10月23日 横浜基地 PX 《神宮司 まりも》
「始めましてだな。神宮司軍曹」
なんなんだこの人はっ。
支給する装備一式を持ち、中佐を探しているところである知らせを受けた。207の連中がPXでなにやら不穏な雰囲気をかもしているとか。急行してみれば探していた人物もそこにいた。しかもご丁寧に榊の腕を掴んでいるあたり、騒ぎの原因でもあるみたいだ。
こちらの懸念を予想通りに、いやそれ以上の結果をたたき出すのはある意味夕呼が推薦した人材らしい。もちろん肯定的な意味合いではないのが悲しいところだが。
「はっ。中佐が本日から教導なさる207訓練部隊の教官を務めている神宮司 まりも軍曹であります。白銀中佐......このような場所で何をしておいででしょうか」
「いやなに。国連軍基地に女学生が紛れ込んでいたのでエスコートをな。しかし、そいつらが実は俺が教導する訓練生というのだから笑えない」
笑えないのはこちらだ。
榊らなど血が上り蒸気さえでそうなほど赤く染まった顔が、私の発言で一気に青ざめてしまっている。服装からして、訓練生と身分を詐称し彼女らを挑発したのだろうが、やられた方はたまったものではない。
中佐と訓練生など比べるのもおこがましいほどの差だ。それを殴ろうとしたなど......卒倒しないだけましだろうか。
そんな思考を巡らせていると、中佐は話を進めていく。
「榊分隊長」
「は、はいっ!」
「30分以内に小隊の準備を整えグラウンドに集合。復唱」
短いが有無を言わさぬ命令。自然と相手の背筋を伸ばさせる声だ。動転していた207小隊は無論、つい教官である私も命令を受領する態勢になってしまう。
「はっ、あのそれは......」
「俺は復唱しろと言った」
「は、はっ! 207小隊、30分以内に準備を整えグラウンドに集合します!」
「よろしい。解散しろ」
蜘蛛の子を散らす様に207小隊がPXを出て行った。
時間的余裕があるのだから急ぐ必要は無いが、気の動揺と中佐の声色から教え子達の動きは機敏であった。
今度は何をする気なのか。
「中佐っ。一体今度はなんですか」
「軍曹。貴様の手に持っているのは俺の装備だろう? 一度俺の部屋まで来い。話は歩きながらしよう」
すると中佐は席を立ち、とっととPXの出口に向かい始めた。こちらを見向きもせず進んでいく。
いつのまにか周りで見ていた基地要員は、たちまち中佐に道を空けていた。触らぬ神にたたりなしといったところか。正直私も例に習いたいところだがもちろん不可能。直ちに中佐の後を追う。
そして歩き出す中、背筋に冷たい汗が流れていくのを感じた。
この中佐の評価を改めなければなるまい。彼は決して技術士官などではない。
一連の彼の言動は傲慢ともとれるが、経験に裏打ちされたものだ。
端的に言えば古参兵のそれ。背中を見る者に安堵を与えるもの。けれどもただの20にも満たない若造が持っているはずがないものだ。
そしてそれは私に深い懸念を生み出す。最初は夕呼関連で、どこぞの技術者が兵器や技術の実証に乗り出したものと高を括っていた。だが実際蓋を開けてみればまったく違った。
技術士官ではなく歴戦の兵。教官職に就いた者ならともかく、階級を保ったままの教導など尋常ではない。今の人類には中佐に上り詰めるほどの現役の衛士を、普通の訓練生に割り当てるほどの余力は存在していなかった。
最早先ほどの行動の真意を問いただすことで終わる事態ではない。教え子たちが、前途ある彼女たちが何かに巻き込まれようとしている。
「中佐。ご説明下さいっ! なにをなさるおつもりですか」
追いつき、白銀中佐に並列した。中佐はこちらを見向きもせず歩き続けている。
一介の軍曹ごときが中佐に噛み付くことなど言語道断なことだが、彼女らの未来がかかっているのだ。ここで退くわけにはいかない。
「中佐...」
「軍曹。この戦局はあと何年保てると思う?」
「は?」
疑問符が浮かぶが中佐はそれを意に介さず続ける。
「敵の物量は尽きず戦線は上げられない。それどころか、こちらは女子供まで動員してやっと現状を確保している状態だ」
「......」
「真綿で首を絞められるどころかナイフで肉を削ぎ落とされているような中、戦局を打開するために打開策を講じなければならない」
「......それと、彼女達に何の関係があるのですか」
誤魔化すつもりですか、とは言えなかった。なぜなら横から視界に入った中佐の顔は至極真面目なものであったし、こちらをからかおうとするものではなかった。
「副司令お抱えの中佐が訓練生の面倒を見る。状況からすぐに察せると思うがな、軍曹」
中佐の言葉で予測が確証に変わった。
拳を血が通わないほど握り締めてしまう。
夕呼......
