「篁唯依中尉、ただ今アラスカから帰還いたしました!」 ビシッとした敬礼を決めるのは、帝国斯衛軍の黄、篁唯依中尉である。目の前にいるのは帝国軍中佐巌谷榮二。ただの上官ではなく、自分の父親の親友であり、実父亡きあとは自分をここまで鍛え、育て上げてくれた人物でもある。「ああ、アラスカでの特殊任務御苦労だった」 巌谷は唯依に労いの言葉をかけた。だが、唯依には今回の帰還命令納得のいかないものがあった。「中佐どういうことですか?いきなり代わりの人員をよこして私に日本に帰還せよとは?ようやくXFJ計画のAH演習も終わりに近づいた時だというのに……」「詳しく理由を伝えないで悪かった。口で伝えるよりは実際に見てもらった方が早いと思ってな」 そして巌谷は目の前の端末を操作した。「――まずはこいつを見てもらいたい」◇ ◇ ◇「こちらへどうぞ」 その日、まりもはある人物に基地内を案内していた。この基地内では滅多に見かけないスーツを着こなした壮齢の男性で、一目で位の高い人物だとわかる。「すみませんね、大尉ともあろう方に案内してもらうとは……」「いえ、お気になさらないでください」 柔和な顔がまりもにプレッシャーを与えない。一部のお偉方特有の軍人に対する嫌味というものがまったくなかった。「しかし、頭の固い官僚連中をあの訓練生一人に任せてよかったので?」「大丈夫です。彼女は優秀ですから」 どうせ彼もあの娘の正体について知っているだろう。 受け答えしながら廊下を進んでいく。時折すれ違うものすべてが、その男性に敬礼をしていた。 そして、しばらく、目的地に到着する。「事務次官、ここが横浜基地衛士訓練学校の食堂になります」 中に入ると、彼女たちがいた。全員ほぼ同時にこちらの存在に気づく。「け、敬礼!」 先頭にいた体躯の小さな少女がそう告げる。すると、後ろにいた3人もその号令とともにビシッと敬礼を決めた。 号令をかけた少女の腕に掛けられた腕章をみて、まりもはため息がでるのをなんとかこらえた。(本当にやったのか、こいつら) その腕章――「分隊長」と書かれたそれが珠瀬壬姫の腕にかけられていた。「御紹介します。彼女たちが第207衛士訓練小隊の訓練兵です」 事務次官――珠瀬玄丞斎は先頭の少女を見ると、その顔がだらしなくゆるむ。「ここから先は、珠瀬訓練兵がご案内差し上げます。珠瀬訓練兵!」 その声とともに大きく前にでるたま。「あ!は、はいっ!どうぞこちらへ!」 そして、珠瀬親子が数秒間見つめ合う。その間も背筋を伸ばし、軍人然とした態度をとるたまに、「うんうん、頼もしいなあ……でもパパは甘えてもらえないの、ちょぉっとさびしいぞぉ……」 親バカを体現したような事務次官がそこにいた。さっきまでの厳格な政府要人はどこへいったのやら。「パ、パパァ……うう……で、でも私は訓練兵なのでっ!!」(あ、ちょっと揺れた……) まりもは目ざとく見逃さなかった。「ででででは、こ、こちらへ!」 カチンコチンになりながら、歩き出すたま。さてさて、あの様子で今日一日隊長を務められるのだろうか。(珠瀬の一日隊長案を提案してきた当の本人はいないし…・…) そのため、まりもが彼をここまで案内することになった。(さて、あいつは今頃どこでどうしていることやら……) まりもはこの場にいない青年、白銀武のことを考えながらPXを後にした。◇ その日、そのピアティフは奇妙な命令を香月副司令から受けていた。『今日は何が起こっても警報を鳴らさないで』 このような命令だ。正直、妙なことを言うと思った。このようなことを言うということは、彼女は今日、本来なら警報を鳴らすほどのことがこの基地に起きると知っているのだろうか。 そのとき通信機がけたたましい音で鳴り響いた。この音は緊急回線用のものだ。慌ててそれを取るピアティフ。これは国連軍GHQからのものだ。 そしてその知らせを受けたピアティフの目が大きく見開かれた。すぐさま香月副司令に連絡を取るため別回線を開いた。◇「ふふ、白銀の言ったとおりね」 ピアティフから連絡を受けた夕呼が司令室にやってきた。すでにその場はお祭り騒ぎだ。だれもがせわしなく動いていた。 国連軍GHQから届いた知らせ。それというのは、「HSSTの落下……」 事故の発生は30分ほど前の15時04分。