前らだお前ら。 武はようやく顔をあげた。 さて、夕食をとってくるか、と立ち上がった時だった。だれかに服を引っ張られた。「あ……」 たまが武の後ろをみながら声を漏らした。武もそこに顔を向けると、そこには白銀の服を引っ張っている霞がいた。「……博士が呼んでいます」「え……?いまから?」 コクリと頷く霞。「……オレまだ飯食べてないんだけど?」「……呼んでいます」「いやね、今日はすっげーハードな訓練ですごくおなかがすいてるわけだ」「……呼んでいます」「……」「……呼んでいます」 結局夕食はお預けとなった。 夜。伊隅みちる大尉は副司令の香月夕呼からの命令でA-01部隊をブリーフィングルームに集めていた。現在室内にいるのは、自分、涼宮中尉、速瀬中尉、宗像中尉、風間少尉、涼宮少尉、柏木少尉、築地少尉、高原少尉、麻倉少尉の計10名。召集をした張本人の副司令はいまだ姿を見せていなかった。「大尉~、一体今日の召集は何なんですか?」 速瀬が、少し不機嫌そうな声色で尋ねてきた。つい先日、不明機(アンノウン)にA-01部隊始まって以来の完璧なまでの惨敗をした日から彼女はずっと不機嫌だった。 自分もあの不明機に手も足もでなかったことはショックだ。それは部隊全員同じであり、その日から食事と寝る以外はすべて訓練していたといっても過言ではない。朝に訓練のブリーフィングをして、昼から夕方までずっとシミュレータによる訓練。実機は整備中のため使用できなかったが、それは自分たちのせいなので仕方ない。夜も夕食を食べた後は、寝るまでずっと部隊全員がそろってあの不明機の機動について研究を続けていた。「……わからない。私は副司令からただこの時間にA-01部隊を集めろと言われただけだ」 そう口にしたとき、ブリーフィングルームのスライドドアが開いた。「あら、待ったー?」 香月副司令だった。いつもの飄々とした口草。自分たちの正面まで歩いてくる。「……副司令、今日は何か新たな任務ですか?」 宗像が口を開いた。だが、その問いに副司令は首を振る。「違うわ」「じゃあ、一体なんでですか?私たちは今一秒でも時間がほしいんです!」「口を慎め、速瀬中尉!」 苛立っている速瀬を諌める。そう言われた速瀬は顔をしかめる。しかし、副司令は別段気にした様子もなく、話し始めた。「あなた達、数日前から司令室から借りた不明機の映像を見て、その機動を研究してたわよね?」 そうだ。あいつに敗れたその日の夜からその研究は始まった。今まで見たこともない機動概念。自分たちのものにすれば、かなりの戦力増強になるはずだ。そのため、あの機体の映像を何度も検証し、その機動を細部にまで研究していた。しかし、問題があった。「その中に、どうやっても不知火じゃ再現できない動きがなかったかしら?」「!」 そうなのだ。副司令の指摘の通り、不知火ではどうあがいても再現できない動きがいくつもあるのだ。たとえば、あの戦闘中に不明機が見せた噴射跳躍からの反転倒立。空中での不明機が行っている失速域機動が不知火では無理なのだ。 シミュレータで成功できないことを実機でやるわけにはいかない。速瀬や涼宮妹はむきになって夜中までシミュレータを占領していた。だが、無理なのだ。 副司令はみなの態度からできないことがあるのを察したのだろう。口元に笑みを浮かべ、「ついてきなさい」 そう言って、部屋を出て行った。 副司令の後に続いて、やってきたのは演習場だった。 そこで用意されていた車に乗せられる。さすがに10人全員が一台には乗れず、2台に分けてだ。そして演習場内を移動する。「副司令、そろそろ教えてくれませんか?」 さすがに黙ってついてくるのも限界だ。いったいこの車はどこへ向かっているのか。「今日の整備兵たちのゆるみきった顔に関係することですか?」 それは、自分たちの不知火の整備状況を確かめようと、ハンガーに立ち寄ったときだ。ハンガー全体が妙に空気が浮ついていたのだ。そして自分たちA-01部隊を見かけると整備兵の男も女も関係なくみな一様にニヤニヤした顔を向けてくるのだ。 そのうちの何人かは、その顔のまま近寄ってきて、「あとで感想よろしくお願いしますよ」などと言ってきたのだ。いったいなんのことかと問いただしたが、みなそそくさと逃げ出してしまった。