『こちらヴァルキリー1より各機へ。これより特別カルキュラムを実施する。内容説明はヴァルキリーマムの通達があるまで待て。……すまない。皆』
A-01の皆、特に新人隊員は把握できない状況に混乱を隠し切れないでいた。何の説明も無しに乗り込めばあの襲撃を彷彿させる様な空間。
紹介されるとする士官の姿もない。唯一可能性があるのならば、あの不知火に乗り込んでいる衛士だが、先程から何ら通信も動きもなかった。
そして苦々しくも申し訳なさそうな上官。何が起きているのかは古参である宗像や風間にも把握できていない。
しかしそんな中である一人の女性は例外であった。いや驚愕はあるのだろうが彼女の心を占めているのは全く別のことである。
青髪の女性、速瀬 水月の身体は小刻みに震えていた。
網膜に映し出されていく光景を眺めながら、彼女の頬が吊り上っていく。
投影された光景は普段の市街地ではなく、開けた滑走路。訓練等で使う特徴が排された場所ではない。見慣れた、彼女達の駐留する基地のそれだ。
そして機能停止しながらも生命反応がある味方機が点々と数機、散りばめられたかのように点在していた。
さらにふてぶてしくこちらに向かい立っている不知火が一機。
考えるまでもない。基地襲撃事件と全く同じ状況がそこにあった。味方機の数も装備も全てが同様。違うのは相手が陽炎から不知火に変わっただけ。
そう、それだけしか変わりがない。搭乗者も同じ。
間違いない。あいつだ。
瞬間的に彼女は理解した。
戦術機は思考制御が介在する兵器であるので、一挙一動、唯歩行するだけでも僅かな癖が生じる。
一度しか見えていないが、脳裏に焼き付けられていたその動きが敵の判別を可能とさせた。
何故ここにいるのかは分からない。どうしてこうやって訓練に参加しているのかも考えつかなかった。案外襲撃自体が茶番だったのかもしれない。
けれども今はそんなことは彼女には関係なかった。汚名を雪ぐ。これができることが分かっただけで十分であった。
速瀬 水月は思い出す。
大尉のコクピットに短刀が向けられた時は、思わずぞっとしてしまった。何度も経験していたはずである、仲間を失う恐怖をまざまざとあのとき味わったのだ。
新兵がする様に、息を荒くし身を強張らせてしまった。
それは彼女が敬愛する大尉の危機であったからこそなのかもしれないが、それが主たる理由ではないと彼女は断じていた。
原因は慢心だ。そしてそれによって引き起こされた恐怖と、圧倒的な後悔。彼女が初陣の時に感じたものであった。
かつての彼女は自分の力に過信してしまっていた。仲間の雄姿に安堵し、根拠も無い自信に満ち溢れていた。
これならば負けるはずがない。例えどのような戦いに身を投じようとも、絶対に生還できると信じていた。
無論それが裏打ちされていないものである以上、引き起こされた事態は悲惨としか言えないものであった。
結果は語るまでもない。同期が死にかけ先任達が彼女たちの代わりに死んだ。あれほど逞しく思えた上官たちがあっけなく逝った。
そして彼女を立ち直らせたのは自身ではなく仲間と先任達。
無様。彼女の衛士としての始まりは無惨極まりないものであった。しかしそれが今の彼女を形作ってもいる。
彼女は何時も突き進む。後ろは向かず辛いのならば歯を食いしばってでも止まらない。努力し研磨し修練し続ける。
仲間の死は残念ながら彼女の手では止めきれなかった。だからこそ誠実に、朋友達の死を無駄にしない様に戦った。それはA-01の副隊長になっても変わらない。
それ故、慢心しあまつさえ大尉を殺しかけたあの時の自分を、彼女は許せなかったのだ。
勿論何時までも引きずることを彼女はしない。それさえも糧に彼女は歩み続ける。自省と後悔は全くの別物だ。
なればこそ、進む道の目の前にかつての不甲斐なさを挽回する機会ができたことに、歓喜の念を覚えるのだ。
自然それを表現する様に彼女の表情は笑みが広がっている。理解の浅い者が評するのならば、通常の野性味溢れる顔と言うだろうが違う。
一本の芯が入り、蒼い瞳には強い意志が湛えられていた。さらに彼女の髪と眼の色により、動のなかにも静の雰囲気が醸し出されている。