エドワーズから那覇基地へ向かっていたHSSTが、再突入の最終シーケンス直前で通信途絶。15時19分、国連軍GHQは状況を原因不明の機内事故により乗員全員死亡と推定。同時に遠隔操作による突入角の変更を試みるも、ことごとく失敗。高度なクラッキング対策が裏目に出て、自爆コードも受け付けずハッキングも失敗。海に落とすことも、自爆させることも不可能になった。 そして現在そのHSSTは横浜基地に向かって順調に落下中、と……。しかもご丁寧に電離層を突破した後にフルブーストで加速、ついでにカーゴの中身は爆薬満載ときた。「博士! やはりだめです。向こうのセキュリティが高すぎて突破できません!」 ピアティフが叫ぶように言った。このままでは後数十分でHSSTがこの横浜基地へと落下してくる。そこから予想される被害は少なくとも、この横浜基地は完全に壊滅する。今から警報をならしたところで基地内全員の避難が間に合うはずがない。それにこの基地がなくなればオルタネイティヴ4も終わってしまう。「ど、どうしたら……」 オロオロするピアティフに近づき、夕呼は言った。「大丈夫よ。とっくに白銀がでてるわ」 その言葉でピアティフは顔をあげた。「……白銀、少佐が?」「ええ、この基地を護るって息巻いてたわよ」 その時、国連の衛星が何かを映し出した。それはHSSTの落下軌道上。そこに銀色の戦闘機が飛んでいる映像をその衛星はとらえた。◇「あれま……やっぱでかいなアレ」 ユーラシア大陸上空、そこに銀の装甲で陽光を跳ね返す歪な戦闘機が空を飛んでいた。ユーラシア大陸といえばそのほとんどをBETAに支配された特一級危険空域であるのにそれは空を悠々と飛んでいた。機体の真下には正面を向いた巨大な砲が装備されている。 武はその戦闘機――伊邪那岐の内部で網膜に映る物体をみて改めてその大きさに驚く。そこに映るのはこちらへとまっすぐにやってくるHSST。まだ数十キロ先をすごい速度で向かってきていた。「よし、このあたりにするか……」 右手を後方のレバーに、左手を壁から垂直にでているレバーにかけた。そして操作を開始。「ML機関起動」『わかった』 その声とともに、ML機関に火が入る。ヴンッという音とともに展開されるラザフォード場。機体が重力制御で浮き上がる。そして電磁力と各部に設置された極小ブースターで二秒とかからずに戦術機形態へと変形。機体の下に装備されていた砲は背中に背負われる形で戦術機形態に装備されていた。『雲で隠れてるからって制限時間は10分にするからね』「了解。その後はすぐに大気圏外へ出るぞ」 背中に背負っていた砲が特殊なガンマウントによって持ち上げられる。そして右肩の下を回りこみ、射撃位置へと移動する。折りたたまれていた砲身が伸び、長さは背中に背負っていたときの1.5倍ほどにもなる。1200mmOTHキャノンの長さにも匹敵するほどの砲、片腕だけで支えるにはバランスが悪い。すると、伊邪那岐の腰と肘の部分――日本製の戦術機なら短刀が納められている場所――が展開し中から三本のマニピュレーターが現れた。補助腕である。それが三方向から砲を支える。「モード‘集束(コンヴァージェンス)’」『‘CPC-04’充電率70%……』 網膜に映る情報が、狙撃用のそれに切り替わる。中央に示された赤い丸。構えた砲身周辺がバチバチとはぜた。その音は次第に大きくなっていく。『90%……100%。充電完了……発射シークエンスへ移行。射線上大気圏外に衛星存在無し。大気による減衰効果修正』 最初数十キロ先だったHSSTはすでに数キロ先の目の前。ここにくるまであと数分かからないだろう。赤い丸に収まっていくHSSTの全貌。「さーて」 その全てを赤円の中に収めきった。そしてトリガーに指をかける武。「地球を救おうとやる気になっているところに、そんな無粋なものは、落とさないでほしいね」 そしてHSSTを一睨み、一気に引き金を引いた。「――消え失せろ」 伊邪那岐から一条の光が空に向かって放たれた。◇ 「HSST……消滅?」 突如レーダーから消失したHSST。あれだけの物体がいきなり消滅するとは考えられない。だが、画面は次に目を疑うようなデータを映し出した。「こ、この熱量反応はCPCの!どういうことです博士!?まだ00Unitも完成していなく、XG-70も未完成なんですよ!?」 