親友の行為は詳細は分からなくとも察することができた。
彼女の飄々とした笑顔からも重圧に耐える様子は垣間見えていた。力になってあげたい、これは私の偽らざる気持ちだ。そして軍属である以上、命を惜しむわけにもいかない。
だが......だが今の教え子達を差し出すことは躊躇われた。
訓練生とはいえ彼女達も私と同様の立場に存在しているのだと言われればその通りだ。
207のもう一方の片割れ、柏木や涼宮達の所属が判明していない以上、彼女達が何らかの形で夕呼の計画に参与していることも分かっている。
それでも私は彼女達をこの中佐、いや夕呼に任せたくは無かった。
今の彼女達には何も無い。
命を懸けてでも守りたい仲間や大切なものが無かった。
代わりにあったのは理念や理想だけ。
祖国や人類を守りたい。それを笑うつもりなど毛頭無い。それは尊い考えだ。けれどそれだけしかない彼女らはあまりにも鋭く、そして脆すぎる。
教え子達はこのままでは絶対に生き急いでしまう。一衛士の費用対効果としては十分な結果は残すだろう、彼女達は優秀だから。
それは、とても許せることではない。
「なぜ......なぜ彼女達なのですか」
これは愚痴に過ぎない。軍において命令に『なぜ』と聞くほど愚かなことはない。あえて言うならば必要だからだ。
だからこの時中佐は私の問いを適当にあしらうか、『need to know』だとして叱責してくるかのどちらかだと思っていた。なんにせよまともな応対はないと考えていた。
しかし彼は足を止め、つられて止まった私の顔を見つめきた。表情は完璧に無表情であった。
「なぜ、なぜか。あえて言うなら選択肢が無いがふさわしいな」
「......」
「時間的余裕が、物資や人員の余裕があと少しでもあればなんとかなった。一年、いやあと半年でもあれば彼女達を使う破目にもならなかった。しかし、無い以上は使うしかない」
ああ、この中佐は。
この人物の性格の一端を理解できたような気がする。
この人は本質的には私の親友と同質なのだ。自分の目指すもののためにどのような犠牲も厭わず、己の行為の弁明を一切することが無い人。
「だがな」
そこでほんの少し、そう同じような人間を親友に持っていた私がかろうじて分かる程度の綻びが一瞬できる。そこから見えたのは形容しがたい激情。それに触れた瞬間、私の思考は止まってしまった。
ここまでの誰かの感情を感じたのは初めてだった。
「俺はあいつらを死なせる気は微塵も無い。その意味では軍曹の心配は杞憂だろうよ」
すると中佐は私が手に持っていた装備を取り、添付してあった書類にサインをする。そして私に書類を渡すと私をおいてどこかに行ってしまった。
私は呆然としてそこに立ち尽くしていた。 呼び止めなければならないと分かっていたけれども、なぜだかできなかった。
10月23日 横浜基地 グラウンド 《榊 千鶴》
私達分隊は何も言葉を発せずに整列していた。
普段なら雑談の一つでも起きるはずなのだが、やはりあの男......いや白銀中佐の一件が響いていた。私としても話す気など起きなかったのでありがたかった。
ふと皆の身体が強張っていることに気付く。そして直にその原因も分かった。白銀中佐だ。中佐の格好は通常の軍服ではなく、私達と同様に動きやすい格好をしていた。
手にはクリアケースを所持している。何かの書類が入っていた。
「分隊、敬礼っ!」
「良い。下げろ」
私達の目の前に中佐が立つ。
中佐の人柄は、教官が来てから一変していた。いや、素に戻したというのが正しいのだろう。
新品の装備品やその柔らかい顔立ちから、軍人というよりは軍服を着た民間人という風情に見えるはずなのだが、目の前の男は私が何度か目にした古参の軍人と遜色がなかった。
しかし雰囲気が変わったものの変わらないものもあった。それは中佐がこちらを見る目だ。嘲笑していた。お前達は取るに足らない存在だと罵倒していた。
悔しく歯軋りをするが相手は上官である。逆らうことなどできない。
御剣と彩峰も同じ気持ちなのだろう。黙ってはいるが中佐を睨んでいた。珠瀬は非難する様な感じだが明確な敵意は示していない。
「さて貴様達の今後について話そう」
中佐は私達の態度など意に介さずに話を切り出す。そしてさきほどのケースから書類を取り出した。枚数は全部で4枚だ。中佐は字面を私たちに見えるように突き出した。
何の書類?