「こんどは油断しないわ」
自身の感情を抑えながら、彼女の口から言葉が絞り出された。
強化服越しの通信で聞こえてきた声に、先程まで難しい顔をした伊隅大尉を含めて一同苦笑する。
新人達は何時ものことかという思いであり、それ以外の彼女の事情を知る者は表情に深いものも混じっている。何にせよ部隊内全ての人間の硬さがとれていた。
そうだ何も難しく考える必要は無い。目の前に雪辱を果たす機会が広がっている。衛士にとってそれ程僥倖なことは無いだろう。
速瀬の戦士としての姿勢が仲間達の混乱を解いていった。
軽口の一つでも出そうな程にまでなると、それを待っていたかのように通信による音声が彼女達の耳に届く。
そして彼女等の網膜に見慣れた女性が映し出される。
『ヴァルキリーマムから各機へ、状況説明を開始します』
先程から管制室の中で待機していた涼宮中尉だ。声は凛とし、顔も引き締まっている。管制官を務めるときにいつも浮かべる表情であった。
それは訓練においても例外ではなく、努めて冷静に役目を果たそうとしていた。
『勝利条件は敵勢力の沈黙。しかし衛士殺傷は不可。並びに友軍施設内での戦闘であることを考慮し、火砲は36mmまでとします』
ますますもってあの事件と状況が酷似していく。無論訓練である以上、涼宮中尉は敗北条件も付け加える。
『敗北条件は友軍施設の50%以上の破壊、又は友軍の50%の撃破、もしくはヴァルキリー1の撃破となります』
一機に対しては過分とも言える条件を笑う者はいなかった。辛酸を舐めている彼女等にはそんなことをする気も余裕もない。
集合前の疑問も相対する衛士の素性も忘れ、唯不知火を駆る戦女神として集中する。
『それではカウント30より始めます。…….20…….10……..状況開始!』
瞬間、相対する不知火が跳ねた。
跳躍した後に先程までいた地面が36mm弾で穿かれていくのを、白銀 武はGに耐えながら視認する。何発かは構えている追加装甲に着弾していた。
数は力だ。例え第三世代の機体であろうとも、真正面からの砲撃は避けきれない。それでも陽炎よりは断然に受ける数が違う。
A-01の機体も追随してきた。隊形は楔参型。正面攻撃力と側面防御の両立する、攻守に優れた陣形であった。
「やはり陽炎より不知火の方が性に合うな」
握るレバーを眺めながら白銀 武は独りごちる。
改修機と違い、最初から帝国の設計思想に沿う様に造られた機体である不知火は、第三世代機であること抜きにしても陽炎より扱いやすい。
それに、この機体には思い入れもある。前の世界でも通常型の戦術機に乗る機会がある時は、多少型落ちしていても不知火系列の機体を選んでいた。
濃密な、されどこちらを狙えきれない弾幕を不規則な軌道と追加装甲で防ぐ。
装甲はコクピット部を相手が狙えないことを良いことに、脚部の跳躍ユニットを重点的に守る様に配置している。
空いた右手で突撃砲の斉射を行うもあちら側も装甲で弾いた。そもそも照準を正確にする余裕がないので、一機当たりの弾幕数自体が少なかった。牽制にもならない。
残弾数が凄まじいまでに減っていく。
どちらも有効打が打てない様に見えるが、不利であるのは白銀側であった。
飛行中でしかも変則軌道をとる白銀機が補助腕による給弾はできない。最新技術の結晶たる第三世代機の自動補給も、流石に戦闘軌道には対応できていない。
対してあちらは補給せずともこちらの九倍の弾が撃てる。後は此方が武器弾薬の補充をさせない様に射撃を続ければ完封だ。
作戦も何もない唯数で押し切るという戦術であったが、だからこそ効果的ではあった。
前回の勝ちは突撃砲も持たない第二世代機、と侮ってしまったから起こした失態に過ぎない。
失敗すれば人は省みる。反省を生かし次へと繋げる。それができないほど彼女達は愚かではなかった。
力が無いのならば鍛え、知恵がないのならば学ぶのだ。それこそが人の、人たる所以だろう。
それ故今の光景は彼女達の勤勉さを示していた。
「それでは足りない」
しかし白銀 武の顔が歪む。無自覚になればこそ、それは彼の内面を如実に表していた。
呟く言葉には力が無い。それは幽鬼が発する呪詛に似ていた。