ピアティフは隣で見ていた夕呼に食って掛かった。「『伊邪那岐』よ」「『伊邪那岐』って……白銀少佐専用機の……」 先ほど移された映像を思い出した。一応、あの戦術機が戦闘機に変形するというのは話には聞いていたが、改めて実際に変形するところを見ると、まったく信じられない。あのような戦術機をいったいどこのメーカーが作ったというのだろうか。そもそもあの戦術機とともにあらわれた白銀武とは一体何者であるのか。「あれの試射もうまくいったみたいね……」 夕呼は一人何かに納得していた。そして呆然とするピアティフの肩を叩いて、「後の処理は任せたわ」の言葉だけ残してさっさと出て行ってしまった。 気づくと手が震えていた。いや、手だけではない。さっきまで目前に迫っていた圧倒的な死の脅威に体全体が震えていた。「助かった……のよね」 モニターに映る銀色の戦術機を見て、ただそう呟いた。◇ そのころ訓練学校の兵舎では……。「おや、白銀少佐はいないのかね……真面目で強くて賢くて偉くてそれでいて階級を気にしない、このご時世稀に見る好青年という彼は」「「「「はぁ……」」」」「たまのお婿さん候補を見ておきたかったのだが……」「「「「っ!」」」」「パ、パパ!」 てきなことが繰り広げられていた。 余談だが、この日、武が基地に帰ると、なぜか207分隊のたま以外から冷たい視線を送られた。(たまパパがなんか言ったんだろうなー)と憂鬱な気分になる武であった。◇ ◇ ◇「タ、タケル~、やっぱりボク達には無理だって~」 美琴は網膜に映る漆黒の不知火数機を前に、吹雪のコックピットの中、泣きそうな声で言った。 漆黒。それが表すのは日本帝国軍所属の不知火だということ。肩にある日の丸もそれを示している。ただでさえ、自分たちより優れた機体。さらに彼らは帝都守備連隊に所属するエリート衛士である。そして今いる場所は帝都外縁部に設けられた帝都守備隊専用の演習場。『鎧衣……ここまできたら、覚悟を決めるほかあるまい』『人間あきらめが肝心……』 そんな美琴に冥夜と彩峰があきらめろと言う。網膜に映る二人はずいぶんと落ち着いた表情で、今の状況を受け入れているようだった。 相手の機体は五機。こちらと同じである。 そもそもなんで自分たち訓練生が、帝国軍のエリートと対峙しているのか。それはつい今日の朝にまでさかのぼる。『さあ、帝都に行こう!』『『『『『は?』』』』』 武のそんな言葉で、輸送機に乗せられ、空を飛ぶことしばらく。自分達は帝都の帝国軍基地へと運び込まれていた。そしてそこのブリーフィングルームに集められて教えられた今回の目的。それは帝国軍へのXM3導入審査模擬戦を行うものだったらしい。 開発当初からXM3搭載機に搭乗している自分たちと旧型OSとの模擬戦で帝国軍がこのOSを受け入れるかどうかを決めるという大事な一戦。そんな大役を自分たち訓練生が請け負ってしまった。「うう~」 この模擬戦は帝国軍の多くの衛士が見守っている。それは大きく分けて二種類。好奇の目を向けるものと、いぶかしむ目を向けるものである。 前者は以前行われた新潟防衛線のXM3搭載機の動きを知っている者。後者はそれを話し程度にしか聞いていない者たちである。『大丈夫だ、美琴』 黒い軍服姿の武が映った。彼は管制室から自分たちの様子を見ている。しかもCPというわけではなく、指揮もすべて自分たちでやらないといけない。自分たちの実力だけで帝都守備隊に勝たなければならないのだ。『お前らの部隊は稀に見るバランスのいい部隊だよ』 そして通信を全員に開いた。『指揮を委員長、近距離は冥夜と彩峰、支援を美琴が、そして遠距離はたまの完璧な布陣だ』 一人一人の顔を見ながら言った。『それに相手の機体はたかだか旧OSだ。そんなやつらに負けるほどやわな教導はしてきてないつもりだ』『だから―――』『訓練通りにやれば負けはしない、でしょ?』 武の言葉を榊が奪った。それに武は笑って、『あ、ちなみに相手はお前らが訓練生だってこと知らないからな~』「!?」『さあ、始めるぞ!』 その言葉と同時、帝国軍が用意したCPが模擬戦開始一分前を告げた。そして、残り10秒となった時、もう一度武との回線が開いた。『最後にとっておきのまじないをかけてやる』『『『『「?」』』』』