10月24日 自室 ≪白銀 武≫
灯りが落とされ、非常灯だけがぼんやりと部屋を照らせている中、俺は一人ベットに腰掛けていた。時間は起床時間少し手前。前の世界ならば二度寝をする時刻だろうか。
この部屋は表層とはいえ地下に位置しているため、時間を感じさせるものは持ち込んだ時計に限られてた。
霞は今日はいい含めてあるので起こしには来ない。
伝えた時はこの十数年である程度豊かになった表情で精一杯に不満を表明していたが、押し切った。今日はどうしてもこの時間を霞なしで過ごしたかったのだ。
軍服はもう身に纏っている。その他全ての準備を整え終えて、俺は一人ベットに腰かけ思考していた。
現時点で打てる俺の手は全て行ったつもりだ。
207とA-01の教導も滞り無く推移するだろう。A-01とは襲撃の件があるが、彼女たちは実戦部隊だ。多少のことでは問題なく飲み込む。
XM3は持ち込んだデータがある。ハードさえ揃えば今日明日にでも出来上がるはずだ。
鎧衣もあちらで異常が発見されていない以上、入院させておく必要もない。必要な書類を整えてさっさと退院させるつもりだ。
そして問題の帝国側との接触。
これはあちらの出方次第といったところか。米国側に変にこちらの動きを勘ぐられても困るので、副司令のつてでの動きは控えるべきであった。
そうであるので、ひとまずは月詠中尉の動向、正確にはそれに付随して動くだろう、あの帝国の狸殿の搭乗を待たねばならない。
総括して言えば自分で思いつく限りでは最善の、いや次善と呼べる程の状況であった。
しかしそれで気分が晴れることはない。それどころか暗雲とした思いは一層立ち込めてきている。
結局どのような手を使ったとしても、俺が打てる手では人類の劣勢の挽回は非常に困難なのだ。
先進技術を導入しても。
XM3が全世界の機体に搭載されても。
正確無比な未来予測を手に入れても。
それで現有の人類戦力が倍増するわけでもない。例えそうなったとしても、BETAにとってはまったくもって些事であった。
それに先に上げたことがすんなりと実行できるかも分からない。いやできないだろう。
ユーラシアという大地を失ってなお、人類は一つに纏まることができていない。それが悪いとは言わない。ただ単にそれが人類の限界なのだ。
それでもなおこの窮地を脱することを欲するなら、奇跡にでも縋るしかない。自分たちの失態は棚においてそれに頼るしかない。
だからこそ人類は、『彼女』達の起こす奇跡に頼るしかないのだ。彼女ら自身を前線に立たせなくてはいけない。
『最良の未来を掴む能力』
未だ副司令でさえ捉えきれていないものに、人類は身を預けて行かないといけないのである。しかしその能力は不確かだけれども、確かに人類を窮地から救った力だ。
前のループ時のことも考えれば、今の俺ならばそれ以上の結果は出せるだろう。しかしそれは俺の目的達成に直結するものではない。
幸運を掴み取る者の中に彼女たちがいないかもしれない。
最良の未来において彼女たちがいることなど、誰も確約してくれていない。
だからこそ俺がそれを保証しなくてはならない。
どれほどの血が流れようとも構わないとは言わない。けれども人類の勝利に必要とされない犠牲を俺は出す。
誰に言われずとも、明確な俺の意志によって。
『仲間の誰一人の犠牲なしでのBETA大戦の終結』
その目的のために、俺はこの日も生きていく。
奇跡は起こしてみせよう。彼女達だけに捧げる奇跡を。
起床を知らせるラッパが響く。
俺は立ち上がり出口の扉を開け、一人部屋に向けて敬礼をすると部屋を後にした。
同日 グラウンド ≪御剣 冥夜≫
「何をしているっ珠瀬! 列を乱すな! 団体行動なぞ、そこらの餓鬼だってできるぞ!」
中佐の怒号におされ、背後で珠瀬のペースが僅かに上がったことを感じる。
しかし呼吸が一定ではなく、ひゅうひゅうと乾いた吐息からも限界が近いことが振り返るまでもなく嫌でも分かった。
足音も不安定でなんとかようやくついてきている、という表現が相応しい。
このままではまた隊形が......