その時はなんのことか皆目見当つかなかったのだが、おそらくこの副司令の用事に関することなのだろう。「なぁに? 彼らそんなに嬉しそうだったの?」 嬉しそう?まあ、確かにハンガー全体の浮ついた空気から察すれば、なにかを喜んでいたのかもしれない。先日の謎の戦術機襲撃の際は、あの機体に敗れたのは自分たちの整備に不具合があったのではないか、と衛士同様落ち込んでいた彼らが。「ふふっ、ほら、そろそろ見えてきたわ」 そう言って副司令が指さす先。全員が同じ方向を見る。 そこには二機の吹雪が対峙していた。「あれは……?」 風間が首をかしげる。ほかのみんなにしても同様だ。あんなものを見せられても副司令の目的がまったくわからない。「あの機体の片方……ここから見て奥の吹雪の衛士はまりもよ」「神宮司軍曹が!?」 驚いた。あの神宮司軍曹が戦術機を操縦しているとは。 A-01部隊は全員彼女の教え子であるから、彼女の実力は知っている。今は教官として訓練生を鍛える立場にいるが、かつては中尉として中隊を率いていた経験もあるのだ。自分たちと比べても何らそん色ないだろう しかし、なぜわざわざ彼女が?それに、「副司令……その、もう一機の吹雪の衛士は?」 そんな柏木の疑問に副司令は妖しげな笑みを返すのみだった。 そして、車に備え付けの通信機を手に取り、「さ、始めてちょうだい」『……博士、ホントにやるんですか?』 通信機越しに声が聞こえてきた。間違いない。神宮司軍曹の声だ。しかし、その声から推測するに軍曹も今の状況に困惑しているようだった。「あったりまえでしょー? それより、まりも。本気でやりなさいよ?」『……わかったわ』 そして、二機の吹雪による戦闘が開始された。 まりもはわけのわからないまま吹雪に乗せられていた。 自室で今日の白銀の驚異的な近接戦闘能力について考えていると、夕呼から呼び出しがかかったのだ。 何の用だろうと思いながら、夕呼のもとへ訪れると、そこでいきなり吹雪にのって模擬戦闘をしてほしいと頼まれたのだ。しかも、相手の衛士の名前も教えてもらえない。その模擬戦闘の目的も教えてもらえない。『ただ、あんたは本気を出して戦えばいいの』 そう言われ、あっというまに強化装備をきせられ、吹雪に搭乗させられてしまった。 演習場へ移動するとそこには一機の吹雪の姿があった。何のことはない。こちらと同じ普通の吹雪だった。いったいなぜ自分がこんなことをしなければならないかと今一度疑問に思うまりもだったが、夕呼の強引さは昔からの付き合いでよく分かっている。あきらめて夕呼の指示に従うことにした。 まず仕掛けたのはまりもだった。手にした突撃砲――もちろんペイント弾――を様子見として相手に向けて撃つ。しかし、ここは市街地を再現した演習場。相手はすぐにビルの影へと隠れてしまった。 それを予想していたまりも。すぐさま跳躍噴射を用い、相手の予想される移動ルートの先へと先回りする。案の定相手はきた。 突撃砲を撃つ。ペイント弾の塗料がビルを赤く染めていく。相手は驚いたように今でてきたビルの角へと引っ込んだ。そこから半身を出して撃ち返してくる。しかし、まりもにそんな弾はあたらない。ビルの間に隠れるようにして相手との距離を詰める。 相手がこちらに突撃砲を当てるのをあきらめたようにビルの影に姿を消した。(逃がさない!) すぐさま追うまりも。相手が隠れたビルの角を曲がり、突撃砲を構える。 本来ならここで、逃げる敵の背中にペイント弾を撃ち込み、この模擬戦闘は終了だった。しかし、「っ!?……いない!」 そこに敵の姿がなかったのだ。まっすぐ続く直線状には全く機影が確認できない。ビルの間に隠れようにも、そんな時間は与えていない。 ――ビービー。 その時、戦術機の警報がけたたましい音を立てた。(照準されている! どこにッ!?) 次の瞬間後ろから大きな音が聞こえた。慌てて機体を向けると先ほどの吹雪がそこにいた。 どうして、などと考える暇もない。敵は肘から短刀を抜き、水平噴射跳躍で突っ込んできたのだ。「くっ、なめるなっ!」 突撃砲を撃つより、相手の短刀のほうが速い。一瞬でそう判断したまりもは、自分も同じように短刀を引き抜いた。 相手からの突き、それを自分の短刀で防ぐ。 だがそこで相手の攻撃は止まらなかった。