『オレ五人と闘っているつもりでやってみろ』『『『『「なっ!?」』』』』 そんなの勝てるわけがない!◇ 無慈悲にも戦闘の火ぶたは切って落とされた。武に最後に言われた言葉で、漆黒色の不吉な色もあいまって相手の不知火が本当に全員武のように見えてきてしまった。最初の突発的な戦闘の後、相手の不知火はすべてバラけて、ビルの影へと隠れ、戦闘域はかなりの広範囲まで広がっていた。 たまにある遭遇戦だが、両チームとも未だに致命的な損傷はなく、すでに20分が過ぎようとしていた。『ねえ、みんな……』 美琴から600m離れた位置からの榊の通信。今は相手も息をひそめている。こちらが動けば相手に音と振動で位置を知らせてしまう。周囲を沈黙が支配していた。『私は白銀に言われた通り、白銀五人と戦っているつもりでやっていたわ』 それは美琴も、他の三人も同じである。『でも、感じることがあるの』 美琴もそれは感じていた。横浜基地で幾度となく戦った武の機動。それと比べると相手の不知火は明らかに、『『『『「遅い」』』』』 五人の言葉が重なった。 なるほど彼らは確かにエリートパイロットだろう。旧OSであれだけの機動を行っていることからもわかる。だが、戦術機に乗り始めてから、ほぼ武の機動、ただそれだけしか見ていない207分隊の面々にはそれはひどく遅く感じられた。目がすっかり武の機動に慣れてしまっているのだ。 さらにXM3特有のあの三次元機動もない非常に単調な動きだった。戦闘が始まる前はビビっていたのがうそのように、今では勝機しか見えてこない。 自分達は思った以上に力をつけていたようだ。そう、旧OSのエリートを退けるほどに。『動いた。2機』 800m先にいた彩峰からだ。ついに敵が動き出したらしい。『こっちでも動いています』 たまも敵の動きを察知したらしい。距離的に考えて、前方にいる二人を挟撃するつもりだろうか。『01(榊)より各機。ここで勝負を仕掛けるわよ』 指揮官である榊の言葉。美琴は比較的近かった彩峰のところへ向かいながらそれを聞いていた。『03(珠瀬)は敵から距離をとって、代わりに02(御剣)が敵の足止め。03は敵の待ち伏せ、追手に注意しながらこのポイントを確保。私も御剣に合流するからまずはこちらから片づけましょう。05(美琴)は04(彩峰)のカバー。大通りまで誘い出して』『02了解!』『03了解!』「05了解!」『仕留めれたら仕留めていいよね』『ええ、お願い』『04了解』 遠方で発砲音が聞こえた。この距離と方角なら彩峰が敵と接触したらしい。急がなければ。跳躍ユニットの出力を上げる美琴だった。◇「そうだ、それでいい」 武は管制室の中、美琴たちの吹雪の動きを見ながらそう呟いた。すでに相手は2機撃墜されている。なかなか順調だ。やはり最初から武の動きを見せていたのはプラスに働いたようだ。敵の動きが心底遅く見えるに違いない。「お、三機目」 榊、冥夜、たまが相手していた最後の戦術機が冥夜の長刀で致命的損傷を負った。「せ、瀬口機動力部に致命的損傷、大破」 目の前にいるオペレーターが告げた。だが、その様子は今の出来事を納得できていないといった様子。それもそのはず、帝国軍は国連軍の吹雪をまだ一機しか撃墜することができていないのだから。「あれが本当に訓練生の動きなのかね、白銀少佐」 武の横にいた顔に大きな傷を負った男がそう尋ねた。帝国軍巌谷榮二中佐だ。「ええ、そうですよ」「それが事実ならまったく信じられん性能だな、新OSとやらは……」「名をXM3と言います、中佐」 4対2、もう勝負は見えた。まあ、武としては彼女たちが負けるとは微塵も思っていなかったわけでこれは予想通りの結果であった。「あと二戦。彼女たちの動きをみてこのOSを導入するか考えてください。自分は少し所用で席を外します」「わかった……午後から予定を確認しておいてくれ」 そして武は管制室を後にした。◇ 白銀が出て行ったあと、巌谷は自分の傷跡を触りながら、さきほどの青年のことについて考えていた。(まさかあれほど年若いものが少佐とはな……) XM3導入試験。それにやってきていたのは巌谷の予想の遥か下を行くまだ少年の面影の残った男であった。そしてつけられた階級章を見て驚く。自分より一つ下の少佐なのであるから。 