チリチリとした焦燥感を感じながらも、こちらとしても決して楽ではない現状に何も打つ手がなかった。
何もできないまま事態が悪化していくことを苦々しく思う。いつもは不快に感じない汗が、今はこの上なく私を不愉快にしていた。
汗を吸い身体に張り付いてくる上着も鬱陶しい。完全状態の歩兵装備は文字通り我々の厄介な重荷になっている。
隣を伺えば彩峰の表情も無表情を装いながらも、苦しげに歪んでいた。後ろ二人も直接は確かめていないが同じような惨状だろう。
限界は近い。もう何km走っているかも分からないほどになってきた。
空の太陽の位置がだいぶ動いたことを見れば、これまで走ったことのない距離であることだけは明らかであった。
しかし先は見えない。最初に告げられた距離からして私や彩峰で限界かどうかの長さであった。そして隊形維持の失敗による延長に次ぐ延長。
それを指示した張本人、白銀中佐は怒声を発しながら私たちを睨んでいらっしゃった。隣には神宮司教官が随伴している。
正確には中佐殿は私達を見ていない。訓練生の服装で話しかけてきた時から、あの方は一度も私達を見据えたことなどなかった。
神宮司教官からは常に感じられていた、温もりとでも表現できるものが一切ない。
先日でもそうであった。
気絶させられた私達が医務室で目覚めると、待っていたのは罵倒でも慰めの言葉でもなく、伝言を預かった神宮司教官からのお言葉であった。
『明日通常の時間通りにグラウンドに集合』
只それだけの言葉。
まだ私達の希望は閉ざされていなかった。先程はこちらを挑発するだけの虚言であったのだ。
しかしこれをどう喜べば良いのだ?
相手にされていない。決意も覚悟も矜持も努力も。あの白銀中佐はそれを歯牙にもかけていなかった。
これがそこらの正規兵に言われたのならば憤慨できた。なにくそと反骨精神を示すことさえもできたかもしれなかった。
しかし分かってしまった。武道を嗜んできた中で、圧倒的上位からこちらを捉える眼。威嚇や力の誇示などせずとも立場を示す。そんなものを中佐は持っておられた。
そしてなにより格闘戦で受けたあの拳は、中佐と私達の実力がいかに隔絶しているのかを痛いほど私に表してきた。
だからこそその様な人物からのこの評価は、心底心に響いた。自分が築き上げてきたものが全て無駄なのでは、と軽く自己嫌悪さえしてしまった。
泣くこともできず、さりとて気持ちの整理をする時間も中佐は許してくれなかった。
前回までの訓練が遊びか何かと錯覚してしまう程の訓練。中佐との出会いがある前ならばもしかしたら達成できたのかもしれない。
けれども今はできない。体力ではない。心の問題だ。
自分の無力さを痛感させられてしまった。私達の非力さを思い知らされてしまった。
救い上げてくれる人などいなく、さりとて自力で起き上がる間さえもない。
泳ぎも知らずに大海に一人、放り投げられてしまった様なものだった。
それゆえ心の平静が保てない。普段気にならないものでも心を酷くささくれ立たせた。
自分の今の現状が。
自分の後ろで喘いでいる仲間の情けなさが。
そんな当然なことがこの上なくいらつく。その実力を鍛えるために訓練を行っているのに。
他の分野では仲間は自分を圧倒できるというのに。
「くっ……」
疲れで声にもならない悪態をつく。
訓練はまだまだ続いていく。
同日 横浜基地 通路 ≪柏木 晴子≫
「恨むわ。絶対にあんた達を恨むわ」
「恨んでもいいが化けては出ないで欲しいな。その顔からすると本当に死んでしまいそうで、妙にその言葉が怖い」
「分かった。化けて出るとしたら真っ先にあんたの所にいく」
「塩をまく準備はしておこう。存分に出て構わないよ」
強化装備に身を包み、通路を歩く私達新人組の中の一人である茜は、覇気がないながらも恨み節が非常に籠った声を高原に向けている。
どうも昨夜は速瀬中尉とずいぶん熱い夜を過ごしたらしい。表情が疲れきっていた。
彼女のチャームポイントである一本の目立つ毛も、気持ちへにゃっとしている。(そこから茜の健康状態を判断するのは酷いのかもしれないが)
「まあまあ。憧れの中尉と一夜過ごせるなんて、めったにないじゃない」
「柏木。関係ない振りしているけれど、あんたも同罪なんだからね」
「はいはい」
昨日見捨てたことをよほど根に持っているようだ。まあ深刻ではないけど、おかずの一品でも進呈するのが良いかも。
それに今の茜は昨日よりは断然良い。恨みを買うぐらいどうってことがない。
「助けようとはしたんだよ、茜ちゃん。でも速瀬中尉がずんずん迫ってきて間に合わなかったというか」
「しょうがないです。あの場合は被害が拡がらない様に逃げる方が最善でした」
「麻倉、それはあんた達の最善でしょうっ。あと多恵。なんでにやにやしてるのよ」
私達の空気が昨日のものとは少し変わっていた。目に見えて分かる変化なら多恵がとても嬉しそうだ。彼女の性格的にも思い人が誰なのかも考えれば、それも道理である。
それに大小を考えないならばここにいる全員がどことなく嬉しそう。
高原の皮肉の切れも良いし、麻倉の本日の存在感もばっちりだ。かくいう私も表にするほどではないが気分が晴れやかであった。