なんとその短刀を一度手放し、空中で純手から逆手に持ち替えたのだ。「なっ!?」 持ち方が逆になれば当然攻撃方法も変わる。相手は背面スラスターとブーストを右部分だけつかうことによって回転しながらこちらを切り裂きにきた。 どうあがいても間に合わないタイミング。 ――神宮司機、動力部に致命的損傷、機能停止。 オペレーターが機械的に告げる声が聞こえた。「……」 その戦闘の一部始終を見ていたA-01部隊の面々はだれもがさきほどの吹雪に目が釘付けになっていた。 みんな驚きのあまり一言も発することができない。 それというのも、さきほどのあの吹雪の機動。あの不明機とおなじことをやってのけたのだ。 神宮司軍曹が相手を追い詰めたとき、やつはビルの陰に隠れた後、数歩歩くとバク宙の要領で空に舞い上がったのだ。神宮司軍曹がビルの角を曲がった時にはちょうどその上に、突撃砲を構えたその吹雪がいた。しかし、そいつはその場で照準していたくせに、撃つことなく、失速域機動を用い、着地。短刀を引き抜き、近接戦闘を仕掛けた。そこでもまた驚く動きを見せる。短刀を手放したあと、逆手に持ち替えたのだ。そしてあっというまに神宮司軍曹を撃破してしまった。 なぜ、不知火でできなかった機動が、スペック的に劣る吹雪でできたのか。興奮さめない伊隅はゆっくりと口を開いた。「ふ、副司令……あれはいったい―――」「「なんなんですかーーーーーーーーーーー!?」」 最後の言葉は速瀬と涼宮妹にとられてしまった。「グヘッ」 助手席にいた伊隅が後部座席から身を乗り出した速瀬と涼宮妹に押しつぶされる。しかし二人はそんなことはお構いなし、矢継ぎ早に副司令に質問を投げかけていた。「あー、もう落ち着きなさい……いま説明するから」 そうやって二人をなだめる副司令。と、車の窓が叩かれた。二台目に乗っていた者たちだ。彼女たちも先ほどの吹雪について一刻も早く詳細を知りたいらしい。「あれは、この間の戦術機の動きを解析して作られた新OSよ」「新、OS?」「ええ、あのOSを用いて再現できない不明機の機動はないわ」 少しの沈黙のあと、その答えにA-01部隊全員が沸いた。とくに速瀬の喜びようはすごく、車から降り、その辺を走り回っていた。「すでにあなたたちの機体はすべてあの新OSが搭載されているわ」 そうだったのか。だから今日、整備兵たちの様子がおかしかったのだ。彼らは知っていたのだ。このOSのすばらしさを。あの不明機の機動を完全に再現できるとなれば、このOSは人類の大きな力となる。このOSなら今度あの不明機が襲いかかってきても負けない。そんな自信がわいてきた。「なら、今から乗りましょうよ!」 走り回っていた速瀬がもどってきた。このとき速瀬は意図せずA-01部隊全員の思いを代弁した。みんなすぐにでもあの機体のOSのすごさを実感したいのだ。「ダメよ。まだあれについては説明することがあるんだから。今日のところはお預けよ」 え~、と不満の声を上げる速瀬。速瀬ほどではないが、みんなも同じように落ち込んでいた。「ああ、それと、あのOSの開発者が直々にあんたたちを鍛えてやるってさ」 その言葉に、A-01部隊全員の顔があがった。「開発、者?」 どういうことだ。あのOSは副司令や技術部がつくったものではないのか?技師が自分たち精鋭A-01部隊を鍛えるとはどういうことなのか。「ちなみにそいつは今、あの吹雪に乗っているわ」 そう言って指さす先には先ほどの吹雪がいた。「なっ!?開発者とは衛士なのですか!?」 肯定する副司令。話しによると、副司令達はただその衛士の指示に従って新OSをつくったらしい。 みんなで同じように件の吹雪を見上げる。あの機体の衛士はそんなにすごい人物なのか。と、その吹雪がいきなりこちらに向けて手を振ってきた。「「「「……は?」」」」 戦術機が手を振るなど初めて見た。確かに動作としてはできるのだが、そのようなことする必要がないため誰もしないのだ。いつもはBETAに穴をあけ、切りさき、蹂躙していく戦術機がそんなことをするとは……シュールだった。「ふぅ……見ての通りの奴だから、あんたたちもすぐになじめると思うわ」「「「「はぁ……」」」」 A-01部隊全員がこのとき同じことを考えていた。 ――あの吹雪の衛士、そんなにすごいやつには思えない。 つづく