話によれば、彼がこのXM3の発案者であり、あの横浜の牝狐にこれをつくらせた張本人であるらしい。 モニターに映る縦横無尽に動く吹雪の動きを見る。自分たちが若い時に、幾戦もの実戦で磨き上げた制御パターンをこうも無残にも打ち破るものを造られては、もはや脱帽するしかない。年若いということはいやはや、恐ろしいものだ。◇ 帝都の一角。高くそびえるは帝都城。そこの一室。政威大将軍である煌武院悠陽の執務室があった。そこで机に向い、筆を走らせる悠陽。達筆な文字が白い紙の上を踊っていた。 ――コンコン。 その音で顔をあげる悠陽。窓を誰かが叩いている。正面からでなく、窓から。そのような人物、悠陽には一人しか心当たりがなかった。慌てて筆をおいて、窓にまで駆け寄った。そして一気に開く。そこからぴょこんと顔を出す男。「お久しぶりです、殿下」「白銀!」 3週間ほど前にクーデターを止めるために自分を訪ねてきた白銀武がそこにいた。ひらりと窓から部屋の中へと入ってきた。あのときとは違う黒い国連軍の軍服で、背中には何かを背負っていた。「本日、国連軍から将兵がくると聞いていたが、そなたでありましたか!」 なにやら新OSの件らしいと聞いていたが。「ふふ、いろいろ話を聞いた様子じゃ、だんだんと政威大将軍に元の権限が戻ってきているようですね」 白銀は背負っていた物を下ろしながらそう言った。「そのことには感謝しています。あのまま何も知らなければ私はただのお飾りとして置かれていたことでしょう。そしてそれを憂いた沙霧大尉たちの行いで多くの血が流れるところでした……」 だが、まだ一筋縄ではいかないというのが正直なところ。 白銀は背負っていたバッグを大きく開き、中から何かを取り出していた。政威大将軍を前に、頭を垂れることなく自分の作業を優先する者なんて普通なら考えられない。だが、不思議と白銀のそんな態度が気にならない悠陽だった。「それで?今日、わざわざこのような方法で私を訪ねてくる理由はなんですか?また、何か私に伝えることがあるのでしょうか?」 真剣な表情で尋ねる悠陽。また、以前のような話であるのか。 それに白銀は軽く首を振った。「今日はクーデターとかそんな大層なもんじゃないですよ」 そしてバッグの中からそれを取り出した。「ちょっと殿下についてきてほしいんですよ」 それは白銀の所属と同じ国連軍の女性用軍服であった。◇「ちょっと真耶!二人で出て行ってしまったわよ!」 その部屋の外、月詠中尉こと月詠真那は、窓から出ていく国連軍女性用軍服姿の政威大将軍と国連軍少佐を見ていた。そして隣にいる人物に食ってかかった。その話し方は軍人のそれでなく従姉妹に対するそれ。「あなたが入るなと言ったから入らなかったけど、これは明らかに―――」「ストップ」 そんな真那を制する月詠大尉こと月詠真耶。近くを通りかかった侍従に「悠陽様は少々体調を崩されたわ」と伝え、そして忍び足で部屋に入っていった。マナもしぶしぶとそのあとに続く。部屋に入ったマヤは窓から外の様子を慎重に様子見た。そして遠くに目的の二人の後ろ姿を見つけると、自身も音を立てぬようにゆっくりと窓の外に出た。「真耶!」 慌ててそのあとに続くマナ。「静かに……あの男かなり気配に敏感よ」 確かに、初めてあった横浜基地のハンガーで、気配を極限まで殺していたはずの自分の存在に気づいた彼はかなり気配に敏感なのだろう。「何を考えているの!?殿下とあの男を二人きりにして……何かあったらどうするつもり!?」 声を殺して、だが怒気は殺しきれずに同い年の従姉妹であるマヤに言った。「あなたは知らないだろうけど私は以前彼に会っているのよ」「!」「あの男が悠陽様に危害を加えないことは分かっているわ……そのつもりならあの時にできたはずだから」 足音を殺して、二人を見失わないように屋根の上をいくマヤ。それにマナもあとをついていった。「いつのことよ!?」「申し訳ないけどこれ以上は私の口からは言えないわ。私自身悠陽様に口止めされているから」「悠陽様が!?」 その悠陽様は白銀とともに今にも屋根から降りようとしていた。どうやら白銀が侵入してきた経路を逆走しているらしく、白銀は先に降りているようだった。それに続いて悠陽が降りていた。二人はロープを使用しているようだ。