10月23日 執務室 <<香月 夕呼>>
正直に言おう。私は浮かれていた。
理論が完成しているにも関わらず計画は遅々として進まず、何も知らない外野からの圧力に辟易としていたなかで『白銀 武』という存在の出現は、降ってわいた幸運であった。
白銀が携えてきたとするものは、私の今の現状を瞬時にひっくり返すものだった。
正解とされる数式。
十数年後の技術。
卓越した戦術機操作。
どれをとっても今の私にとっては、喉から手が出るほどに欲するものだった。
だからこそ私は、証拠を示し有用性を証明したあの男を手放しで迎え入れることを決めたのだ。
例えその目的に若干の違和感を感じながらも、それを大したものではないと断じたのだ。それどころか白銀 武の身を案じてさえやった。
霞の件もそこまで深刻に考えていなかった。鑑 純夏 に入れ込んでいたあの子が、その男である白銀 武に絆されたぐらいだと思っていた。
しかしその判断は一日を経たずして誤りであったと判明する。
まず白銀が引き渡した機体を精査した整備班から悲鳴さながらの報告が飛び込んできた。いつにおいても冷静さを欠いたことのない連中が、発狂したといっても良い勢いで。
正式な書類なのだからそのような記述は許されないにも関わらず、整備班の連中はそれを差し出してきた。
報告書の最初には、整備員達の気持ちを吐露するように汚い字で一言殴り書かれていた。
『狂ってやがる』
提出された資料を眺めて私も目を剥いた。それは感嘆などとは程遠く、そう、はっきりと表現するなら戦慄だ。
なるほど、確かに第五世代を謳うだけの先進技術が所々に垣間見えていた。材質やCPUなどの、戦術機の根幹を成す基礎技術などにそれが顕著に現れていた。
だが注目するべきなのはそこではない。
目を向けるべきは何を目的としてこの機体が作られたかということ。それこそが整備班をして狂気の産物であると呼ばせたのだ。
狂っていた。戦術機の概念から大きく逸れたそれ。とてもではないが搭乗しようとは思えないもの。
そしてそれがこの横浜基地に運び込まれたことの意味を私は察する。油断をしていたという気持ちが沸き上がった。
思わず唾を飲んだ。いや喉が乾ききっていたので、実際にはただ喉を鳴らしただけであった。
手元にあった珈琲を口に含むことさえも忘れて端末に、ある記憶媒体を読みこませる。それは機体のコクピット部に置き去りにされていたものだった。
こちらが苛つくほどにゆっくりとプロテクトが解除されていく。
危機感が私の心を急かす。喉元に刃を突きつけられたかもしれない状況下、それが真実であるかを確認する必要があった。
だから私は焦っていた。冷静さを欠いていた。
扉が突然開き霞が入ってきた時も、小さくも聡い少女に意見を仰ごうとしてしまった。落ち着いて考えてみれば直に分かることだったのに。
霞が本当に『霞』であったのなら、あんな機体やそれを持ち込もうとする男などに協力するわけないのだと。
白銀 武以外の不純物を他世界に飛ばすことができるのなら、他の人間さえもそれが可能であるはずなのだと。
それを『社 霞』の瞳が、表情が雄弁に私に語っていた。
事態は私が考えている通りに、いやそれ以上になっていたのだ。
背もたれに身を預ける。罵声こそ自制心で何とか抑えたが、呻き声は口から発せられていた。
ぐるぐると意味もない思考に身を埋めていきそうになる。しかし忌まわしいことにこんな時でも理性は頭を冷静にさせた。
霞の死を横に置き、今はこの女と白銀 武のこれからの展望を聞かなくてはならなかった。
しかし彼女は部屋に足を踏み入れたきり何も話さない。お互いに口を閉ざしたまま、執務机を挟んで対峙していた。
途中ピアティフからの通信が入ったが、無下に追い払った。どう言って通信を切ったのかは覚えていない。
今の私が意識を向けているのは目の前の『社 霞』
罪悪感を決意で隠し、明確な意志を持ってここに立つ女性であった。
そして嬉しくも忌々しいことに、そこに立つ人物は社 霞であった。
成長し、一人の女として私と向かい合っている人であった。
そんな彼女に向けて何といえばいいのだ?