それも当然と言える。
A-01に配属になって、尊敬すべき上官である伊隅大尉達が出てきてからも、茜はなんだかんだで今の私達の中心にいた。
別に依存とかでもなく、彼女の人間性に皆が魅かれた結果だろう。一緒に悩んで頑張って引っ張ってくれる存在。大尉達を頼りになる姉とするならば茜は頼りになる友達。
だから茜が落ち込むとなんとなく皆の気分も暗くなる。
ともすれば昨日の雰囲気を粉砕してくれた中尉には感謝してもしきれなかった。
しかもよくよく考えればあの行動も計算した動きだったのかもしれない。
なにごとも抱え込んで深く考えてしまう茜には、早瀬中尉の様に勢いある行動に巻き込んだ方が手っ取り早い。
そして中尉も普段から豪快さを発揮する人であるけれど、あれで繊細さも持ち合わせている方だ。
部下の面倒も見れなくては部隊の次席になんて座れるはずがない。
まあ本当に何も考えてなかったていうパターンもありそうだけど。
思いたまらず笑いをこぼすと、茜がむっとした顔でこちらを睨んできた。おっとまずい。私は話をずらすことにする。
「それにしても新たな上官紹介って言われたのに、強化服着てシミュレーション室に集合なんて何でだろうね」
私の疑問に一同首をひねる。
普通新隊員の紹介ならば、どのような階級や役回りだろうがブリーフィングルームで行うはずである。事実私達の時だってそうであった。
「強化服着て集合ってことは訓練すると思うんだけど」
「それは当然でしょう多恵」
ばっさりと切り捨てる高原。項垂れた多恵の代わりに麻倉が意見を述べる。
「速瀬中尉みたく血気盛んな人で。話よりもとにかく腕を見せてみろっていう人なのかも」
「それで聞いた限り男……なんだかすごい人なのかもね」
自分で相槌を打ち笑いながらも、事実ならば少し笑えないかもしれない。口には出さないが一人で十分だと私は思う。
「そうならなんだか凄くなりそうね」
皆そう思ったのか、茜の言葉に私以外がうんうんと頷いていた。
話をしていると時間の感覚も短くなるらしく、いつの間にやらシミュレータールームに着いていた。
扉が開いてみれば既に風間少尉と宗像中尉がそこで談笑している。涼宮中尉の姿がないが、管制室に光が灯っていることからして何か作業をしているようだ。
中尉達は昨日とは打って変わっていつもの様子であった。私達が外因がなければ解決できなかったことを、独力でしてしまうのはさすがは、と言えた。
隊の気風からして敬礼などは交わさないが、皆口々に中尉達に挨拶をした。
ところで速瀬中尉の姿が見られない。大尉はいつも遅れてくるからいないのも分かるが。
万が一にもありえないが深夜の茜との訓練が響いたのだろうか。
とここで宗像中尉を見ると何やら笑いを堪えている。
「お前たち。後ろを見てみろ」
『後ろ?』
一同疑問に思いながらも振り返る。
分かりやすいぐらいに青筋を浮かべた速瀬中尉が立っていた。
声こそ出ないが私を除いた皆が『げえっ』と表現するに相応しい、顔をしている。
「茜、多恵、高原、麻倉。あんたたちの私の評価が、よーっく分かったわ」
一人胸を撫で下ろした。不用意にあそこで頷かなかったことが明暗を分けた形であった。
手をわきわきとしながら近寄ってくる中尉に後ずさる私以外の皆。
手を合わさずにはいられない様な惨状が繰り広げられるだろう中、それを救ったのは(多少意味が違うのだろうが)我らが部隊長、伊隅大尉であった。
大尉が入室してきて慌てて一同整列する。ゴングに救われた様相になり、新人の皆は幸運に感謝していた。
これが終わってからはどうなるかは知らないけど
「敬礼っ」
速瀬中尉の言葉とともに私達は敬礼をする。大尉も軽く返す。
ふと違和感に気が付く。大尉の様子が昨日から変わっていない。
宗像中尉達が立ち直っているのに、私達のトップに位置する大尉だけがその状態であるのは少し、いやとてもおかしなことだった。
全員がそれを感じ取っているのか、ぎくしゃくした空気が流れる。そんな中、問題の大尉は話を切り出した。
「総員、何も聞かずにシミュレーターに乗り込め」
「でも大尉。新しい隊員は……」
「すまん。何も聞かずに早く乗り込んでくれ」
速瀬中尉の質問に、堪え難きに堪えっといった表情を浮かべる大尉。怒号ではないが鬼気迫るものを私含め一同感じ、全員が疑問に思いながらも従った。
搭乗し、一体何が起こるのだろうと考えると、直にシミュレーターが起動する。おそらくは事前に準備(涼宮中尉がしたのだろう)していたらしい。
全員が乗り込んだことが確認されると、網膜投影装置から今回の演習状況が知らされる。
そしてたまらず唾をのんだ。
確認はできないが他の皆もしたと思う。
場所も状況も装備も。全てが一緒だった。いや相対する相手だけが違う。
そう網膜に投影されていたのはこの前の基地襲撃とまったく同じ状況。そして陽炎から不知火に変わった敵機だった。
話を続けていくと、なんか矛盾ができていないかびくびくする。
癒しが霞から旧207組になんか移動。次回は戻します。そして話的に寄り道します。