しかし、白銀の身体能力を考えると、ここに至るまではロープなどを用いる必要はない。おそらくあれは悠陽用にわざわざ用意したものであるのだろう。 ですが悠陽様、その制服でロープを降りるとなると……、「し、白銀!?今、上を見てはいけません!」「はい?何か言いましたか?」「だから見てはいけない、と!!!」「……」「……」 さて、あの二人いったいどこへいくのやら。◇「白銀、外にでるのはいいとして、ここから先は戦術機も配備されているのですよ?もし見つかればそなたとて……」 ほんの少しほほを赤く染めた悠陽が白銀にそう尋ねた。(み、見られてしまったでしょうか……?) そんなことを考えていた。 いくら警備の者のルートを知っていようと、戦術機のセンサー類はごまかせない。それこそ以前のように帝都城地下の鉄道を用いるなどしないと不可能だ。「戦術機のほうには手を打ってあるので安心してください」 そして白銀は歩哨の目を掻い潜って堂々と歩いていった。あまりにも堂々とした歩き方で、この男はみつかることを恐れていないのかと思ったほどだ。だが、以前の帝都城に忍び込んだことといい、白銀はこの帝都城の警備詳細を知っているのではないのか。帝都城地下の鉄道を知っていたことといい、クーデターの件を知っていたことといい、この男一体なにものであるのか。 目の前に二機の戦術機がその目を光らせていた。しかし、白銀はそれを一瞥しただけで立ち止まることなく、その戦術機の間を走りぬけようとした。「し、白銀!」 あわててその裾をつかんで止める。「大丈夫ですって殿下」 そして、裾をつかんだ手をほどき、その手をつかんで走りだした。「あ……」 人に手を握られて走るなど、子供のころ父親にやられて以来だった。白銀に引っ張られるまま、走りだした。カモフラージュの帽子が飛びそうになったので慌てて空いていたほうの手でおさえる。 戦術機がこちらを向いた。心臓が止まるかと思った。「っ! ……?」 だが、その戦術機は自分たちの存在に気づいていないかのようにまた別の方向へとその頭を向けた。そして最後に歩哨の隙をついて一気に帝都城の外へと出た。「ほらね?」 白銀がキョトンとした顔の悠陽に笑いかけた。 その笑顔。政威大将軍となった自分にこのような笑顔を向ける人物が今までいただろうか。同じ将軍家の者でさえ、自分には然とした敬意を払って、忠誠を誓っている。良くも悪くもそれは臣下のもの。このような親しきものに向ける笑顔は、すでに死んでしまった両親以外では久しぶりだった。◇ 帝都城の一角。茂みの奥に端末を片手に三角座りのふてくされた顔のアーリャがいた。 彼女が行っているのは戦術機のハッキング。本来ならデータリンクシステムに利用する回線から戦術機をジャック。衛士の網膜に映る映像をいじって数分前の映像が変わらず映るようにしている。これにより、何かが前を通っても戦術機の中の衛士にはわからない。熱源感知センサーも黙らせている。さらに帝都城各部に設置されたセンサー類、カメラ類を黙らせているのもアーリャ。世界最高峰のコンピューターである00Unitにとってこれらのことは手足を動かすかのように簡単にできる。 それらの作業を行いながらアーリャはなぜ自分が武とほかの女性のデートの手助けをしなければならないのか、考えていた。武はデートではないと言っていたが、男と女が二人きりで出かけるのはデートだと以前宗像に教えられていた。 しかも相手はあの悠陽である。悠陽といえば、未来の世界でもしょっちゅう武とお忍びデートなるものをやっていた第一級警戒人物(アーリャ脳内)ではないか。(ちなみについ最近その第一級クラスに風間と茜が上がってきた) いくら政威大将軍と言えど、そんなものロシア人で幼いアーリャには「なにそれおいしいの?」レベルである。「う~~~~~~~~~~~」 そんな不気味なうめき声が茂みから聞こえてくるのだった。◇「白銀そろそろどこへ何をしに行くのか教えてくれませんか?」 帝都を出てすぐに、外に止められていた車に乗って移動。到着したのは帝都の帝国軍基地であった。途中まで黙って白銀の後ろをついてきていた悠陽だったが、さすがに限界だ。長時間帝都城を空けるわけにもいかない。「もう少しです」 たまに通る帝国軍兵がみな白銀に対して敬礼していた。驚いたのが白銀が国連軍少佐だったということ。