責められるわけがない。こんなことができる人物は、私以外にありえないのだから。それを棚に上げて弾劾するなど恥知らずだ。
祝福なんてできない。彼女は社 霞を殺したのだから。
言う言葉が見つからない。詰問も罵倒も私の口からは紡げない。
「拳銃を。懐の拳銃をお使いになるのでしたら、それは正しいことでしょう」
それが理解できるからこそ彼女から告げてくる。
「けれども私は死ぬ気はありません。抜いたのなら全力で身を守らせて頂きます」
許す必要などないのだと、しかしそれでも断罪を受ける気はないのだと伝えてくる。
「私はこれから計画の利になることもあれば害になることもあります。しかし貴方の心に添うことは恐らくないでしょう」
はっきりとした決別の言葉。敵とも娘ともとれる彼女からの言葉は、私にとって挑戦状とも娘の巣立ちを知らせるものともとれた。
もう一度まじまじと『社 霞』の顔を覗きこむ。凛々しく覚悟を決めている表情だ。
おそらくはここから『社 霞』との新たな結びつきが始まるのだろう。ならば不要な言葉を言ってはならない。悪意も恨み言も全て意味が無い。
「そう」
ゆっくりと、ただその意を肯定するためだけに首肯する。
許しはしない。されど責めはしない。これからのために必要なことをただ行う。
たったそれだけの行為が酷く苦痛だった。合理的な判断がこれ程つらいものであると感じたのはこれが初めてだろう。
だが彼女はそれで終わりにしなかった。すっと頭を下げてくる。
「ありがとうございます。貴方が私を『社 霞』にしてくれた。貴方は私『達』にとっての母親でありました」
ああ、これは。卑怯だ。ここにきて社 霞を感じさせるその言葉は。新たに『社 霞』としての関係を構築しようとする中で蒸し返そうとする行為は。
責めることも迎え入れることもできない私はどうすることもできないのに。
「ずるいわね......その言葉」
だから弱々しく笑うことが今の私にできることであった。
ここで卓上の端末が記憶媒体の解凍を終了したことを知らせてくる。
それには目を向けずに私は彼女に質問を投げかける。無粋な問いであるだろうが、今の様な発言をしたのだ。見返りとして求めても良いだろう。
「ねえ」
「はい」
「貴方の目的聞かせなさいよ」
そこで彼女は黙りこんだ。そして少しだけ背後に気を向けているようであった。端から見れば誤魔化していると思われる行為だが、彼女の能力が近寄る人物を感知しているのだろう。
無許可でこの部屋に入室できる者で、今彼女が振り返る人物など一人しかいない。
その間に私はさっと表示されていた情報に目を通す。やはりという確信と、それでも少々の驚きを禁じ得ない代物がそこにある。
そして目の前の扉が開くとともに、酷く息切れと汗を流した白銀 武が飛び込んできた。
「男ですよ。香月博士」
あらあら、妬ましいわね。冗談半分に思う。
笑顔は自然と浮かぶ。お偉方の老人達と渡り合うための演技のものではなく心から出たものだ。
無論それは好意的なものではない。他者が見ればさぞかし獰猛に映っているだろう。
端末の電源を切る。それまで映っていた、『他世界における第四計画の成果と詳細』はたちまち黒画面に変わった。
私がするべきことはもう終わったのだろう。この男が本当に昨夜言ったことが行動理念の全てだったとしても、最良の未来は約束されているはずだ。私が何もしなくても恐らくは問題ない。
しかし全てを投げ出してはいけない。第一私自身がそれを許容できない。私がこの男を招き入れたのだ。
白銀に最大限協力してやろう。
あの画期的なOSのXM3も一刻も早く完成させてやろう。
私にはこの男を見届ける義務がある。自己の目的のために結果的に人類を救うだろうこの『英雄』を。社 霞を殺したこの憎き男を。
だからこれからも私の行動は変わらない。文句も罵声も死ぬ間際にでも吐けば良い。
「颯爽とヒロインのピンチに登場するなんて、流石は奇跡を起こそうとする英雄ってところね」
それに対して白銀は軽く息を整えて返答する。
「お褒め頂き光栄です。けれども俺が起こそうとしている奇跡は随分と歪ですがね」
そう、と適当に相槌を打つ。今はこんな社交辞令の応酬なぞいらない。
「調度良いから聞かせてもらおうかしら。あんな機体を持ち込んだ理由と、これからのあんたの予定を」
長い話になりそうだ。
10月23日 PX <<涼宮 茜>>
どうしようこの状況。いやどうにもならないのは分かっているんだけど。
行儀が悪いとは思いつつも机に頭から突っ伏している。疲れているから正直力を抜いたこの体勢は気持ちが良いのだ。
夕食を終え、いつもならば眠気も少々、といったところだが今はそんな気分などではない。