眼には網膜投影用に発せられる光が当たっているはずであるのに、その両眼はどこまでも暗い。
それは社 霞が最も嫌い、十数年という歳月が彼を削り作り出した一種の彫刻であった。
人が失敗をすることに罪など無い。それは極々自然な人としての営みだ。
それでも。
失敗には犠牲が伴う。無論それは場合によっては些細なものだ。幾らでも取り返しがつくものかもしれないし、代えがきくものかもしれない。
それでは。自分よりも大切な、代えもきかない存在が犠牲となればどうする。
それは誰も悪いわけでもない。先程も言う通り、人は失敗するのだ。自分の不甲斐なさであれ、運の悪さが原因であれ誰に責任があるわけでもない。
だとしても、その犠牲を招いた事態が「しょうがない」の一言で終わったとしても。それでどこまでの進歩が得られたとしても。
それで犠牲になった存在が帰ってくるわけではない。犠牲が自身の中で肯定されるわけではない。なればどうするか。真に望む犠牲無き事態をどうやって創りだすか。
死力を尽くせばよいか。
生ある限り最善を尽くせば良いか。
決して犬死しなければ良いか。
いや違う。すべきなのは……
衝撃。コクピット部が激しく揺れる。
白銀は慌てて機体の状態を確認した。見れば左肩部装甲に36mmが数射されていた。
A-01に胴体部が狙えないのだから、脚部や頭部以外で致命傷は受けない。
しかし装甲や武装を保持する腕部には容赦なく弾雨が先程から降り注いでいる。今の被弾もその中の数発であった。
機体バランスを整えながら、白銀は必要のない思案に耽っていたことを反省する。目の前に集中する。
彼女達の成果はもう分かった。二の轍を踏まなかったならば、もうこの状態は維持する必要は無い。継続は緩やかな撃墜にしか繋がらないだろう。
するべきことは意表を突くこと。違う手法で前の様に彼女達の実力が発揮される前に数をへらすこと。
幸いなことに今回は此方も第三世代機。そして仮想空間での擬似的とは言え『あれ』も積んでいる。
フッドペダルを強く踏み込む。目指すは前。押し潰される感覚に耐えながら白銀は向かった。
反転。
急激な減速と加速に機体に少なからぬ負担をかけるのも厭わず、敵機が部隊の編隊に躍り掛かってきた。突飛な動きに各々が一瞬怯むが弾幕は薄くならない。
一機と編隊が交差する僅か数秒の間に、伊隅は空かさず指示を飛ばす。思考ではなく、もはや反射に近い反応であった。
「ヴァルキリー1より各機。速度に騙されるな! 接近時の減速を狙え」
『了解!』
隊の前衛である水月機の鼻先100mまで敵が迫る。既に跳躍ユニットから噴出される青白い炎さえも視認できた。弾を追加装甲に肩に腕に受けながらも減速が確認されない。
もはや突撃砲の間合いではなく長刀や短刀といった近距離兵装の距離だ。けれども相手は武器の変更も減速もせず突っ込んでくる。
「くっ」
「落ちてっ!」
後衛である宗像と柏木の精密射撃も、敵を怯ませるには至らなかった。
「ヴァルキリー2より各機! 敵機に減速の兆候無し!」
このまま通過するのか? そう結論付けようとした水月は、敵の進路を確認して驚愕した。すかさず怒号を放つ。敵の機体が横をすり抜けていくのとほぼ同時。
「ヴァルキリー9、 迎撃しなさい!」
敵はヴァルキリー9、麻倉の元に進路を向けていた。
それは先の戦闘における敵の接近時における軌道と同様であったが、両者ともに速度を出している今は比較にならないほど速度で距離が縮まる。
「…………っ」
麻倉が補助椀を使っての4問斉射を行う。左肩部装甲を破損させるも致命打には鳴り得ない。速度を落ちず、最早回避がどうあっても不可能な距離にまで迫った。
まさか訓練とは言え本当に特攻をするつもりなのか。麻倉は恐怖のあまりトリガーを引きながらも、敵と接触する瞬間目を瞑ってしまう。
鈍い衝撃、数瞬後に爆裂音が鼓膜を劈く様に麻倉には聞こえた。
そして再び目を開ける。麻倉の眼には待機状態にあるシュミレーターが映った。
『ヴァルキリー9、コクピット部に致命的損壊。機能停止します』
両者戦闘軌道の中で、追加装甲のリアクティブアーマーで撃墜狙う?