まさか自分と変わらぬ年齢で少佐という地位にいるのが驚きだった。本当にこの男には驚かされてばかりである。「ほら、ここです」 白銀が悠陽に案内したのは、部屋ではなく廊下だった。「ここ……?」 周りを見渡しても何か特別なものがある場所ではない。この周囲は現在使われていないらしく、人の気配もなかった。窓から見えるのは広大な演習場。そしてハンガーとおもしき建物だった。いったいこのような場所で何を……。「おそらくそろそろだと思うんですが……」 そう言って白銀は腕時計を見た。そしてその視線を窓の外に移すと、「来ました、殿下!」 そう言って指さした先。悠陽もそちらのほうを見た。そこにいたのは白い強化装備をきた数人の少女たち。ハンガーから兵舎へと続く廊下を歩いていた。表情はみな明るく軽く興奮しているようだった。 そして、その少女たちの中に彼女を見つける。「っ!」 鏡を見たかのような自分とそっくりなその少女。誰かなどと白銀に聞く必要もない。 それはこの世で唯一血を分けた双子の妹。 ――御剣冥夜がそこにいた。◇「ボク達ってこんなに強くなってたんだね~」「ホント……まさか三戦全勝してしまうなんて自分でも信じられないわ」 207分隊の面々は帝国軍との模擬戦を終えて、兵舎へと続く廊下を歩いていた。ハンガーからはかなりの距離があり、この廊下はずいぶん長くまっすぐと続いている。 その道中、話題に上がるのはやはり先ほどの模擬戦。自分たち訓練生が正規兵を破ったという快挙に全員軽く興奮していた。「これでも勝てない白銀は化けもの……」「そうですよね~。今回の模擬戦だってタケルさんがやったほうがよかったんじゃないでしょうか?」 訓練生が正規兵に勝利することに意味があるということは分かっているが、たった一機で多数の相手を撃破することのほうが相手によりインパクトを与えるように感じる。「それに今回勝てたのは私たちの技量よりXM3のおかげというのが大きいと思うわ」「だよね~。でも、それをタケルに言ったら多分……」「『いや、お前らの実力だよ』……って言う」「……タケルさん、妙なところで謙虚ですから」 そういって盛り上がる四人と少し離れた位置に冥夜はいた。なぜかこの廊下に入ってから誰かから見られているように感じるのだ。しかし前を見ても後ろを見てもこの長い廊下には現在自分たちしかいない。気のせいだろうかと視線を窓のほうへ移したら、「タケル……!」 窓から見える建物の4階の窓に武の姿が見えた。向こうもこちらを見ている。武もさきほどまでの自分たちの模擬戦を見ていたのだろうか。だとしたらその結果に満足してもらえただろうか。と、そこで武以外にもこちらを見ている人物がいるのに気づいた。帽子を目深にかぶっているため顔は見えないが、着ている軍服から女性だということが分かった。 しかし、あれは国連軍の軍服だ。自分たち以外にこの基地に国連軍のものがきていたということなのだろうか。 不思議に思っていると武の手が動いた。自分の行く先を指差す武。つられてそちらを見ると、榊たちとずいぶん距離が空いてしまっていた。慌ててそれを追いかける冥夜。 ようやく追いついて今一度窓の外を見ると、そこに武の姿はなかった。女性の姿も消えていた。「?」 いったいなんだったというのだろうか。◇「――す、すみません白銀。こんなみっともないところを見せてしまって」 そう言った悠陽は、廊下でうずくまってひそかに涙していた。この世に生を受けてすぐに離れ離れになった妹。その大きくなった姿を見て感極まったのかもしれない。 武は悠陽の隣にただ黙って座り込んでいた。窓より下の位置。外からでは見えない。「……これが、俺が今できる限界ですね」 武はハンカチを差し出しながらそう言った。ハンカチを受け取る悠陽。それをそっと目に当てる。「本当は会わせてあげたいんですけど……それにはあいつのほうがまだ覚悟できてないんですよ」 この姉妹が普通に接し合うことのできるように。それまではもう少し時間が必要だった。「いえ、十分です……」 ハンカチに顔を押し当てる。「白銀……そなたに感謝を……」 目を伏せたままの悠陽がなんとか聞き取れるくらいの小さな声でそう言った。それに武は何も答えず、ただ悠陽が泣きやむのを隣で黙って待っていた。◇「……」「……」 その廊下の曲がり角付近。