同席している旧207の皆も程度こそあれ疲労していた。時々隣にいる多恵から
『ああっ! 茜ちゃんっ。そんな格好行儀が悪いよ。でも疲れた顔で項垂れる茜ちゃんの顔も......』
とか聞こえてくるが、おそらくはそれも疲れから来ているものだろう。いやそうであって欲しい。でないと困る。
どんよりとした中で、柏木だけが飄々と一人合成玉露を飲んでいる。いつ何時でも自分のペースを失わないのが彼女の良い所だ。
皮肉屋の高原も今はゲンナリとした顔で頬杖をついている。一言言う元気もないのだろうか。あっ......麻倉ごめん。居ることに気が付かなかった。
「何か酷いことを思われた気がする」
「気にするな麻倉。茜が変な妄想の世界に浸っているだけさ」
失礼な、高原。その緑髪を揺らしながらこちらを蔑む眼でこちらを見ないでよ。
兎に角も今の部隊の雰囲気の悪さには辟易していた。
先日の横浜基地襲撃事件。一機の陽炎に対して、イーグル四機と私達不知火九機の大捕物。それで私達は結構洒落にならない失態を犯している。
第二世代機、しかも単機に良いように振り回されこちらの損害は、速瀬中尉の不知火が中破。さらに隊長の伊隅大尉が人質にまで囚われた。
それが部隊に与えた影響は無視できない程で、中破され息巻く速瀬中尉はもちろんなんだけれども、宗像中尉さえも眉間に皺が寄って近寄りがたい感じだった。
そんな中でも全く変わらない風間少尉とお姉ちゃん、は傑物なのかそれ以外の何かなのかは分からない。
そしてあの襲撃は一体何だったのかもまったく明かされないため、不満がたまるたまる。
それを抑える伊隅大尉もなんだか今日は疲労困憊の体で
『なぜ、私が.......一応大尉なんだぞ』
とか呟いてたし。
そんな中、新入りである私達が元気でいろというのも無理があることで。
先日の襲撃事件の時の自分の不甲斐なさを悔いるなりして、今の旧207組は意気消沈としていた。
「はあー」
意味もなく溜息を吐く。
溜息をすると幸運が逃げるというがそれは嘘だろう。幸運じゃないから溜息が出るわけで。
そんな私を見かねたのか柏木が茶を啜りながらも私に声をかける。
「茜は少し責任感がありすぎるんだよ。肩の力をさ、少しは抜いた方がいいよ」
「そうそう。そんな顔をしていると結構整った顔が、少々整った顔になってしまう」
言っていることは良くわかるけど、どうしてもあの時もっと上手くできたのではないかと思ってしまうのだ。自意識過剰かもしれないけれども。
「茜ちゃん。私達三人に先輩たちもついてるんだから」
「私もですけど......」
周りの皆が口々に慰めてくれている。皆それぞれ思うところがある筈なんだけれども、そう言葉をかけてくれるのは、今の私はよっぽど気落ちしているのだろうか。
視線を机に落とす。
正直まだ胸のつっかえがとれたわけではないけれども、いつまでもうじうじとして皆の迷惑になるのは良くない。
無理にでも明るく振る舞うべきだろう。そうと決めればこうやって俯いていても仕様がない。顔を上げ皆の顔を見ようとする。
「そうね。みんな、ごめ......」
「いいところにいたわねぇ。茜」
突然の地獄から響いてきた怨嗟の様に低い声。こんな声を出せる人物なんて、知り合いには一人しかいない。それは尊敬する人物で、今もっとも近寄りたくない、
「速瀬中尉っ!」
振り返れば我らが突撃前衛 、速瀬中尉がそこにいた。にんまりと笑う顔は女性的なものではなく、訓練で私達を追い掛け回すときに浮かべるもの。
私が目指している目標である人で、お酒にはちょっぴりどころか結構弱い人。そして昨日の事件には一番に怒鳴り散らしていた方。
そんな人が今私に声をかけるとすれば目的なんてのは一つしかないわけで。
「これからシミュレーションに乗るからあんたも付き合いなさい」
「いやっ、夜間の使用許可は」
「もちろんとってあるに決まっているじゃない」
いくら尊敬している人物からのお誘いだからといっても断りたい。訓練は明日だってあるのだ。疲労困憊している身としては、早くベットにダイブしたいのだ。
だから身代わりを。できなくても道連れをと思い仲間を引きこもうと画策する。振り返り
「私ではなくても他のみんなならっ」
誰もいない。
綺麗に玉露さえも片付けられている。
ああ、神よ。仲間よ。私を見捨てましたか。
今夜は長くなりそうだった。
あとがき
あれっ。私の日常会話の書き方下手すぎっ(驚愕)
巫山戯てすいません。
ちなみに某所でさらし、アドバイス通りにもう少し先をしっかりと検討しました。結果はどうしようもないです。エターになってたまるかと思うぐらいしか対処法が......