水月は敵機の常軌を逸した行動に、感嘆を通り越し呆れとも言える感情を抱く。だがそれも後ろからの発砲音ですぐさま打ち消される。
「なっ」
水月が味方の視界を介して見れば、敵はもうこちらを向き、重力で地面へ向かいながら突撃砲を撃っていた。反転しきれていない部隊の背中に容赦なく鉄の雨が降る。
唯でさえ薄い装甲しか持たない不知火の後部装甲など、36mmの前には何ら意味を持たない。各機はすかさず乱数回避を試みている。
まさかあの僅かな間に反転と姿勢制御、さらに弾倉の交換まで済ませたとでも言うのか。
敵機が見せた様な軽やかな動き程ではないにせよ、水月は空中で方向転換。追加装甲を構えながら弾幕を張る。
軽快な音で銃口から発せられる弾丸で、相手に回避運動を強要した。しかし彼女達の盾ともなる火線の数が当初と比べ明らかに少ない。
『ヴァルキリー6、7コクピット部に致命的損壊。機能停止』
視界に捉えれば力無く落下していく不知火が二機。柏木と高原だ。
明らかにこちらの動きが拙い味方から、今ならば後衛と中衛の新人達を狙ってきている。加速し一刻も早く地面を目指す。悔しさと加速から、彼女は歯を食いしばった。
敵が地面に着地する間際、
「全機、発砲!」
伊隅の号令と共に計6機の突撃砲の集中火力が、今正に着地せんとする不知火に躍り掛かる。硬直時間と合わせた完璧な射撃であった。
追加装甲を失い、脚部を剥き出した敵はこれを防ぎようがない。そう、常識的には。
けれども水月は確信する。敵はこれを避け得ると。だが部隊の他の全員が仕留めたと信じている。
事実、敵は機体重量を感じさせない様に片足が着くや否や右に跳躍。銃口がこちらに向けられた。
「全員、避けてっ!」
水月の警告に古参等は揃ってフル加速で地面を目指した。それに遅れて築地の機体が追従するも涼宮機は間に合わず、36mmで胴体部に幾つもの穴が開く。
ここにきて水月は相手の特殊性に気付いた。対峙するは不知火。自分達と同じ機体の筈だ。空中の逃走劇までは腕の良さはあったが目立つ点はなかった。
しかし麻倉に追加装甲で一撃を決めてからは、明確に相手の動きがこちらと一線を書いている。
隙を見つけ出し、手を変え品を変えこちらを攪乱する。相手の技量には素直に賞賛を送りたい。けれどもそれだけではないはずであった。
動きが違う。それは軌道に隙が無いとかの次元では無い。そもそも質自体が違っている、と水月は推察する。
兎に角もあの動きの前にこちらの数の優位性が失われていた。5機いるも1機でも失われれば負けが確定しているのだ。
前衛、中衛が水月と新人である築地、後は後衛しかいない状態では数で勝ろうとも既に勝敗は決している。
しかし水月は笑う。
負けは確かに悔しかった。けれども彼女は全力で立ち向かい、今も向かおうとしている。
全ての力を尽くし、敵に一矢報いようと牙を立てようとしている。立ち止まらず進み続ける。彼女は今現在自分の生き方を全うしているのだ。
不知火の背後の火薬ノッカーが盛大な音を立てて、長刀を彼女の機体の前に弾く。
それを両腕で受け取ると、水月は敵機に向かって突貫した。
後に白銀の顔と年齢、階級を知り、年下に負けたと地団駄を踏んだのは、彼女の性と言えるだろう。
Sideを止めて、三人称を導入。けれども一人称と混ざっているのはご愛嬌。精進します。