二人の赤の斯衛が立ちつくしていた。二人はさきほどの出来事を一部始終見ていた。そして知った白銀の今回の目的。今、この二人の中ではどのようなことが渦巻いていることだろうか。「……あの男、悠陽様と冥夜様を……」 マナはゆっくりと口にした。これが、このような危険な橋を渡ってまであの男がやりたかったこと。 するとマヤがいきなり歩き出した。それは白銀や殿下とは別方向。彼らから遠ざかっていく。「マヤ!」 慌てて呼び止める。「殿下のことなら大丈夫よ。あの男が無事帝都城まで送り届けてくれるわ」 それはさっきまでの白銀のことを見ていたら納得できる……のだが、自分たち斯衛の者がそう簡単にあの男―――国連軍のデータベースを改ざんしてまで冥夜様に近づいた者を信用するわけには……、「信じてみてもいいかもしれないわね」 だがマヤはそう口にした。「真耶!」「あら、あなただってあの男のこと気に入ってるんじゃないの?」「なっ!?」「だって最近私に送ってくる報告書は八割方あの男のことじゃない」「そ、それはあの男が得体のしれない存在だからで、別に他意は!」 そうだ。そこに他意なんてこれっぽっちもまったく微塵も含まれていない。しかしなぜか顔を赤くしながら抗議するマナ。「それよりも午後は斯衛軍があのOSの有用性を確かめる番よ」「!」「それと……紅蓮大将と神野大将があの男に興味をもっているらしいわ」 あの二人が!「もしかすると直々に戦術機にのられることもあるかもしれないわ」 だが、あの二人とて、あの男には敵わないだろう。そう確信するマナだった。◇「……白銀」 悠陽を帝都城へ送る道中の車の中、助手席にいた悠陽が武の名前を呼んだ。「なんですか、殿下?」 武はもちろん運転席である。(ちなみにこの時代の武は無免許) 目は前に向けたまま、武は答えた。「白銀は以前、あの娘のことを‘護るべき大切な人’とそう言っていましたね……」 あの娘。もちろん冥夜のことだ。確かに以前、帝都城へ忍び込んだ時に、悠陽に冥夜との関係を尋ねられた時そう答えていた。武は、頷いて答えた。「あの娘もそなたに名前を呼ぶのを許していたのでしたね……」 信号が赤だ。ゆっくりとブレーキを踏み止まる。しかし、さきほどから悠陽が何を言いたいのか結論に至らない。いったい何を聞きたいのか。「その……」 何か言いにくそうに言い淀んだ。そして信号が青になったと同時、意を決したように言った。「白銀と冥夜は……恋人関係なのでしょうか!?」「は?」 危うくハンドル操作を誤るところだった。それだけ武にとっては突拍子もない質問。だがよくよく自分の発言を振り返ってみればそう誤解させても仕方ない要素がいくつかあったように思えた。「違いますよ、殿下」 すぐさまそれを否定。長いループの過程では彼女と恋人関係になったこともあったが、この世界では別段そのような関係ではない。 その答えを聞いた悠陽。なぜか安堵の息のようなものを吐いて、「――そうですか……それは良かった」「?……なにか言いましたか?」「い、いいえ、なんでもありません。白銀、しっかり前を向いて安全運転をお願いしますよ!」 いや、しっかり前は向いてるんですが。顔を武とは反対方向の窓に向けて、押し黙る悠陽だった。チラッと盗み見た横顔はほんの少し赤くなっていたような気がする武だった。 その後は無事悠陽を帝都城の執務室まで連れていって、特に問題も起こっていなかったようなので武は「また、来ます」という言葉を残して、帝都城を後にした。 途中まで後ろをついてきていた二人の月詠に何かを言われるかもしれないと身構えていた武だったが、なぜか彼女たちは兵舎からでていくときその姿を消していた。こちらを信用してくれたと考えていいのだろうか……?◇ ◇ ◇ さてそんな帝都から遠く離れて横浜基地。そこの地下。この横浜基地所属の軍人の大半が入ってこられない最高セキュリティーの区画の一角に夕呼はいた。その隣には霞。 二人の目の前には一人の少女がいた。 手術台のような場所から上半身だけを起こした少女。服は国連軍のもので、腰まで届きそうな長い髪をもっていた。それを首の後ろ辺りで大きなリボンで結んでいる。 年齢は18歳程。目がうつろに開いた少女に向かって夕呼は言った。「――気分はどう?‘鑑純夏’」 つづく