目を細めて確認し
『それ』の正体を理解した瞬間、理性がとびかけた。
「除隊届けだ。本来こんなもので軍を抜けられることなどできないのだが、貴様達は運が良い。徴兵免除対象のお前達ならこれで大丈夫だ」
何を、言っているのだこの男は。
「残念ながら今の軍は女学生を養う余裕はない。各々自分の家で面倒をみてもらうといい」
「ふざけっ」
瞬間。鈍い音がした。それと同時に何かが倒れる音も。それは反論を言おうとした彩峰のいるところから聞こえ、少し経って中佐が殴ったのだと気付いた。
目を向ければ殴られた彩峰も事態の把握に時間がかかっているようだった。
「俺は軍人でね。女学生の話す高貴なお言葉は理解できないのだよ。できれば学のない俺に分かる様な話し方で話してくれると嬉しい」
中佐は何でもなかったかのように殴った手を数度振って引っ込める。
皆が息を呑み押し黙った。怒りと悔しさでおかしくなりそうだった。意味もなく叫んで目の前の男に飛び掛りたかった。
それでも心の冷静な所はなんとかしなければと叫んでいた。だが私が動く前に御剣が先に行動する。
「中佐......発言をよろしいでしょうか」
「いいだろう御剣、許可する」
「私達の、私達の何をもってその様に断ずるのですかっ」
何とか表面上だけを取り繕った言葉であった。その下には業火と表現するに相応しいうねりがある。
「何だ貴様らは理解できないと?」
だがそれでも中佐にはどこ吹く風だ。
これは重症だな、と中佐は溜息をつく。しばし考えるような仕草をすると、中佐はこちらに向かって言い放った。
「分かった。それでは理解させるついでにチャンスをやろう」
ケースを少し離れた地面に置き、両腕を広げて私達に対峙する。
「貴様ら4人と俺で格闘戦といこうじゃないか。時間は無制限。勝敗はそうだな、どちらが『まいった』と言うかにしようか。腑抜けた貴様らだ。こちらの方が早いだろう。ほら、いつでも良いぞ」
ここにきて私は、完全に自分の理性を失ってしまった。上官がどうとか規律がなんだとかを忘れてしまう。ただ目の前の男を沈める。頭の中はそれだけで満たされていた。
だから躊躇ったとかではなく、彩峰が先に飛び出したのは単純な瞬発力の差だった。
「......潰すっ!」
見切れるかギリギリの右ストレートを彩峰は繰り出す。万が一避けれたとしても、そこから相手を掴み投げ技へ移る彼女の技はこの男を捕らえるものだと確信していた。
けれどもそんな予測図は容易く打ち崩される。
気軽ともいえる動作で右へずれ中佐は彩峰の胴体へ右の拳を叩き込んだ。ただそれだけの単純な、いやそれだけに、究極まで研磨されたそれで彩峰は沈み込む。
中佐へ突撃するなかで呆然としてしまう。
あの彩峰が。独断専行をし部隊内の指揮をいつも掻き乱しながらも、私が接近戦では敵わないと認めた相手がいとも容易く倒された。それは私の自信も粉砕されるに足るものであった。
そして
「だから女学生だというのだ」
彩峰を負かした中佐にとっては絶望的というに相応しい隙を生み出してしまっていた。彩峰と同様の一撃が私の腹にめりこんだ。内臓が軋むほどの一撃に膝をつき倒れる。胃から何か逆流する感覚が気持ち悪かった。
掠れる視界で中佐と御剣が交戦しているのが見える。彼女が抜かれればもう最後だろう。後ろには珠瀬しかいない。珠瀬が中佐に勝てるなど到底思えなかった。
立ち上がりたかったができなかった。それどころか段々視界がぼやけていく。動きたくて、なんとかしたくて、この理不尽な人を叩きのめしたかったけれども身体がそれを許さない。悔しいのに、嫌なのにどうすることもできなかった。
視界と連動するように不明瞭になっていく思考の中、この感情が『絶望』なのだと気付いて私は失神した。
あとがき
読み返してもう少し描写を増やしてみようと頑張り、なぜこの楽しくもない欝回にそんなことをしたのかと反省しております。丁寧に丁寧に書こうとすると時間かかりますね。今回の書き方はどうでしょうか。ご意見をいただきたいです。
今回は暗めな話。早く癒し(黒霞)を投入したい。